あきらとアキラ

零細工場の息子・山崎瑛と大手海運会社東海郵船の御曹司・階堂彬。生まれも育ちも違うふたりは、互いに宿命を背負い、自らの運命に抗って生きてきた。やがてふたりが出会い、それぞれの人生が交差したとき、かつてない過酷な試練が降りかかる。逆境に立ち向かうふたりのアキラの、人生を賭した戦いが始まった―。感動の青春巨篇。(「BOOK」データベースより)

 

山崎瑛と階堂彬という同年代の二人のアキラを主人公として、押し寄せる様々な困難な状況を乗り越えていくという長編の痛快経済小説です。

 

本書は文庫本で700頁を超える作品で、二人の主人公の子供の頃からの成長を描いているまさに池井戸潤の描く痛快小説です。

ただ、近時の池井戸潤の作品と比較して何点かの疑問がありました。

まず第一点は、本書のタイトルの二人のあきら、即ち東海郵船の御曹司の階堂彬と、零細工場の息子である山崎瑛という二人を主人公とした意義があまり感じられなかったことです。

貧富の差を設けた二人を登場させた意味もあまり感じませんでしたし、別に階堂彬だけでも十分に成立する物語だとの印象でした。

たしかに、山崎瑛という存在が銀行員という立場の役割を担った存在としてあります。でも、そこは山崎瑛でなくても良く、階堂彬がその知恵をもって担当銀行員に指示する展開でも行けたのではないでしょうか。

ただ、そうすれば今の作品ほどの面白さは無くなったかもしれませんが。

 

次いで、本書の前半、二人のあきらの子供のころを描いている間、即ち「第四章 進路」の途中までは物語のテンポが冗長に感じました。

本書は2006年から2009年にかけて「問題小説」に連載されていたものに大幅に加筆修正し、2017年に700頁を超える分量の文庫版として出版されたものだそうです。

そうした事実を併せ考えると、長期の連載だからこそじっくりと二人のあきらの子供時代を描いたのだ、と思われますが、それでももう少し簡潔に書けたのではと思います。

ただ、「第四章」の終盤での山崎瑛の父親の会社である西野電業の専務と担当銀行の支店長との会話はまさに池井戸潤であり、これ以降は今の池井戸潤に通じるテンポの良さを取り戻しているように思います。

 

そしてもう一点。二人の敵役として立ちふさがる階堂彬の叔父二人の存在が、ステレオタイプな存在と感じられ、強烈な個性を持った魅力的な敵役とはとても言えない存在でした。

最後に、全体として物語が平板にも感じました。確かに物語の勢いはあるのですが、少々一本調子だったのです。

このように、今の池井戸潤の小説と比べると若干物足りないのです。しかし、書かれた時期を考えると仕方のないことかもしれません。

 

書評家である村上貴史氏による本書の「解説」にも書いてあったように、本書は『シャイロックの子供たち』と『下町ロケット』との間に書かれたことになり、「新たな書き方に目覚めた池井戸潤が」書いた作品ということになります。

 

 

だからこそ、本書の二人が社会人になってからの流れは『半沢直樹シリーズ』にも通じる勢いを持っていると思われるのです。

 

 

池井戸潤の信念なのか、登場人物に「大抵の場合、どこかに解決策はある」と言わせたり、物事の見方の新たな視点などを感じさせる表現もあり、次第に引き込まれていきました。

池井戸潤が考える銀行員や企業経営に対する理想像が明確に主張され、その主張がまかり通っていく物語の流れが明確になっていて、痛快経済小説としての面白さを十分に持っていると思います。

今の作品と比べいろいろ不満はあったものの、冒頭に述べたように、結局は池井戸潤の描く痛快小説の醍醐味を満喫できる作品でした。

 

ちなみに、私は見ていないのですが、本書は向井理と斎藤工の二人を主演としてWOWOWでドラマ化されました。

 

ノーサイド・ゲーム

未来につながる、パスがある。大手自動車メーカー・トキワ自動車のエリート社員だった君嶋隼人は、とある大型買収案件に異を唱えた結果、横浜工場の総務部長に左遷させられ、同社ラグビー部アストロズのゼネラルマネージャーを兼務することに。かつて強豪として鳴らしたアストロズも、いまは成績不振に喘ぎ、鳴かず飛ばず。巨額の赤字を垂れ流していた。アストロズを再生せよ―。ラグビーに関して何の知識も経験もない、ズブの素人である君嶋が、お荷物社会人ラグビーの再建に挑む。(「BOOK」データベースより)

 

半沢直樹シリーズ』や『下町ロケットシリーズ』などの痛快経済小説でヒットを飛ばしている池井戸潤が、今年日本でワールドカップが開催される「ラグビー」をテーマに描いた長編企業小説です。

 

 

池井戸潤作品で企業スポーツを描いた作品といえば『ルーズベルトゲーム』があります。この作品は企業と、企業チームである社会人野球チームの再生を重ねた作品でした。

本書はそれとは異なり、ラグビーチームがメインです。社会人ラグビーチームが持つ、チームの運営のためには金がかかるという現実を明らかにし、企業内スポーツとしてのチームの運営という新たな観点から描き出した作品です。

