鍵のない夢を見る

辻村深月著の『鍵のない夢を見る』は、文庫本で269頁の暗い色調の五編の短編からなる作品集です。

日常からのちょっとした逸脱に翻弄される女性達を描いた第147回直木賞の受賞作で、個人的には好みではありませんでした。

 

鍵のない夢を見る』の簡単なあらすじ

 

第147回直木賞受賞作! !
わたしたちの心にさしこむ影と、ひと筋の希望の光を描く傑作短編集。5編収録。
「仁志野町の泥棒」誰も家に鍵をかけないような平和で閉鎖的な町にやって来た転校生の母親には千円、二千円をかすめる盗癖があり……。
「石蕗南地区の放火」田舎で婚期を逃した女の焦りと、いい年をして青年団のやり甲斐にしがみ付く男の見栄が交錯する。
「美弥谷団地の逃亡者」ご近所出会い系サイトで出会った彼氏とのリゾート地への逃避行の末に待つ、取り返しのつかないある事実。
「芹葉大学の夢と殺人」【推理作家協会賞短編部門候補作】大学で出会い、霞のような夢ばかり語る男。でも別れる決定的な理由もないから一緒にいる。そんな関係を成就するために彼女が選んだ唯一の手段とは。
「君本家の誘拐」念願の赤ちゃんだけど、どうして私ばかり大変なの? 一瞬の心の隙をついてベビーカーは消えた。(「BOOK」データベースより)

 

鍵のない夢を見る』の感想

 

物語の全体を貫くトーンの暗さもそうですが、何編かの物語には全く救いが感じらず、直木賞受賞作なのですが、個人的な好みには反している作品集でした。

トーンが暗いだけでも若干苦手なのに、そこに救いも無ければ何のためにこの物語を書いたのだろうという気になってしまいます。

 

幼馴染とのつらい思い出の結末、男のいない女の内心の葛藤、どうしようもない男と離れられない女、夢しか追えず独善的な男とから離れられない女、赤ちゃんの泣き声に追い立てられる女。

それぞれの女の内心を深く突き詰めて、読者に提示していて、文学として表現力や文章の巧拙など、私では分からない何かが評価されているのでしょう。

確かに、各物語の主人公である女たちの心の移ろいも含めての描写は、読み手の心に迫るものがあり凄いと思いました。

でも、だからこそ、と言えるのかもしれませんが、そうした心情を持つ女の物語への反発も激しいのでしょう。

ずるずると状況に引きずられて抜け出せなくなっていく女が描写されていて、男の私には良く分からない心裏もあるのですが、特に女性にはこの世界観にはまる人も多いかもしれません。

 

本書『鍵のない夢を見る』が出版されたのが2012年5月で、私が最初に辻村深月という作家の作品を読んだ最初の作品でした。

それ以来、本書に苦手意識を持った私は辻村深月の作品は読んでこなかったのです。

それほどに本書は2018年の本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』や『ツナグ』といった少年、少女を主人公に据えたいわゆる青春もの呼ばれる作品群とは異なっていたのです。

 

 

物語にエンターテインメント性を求める傾向の強い私は、『かがみの孤城』に接した後は辻村深月の作品のファンとはなるものの、本書は少々苦手とする作品なのです。

とはいえ、今では辻村深月の名前を見ればその作品を手に取るようになっています。

琥珀の夏

本書『琥珀の夏』は、新刊書で548頁にもなる長編のミステリー小説です。

ミステリーだと断言していいのか疑問もありますが、家族や親と子、特に母親と娘との関係をとらえたミステリー仕立ての作品だと言っていいでしょう。

 

琥珀の夏』の簡単なあらすじ

 

