この夏の星を見る

この夏の星を見る』とは

 

本書『この夏の星を見る』は、2023年6月に488頁のハードカバーで刊行され、王様のブランチで特集された長編の青春小説です。

全国の中高校生たちは、このコロナ禍で何もかもが制限されてきましたが、そうした制限下でも何かできることはないかと動き始めた生徒たちの姿を描き出した感動作でした。

 

この夏の星を見る』の簡単なあらすじ

 

亜紗は茨城県立砂浦第三高校の二年生。顧問の綿引先生のもと、天文部で活動している。コロナ禍で部活動が次々と制限され、楽しみにしていた合宿も中止になる中、望遠鏡で星を捉えるスピードを競う「スターキャッチコンテスト」も今年は開催できないだろうと悩んでいた。真宙(まひろ)は渋谷区立ひばり森中学の一年生。27人しかいない新入生のうち、唯一の男子であることにショックを受け、「長引け、コロナ」と日々念じている。円華(まどか)は長崎県五島列島の旅館の娘。高校三年生で、吹奏楽部。旅館に他県からのお客が泊っていることで親友から距離を置かれ、やりきれない思いを抱えている時に、クラスメイトに天文台に誘われるーー。
コロナ禍による休校や緊急事態宣言、これまで誰も経験したことのない事態の中で大人たち以上に複雑な思いを抱える中高生たち。しかしコロナ禍ならではの出会いもあった。リモート会議を駆使して、全国で繋がっていく天文部の生徒たち。スターキャッチコンテストの次に彼らが狙うのはーー。
哀しさ、優しさ、あたたかさ。人間の感情のすべてがここにある。(内容紹介(出版社より))

 

この夏の星を見る』の感想

 

本書『この夏の星を見る』は、コロナ禍により行動を制限されている中高校生たちが、星を観ることを通して全国の見知らぬ仲間と交流を図る青春小説です。

王道の青春小説でありながら、2020年から始まった特殊な状況下での中・高生たちや世の中の状況をその一部ではありますが描き出してある、特殊な状況下での青春小説でもあります。

その点では、書評家の吉田大助氏が書いておられたように「記録文学としての側面」もあるのでしょう( カドブン:参照 )。

 

本書には星を見るという行為でつながっていく若者たちの姿があり、天体望遠鏡で、月はもちろん土星やその他の惑星を見た自分の少年時代を思い出しながらの読書でした。

カッシーニの間隙などの言葉も久しぶりに聞いて、当時のことを思い出していました。

本書にも出てくる「学習と科学」のうち、毎月の「科学」を楽しみにしていたのは中学生時代だと思っていたのですが、調べてみると小学生の時だったようです。

いろいろな、しかしかなり本格的な付録がついていたこの月刊誌を楽しみにしていましたし、家にあった「Newton」という科学雑誌の宇宙特集なども読みふけったことを思い出しました。

 

そうした思い出はともかく、本書で中心となる学校は「茨城県立砂浦第三高校」、「東京都渋谷区立ひばり森中学校」、それに長崎県五島列島の「長崎県立泉水高校」の三校です。

登場人物を列挙すると、茨城県立砂浦第三高校の天文部顧問が綿引邦弘先生で、中心となるのが天文部二年生の溪本亜紗で、亜紗の同級生が飯塚凛久、先輩として天文部部長の山崎晴菜がいます。

次に渋谷のひばり森中学校は、理科部顧問が森村尚哉先生、そして一年生でただ一人の男子の安藤真宙、そのクラスメイトの中井天音がおり、のちに真宙のサッカーチーム時代の五歳年上の友人都立御崎台高校の柳数生が加わります。それに、要所で手伝ってくれる鎌田潤貴先輩がいました。

最後に長崎県五島列島の泉水高校は部活動ではなく、三年生のクラスメートの三人であり、五島天文台館長の才津勇作が世話をしていて、佐々野円華武藤柊小山友悟がいます。それに、武藤と小山と同じ離島ステイという留学制度の利用者だった輿凌士が、今は東京の実家に戻っています。

他にも多くの人物が登場しますが、中心となるのは以上に挙げた人たちです。

 

コロナ禍の暮らしの中で、友人に島外のお客と接する事があるからコロナの恐れがあるから一緒に帰れないと言われた佐々野円華や、入学したら学年でただ一人の男子であってことに悩む安藤真宙など、それぞれに悩みを抱えながら生きているのです。

そんな彼らが、自作の望遠鏡で指示された星を見つけるスピードを競う「スターキャッチコンテスト」を通して繋がっていく姿は、新鮮であり若干の羨ましささえ感じます。

そこにあるのは自分たちで考え、作り出し、観察する姿であり、コロナ禍などに押しつぶされることはない前向きな姿です。

 

この「スターキャッチコンテスト」は、現実に茨城県立土浦三高が行っている天体観測競技会がモデルだそうです。

詳しくは下記を参照してください。

 

本書『この夏の星を見る』については、展開が都合がよすぎるだろうなどという意地悪な感想も沸いてはきました。

しかし、それ以上に若者たちやそれを取り巻く大人たちのエネルギーに満ちた物語であり、輝きに満ちた物語だという印象が強い作品でした。

ツナグ 想い人の心得

ツナグ』とは

 

本書『ツナグ 想い人の心得』は『ツナグシリーズ』の第二弾で、2019年10月に刊行されて2022年6月に416頁の文庫として出版された、連作の短編小説集です。

前巻の『ツナグ』から七年後の世界での歩美の生き方を中心に描かれた、前巻同様の感動的な作品です。

 

ツナグ』の簡単なあらすじ

 

僕が使者だと打ち明けようかー。死者との面会を叶える役目を祖母から受け継いで七年目。渋谷歩美は会社員として働きながら、使者の務めも続けていた。「代理」で頼みに来た若手俳優、歴史の資料でしか接したことのない相手を指名する元教員、亡くした娘を思う二人の母親。切実な思いを抱える依頼人に応える歩美だったが、初めての迷いが訪れて…。心揺さぶるベストセラー、待望の続編!(「BOOK」データベースより)

 