本書の主人公は『ルーズベルトゲーム』同様にスポーツ選手ではありません。ラグビーチームの全体を管理するゼネラルマネージャーという立場の君嶋隼人という人物です。

ここで「ゼネラルマネージャー」とは、

スポーツでのゼネラルマネージャーの役割は、現場の総指揮官である監督の上に立ち、チームがどのようにすれば勝つのか考えるのと同時に、経営層として利益が出るように指揮する立場になります。
現場での選手起用や采配は監督になりますが、試合の進め方や、観客の集客方法、チケットや関連商品の販売方法、チームの広告宣伝などの戦略を考えて収益をあげるという組織全体の責任者です。

ゼネラルマネージャーとは

この立場の男の眼を通して社会人ラグビーというものを紹介しています。

 

スポーツですから、チームとして勝つためにはどうすればいいか、ラグビーチームの約五十人近いメンバーがリーグ戦の中で勝つために努力する姿が描かれています。この側面は通常のスポーツ小説でもあります。

ここではラグビーチームの柴門監督、メンバーそれぞれの動向、試合の状況がスポーツ小説の醍醐味豊かに描写されています。

 

ただ第一義的には、チームの採算という観点からのチームの存続の可否という企業内スポーツとしてのシビアな側面描かれています。

不採算部門が縮小もしくは切り捨てられるのは営利面から見て当然であり、年間十五億という予算を食うラグビーチームの存続意義が語られます。

ここにおいて主人公であるゼネラルマネージャーの君嶋隼人が登場し、経営の側面から見た企業内スポーツの意義が前面に出てくるのです。

ここで君嶋の敵役としての常務取締役の滝川桂一郎と議論が交わされます。この二人の関係は本書の見どころの一つでもあり、注目してもらいたいところです。

 

ところで、今年(2019年)はラグビーワールドカップが日本で開催されます。

そうしたこともあって、池井戸潤の小説をドラマ化して成功しているTBSの日曜劇場と組んで本書が書かれたものと思われ、日曜劇場では2019年6月13日発売の本書出版とほとんど同時の2019年7月7日からドラマが放映されています。

 

私はドラマを先に見ていたので、本書の登場人物がドラマの役者さんと重なってしまいました。つまりは君嶋隼人は大泉洋であり、滝川常務は上川隆也だったのです。

ついでにドラマに関して言えば、ラグビー場面の臨場感のすごさが挙げられます。アストロズのメンバーがラグビー経験者で占められ、あのラグビー日本代表キャプテンだったこともある廣瀬俊朗が役者として登場していたのには驚きました。

 

もう一点驚かされたのは、本書においても、もちろんドラマの中でも、本書のトキワ自動車アストロズというラグビーチームが属するプラチナリーグおよびラグビーというスポーツを管理する日本蹴球協会(本書内名称)に対する強烈な批判が繰り広げられてることです。

日本ラグビーの現状について作者は「アマチュアリズムを振りかざし、常に他人の金をあてにして反省もない。」と言い切っています。

作者池井戸潤が本書で述べている事柄は今の日本のラグビー事情を見た作者の率直な印象でしょう。

池井戸潤の指摘がどこまで正鵠を射ているものか私にはわかりません。

しかしながら、2015年ラグビーワールドカップでの日本代表の大活躍で日本中が沸きに沸いたにもかかわらず、ラグビー人気自体は決して盛り上がったとは言えない状況であることは事実でしょう。

ラグビー関係者も様々な努力をされている筈です。決して本書で描かれているようなことはないと思いたいものです。

 

それはともかく、本書の面白さは間違いありません。これまでの『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケットシリーズ』などの痛快経済小説とは異なった面白さを持った小説です。

勿論、君嶋隼人の活躍はほかの作品での逆転劇のような爽快感をもたらしてくれる場面もあります。それに加えてラグビーというスポーツの面白さもまた伝えてくれています。

ラグビーをテーマにした小説に関しては下記コラムを参照してください。そこに、も書いています。

 

蛇足ですが、日本ラグビーでは「ワンフォーオール、オールフォーワン」ということがよく言われますが、この言葉が和製ラグビー英語であり、日本独特の美意識と結びついた言葉に過ぎないと断言してあることは、また別な驚きでした。

少しなりともラグビーをかじった身としては少々ショックな言葉でした。

果つる底なき

「これは貸しだからな」。謎の言葉を残して、債権回収担当の銀行員・坂本が死んだ。死因はアレルギー性ショック。彼の妻・曜子は、かつて伊木の恋人だった…。坂本のため、曜子のため、そして何かを失いかけている自分のため、伊木はただ一人、銀行の暗闇に立ち向かう!第四四回江戸川乱歩賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

本書は、ベストセラー作家の池井戸潤のデビュー作で、第四四回江戸川乱歩賞を受賞した長編のミステリー小説です。

 

