ハヤブサ消防団

ハヤブサ消防団』とは

 

本書『ハヤブサ消防団』は2022年9月にソフトカバーで刊行された、474頁の長編のミステリー小説です。

この作者の『半沢直樹シリーズ』のような痛快小説ではなく、とある町を舞台にした純粋なミステリーであって、若干の期待外れの印象は否めませんでした。

 

ハヤブサ消防団』の簡単なあらすじ

 

連続放火事件に隠されたー真実。東京での暮らしに見切りをつけ、亡き父の故郷であるハヤブサ地区に移り住んだミステリ作家の三馬太郎。地元の人の誘いで居酒屋を訪れた太郎は、消防団に勧誘される。迷った末に入団を決意した太郎だったが、やがてのどかな集落でひそかに進行していた事件の存在を知るー。(「BOOK」データベースより)

 

作家の三馬太郎は、ふと思い立ち、中部地方にある八百万町ハヤブサ地区の亡父の家に移り住むことにした。

その地で、地区の消防団に誘われた太郎は何も分からないままに消防団に参加し、何とか地区の皆に溶け込むことができていた。

しかし、そのうちにこの地区では火災が相次いで起きていることを知り、さらには知人の家からも出火し、住人の一人が死体で発見される事態も起きる。

またこの地区では太陽光発電のためのパネルの設置が目立つようになっていたのだが、その裏で思いもかけない企みが進行していたのだった。

 

ハヤブサ消防団』の感想

 

本書『ハヤブサ消防団』は、中部地方のとある山村を舞台にしたミステリー小説です。

山々に囲まれた八百万町の六つの地区のうちのハヤブサ地区にあった亡き父の家に移り住んだ、三馬太郎という小説家を主人公としています。

太郎は、藤本勘助という男に地区の消防団に誘われ、何も分からないままに参加することとなります。

この消防団は、宮原郁夫を分団長として、副分団長で役場勤めの森野洋輔、大工の中西陽太、洋品店経営者の徳田省吾、多分教師だろう滝井悠人、そして地元の工務店勤務の藤本勘助という面々がいました。

この消防団のたまり場が△(サンカク)という地元の人気店らしい居酒屋です。

それに、太郎と同じように二年くらい前に八百万町に越してきた映像クリエーターの立木彩がいて、ほかに八百万町長の信岡信蔵、S地区警察署長の永野誠一、それに随明寺住職の江西佑らが中心人物として登場します。

ほかにも多くの人物が登場しますが、すべてを紹介するわけにもいきません。

 

そのうちに、ハヤブサ地区内で火事が連続して発生し、さらにとある新興宗教の問題までもが絡んでくるのです。

こうして、連続して発生する火事は失火なのかそれとも放火か。

また、ハヤブサ地区でよく目にするようになった、ハヤブサ地区の景観を台無しにしてるという太陽光発電のパネルの問題もでてきます。

加えて、オルビス・テラエ騎士団という問題を起こした教団のあとを継いでいるらしい、オルビス十字軍と名乗る新興宗教の問題など、次から次へと問題が発生します。

 

たしかに、本書では多くの人物が登場し、その相互の人間関係は複雑に絡み合い、最後まで連続出火やとある人物の死の真実、など犯人像は最後まで絞り切れません。

その点を主人公が調査し、真実の一端に辿り着く描写はそれなりに読みごたえがあります。

 

しかし、最終的に本書が語りたいことは何なのか、よく分からないままに読了することになりました。

そういう意味でも、田舎暮らしを描くうえで避けて通れない人間関係の濃密さなどの描き方が、個人的には今一つの印象です。

消防団の仲間との交流はあり、狭い地域で情報は筒抜けになることなど少しは描いてあるものの、そうしたことは単に背景としてあるだけです。

でも、この点に関しては推理小説である本書でそれほどあげつらうこともないかもしれまん。

 

では、かつてのオウム真理教を思わせる過激な新興宗教の問題としてあるのかと言えば、その点でも新興宗教の不都合な側面などはなく、あくまで本書での特定のグループの特殊さを強調してあるだけです。

そこに、宗教団体としての存在は何もありません。

かといって、タイトルでもある消防団の問題点も特にありませんし、田舎での恋愛模様もありません。

 

結局、本書の舞台で起きた火災と、事件性がはっきりしないある人物の死という事実、そこに絡んでくるオルビス十字軍という特殊集団とのサスペンス感も加味されたミステリーというだけで、何とも焦点がぼけている印象です。

先にも述べたように、これまでのこの池井戸潤という作家の個性があまりにも小気味のいい経済小説という印象が強烈であるために、その印象に引きずられている感はあります。

しかしながら、そうした先入観を取り除いて、純粋なミステリーとして見直しても何となく中途半端な印象は残ります。

 

この池井戸潤の『果つる底なき』は、舞台は銀行であり、池井戸潤お得意の経済小説ではありますが、この作品はまさにミステリーであって、『半沢直樹シリーズ』などのような勧善懲悪形式の痛快経済小説とは異なります。

また、『シャイロックの子供たち』は、銀行という舞台で展開される人間ドラマがミステリーの形式を借りて語られていると言えます。

勧善懲悪の痛快小説ではなく、あくまで銀行を舞台にした新たな構成の、“意外性”というおまけまでついたミステリーです。

こうした作品がある以上は、本書だけが何となくテーマが見えないという感想は的外れではないと思うのです。

 

 

繰り返しますが、池井戸潤という作家の作品だということで、『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケットシリーズ』のような痛快企業小説を期待して読むと、裏切られます。

本書は、まさにミステリーであり、そこに痛快小説の要素は全くなく、主人公にストーリーの途中で襲いかかる、そして主人公が乗り越えるべき何らかの難題も、本書ではありません。