プロポーズの心得
使者から代理での依頼はだめだと断られた神谷ゆずるは、せっかくの機会だからと、顔も知らない父久間田市郎に会うことにした。母親はゆずるがいていてよかったと言ってくれていたのだが、ゆずるは父親から逃がれた母親の人生を縛ったのではないかと悩んでいたのだ。

歴史探究の心得
おもちゃメーカーの「つみきの森」で働き始めて二年目の歩美は、鶏野工房に向かう途中で使者への連絡を受けた。新潟県の元公立高校の校長だったという依頼者の鮫川は、上川岳満という郷土の名士の研究家として二つの謎を知りたいというのだった。

母の心得
二組の母娘の物語。一組は重田彰一・実里夫妻が依頼人で、相手は五年前に水難事故で六歳で亡くなった娘重田芽生であり、もう一組の依頼人は小笠原時子で、相手は二十年以上も前に二十六で亡くなったその娘の瑛子だった。共に母親の子に対する責任が問われる。

一人娘の心得
鶏野工房の一人娘の奈緒は父親のあとを継ごうと努力していたが、その父親が突然心臓病で亡くなってしまう。歩美は奈緒のことについて社長からは何も聞いていないものの、自分の「使者」としての立場を教えるべきかどうかを悩むのだった。

想い人の心得
蜂谷茂老人は、何度も袖岡絢子という蜂谷が修行していた料亭の体の弱い一人娘との再会を依頼し、その都度断られ続けられていた。蜂谷は、今年は「あの小僧だった蜂谷も、とうとう八十五になりました」と伝えてほしいというのだった。

 

ツナグ』の感想

 

本書『ツナグ 想い人の心得』は、前巻の『ツナグ』から七年が経過しています。

 

 

本書の主役である渋谷歩美は、祖母アイ子から受け継いだ使者の仕事を専業にする道は選ばずに自立の道を選んでいます。

その道が「つみきの森」という玩具メーカーで企画担当として働くことであり、「使者」としての仕事もこなしているのです。

本書『ツナグ 想い人の心得』が前巻の『ツナグ』と異なるところといえば、この歩美が使者としてだけではなく、歩美の「つみきの森」の取引先である鶏野工房との関りが全編にわたって前面に出てきているところでしょう。

そして、描かれる人間ドラマも各話で語られる依頼人に関しての物語であると同時に、本書全体を通して、歩美の社会人としての生活に加えてプライベートな側面も描かれています。

同時に、使者としての立場での秋山家との関りはこれまで通りであり、ただ新たに秋山杏奈という歩美の後継者が登場しています。

 

この杏奈が、本書第一話「プロポーズの心得」で使者として登場することにまず驚かされます。

この驚きは前巻から七年という時が経過していることによるものですが、作者の「読者の意表をつきたかった」という言葉、そのいたずら心が垣間見える箇所でもあります( 新刊JP : 参照 )。

この遊び心も作者の物語の魅力の一つになっていると同時に、本書での杏奈という存在の大きさも示しているのでしょう。

杏奈はまだ八歳なのですが、歩美はこの杏奈に使者としての仕事に関して生じた疑問や悩みを相談し、杏奈から助言を受けまた先に進めるのです。

つまりは、前巻での祖母渋谷アイ子の立ち位置に杏奈がいることを示しています。

また、この第一話で使者として杏奈が登場する理由として、第一巻の第三話「親友の心得」に登場した嵐美砂とのからみがあることを示し、また嵐美砂のその後をも明らかにしていることもシリーズものとしての醍醐味と言えるでしょう。

 

本書『ツナグ 想い人の心得』で特筆すべき第二の点は、第二話「歴史探究の心得」で依頼者が会いたいという相手が歴史上の人物であることです。

つまり、作者の遊び心という点で、第二話で登場してくる上川岳満という存在を設定したところに興味を惹かれます。

いかにも歴史上実在した人物であるかのような描き方をしてあるのですが、実はそうした意図をもって作出した作者の創作した人物だというのです( 新刊JP : 参照 )。また、上川岳満に関連した歴史上の出来事もリアリティーを持った書き方をしてあります。

驚くべきは物語の中ではある和歌が重要な役割を果たしているのですが、その和歌も俳人の川村蘭太氏に依頼したと言っておられることです。

それだけの物語に真実味を持たせる描き方をされているという証左なのでしょう。

この物語は、現実の歴史解釈の面白さ、という意味でも実に楽しい物語でした。

 

さらには、第三話の「母の心得」で登場してくる二組の母娘の話も、実話をもとにして書かれているということです。

ご本人たちの了解を持ったうえで物語として組み立てられているそうで、作家という職業の裏側も垣間見える話でした。

 

そして、なによりも本シリーズの主役である歩美のプライベートな話を絡めての物語の組み立てが為されているところが一番の特徴と言えるでしょう。

その一番の舞台となるのが、「鶏野工房」という歩美が勤め始めた玩具メーカー「つみきの森」の取引先です。

今後このシリーズがどのように展開するのかは分かりませんが、作者の辻村深月が『ツナグシリーズ』をライフワークとしたいとのことなので( ANANニュース ENTAME : 参照 )、続編が予定されていると思われ、この「鶏野工房」が重要な位置を占めるのだろうと考えているのです。

ともあれ、本書『ツナグ 想い人の心得』は作家辻村深月らしさが満載の作品であり、以降の続巻が出るのを期待したい作品でした。

ツナグシリーズ

ツナグシリーズ』とは

 

本書『ツナグシリーズ』は、一生に一度だけの死者との再会を叶える使者「ツナグ」をめぐる物語です。

連作の短編小説の形を取ってはいますが、特に第二弾の『ツナグ 想い人の心得』は実質長編小説と言ったほうがいいかもしれません。

 

ツナグシリーズ』の作品

 

ツナグシリーズ(2022年09月20日現在)

  1. ツナグ
  1. ツナグ 想い人の心得

 

ツナグシリーズ』について

 

ツナグとは、一生に一度だけの死者との再会を叶える使者のことです。

第一弾の『ツナグ』は、第32回吉川英治文学新人賞受賞作を受賞し、百万部を超えるベストセラーとなった作品で、2012年に松坂桃李の主演で映画化もされました( 新刊JP : 参照 )。

 

 