二都銀行渋谷支店融資課長代理の伊木遥の研修時代からの同期で、債権回収担当だった坂本健司が、蜂によるアレルギーにより死亡してしまいます。

ところが、この坂本に顧客の預金を勝手に引き出していたという疑惑がかかります。

しかし、親友だった坂本の無実を信じ、また生前の坂本が言った「これは貸しだからな」という言葉の意味を調べるためにも、伊木は坂本の行動を洗い直し、かつて伊木の担当だった融資先の「東京シリコン」という会社の倒産にからんだとある事実を知ります。

そこで、東京シリコンの社長の娘柳葉奈緒とともに更なる調査を進めるのでした。

 

本書はまさに銀行業務を詳しく知る著者ならではの作品であり、池井戸潤ならではのミステリーが展開します。

しかし、テレビドラマ化され一躍人気となった『半沢直樹シリーズ』や、同じくテレビドラマ化され、さらには直木賞も受賞した『下町ロケット』といった作品と比べると、かなり印象が違います。

たしかに、本書も舞台は銀行であり、池井戸潤お得意の経済小説ではあります。しかしながら、本書はまさにミステリーであって、『半沢直樹シリーズ』などのような勧善懲悪形式の痛快経済小説とは異なります。

 

 

だからといって本書が面白くないというのではありません。ミステリーとしてよく練られているし、これまでにない経済の分野での、それも銀行の業務を絡めたミステリーとしてユニークな展開を見せます。

デビュー作ではあっても文章も読みやすいし、さすがは池井戸潤の作品と思います。

ただ、勧善懲悪の痛快小説としての主人公の熱量を期待して読むと、それは期待外れとなり本書の面白さを損ねてしまうというだけのことです。

 

本書の主人公は、いかにも銀行マンらしく、丁寧に調べあげた事実を積み上げてそれなりの結論にたどり着きます。

ただ、この伊木という主人公は、自分の信じるところに従い、上司と衝突することも厭わないだけの覇気は持っています。こうした性格付けに後の痛快小説に連なる人物像が伺える気がします。

ただ、これは私の個人的な思いでしょうが、本書の舞台が私がよくわからない経済の世界であることに加え、一段と未知である中小企業の経営という分野であるため、暴かれていく事実の本当の意味を理解しきれずに読み終えたのではないかという危惧があります。

ミステリーとしてのストーリーは追えるのですが、個々に提示される例えば、融通手形が現実社会で持つ意味などを本当に理解できないままに物語の流れに乗っかって読み終えたという印象です。

ミステリー色が強い本書であるがために、本当はもう少し経済のことが分かって読めばより面白さを堪能できたのではないかと思えるのです。

鉄の骨

中堅ゼネコン・一松組の若手、富島平太が異動した先は“談合課”と揶揄される、大口公共事業の受注部署だった。今度の地下鉄工事を取らないと、ウチが傾く―技術力を武器に真正面から入札に挑もうとする平太らの前に「談合」の壁が。組織に殉じるか、正義を信じるか。吉川英治文学新人賞に輝いた白熱の人間ドラマ。(「BOOK」データベースより)

 

今回の池井戸劇場は「談合」をテーマにした長編小説です。

 

公共事業などで、多数人を競争させそのうち最も有利な内容を提供する者との間に契約を締結する競争契約の場合に文書によって契約の内容を表示させること「入札」といい、入札業者同士で事前に話し合って落札させたい業者を決め,その業者が落札できるように入札内容を調整することを「談合」といいます( コトバンク : 参照 )。

なかでも、公務員が談合に関与して、不公平な形で落札業者が決まるしくみのことを「官製談合」といい、本書はこの「官製談合」を最終的なテーマとしています。

この「談合」については、「 官製談合 – 月刊基礎知識 from 現代用語の基礎知識 」に詳しく説明してありますので、関心がある方はそちらを参照してください。

 

本書『鉄の骨』が出版されたのは2009年10月です。

その前年の2008年6月には『オレたち花のバブル組』が、翌年の2010年11月には第145回直木賞を受賞した『下町ロケット』が出版されているように、本書『鉄の骨』は池井戸潤が勢いに乗ってきている時期に書かれた作品です。

そしてまた、そうした時期に書かれた作品らしく、第31回吉川英治文学新人賞を受賞している作品でもあります。

 

 

そういう勢いをもった本書は、「談合」という違法行為自体の結果や、不本意ながらも談合に参画することになった主人公の行く末についての関心などの、痛快小説としての面白さを十分に持った小説です。

しかし、それに加えて、一般に必要悪として受け入れられている「談合」行為について、池井戸潤という作家がどのように考え、処理しているのか、そのことにも大きな関心を持てる作品なのです。

 

私個人としても、もう四十年近くの昔に、本書で描かれている役所の駐車場管理についての入札のように、小さな現場の入札にサラリーマンとして参画したことがあります。

もちろん、落札予定価格が聞こえてくるのは当然であり、必要悪として自分の順番が回ってくるのを待っていたものです。

本来「談合」などあってはならない筈です。しかし、本書の中でも繰り返し書かれているように、「談合」がなければつぶし合いになり、結局は自分たちのためにも、納税者のためにもならない、皆、本気でそう思っていました。