「田舎の小説を書」きたいという著者の思いは、消防団という組織を通してそれになりに成功していると思います。

ただ、消防団や皆の集まる居酒屋、そして田舎の風景はいいのですが、先に述べた田舎での過度なまでの人間関係の濃密さの描き方は今一つでした。

結局、まさに普通のミステリー小説である本書は、普通に面白いということはできても、残念ながら池井戸潤という作家に対する高い期待に対して十分に応えた作品だということはできない作品だったと言わざるを得ません。

民王 シベリアの陰謀

民王 シベリアの陰謀』とは

 

本書『民王 シベリアの陰謀』は、前著『民王』の続編で、新刊書で317頁の長編のエンターテイメント小説です。

登場人物も前著と同じで、現代社会を戯画化している点も同じですが、前作以上に物語の進め方が乱暴としか思えず、池井戸潤という作家の作品とは思いにくい物語でした。

 

民王 シベリアの陰謀』の簡単なあらすじ

 

人を凶暴化させる謎のウイルスに、マドンナこと高西麗子環境大臣が感染した。止まらぬ感染拡大、陰謀論者の台頭で危機に陥った、第二次武藤泰山内閣。ウイルスはどこからやってきたのか?泰山は国民を救うべく、息子の翔、秘書の貝原とともに見えない敵に立ち向かうー!!『民王』待望の続編!(「BOOK」データベースより)

 

 

民王 シベリアの陰謀』の感想

 

本書『民王 シベリアの陰謀』は、登場人物は前著『民王』と同じですが、今回はコロナウイルスに翻弄されている現在の日本、および現実に存在するQアノンと呼ばれている陰謀論を徹底的に戯画化している作品です。

というよりも、焦点は陰謀論の方にあるようで、ネット上の情報を確たる根拠もなく単純に信じ込んで、過激に他者を攻撃する現状を強烈に皮肉っています。

 

本書『民王 シベリアの陰謀』が、現代のネット社会の悪しき側面、そしてコロナ禍という日本社会の現状を誇張し、戯画化してコミカルに描き出している点はいいのです。

しかし、その戯画化の仕方が乱暴に感じられ、どうにも素直に読み進めません。

それは前著でも感じたことではありますが、前著『民王』は総理とそのバカ息子との間です人格の入れ代わりというファンタジーであって、そのドタバタ劇もある意味単純だったのです。

 

 

しかし本書の場合テーマは陰謀論であり、リアルな現実を前提としています。

であるならば、戯画化するにしてももう少し丁寧な展開が欲しいところでした。

アメリカで起きた連邦議会議事堂へのデモ隊の乱入事件などをそのままに日本に置き換えるなどその典型であり、この作者であればもう少し緻密な描き方ができた筈なのにと思え、非常に残念です。

突然はびこったウイルスにしても、その由来と陰謀論が結びつくとしてもあまりにも展開が乱暴に感じられます。

この展開が乱暴過ぎて、陰謀論に加担する人間たちが個性のない単なるキャラでしかなく、評価の対象にすらならない展開になっています。

また、その乱暴さは本書の結末、解決の仕方にまで及んでいて、読了後もどうにも中途半端な気持ちでしかありませんでした。

 

先述したように、この作者の『空飛ぶタイヤ』のようにもっと丁寧に、陰謀論の無意味さを強烈に示して欲しいと思うしかありませんでした。

もちろん、本書はパロディ作品であって『空飛ぶタイヤ』とはその前提を異にしていて、大企業の横暴さと本書での陰謀論の危険性とを一律に論ずべきではないのかもしれません。

 

 

しかし、共に社会の脅威である点は同じであり、シリアスなドラマとコメディと描き方は違っても池井戸潤という作者であれば十分に描くことはできる、と思います。

素人である一読者の無謀な意見かもしれませんが、どうしても本書の構成が考え抜かれたものとは思えず、思いをそののままに書いてしまいました。

次回作を期待したいと思います。

民王

民王』とは

 

本書『民王』は、文庫本で俳優の高橋一生の解説も含めて352頁の長編のエンターテイメント小説です。

内閣総理大臣の父親と、そのバカ息子の人格が入れ替わるという、この作者には珍しいコメディタッチの作品ですが、池井戸潤作品にしては今一つの印象でした。

 

民王』の簡単なあらすじ

 

「お前ら、そんな仕事して恥ずかしいと思わないのか。目をさましやがれ!」漢字の読めない政治家、酔っぱらい大臣、揚げ足取りのマスコミ、バカ大学生が入り乱れ、巨大な陰謀をめぐる痛快劇の幕が切って落とされた。総理の父とドラ息子が見つけた真実のカケラとは!?一気読み間違いなしの政治エンタメ!(「BOOK」データベースより)

 

前任者の急な辞任により、新しい民政党総裁になった武藤泰山はそのままに内閣総理大臣へと就任することとなった。

その泰山は、国会で総理大臣として答弁している最中に空耳が聞こえてきたと思ったら、そのままに気を失ってしまう。

一方、友人の南真衣の誕生日パーティに出ていた泰山の息子の翔もまた空耳が聞こえてきたと思ったら気を失ってしまう。

泰山が目を覚ますとそこは見知らぬパーティ会場のようであり、また、翔が目を覚ましたのは開催中の国会会議場であった。

つまりは、父親の武藤泰山と息子の武藤翔の身体が入れ替わってしまったのだった。

 

民王』の感想

 

本書『民王』は、上記のように親子の人格が入れ替わるという、池井戸潤という作家の作品にしては珍しくSFチックで、コミカルな作品です。

 

主だった登場人物としては、まず民政党総裁で総理大臣の武藤泰山とその息子がいます。

そして、政治家としての泰山の関係では、泰山の公設第一秘書の貝原茂平、泰山の盟友でもある官房長官の狩屋孝司などがいます。

また泰山と対立する憲民党の蔵本志郎や、この事件の捜査をする警視庁公安第一課の新田警視などが重要でしょう。

また翔の友人として、翔と同じ京成大学に通う学生起業家の南真衣、同じく翔のクラスメイトの村野エリカがいます。

他にも民政党の大物の泰山の属する城山派のボスである城山和彦や、翔の母のなどがいますが、物語の上では端役的な存在です。

 

