バイオニックソルジャーシリーズ

エロスとバイオレンス満載の長編の伝奇小説です。

 

魔界行及び新魔界行シリーズとを合わせてバイオニックソルジャーシリーズとしています。エロスとバイオレンス満載のアダルト向け作品です。当初三部作だったのですが、その後「新・魔界行」として更に三部作が追加されました。

作品は異世界の住人を相手とするエロスとバイオレンスの満ちた小説であり、夢枕獏と同じような伝奇小説の書き手として読んでいたものです。

 

主人公南雲秋人は科学の力で強化されたバイオニックソルジャーであり、殺された妻や子の復讐のために、瓜生組に戦いを挑みます。

とにかく、パワーがみなぎっており、何も考えずに作品世界を楽しむだけです。理屈は要りません。変に考えると逆に読めなくなります。

 

この作家がブレイクするきっかけとなった作品で、この後次々とエロスとバイオレンス満載の作品を発表し続けます。

本シリーズでは魔界行三部作が「魔界行 完全版」として刊行されています。

魔界都市ブルース シリーズ

舞台は魔震後の「新宿」であり、『魔界都市〈新宿〉』や『魔界医師メフィスト』と同じ舞台の、伝奇小説です。

 

 

その新宿でせんべい屋を営みつつ人探しを業とする、究極の美貌を持つ秋せつらが主人公です。この秋せつらが妖糸を駆使して妖魔達を撃退するのです。

当初は夢枕獏と同じ匂いのする作家が同時に現れたと思い、エロスとバイオレンス満載の彼らの作品を漫画感覚で読んでいたものです。

 

しかしかながら、最初は少々耽美的に過ぎる、くらいに思っていた菊地秀行の作品群ですが、そのうちに文章の美文調(?)が激しくなってきて、どうにも鼻についてきました。

結局、作家の独りよがりが過ぎると感じるようになり、菊地秀行の作品自体を読まなくなってしまいました。

 

ちなみに、このシリーズは短編と長編が出版されており、短編はタイトルの初めに魔界都市ブルースと付くそうです。そして、2018年12月現在でも、なおシリーズとして書き継がれていることを久しぶりに調べてみて知りました。

新選組裏表録 地虫鳴く

本書『新選組裏表録 地虫鳴く』は、無名の隊士に焦点を当てて新たな新選組の姿を描き出す長編の時代小説です。

一般の新選組の物語には名前すら出てこない無名の隊士の行動を軸に、伊東甲子太郎が暗殺される「油小路事件」へ向けての新選組が描かれていて、掘り出し物の面白い小説でした。

走っても走ってもどこにもたどりつけないのか―。土方歳三や近藤勇、沖田総司ら光る才能を持つ新選組隊士がいる一方で、名も無き隊士たちがいる。独創的な思想もなく、弁舌の才も、剣の腕もない。時代の波に乗ることもできず、ただ流されていくだけの自分。陰と割り切って生きるべきなのか…。焦燥、挫折、失意、腹だたしさを抱えながら、光を求めて闇雲に走る男たちの心の葛藤、生きざまを描く。(「BOOK」データベースより)

 

木内昇の『新選組 幕末の青嵐』に続く新選組を描いた作品です。

新選組 幕末の青嵐』も新しい視点で描かれた面白い小説でしたが、本書も中心となる登場人物の殆どはその名前を知らないであろう人物が配されていて実にユニークです。

 

 

多数ある新選組の物語では、試衛館出身の仲間を中心に芹沢鴨や伊東甲子太郎らが登場するのが一般です。

しかし、本書『新選組裏表録 地虫鳴く』では、そうした物語には名前すら出てこない無名の隊士が、その内面まで突き詰めて描写されています。

そうしたあまり知らない人物たちの行動を軸に、伊東甲子太郎が暗殺される「油小路事件」へ向けての新選組が描かれているのです。

 

まず、冒頭は史談会での阿部隆明という老人の証言の場面から始まります。

この「史談会」は、東屋梢風氏の「新選組の本を読む ~誠の栞~」に紹介してある『新選組証言録』によりますと、「明治22年に設立された。生存者から幕末維新期に関する証言を集め、史料として残すことを目的とした任意団体」であり、この場面は史実の再現シーンなのですね。

 

 

この阿部という老人からまず知りません。ちょっと分かりにくいのですが、この阿部が、本編が始まると高野十郎という名前で登場し、すぐに阿部十郎と改名し、重点的に描かれていきます。