本『ツナグシリーズ』の主役である使者(ツナグ)は、依頼を受けると、対象となった死者と交渉して依頼者に会うつもりがあるかどうかを確認し、死者の了承が得られたら使者が面会の段取りを整えることになります。

ここで、依頼人と死者との面会にはルールがあります。

まず、使者への依頼は本人でないとだめで、シリーズ第二弾の『ツナグ 想い人の心得』第一話で示されているような他人による代理での頼みは受け付けられません。

また、死者にも依頼を受けるかどうかを選ぶ権利があり、断られればそれで終わりです。

相手が断ればその一回はカウントされませんが、その依頼者が再び使者と繋がれるかどうかは“ご縁”だから分かりません。

死者との面会は依頼者にも死者にも一度きりの機会であり、さらに一人の死者に対して会うことのできる人間は一人だけです。

依頼料はなくて無料であり、面会の日は満月の日が多いようです。

使者と依頼人が会えるかどうかは、すべて“ご縁”によります。どれだけ電話をかけても繋がらない人がいる一方で、繋がる人のところには自然と縁あって繋がれます。

 

本『ツナグシリーズ』の主役は渋谷歩美といい、第一弾の『ツナグ』では十七歳の高校二年生です。

歩美の両親は、彼が小学一年生の時に謎の死を遂げており、その謎がシリーズ第一弾の『ツナグ』の第四話「使者の心得」で明かされることになります。

それは、歩美が祖母の渋谷アイ子から受け継いだ「使者」の仕事にも関係していたのでした。

 

両親を亡くした歩美はアイ子とともに叔父夫婦のもとで育ち、シリーズ第一弾『ツナグ』では高校生として登場しています。

そして、シリーズ第二弾『ツナグ 想い人の心得』では、おもちゃを扱うメーカー「つみきの森」に勤めており、アイ子の実家である秋山家には使者の役目に対するサポートだけをお願いしているのです。

 

作者の辻村深月は、本『ツナグシリーズ』をライフワークとしたいと書いておられるので、もしかしたら今後も続編が出版されるのではないかと期待しています( ANANニュース ENTAME : 参照 )。

それほどに、じっくりと読むことができる作品だと思うのです。

レジェンドアニメ!

レジェンドアニメ!』とは

 

本書『レジェンドアニメ!』は2022年3月に刊行された、アニメ業界を舞台にした270頁のお仕事短編小説集です。

2014年に刊行された『ハケンアニメ!』という作品のスピンオフ作品集であり、そこでの登場人物を主人公に据えた六編の短編で構成されています。

 

レジェンドアニメ!』の簡単なあらすじ

 

誰にだって負けたくない人がいる!ともに働きたい人がいる!待望の『ハケンアニメ!』スピンオフ作品集。夢と希望。情熱とプライド。愛と敬意ー何度でも心震える『ハケンアニメ!』のサイドストーリーを完全収録。(「BOOK」データベースより)

 

目次
九年前のクリスマス/声と音の冒険/夜の底の太陽/執事とかぐや姫/ハケンじゃないアニメ/次の現場へ

簡単なあらすじは、下記の感想の中にまさに簡単に記しています。

 

レジェンドアニメ!』の感想

 

本書『レジェンドアニメ!』は『ハケンアニメ!』に登場してきた人物を個々の物語の主人公として描かれた短編作品集です。

 

 

ここでスピンオフ作品である『レジェンドアニメ!』を読むための前提知識として、本編作品の『ハケンアニメ!』の内容を簡単に書いておきます。

そこでは「運命戦線リデルライト」と「サウンドバック 奏の石」という作品が覇権を争っています。

そして、「運命戦線リデルライト」のプロデューサーが有科香屋子で、監督が王子千晴であり、後に「サバク」と称される「サウンドバック 奏の石」という作品のプロデューサーが行城理で、監督が斎藤瞳であって、並澤和奈がアニメーターをしています。

加えて並澤和奈と選永市観光課の宗森周平の物語がさらにあり、アニメ関連業界の広さが示されています。

また、そのほかにも本書『レジェンドアニメ!』に登場する五條正臣や逢里哲哉、鞠野カエデといった人たちも登場しています。

 

その前提で本書『レジェンドアニメ!』を見ると、第一話「九年前のクリスマス」では、有科香屋子斎藤瞳並澤和奈の三人の九年前の姿があります。

第二話「声と音の冒険」では、天才アニメ監督の王子千晴の若い頃の姿が、当時はトウケイ動画音響部所属のミキサーだった現在の『運命戦線リデルライト』音響監督の五條正臣の目を通して描かれています。

第三話「夜の底の太陽」では、小学五年生の三人組の行動に絡んで若い頃のある人物が登場します。

第四話「執事とかぐや姫」は、アニメに関連するフィギュア制作会社の社員逢里哲哉とフィギュアを作る造形師鞠野カエデの物語で、並澤和奈のいる新潟県選永市の「ファインガーデン」へと繋がります。

第五話「ハケンじゃないアニメ」は、覇権を目指さない安定したアニメ「お江戸のニイ太」の若手プロデューサー和山和人の話で、斎藤瞳が登場します。

第六話「次の現場へ」は、業界人の結婚式を舞台に有科香屋子王子千晴並澤和奈らが登場し、さらに『スロウハイツの神様』のチヨダ・コーキ赤羽環といったクリエーターたちが参加しています。

 

 

ハケンアニメ!』の項でも書きましたが、アニメ業界のことは何も知らない私ですが、アニメ自体は嫌いではありません。というより私の年代にしては好きな方だと思っています。

ただ、近年のアニメは画や効果などの技術は進歩しているものの、派手になり過ぎている印象があるのも事実です。

やはり年代差はあるのでしょう。そうした中でも本書『レジェンドアニメ!』はアニメ作品を作り出す人たちの姿を描いている点で楽しく読むことができました。

でも、この世界を描くうえでのデフォルメは相当に加えてあるのだろう、とは感じます。

アニメーターが消耗品的な扱われ方をされており、中国や韓国のアニメーションに追い抜かれている現状だと何かの文章を読んだことがありますが、そうした現状は本書では全く分かりません。

