武田信玄

狂乱の日々を送り、民に恨みの声をあげさせていた父・武田信虎を追放して甲斐の国の主となった信玄は、信濃の国に怒涛の進撃をはじめた。諏訪頼重を甲斐に幽閉し小笠原長時を塩尻峠に破り、さらに村上義清を砥石城に攻略する。信玄は天下統一を夢みて、京都に上ろうと志す。雄大な構想で描く歴史小説の第一巻。(「BOOK」データベースより)

 

あの甲斐の武田信玄を描いた文庫本四冊という大長編で、1988年のNHK大河ドラマの原作となった作品です。

 

 

武田信玄を描いた作品は他にも多々ありますが、私の中では本作品が一番印象が強く、テレビ等で諏訪湖が出てくると瑚衣姫の名前が思い浮かぶほどです。

この瑚衣姫という名前は新田次郎作品だけの名前ではなかったでしょうか。ちなみに井上靖の「風林火山」では由布姫と称されていました。

 

 

この作品はその後続編として『武田勝頼』( 講談社文庫 全三巻 )が書かれ、その次の『大久保長安』の執筆の途中で逝去されたそうです。

 

夢枕 獏

30年以上前に、今は「朝日文庫」その他のレーベルになっているらしい、ジュブナイルと分類される「ソノラマ文庫」という文庫がありました。この文庫で菊地秀行の「魔界都市〈新宿〉」や高千穂遙の「クラッシャージョウ」などを見つけたものです。

後に「キマイラ・吼」シリーズとなる「幻獣少年キマイラ」を、天野喜孝氏(だったと思う)のイラストが印象的で購入したと覚えています。変身もののこの本は格闘技小説の片鱗も見え、SF、ファンタジーいずれともつかない変な魅力がありました。

その後この作家はエロスとバイオレンスの世界で花開くことになりますが、「闇狩り師」にしても「サイコダイバー」にしても、人の精神世界を描くという点では一致していると思います。

その精神世界の描写のひとつの到達点として「陰陽師」シリーズがあり、「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」があるのではないでしょうか。共に怪異譚を描くのですが、その本質は人間の精神を言っているようです。この作家の各作品を通して語られるのはそうした人間の心の哀しさであるような気がします。

その文体は会話文が多く、短めのセンテンスをたたみ掛けてくるので、テンポよく読み進めることができます。漫画チックという言い方もできるかもしれませんが、それがまた私のような読者にはたまりません。軽く読めて、お勧めです。

ただ、この作家のシリーズものはどれも長い。20年を経てもなお終わっていないシリーズが何本もあります。

彼の書いたバイオレンスは格闘技小説というジャンルを切り開いたと言っても良いのではないでしょうか。

他方「神々の山嶺」のような山岳小説、更には釣りをテーマにした作品まで著しています。

以下のおすすめの作品は参考にすぎません。他にも面白い作品がたくさんあります。

お勧めの作家のひとりです。

一路

失火により父が不慮の死を遂げたため、江戸から西美濃・田名部郡に帰参した小野寺一路。齢十九にして初めて訪れた故郷では、小野寺家代々の御役目・参勤道中御供頭を仰せつかる。失火は大罪にして、家督相続は仮の沙汰。差配に不手際があれば、ただちに家名断絶と追い詰められる一路だったが、家伝の「行軍録」を唯一の頼りに、いざ江戸見参の道中へ!( 上巻 : 「BOOK」データベースより)

中山道を江戸へ向かう蒔坂左京大夫一行は、次々と難題に見舞われる。中山道の難所、自然との闘い、行列の道中行き合い、御本陣差し合い、御殿様の発熱…。さらに行列の中では御家乗っ取りの企てもめぐらされ―。到着が一日でも遅れることは御法度の参勤交代。果たして、一路は無事に江戸までの道中を導くことができるのか!( 下巻 :「BOOK」データベースより)

 

ユーモア満載の、浅田次郎らしい長編の時代小説です。

 

十九歳まで江戸表で暮らしていた小野寺一路は、父弥九郎の突然の死去により、参勤交代の御供頭を勤めることとなった。

しかし、一路は御供頭の仕事について何も教えられてはおらず、また、貧乏くじを引くのを恐れて誰も手伝ってもくれない。

途方に暮れる一路だったが、屋敷の焼け跡から見つけた「元和辛酉歳蒔坂左京大夫様行軍録」と記された冊子頼りに、古式に則った参勤交代を行うことを決意するのだった。

 

この物語は、コメディ小説と言えるのでしょう。しかし、何となく、コメディと言い切ってしまうにはためらいを感じる、そんな小説です。

確かに、この物語では先祖の残した「行軍録」をもとに繰り広げられるドタバタ劇が展開されるし、更には馬が会話をし、鯉がひとりごちる場面があります。また、敵役の蒔坂将監の行いも、行列の成り行きが思惑とは異なって行くことからドタバタ劇が展開されます。そうした意味では、この物語はコメディ小説と言えるとは思います

