去就: 隠蔽捜査6

本書『去就: 隠蔽捜査6』は『隠蔽捜査シリーズ』第六弾の、文庫本で428頁の長編の警察小説です。

今野敏作品の中でも一、二を争う人気シリーズといっても過言ではないシリーズで、本書もその面白さの例外で張りません。

 

去就: 隠蔽捜査6』の簡単なあらすじ

 

大森署管内で女性が姿を消した。その後、交際相手とみられる男が殺害される。容疑者はストーカーで猟銃所持の可能性が高く、対象女性を連れて逃走しているという。指揮を執る署長・竜崎伸也は的確な指示を出し、謎を解明してゆく。だが、ノンキャリアの弓削方面本部長が何かと横槍を入れてくる。やがて竜崎のある命令が警視庁内で問われる事態に。捜査と組織を描き切る、警察小説の最高峰。(「BOOK」データベースより)

 

竜崎が署長を務める大森署管内で、ストーカーによる犯行の可能性のある誘拐事案が発生した。

そこで、戸高刑事もメンバーとなって立ち上げられていたストーカー対策チームも捜査に参加させることにした。

ところが、その誘拐事案で被害者と共にストーカーのところに赴いた男が殺され、殺人事件へと発展してしまう。そしてそのストーカ犯人と目される下松洋平は、父親の猟銃を持って立てこっているというのだ。

ここで伊丹刑事部長は、すぐさまSITを出動させるが、弓削方面本部長はべつに銃器対策チームの投入をはかるのだった。

 

去就: 隠蔽捜査6』の感想

 

組織が個人の思惑で硬直化し、現場の指揮者らは組織の論理に振り回されてしまいます。

そこで、竜崎署長は自ら現場へ赴くのですが、そこでは自らが指揮を執るのではなく、現場のことは現場指揮官の指揮に従うのが一番合理性があるとして、現場の人間が最大に実力を発揮できるようにと後方支援を始めるのです。

ここらが、竜崎という合理性を重んじる男が人気を博している原因でしょう。目的に向かって最適な方法を選ぶことこそ合理的であり、その結果として事件が解決し、更に大森署の部下たちが力を合わせた結果としての解決であり、ここに二重の喜び、カタルシスが感じられる理由があると思われるのです。

近年、ストーカー問題がクローズアップされ、推理小説でもストーカーをテーマにした作品が増えてきたようです。本書の場合、ストーカーをテーマにしているとまでは言えないとは思いますが、事件のきっかけではあるようです。

 

警察小説でストーカー問題を取り上げるとしたら、ストーカー犯人自体やストーカー行為そのものではなく、それに対応する警察側の処し方が問題となってくるのは必然でしょう。

ストーカー行為そのものの持つ意味についての考察が為された作品は、少なくとも警察小説の分野では知りません。

そういう意味で、警察との関わりでのストーカー事案を取り上げた作品としては、柚月裕子朽ちないサクラがあります。

平井中央署では、慰安旅行のために被害届の受理を先延ばしていたためストーカー殺人を未然に防げなかったと、新聞にスクープされてしまいます。

その情報の流出元を自分ではないかと危惧している県警広報広聴課の事務職員森口泉が、自分の親友の死をきっかけに真相究明に乗り出す物語です。

この作品は、千葉県警で時歳に起きた警察の不祥事をモデルに書きあげられたそうですが、この小説も、ストーカーそのものを取り上げているわけではありませんでした。

 

 

また、頭脳明晰な主人公が事実から導かれる論理の通りに行動し、結果としてその論理のとおりに事案が展開する、という流れは、富樫倫太郎の『生活安全課0係シリーズ』でも見られます。

しかし、『生活安全課0係 ファイヤーボール』を第一作とする『生活安全課0係シリーズ』の場合、主人公の小早川冬彦は、空気を読むことができず人間関係の構築ができません。それなりに分別もある竜崎署長とはかなり異なるのです。

 

 