自尊心が高いくせに目的意識が無く卑屈な存在で、常に他者を拒絶しています。ただ、自分をもう一度新選組に誘ってくれた浅野薫にだけは心を許しています。

その浅野は善人であることだけが取り柄のような人物なのですが、やはり試衛館組には負い目を感じているのです。

高名な斎藤一も阿部には何故か心をとどめていて、裏切られ全く孤立している阿部に対し上手く手助けの言葉を言えない自分を悔いるような言葉を発したりもしています。

ついで、篠原泰之進や三木三郎といった伊東甲子太郎の仲間の名前が挙がり、更に中心的な役割を果たす監察方の尾形俊太郎らが登場します。

 

勿論、高台寺党は伊東甲子太郎が中心であり、事実、伊東甲子太郎についてかなり書き込まれています。

しかし心に残るのはいつも土方に鬱屈を抱えているような伊東の実弟の三木三郎や、自分の意思が見えない篠原泰之進であり、卑屈でいながら自尊心は強い阿部十郎なのです。

三木三郎に「屈折に支配されて振り回されている生き方」が気に入っている、と言われる阿部は全く自分の居場所を見失っています。

そして、伊東の腹心とも言える篠原泰之進も引きずられるように行動している男だったのです。

ただ、伊東の「僕には夢があってね。」と語り出すその言葉を聞いて「自分の中のなにかがぐるりと一回転」するのを感じ、「自分にとって心地良い場所だと」あらためて自分の位置を掴みます。

 

本書『新選組裏表録 地虫鳴く』では、これまでその存在も知らない隊士たちが単に「新撰組隊士」としてまとめられる存在ではなく、血と肉を与えられて鬱屈を抱えている一個の人間として動き始めています。

その夫々があるいは鬱屈にけりをつけて途を見出し、あるいはそのまま憤懣を抱きながら袋小路から出れなくなってしまいます。

木内昇はこうした弱さを持つ、普通の人間の描き方が実に上手いのです。

 

また、山崎烝と共に監察方として働く尾形俊太郎が良く書き込まれています。

伊東らが新選組を脱退する話し合いの場に行く途中で、尾形は以前屯所の家主であった八木源之丞と出会い、思わずこみあげてくるものを感じて涙を流してしまいます。こうしたシーンには実に作者の巧みさを感じます。

ここで尾形は、まだ新選組という名称も無く田舎浪士の集団にすぎなかったあの頃から立派になった現在までを一瞬で回顧し、これから離別の場に臨むのです。様々の思いを込めた涙は見事です。

 

心象の描き方はインタビュアーとして培われたものでしょうか。この本の五年後に書かれる「漂砂のうたう」でも情景描写が素晴らしく、直木賞を受賞されます。

 

 

本書『新選組裏表録 地虫鳴く』は『新選組 幕末の青嵐』には一歩及ばない気もしますが、個人の好みの問題でしょう。本作品の方が好みだ、という人もかなり居るのではないでしょうか。

いずれにしても掘り出し物の一冊でした。

漂砂のうたう

本書『漂砂のうたう』は、明治という新たな時代を迎え、自分を見失ったかつての武士などの姿を描き、第144回直木賞を受賞した長編小説です。

登場人物が独特な存在感を持ち、物語の持つ雰囲気も谷中という土地柄を表したものか、水底を思わせる不思議な魅力を持った作品でした。

御一新から10年。武士という身分を失い、根津遊廓の美仙楼で客引きとなった定九郎。自分の行く先が見えず、空虚の中、日々をやり過ごす。苦界に身をおきながら、凛とした佇まいを崩さない人気花魁、小野菊。美仙楼を命がけで守る切れ者の龍造。噺家の弟子という、神出鬼没の謎の男ポン太。変わりゆく時代に翻弄されながらそれぞれの「自由」を追い求める男と女の人間模様。第144回直木賞受賞作品。(「BOOK」データベースより)

 

現在の上野駅の西側の不忍通りを道なりに北西に進み、言問通りとの交差点を越えたあたりに本書の舞台となる根津遊郭がありました。

この根津という土地は近くに「谷中」という地名があることからも分かるように、「東の上野台と西の本郷台との間にはさまれた中央の谷筋」に位置し、湿気のたまる土地であったそうです。

本書『漂砂のうたう』は、その土地の持つ湿っぽい、どことなくやるせない雰囲気をまとわせた遊郭を舞台として、鬱屈を抱えながら生きている主人公が描かれています。

 