しかし、小野寺一路の仕える蒔坂左京大夫(まいさかさきょうのだいぶ)の振舞いも、小野寺一路本人の行いも単純に笑い飛ばせないものがあります。武士とは、侍とは、という浅田次郎の大きなテーマの前で登場人物たちも必死に考え、行動していて、結果としてその様はコミカルなのです。そういう意味では、あの『フーテンの寅さん』のような人情喜劇と言うべきなのかもしれません。

単純なギャグではない、素の人間の、人間としての振舞いのもたらすおかしさこそが浅田次郎の、浅田次郎たる所以なのでしょう。

 

ただ、浅田次郎の他の作品と比べると若干完成度は下がるかなと感じました。他の作品と比べるとどこか満たされません。

壬生義士伝』などの『新選組三部作』や『天切り松 闇がたりシリーズ』という一級の作品程には達していないと思いますし、侍のあり方というテーマも『黒書院の六兵衛』の方がより直接的だったように思います。

ストーリー自体も、思いのほかに一路の思惑通りに行列が進み、意外性が余りありませんでした。人物設定にしても、蒔坂左京大夫が利発な自分を押し隠しているさまも、また敵役として登場する蒔坂将監も、夫々に登場人物として魅力が今一つのなのです。

 

ただ、浅田次郎の作品ですので作品の完成度に対する私の要求がかなり高くなっています。そうした要求を差し引いて見ると、そこはやはり浅田次郎の物語であり、面白く読めました。

憑神

神頼みのはずが、現れたのは三人の災いの神だった-。
時は幕末。別所彦四郎は、下級武士とはいえ、代々将軍の影武者をつとめてきた由緒ある家柄の出。幼いころより文武に優れ、秀才の誉れ高かった彦四郎だが、戦のない平和な世においては影武者の出番などあるはずもなく、毎日暇をもてあますばかり。出世はもはや神頼みしかないと、すがる思いで祈ったお稲荷はなんと災いの神をよびよせるお稲荷様だった―。どこか憎めなくも必殺の労災力を持つ、貧乏神・疫病神・死神の三人の神に取り憑かれる彦四郎。人生のツキに見放され、不幸の神様にとりツカれ愛されてしまった男の運命は?( Amazon【ストーリー】参照 )

 

この作品にも西田敏行という名前があり、原作が浅田次郎ということで見る気になりました。西田敏行さんの出番は少なかったのですが、この映画も楽しめた映画でした。

 

しかし、その後原作を読んだ後に再度DVDを見るとやはり少々物足りない映画だった、と言わざるを得ません。

全般的に原作のイメージを損なわずに作られているとは思うのですが、詰め込み過ぎなのでしょうか。少なくない個所で、原作での夫々の台詞の持つ「意味」に気付かされたのです。

もう少し、その言葉を発する意味を分かりやすく描写してあれば、と思わざるを得ませんでした。特に最後の場面は少々雑に過ぎる印象しか残りませんでした。

憑神

浅田次郎著の『憑神』は、実にコミカルで読みやすく、それでいて読了時には幕末の武士の存在について思いを馳せることになる、浅田次郎らしい長篇時代小説です。

 

時は幕末、処は江戸。貧乏御家人の別所彦四郎は、文武に秀でながら出世の道をしくじり、夜鳴き蕎麦一杯の小遣いもままならない。ある夜、酔いにまかせて小さな祠に神頼みをしてみると、霊験あらたかにも神様があらわれた。だが、この神様は、神は神でも、なんと貧乏神だった!とことん運に見放されながらも懸命に生きる男の姿は、抱腹絶倒にして、やがては感涙必至。傑作時代長篇。(「BOOK」データベースより)

 

貧乏御家人の別所彦四郎は小十人組組頭でしたが、配下の者のしくじりにより職務も、婿としての立場も無くしてしまい、今は部屋住みの身分でした。

ある日、ほろ酔い気分で三巡稲荷と読める小さな祠に手を合わせたところ、貧乏神に取りつかれる羽目に陥ってしまいます。何とか”宿替え”という秘法により貧乏神のとり憑く先を変え、何とかその場を逃れた彦四郎だったのですが・・・。

 

この物語の重要な登場人物の一人である村田小文吾は、普段は少々間の抜けた男なのですが一種の神力を持っています。物語の当初に、この小文吾を加えた貧乏神との三人のやり取りはまるで落語の一場面を見ているようで、軽妙な面白さにあふれています。