そうした論理をどのように崩し、主人公やそのほかの登場人物らを、更には読者をも納得させるものなのか、が注目されたのです。

 

本書の結論は読んでもらうしかないとは思いますが、池井戸潤という作家が出した結論は、個人的には納得できるものではありませんでした。

というよりも、理想論ではあり、頭では理解できても現実としてついていけないというところでしょうか。

 

登場人物をみると、主人公の富島平太を始め、皆なかなか魅力的です。

一番は西田吾郎という平太の同僚の業務課員がいます。小太りであり、見た目とは裏腹にやりての先輩で、何かと平太を手助けしてくれます。

また、平太の勤務する会社である一松組の尾形総司常務取締役の存在は大きく、平太との個人的な関係が見え隠れする点も見逃せません。

更に、建築現場の世界で“天皇”と呼ばれている三橋萬造という実力者がいるのですが、この人物の人間像が、「談合」の悪の側面をしっかりと見つめつつ、現実との折り合いを図る微妙なものであり、現実世界の体現者ではないかと思える設定になっています。

そして、平太の恋人の白水銀行に勤務する野村萌がいます。この人物がちょっと中途半端な気がするのですが、それも仕方のないところかもしれません。

 

物語の流れとしては、談合の要である三橋萬造という人物や、主人公の恋人とのその後など、あまりはっきりとは書いてない事柄が多く、もう少しその後のことも処理してほしかったという印象はあります。

しかし、そうした不満を抱えながらも、やはり池井戸潤という作家の作品はやはり面白いと言わざるを得ません。

シャイロックの子供たち

ある町の銀行の支店で起こった、現金紛失事件。女子行員に疑いがかかるが、別の男が失踪…!?“たたき上げ”の誇り、格差のある社内恋愛、家族への思い、上らない成績…事件の裏に透ける行員たちの人間的葛藤。銀行という組織を通して、普通に働き、普通に暮すことの幸福と困難さに迫った傑作群像劇。(「BOOK」データベースより)

 

東京第一銀行長原支店を舞台とする、連作のミステリー短編小説集です。

 

第一話 歯車じゃない | 第二話 傷心家族 | 第三話 みにくいアヒルの子 | 第四話 シーソーゲーム | 第五話 人体模型 | 第六話 キンセラの季節 | 第七話 銀行レース | 第八話 下町蜃気楼 | 第九話 ヒーローの食卓 | 第十話 晴子の夏

 

舞台は東京第一銀行の長原支店であり、各話の主人公は年齢や職種こそ異なるものの、殆どこの支店に勤務する銀行員です。そして、本書全体として一編のミステリーとして仕上がっています。

 

読後にネット上のレビューをみると、本書タイトルの「シャイロック」という言葉の意味を知らない方が多いようで、本好きならずとも「ベニスの商人」の話はお伽話的にでも知っている人が多かった時代からすると意外でした。

シェイクスピアの「ベニスの商人」という戯曲に登場する強欲な高利貸しのことを指すのですが、本書では、その子供たちとして銀行員らを指していることが暗示的です。

 

池井戸潤といえば『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケット』などの勧善懲悪形式の痛快経済小説がもっとも有名であり、その痛快さ、爽快さが人気を博している理由だと思うのですが、本書はその系統ではなく、ミステリーとしての存在感を出しています。

 

 

作者である池井戸潤は、この『シャイロックの子供たち』という作品を

自分はエンタメ作家なんだから、もっと痛快で、単純に「ああ楽しかった」と言ってもらえる作品を書こうと。課題に対する自分なりの答えとして書いた

と言われています。

この作品以降「銀行や会社は舞台でしかなくて、そこで動いている人間の人生そのものを読んでもらおうと思うようになった。」とも書いておられます

 

ですから、痛快小説としての池井戸潤を思ってこの作品を手に取ると、若干期待外れとなるかもしれません。

勧善懲悪ではなく、正義が明白な悪を懲らしめるというパターンではないのです。それどころか、読みようによってはピカレスク小説と読めないこともない作品です。

しかしながら、池井戸潤の小説であることに違いはなく、銀行という舞台で展開される人間ドラマがミステリーの形式を借りて語られているというだけです。

 

本書の前半は、それぞれの話は独立したものとしての色合いが強く、個々の話ごとに銀行を舞台にした人間模様として読み進めることになります。

副支店長の古川一夫のパワハラ、融資課友野裕の融資獲得状況、営業課北川愛理の百万円窃取疑惑、業務課課長代理遠藤拓治にかかる重圧、と話は続きます。

そして、「第五話 人体模型」で、本店人事部部長が人事書類から失踪した西木という銀行員の人物像を把握しようとする場面からその様相を異にしてきます。

「第六話 キンセラの季節」以降、登場人物がそれぞれの視点で失踪した西木の仕事について調べ始め、これまでの語られてきた話の実相が次第に明らかにされていくのです。

そして、最終的にこれまで個々の視点で語られてきた話が、更に異なる視点で見直されることにより、全く違う意味を持つ話として読者の前に提示されることになります。

 