時は明治10年、明治維新の騒動もひと落ち着きした頃、御家人の次男坊だった定九郎は根津遊郭で立番(客引)をやっていた。

定九郎は御一新という時代の変動の中、御家人の次男坊という身分から逃げ、根津に居ついたのだが、結局はそこに捉われているとの思いから脱却できずにいた。

いつも此処では無いどこかへの飛躍を思っているが、結局は現在の自分からの逃亡であることに次第に気付き始める。

 

本書『漂砂のうたう』は実に不思議な小説です。読み始めは先に読んだこの作家の「櫛挽道守」と同じく、無名の主人公の生き様を描く重めの物語だと決め付け、手に取るのにためらいを感じつつ読み進めていました。

 

 

しかし、途中から少々雰囲気が変わってきます。登場人物が夫々に色を持ち始めるのです。

龍造はヤクザに声をかけた定九郎の失敗の後始末で男を見せるし、反対に下働きの嘉吉は下衆(げす)な男として強烈で、小野菊は売れっ子花魁としての存在が強調されていきます。それなりに、登場人物のキャラが立ち、物語も動きが出てくるかと期待されます。

 

しかし、普通は登場人物は血肉を持った人間としての存在感があるものですが、どういう訳か本書の登場人物は定九郎とポン太を除き、その存在感をあまり感じません。

強烈な「男」を感じさせる龍造すらも人物の背景は全く不明で、場面に必要な情報だけがあり、他の場面になるとその存在すら感じられないのです。

でも、こうした印象は私個人だけのようで、他の人の書評を読んでも誰もこうした印象は書いていません。

 

ポン太はまた特別です。もしかしたら、ポン太の師匠である三遊亭圓朝の怪談話の登場人物がその場面に置かれているのではないか、そんな印象すらあります。

このポン太は全編を通して定九郎のそばにいるのですが、その実、見えているのは定九郎だけのような、不思議な存在です。

定九郎は常にどこか違う場所の自分を思うのですが、結局は現実に立ち戻り、生簀の中の金魚に自らの身を重ねます。そして物語はクライマックスへと向かうのです。

 

本書『漂砂のうたう』は、全編を通して昔読んだ漫画でつげ義春の『ねじ式』を思い出してしまいました。

物語の内容も表現形式も全く違うのですが、その水底に居るような倦怠感の漂う雰囲気が、どことなく共通しているのでしょう。この物語は作品の世界にのめり込む人と、嫌う人とにはっきりと分かれるような気がします。

 

 

蛇足ながら、ポン太という人は三遊亭圓朝の弟子として実在した人だそうです。

櫛挽道守(くしひきちもり)

本書『櫛挽道守』は、幕末という時代背景のもと、木曽の山奥の町で「お六櫛」の櫛職人を目指す一人の娘の半生を描き出す長編の時代小説です。

家の跡取りとなる男子を産み、家を守ることこそが女の務めであった時代に、職人として生きることを選んだ一人の女の生き様が描かれており、親子、家族、そして夫婦の在り方まで考えさせられる一冊です。

幕末の木曽山中。神業と呼ばれるほどの腕を持つ父に憧れ、櫛挽職人を目指す登瀬。しかし女は嫁して子をなし、家を守ることが当たり前の時代、世間は珍妙なものを見るように登瀬の一家と接していた。才がありながら早世した弟、その哀しみを抱えながら、周囲の目に振り回される母親、閉鎖的な土地や家から逃れたい妹、愚直すぎる父親。家族とは、幸せとは…。文学賞3冠の傑作がついに文庫化!(「BOOK」データベースより)

 

木曾山中の藪原(やぶはら)宿で、「お六櫛」という名産の櫛があります。解かし櫛とは異なり、髪や地肌の汚れを梳(くしけず)るのに用いられる「お六櫛」は、「とりわけ歯が細かく、たった一寸の幅におよそ三十本も」櫛の歯があるそうです。

吾助は、それほどに間隔の狭い櫛の歯を「板に印もつけもせず、勘だけで均等に引くことができる」名人でした。

本書『櫛挽道守』では、父親のような櫛職人になることを目指す、吾助の娘登瀬の半生が語られます。

 

時代は黒船が来航し、攘夷勢力と勤皇の思想との激しい対立が渦巻いている中、登瀬は藪原にある家の職場である板の間しか知らずに暮らしていた。

しかし、時代の波はそうした藪原にも押し寄せる。事故により跡取りである息子直助を亡くした吾助の一家は、登瀬の願いに応え、婿を取ることになるのだった

 

