番付のためか―。火消番付への関心は高く、お家の評判にも繋がる。その噂が人々の口に上りだす頃、ぼろ鳶組松永源吾は、無謀にも他の火消から手柄を奪おうと闘う仁正寺藩火消柊与市の姿を目にする。そんな折、火消による付け火を疑う読売書きが姿を消し…。真相を追う源吾らの前に現れたのは、火難の遺児を救い育て、「菩薩」と崇められる定火消進藤内記だった。(「BOOK」データベースより)
羽州ぼろ鳶組シリーズの第五弾となる長編の痛快時代小説です。
火事専門の読売書きの文五郎は四谷塩町の出火元へ駆けつけ、最も早く駆けつけるであろう火消しを待っていましたが、一番に駆け付けたのは意外な火消しでした。
また、本郷あたりでの出火に非番のところを駆けつけた清十郎は、凪海の与市を頭とする仁正寺藩の火消したちが加賀鳶の火札をとる場面に出逢います。与市は源吾にも近く邪魔すると伝えるように言うのでした(第一章 番付火消)。
加賀鳶の大音勘九郎の娘お琳と牙八が深雪へのお礼だとして「ころころ餅」を持参してきたところに、半鐘が聞こえてきます(第二章 ころころ餅)。源吾らが京橋筋の北紺屋町あたりへ駆けつけると、「よ組」の蝗の秋仁と「菩薩」との異名を持つ八重洲河岸定火消の新藤内記とが対立していました。
一方、源吾の家では駕籠に乗せ帰したお琳とお七とが行方不明となっていた(第三章 菩薩二人)。
そのお琳とお七は福助という子供と共に長谷川平蔵に連れられて帰ってきます。福助は文五郎の子供であり、今度は与市も行方不明になっているというのでした(第四章 鬼は内)。
相変わらず小気味のいい調子で話は進みます。
今回の物語は少々ミステリアスな設定も加味し、また火消番付の話を絡めてもありますが、全体的にはこれまでと同じ火消しの心意気を前面に押し出したエンタテイメント小説です。
本書でもこれまで同様に、江戸火消しの雑学的な豆知識をちりばめてあります。
たとえば、「火札」とは火事場の表札のようなものであり、消火に取りかかる場所である「消口」をその組がとったことを示す大切なものだそうです。
本書ではあちこちでこの火札をとり、名を挙げようとする仁正寺藩の凪海の与市の姿が描かれています。
また、御曲輪内に居を構える唯一の火消しである「八重洲河岸定火消」が重要な役割を果たしていて、その八重洲河岸定火消の火消し頭を務める進藤内記もまた新たな登場人物として描かれています。
話は変わりますが、この「八重洲河岸定火消」の定火消同心の子として生まれたのが後の歌川広重であり、この火消しとしての歌川広重を主人公にした小説として田牧大和の『泣き菩薩』があります。
もう一点関心を持った点がありました。それは、「たとえ屋敷が灰燼と化そうが、門さえ残れば・・・何のお咎めも受けない。故に屋敷そっちのけで門を守る」ことになるということです。
屋敷よりも門が大事という考えは、作者の言う通り当時の町人からしてみても愚かな行動と言わざるを得ないでしょう。
物語はこうした豆知識をうまく織り込みながら進みます。
ただ、相変わらず、空間的な隔たりを無視するように、乗馬の源吾とそれを追う徒歩の火消したちとが江戸の町を半分走り抜けてもあまり時を置かずに同じ場所へ駆けつけるなど不条理な現象もありますが、そこらはあまり突っ込むところではないのでしょう。
ともあれ、男伊達を前面に押し出した火消しの活躍を、方角火消しや定火消といった武士の火消しを中心に描き出すこのシリーズは、これまでにはあまりない分野を開拓した作品として注目されます。