本書『民王』のように人物の入れ代わりをテーマにした物語や映画は、あの青春映画の名作といわれる「転校生」以来、少なからず作成されています。

 

 

しかし、どちらかというと銀行などの企業を舞台にした作品を主に書かれてきた池井戸潤という作家が、本書『民王』のような政治の世界を舞台の、それもコメディタッチの作品を書かれるというのは初めてだと思います。

言ってみれば、それまで得意としていた分野とは異なる世界に踏み出されたわけで、それも、SF、もしくはファンタジーという、リアルな現実とはかけ離れた世界の物語です。

 

だからでしょうかこれまで読んできた企業小説で見せてこられた切れ味は影をひそめている印象でした。

本書『民王』で展開されるストーリー自体は何となく先の読める展開だし、登場人物たちの主張も至極まっとうなものであって、ひねりの効いた展開や、新規な主張などは見られません。

また、主人公の一人である翔という人物が、「惹起」や「有無」などの漢字もろくに読めないのにそれなりの主張を持ち、少なからず感動的な文章を書く能力は有しているという、妙にどっちつかずの印象です。

読み進める中で疑問を抱きつつも、本書自体がファンタジーでもあり、そこらは曖昧でもいいのだろうと、自分を納得させながらの読書になってしまいました。

 

ただ、いつものように作者の熱い思いだけは十分に伝わる作品である、とは言えます。

池井戸潤という作家の特色ともいえる、ともすれば書生論と言われそうな正しさ、正義の主張は本書『民王』でもはっきりと明示されていて、それは私にすれば大きな救いでもありました。

そしてその主張こそが池井戸潤の魅力の一つでもありますから、その意味では池井戸潤らしい、面白さを持った作品だと言えなくもないのでしょう。

そして、だからこそテレビドラマ化もされるほどの人気にもなっているのだと思えるのです。

 

私は見ていないのですが、このドラマは父である総理の武藤泰山を遠藤憲一が、バカ息子の翔を菅田将暉が演じ人気を博したそうです。

 

 

そして、2021年9月28日には本書『民王』の続編、『民王 シベリアの陰謀』が発売されるそうです。

発症すると凶暴化する謎のウイルスを巡るドタバタ劇が繰り広げられるらしく、現在のコロナ禍の状況を捉えた作品ではないかと勝手に想像しています。

この点、「この小説は、「ウイルス」「温暖化」「陰謀論」の、いわゆる〝三題噺さんだいばなし〟なんです。」という作者の言葉があるので、あながち間違いではないと思われます( カドブン : 参照 )。

楽しみに待ちたいと思います。

 

半沢直樹 アルルカンと道化師

半沢直樹 アルルカンと道化師』とは

 

本書『半沢直樹 アルルカンと道化師』は『半沢直樹シリーズ』の第五弾で、2020年9月に講談社から354頁のハードカバーで刊行され、2023年9月に講談社文庫から400頁の文庫として出版された、長編の経済小説です。

さすが『半沢直樹シリーズ』の最新作だけあって、半沢直樹の倍返しは痛快で小気味のよく、面白さ満載の作品でした。

 

半沢直樹 アルルカンと道化師』の簡単なあらすじ

 

半沢直樹が絵画に秘められた謎を解くーー。
江戸川乱歩賞作家・池井戸潤の真骨頂ミステリー!

明かされる真実に胸が熱くなる、シリーズの原点。
大ヒットドラマ「半沢直樹」シリーズ待望の最新刊、ついに登場!

***

東京中央銀行大阪西支店の融資課長・半沢直樹のもとにとある案件が持ち込まれる。
大手IT企業ジャッカルが、業績低迷中の美術系出版社・仙波工藝社を買収したいというのだ。
大阪営業本部による強引な買収工作に抵抗する半沢だったが、やがて背後にひそむ秘密の存在に気づく。
有名な絵に隠された「謎」を解いたとき、半沢がたどりついた驚愕の真実とはーー。
(内容紹介(出版社より))

 

半沢直樹 アルルカンと道化師』の感想

 

本書『半沢直樹 アルルカンと道化師』は、半沢が東京中央銀行大阪西支店へ赴任して間もない頃に起こったM&Aの顛末を描いた作品であり、シリーズ第一作の『オレたちバブル入行組』より前の半沢直樹の姿が描かれています。

半沢直樹シリーズ』では、銀行融資とその回収、そして老舗ホテルの再建、企業買収、航空会社の再建がそれぞれの物語のテーマとされてきました。

そしてシリーズ最新刊の本書では、再び強引に進められる企業買収、そしてその裏に隠された秘密に迫る若き半沢直樹の姿が描かれています。

ここで「企業買収」の意味について下記のサイトが詳しく説明してありました。関心のある方はご覧ください。
 

 

今回の企業買収の特徴は、買収の対象企業が絵画を扱う会社だということです。

本書のタイトルの『アルルカンと道化師』とは本書内で登場する架空の絵画の名前であり、この絵画が物語のカギとなってきます。

ちなみに、この『アルルカンと道化師』とは、実在するアンドレ・ドランという人が書いた『アルルカンとピエロ』という作品からヒントを得、本書の中で使うようになったと書いてありました(【「半沢直樹」シリーズ最新刊、作家・池井戸潤氏インタビュー】 : 参照)

 

共に“道化師”という同じ意味のようにも思える「アルルカン」と「ピエロ」という言葉ですが、「アルルカン」は詐欺師的で悪賢く、「ピエロ」は純真でちょっと抜けている存在だそうです。

この違いが本書のクライマックスで大きな意味を持ってくるのですが、そこには人間の深い哀しみが隠されていたのです。

 