ともあれ、本『隠蔽捜査シリーズ』は若干のマンネリズムの様相を見せ始めてはいますが、それでもなお最も面白い警察小説の一冊ではあります。

今後、竜崎の転勤などの変化を見せつつさらに面白い小説として展開していきます。

続刊の刊行が待たれるシリーズです。

インデックス

池袋署強行犯捜査係担当係長・姫川玲子。所轄に異動したことで、扱う事件の幅は拡がった。行方不明の暴力団関係者。巧妙に正体を隠す詐欺犯。売春疑惑。路上での刺殺事件…。終わることのない事件捜査の日々のなか、玲子は、本部復帰のチャンスを掴む。気になるのは、あの頃の仲間たちのうち、誰を引っ張り上げられるのか―。(「BOOK」データベースより)

四作目の「インデックス」以降が、前作長編『ブルーマーダー』以降の物語です。

「アンダーカヴァー」
とある会社の社長が自殺したが、その死の裏に不審なものを感じた姫川玲子が、関西弁をしゃべるブランド好きのブローカーとなり潜入捜査をするという異色の作品です。

『インビジブルレイン』事件ののち、池袋署強行班捜査係に異動になってすぐの姫川の物語です。取り込み詐欺グループ捜査のためにに潜入捜査に乗り出す姫川です。容疑者と姫川とのやり取りが実に読み応えがあります。

テレビドラマ版(「ストロベリーナイト アフター・ザ・インビジブルレイン」)で放送された作品では、姫川がギラギラの派手な衣装を着て取り込み詐欺グループに乗り込み、エセ関西弁でまくしたてる場面が印象的でした。

「女の敵」
姫川が捜査一課殺人犯十係主任を拝命してすぐに、「ストロベリーナイト事件」で殉職した大塚真二刑事と組んで担当した変死体事案を回想します。

「彼女のいたカフェ」
賀地未冬は池袋の「ブックカフェ」に勤務していた時代に、法律の本を読む女性が気になっていた。その後未冬が再び池袋店に勤務することとなったのだが、予想もしない形であの女性と出会うのだった。

姫川の人となりを第三者目線で描いたシリーズの中異色作です。特に事件が起きるわけでもなく、一般第三者目線での姫川を描く、シリーズの中のちょっとした息抜き、といった掌編です。

「インデックス」
『ブルーマーダー』事件が犯人逮捕とはなったものの事件の詳細は未だ不明のままだった。そうした折、姫川は池袋署刑事課強行犯捜査係との併任で、本部の刑事部捜査一課への異動の内示を受ける。ただ、あの井岡も同じ刑事部捜査一課への併任配置であり、翌日から相棒としてブルーマーダー事件の捜査も行うことになってしまうのだった。

珍しく、姫川と本シリーズの名物男である井岡とが組んだ捜査を見せてくれます。いつも姫川につきまとい、姫川を辟易とさせている井岡ですが、刑事としての腕は確かなものがあるのです。

「お裾分け」
小金井署の特捜本部で、姫川を主任として本部から派遣されていたやりにくい三人とチームを組むことになる。何より、このチームには併任を解かれたはずの井岡まで参加するのだった。

この作品でも井岡と姫川との迷コンビの掛け合いが全編を貫いています。

「落としの玲子」
姫川と今泉とが飲んでいる席で、今泉は姫川の取り調べが下手だと言う。しかし、とある写真をきっかけに今泉と姫川との立場が逆転するのでした。

この作品も、シリーズの中での息抜き的な位置を占める作品です。いつも姫川を助けてくれる今泉とのほのぼのとした一シーンです。

「夢の中」「闇の色」
姫川班は、墨田区本所署管内で発生した刺傷事件の応援として本所署へ詰めることになる。被害者の峰岡里美に話を聞くと里美はなかなか意思表示をしません。不審に思った姫川が調べると、里美には子供がいることが判明する。

このシリーズの本来のトーンが戻ってきた、といえる作品です。何故にこの作品を短編二編に分けているのかよく分かりません。掲載雑誌との兼ね合いなのでしょうか。


本書の後に姫川玲子シリーズの『ルージュ: 硝子の太陽』という作品が出版されています。この作品は『ノワール-硝子の太陽』という作品と同時に発表されたもので、ノワールのほうはジウシリーズの流れをくむ物語となっています。この二作品は登場人物の一部が共通しており、姫川玲子シリーズとジウシリーズの流れをくむ新宿セブンシリーズとが、合流とまではいきませんが、世界を共通にするという仕掛けになっているのです。

