本書『鹿の王 水底の橋』は、文庫本で464頁の長編のファンタジー小説です。
2015年本屋大賞を受賞した『鹿の王』の続編となる物語ですが、戦士のヴァンと孤児のユナは登場せず、医術師ホッサルを中心とする物語です。
『鹿の王 水底の橋』の簡単なあらすじ
伝説の病・黒狼熱大流行の危機が去った東乎瑠帝国では、次の皇帝の座を巡る争いが勃発。そんな中、オタワルの天才医術師ホッサルは、祭司医の真那に誘われて恋人のミラルと清心教医術発祥の地・安房那領を訪れていた。そこで清心教医術の驚くべき歴史を知るが、同じころ安房那領で皇帝候補のひとりの暗殺未遂事件が起こる。様々な思惑にからめとられ、ホッサルは次期皇帝争いに巻き込まれていく。『鹿の王』、その先の物語!(「BOOK」データベースより)
東乎瑠帝国では皇帝の後継者問題で揺れていた。現皇帝那多瑠帝の娘婿である比羅宇候と、那多瑠帝の弟である由吏候とが次期皇帝候補として有力者として囁かれていた。
皇帝になる人物次第で帝国内でオタワル医術や清心教医術に対する対応が異なっていたため、その争いはホッサルたちにも無関係でありえなかった。
比羅宇候は宮廷祭司医長の最有力候補である津雅那の後ろ盾であるし、由吏候はオタワル医術の庇護者だとみられていたのだ。
そのため、東乎瑠(ツオル)帝国の後継者問題は清心教医師団とオタワル医師団にとっても死活問題であり、ホッサルらもそうした世の動きに巻き込まれ、いやでも政治との関係を考えないわけにはいかないのだった。
『鹿の王 水底の橋』の感想
本書『鹿の王 水底の橋』は、本書だけの独立した物語、といっても過言ではなく、前作を読んでいなくても本書だけで充分面白く読むことができます。
前作では主人公としては戦士のヴァンと孤児のユナがいて、そしてもう一人の主人公として東乎瑠(ツオル)帝国の医術師ホッサルがいました。
本書はその医術師ホッサルひとりが主人公であり、ヴァンらは全く出てきません。
そして、医師であるホッサルが主人公ということは、本書のテーマが医療、もしくは生命であることにも繋がります。
前作でも医療についての深い考察がなされ、それが日本医療小説大賞の受賞にも結び付きましたが、本書でも前作に劣らない設定が為されています。
本書の帯にも書かれている、「なにより大切にせねばならぬ人の命。その命を守る治療ができぬよう政治という手が私を縛るのであれば、私は政治と戦わねばなりません。
」というホッサルの言葉は、俗事に惑わされずに医療に専念したい気持ちを表しています。
こうして、本書ではオタワル医術と、東乎瑠(ツオル)帝国の医術である清心教の宮廷祭司医との対立を中心に、「医療」をテーマに物語が展開するのです。
誤解を恐れずに簡単にまとめると、オタワル医術は究極的には患者の命を救うためにはあらゆる手段を尽くすべきという立場であり、清心教の医師団は、病は人間の体の穢れを原因とするのであり、禁忌を犯して命を救ってもあの世での幸せな後生を得ることはできないとします。
ここで大事なのは、両者ともに患者のことを真摯に考え、患者のためにはどうすればいいのかを第一義に考えている点では同じだということです。
単純な善悪二元論ではなく、双方にそれなりの理由が、正義があり、その正義のために自説を曲げずに貫いているのです。
そうした点も含めて、上橋菜穂子という作家の紡ぎだす物語の世界は、物語の社会が見事なまでに構築されています。
トールキンのファンタジーの名作『指輪物語』でも物語の舞台となる世界が、架空の言語まで作り上げられていて、比類なきファンタジーとして成立していたように、上橋菜穂子の紡ぎだす世界は細部まできちんと積み上げられていて、登場人物らの行動もその社会の中で必然として存在しています。
そうした舞台背景があってこその物語であり、それぞれの立場での主張がそれなりに正当性をもって繰り広げられる様は読んでいてとても心地よいものです。
どちらか一つの価値観だけを押し付けられるのではない、お互いの主張にそれなりの根拠づけがなされ、その上で相手を論破していく。
そうした過程を経て導かれる結論は読み手の心にこれ以上はないほどに迫ってきて、大きな感動をもたらしてくれるのです。
本音を言えば、前作の続編として、ヴァンやユナらのその後を読みたい気持ちももちろんあります。しかし、本書は本書として感動的な作品として見事に前作の流れを引き継いでいます。
更なる続編を読みたいというのは作者の苦労を知らない読者の勝手でしょうが、読みたいです。続編を期待します。