忍びの国

時は戦国。忍びの無門は伊賀一の腕を誇るも無類の怠け者。女房のお国に稼ぎのなさを咎められ、百文の褒美目当てに他家の伊賀者を殺める。このとき、伊賀攻略を狙う織田信雄軍と百地三太夫率いる伊賀忍び軍団との、壮絶な戦の火蓋が切って落とされた―。破天荒な人物、スリリングな謀略、迫力の戦闘。「天正伊賀の乱」を背景に、全く新しい歴史小説の到来を宣言した圧倒的快作。(「BOOK」データベースより)

 

のぼうの城』同様、天正伊賀の乱という史実を基にした長編の時代小説です。

 

のぼうの城の感動は無い、というのが読後に感じた一番の印象でした。

しかし、あの児玉清氏が絶賛しているくらいだからこの作品を絶賛面人も当然いるのでしょう。

 勿論私もこの本を面白くない、と言っているわけではありません。この作者の文章は読みやすく、ストーリーも面白いのです。ただ、『のぼうの城』と比較すると、『のぼうの城』に軍配が上がると言っているだけなのです。

 

ちなみに、本書も大野智を主演として映画化されていますし、また坂ノ睦の画でコミック化もされています。

 

のぼうの城

戦国期、天下統一を目前に控えた豊臣秀吉は関東の雄・北条家に大軍を投じた。そのなかに支城、武州・忍城があった。周囲を湖で取り囲まれた「浮城」の異名を持つ難攻不落の城である。秀吉方約二万の大軍を指揮した石田三成の軍勢に対して、その数、僅か五百。城代・成田長親は、領民たちに木偶の坊から取った「のぼう様」などと呼ばれても泰然としている御仁。武・智・仁で統率する、従来の武将とはおよそ異なるが、なぜか領民の人心を掌握していた。従来の武将とは異なる新しい英傑像を提示した四十万部突破、本屋大賞二位の戦国エンターテインメント小説。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

「戦いまする」三成軍使者・長束正家の度重なる愚弄に対し、予定していた和睦の姿勢を翻した「のぼう様」こと成田長親は、正木丹波、柴崎和泉、酒巻靱負ら癖のある家臣らの強い支持を得て、忍城軍総大将としてついに立ちあがる。「これよ、これ。儂が求めていたものは」一方、秀吉に全権を託された忍城攻城軍総大将・石田三成の表情は明るかった。我が意を得たり、とばかりに忍城各門に向け、数の上で圧倒的に有利な兵を配備した。後に「三成の忍城水攻め」として戦国史に記される壮絶な戦いが、ついに幕を開ける。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

豊臣秀吉の小田原城攻めの際の石田三成による忍城攻防戦という史実に基づく長編の時代小説です。

 

各場面を単につないでいくに過ぎないような淡々とした語り口でありながら、登場人物の夫々がしっかりと書き込まれています。更には場面ごと情景描写が視覚的で、これは人気が出る筈だとひとり納得しながら一気に読んでしまいました。

 

前評判にたがわない面白い読み物でした。一級のエンターテイメント作品としてお勧めです。

原作者が脚本家だそうで、映像的な描写に納得したものです。

ちなみに、本書を原作として野村萬斎の主演で映画化もされています。

 

蜩ノ記 [ DVD ]

『雨あがる』の小泉堯史監督が葉室麟の時代小説を映画化。ある罪で10年後の切腹を命じられた戸田秋谷。その切腹の日まで秋谷を監視せよとの藩命受けた檀野庄三郎は、秋谷の家族と生活を共にし始める。役所広司、岡田准一、堀北真希、原田美枝子が共演。(「キネマ旬報社」データベースより)

檀野庄三郎を演じた岡田准一は本作での演技が評価され、第38回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞しました。

監督は『雨あがる』『博士の愛した数式』の小泉堯史監督で、丁寧な詩画を作られる人だという印象があります。

役所広治の演技はさすがであり、静謐な原作の雰囲気を丁寧に再現してある、み応えのある映画でした。

この君なくば

伍代藩士の楠瀬譲と栞は互いに引かれ合う仲だが、譲は藩主の密命を帯びて京の政情を探ることとなる。やがて栞の前には譲に思いを寄せる気丈な女性・五十鈴が現れて……。
激動の幕末維新を背景に、懸命に生きる男女の清冽な想いを描く傑作長編時代小説。( Amazon「内容紹介」より )