繰り返しますが、勧善懲悪の痛快小説ではなく、あくまで銀行を舞台にした新たな構成の、“意外性”というおまけまでついたミステリーとしてとても楽しく読んだ小説でした。

七つの会議

きっかけはパワハラだった!トップセールスマンのエリート課長を社内委員会に訴えたのは、歳上の部下だった。そして役員会が下した不可解な人事。いったい二人の間に何があったのか。今、会社で何が起きているのか。事態の収拾を命じられた原島は、親会社と取引先を巻き込んだ大掛かりな会社の秘密に迫る。ありふれた中堅メーカーを舞台に繰り広げられる迫真の物語。傑作クライム・ノベル。(「BOOK」データベースより)

 

一人のサラリーマンの生きざまから描き出される中堅メーカーの秘密を暴き出す、ミステリータッチの長編痛快小説です。

 

形式的には連作短編集だというべきなのかもしれませんが、本書のような作品では長編と言ってもいいと思われます。

本書のタイトルの「七つの会議」という言葉にあまり意味はありません。

中堅メーカーの組織としての行動を見ると様々な意思決定が行われますが、その折々の意思決定機関として、営業部内の業績報告のための「定例会議」や各職場から任命された環境委員による「環境会議」、毎月計上される売上・経費などの目標を決める「係数会議」などの会議が行われていることを示しているのでしょう

 

本書冒頭では、営業第二課課長の原島万二の視点で、営業部内の業績報告のための「定例会議」の場面が描かれ、営業部長の北川誠のモーレツ管理職ぶりや営業第一課課長の坂戸宣彦の切れ者ぶり、そして営業第一課係長の八角民夫のダメ男ぶりが紹介されます。

そんな中、八角が第一課課長の坂戸をパワハラ委員会に訴え認められるという事件が起き、板戸のあとに原島が任命されます。納得のいかない原島は板戸を訴えた理由を質しますが、八角は「知らないでいる権利」を放棄することになるというのでした。

この八角の言葉が実は深い意味を持っていて、本書はその言葉の真の意味を明らかにするミステリーとして展開されていくのです。

 

その言葉の意味が明らかにされていく過程で、東京建電の下請けの「ねじ六」という会社の状況や(第2話 ねじ六奮戦記)、退社する決心をした浜本優衣が、社内に無人のドーナツ販売コーナーを設置するために奮闘する(第3話 コトブキ退社)などのエピソードが描かれています。

その後、経理課長の加茂田やその部下の新田は営業部の利益率の低下に疑問を抱き始めたり、またカスタマー室長の佐野は「椅子の座面を留めたネジが破損」というクレームから営業部の下請け利用のしかたに疑問を抱き営業部の実態を調べ始めるのでした

 

これまで読んだ池井戸潤の小説の中では一番ミステリー色が濃い物語でした。

八角がグータラ社員になったのは何故か、第一課課長になった原島は八角から何を聞いたのか、個別に動く新田や佐野の行動は如何なる結果に結びついていくのか。

それぞれが抱え込んでいた秘密は、いつ、どのような形で明かされ、その結果はどのようになっていくのか、などミステリーとしての関心はどんどん引っ張られ、結局は最後まで読み通してしまいました。

 

そうしたミステリー的関心とは別に、企業に勤めたことのない私にとっては中堅メーカーとしての会社の仕組みについても引き込まれる内容を持っている作品でもありました。

特に「第3話 コトブキ退社」での浜本優衣が会社内で無人のドーナツ販売コーナーを設置するという行動について、業者選定から販売すべき商品およびその数、そうしたことを盛り込んだ企画書の作成など様々に考慮すべき事柄があるという視点だけでも面白いものでした。

また、営業と経理との折衝のあり方など、その世界にいる方であれば普通の事柄であろうことが私にとっては未知の世界の出来事であり、そうした観点での面白さもまたありました。

 

池井戸潤の小説は、私にとっては未知の世界を垣間見せてくれる望遠鏡のようなものでもあります。ただ、そこで見せられる事実は現実の出来事ではありません。あくまで池井戸潤というフィルターを通した世界であり、それはエンターテイメント性という色合いが付加されたものでもあるのです。

それは、「できるだけ分かり易いハリウッド的エンタメの基本構造で書いています。」という作者の言葉でも分かるように、より楽しく読むことができるように再構成された社会なのです。

 

その上で、そうしたエンタメの基本構造の底流に池井戸流の“正義”が横たわっていて、それが読者の心に響くのだと思います。

例えば先日読んだ半沢直樹シリーズの『銀翼のイカロス』では中野渡頭取の言葉があったように、本書では東京建電の副社長である村西京助の父親の「仕事っちゅうのは、金儲けじゃない。人の助けになることじゃ。」という言葉があります。

登場人物の個々の人間が描かれ、また主人公らの行動の根底に池井戸流の“正義”流れているからこそ読者の共感を得ることができるのだと思うのです。

 

 

ちなみに本書は2013年にNHK総合の「土曜ドラマ」枠でテレビドラマ化されています。東山紀之が更迭された営業第一課課長坂戸宣彦の後任に任命された原島万二を演じ、八角民夫を吉田鋼太郎が演じているそうです。