本シリーズは、私の中ではこの手の警察小説の中では今一番のっている、面白いシリーズと言えるかもしれません。

本書はそうしたシリーズの中の隙間を埋める短編集であり、姫川玲子という人物を立体的に浮かび上がらせる一を占めると言えるでしょう。

秋しぐれ 風の市兵衛

秋しぐれ 風の市兵衛』とは

 

本書『秋しぐれ 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第十四弾で、2015年10月に祥伝社文庫から336頁の書き下ろし文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。

 

秋しぐれ 風の市兵衛』の簡単なあらすじ

 

廃業した元関脇がひっそりと江戸に戻ってきた。かつて土俵の鬼と呼ばれ、大関昇進を目前にした人気者だったが、やくざとの喧嘩のとばっちりで江戸払いとされたのだ。十五年後、離ればなれとなっていた妻や娘に会いに来たのだった。一方、“算盤侍”唐木市兵衛は、御徒組旗本のお勝手たてなおしを依頼された。主は借金に対して、自分の都合ばかりをくましたてるが…。 (「BOOK」データベースより)

 

秋しぐれ 風の市兵衛』の感想

 

本書『秋しぐれ 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第十四弾の長編の痛快時代小説です。

本書での唐木市兵衛は完全に脇に回り、一人の相撲崩れのヤクザものが主人公となっている物語です。

風の市兵衛シリーズのメンバーは全く顔を見せない、一編の講談話となっています。

 

今回の市兵衛は、心ならずも雇い主の借金の縮小の交渉に赴いたのですが、その雇い主であるやくざな旗本の過去に触れることになります。

そこで本書の主人公である一時は関脇にまでなり人気を博していた元相撲取りと出会うことになるのです。

 

本書『秋しぐれ 風の市兵衛』で繰り広げられる人情話は、一歩間違えば安っぽい講談話になりかねない物語です。

しかし、そこは作者辻堂魁の筆力ということでしょうか、市兵衛色は薄くはあるものの市兵衛の物語として仕上がっているのです。

 

市兵衛の話でなければ多分読まないだろうと思いながら、では、何故市兵衛の絡んだ話となれば読むのだろうかとの脇道にそれた感想を抱きながらの読書でした。

おやすみラフマニノフ

さよならドビュッシー』とは

 

本書『おやすみラフマニノフ』は『岬洋介シリーズ』の第二弾で、2010年10月に宝島社からハードカバーで刊行され、2011年9月に宝島社文庫から372頁の文庫として出版された、長編の推理小説です。

 

おやすみラフマニノフ』の簡単なあらすじ

 

第一ヴァイオリンの主席奏者である音大生の晶は初音とともに秋の演奏会を控え、プロへの切符をつかむために練習に励んでいた。しかし完全密室で保管される、時価2億円のチェロ、ストラディバリウスが盗まれた。彼らの身にも不可解な事件が次々と起こり…。ラフマニノフの名曲とともに明かされる驚愕の真実!美しい音楽描写と緻密なトリックが奇跡的に融合した人気の音楽ミステリー。(「BOOK」データベースより)

学費の支払いもままならない状況に陥っている愛知音大の学生である城戸晶は、学長の柘植彰良との共演と後期学費の免除という特典のある定期演奏会のメンバーに選抜されるべく練習に励み、見事その座を射止めた。

ところが、時価二億円もするストラディバリウス作のチェロが、密室状態だった保管室から盗み出され、更には柘植彰良の愛用のピアノが破壊されたりと事件が連続して起きるのだった。

 

おやすみラフマニノフ』の感想

 

本書『おやすみラフマニノフ』は、ピアニストの岬洋介を探偵役とする『岬洋介シリーズ』の第二弾です。

岬洋介シリーズの第一弾の『さよならドビュッシー』では、ピアノをテーマとして言葉で楽曲の美しさを表現し、またミステリーとしても意外性を持った作品として、「このミステリーがすごい!」大賞の大賞を受賞しました。

それに続く本書では主人公城戸晶の演奏する楽器はバイオリンが選ばれていて、楽曲としてはラフマニノフのピアノ協奏曲第二番が取り上げられています。

 

 

前作同様に、ミステリー仕立ての音楽小説といったほうが正解であるような作品です。

小説としては、普段縁のない音楽大学やそこで学ぶ学生たちの様子の描写こそが面白く、本書の謎とき自体はそれほど感心したものはありませんでした。

もちろん本書『おやすみラフマニノフ』でも言葉で音楽を表現し、その感動をもたらしてくれています。

とくに、台風の迫る中、避難している人たちの不安が不穏な状況をもたらそうとする中、主人公城戸晶と指導者としての岬洋介は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を奏でる場面は圧巻です。