大人になる途中で、私たちが取りこぼし、忘れてしまったものは、どうなるんだろう――。封じられた時間のなかに取り残されたあの子は、どこへ行ってしまったんだろう。

かつてカルトと批判された〈ミライの学校〉の敷地から発見された子どもの白骨死体。弁護士の法子は、遺体が自分の知る少女のものではないかと胸騒ぎをおぼえる。小学生の頃に参加した〈ミライの学校〉の夏合宿。そこには自主性を育てるために親と離れて共同生活を送る子どもたちがいて、学校ではうまくやれない法子も、合宿では「ずっと友達」と言ってくれる少女に出会えたのだった。もし、あの子が死んでいたのだとしたら……。
30年前の記憶の扉が開き、幼い日の友情と罪があふれだす。

圧巻の最終章に涙が込み上げる、辻村深月の新たなる代表作。
「BOOK」データベースより)

 

ミカの最初の記憶は<ミライの学校>の玄関で、「今日からここがミカの家だよ」と言われ、それまでつないでいたはずの手がいつの間にかなくなり、ミカは涙が止まらなかったことだ。

四年生のノリコは小学校で友達ができずにいたが、夏の間の一週間だけ<ミライの学校>でもなかなか友達を作れずにいた。

そのとき友達になってくれたのが、ミカという<学び舎>の子だった。

ミカたちに会うために小学五年と六年の夏休みも<ミライの学校>へと行ったノリコだったが、六年生のときにはミカはおらず、淋しい思いをしたのだ。

大人になり弁護士となった法子は、見つかった子どもの白骨死体は自分の孫ではないかという老夫婦の依頼で<ミライの学校>へと向かうのだった。

 

琥珀の夏』の感想

 

作者の辻村深月は、「“子ども時代”を別の何かのように見ていた感覚」があったのだけれど、子どもの時間の延長線上にあるがままの自分がいることが分かってきて、それまで思っていた「記憶」を再検証しようという気持ちがあった、と書かれています( ANANニュース : 参照 )

そして本書『琥珀の夏』で、大人になった法子(ノリコ)はその言葉通りに<ミライの学校>に関する自分の記憶を掘り起こすことになります。

それは親と子、それも母親と子という普遍的な関係を見つめ直すことであり、また今の自分の生活を、そして自分の<ミライの学校>に関する記憶を再確認する作業でもあったようです。

 

そうして、依頼された事件を処理していく中で、<ミライの学校>を今の、大人の法子の目で見直していくことになります。

具体的には、<ミライの学校>の子供の自主性を尊重するという理念の検証が、子供のためという大人の目線と子供の関係を見直すことにつながります。

保育園の抽選に漏れ、共働きの夫婦であるために今後の自分の仕事への影響も考えなければならない法子は、<ミライの学校>に生活の基盤までもおいている子供たちやその親たちのことまでも思いを馳せるのです。

こうして本書『琥珀の夏』は、単純に<ミライの学校>を通して子供の教育のあり方などを考えるだけではなく、大人の思う子供のためという思想、そしてその実践活動が子供の未来を奪っているのではないかという問題提起もしています。

 

同時に、本書『琥珀の夏』は「友達」という言葉の持つ重みも感じる作品でした。

途中でノリコが「友達って何だろう。」と自問する場面があります。

普段親しげにしている友達が、相手がいない場所でその子を排除するようなことを言うのは何故なのかを考えます。小学生四年生のノリコが、一生懸命に友達という言葉について考えているのです。

そうした後で、ノリコはミカから「友達になっていい?」と問いかけられ、躊躇いなく「友達だよ」と力いっぱい答えるのです。

実際、この場面は本書において重要な場面でもあったのですが、実に印象的な場面でした。

 

本書『琥珀の夏』は、<ミライの学校>で埋められていた白骨が見つかったことから物語が展開し始めるミステリーです。

しかし、本書は普通のミステリーのように主人公が真実にたどり着く為に少しずつ謎を解明していくという展開ではありません。

自分が通った<ミライの学校>の調査をするうちに、小学生ではない、大人になった法子は<ミライの学校>の実態をつかんでいきます。

そうした白骨となって見つかった子が誰か、また誰がこの子を埋めたのかを探る過程は、いわゆる謎解きの工程といえるでしょうから、通常のミステリーとは異なるとは言い切れないかもしれません。

 