 

 

また、2019年2月には映画版も公開されています。こちらは野村萬斎演じる八角民夫を主人公とし、香川照之の北川誠や片岡愛之助の坂戸宣彦など、ドラマ版「半沢直樹」を彷彿とさせるキャストを起用した作品でかなり人気を得ているようです。

 

銀翼のイカロス

出向先から銀行に復帰した半沢直樹は、破綻寸前の巨大航空会社を担当することに。ところが政府主導の再建機関がつきつけてきたのは、何と500億円もの借金の棒引き!?とても飲めない無茶な話だが、なぜか銀行上層部も敵に回る。銀行内部の大きな闇に直面した半沢の運命やいかに?無敵の痛快エンタメ第4作。(「BOOK」データベースより)

 

半沢直樹シリーズ、第四弾の長編の痛快経済小説です。

今回の作品では航空会社の再建に手を染める半沢直樹が描かれます。と言っても、実際の問題は、政権交代した新政府の新しい国土交通大臣が立ち上げたタスクフォースが要求する債権放棄の要求をいかに処理するかという問題です。

 

本作品で描かれる新しく政権に就いた政党のモデルは民主党であり、現実に行われた前原誠司国土交通大臣のタスクフォースを前提に、民主党の蓮舫議員を思わせる白井亜希子国土交通大臣という架空のキャラクターが登場します。そして再建の対象となる航空会社のモデルは日本航空でしょう。

しかし、民主党政権の是非については人それぞれにあるところでしょうが、それはここでの問題ではありません。

 

「タスクフォース」とは、「緊急性の高い、特定の課題に取り組むために設置される特別チームのこと。」だとありました(コトバンク : 参照 )。

このタスクフォースのとりまとめをしているのが及原正太弁護士であり、この及原弁護士が今回の敵役となります。それに加え東京中央銀行内部での反半沢派の代表として紀本平八常務が立ちふさがります。

 

これらの登場人物が、民間航空会社の再建騒動を題材に、いつもながらの私的な怨念や権力欲、金銭欲などを抱えつつ、自身が有する権力をもって企業の将来を左右する振る舞いに出ます。

具体的には新しいタスクフォースが銀行団に対し提示した債権放棄要求であり、半沢にとっては東京中央銀行に対する五百億円の債権放棄要請でした。

この理不尽な要求に対し、半沢は、半沢の良き理解者である営業部長の内藤寛や検査部の富岡、半沢の尊敬する中野渡頭取などの後ろ盾を得ながら、種々の方策をもって対抗するのです。

 

半沢は「オレは、基本は性善説だ。だが、悪意のある奴は徹底的にぶっ潰す。」という人間であり、この言葉の延長上に「倍返しだ!」の名台詞があります。

そして、結局はこの言葉の通りに相手をぶっ潰していく半沢の行動にカタルシスを感じることになります。

勿論、そうした痛快さは半沢の言葉行動だけではなく、信念をもって行動する半沢の仲間らの言動などにも表れています。

そうした場面の中の一つとして、本書のクライマックスで中野渡頭取が述べる頭取としての経営者の責任に言及する言葉などがあります。こうした言葉が読み手に迫り、心に残るのです。

 

蛇足ですが、民間航空会社の再建に口を出してきた新国土交通大臣白井亜希子のパフォーマンスについて、政権が変わったからといって、それまでの政権が築き上げてきた再建計画を新大臣の一言で全くの白紙にすることができることに驚きでした。

大臣の権力というものは、そこまで大きいものなのですね。

半沢直樹シリーズ

 

東京中央銀行に入行した半沢直樹を主人公とする、長編の痛快経済小説です。

 

「半沢直樹」といえば、TBS『日曜劇場』で放映されたテレビドラマが最高視聴率が四十%を超えるという爆発的なヒットを見せたことで知られています。

 

 

その後、池井戸潤の原作をもとに、半沢直樹同様に銀行を舞台にした『花咲舞シリーズ』や、下町の中小企業の物語である『下町ロケットシリーズ』、陸上競技のシューズメーカーを舞台にした『陸王』など次々とドラマ化されています。

 

 

 

なお、『花咲舞シリーズ』は、時系列的には『半沢直樹シリーズ』の少し前の物語であり、『花咲舞シリーズ』の中に合併前の旧産業中央銀行時代の半沢直樹が登場している作品もあるそうです。

 

 

オレたちバブル入行組』での半沢直樹は産業中央銀行へ入行しますが、産業中央銀行は東京第一銀行と合併して東京中央銀行となり、今は東京中央銀行の大阪西支店の融資課課長となっています。そこで、上司から不良貸付の責任を負わされる羽目に陥り、反撃を開始するのです。

ここでの産業中央銀行と東京第一銀行との系列が、現在の東京中央銀行でも旧S系と旧T系としての対立していて、この後も何かと起きる事件の遠因となっています。

 

オレたち花のバブル組』での半沢直樹は、東京中央銀行本部の営業第二部次長となっており、老舗ホテル「伊勢島ホテル」の再建という難題に取り組むことになります。

 