 

地方の小藩で、明治維新という時代の流れに流されつつも、互いを想いやる、ある武士と娘との恋物語を葉室麟らしい格調高い文章で語っている物語です。

 

九州の日向にある伍代藩に住まう民間の漢学者である桧垣鉄斎の娘(しおり)と楠瀬譲(くすせゆずる)という軽格の武士の二人は、密かに想い合う仲でした。

しかし、譲は伍代藩の藩主忠継に重用され、次第に藩政に深くかかわるようになり、和歌の添削を受けるために通っていた桧垣鉄斎の住居である此君堂(しくんどう)に訪れることもできなくなっていきます。

鉄斎の死後、此君堂で栞が鉄斎の後を継いで和歌を教え始め、そこに譲が再び和歌の添削を受けに通い始めます。しかし、やはり何かと周りの眼はやかましく、更に譲は大阪の藩邸に詰めることになるのです。

 

どうしても直木賞受賞作である「蜩の記」と比べてしまい、戸田秋谷というひとりの武士の生き様に焦点を当てて書かれている『蜩の記』に対して、栞と譲という二人に焦点があっている本書はまとまりが無いように感じてしまいます。

また、『蜩の記』で感じた全編を貫く清冽な印象もまた本書では感じられませんが、本書は時代の中での二人の恋が主題であり、武士の生きざまは副次的なものでしょうから、それは当然のことなのでしょう。

 

 

とはいえ、本書はやはり葉室麟の作品であり、格調のある文体と共に示される漢学の素養とも合わせて、やはり面白い小説です。

 

和歌を絡ませている恋物語としては、先般直木賞を受賞した朝井まかての『恋歌』があります。

 

 

残念ながら小説の出来としては『恋歌』に軍配が上がるとしても、結局は本書も時代に翻弄される二人の行く末に対する関心から引き込まれて読み進めました。

 

蛇足ではありますが、タイトルの「この君なくば」の「この君」とは竹のことであり、「何ぞ一日も此の君無かるべけんや」という「『晋書』王徽之伝」の中にある言葉だそうで、桧垣鉄斎の住居である此君堂もここからとっているということです。

月神

明治十三年、福岡藩士出身の月形潔は、集治監建設のため横浜港から汽船で北海道へと向かった。その旅のさなか、亡き従兄弟の月形洗蔵を想った。尊王攘夷派の中心となり、福岡藩を尊攘派として立ち上がらせようとしていた洗蔵。だが、藩主・黒田長溥は、尊攘派の台頭を苦々しく思っており、洗蔵は維新の直前に刑死した。時は過ぎ、自分は今、新政府の命令によって動いている。尊敬していた洗蔵が、今の自分を見たらどう思うのか?激動の明治維新の中で国を思い、信念をかけて戦った武士たちを描く、傑作歴史小説!(「BOOK」データベースより)

本書は前半と後半で異なる物語が語られます。

前半は明治維新時の福岡藩に実在した、同じ葉室麟の作品である『春風伝』にその名前が出てきた月形洗蔵という人の物語であり、後半は月形洗蔵の従兄弟である月形潔の明治期における北海道での樺戸集治監での物語です。

そして、明治維新という波を地方の小藩から見た物語です。今まで良く知らなかった薩長同盟の実質的な立役者月形洗蔵、その月形洗蔵を反発しながらも動かしていた福岡藩の藩主黒田長溥等々の人々が語られているのは実に興味深い物語でした。明治維新という時代の変革に振り回される小藩の様子が良く描かれていたのではないでしょうか

当時のダイナミックな時代の動きは単純に個人の力だけでは動かないのだと、当り前のことですが、改めて思い知りました。

ただ、出来ればこの月形洗蔵の話で一冊の物語を読みたいと思いました。結局、後半の月形潔の物語までも少々中途半端に感じたのです。

潔は時代を照らす月の光たらんとするも、集治監の所長として過酷な環境下で囚人たちに対し厳罰で臨まなければならない現実との相克に悩み続けますが、脇の人物の配置など、葉室麟という作家にしては少々雑な感じがしたのは残念でした。