貧乏神を追い払った後、今度は疫病神が現れ、彦四郎本人、そして周りの人々は疫病神の仕業に振り回さることになります。この間、彦四郎は自らの役務、ひいては武士というものの存在について考えるようになるのでした。

 

この過程の描写は実に細やかです。主人公の別所彦四郎は、御徒士(おかち)組の小十人組組頭という設定です。文庫本のあとがきの磯田道史氏によると、この御徒士組の描写は、浅田次郎が実在した御徒士の懐旧談が載っている「幕末の武家」という本を読み込まれて書かれたそうで、その暮らしぶりの描写はそれなりに根拠があるそうです。

このような具体的な資料に裏打ちされた文章ですので、ユーモラスに描かれている主人公の行動やお徒士と呼ばれる武士たちの行いも真実味にあふれています。

 

物語も後半になると彦四郎の武士道というものに対する考察も、より深いものになっていきます。それとともに前半のコミカルな描写は少しずつ影をひそめて行きます。

最終的に浅田次郎の武士道についての考えが示されていて、読み手の心に心地よい感動を残すのです。

 

この浅田次郎の幕末における武士のあり方、についての考察は、後に書かれることになる『黒書院の六兵衛』へと連なっていきます。また『流人道中記』もこの流れにある作品ではないでしょうか。

 

 

 

数年前に見た「憑神」映画で得た印象とは異なる作品でした。あの映画は今思えばユーモラスなストーリーに焦点を当てた作品として作られたということなのでしょう。

 

黒書院の六兵衛

新撰組三部作のような重厚な江戸城引渡し劇を期待して読み始めたのですが、思惑が外れました。浅田次郎お得意のファンタジーとまでは言いませんが、それに近い、寓意的なミステリー小説でした。

しかし、小説としての面白さは『新撰組三部作』に匹敵する物語であり、最後には大きな感動が待っていました。
 

江戸城明渡しの日が近づく中、てこでも動かぬ旗本がひとり━━。
新政府への引き渡しが迫る中、いてはならぬ旧幕臣に右往左往する城中。ましてや、西郷隆盛は、その旗本を腕ずく力ずくで引きずり出してはならぬという。外は上野の彰義隊と官軍、欧米列強の軍勢が睨み合い、一触即発の危機。悶着など起こそうものなら、江戸は戦になる。この謎の旗本、いったい何者なのか―。
周囲の困惑をよそに居座りを続ける六兵衛。城中の誰もが遠ざけ、おそれ、追い出せない。
そんな最中、あれ? 六兵衛の姿が見えぬ!?勝海舟、西郷隆盛をはじめ、大物たちも顔をだす、奇想天外な面白さ。……現代のサラリーマンに通じる組織人の悲喜こもごもを、ユーモラスに描いた傑作。( 上巻 : 「BOOK」データベースより)

天朝様が江戸城に玉体を運ばれる日が近づく。が、六兵衛は、いまだ無言で居座り続けている……。虎の間から、松の廊下の奥へ詰席を格上げしながら、居座るその姿は、実に威風堂々とし日の打ち所がない。それは、まさに武士道の権化──。だが、この先、どうなる、六兵衛!
浅田調に笑いながら読んでいると、いつの間にか、連れてこられた場所には、人としての義が立ち現れ、思わず背筋がのび、清涼な風が流れ込んでくる。奇想天外な面白さの傑作です。( 下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

江戸城引渡しに備え、官軍入城に先立っての露払いとして尾張徳川家の徒組頭加倉井隼人が選ばれた。早速に江戸城西の丸御殿に行くと、待っていた勝海舟に打ち明けられたのは、未だ一人の侍が立退かずにいる、ということだった。

外には官軍がひしめいており、官軍総大将の西郷からは「些細な悶着も起こすな」と言われているため、力を使うこともならず、途方に暮れるのみだった。

 

西の丸御殿に居座っている侍は何者なのか、という謎の解明だけで展開される上下二巻の大作です。

的矢六兵衛という名前は分かっている、しかし、この侍は的矢六兵衛ではない、というところが不思議の発端で、加倉井は勝から紹介された福地源一郎と共に解明に動き出します。

事情を知るものへの聞き取りの度に、その者の一人称の語りが挟まれるという浅田次郎お得意のパターンで物語は進み、少しづつ謎は解き明かされていきます。

と同時に、浅田次郎の思う「武士道とは」という問いに対する答えも少しづつ示されていて、この作品全体として、浅田次郎の思う「武士道」が示されていると感じられます。

 

一方、この作品では江戸城についてのトリビアも示されています。江戸城開け渡しの時には本丸、二の丸は焼け落ちており、仮御殿である西の丸のみが再建されていことや、的矢六兵衛の属する書院番は由緒正しき近侍の騎兵であるとか、お茶坊主が何かと「シィー、シィー」と奇矯な声出すなど、数限りなくと言って良いほどに記されていて、この点でも興味を惹かれました。