もちろんそれは当然で、本書で描かれているのはアニメーション動画の監督やプロデューサー、アニメーターの姿、そして彼らのアニメに対する姿勢を描いているのであって、それ以上のものではないからです。

 

私にもこの業界で働いている身内がいるので個人的にも気なる業界ではあります。

どの仕事でもそうですが、自分が抱える仕事に対し真摯に向き合う姿勢がないとその仕事は半端なものになりがちです。

そうした意味でも本書『レジェンドアニメ!』は、どの業界にもある負の側面は捨象し、創造的な側面をみせ、その中で精一杯苦悩しながらも仲間に助けられる、ある種の理想かもしれませんが、未来を感じさせる楽しい作品でした。

また『スロウハイツの神様』の登場人物まで参加しているのには驚きました。

ハケンアニメ!』が映画化もされていることもあり、業界がより良い方向に向かえばと思いますし、続編的な作品がまた書かれることを期待半分に待ちたいと思います。

鍵のない夢を見る

辻村深月著の『鍵のない夢を見る』は、文庫本で269頁の暗い色調の五編の短編からなる作品集です。

日常からのちょっとした逸脱に翻弄される女性達を描いた第147回直木賞の受賞作で、個人的には好みではありませんでした。

 

鍵のない夢を見る』の簡単なあらすじ

 

第147回直木賞受賞作! !
わたしたちの心にさしこむ影と、ひと筋の希望の光を描く傑作短編集。5編収録。
「仁志野町の泥棒」誰も家に鍵をかけないような平和で閉鎖的な町にやって来た転校生の母親には千円、二千円をかすめる盗癖があり……。
「石蕗南地区の放火」田舎で婚期を逃した女の焦りと、いい年をして青年団のやり甲斐にしがみ付く男の見栄が交錯する。
「美弥谷団地の逃亡者」ご近所出会い系サイトで出会った彼氏とのリゾート地への逃避行の末に待つ、取り返しのつかないある事実。
「芹葉大学の夢と殺人」【推理作家協会賞短編部門候補作】大学で出会い、霞のような夢ばかり語る男。でも別れる決定的な理由もないから一緒にいる。そんな関係を成就するために彼女が選んだ唯一の手段とは。
「君本家の誘拐」念願の赤ちゃんだけど、どうして私ばかり大変なの? 一瞬の心の隙をついてベビーカーは消えた。(「BOOK」データベースより)

 

鍵のない夢を見る』の感想

 

物語の全体を貫くトーンの暗さもそうですが、何編かの物語には全く救いが感じらず、直木賞受賞作なのですが、個人的な好みには反している作品集でした。

トーンが暗いだけでも若干苦手なのに、そこに救いも無ければ何のためにこの物語を書いたのだろうという気になってしまいます。

 

幼馴染とのつらい思い出の結末、男のいない女の内心の葛藤、どうしようもない男と離れられない女、夢しか追えず独善的な男とから離れられない女、赤ちゃんの泣き声に追い立てられる女。

それぞれの女の内心を深く突き詰めて、読者に提示していて、文学として表現力や文章の巧拙など、私では分からない何かが評価されているのでしょう。

確かに、各物語の主人公である女たちの心の移ろいも含めての描写は、読み手の心に迫るものがあり凄いと思いました。

でも、だからこそ、と言えるのかもしれませんが、そうした心情を持つ女の物語への反発も激しいのでしょう。

ずるずると状況に引きずられて抜け出せなくなっていく女が描写されていて、男の私には良く分からない心裏もあるのですが、特に女性にはこの世界観にはまる人も多いかもしれません。

 

本書『鍵のない夢を見る』が出版されたのが2012年5月で、私が最初に辻村深月という作家の作品を読んだ最初の作品でした。

それ以来、本書に苦手意識を持った私は辻村深月の作品は読んでこなかったのです。

それほどに本書は2018年の本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』や『ツナグ』といった少年、少女を主人公に据えたいわゆる青春もの呼ばれる作品群とは異なっていたのです。

 

 

物語にエンターテインメント性を求める傾向の強い私は、『かがみの孤城』に接した後は辻村深月の作品のファンとはなるものの、本書は少々苦手とする作品なのです。

とはいえ、今では辻村深月の名前を見ればその作品を手に取るようになっています。

琥珀の夏

本書『琥珀の夏』は、新刊書で548頁にもなる長編のミステリー小説です。

ミステリーだと断言していいのか疑問もありますが、家族や親と子、特に母親と娘との関係をとらえたミステリー仕立ての作品だと言っていいでしょう。

 

琥珀の夏』の簡単なあらすじ

 

大人になる途中で、私たちが取りこぼし、忘れてしまったものは、どうなるんだろう――。封じられた時間のなかに取り残されたあの子は、どこへ行ってしまったんだろう。

かつてカルトと批判された〈ミライの学校〉の敷地から発見された子どもの白骨死体。弁護士の法子は、遺体が自分の知る少女のものではないかと胸騒ぎをおぼえる。小学生の頃に参加した〈ミライの学校〉の夏合宿。そこには自主性を育てるために親と離れて共同生活を送る子どもたちがいて、学校ではうまくやれない法子も、合宿では「ずっと友達」と言ってくれる少女に出会えたのだった。もし、あの子が死んでいたのだとしたら……。
30年前の記憶の扉が開き、幼い日の友情と罪があふれだす。

圧巻の最終章に涙が込み上げる、辻村深月の新たなる代表作。
「BOOK」データベースより)

 

ミカの最初の記憶は<ミライの学校>の玄関で、「今日からここがミカの家だよ」と言われ、それまでつないでいたはずの手がいつの間にかなくなり、ミカは涙が止まらなかったことだ。

四年生のノリコは小学校で友達ができずにいたが、夏の間の一週間だけ<ミライの学校>でもなかなか友達を作れずにいた。

そのとき友達になってくれたのが、ミカという<学び舎>の子だった。

ミカたちに会うために小学五年と六年の夏休みも<ミライの学校>へと行ったノリコだったが、六年生のときにはミカはおらず、淋しい思いをしたのだ。

大人になり弁護士となった法子は、見つかった子どもの白骨死体は自分の孫ではないかという老夫婦の依頼で<ミライの学校>へと向かうのだった。

 