状況設定は決して特別なものではなく、どちらかというとありふれたものであり、一歩間違えば安易な感傷に陥りそうな場面ではあるのですが、作者の筆は感動的な場面として仕上げているのです。

 

作者はクラシックに関しては興味もなく、楽器の演奏もできないのだそうです。音楽に関しては全くの素人であり、数回聴いたCDをもとに、クラシック音楽を言葉で表現するのですから何とも言いようがありません。

それでも、ストラディバリウスという私でも知っている名器の盗難や、教授のピアノの破壊という事件の裏に潜む人間の思惑は読み応えがあり、そこに音楽の描写という更にる魅力が加わり、またシリーズ続編を読みたいと思う作品でした。

夕影 風の市兵衛

夕影 風の市兵衛』とは

 

本書『夕影 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第十三弾で、2015年6月に祥伝社文庫から344頁の書き下ろし文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。

 

夕影 風の市兵衛』の簡単なあらすじ

 

“算盤侍”唐木市兵衛は、公儀十人目付筆頭片岡信正の依頼で、下総葛飾を目指していた。信正の配下返弥陀ノ介は親友市兵衛の出立に際し、伝言を託す。葛飾近くの貸元に匿われている女宛だった。道中、市兵衛は貸元が人徳者だったが三月前に暗殺されたと知る。跡目を継いだのは美人の三姉妹で、市兵衛はその手下を偶然助けたことから、縄張り争いに巻き込まれ…。(「BOOK」データベースより)

 

夕影 風の市兵衛』の感想

 

本書『夕影 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第十三弾の長編の痛快時代小説です。

今回の唐木市兵衛の物語は、痛快小説のど真ん中を行く王道の痛快小説でありました。

 

対立する二つの一家の一方は昔ながらの任侠道を大事にしている一家であり、もう一方は役人と結んで無理を承知の横車を押すヤクザものです。

任侠道を大切にする一家は、先代が殺された後、美人三姉妹が一家を切り盛りしているというのですから、市兵衛がどちらに力を貸すかなど、問うまでもありません。

 

今回の依頼は、市兵衛の兄である公儀十人目付筆頭片岡信正からの、下総葛飾のとある寺にいるらしい普化僧となっているある旗本の息子の消息をたずねて欲しいというものでした。

また、併せて返弥陀之助からも、葛西の吉三郎親分のもとにいると思われる、かつての敵で異国の剣の使い手である「」の様子を見てきて欲しいとの頼みもありました。

ところが、葛西の吉三郎親分は何者かの手によって殺されており、その後を美人三姉妹が継いでいたのです。この一家こそが任侠道を大切に守ってきた一家であり、対立する一家に狙われていたのです。

 

普化僧になっているらしい息子の消息を確かめるという本来の仕事をこなす市兵衛。

それと同時に、弥陀之助と青との恋模様があり、そして美人三姉妹と市兵衛との絡みもあり、痛快小説としては盛りだくさんの内容でありながら、更にそのそれぞれを丁寧に描写しているのはいつものこの作者の物語です。

ちなみに、「普化僧」とは「普化宗の僧」であり「虚無僧」のことだとありました( コトバンク : 参照 )

 

高倉健の任侠映画を思わせる舞台設定と、王道の痛快時代小説の面白さがうまく融合した作品です。

若干のストーリーの方向性の乱れを感じないでもありませんでしたが、うまくまとまっているのはやはり辻堂魁という作家の力量でしょう。

相変わらずに面白いシリーズであり物語だと感じた作品でした。

科野秘帖 風の市兵衛

科野秘帖 風の市兵衛』とは

 

本書『科野秘帖 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第十二弾で、2014年12月に祥伝社文庫から352頁の書き下ろし文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。

 

科野秘帖 風の市兵衛』の簡単なあらすじ

 

「父の仇・柳井宗秀を討つ助っ人を雇いたい」渡り用人・唐木市兵衛は胸をざわつかせた。請け人宿の主・矢藤太によると、依頼人は女郎に身をやつしているが、武家育ちの上品な女らしい。しかし、二人の知る宗秀は病に苦しむ人々に寄り添う仁の町医者である。真偽を確かめるため岡場所を訪ねる市兵衛。だが、仇討ちには宗秀の故郷信濃を揺るがした大事件が絡んでいた!(「BOOK」データベースより)