しかし、それでもなお謎解きそのものは本書のメインではないと思います。

確かに本書では白骨で見つかった子は何故そうなってしまったのか、なぜそれまで行方不明者にもならなかったのかが追及されています。

それでもなお、本書『琥珀の夏』で描かれているのはこれまで述べてきたように親と子のあり方であり、教育というもののありようです。

とくに、個人的には記憶の中から掘り起こした法子の「友達」に対する思いを描いてあるように思えるのです。

 

辻村深月という作家のストーリーテラーとしての存在はあらためて言うまでもありませんが、本書もまた読みふけってしまう作品でした。

あまり書くとネタバレになりますので書けませんが、それでもなおミステリーとしても面白くでき上っています。

個人的には第15回本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』ほどの面白さはないとは思うのですが、それでもなお本書なりの面白さは否定できません。

 

 

とくに後半になり、弁護士の法子が本格的に動き始めるころからは一気に読み終えてしまいました。

辻村深月という人はこれから先も作品を追いかけていく作家さんであるようです。

スロウハイツの神様

人気作家チヨダ・コーキの小説で人が死んだ―あの事件から十年。アパート「スロウハイツ」ではオーナーである脚本家の赤羽環とコーキ、そして友人たちが共同生活を送っていた。夢を語り、物語を作る。好きなことに没頭し、刺激し合っていた6人。空室だった201号室に、新たな住人がやってくるまでは。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

莉々亜が新たな居住者として加わり、コーキに急接近を始める。少しずつ変わっていく「スロウハイツ」の人間関係。そんな中、あの事件の直後に百二十八通もの手紙で、潰れそうだったコーキを救った一人の少女に注目が集まる。彼女は誰なのか。そして環が受け取った一つの荷物が彼らの時間を動かし始める。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

登場人物
赤羽環 絶賛売り出し中の若手女性脚本家
千代田公輝 小説家
狩野壮太 漫画家の卵
長野正義 映画監督の卵 森永すみれの彼氏
森永すみれ 愛称スー 画家の卵 長野正義の彼女
黒木智志 編集者
円屋伸一 環の親友
加々美莉々亜 自称小説家

 

様々なジャンルの若きクリエーターたちが集まって生活する姿を描いた、文庫本で上下二巻の長編の青春小説です。

恋愛小説の一形態と言ってもいいかもしれません。

この作家の作品らしく一応の水準の面白さは持っているものの、これまでに私が読んだこの作者の作品の中では最も感情移入しにくい小説でした。

 

本名を千代田公輝という作家のチヨダ・コーキを核として、あるアパートに集まったクリエーターたちの青春の一時期を描いた作品ですが、その実、狩野壮太を主な語り部とする赤羽環の物語と言えると思います。

 

今では大御所となっている漫画家たちの梁山泊とも言われるあの「トキワ荘」のように、チヨダ・コーキのファンを自称する脚本家赤羽環所有のアパートで暮らす若者たちの話です。

そこにはいまだ売れない漫画家のたまごや絵描きなど、さまざまな創り手たちが集い、各々の仕事で悩み、恋心で悩んでいる姿が描かれています。

彼らの中心には作家のチヨダ・コーキがいて、かれの作品により人生が変わった人や、彼の作品を巡る盗作騒ぎなど、様々な事件が起きます。

そして本書の中ほどから加々美莉々亜という女の子が「スロウハイツ」の住人となってからは本書の物語が大きく動き始めるのです。

中でも「鼓動チカラ」というペンネームの、チヨダ・コーキの作風を真似る作家の登場は、少しではありますが、その正体を巡り本書にミステリアスな側面ももたらしてくれます。

 

最終的にはこの作家の作品らしく、本書の最初から貼られていた壮大な伏線の回収が始まるのですが、それはまさに推理小説の謎解きのようでもあります。

この伏線回収の部分はさすが辻村深月だと思わせられるものであり、本書に対し感じていた若干の冗長性も一気に解消されるほどのものではありました。

 

そうした面白さの要素をふんだんに詰め込んだ作品でありながらも、何故私が感情移入できないでいたのかを考えると、それはやはり登場人物たち、彼らの状況の設定にリアリティーを感じなかったからだと思います。