それは、本書『半沢直樹 アルルカンと道化師』のクライマックスの楽しみとして、本書の面白さの要因の一つにミステリー仕立てということが挙げられます。

もともと池井戸潤という作家さんがミステリー出身の人というだけあり、この『半沢直樹シリーズ』も含め、作品の多くがミステリータッチで描かれています。

主人公の前に様々なかたちで立ちふさがる壁、その壁は何を意味しており、その壁に隠された秘密は何なのか、が壁を乗り越えるカギになっていることが多く、主人公はその謎を解くことで困難な状況を打破していきます。

本書でも、「アルルカンと道化師」という絵に隠された秘密を見つけることで仕掛けられたM&Aを乗り切り、半沢の倍返しのきっかけともなるのです。

 

池井戸作品でよく言われることは、痛快小説としてご都合主義だという指摘です。

確かにその指摘は当たっていると思います。『本シリーズ』でも危機的状況を脱する期限ぎりぎりに都合よく新しい事実が出てきて反撃に移ることができる場面がよく見られます。

しかし、そうしたご都合主義的な状況も、半沢のあきらめない気持ち、常にお客様のためという基本的な心得などがあって初めてもたらされるものとして描かれていて、ストーリの進行上あまり気になりません。

それどころか、銀行の存続理由をお客のためという一点に求める半沢の立ち位置こそがそうした都合のいいストーリーの流れをもたらすと感じてしまうのです。

 

また半沢の友人の渡真利が都合よく社内の情報を教えてくれることも半沢の大きな武器となっています。

その他にも半沢のためにという人材が多数いるのです。

こうした半沢の人間性ゆえに応援団が増え、そのことでさらに半沢の情報網が増えていくことも読者にとて心地よさをもたらしてくれていると思います。

今後もこのシリーズは続くだろうと作者もおっしゃっています。

楽しみに待ちたいと思います。

あきらとアキラ

あきらとアキラ』とは

 

本書『あきらとアキラ』は2017年5月に徳間文庫より、また2020年8月に集英社文庫から合わせて736頁の上下二巻として刊行された、長編の痛快経済小説です。

山崎瑛と階堂彬という同年代の二人のアキラを主人公として、様々な困難な状況を乗り越えていくという若干の疑問はあったものの面白く読んだ作品です。

 

あきらとアキラ』の簡単なあらすじ

 

小さな町工場の息子・山崎瑛。そして、日本を代表する大手海運会社東海郵船の御曹司・階堂彬。同じ社長の息子同士でも、家柄も育ちもまったく違うふたりは、互いに宿命を背負い、運命に抗って生きてきた。強い信念で道を切り拓いてきた瑛と、自らの意志で人生を選択してきた彬。それぞれの数奇な運命が出会うとき、逆境に立ち向かうふたりのアキラの、人生を賭した戦いが始まったー。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

ともに入行した産業中央銀行で雌雄を決することになったふたりのアキラ。そんな中、彬の実家に異変が起きる。家業を立て直すため、父から会社を継ぐことを決意する彬。バンカーとしての矜持を持ち続ける瑛と、若くして日本の海運業の一翼を担う企業を率いることになった彬の人生が交差するとき、ふたりの前に新たな難題が。若きバンカーたちの半生を瑞々しく描く青春ストーリー!(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

あきらとアキラ』の感想

 

本書『あきらとアキラ』は文庫本で700頁を超える作品で、二人の主人公の子供の頃からの成長を描いているまさに池井戸潤の描く痛快小説です。

ただ、近時の池井戸潤の作品と比較して何点かの疑問がありました。

まず第一点は、本書のタイトルの二人のあきら、即ち東海郵船の御曹司の階堂彬と、零細工場の息子である山崎瑛という二人を主人公とした意義があまり感じられなかったことです。

貧富の差を設けた二人を登場させた意味もあまり感じませんでしたし、別に階堂彬だけでも十分に成立する物語だとの印象でした。

たしかに、山崎瑛という存在が銀行員という立場の役割を担った存在としてあります。でも、そこは山崎瑛でなくても良く、階堂彬がその知恵をもって担当銀行員に指示する展開でも行けたのではないでしょうか。

ただ、そうすれば今の作品ほどの面白さは無くなったかもしれませんが。

 

次いで、本書『あきらとアキラ』の前半、二人のあきらの子供のころを描いている間、即ち「第四章 進路」の途中までは物語のテンポが冗長に感じました。

本書は2006年から2009年にかけて「問題小説」に連載されていたものに大幅に加筆修正し、2017年に700頁を超える分量の文庫版として出版されたものだそうです。

そうした事実を併せ考えると、長期の連載だからこそじっくりと二人のあきらの子供時代を描いたのだ、と思われますが、それでももう少し簡潔に書けたのではと思います。

ただ、「第四章」の終盤での山崎瑛の父親の会社である西野電業の専務と担当銀行の支店長との会話はまさに池井戸潤であり、これ以降は今の池井戸潤に通じるテンポの良さを取り戻しているように思います。

 

そしてもう一点。二人の敵役として立ちふさがる階堂彬の叔父二人の存在が、ステレオタイプな存在と感じられ、強烈な個性を持った魅力的な敵役とはとても言えない存在でした。

最後に、全体として物語が平板にも感じました。確かに物語の勢いはあるのですが、少々一本調子だったのです。

このように、今の池井戸潤の小説と比べると若干物足りないのです。しかし、書かれた時期を考えると仕方のないことかもしれません。

 

書評家である村上貴史氏による本書『あきらとアキラ』の「解説」にも書いてあったように、本書は『シャイロックの子供たち』と『下町ロケット』との間に書かれたことになり、「新たな書き方に目覚めた池井戸潤が」書いた作品ということになります。

 

 

だからこそ、本書の二人が社会人になってからの流れは『半沢直樹シリーズ』にも通じる勢いを持っていると思われるのです。

 

 

池井戸潤の信念なのか、登場人物に「大抵の場合、どこかに解決策はある」と言わせたり、物事の見方の新たな視点などを感じさせる表現もあり、次第に引き込まれていきました。