 

本書『黒書院の六兵衛』と同じく、江戸城明け渡しの前日に江戸城に居残った人物を描き出すという小説があります。それは朝井まかてが描く『残り者』という作品です。

ただ、この『残り者』で居残っているのは五人の女たちです。彼女らが何者かはすぐに明らかになり、何故に江戸城に居残っていたのかがゆっくりと語られることになります。それぞれの行動がユーモラスに、また時には哀しみを漂わせながら描かれているのです。

この作品もかなり読み応えのあるいい作品でした。

 

 

蛇足ながら、私が読んだ新刊書の『黒書院の六兵衛』では、巻末に江戸城西の丸借り御殿の略図が載っています。この略図がまるで迷路です。この迷路の中で六兵衛はその位置を少しづつ変えていくのです

 

ちなみに、2018年7月22日(日)から、WOWWOWの連続ドラマWで、『黒書院の六兵衛』がドラマ化されます。

主演は吉川晃司で的矢六兵衛を演じ、加倉井隼人役は上地雄輔が演じます。吉川晃司の役者としての魅力もさることながら、おバカタレントとして人気者であった上地雄輔が、役者としてどれだけ成長しているものか、出来れば見たいのですがWOWWOW未加入なので、DVD化されることを期待し、それを待つつもりです。

 

一刀斎夢録

感動の浅田版新選組三部作、完結!
近代国家日本の幕開けと壮絶な人間ドラマ。巨大な感動が襲う傑作時代長編 。「飲むほどに酔うほどに、かつて奪った命の記憶が甦る」―最強と謳われ怖れられた、新選組三番隊長・斎藤一。明治を隔て大正の世まで生き延びた“一刀斎”が、近衛師団の若き中尉に夜ごと語る、過ぎにし幕末の動乱、新選組の辿った運命、そして剣の奥義。
沖田、土方、近藤ら仲間たちとの永訣。土方の遺影を託された少年・市村鉄之助はどこに消えたのか。維新後、警視庁に奉職した斎藤は、抜刀隊として西南戦争に赴く。運命の地・竹田で彼を待っていた驚愕の光景とは?
慟哭の結末に向け、香りたつ生死の哲学が深い感動を呼ぶ完結篇。( 上巻 : 「BOOK」データベースより)

沖田、土方、近藤ら仲間たちとの永訣。土方の遺影を託された少年・市村鉄之助はどこに消えたのか―維新後、警視庁に奉職した斎藤一は抜刀隊として西南戦争に赴く。運命の地・竹田で彼を待っていた驚愕の光景とは。百の命を奪った男の迫真の語りで紡ぐ鮮烈な人間ドラマ・浅田版新選組三部作、ここに完結。( 下巻 :「BOOK」データベースより)

 

文庫本で上下二巻の、新選組三部作の第三弾の長編時代小説です。

新選組の斎藤一の名前をひっくり返して読みの漢字を少々変えると「一刀斎」。

作者によれば、子母澤寛の「新選組遺聞」の中に記されているが、その存在が確認されていない「夢録」(むろく)という口述記録を「捏造してしまった」のだそうです。

 

本書も、明治時代をも生き抜いた斎藤一の語る言葉を聞く、という形で物語は進みます。

聞き手は全国武道大会の決勝まで進む腕を持つ近衛師団の梶原中尉という人物です。梶原の連夜の訪問に、斎藤一は煩わしい風を装いながらも語り聞かせます。

その斎藤一の語りは新選組の成立の当初から消滅に至るまでを網羅するものなのですが、主に三部作の他の二冊で語られていない事実について語られています。

それは途中から新選組を離脱し御陵衛士を結成した伊東甲子太郎(いとう かしたろう)の暗殺(油小路事件)や、坂本竜馬の暗殺事件の真相にも触れ、更に維新時の会津での戦いや明治に入ってからの西南の役にまで及びます。

 

壬生義士伝』は吉村貫一郎という人間を通して家族を語り、『輪違屋糸里』では芹沢鴨暗殺事件を語り、そして両者ともに各人の話を通して新選組を語っていました。でも本書は斎藤一という人斬りを自らの仕事とした個人を描くことで新選組を語っているようです。

 

実は、浅田次郎作品を読むのは本書が最初でした。

2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」を見て斎藤一と言う人物に関心を持っているところで本書に出会い、読んでみたのです。浅田次郎の作品を読んだのは本書が初めてだったこともあり、かなりの衝撃を受けました。

 

 

ベストセラーであることも後に知りました。この後この作家の作品を立て続けに読んでいますがどの作品も外れがありません。

是非一読されることをおすすめします。