加えて、チヨダ・コーキという作家の作品の非現実的な人気の獲得のあり方、など、それら全体に違和感を感じたのです。

 

ただ、本書の実質的な主人公で「スロウハイツ」のオーナーである赤羽環の生き方が物語の中心にあると思われ、本書を彼女の物語としてみると本書の印象は若干変わってきます。

クライマックスで明かされる赤羽環という人物の物語はそれとして面白いものでした。

それは、つまりは本書のクライマックスに魅力を感じているということだと思われ、とするならば本書に感情移入できなかったというのは間違いなのかもしれません。

 

ともあれ素直な感想としてこの作者であればもう少し面白い物語を描けるというハードルの高さを設定していたということはありそうです。

なお、チヨダ・コーキのデビュー作という設定の作品として、私は未読の『V.T.R』という作品があります。この本の解説は赤羽環となっているそうです。

 

 

また演劇集団キャラメルボックスによって舞台化もされていて、かなりの評価を受けたとありました。

 

そして、桂明日香の画で漫画化もされ、Kissコミックスから全四巻で刊行されています。

 

 

ぼくのメジャースプーン

ぼくらを襲った事件はテレビのニュースよりもっとずっとどうしようもなくひどかった―。ある日、学校で起きた陰惨な事件。ぼくの幼なじみ、ふみちゃんはショックのあまり心を閉ざし、言葉を失った。彼女のため、犯人に対してぼくだけにできることがある。チャンスは本当に一度だけ。これはぼくの闘いだ。(「BOOK」データベースより)

 

人に自分の思い通りの行動をとらせることができる能力を持った小学四年生の“ぼく”の行動を描いた作品で、文庫本で六百頁弱という長さをもった長編の現代小説です。

この作品も入院先のベッドの上で一気に読んでしまった作品です。

 

“ぼく”の小学校のクラスでは十匹のウサギを飼っていたが、ある日そのウサギは無残にも殺されてしまう。犯人である二十歳の大学生市川雄太は、単に面白いと思ったから殺したというのだ。

殺されていたウサギを発見したのは“ぼく”の幼馴染の“ふみ”という女の子で、“ふみ”ちゃんはそれ以来自分の殻に閉じこもってしまい、誰とも話そうともせずに部屋から出ようともしなくなってしまう。

自分の“能力”を使ってウサギを殺した犯人の市川雄太に復讐しようとする“ぼく”を心配した母親は、同じ“能力”の遣い手でもある親戚の秋山という大学の先生に力の使い方の教わるようにと命じるのだった。

 

本書の中の「市川雄太が壊したもの。うさぎの身体とその命。ふみちゃんの心。」という一文が重く響きます。

子供たちが飼育していたウサギを殺すということは、たとえその行為によって子供たちの心が傷つけられたとしても、法律上は器物損壊でしかなく、それ以上の罪に問うことは出来ません。

だからこそ、“ぼく”は市川雄太に対し自分の能力を使って復讐をしようと考えるのでした。

 

本書は、一週間後に設定された加害者市川雄太との面会日を前に、この能力の遣い手でもある大学の先生とぼくとの間のこの能力に関する会話を中心として成立しています。

秋山一樹Ⅾ大学教育学部児童心理学科教授が「条件ゲーム提示能力」と名付けていたこの能力とは、「相手の潜在能力を引き出すための呪い」をかける力のことでした。

他の小説では、こした能力を使うことの利点や欠点やより詳しい使い方などは、この特別な能力を実際に使う中で学んでいくという設定が普通ではないかと思われます。

しかし、本書ではそうではなく、この能力を使うことの意味をまず時間をかけて学んでいきます。

そしてその学習の過程で弱者の保護や他者への加害行為の持つ意味などを学び、同時に読者に考える材料を提示していきます。

本書は、この能力について学ぶこと、この能力について話すことそのものが物語の大半を占める、あらためて考えると実に奇妙な物語でした。

 