池井戸潤が考える銀行員や企業経営に対する理想像が明確に主張され、その主張がまかり通っていく物語の流れが明確になっていて、痛快経済小説としての面白さを十分に持っていると思います。

今の作品と比べいろいろ不満はあったものの、冒頭に述べたように、結局は池井戸潤の描く痛快小説の醍醐味を満喫できる作品でした。

 

ちなみに、私は見ていないのですが、本書『あきらとアキラ』は向井理と斎藤工の二人を主演としてWOWOWでドラマ化されました。

 

 

また、竹内涼真と横浜流星の主演で映画化され、2022年8月26日(金)に公開されるそうです。詳しくは以下を参照してください。

 

 

ノーサイド・ゲーム

ノーサイド・ゲーム』とは

 

本書『ノーサイド・ゲーム』は2019年6月に刊行されて2022年11月に512頁で文庫化された、長編の企業小説です。

ラグビーをメインにした企業小説であり、とても面白く読んだ作品でした。

 

ノーサイド・ゲーム』の簡単なあらすじ

 

2019年「ダ・ヴィンチ」BOOK OF THE YEAR、第1位!
池井戸潤が描く、感動のリベンジ物語。

大手自動車メーカー・トキワ自動車のエリート社員だった君嶋隼人。
とある大型案件に異を唱えた結果、横浜工場の総務部長に左遷させられ、
同社ラグビー部アストロズのゼネラルマネージャーを兼務することに。
かつて強豪として鳴らしたアストロズも、いまは成績不振に喘ぎ、鳴かず飛ばず。
巨額の赤字を垂れ流していた。
アストロズを再生せよーー。
ラグビーに関して何の知識も経験もない、ズブの素人である君嶋が、お荷物社会人ラグビーの再建に挑む。

2019年、TBS日曜劇場で日本中を熱狂させたドラマ原作、待望の文庫化!(内容紹介(出版社より))

 

 

ノーサイド・ゲーム』の感想

 

本書『ノーサイド・ゲーム』は、『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケットシリーズ』などの痛快経済小説でヒットを飛ばしている池井戸潤が、今年日本でワールドカップが開催される「ラグビー」をテーマに描いた長編企業小説です。

 

 

池井戸潤作品で企業スポーツを描いた作品といえば『ルーズベルトゲーム』があります。この作品は企業と、企業チームである社会人野球チームの再生を重ねた作品でした。

 

 

本書はそれとは異なり、企業が抱えるラグビーチームの姿が描かれています。

社会人ラグビーチームが持つ、チームの運営のためには金がかかるという現実を明らかにし、企業内スポーツとしてのチームの運営という新たな観点から描き出した作品です。

ノーサイド・ゲーム』の主人公は『ルーズベルトゲーム』同様にスポーツ選手ではありません。ラグビーチームの全体を管理するゼネラルマネージャーという立場の君嶋隼人という人物です。

ここで「ゼネラルマネージャー」とは、

スポーツでのゼネラルマネージャーの役割は、現場の総指揮官である監督の上に立ち、チームがどのようにすれば勝つのか考えるのと同時に、経営層として利益が出るように指揮する立場になります。
現場での選手起用や采配は監督になりますが、試合の進め方や、観客の集客方法、チケットや関連商品の販売方法、チームの広告宣伝などの戦略を考えて収益をあげるという組織全体の責任者です。

ゼネラルマネージャーとは

この立場の男の眼を通して社会人ラグビーというものを紹介しています。

 

スポーツですから、チームとして勝つためにはどうすればいいか、ラグビーチームの約五十人近いメンバーがリーグ戦の中で勝つために努力する姿が描かれています。この側面は通常のスポーツ小説でもあります。

ここではラグビーチームの柴門監督、メンバーそれぞれの動向、試合の状況がスポーツ小説の醍醐味豊かに描写されています。

 

ただ第一義的には、チームの採算という観点からのチームの存続の可否という企業内スポーツとしてのシビアな側面描かれています。

不採算部門が縮小もしくは切り捨てられるのは営利面から見て当然であり、年間十五億という予算を食うラグビーチームの存続意義が語られます。

ここにおいて主人公であるゼネラルマネージャーの君嶋隼人が登場し、経営の側面から見た企業内スポーツの意義が前面に出てくるのです。

ここで君嶋の敵役としての常務取締役の滝川桂一郎と議論が交わされます。この二人の関係は本書の見どころの一つでもあり、注目してもらいたいところです。

 

ところで、今年(2019年)はラグビーワールドカップが日本で開催されます。

そうしたこともあって、池井戸潤の小説をドラマ化して成功しているTBSの日曜劇場と組んで本書が書かれたものと思われ、日曜劇場では2019年6月13日発売の本書出版とほとんど同時の2019年7月7日からドラマが放映されています。

 

私はドラマを先に見ていたので、本書の登場人物がドラマの役者さんと重なってしまいました。つまりは君嶋隼人は大泉洋であり、滝川常務は上川隆也だったのです。

ついでにドラマに関して言えば、ラグビー場面の臨場感のすごさが挙げられます。アストロズのメンバーがラグビー経験者で占められ、あのラグビー日本代表キャプテンだったこともある廣瀬俊朗が役者として登場していたのには驚きました。

 

もう一点驚かされたのは、本書『ノーサイド・ゲーム』においても、もちろんドラマの中でも、本書のトキワ自動車アストロズというラグビーチームが属するプラチナリーグ、およびラグビーというスポーツを管理する日本蹴球協会(本書内名称)に対する強烈な批判が繰り広げられてることです。

日本ラグビーの現状について作者は「アマチュアリズムを振りかざし、常に他人の金をあてにして反省もない。」と言い切っています。

作者池井戸潤が本書で述べている事柄は今の日本のラグビー事情を見た作者の率直な印象でしょう。

池井戸潤の指摘がどこまで正鵠を射ているものか私にはわかりません。

しかしながら、2015年ラグビーワールドカップでの日本代表の大活躍で日本中が沸きに沸いたにもかかわらず、ラグビー人気自体は決して盛り上がったとは言えない状況であることは事実でしょう。