琥珀の夏』の感想

 

作者の辻村深月は、「“子ども時代”を別の何かのように見ていた感覚」があったのだけれど、子どもの時間の延長線上にあるがままの自分がいることが分かってきて、それまで思っていた「記憶」を再検証しようという気持ちがあった、と書かれています( ANANニュース : 参照 )

そして本書『琥珀の夏』で、大人になった法子(ノリコ)はその言葉通りに<ミライの学校>に関する自分の記憶を掘り起こすことになります。

それは親と子、それも母親と子という普遍的な関係を見つめ直すことであり、また今の自分の生活を、そして自分の<ミライの学校>に関する記憶を再確認する作業でもあったようです。

 

そうして、依頼された事件を処理していく中で、<ミライの学校>を今の、大人の法子の目で見直していくことになります。

具体的には、<ミライの学校>の子供の自主性を尊重するという理念の検証が、子供のためという大人の目線と子供の関係を見直すことにつながります。

保育園の抽選に漏れ、共働きの夫婦であるために今後の自分の仕事への影響も考えなければならない法子は、<ミライの学校>に生活の基盤までもおいている子供たちやその親たちのことまでも思いを馳せるのです。

こうして本書『琥珀の夏』は、単純に<ミライの学校>を通して子供の教育のあり方などを考えるだけではなく、大人の思う子供のためという思想、そしてその実践活動が子供の未来を奪っているのではないかという問題提起もしています。

 

同時に、本書『琥珀の夏』は「友達」という言葉の持つ重みも感じる作品でした。

途中でノリコが「友達って何だろう。」と自問する場面があります。

普段親しげにしている友達が、相手がいない場所でその子を排除するようなことを言うのは何故なのかを考えます。小学生四年生のノリコが、一生懸命に友達という言葉について考えているのです。

そうした後で、ノリコはミカから「友達になっていい?」と問いかけられ、躊躇いなく「友達だよ」と力いっぱい答えるのです。

実際、この場面は本書において重要な場面でもあったのですが、実に印象的な場面でした。

 

本書『琥珀の夏』は、<ミライの学校>で埋められていた白骨が見つかったことから物語が展開し始めるミステリーです。

しかし、本書は普通のミステリーのように主人公が真実にたどり着く為に少しずつ謎を解明していくという展開ではありません。

自分が通った<ミライの学校>の調査をするうちに、小学生ではない、大人になった法子は<ミライの学校>の実態をつかんでいきます。

そうした白骨となって見つかった子が誰か、また誰がこの子を埋めたのかを探る過程は、いわゆる謎解きの工程といえるでしょうから、通常のミステリーとは異なるとは言い切れないかもしれません。

 

しかし、それでもなお謎解きそのものは本書のメインではないと思います。

確かに本書では白骨で見つかった子は何故そうなってしまったのか、なぜそれまで行方不明者にもならなかったのかが追及されています。

それでもなお、本書『琥珀の夏』で描かれているのはこれまで述べてきたように親と子のあり方であり、教育というもののありようです。

とくに、個人的には記憶の中から掘り起こした法子の「友達」に対する思いを描いてあるように思えるのです。

 

辻村深月という作家のストーリーテラーとしての存在はあらためて言うまでもありませんが、本書もまた読みふけってしまう作品でした。

あまり書くとネタバレになりますので書けませんが、それでもなおミステリーとしても面白くでき上っています。

個人的には第15回本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』ほどの面白さはないとは思うのですが、それでもなお本書なりの面白さは否定できません。

 

 

とくに後半になり、弁護士の法子が本格的に動き始めるころからは一気に読み終えてしまいました。

辻村深月という人はこれから先も作品を追いかけていく作家さんであるようです。

スロウハイツの神様

人気作家チヨダ・コーキの小説で人が死んだ―あの事件から十年。アパート「スロウハイツ」ではオーナーである脚本家の赤羽環とコーキ、そして友人たちが共同生活を送っていた。夢を語り、物語を作る。好きなことに没頭し、刺激し合っていた6人。空室だった201号室に、新たな住人がやってくるまでは。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

莉々亜が新たな居住者として加わり、コーキに急接近を始める。少しずつ変わっていく「スロウハイツ」の人間関係。そんな中、あの事件の直後に百二十八通もの手紙で、潰れそうだったコーキを救った一人の少女に注目が集まる。彼女は誰なのか。そして環が受け取った一つの荷物が彼らの時間を動かし始める。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

登場人物
赤羽環 絶賛売り出し中の若手女性脚本家
千代田公輝 小説家
狩野壮太 漫画家の卵
長野正義 映画監督の卵 森永すみれの彼氏
森永すみれ 愛称スー 画家の卵 長野正義の彼女
黒木智志 編集者
円屋伸一 環の親友
加々美莉々亜 自称小説家

 

様々なジャンルの若きクリエーターたちが集まって生活する姿を描いた、文庫本で上下二巻の長編の青春小説です。

恋愛小説の一形態と言ってもいいかもしれません。

この作家の作品らしく一応の水準の面白さは持っているものの、これまでに私が読んだこの作者の作品の中では最も感情移入しにくい小説でした。

 

本名を千代田公輝という作家のチヨダ・コーキを核として、あるアパートに集まったクリエーターたちの青春の一時期を描いた作品ですが、その実、狩野壮太を主な語り部とする赤羽環の物語と言えると思います。

 

今では大御所となっている漫画家たちの梁山泊とも言われるあの「トキワ荘」のように、チヨダ・コーキのファンを自称する脚本家赤羽環所有のアパートで暮らす若者たちの話です。

そこにはいまだ売れない漫画家のたまごや絵描きなど、さまざまな創り手たちが集い、各々の仕事で悩み、恋心で悩んでいる姿が描かれています。

彼らの中心には作家のチヨダ・コーキがいて、かれの作品により人生が変わった人や、彼の作品を巡る盗作騒ぎなど、様々な事件が起きます。

そして本書の中ほどから加々美莉々亜という女の子が「スロウハイツ」の住人となってからは本書の物語が大きく動き始めるのです。

中でも「鼓動チカラ」というペンネームの、チヨダ・コーキの作風を真似る作家の登場は、少しではありますが、その正体を巡り本書にミステリアスな側面ももたらしてくれます。