辻村深月という作家は、通常人とは異なる超自然的な能力を有する人物を設定し、その能力があるからこそ普通人では考えることもない人間の本質について考察せざるを得ない状況を作り出す物語が多いようです。

例えば、この作家の『ツナグ』という作品もそうです。一生に一度だけ、死者との再会を叶えてくれるという「使者」の能力を通して人の「生」や「死」について考えさせられる物語でした。

 

 

他に梶尾真治も特殊な状況を設定し、その状況の中での独特な人間模様を描き出すという手法が得意な作家さんです。

この作者の『ボクハ・ココニ・イマス 消失刑』という作品では、個人の特殊能力ではありませんが、他者に認識されない囚人という特殊な状況を設定し、その状況のもとでの人間ドラマが描かれていました。

 

 

また浅倉卓弥の『四日間の奇蹟』という作品も、個人の特殊能力ではない人格の入れ替わりという特別な状況のもとで、人生を見つめ直すという感動的な物語でした。

 

 

本書『ぼくのメジャースプーン』では能力の主体である主人公が小学四年生であり、多分本書の読者の年齢層とは異なると思えます。

しかし小学生だからこそ、この能力を、心に傷を負った幼馴染みの哀しみの代償として犯人に対し使う行為が打算の無いものとしてあり得たと思われます。

その上で、少年の純粋な行為の持つ意味を真摯にとらえ、考察することができる状況が生まれ、感動を呼ぶ物語として仕上がっているのではないのでしょうか。

そうした状況を作りだす辻村深月という作家さんの能力のすごさに脱帽するばかりです。

 

今後も未読の作品が多くある作家さんです。書評家の藤田香織氏が、解説に「「思いがけない再会」があると」書いておられる『名前探しの放課後』を読んでみたいと思います。

 

 

ちなみに、タイトルの「メジャースプーン」は計量スプーンのことであり、ぼくがふみちゃんからもらって大事にしている宝物のことです。

ハケンアニメ!

1クールごとに組む相手を変え、新タイトルに挑むアニメ制作の現場は、新たな季節を迎えた。伝説の天才アニメ監督・王子千晴を口説いたプロデューサー・有科香屋子は、早くも面倒を抱えている。同クールには気鋭の監督・斎藤瞳と敏腕プロデューサー・行城理が手掛ける話題作もオンエアされる。ファンの心を掴むのはどの作品か。声優、アニメーターから物語の舞台まで巻き込んで、熱いドラマが舞台裏でも繰り広げられる―。(「BOOK」データベースより)

 

アニメ業界を舞台に、三組の業界人の仕事を中心に描き出した長編のお仕事小説です。

お仕事小説の常として、自分が知らない世界を垣間見せてくれること、それもアニメ業界という個人的に無関係でもない世界を教えてくれる作品でもあり、楽しく、そして面白く読ませてもらえました。

 

最初は、その『ハケンアニメ!』というタイトルから、本書の中で有科香屋子も知らなかったように、アニメ業界で働く派遣社員の奮闘記だと思っていました。

しかし、ここで言う“ハケン”は“派遣”ではなく「覇権」の意味であって、同時期に放映されるアニメ作品の中でどの作品が頂点をとるか、という意味だったのです。

 

第一章「王子と猛獣使い」は、アニメ「運命戦線リデルライト」のプロデューサーの有科香屋子と監督の王子千晴の物語。

第二章「女王様と風見鶏」は、アニメ「サウンドバック 奏の石」のプロデューサーの行城理と新人監督の斎藤瞳の物語。

第三章「軍隊アリと公務員」は、それ両方の作品に関わっているアニメーターの並澤和奈と選永市観光課の宗森周平の物語。

以上のような内容だと、一応は言うことができます。しかし、各章は相互に関連していて、全体として一編の物語を構成しているのです。

 

そこには、アニメーション動画とはいかなるものなのか、アニメの世界に浸る人たちはどういう感覚でアニメを見ているのか、アニメを仕事としている人たちはどのような仕事をしているのか、などの豆知識が可能な限り詰め込まれています。