ラグビー関係者も様々な努力をされている筈です。決して本書で描かれているようなことはないと思いたいものです。

 

それはともかく、本書『ノーサイド・ゲーム』の面白さは間違いありません。これまでの『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケットシリーズ』などの痛快経済小説とは異なった面白さを持った小説です。

勿論、君嶋隼人の活躍はほかの作品での逆転劇のような爽快感をもたらしてくれる場面もあります。それに加えてラグビーというスポーツの面白さもまた伝えてくれています。

ラグビーをテーマにした小説に関しては下記コラムを参照してください。そこに、も書いています。

 

蛇足ですが、日本ラグビーでは「ワンフォーオール、オールフォーワン」ということがよく言われますが、この言葉が和製ラグビー英語であり、日本独特の美意識と結びついた言葉に過ぎないと断言してあることは、また別な驚きでした。

少しなりともラグビーをかじった身としては少々ショックな言葉でした。

果つる底なき

「これは貸しだからな」。謎の言葉を残して、債権回収担当の銀行員・坂本が死んだ。死因はアレルギー性ショック。彼の妻・曜子は、かつて伊木の恋人だった…。坂本のため、曜子のため、そして何かを失いかけている自分のため、伊木はただ一人、銀行の暗闇に立ち向かう!第四四回江戸川乱歩賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

本書は、ベストセラー作家の池井戸潤のデビュー作で、第四四回江戸川乱歩賞を受賞した長編のミステリー小説です。

 

二都銀行渋谷支店融資課長代理の伊木遥の研修時代からの同期で、債権回収担当だった坂本健司が、蜂によるアレルギーにより死亡してしまいます。

ところが、この坂本に顧客の預金を勝手に引き出していたという疑惑がかかります。

しかし、親友だった坂本の無実を信じ、また生前の坂本が言った「これは貸しだからな」という言葉の意味を調べるためにも、伊木は坂本の行動を洗い直し、かつて伊木の担当だった融資先の「東京シリコン」という会社の倒産にからんだとある事実を知ります。

そこで、東京シリコンの社長の娘柳葉奈緒とともに更なる調査を進めるのでした。

 

本書はまさに銀行業務を詳しく知る著者ならではの作品であり、池井戸潤ならではのミステリーが展開します。

しかし、テレビドラマ化され一躍人気となった『半沢直樹シリーズ』や、同じくテレビドラマ化され、さらには直木賞も受賞した『下町ロケット』といった作品と比べると、かなり印象が違います。

たしかに、本書も舞台は銀行であり、池井戸潤お得意の経済小説ではあります。しかしながら、本書はまさにミステリーであって、『半沢直樹シリーズ』などのような勧善懲悪形式の痛快経済小説とは異なります。

 

 

だからといって本書が面白くないというのではありません。ミステリーとしてよく練られているし、これまでにない経済の分野での、それも銀行の業務を絡めたミステリーとしてユニークな展開を見せます。

デビュー作ではあっても文章も読みやすいし、さすがは池井戸潤の作品と思います。

ただ、勧善懲悪の痛快小説としての主人公の熱量を期待して読むと、それは期待外れとなり本書の面白さを損ねてしまうというだけのことです。

 

本書の主人公は、いかにも銀行マンらしく、丁寧に調べあげた事実を積み上げてそれなりの結論にたどり着きます。

ただ、この伊木という主人公は、自分の信じるところに従い、上司と衝突することも厭わないだけの覇気は持っています。こうした性格付けに後の痛快小説に連なる人物像が伺える気がします。

ただ、これは私の個人的な思いでしょうが、本書の舞台が私がよくわからない経済の世界であることに加え、一段と未知である中小企業の経営という分野であるため、暴かれていく事実の本当の意味を理解しきれずに読み終えたのではないかという危惧があります。

ミステリーとしてのストーリーは追えるのですが、個々に提示される例えば、融通手形が現実社会で持つ意味などを本当に理解できないままに物語の流れに乗っかって読み終えたという印象です。

ミステリー色が強い本書であるがために、本当はもう少し経済のことが分かって読めばより面白さを堪能できたのではないかと思えるのです。

鉄の骨

中堅ゼネコン・一松組の若手、富島平太が異動した先は“談合課”と揶揄される、大口公共事業の受注部署だった。今度の地下鉄工事を取らないと、ウチが傾く―技術力を武器に真正面から入札に挑もうとする平太らの前に「談合」の壁が。組織に殉じるか、正義を信じるか。吉川英治文学新人賞に輝いた白熱の人間ドラマ。(「BOOK」データベースより)

 

今回の池井戸劇場は「談合」をテーマにした長編小説です。

 

公共事業などで、多数人を競争させそのうち最も有利な内容を提供する者との間に契約を締結する競争契約の場合に文書によって契約の内容を表示させること「入札」といい、入札業者同士で事前に話し合って落札させたい業者を決め,その業者が落札できるように入札内容を調整することを「談合」といいます( コトバンク : 参照 )。

なかでも、公務員が談合に関与して、不公平な形で落札業者が決まるしくみのことを「官製談合」といい、本書はこの「官製談合」を最終的なテーマとしています。

この「談合」については、「 官製談合 – 月刊基礎知識 from 現代用語の基礎知識 」に詳しく説明してありますので、関心がある方はそちらを参照してください。

 

本書『鉄の骨』が出版されたのは2009年10月です。

その前年の2008年6月には『オレたち花のバブル組』が、翌年の2010年11月には第145回直木賞を受賞した『下町ロケット』が出版されているように、本書『鉄の骨』は池井戸潤が勢いに乗ってきている時期に書かれた作品です。

そしてまた、そうした時期に書かれた作品らしく、第31回吉川英治文学新人賞を受賞している作品でもあります。

 

