『木鶏 新・軍鶏侍』とは
本書『木鶏 新・軍鶏侍』は『新・軍鶏侍シリーズ』の第四弾で、2020年3月に298頁の文庫本書き下ろしで刊行された、長編の痛快時代小説です。
ただ主人公である源太夫や息子の幸司の日常が描かれるだけの作品ですが、そのゆっくりとした時の流れが心地よい物語です。
『木鶏』の簡単なあらすじ
次席家老の子息の剣術指南に抜擢され、岩倉道場を継ぐ決心を固めた幸司。ところが父源太夫は中老に「御前さまに任された道場は世襲ではない」と釘を刺される。幸司の兄龍彦は遊学中で将来を嘱望される身、これで岩倉家は安泰よと、藩内から羨む声も聞こえ…(『笹濁り』)。軍鶏侍を父に持つゆえの重圧に堪え、前髪立ちの少年が剣友とともに、剣の道を駆け上がる。(「BOOK」データベースより)
「笹濁り」 源太夫は、鮠(はや)を釣りながらいまさらながらに亡き権助の博識ぶりを思い出していた。そんな源太夫に中老の芦原讃岐は、源太夫の岩倉道場は世襲ではないということを念押ししてきた。
「孟宗の雨」 ある日、道場で稽古を見ている源太夫のもとに弟子の大久保逸実が、祖父で源太夫の相弟子である無逸斎の様子がおかしいので一度会って貰えないかと言ってきた。
「木鶏」 岩倉道場に見学に来ていた次席家老九頭目一亀の継嗣である鶴松は、道場の壁面に掲げられた道場訓に見入っていた。その後、年少組の投避稽古をみた鶴松は、自分たちもやると言い出すのだった。
「若軍鶏」 源太夫が行っている鶏合わせ(闘鶏)の会を見た鶴松とその学友たちは、闘鶏の奥深さに打たれ自分たちも軍鶏を買うと言い出していた。一方、岩倉道場では、女中のサトの元夫がサトを追い出した姑が死んだので戻ってほしいと言ってきた。
「お礼肥」 源太夫と幸司が母屋に戻ると、藩校「千秋館」の教授方の池田秀介、それに花の友人のすみれと布美とが遊びにきていた。そこに酢橘を持ってきた亀吉は、源太夫の屋敷の酢橘の美味さの源である権助の栽培方法について話し始めるのだった。
『木鶏』の感想
本書『木鶏』は『新・軍鶏侍シリーズ』の第四弾ですが、前巻の『羽化』あたりから岩倉源太夫の子ら、特に幸司を中心にこの物語が動くようになっていた流れをそのままに受け継いでいます。
本書ではほかの痛快時代小説とは異なり、悪徳商人やお代官様は登場せず、藩内の争いに巻き込まれる主人公もいなければ、胸のすく剣戟の場面もありません。ただ主人公である源太夫や息子の幸司の日常が描かれるだけです。
その日常も主人公家族が暮らす園瀬藩の美しい自然の中での釣りや、軍鶏の闘いなどが主に描かれ、流れる時間がとてもゆっくりとしています。
そのゆっくりとした情景描写が私にはたまらないのです。
幸司の日常と言えば、鶴松とのことが挙げられると思います。
鶴松は次席家老九頭目一亀の継嗣ですが、学友たちの誘いに乗ってしまい藩の道場にも通わなくなってしまったことを心配した一亀により、鶴松に権を教えてくれるように頼まれたものでした。
次席家老の息子であるからということで手を抜かない幸司との稽古により、大きく成長を遂げていく鶴松やその学友たちの姿が描かれています。
同時に、幸司自身も道場主である源太夫の跡継ぎとしての自覚を持ちつつある姿がほほ笑ましく、またすこしの痛みをもって描かれている点も好ましいのです。
さらに、本書『木鶏』では前巻で亡くなった下男の権助についての描写が多いことも特徴として得げることができるでしょう。
もともと、この『軍鶏侍シリーズ』ではシリーズ第一巻の『軍鶏侍』から権助の存在がかなりの位置を占めていました。
源太夫が軍鶏を飼い始めたときはもちろん、釣りをする時も権助の助言で助けられており、源太夫に権助とは「何者か」と言わせるほどの存在感を持っていたのです。
権助は源太夫の知恵袋であると同時に、門弟たちの良き相談相手でもありました。第一巻『軍鶏侍』での大村圭二郎や、第四巻『水を出る』での市蔵のことなど、シリーズの中でもいくつかのエピソードが取り上げてあります。
こうして、普通の痛快時代小説とは異なる雰囲気を持ったこの『軍鶏侍シリーズ』は、シリーズも新しくなりさらに源太夫自身やその子供たちの成長まで含めた人間味のあふれた成長小説としての一面を強く見せているようです。
その意味では、この作者の他のシリーズである、『ご隠居さんシリーズ』や『めおと相談屋奮闘記シリーズ』のような作者の多方面にわたる知識を展開する物語に近くなっているように思えます。
ただ、そちらの作品は個人的には好みとは異なった空気感を醸し出しているのですが、本シリーズは若干の説教臭さが漂ってはいるものの、なお私の好みに合致するのです。
源太夫とその家族の暮らし、そして各々の生き方は、読者にとっても一読の価値があると思います。