 

科野秘帖 風の市兵衛』の感想

 

本書『科野秘帖 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第十二弾の長編の痛快時代小説です。

 

言うまでもなく、この『風の市兵衛シリーズ』には様々なレギュラーの登場人物がいます。

メインは、いつも深川堀川町の油堀にある一膳飯屋「喜楽亭」に集まり、ただ酒を飲む唐木市兵衛の仲間たちです。

その酒飲み仲間である数人の中の柳井宗秀という町医者が今回の話の中心です。

 

柳井宗秀は、かつて故郷の下伊奈で菅沼家に養子として入り、保利家に典医として仕えていました。

しかし、宗秀の実家も巻き込んだ騒動の末に、養子先の菅沼家からも離縁され、故郷を捨てることになりました。

その後江戸へ出た宗秀は町医者として市井の人々に慕われていたところで市兵衛と再会し、北町同心の鬼渋こと渋井鬼三次らと共に「喜楽亭」の仲間となったのです。

そうした過去を持つ柳井宗秀を討とうとする女が現れます。それも元は武家の娘であろう品を持った女郎でした。

ことの真実を探ろうとする市兵衛でしたが、そこに柳井宗秀の過去へとつながる意外な事実が判明するのでした。

 

前作の『遠雷 風の市兵衛』では市兵衛その人の過去の一端が垣間見えました。

そして、その前の巻の『乱雲の城 風の市兵衛』では、市兵衛の兄公儀十人目付筆頭片岡信正とその妻佐波の過去が少しではありますが語られていました。

そして今回は柳井宗秀の物語であり、また渋井鬼三次の別れた嫁と息子も登場します。

 

今回は、「算盤侍」としてではない市兵衛の姿が見られますが、風の剣の使い手としてもまたそれなりの見せ場は用意してあります。

ともあれ、一つの時代小説の型にはまった物語とも言えますが、それを痛快小説として仕上げているこの作者の力量が見える作品でした。

遠雷 風の市兵衛

遠雷 風の市兵衛』とは

 

本書『遠雷 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第十一弾で、2014年7月に祥伝社文庫から630頁の書き下ろし文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。

 

遠雷 風の市兵衛』の簡単なあらすじ

 

「市兵衛さんにしか頼めねえんだ」夏の日、渡り用人・唐木市兵衛の許を、請け人宿の主・矢藤太が訪れた。依頼は攫われた元京都町奉行・垣谷貢の幼い倅の奪還。拒む市兵衛に矢藤太は、倅の母親はお吹だと告げる。お吹こそ、青春の日、京で仕えた公家の娘で初恋の相手だった。奪還を誓う市兵衛。だが、賊との激闘の中、市兵衛は垣谷家の大罪と衝撃の事実を知ることに…。(「BOOK」データベースより)

 

遠雷 風の市兵衛』の感想

 

本書『遠雷 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第十一弾の長編の痛快時代小説です。

 

前巻の『乱雲の城 風の市兵衛』は、唐木市兵衛の兄片岡信正の結婚、そして片岡信正とその妻佐波との馴れ初めなどが明らかにされた物語でした。

本書では、主人公の市兵衛の京都での暮らしが垣間見え、市兵衛の青春の日々を思わせる一編となっています。

 

市兵衛は、矢籐太からの拐かされた子供の救出という仕事の依頼を一旦は拒むのですが、拐かされた子供が市兵衛の京都時代の初恋の人であるお吹の子だったことから、元京都町奉行垣谷貢とその妻お吹との間の子の奪還を引き受けることになります。

これまでも繰り返し書いてきたように、今回の雇い主と市兵衛との関係性も、説明的ではなく、物語の流れの中で舞台背景に即した形で明らかにしてあります。

こうした流れの中、本書『遠雷 風の市兵衛』では市兵衛の過去、それも矢籐太と知り合った京都での暮らしの一端が垣間見える作品になっています。

京都での市兵衛の暮らし、そして恋心、青年市兵衛の青春時代です。

 