それに加えて、登場する女性の恋心があったり、アニメ業界とは離れた聖地と呼ばれる場所の役所の仕事の様子が描かれたりと、いろんな事柄がふんだんに盛り込まれたサービス満点のお仕事小説であり、青春小説なのです。

 

勿論、現実の業界は厳しいという話は聞きます。

日本のアニメは世界に誇る財産である、などと言われながらもその実態は低賃金で苦しむ、アニメーターと呼ばれる人たちの苦労の上にある、という話も聞きかじりながら聞いたことがあります。

そうした現実を前提に、それでもテレビや映画のアニメ作品が子供たちのみならず、大人にさえも夢を与えている現実があります。

私も「鉄腕アトム」の時代から「エイトマン」などを経て漫画やアニメに夢を見させてもらった人間です。還暦を過ぎた今でもアニメや漫画が好きで没頭する人間でもあります。

 

 

確かに、萌え系と言われる作品群は好みではありませんが、それでもやはり漫画、アニメは一つの文化として確立されていて、維持していくべきものでしょう。

漫画とアニメを一緒にするべきではないという意見もあるかもしれませんが、私にとって同じ路線です。

 

話を本書に戻すと、本書第一章の冒頭ではプロデューサーの有科香屋子の仕事を中心に描かれます。王子監督が行方不明になり、作品の行方について四苦八苦しているのです。

そもそもプロデューサーとは何かと言えば、「制作全体の統括を行う職業」です( マイナビニュース )。

そして本書によると、アニメのプロデューサーは複数いるのが普通であり、出来上がった商品の販売などには関わらない、「監督始めスタッフとの実際のアニメ制作に寄り添う者」だということになります。

そのプロデューサーの香屋子が責任を負うはずの王子監督が行方不明になり、作品の核である監督を守るというその覚悟だけで監督変更という社長の指示を無視しています。

現実に王子監督のような我儘は普通は通るはずもなく、さすがに本書のような状況ではアニメ業界でも監督はクビになるでしょう。

でも個人的には気になりますが、ここはある種の痛快小説だから許されるということで、その点は無視すべきなのでしょう。

他にも、アニメの声優との確執があったり、プロデューサーも大変です。

 

次の第二章では逆に、監督である斎藤瞳の目線で話は進みます。

詳しくは略しますが、プロデューサーの行城の商売のことしか考えない態度に職人的な瞳はついていけないようにも感じながら、そうした壁を乗り越えて作品は出来ていきます。

 

そして、第三章では現場のアニメーター並澤和奈の目線で、アニメーターの仕事やアニメー映画の世界でよく言われる「聖地」とのかかわりが描かれます。

単に観光客が増えていいというばかりではなく、様々なトラブルも起きているのが現状です。そうした裏側を役場の観光課に勤務する一人の青年を通して描いてあります。

先年大ヒットした「君の名は」ではアニメ映画と主題歌、ファンの聖地巡礼など話題になったので覚えている方も多いのではないでしょうか。

 

 

以上のように、本書は私の知る辻村深月という作家さんの仕事とは思えないほどの内容の、アニメ業界の知識も織り込んだ物語で、かなり一気に読み終えてしまいました。

というのも、最初に読んだこの作者の『鍵のない夢を見る』が少々好みと違ったものの、次に読んだ本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』が非常に面白く、更にその次の『ツナグ』もまたファンタジックなタッチで面白く読んだのです。

 

 

その勢いで本書を読んだのですが、これまで読んだどの作品とも印象が違い、お仕事小説という分野であることもさることながら、有川浩三浦しをんという作家さんとの共通項が多いことに驚きました。

それは、どの作家さんも文章が読みやすいこともさることながら、ユーモラスでリズミカルな文体、底抜けに明るい登場人物、そして何よりも未来を向いた物語などを感じます。

それは結構なことであり、そうした色の中に埋没さえしてしまわなければいいと思うのです。

そういう意味でも、面白く読んだ作品でした。

ツナグ

一生に一度だけ、死者との再会を叶えてくれるという「使者」。突然死したアイドルが心の支えだったOL、年老いた母に癌告知出来なかった頑固な息子、親友に抱いた嫉妬心に苛まれる女子高生、失踪した婚約者を待ち続ける会社員…ツナグの仲介のもと再会した生者と死者。それぞれの想いをかかえた一夜の邂逅は、何をもたらすのだろうか。心の隅々に染み入る感動の連作長編小説。 (「BOOK」データベースより)

