本書『首都感染』は、文庫本で592頁の、中国で強毒性インフルエンザが出現したという設定の長編のパニック小説です。
エンタメ小説としてそこそこに面白い小説でした。しかし、若干の違和感を覚えたのも事実です。。
『首都感染』の簡単なあらすじ
二〇××年、中国でサッカー・ワールドカップが開催された。しかし、スタジアムから遠く離れた雲南省で致死率六〇%の強毒性インフルエンザが出現!中国当局の封じ込めも破綻し、恐怖のウイルスがついに日本へと向かった。検疫が破られ都内にも患者が発生。生き残りを賭け、空前絶後の“東京封鎖”作戦が始まった。(「BOOK」データベースより)
世界保健機関(WHO)を半年前にやめてから内科医として勤務していた瀬戸崎優司のもとに、中国雲南省で国境で新型インフルエンザが発生し、死者も出ているらしいとの情報がもたらされた。
サッカーのワールドカップが行われているためか中国政府はその事実を明らかにしない。父が閣総理大臣あり、別れた妻の父親が厚生大臣であるという優司は、日本に新型インフルエンザが侵入しないよう断固たる処置をとるように進言する。
『首都感染』の感想
本書『首都感染』は、伝染病の世界的流行という、現実的にもリアリティのある物語です。でも、その現実的な設定だからこそ、あまりに都合のよい人間関係の設定に違和感を感じざるを得ませんでした。
というのも、この物語の主人公は、現在の内閣の総理大臣を父とし、厚生大臣を別れた妻の父親とする、かつて世界保健機関(WHO)のメディカル・オフィサーをも務めた人物なのです。少々舞台設定として出来すぎでしょう。
本書『首都感染』をパニック小説としてみた場合、こうした設定の主人公が動きやすい、というのは分かります。
ましてや本書の場合、パンデミックの防止のために東京封鎖という強硬手段を取ろうとしているのですから、直接に行政のトップにパイプを持つ人間がいれば都合はいいでしょう。
しかし、その設定はパニック小説の醍醐味にである、危機的状況下での人間ドラマの描写という点では疑問符が付きます。
主人公が情報を集め、判断し、その情報をもとに行政のトップが決断を下すなどの過程が、親子、もしくは義理の親子という関係で済んでしまうのですから、いかにも残念です。
この高嶋哲夫という作家は『首都崩壊』という作品でもそうなのですが、人物の環境設定が都合の良すぎる側面が見られるようです。
せっかく、人間ドラマを描き出せそうな舞台を設けていながら、いまひとつ入り込めない原因の一つだと思います。
観点を変えて物語の内容面をみると、例えば危機的状況下での対応策では、せっかくパンデミックに対しての「東京封鎖」というインパクトの強い対応策を設定してありながら、個別な場面描写になると、残念ながら物足りない感じです。ただ、この点は人によっては感じ方が異なるとは思うのですが。
否定的な側面ばかりを述べてきましたが、パンデミックという極限状況下での、自分ひとりくらいは大丈夫、という認識の怖さ、個々人のエゴイズムなどは、それなりに描かれていたのではないでしょうか。
現実に本書ような事態が起きたときに、自分が冷静に対処できるかは、なかなかに難しいと思います。こうした出来事が現実化した時に個々人がいかにに行動するか、の啓発的な意義を持つことができれば、それはまた大きな意味を持つと思います。
この作家にはほかに『M8』『TSUNAMI』『東京大洪水』のような自然災害三部作も書かれていますし、『首都崩壊』のようなシミュレーション小説も書かれています。
ところで、本稿を書いたのは2015年08月18日ですが、2020年に入り新型コロナウィルスの猛威が世界中を襲い、本書『首都感染』が読み返されているようです。
実際、中国初の病気で日本の首都東京が封鎖されるという状況は現実そのものです。
もちろん、中身は現実とはかなり異なりますが、それでもこうした事態に対する個々人の振る舞いは本書のとおりと言えるでしょう。
数週間にわたり自体苦に閉じこもり、医療崩壊の現実に直面している私たちにとっては当たってほしくない設定です。
しかし、起きた現実は現実として、個々人が出かけない、人と接しないことこそ最大の貢献だということを自覚してじっとしていたいものです。
こうした現実についての著者が書かれていました。下記を参照してください。