その市兵衛が、「渡り用人」としてではなく、直接的に用心棒として剣の腕をふるう、それもかつての想い人の警護をし、その子から慕われるのですから、その心中やいかにといったところでしょう。

 

本書『遠雷 風の市兵衛』では、タイトル「遠雷」という単語が数か所にちりばめられています。

それは、市兵衛らの遠い過去の日々をも示しているようで、やはりこの作者はうまい、とあらためて思わせられる表現でした。

乱雲の城 風の市兵衛

乱雲の城 風の市兵衛』とは

 

本書『乱雲の城 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第十弾で、2014年3月に祥伝社文庫から320頁の書き下ろし文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。

 

乱雲の城 風の市兵衛』の簡単なあらすじ

 

「ああいう男はとり除かねば」文政半ばの年末、江戸城内外で奥祐筆組頭・越後織部は謀議を重ねていた。翌春、長兄で目付・片岡信正の婚儀の喜びも冷めぬ中、今は市井に生きる末弟・唐木市兵衛は、信正配下の小人目付・返弥陀ノ介捕縛、責問の報に驚愕。信正も謹慎中と知り、真相の究明に乗り出すが…。冤罪に落ちた兄と友を救うため、“風の剣”が城に巣くう闇を斬る!(「BOOK」データベースより)

 

乱雲の城 風の市兵衛』の感想

 

本書『乱雲の城 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第十弾の長編の痛快時代小説です。

 

今回は、唐木市兵衛の兄である公儀十人目付筆頭の片岡信正が本格的にこのシリーズに絡んできた最初の物語ではないかと思います。

これまでも話の中に登場はしてきていたのですが、それは物語の背景としてであり、物語の流れそのものが片岡信正に直接関係するのです。

 

公儀奥祐筆組頭の越後織部の力を借りて、老中職まであと一歩のところまで来ていた伊勢七万石譜代大名の門部伊賀守邦朝は、公儀十人目付筆頭の片岡信正の異議のためにその望みを絶たれてしまいます。

そのため、越後織部らは片岡信正配下の返弥陀之介を捕縛、拷問にかけ、片岡信正の不正の証拠としようとするのです。

自分の親友でもある返弥陀之介の捕縛を知った市兵衛は、北町奉行所定町廻り同心の渋井鬼三次らの力を借りて奔走し、救出を図ります。

つまりは、本書の市兵衛は、算盤侍としての顔ではなく、「風の剣」の使い手としての唐木市兵衛の話ということになります。

 

また、片岡信正の新婚の妻である佐波の父静観がとった行動も見ものです。

静観の口からは、片岡信正と佐波の馴れ初めも語られたりもし、このシリーズの奥行きがまた少し深くなったようにも思える物語でした。

春雷抄 風の市兵衛

春雷抄 風の市兵衛』とは

 

本書『春雷抄 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第九弾で、2013年10月に祥伝社文庫から392頁の書き下ろし文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。

 

春雷抄 風の市兵衛』の簡単なあらすじ

 

渡り用人・唐木市兵衛は、知己の蘭医・柳井宗秀の紹介で人捜しを頼まれた。依頼主は江戸東郊の名主で、失踪した代官所の手代・清吉の行方を追うことに。一方、北町同心の渋井鬼三次は、本来、勘定奉行が掛の密造酒の調べを極秘に命じられる。江戸で大人気の酒・梅白鷺が怪しいというのだ。やがて二つの探索が絡み合った時、代官地を揺るがす悪の構図が浮上する…。(「BOOK」データベースより)

 

春雷抄 風の市兵衛』の感想

 

本書『春雷抄 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第九弾の長編の痛快時代小説です。

 

今回の唐木市兵衛は酒の密造事件にかかわる話で、若干ですが市兵衛の「渡り用人」としての顔が生きる物語になっています。

市兵衛は、いつもの飲み仲間である蘭医の柳井宗秀の紹介で、砂村新田名主の伝左衛門から代官所手代の清吉を探すよう依頼されます。

調べていくと、北町奉行所定町廻り同心の渋井鬼三次が探索中の老舗の酒問屋「白子屋」の不当廉売の話に繋がっていきます。

 

この問題は、新田の開発という江戸経済の根幹にかかわる事案があり、それから上がる年貢米の横領へと連なる問題でした。

すなわち川欠引という免租の仕組みや、どれだけの量の酒を造るかという酒造鑑札の仕組みまで絡む大事件へと発展するのです。

 