 

最終的にはこの作家の作品らしく、本書の最初から貼られていた壮大な伏線の回収が始まるのですが、それはまさに推理小説の謎解きのようでもあります。

この伏線回収の部分はさすが辻村深月だと思わせられるものであり、本書に対し感じていた若干の冗長性も一気に解消されるほどのものではありました。

 

そうした面白さの要素をふんだんに詰め込んだ作品でありながらも、何故私が感情移入できないでいたのかを考えると、それはやはり登場人物たち、彼らの状況の設定にリアリティーを感じなかったからだと思います。

加えて、チヨダ・コーキという作家の作品の非現実的な人気の獲得のあり方、など、それら全体に違和感を感じたのです。

 

ただ、本書の実質的な主人公で「スロウハイツ」のオーナーである赤羽環の生き方が物語の中心にあると思われ、本書を彼女の物語としてみると本書の印象は若干変わってきます。

クライマックスで明かされる赤羽環という人物の物語はそれとして面白いものでした。

それは、つまりは本書のクライマックスに魅力を感じているということだと思われ、とするならば本書に感情移入できなかったというのは間違いなのかもしれません。

 

ともあれ素直な感想としてこの作者であればもう少し面白い物語を描けるというハードルの高さを設定していたということはありそうです。

なお、チヨダ・コーキのデビュー作という設定の作品として、私は未読の『V.T.R』という作品があります。この本の解説は赤羽環となっているそうです。

 

 

また演劇集団キャラメルボックスによって舞台化もされていて、かなりの評価を受けたとありました。

 

そして、桂明日香の画で漫画化もされ、Kissコミックスから全四巻で刊行されています。

 

 

ぼくのメジャースプーン

ぼくらを襲った事件はテレビのニュースよりもっとずっとどうしようもなくひどかった―。ある日、学校で起きた陰惨な事件。ぼくの幼なじみ、ふみちゃんはショックのあまり心を閉ざし、言葉を失った。彼女のため、犯人に対してぼくだけにできることがある。チャンスは本当に一度だけ。これはぼくの闘いだ。(「BOOK」データベースより)

 

人に自分の思い通りの行動をとらせることができる能力を持った小学四年生の“ぼく”の行動を描いた作品で、文庫本で六百頁弱という長さをもった長編の現代小説です。

この作品も入院先のベッドの上で一気に読んでしまった作品です。

 

“ぼく”の小学校のクラスでは十匹のウサギを飼っていたが、ある日そのウサギは無残にも殺されてしまう。犯人である二十歳の大学生市川雄太は、単に面白いと思ったから殺したというのだ。

殺されていたウサギを発見したのは“ぼく”の幼馴染の“ふみ”という女の子で、“ふみ”ちゃんはそれ以来自分の殻に閉じこもってしまい、誰とも話そうともせずに部屋から出ようともしなくなってしまう。

自分の“能力”を使ってウサギを殺した犯人の市川雄太に復讐しようとする“ぼく”を心配した母親は、同じ“能力”の遣い手でもある親戚の秋山という大学の先生に力の使い方の教わるようにと命じるのだった。

 

本書の中の「市川雄太が壊したもの。うさぎの身体とその命。ふみちゃんの心。」という一文が重く響きます。

子供たちが飼育していたウサギを殺すということは、たとえその行為によって子供たちの心が傷つけられたとしても、法律上は器物損壊でしかなく、それ以上の罪に問うことは出来ません。

だからこそ、“ぼく”は市川雄太に対し自分の能力を使って復讐をしようと考えるのでした。

 

本書は、一週間後に設定された加害者市川雄太との面会日を前に、この能力の遣い手でもある大学の先生とぼくとの間のこの能力に関する会話を中心として成立しています。

秋山一樹Ⅾ大学教育学部児童心理学科教授が「条件ゲーム提示能力」と名付けていたこの能力とは、「相手の潜在能力を引き出すための呪い」をかける力のことでした。

他の小説では、こした能力を使うことの利点や欠点やより詳しい使い方などは、この特別な能力を実際に使う中で学んでいくという設定が普通ではないかと思われます。

しかし、本書ではそうではなく、この能力を使うことの意味をまず時間をかけて学んでいきます。

そしてその学習の過程で弱者の保護や他者への加害行為の持つ意味などを学び、同時に読者に考える材料を提示していきます。

本書は、この能力について学ぶこと、この能力について話すことそのものが物語の大半を占める、あらためて考えると実に奇妙な物語でした。

 

辻村深月という作家は、通常人とは異なる超自然的な能力を有する人物を設定し、その能力があるからこそ普通人では考えることもない人間の本質について考察せざるを得ない状況を作り出す物語が多いようです。

例えば、この作家の『ツナグ』という作品もそうです。一生に一度だけ、死者との再会を叶えてくれるという「使者」の能力を通して人の「生」や「死」について考えさせられる物語でした。

 

 

他に梶尾真治も特殊な状況を設定し、その状況の中での独特な人間模様を描き出すという手法が得意な作家さんです。

この作者の『ボクハ・ココニ・イマス 消失刑』という作品では、個人の特殊能力ではありませんが、他者に認識されない囚人という特殊な状況を設定し、その状況のもとでの人間ドラマが描かれていました。

 

 

また浅倉卓弥の『四日間の奇蹟』という作品も、個人の特殊能力ではない人格の入れ替わりという特別な状況のもとで、人生を見つめ直すという感動的な物語でした。

 

 

本書『ぼくのメジャースプーン』では能力の主体である主人公が小学四年生であり、多分本書の読者の年齢層とは異なると思えます。

しかし小学生だからこそ、この能力を、心に傷を負った幼馴染みの哀しみの代償として犯人に対し使う行為が打算の無いものとしてあり得たと思われます。

その上で、少年の純粋な行為の持つ意味を真摯にとらえ、考察することができる状況が生まれ、感動を呼ぶ物語として仕上がっているのではないのでしょうか。

そうした状況を作りだす辻村深月という作家さんの能力のすごさに脱帽するばかりです。

 

今後も未読の作品が多くある作家さんです。書評家の藤田香織氏が、解説に「「思いがけない再会」があると」書いておられる『名前探しの放課後』を読んでみたいと思います。

 

 

ちなみに、タイトルの「メジャースプーン」は計量スプーンのことであり、ぼくがふみちゃんからもらって大事にしている宝物のことです。

ハケンアニメ!