蜩の記」「銀漢の賦」のような葉室麟ならばこそという物語を読みたいと思います。

春風伝

長州藩士・高杉晋作。本名・春風。攘夷か開国か。国論二分する幕末に、上海に渡った晋作は、欧米列強に蹂躙される民衆の姿を目の当りにし、「革命」に思い至る。激しい気性ゆえに脱藩、蟄居、閉門を繰返しながらも常に最前線で藩の窮地を救ってきた男は、日本の未来を見据え遂に幕府に挑む。己を信じ激動の時代を駆け抜けた二十八年の濃密な生涯を壮大なスケールで描く本格歴史小説。(「BOOK」データベースより)

 

その高名については改めて言うまでもない高杉晋作の生涯を描いた長編の時代小説です。

 

結論から言うと、個人的には今一つの印象でした。特に中国行きの場面はコミックの「おゝい竜馬」を思い出してしまいました。もしかしたら、この本全体の印象も、このコミックの印象に引きずられたのかもしれません。

 

 

そうした不満はありながらも、特に後半の晋作が歴史の表舞台に飛び出してからの展開などはかなり面白く、引き込まれました。

私が知らないだけかもしれませんが、薩長同盟の最初の提唱者が月形洗蔵という人物であることなど、この手の歴史小説では初めて明記してあったのではないでしょうか。この月形洗蔵については別に「月神」という作品で詳細に描写してあります。

 

 

これは葉室麟という作家に限らずの話ですが、どうも私は、歴史小説での詳細過ぎる歴史的事実の摘示は逆に物語としての興を殺ぐと感じてしまうようです。

例えば、同じく葉室麟の、武士として生きるということ、人を想うということの意味を突き詰めた作品である『いのちなりけり』という作品でもやはり情報量が多すぎすると感じたように、私は作者の自由な発想をこそ好むようです。

 

 

ですから、本書『春風伝』にしても、『いのちなりけり』にしても、歴史が好きで詳細な事実までをも知りたい人などにはかなり面白いと思える小説ではないでしょうか。

葉室麟の今後の歴史小説にも期待してみたいものです。

川あかり

コミカルな味付けですが正統派の時代小説です。

川止めで途方に暮れている若侍、伊東七十郎。藩で一番の臆病者と言われる彼が命じられたのは、派閥争いの渦中にある家老の暗殺。家老が江戸から国に入る前を討つ。相手はすでに対岸まで来ているはずだ。木賃宿に逗留し川明けを待つ間、相部屋となったのは一癖も二癖もある連中ばかりで油断がならない。さらには降って湧いたような災難までつづき、気弱な七十郎の心は千々に乱れる。そして、その時がやってきた―。武士として生きることの覚悟と矜持が胸を打つ、涙と笑いの傑作時代小説。(「BOOK」データベースより)

藩で一番の臆病者とされる主人公の伊東七十郎は、専横を極める藩の重鎮への刺客として選ばれます。しかし川止めにあい、暗殺すべき相手を木賃宿で待つ間、うさんくさいその同宿の百姓や旅人達の話を聞くうちに、自らの使命を明かしてしまいます。

そして、川止めが開け、狙いとする相手が現れますが、七十郎は意外な行動に出るのでした。

臆病な若者が主人公でなんの取り柄もないという設定は、実にありがちな設定で、読んでいくうちにあらすじが何となく見えてくるほどです。しかし、それでもあまり不快感を感じずに最後まで読み通してしまいました。

どちらかといえば、物語の面白さというよりもこの作者はどのように決着をつけるのだろうか、という気持ちの方が強かったように思います。藤沢周平の作品ような余韻は感じず、また、山本周五郎の『深川安楽亭』という作品で感じたような一場面ものの感動も残念ながらありませんでした。

しかし、時間をおいてあらためて思い起こしてみると、余韻が無いという感想は、読み手である私の直木賞作家の重厚な作品という先入観から来る勝手な思い込みであって、全体的に見ればそれこそが作者の狙いだったのかもしれないと思うようになりました。