本書の物語は、横暴な役人や商人の欲のために失踪した手代と、残された手代の妻や子のために探索の手伝いをする市兵衛がいて、その結果が大捕物へと結びついていったのです。

正義の味方が悪を懲らしめるという、勧善懲悪の王道の痛快時代小説の醍醐味が満喫できる一冊でした。

風塵 風の市兵衛

風塵 風の市兵衛』とは

 

本書『風塵 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第八弾で、2013年5月に祥伝社文庫から上下巻合わせて592頁の書き下ろし文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。

 

風塵 風の市兵衛』の簡単なあらすじ

 

師走雪の夜、元松前奉行配下の旗本が射殺された。銃は西洋製で、賊はえぞ地での遺恨を口にしたという。北町同心・渋井が捜査を開始した同じ頃、渡り用人・唐木市兵衛は元老中・奥平純明から、碧眼美麗な側室・お露と二人の子の警護役に雇われる。やがて純明が破綻したえぞ地開発の推進者だったことが判明、屯田兵として入植した八王子千人同心の悲劇が浮上する…。(上巻 :「BOOK」データベースより)

遂に奥平純明が襲撃され、市兵衛は賊が安宅猪史郎ら元千人同心で、純明のえぞ地政策の盟友だった商人・竹村屋雁右衛門がその協力者と知る。雁右衛門は純明の側室・お露の前夫で、裏切られ、妻を奪われたとして恨み骨髄に徹していた。やがて純明とお露が秘す哀しき真相を知った市兵衛は、己が一分を果たす覚悟を新たにするが…。明日を求めぬ復讐劇に待つ終幕とは?(下巻 :「BOOK」データベースより)

 

風塵 風の市兵衛』の感想

 

本書『風塵 風の市兵衛』は『風の市兵衛シリーズ』の第八弾で、文庫本上下二巻からなる長編の痛快時代小説です。

 

今回は蝦夷地開拓の物語が背景にあり、蝦夷での屯田兵らの開拓に伴う苦難など、今まで何とはなく聞きかじっていた話が展開されています。

元松前奉行配下の旗本が蝦夷地に入植した八王子千人同心の関係者によって射殺されます。その賊は蝦夷地での恨みを口にしており、元老中の奥平純明も襲撃対象になっている恐れもありました。

彼ら八王子千人同心らの開拓時の怨念を今回の話の根幹にし、彼らの生き残りが、自分らを見捨てたと信じる老中奥平純明を殺害しようと企てます。そして、その奥平純明の側室お露と二人の子の警護役を唐木市兵衛が行うことになるのです。

 

今回のこの物語で始めて知った話として、八王子千人同心という侍たちの入植の話がありました。この事実は、八王子市北海道苫小牧市のホームページにも掲載されていて、その困難な開拓の様子がうかがえます。

前巻の『五分の魂』同様にうまいというか丁寧だと思うのは、詳細に調べあげている八王子千人同心の物語を中心に据えている点ももちろんそうですが、老中まで務めたという大名が身内の護衛として一介の素浪人を雇うという設定を、御前試合の形式を設けて一つの痛快物語として仕上げていることです。

こういうあまりありそうもない設定を読者に納得させる運び方に納得させられるのです。

ただ、竹村屋雁右衛門絡みの話には少々無理を感じましたが、そうした点があってもなお面白い物語でした。

 

蝦夷地開拓を舞台にした物語で一番に挙げるべきは船戸与一の『蝦夷地別件』があります。

日本冒険小説協会大賞を受賞した作品で、文庫本で三巻にもなるアイヌ民族最後の蜂起「国後・目梨の乱」を描いた大作です。さすがの船戸与一と思わせられる作品でした。

 



 

他にも高田郁が著した『あい―永遠に在り 』も忘れられません。七十歳を超えて北海道の開拓に身を捧げた関寛斎の妻である「あい」の、ひたすらに明るくそして侍の妻であり続けた女性の、逞しく生きた物語です。

 

 

また、これは映画ですが、監督が行定勲で、主演が吉永小百合で、渡辺謙や豊川悦司らという豪華キャストで制作された『北の零年』という作品がありました。

明治初期の北海道に移住した淡路の稲田家主従546名の、廃藩置県という時代の波に翻弄され、苦労する姿を描いた作品です。