その後、『ロスジェネの逆襲』での半沢直樹は、前巻で難題を乗り切ったものの上層部の反感を買い、東京中央銀行の証券子会社である東京セントラル証券へと出向させられ、営業企画部長という地位にあり、持ち込まれた企業買収の問題処理にあたることになります。

そして、最終巻『銀翼のイカロス』では民間の航空会社の再建問題に取り組むことになります。具体的には新政権下での新大臣の設けたタスクフォースによる理不尽な債権放棄要請の処理です。

半沢直樹もとうとう政府を相手に喧嘩をすることになります。権力者相手に力を尽くしてきた半沢の究極の喧嘩相手が登場、というところでしょう。

繰り返し書いてきたことではありますが。この「半沢直樹シリーズ」の面白さは、理不尽な権力者を相手に一歩も引かずに正論をぶつけ、半沢が信じる正義を貫くその爽快さ、痛快さにあります。

そういう点でも『銀翼のイカロス』の相手は、最大の敵役ということができ、さらには国民のほとんどが知っている明確なモデルを意識しつつ読み進めることができる、という意味でも感情移入しやすいテーマです。

 

以上のような構成の『半沢直樹シリーズ』ですが、痛快小説の常として、ストーリーが主人公の都合のいいように展開するという傾向が無いこともありません。

しかし、そうした瑕瑾はありながらも、現実社会ではまずは通用しない主張が堂々とまかり通り、勧善懲悪の物語を貫徹するその姿は、作者の文章の表現、物語構成のうまさにより、読者にこの上ないカタルシスをもたらしてくれます。

 

ところで、半沢直樹同様の熱血銀行マンが主人公の「集団左遷」というドラマを見ましたが、あまりにも現実と乖離したその内容は、過剰な演出とも相まって、本シリーズとは異なってとてもプロの銀行マンの行いとは思えず、少なくともテレビドラマは残念な物語でした。

 

半沢直樹シリーズは冒頭にあげた四巻以降は書かれることはないかもしれませんが、できることならば続編を読みたいものです。

ロスジェネの逆襲

子会社・東京セントラル証券に出向した半沢直樹に、IT企業買収の案件が転がり込んだ。巨額の収益が見込まれたが、親会社・東京中央銀行が卑劣な手段で横取り。社内での立場を失った半沢は、バブル世代に反発する若い部下・森山とともに「倍返し」を狙う。一発逆転はあるのか?大人気シリーズ第3弾!(「BOOK」データベースより)

 

あの半沢直樹シリーズの第三弾となる長編の痛快経済小説です。

 

半沢直樹シリーズ』の第一弾『オレたちバブル入行組』の項でも書いたのですが、本シリーズはまさに「痛快経済小説」であり、本書『ロスジェネの逆襲』もまたその例に漏れません。

 

 

前巻『オレたち花のバブル組』で老舗ホテルの再建という難題を何とかクリアした半沢直樹でしたが、結局は上層部の反感を買い、現在は東京中央銀行の証券子会社である東京セントラル証券へ出向させられ、現在は営業企画部長という地位にあります。

 

 

その半沢のもとに急成長のIT企業の電脳雑伎集団から同業の東京スパイラルを買収するためのアドバイザー業務依頼の仕事が舞い込んできます。

早速、営業企画部次長の諸田祥一を中心にアドバイザーチームを立ち上げますが、企業買収の経験が浅い諸田は電脳雑伎集団からは敬遠されてしまい、結局は東京セントラル証券の親会社である東京中央銀行に業務を横取りされてしまいます。

しかし、この横取り劇には隠された裏の事情があったのです。

 

以上のように、今回の半沢直樹の物語は「企業買収」がテーマになっています。「企業買収」など、普通の人には関係のない話であり、その実態は全く分からないと言ってと思います。

企業買収」とは、誤解を恐れずに言えば、企業が成長するためには新しい知識や人材、組織などを育てていく必要がありますが、その過程を省略し、既存の会社を傘下に収めることによって成し遂げようとする仕組みです。

既存の会社を傘下に収めるということは、株式会社であれば原則は「株式」の過半数を手に入れることでその会社の意思決定過程を支配することができます。

また、「買収」には買収される側の同意の有無によって「友好的買収」と「敵対的買収」とがあり、買収対象の会社の経営陣が買収を拒否した場合などは「敵対的買収」として株式を買ったり、TOBを実施することで株式を取得することになります。

ここでTOBとは株式公開買付のことと言います。ここらの話については山田コンサルティンググループ株式会社の「会社の買収とは」に詳しく説明してありますので、そちらを参照してください。

 

私にも「企業買収」の詳細は全くの未知の世界です。実際は複雑な手続きや、手法、実体などがあるそうですが、そこまで追求することはここでの本題からはなれてしまいます。

本書はまさにここの敵対的買収に入ることになり、株式の獲得を巡る攻防が繰り広げられるのです。

 

既述のように「企業買収」の実態がどのようなものであるのかは私にはわかりません。ただ、ニュースや経済記事などで知る企業買収の実態は確かにきれいごとだけでは済まないことがありそうです。