ハケンアニメ!』とは

 

本書『ハケンアニメ!』は、文庫本で622頁の、アニメ業界を舞台に、三組の業界人の仕事を中心に描き出した長編のお仕事小説です。

 

ハケンアニメ!』の簡単なあらすじ

 

1クールごとに組む相手を変え、新タイトルに挑むアニメ制作の現場は、新たな季節を迎えた。伝説の天才アニメ監督・王子千晴を口説いたプロデューサー・有科香屋子は、早くも面倒を抱えている。同クールには気鋭の監督・斎藤瞳と敏腕プロデューサー・行城理が手掛ける話題作もオンエアされる。ファンの心を掴むのはどの作品か。声優、アニメーターから物語の舞台まで巻き込んで、熱いドラマが舞台裏でも繰り広げられる―。(「BOOK」データベースより)

 

 

ハケンアニメ!』の感想

 

本書『ハケンアニメ!』は、お仕事小説の常として、自分が知らない世界を垣間見せてくれること、それもアニメ業界という、個人的に無関係でもない世界を教えてくれる作品でもあり、楽しく、そして面白く読ませてもらえました。

 

最初は、その『ハケンアニメ!』というタイトルから、本書の中で有科香屋子も知らなかったように、アニメ業界で働く派遣社員の奮闘記だと思っていました。

しかし、ここで言う“ハケン”は“派遣”ではなく「覇権」の意味であって、同時期に放映されるアニメ作品の中でどの作品が頂点をとるか、という意味だったのです。

 

第一章「王子と猛獣使い」は、アニメ「運命戦線リデルライト」のプロデューサーの有科香屋子と監督の王子千晴の物語。

第二章「女王様と風見鶏」は、アニメ「サウンドバック 奏の石」のプロデューサーの行城理と新人監督の斎藤瞳の物語。

第三章「軍隊アリと公務員」は、それ両方の作品に関わっているアニメーターの並澤和奈と選永市観光課の宗森周平の物語。

以上のような内容だと、一応は言うことができます。しかし、各章は相互に関連していて、全体として一編の物語を構成しているのです。

 

そこには、アニメーション動画とはいかなるものなのか、アニメの世界に浸る人たちはどういう感覚でアニメを見ているのか、アニメを仕事としている人たちはどのような仕事をしているのか、などの豆知識が可能な限り詰め込まれています。

それに加えて、登場する女性の恋心があったり、アニメ業界とは離れた聖地と呼ばれる場所の役所の仕事の様子が描かれたりと、いろんな事柄がふんだんに盛り込まれたサービス満点のお仕事小説であり、青春小説なのです。

 

勿論、現実の業界は厳しいという話は聞きます。

日本のアニメは世界に誇る財産である、などと言われながらもその実態は低賃金で苦しむ、アニメーターと呼ばれる人たちの苦労の上にある、という話も聞きかじりながら聞いたことがあります。

そうした現実を前提に、それでもテレビや映画のアニメ作品が子供たちのみならず、大人にさえも夢を与えている現実があります。

私も「鉄腕アトム」の時代から「エイトマン」などを経て漫画やアニメに夢を見させてもらった人間です。還暦を過ぎた今でもアニメや漫画が好きで没頭する人間でもあります。

 

 

確かに、萌え系と言われる作品群は好みではありませんが、それでもやはり漫画、アニメは一つの文化として確立されていて、維持していくべきものでしょう。

漫画とアニメを一緒にするべきではないという意見もあるかもしれませんが、私にとって同じ路線です。

 

話を本書『ハケンアニメ!』に戻すと、本書第一章の冒頭ではプロデューサーの有科香屋子の仕事を中心に描かれます。王子監督が行方不明になり、作品の行方について四苦八苦しているのです。

そもそもプロデューサーとは何かと言えば、「制作全体の統括を行う職業」です( マイナビニュース )。

そして本書によると、アニメのプロデューサーは複数いるのが普通であり、出来上がった商品の販売などには関わらない、「監督始めスタッフとの実際のアニメ制作に寄り添う者」だということになります。

そのプロデューサーの香屋子が責任を負うはずの王子監督が行方不明になり、作品の核である監督を守るというその覚悟だけで監督変更という社長の指示を無視しています。

現実に王子監督のような我儘は普通は通るはずもなく、さすがに本書のような状況ではアニメ業界でも監督はクビになるでしょう。

でも個人的には気になりますが、ここはある種の痛快小説だから許されるということで、その点は無視すべきなのでしょう。

他にも、アニメの声優との確執があったり、プロデューサーも大変です。

 

次の第二章では逆に、監督である斎藤瞳の目線で話は進みます。

詳しくは略しますが、プロデューサーの行城の商売のことしか考えない態度に職人的な瞳はついていけないようにも感じながら、そうした壁を乗り越えて作品は出来ていきます。

 

そして、第三章では現場のアニメーター並澤和奈の目線で、アニメーターの仕事やアニメー映画の世界でよく言われる「聖地」とのかかわりが描かれます。

単に観光客が増えていいというばかりではなく、様々なトラブルも起きているのが現状です。そうした裏側を役場の観光課に勤務する一人の青年を通して描いてあります。

先年大ヒットした「君の名は」ではアニメ映画と主題歌、ファンの聖地巡礼など話題になったので覚えている方も多いのではないでしょうか。

 

 

以上のように、本書『ハケンアニメ!』は私の知る辻村深月という作家さんの仕事とは思えないほどの内容の、アニメ業界の知識も織り込んだ物語で、かなり一気に読み終えてしまいました。

というのも、最初に読んだこの作者の『鍵のない夢を見る』が少々好みと違ったものの、次に読んだ本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』が非常に面白く、更にその次の『ツナグ』もまたファンタジックなタッチで面白く読んだのです。

 

 

その勢いで本書を読んだのですが、これまで読んだどの作品とも印象が違い、お仕事小説という分野であることもさることながら、有川浩三浦しをんという作家さんとの共通項が多いことに驚きました。

