あの時桜の下で出会った少年は一体誰だったのか―鍋島と龍造寺の因縁がひと組の夫婦を数奇な運命へと導く。“天地に仕える”と次期藩主に衒いもなく言う好漢・雨宮蔵人と咲弥は、一つの和歌をめぐり、命をかけて再会を期すのだが、幕府・朝廷が絡んだ大きな渦に巻き込まれていってしまう。その結末は…。(「BOOK」データベースより)
武士として生きるということ、人を想うということの意味を突き詰めた、長編の時代小説です。
私には少々情報が多すぎました。
水戸光圀のその家老藤井紋太夫の殺害、徳川綱吉との確執、鍋島藩と側用人柳沢保明。加えて島原の乱に起因する復讐譚等々盛りだくさんの内容です。メインである筈の主人公雨宮蔵人とその妻咲弥の物語は当然のことながら全編を通じて底流にはあるのだけれど、物語が収斂する最後に集中的に語られます。
隆慶一郎であればもう少し整理されて主人公に焦点が合うのかもしれない、などと勝手なことを思いながら読んでいました。
とはいえ、上記の点が気にかかることを除けば小説として面白いのは間違いありません。
帯に「骨太の時代小説にして清冽な恋愛小説」とあるように、想う人のためには死をも厭わないというその設定自体は珍しくも無いのですが、武士のあり方なども絡み、葉室麟という作家の力量が十分に示されているのではないでしょうか。
「葉隠」に恋に関する記述があると知ったのは佐伯泰英の『酔いどれ小籐次留書シリーズ』の中の「寄残花恋(のこりのはなよするこい)」を読んだときです。
本書では「忍ぶ恋こそ至極の恋と存じ候」という「葉隠」の中の一文を紹介してありますが、この「寄残花恋」という本の中には「葉隠」という言葉のもととなった西行法師の「葉隠れに散りとどまれる花のみぞ忍びし人に逢ふ心地する」 という句が紹介してありました。
それともう一句「恋ひ死なむ後の煙にそれと知れ終にもらさぬ中の思ひは」 という句もありました。真の恋はひっそりと秘めたままに恋い死にするものだ、主従の交わりもそのようなものだという意味だそうです。
「葉隠」という書物の意外な一面でした。