本書で描かれている状況もまさにそれで、法的に問題のある手法や、嘘、欺瞞など、とても銀行マンの為すこととは思えない事柄が山のように出てきます。

そうした権謀術数の中で、友人の持つ情報網などを駆使して相手の姑息な手段の裏をかき、半沢たちの陣営の勝利を勝ち取るのです。

その過程は読者にとって企業買収についての新たな知識を得ることができる場であり、既存の知識の確認の場でもあります。

 

殆どの場合、専門的な事柄も単純化され、一般素人にもわかりやすく、かみ砕いて描写してあるため、もしかしたら専門的知識を有する読者にとっては当たり前の事柄を描いてるだけなのかもしれません。

しかしながら、単に未知の知識の獲得というだけでなく、痛快小説としての面白さがそれに加わります。この点こそが池井戸潤の小説が読者にカタルシスをもたらしてくれるのです。

それは、半沢が声高に主張する「ひたむきで誠実に働いた者がきちんと評価され」なければならないし、また「仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする」ものだという言葉に対する共感でもあります。

 

半沢直樹の物語はまだ続きます。期待するばかりです。

下町ロケット ヤタガラス

「宇宙(そら)から大地へ」。準天頂衛星「ヤタガラス」が導く、壮大な物語の結末は…。(「BOOK」データベースより)

 

本書は、『下町ロケット ゴースト』に続くシリーズ第四弾です。

 

シリーズの第一作『下町ロケット』ではロケットバルブ、第二作『下町ロケット ガウディ計画』では人工心臓弁、第三作『下町ロケット ゴースト』ではトランスミッションと、佃製作所がもともと有していたロケットバルブの技術を応用し、弱小企業でありながらその高い技術力で大企業と互して闘う姿が描かれていました。

そして本書『下町ロケット ヤタガラス』では『下町ロケット ゴースト』で描かれていた人工衛星ヤタガラスを利用した無人農業ロボット分野へのトランスミッションを抱えて参入する佃製作所が描かれます。

 

前作『下町ロケット ゴースト』で共に戦っていたギアゴーストの伊丹社長はあのダイダロスと資本提携をすることとなり、そうした経営方針の違いから天才エンジニアと言われた島津裕もギアゴーストを去り、また佃のもとからも去りゆこうとしています。

そんな折、帝国重工の財前道生の無人農業ロボットの分野に参入に力を貸すことにした佃製作所でしたが、自分の実績としたい帝国重工の的場が取り仕切ると言いだし、佃製作所はこのプロジェクトからはずされてしまいます。

一方、父の農業の跡を継ぐことにした殿村も、結局は個々の思惑に巻き込まれようとしていました。

そんなとき、突然、無人トラクターの映像と共に「ダーウィン・プロジェクト」という名前が報じられます。佃は、このプロジェクトにはダイダロスがいて、社長の重田登志行、ギアゴーストの伊丹らが中心となっていることを知るのでした。

 

今回、佃製作所は、一旦は財前の手伝いをすることになりますが、そこに乗り出した的場によりその事業から外されてしまいます。

そこにダイダロスの重田、ギアゴーストの伊丹らの「ダーウィン・プロジェクト」が立ちはだかりますが、佃製作所は直接には関係していません。

そう言う意味では、途中まで本書は重田や伊丹の的場に対する恨みを根底に、帝国重工とギアゴーストとの勝負の側面が第一義になっていて、あとでは別として、佃製作所は前面には出ません。

 

本書が、読み始めたらなかなか途中でやめることができないほどの面白さを持っているという点では異論はありません。

ただ、前巻あたりから少々感じていたことではありますが、登場人物の人物造形が少々類型的になっているように感じます。

帝国重工の的場や、その部下の奥村などは自分の出世が第一義であり、ダイダロスの重田も復讐ありきです。

伊丹も前巻では人情味のあるやり手経営者として描いてあったのですが、本書では人から受けた恩も簡単に無視できるような人物となっており、まるで別人です。

このような人物設定は例えばこの作者、池井戸潤の『空飛ぶタイヤ』などでは見られなかった造形であり、そこでは多面的な人間性を前提とした描き方がしてあったと思います。

 

 

 

また、佃製作所社長の佃航平の殿村の父親を説き伏せる場面や、終盤でのダーウィンプロジェクト参加の下町企業経営者の集会の場面での演説は、農業の今に対する佃の真情を吐露する感情的な場面でもありますが、他方現実には通用しないであろう経営者の理想の演説でもあります。

池井戸潤の作品はそうした一種の理想論を貫く物語でもあると思うのですが、様々な経営上の障害をその理想論を貫くことで乗り越えていく、その爽快感が心地いのだと思います。

 

阿部寛演じる佃航平の熱血ぶりも板についてきたTBSドラマ版の『下町ロケットシリーズ』も、イモトアヤコを始めとするお笑いの分野からの登用が話題になったりと好調なようです。

そうしたテレビドラマとリンクした本作品ですが、同じくドラマとリンクした、ラグビーをテーマにした新作が発表されるという話も聞きます。どんな作品になるのか楽しみに待ちたいと思います。