 

そういう勢いをもった本書は、「談合」という違法行為自体の結果や、不本意ながらも談合に参画することになった主人公の行く末についての関心などの、痛快小説としての面白さを十分に持った小説です。

しかし、それに加えて、一般に必要悪として受け入れられている「談合」行為について、池井戸潤という作家がどのように考え、処理しているのか、そのことにも大きな関心を持てる作品なのです。

 

私個人としても、もう四十年近くの昔に、本書で描かれている役所の駐車場管理についての入札のように、小さな現場の入札にサラリーマンとして参画したことがあります。

もちろん、落札予定価格が聞こえてくるのは当然であり、必要悪として自分の順番が回ってくるのを待っていたものです。

本来「談合」などあってはならない筈です。しかし、本書の中でも繰り返し書かれているように、「談合」がなければつぶし合いになり、結局は自分たちのためにも、納税者のためにもならない、皆、本気でそう思っていました。

そうした論理をどのように崩し、主人公やそのほかの登場人物らを、更には読者をも納得させるものなのか、が注目されたのです。

 

本書の結論は読んでもらうしかないとは思いますが、池井戸潤という作家が出した結論は、個人的には納得できるものではありませんでした。

というよりも、理想論ではあり、頭では理解できても現実としてついていけないというところでしょうか。

 

登場人物をみると、主人公の富島平太を始め、皆なかなか魅力的です。

一番は西田吾郎という平太の同僚の業務課員がいます。小太りであり、見た目とは裏腹にやりての先輩で、何かと平太を手助けしてくれます。

また、平太の勤務する会社である一松組の尾形総司常務取締役の存在は大きく、平太との個人的な関係が見え隠れする点も見逃せません。

更に、建築現場の世界で“天皇”と呼ばれている三橋萬造という実力者がいるのですが、この人物の人間像が、「談合」の悪の側面をしっかりと見つめつつ、現実との折り合いを図る微妙なものであり、現実世界の体現者ではないかと思える設定になっています。

そして、平太の恋人の白水銀行に勤務する野村萌がいます。この人物がちょっと中途半端な気がするのですが、それも仕方のないところかもしれません。

 

物語の流れとしては、談合の要である三橋萬造という人物や、主人公の恋人とのその後など、あまりはっきりとは書いてない事柄が多く、もう少しその後のことも処理してほしかったという印象はあります。

しかし、そうした不満を抱えながらも、やはり池井戸潤という作家の作品はやはり面白いと言わざるを得ません。

シャイロックの子供たち

シャイロックの子供たち』とは

 

本書『シャイロックの子供たち』は2006年1月に刊行されて2008年11月に347頁で文庫化された、銀行を舞台とした連作のミステリー短編小説集です。

 

シャイロックの子供たち』の簡単なあらすじ

 

ある町の銀行の支店で起こった、現金紛失事件。女子行員に疑いがかかるが、別の男が失踪…!?“たたき上げ”の誇り、格差のある社内恋愛、家族への思い、上らない成績…事件の裏に透ける行員たちの人間的葛藤。銀行という組織を通して、普通に働き、普通に暮すことの幸福と困難さに迫った傑作群像劇。(「BOOK」データベースより)

 

 

シャイロックの子供たち』の感想

本書『シャイロックの子供たち』の舞台は東京第一銀行の長原支店であり、各話の主人公は年齢や職種こそ異なるものの、殆どこの支店に勤務する銀行員であり、全体として一編のミステリーとして仕上がっています。

読後にネット上のレビューをみると、本書タイトルの「シャイロック」という言葉の意味を知らない方が多いようでした。

本好きならずとも「ベニスの商人」の話はお伽話的にでも知っている人が多かった私の時代からすると意外でした。

シャイロック」とは、シェイクスピアの「ベニスの商人」という戯曲に登場する強欲な高利貸しのことを指すのですが、本書では、その子供たちとして銀行員らを指していることが暗示的です。

 

 

池井戸潤といえば『半沢直樹シリーズ』や『下町ロケット』などの勧善懲悪形式の痛快経済小説がもっとも有名であり、その痛快さ、爽快さが人気を博している理由だと思うのですが、本書はその系統ではなく、ミステリーとしての存在感を出しています。

 

 

本書『シャイロックの子供たち』の作者である池井戸潤は、この『シャイロックの子供たち』という作品を「自分はエンタメ作家なんだから、もっと痛快で、単純に「ああ楽しかった」と言ってもらえる作品を書こうと。課題に対する自分なりの答えとして書いた」と言われています( 講談社BOOK倶楽部 : 参照 )。

そして、この作品以降「銀行や会社は舞台でしかなくて、そこで動いている人間の人生そのものを読んでもらおうと思うようになった。」とも言われているのです( 作家の読書道 : 参照 )。

 

ですから、痛快小説としての池井戸潤を思ってこの作品を手に取ると、若干期待外れとなるかもしれません。

勧善懲悪ではなく、正義が明白な悪を懲らしめるというパターンではないのです。それどころか、読みようによってはピカレスク小説と読めないこともない作品です。

しかしながら、本書が池井戸潤の小説であることに違いはなく、銀行という舞台で展開される人間ドラマがミステリーの形式を借りて語られているというだけです。

 

本書『シャイロックの子供たち』の前半は、それぞれの話は独立したものとしての色合いが強く、個々の話ごとに銀行を舞台にした人間模様として読み進めることになります。

副支店長の古川一夫のパワハラ、融資課友野裕の融資獲得状況、営業課北川愛理の百万円窃取疑惑、業務課課長代理遠藤拓治にかかる重圧、と話は続きます。

そして、「第五話 人体模型」で、本店人事部部長が人事書類から失踪した西木という銀行員の人物像を把握しようとする場面から物語はその様相を異にしてきます。

第六話 キンセラの季節」以降、登場人物がそれぞれの視点で失踪した西木の仕事について調べ始め、これまでの語られてきた話の実相が次第に明らかにされていくのです。

そして、最終的にこれまで個々の視点で語られてきた話が、更に異なる視点で見直されることにより、全く違う意味を持つ話として読者の前に提示されることになります。

 