それは、どの作家さんも文章が読みやすいこともさることながら、ユーモラスでリズミカルな文体、底抜けに明るい登場人物、そして何よりも未来を向いた物語などを感じます。

それは結構なことであり、そうした色の中に埋没さえしてしまわなければいいと思うのです。

そういう意味でも、面白く読んだ作品でした。

 

ちなみに、本書『ハケンアニメ!』は吉岡里帆、柄本佑、中村倫也、尾野真千子といった役者さんたちを配し、実写映画化されるそうです。

 

ツナグ

ツナグ』とは

 

本書『ツナグ』は『ツナグシリーズ』の第六弾で、2010年10月に刊行されて2012年8月に441頁で文庫化された、第32回吉川英治文学新人賞を受賞した連作の長編小説です。

死者との再会を通して様々な人間ドラマを描き出した、よく練られた構成を持った感動の物語であって、皆が高く評価する理由も納得できる素敵な物語でした。

 

ツナグ』の簡単なあらすじ

 

一生に一度だけ、死者との再会を叶えてくれるという「使者」。突然死したアイドルが心の支えだったOL、年老いた母に癌告知出来なかった頑固な息子、親友に抱いた嫉妬心に苛まれる女子高生、失踪した婚約者を待ち続ける会社員…ツナグの仲介のもと再会した生者と死者。それぞれの想いをかかえた一夜の邂逅は、何をもたらすのだろうか。心の隅々に染み入る感動の連作長編小説。(「BOOK」データベースより)

 


 

アイドルの心得
自分に自信を持てない平瀬愛美は、会社の飲み会で気分が悪くなり同僚から見捨てられたところを人気アイドルの水城サヲリに助けられ、彼女のファンになってしまう。しかし、サヲリは急死してしまうのだった。

長男の心得
畠田靖彦は、山林の権利書の所在を聞くために亡くなった母ツルに会いたいと使者に連絡をしてきた。死者のことは母親から聞いていたというのだ。また、息子の太一が自分の跡目を継ぐだけの能力を有していないと心配をしていたのだ。

親友の心得
高校生の嵐美砂と御園奈津は演劇部に属していた親友だったが、ある劇の主役を争うことになり、奈津が選ばれてしまう。美砂は嫉妬から、ある寒い朝奈津の通学路に水を撒いて奈津の怪我を望むが、奈津はその朝、交通事故で死んでしまう。

待ち人の心得
土谷功一は、九年前の春の風が強い日に怪我をした少女日向キラリを助ける。やがて二人は恋仲となり一緒になることを約束するが、キラリは旅行に行くと出かけたまま帰って来ないのだった。

使者の心得
歩美はこれまでの四つの依頼について仲介の仕事を手伝うが、使者としての役目の意味について深く考えてしまう。そして、正式に使者の力を引き継ぐ日に、祖母アイ子から、歩美の両親の死についての秘密を聞き出すのだった。

 

ツナグ』の感想

 

辻村深月著の『ツナグ』は、一生に一度だけ死者との再会を叶えてくれるという「使者」を通して人間の繋がりを考えさせられる感動の長編小説です。

さすが辻村深月の作品というに値する、第32回吉川英治文学新人賞を受賞した作品と納得できる物語でした。

 

「死」をテーマにする小説作品と言えば、まずは医療ものや山岳ものの小説がすぐ頭に浮かびます。これらは現実社会の中での直接的な死の物語です。

しかし、本書『ツナグ』のように通常の生活の中での死者との対話となると、それはSFもしくはホラー、またはファンタジー小説の分野ということになるでしょう。

そして、死者との再会というテーマ自体は決して珍しいものではないと思われます。

例えば、SF小説の分野ではタイムマシンに乗れば過去へ戻るのは簡単であり、そこには当然死んだ人もいて、設定次第で会うことは可能です。

この時間旅行ものと言えば梶尾真治がおり、その作品で『黄泉がえり』では文字通り死者がよみがえります。この作品は草薙剛と竹内結子主演で映画化され、柴崎コウの主題歌も大ヒットしました。

 

 

過去への旅というテーマでは浅田次郎も『地下鉄に乗って』という作品を書いています。

ある日突然、地下鉄から地上へ出るとそこは過去の世界であり、主人公は自分の父親と出会います。けっして仲が良いとは言えなかった父親の生きざまを見て、父親に対する主人公の思いも変化するのです。この映画も堤真一を主人公として映画化されています。

 

 

また、ファンタジックな物語として本書『ツナグ』と似た作品として、川口俊和の『コーヒーが冷めないうちに』という切なさにあふれた作品があります。

ある喫茶店のある席に座ると、注がれた珈琲が冷めない間だけ、一定の条件のもとに過去に戻ることができるというのです。この作品も有村架純主演で映画化されています。

 

 

このように、テーマ自体は特別なものではないのですが、当然のことながら処理の仕方が作家によって異なります。

黄泉がえり』はロマンチシズムにあふれ、『地下鉄に乗って』はしっとりと心に染み入り、『コーヒーが冷めないうちに』は切なさに満ちた物語として仕上がっているのです。

そんな作品群の中で、本書『ツナグ』は、各物語が連作短編風に紡がれていきます。

ところが、読み終えてみると個々の話は大きな仕掛けの中に位置づけられる話であり、最終的に本書全体として一編の長編物語として成立しています。

詳しく書くとネタバレになりかねないので書きませんが、こうした作品はやはり一読してもらわないとわからないでしょう。

 

この辻村深月という作家は、最初に読んだ『鍵のない夢を見る』という直木賞受賞作品が今一つ心に響いてこず、その後手に取ることもなかったのです。

しかし、本屋大賞を受賞した『かがみの孤城』でこの作家の面白さを再認識させられ、他の作品も読むようになりました。

 

 

それに、『ツナグ 想い人の心得』という本書の続編も出版されてベストセラーになっていることもあって本書を手に取る気になったものです。

 

 

結局、それ以来辻村深月の作品に魅せられ、かなりの作品を読むようになった次第です。

そして、今のところその期待は裏切られることなく、面白い物語の紡ぎ手としての好きな作家さんの一人として私の心に刻まれています。