事実、ベタな設定ではあっても爽やか読後感は残ります。他に葉室麟の何冊かの作品を読んだ後では、逆に本書は葉室凛という作者にしては軽めの作品として位置づけられると思うようになってきたのです。

また、葉室麟の作品群の中で、本書のようにユーモラスな味を持った作品はそうは無く、私が読んだ範囲では『あおなり道場始末』という作品があるくらいでしょうか。

そういう意味では貴重な作品と言えるのかもしれません。

いのちなりけり

あの時桜の下で出会った少年は一体誰だったのか―鍋島と龍造寺の因縁がひと組の夫婦を数奇な運命へと導く。“天地に仕える”と次期藩主に衒いもなく言う好漢・雨宮蔵人と咲弥は、一つの和歌をめぐり、命をかけて再会を期すのだが、幕府・朝廷が絡んだ大きな渦に巻き込まれていってしまう。その結末は…。(「BOOK」データベースより)

 

武士として生きるということ、人を想うということの意味を突き詰めた、長編の時代小説です。

 

私には少々情報が多すぎました。

水戸光圀のその家老藤井紋太夫の殺害、徳川綱吉との確執、鍋島藩と側用人柳沢保明。加えて島原の乱に起因する復讐譚等々盛りだくさんの内容です。メインである筈の主人公雨宮蔵人とその妻咲弥の物語は当然のことながら全編を通じて底流にはあるのだけれど、物語が収斂する最後に集中的に語られます。

隆慶一郎であればもう少し整理されて主人公に焦点が合うのかもしれない、などと勝手なことを思いながら読んでいました。

 

とはいえ、上記の点が気にかかることを除けば小説として面白いのは間違いありません。

帯に「骨太の時代小説にして清冽な恋愛小説」とあるように、想う人のためには死をも厭わないというその設定自体は珍しくも無いのですが、武士のあり方なども絡み、葉室麟という作家の力量が十分に示されているのではないでしょうか。

 

「葉隠」に恋に関する記述があると知ったのは佐伯泰英の『酔いどれ小籐次留書シリーズ』の中の「寄残花恋(のこりのはなよするこい)」を読んだときです。

 

 

本書では「忍ぶ恋こそ至極の恋と存じ候」という「葉隠」の中の一文を紹介してありますが、この「寄残花恋」という本の中には「葉隠」という言葉のもととなった西行法師の「葉隠れに散りとどまれる花のみぞ忍びし人に逢ふ心地する」 という句が紹介してありました。

それともう一句「恋ひ死なむ後の煙にそれと知れ終にもらさぬ中の思ひは」 という句もありました。真の恋はひっそりと秘めたままに恋い死にするものだ、主従の交わりもそのようなものだという意味だそうです。

「葉隠」という書物の意外な一面でした。

銀漢の賦

寛政期、西国の小藩である月ヶ瀬藩の郡方・日下部源五と、名家老と謳われ、幕閣にまで名声が届いている松浦将監。幼なじみで、同じ剣術道場に通っていた二人は、ある出来事を境に、進む道が分かれ、絶縁状態となっていた。二人の路が再び交差する時、運命が激しく動き出す。第十四回松本清張賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

主人公は日下部源五、松浦将監という武士の子、それに加えて百姓の子である十蔵の3人と言って良いでしょう。この3人の現在と少年期、青年期とが交互に描かれます。読み進むにつれ3人の現況とそこに至るまでの秘密が明かされていくのですが、その構成が読み手を引きつけるのです。

先に『川あかり』を読んだときには藤沢周平ほどの余韻は無いと感じたのですが、本書では逆に藤沢周平のタッチを思い出してしまいました。この作品の方が『川あかり』よりも前に書かれた筈なのだけれど、本作品の方が落ち着いて感じられるのは私だけでしょうか。

登場人物の心理も、情景の描写も丁寧に描かれています。作者は私と同年らしいのですが、その博識さ、描写力の優しさ見事さ、自らとの落差を思い知らされるばかりです。

ともあれ、時代小説の新たな書き手として読者としては楽しみというばかりです。時代小説のファンであれば一度読めば虜になることは間違いないと思われます。