 

辻村深月著の『ツナグ』は、死者との再会を通して様々な人間ドラマを描き出す感動の長編小説で、第32回吉川英治文学新人賞を受賞した作品です。

さすが辻村深月と言えるほどによく練られた構成を持った、皆が高く評価する理由も納得できる素敵な物語でした。

 


 

「死」をテーマにする小説作品と言えば、まずは医療ものや山岳ものの小説がすぐ頭に浮かびます。これらは現実社会の中での直接的な死の物語です。

しかし、本書のように通常の生活の中での死者との対話となると、それはSFもしくはホラー、またはファンタジー小説の分野ということになるでしょう。

 

そして、死者との再会というテーマ自体は決して珍しいものではないと思われます。

例えば、SF小説の分野ではタイムマシンに乗れば過去へ戻るのは簡単であり、そこには当然死んだ人もいて、設定次第で会うことは可能です。

時間旅行ものと言えば梶尾真治がおり、その作品で『黄泉がえり』では文字通り死者がよみがえります。この作品は草薙剛と竹内結子主演で映画化され、柴崎コウの主題歌も大ヒットしました。

 

 

過去への旅というテーマでは浅田次郎も『地下鉄に乗って』という作品を書いています。

ある日突然、地下鉄から地上へ出るとそこは過去の世界であり、主人公は自分の父親と出会います。けっして仲が良いとは言えなかった父親の生きざまを見て、父親に対する主人公の思いも変化するのです。この映画も堤真一を主人公として映画化されています。

 

 

また、ファンタジックな物語として本書と似た作品として、川口俊和の『コーヒーが冷めないうちに』という切なさにあふれた作品があります。

ある喫茶店のある席に座ると、注がれた珈琲が冷めない間だけ、一定の条件のもとに過去に戻ることができるというのです。この作品も有村架純主演で映画化されています。

 

 

このように、テーマ自体は特別なものではないのですが、当然のことながら処理の仕方が作家によって異なります。

黄泉がえり』はロマンチシズムにあふれ、『地下鉄に乗って』はしっとりと心に染み入り、『コーヒーが冷めないうちに』は切なさに満ちた物語として仕上がっているのです。

そんな作品群の中で、本書辻村深月の『ツナグ』は、各物語が連作短編風に紡がれていきます。

ところが、読み終えてみると個々の話は大きな仕掛けの中に位置づけられる話であり、最終的に本書全体として一編の長編物語として成立しています。

詳しく書くとネタバレになりかねないので書きませんが、こうした作品はやはり一読してもらわないとわからないでしょう。

 

この作家は最初に読んだ『鍵のない夢を見る』という直木賞受賞作品が今一つ心に響いてこず、その後手に取ることもなかったのですが、本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』でこの作家の面白さを再認識させられたものです。

 

 

それに、近時、『ツナグ 想い人の心得』という本書の続編が出版され、ベストセラーになっていることもあって本書を手に取る気になったものです。

早速読みたいと思っています。

 

かがみの孤城

本書『かがみの孤城』は、文庫本上下二巻で780頁弱にもなる長編のファンタジー小説で、2018年の本屋大賞を受賞した、実に面白い、読み応えのある作品です。

 

学校での居場所をなくし、閉じこもっていた“こころ”の目の前で、ある日突然部屋の鏡が光り始めた。
輝く鏡をくぐり抜けた先にあったのは、城のような不思議な建物。
そこには“こころ”を含め、似た境遇の7人が集められていた。
なぜこの7人が、なぜこの場所に――
すべてが明らかになるとき、驚きとともに大きな感動に包まれる。
生きづらさを感じているすべての人に贈る物語。
本屋大賞受賞ほか、圧倒的支持を受け堂々8冠のベストセラー。(「BOOK」データベースより)