繰り返しますが本書『シャイロックの子供たち』は勧善懲悪の痛快小説ではなく、あくまで銀行を舞台にした新たな構成の、“意外性”というおまけまでついたミステリーです。

そして、としてとても面白く、また楽しく読んだ小説でした。

 

ちなみに、阿部サダヲを主演として本木克英監督の手で映画化されるそうです。

 

 

 
また、井ノ原快彦を主演としてWOWOWでドラマ化もされます。

 

七つの会議

きっかけはパワハラだった!トップセールスマンのエリート課長を社内委員会に訴えたのは、歳上の部下だった。そして役員会が下した不可解な人事。いったい二人の間に何があったのか。今、会社で何が起きているのか。事態の収拾を命じられた原島は、親会社と取引先を巻き込んだ大掛かりな会社の秘密に迫る。ありふれた中堅メーカーを舞台に繰り広げられる迫真の物語。傑作クライム・ノベル。(「BOOK」データベースより)

 

一人のサラリーマンの生きざまから描き出される中堅メーカーの秘密を暴き出す、ミステリータッチの長編痛快小説です。

 

形式的には連作短編集だというべきなのかもしれませんが、本書のような作品では長編と言ってもいいと思われます。

本書のタイトルの「七つの会議」という言葉にあまり意味はありません。

中堅メーカーの組織としての行動を見ると様々な意思決定が行われますが、その折々の意思決定機関として、営業部内の業績報告のための「定例会議」や各職場から任命された環境委員による「環境会議」、毎月計上される売上・経費などの目標を決める「係数会議」などの会議が行われていることを示しているのでしょう

 

本書冒頭では、営業第二課課長の原島万二の視点で、営業部内の業績報告のための「定例会議」の場面が描かれ、営業部長の北川誠のモーレツ管理職ぶりや営業第一課課長の坂戸宣彦の切れ者ぶり、そして営業第一課係長の八角民夫のダメ男ぶりが紹介されます。

そんな中、八角が第一課課長の坂戸をパワハラ委員会に訴え認められるという事件が起き、板戸のあとに原島が任命されます。納得のいかない原島は板戸を訴えた理由を質しますが、八角は「知らないでいる権利」を放棄することになるというのでした。

この八角の言葉が実は深い意味を持っていて、本書はその言葉の真の意味を明らかにするミステリーとして展開されていくのです。

 

その言葉の意味が明らかにされていく過程で、東京建電の下請けの「ねじ六」という会社の状況や(第2話 ねじ六奮戦記)、退社する決心をした浜本優衣が、社内に無人のドーナツ販売コーナーを設置するために奮闘する(第3話 コトブキ退社)などのエピソードが描かれています。

その後、経理課長の加茂田やその部下の新田は営業部の利益率の低下に疑問を抱き始めたり、またカスタマー室長の佐野は「椅子の座面を留めたネジが破損」というクレームから営業部の下請け利用のしかたに疑問を抱き営業部の実態を調べ始めるのでした

 

これまで読んだ池井戸潤の小説の中では一番ミステリー色が濃い物語でした。

八角がグータラ社員になったのは何故か、第一課課長になった原島は八角から何を聞いたのか、個別に動く新田や佐野の行動は如何なる結果に結びついていくのか。

それぞれが抱え込んでいた秘密は、いつ、どのような形で明かされ、その結果はどのようになっていくのか、などミステリーとしての関心はどんどん引っ張られ、結局は最後まで読み通してしまいました。

 

そうしたミステリー的関心とは別に、企業に勤めたことのない私にとっては中堅メーカーとしての会社の仕組みについても引き込まれる内容を持っている作品でもありました。

特に「第3話 コトブキ退社」での浜本優衣が会社内で無人のドーナツ販売コーナーを設置するという行動について、業者選定から販売すべき商品およびその数、そうしたことを盛り込んだ企画書の作成など様々に考慮すべき事柄があるという視点だけでも面白いものでした。

また、営業と経理との折衝のあり方など、その世界にいる方であれば普通の事柄であろうことが私にとっては未知の世界の出来事であり、そうした観点での面白さもまたありました。

 

池井戸潤の小説は、私にとっては未知の世界を垣間見せてくれる望遠鏡のようなものでもあります。ただ、そこで見せられる事実は現実の出来事ではありません。あくまで池井戸潤というフィルターを通した世界であり、それはエンターテイメント性という色合いが付加されたものでもあるのです。

それは、「できるだけ分かり易いハリウッド的エンタメの基本構造で書いています。」という作者の言葉でも分かるように、より楽しく読むことができるように再構成された社会なのです。

 

その上で、そうしたエンタメの基本構造の底流に池井戸流の“正義”が横たわっていて、それが読者の心に響くのだと思います。

例えば先日読んだ半沢直樹シリーズの『銀翼のイカロス』では中野渡頭取の言葉があったように、本書では東京建電の副社長である村西京助の父親の「仕事っちゅうのは、金儲けじゃない。人の助けになることじゃ。」という言葉があります。

登場人物の個々の人間が描かれ、また主人公らの行動の根底に池井戸流の“正義”流れているからこそ読者の共感を得ることができるのだと思うのです。

 

 

ちなみに本書は2013年にNHK総合の「土曜ドラマ」枠でテレビドラマ化されています。東山紀之が更迭された営業第一課課長坂戸宣彦の後任に任命された原島万二を演じ、八角民夫を吉田鋼太郎が演じているそうです。

 

 

また、2019年2月には映画版も公開されています。こちらは野村萬斎演じる八角民夫を主人公とし、香川照之の北川誠や片岡愛之助の坂戸宣彦など、ドラマ版「半沢直樹」を彷彿とさせるキャストを起用した作品でかなり人気を得ているようです。