 

本書『かがみの孤城』と同じく本屋大賞を受賞した作品である上橋菜穂子の『鹿の王』を読んだときと同じような印象を持った、やはり本屋大賞受賞作品は素晴らしく、そして面白い、と改めて感じる作品でした。

勿論、内容は全く異なります。『鹿の王』(角川文庫 全四巻)は異世界を舞台にしたファンタジーであり、人の命と医療などについて深く考えさせられる物語でした。

それに対し、本書『かがみの孤城』は、自分の居場所を無くした現実の中学生が、現実と異世界とを行き来し、自分の居場所を見つける物語です。

 

 

それでも同じ印象を持ったというのは、共にファンタジーであるということもそうですが、物語の世界の組み立て方が実に丁寧であり、構築された世界が堅牢であって、全く違和感なく物語の世界を楽しむことができる、という点での共通点を感じたからだと思います。

物語の世界が慎重に組み立てられている物語は読んでいて実に気持ちがいいものです。物語の世界に少しの破綻があると、そこから感情移入していた気持ち自体が冷めてしまい、一気に面白さが失せてしまいます。

 

そうした堅牢な世界が構築されているということは、本書の謎ときの側面が丁寧に組み立てられていることにも結び付いています。

張り巡らされた伏線が回収され、隠されていた事実が明らかにされるとき、ありふた言葉ではありますが、パズルのピースがピタリと当てはまったときの快感を感じさせてくれます。それは上質のミステリーを読んだときに感じることができる感覚と同質のものなのです。

例えば米澤穂信の『満願』や長岡弘樹の『傍聞き』などのような短編で小気味よいトリックが明かされるときの心地よさであり、意外性という驚きと共に、物語の序盤から貼られていた伏線が一つずつ回収されていく時の喜びでもありました。

 

 

そしてさらに本書『かがみの孤城』は、自分の居場所を失った子供たちの心の声を聞かせてくれる物語でもあります。いじめという大人社会でも問題になっている人間関係の難しさ、恐ろしさを、恐らくですが著者がフリースクールなどの現場の取材を重ねた結果の子供たちの声として示してくれていると思われます。

松崎洋の『走れ!T校バスケット部』(幻冬舎文庫 全十巻)という小説があります。この作品もいじめの問題を正面から取り上げてある良い作品でした。

ただ、小説としての出来がいいかと問われれば決して良いとは答えられません。ですが、作者の、教育とバスケットに対する情熱は本物と感じられ、小説としての出来を越えて引き込まれた作品でもありました。近く映画化の話も起きているそうです。

 

 

ともあれ、異世界の城と現実とを出入りするという本書『かがみの孤城』の設定は私の知り限りでは珍しい設定だと思います。

普通のファンタジーは本書の中にも出てくるC.S.ルイスの『ナルニア国物語』や、日本国内でも宮部みゆきの『ブレイブ・ストーリー』(角川文庫 全三巻)という作品のように異世界に転移し、そこで冒険物語を繰り広げるという形式か、先にも書いた『鹿の王』のように話自体が異世界での物語だったりします。

 

 

ただ、柳内たくみの『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』は、銀座の真ん中に異世界との通路が開くというものですが、この物語にしても主人公は異世界で暮らすことになっています。

 

 

そうした現実世界との自由な行き来が可能だという独特の設定のファンタジーである本書ですが、ただ、朝九時から夕方五時までという時間的な限定があります。

そして、異世界での行動範囲がお城の中だけという設定もユニークです。このお城はゲームをするための電気は通っているものの、水道やガスは通っておらず使えないのです。

こうした限定された世界ではありますが、個人用の部屋を用意してあることもあって、居場所を亡くした子供たちにとってはまさに自分の城を持ったに等しい場所なのでしょう。

来年の三月三十日までの限定された活動場所で、子供たちがどのような行動をとるのか、読み始めたらやめられない作品です。

しかし、それだけの価値がある作品です。