その他の重要な登場人物として登瀬の弟の直助の存在があります。本書の節々に、早世した直助の書いていたという物語が登瀬の前に現れます。

同時に、直助の書いた物語の載った草紙を、直助と共に旅人に売っていた源次という男も登瀬の心の片すみに残る男として現れます。

もう一人実幸というこれもまた天才肌の男が職人として吾助と登瀬の前に現れ、登瀬の家に住み込みとして働き、吾助の技を学んでいきます。この男もまた重要な役目を担っています。

 

本書『櫛挽道守』は、登瀬という女性の成長譚であると同時に、名人である吾助一家の家族の物語でもあり、登瀬の婿との夫婦の物語という側面も持っています。

ただひたすらに藪原で櫛を作る職人でありたいと願う登瀬ですが、その人生は決して明るいものではなく、この物語も全体として重いトーンで進みます。

 

とても「新選組 幕末の青嵐」を書いた作者と同一人物とは思えない雰囲気です。この本を先に読んでいたら、多分他の本は読まなかったのではないでしょうか。私の好みのタッチとは異なるのです。

 

 

でも、家に仕えるのが当たり前であったこの時代で、職人になるというその思いがいかに大変なものであったことか。

その中で自分の意志を貫こうとする一人の女性の強い生き方の物語として見た場合、物語としても引き込まれて読む人は多数いるのではないでしょうか。

 

例えば、一人の女性の生きざまを描き出した作品として朝井まかての『恋歌』や高田郁の『あい―永遠に在り』などがあります。

これらの作品は、ひたすらに夫を想いながら自分の生き方を貫く女性を描いた作品でしたが、これらとはまた異なり、本作品は職人になるために打ち込む女性を描いた作品として魅力的です。

 

 

本書『櫛挽道守』は、けっして私の好みの作品ではなかったのですが、それでもなお主人公の登瀬の姿には惹きつけられるものがあり、小さな感動を呼ぶ作品でした。

蛇足ながら、「木曽のお六櫛公式サイト」では「薮原では一口に『お六櫛』と総称していますが、その種類は多義にわたり、梳き櫛・解かし櫛・挿し櫛・鬢掻き櫛などがあります。」と記されていて、若干『お六櫛』についての説明の記述が違います。少々気になりましたので記しておきます。

新選組 幕末の青嵐

『新選組 幕末の青嵐』は、多視点という新たな観点から新選組を描き出す、長編の時代小説です。

新選組の主な構成員の夫々に均等に光を当て、短めの項立ての中で客観的に新選組を浮かび上がらせているその構成がユニークで、新しい新選組の物語と言える、かなり読みごたえのある小説でした。

身分をのりこえたい、剣を極めたい、世間から認められたい―京都警護という名目のもとに結成された新選組だが、思いはそれぞれ異なっていた。土方歳三、近藤勇、沖田聡司、永倉新八、斎藤一…。ひとりひとりの人物にスポットをあてることによって、隊の全体像を鮮やかに描き出す。迷ったり、悩んだり、特別ではないふつうの若者たちがそこにいる。切なくもさわやかな新選組小説の最高傑作。(「BOOK」データベースより)

 

本書『新選組 幕末の青嵐』は、これまで良く知られている新選組の物語ではあるのですが、特定の個人を取り上げて論じているのではありません。項毎に特定の人物の視点を借り、他の構成員や新選組の出来事をその人物の主観を通して描き出しています。

つまり、視点を借りているその人物の内心を考察するのですから当然その人物像を詳しく語ることになり、且つその者の眼を通して他者を語らせることを繰り返すことで、結果的には様々なフィルターを通した新選組という組織の描写になっているのです。

もっとも、様々の視点の先に据えられているのは最終的には「土方歳三」という人間です。近藤勇や沖田総司といった人物についても照明はあたっているのですが、結果として近藤勇ではなく、土方歳三が中心に浮かび上がっています。

 

勿論、山南敬助の脱走事件や伊東甲子太郎の「油小路事件」などの定番の事件も簡潔かつ丁寧に描写されており、エンターテインメントとしてのかたちも抑えてあります。

前述の手法は、時代の変革期にその命をかけて生き抜いた若者たちの青春群像劇を際立たせることにもなり、こうした定番の事件もまた新たな視点で読むことが出来ました。

 

読み終えてみると、木内昇という作家は思いのほかに情感豊かで優しい作風の作家さんでした。

例えば、土方の義兄にあたる佐藤彦五郎の視点で語られる「盟友」の項では「どこまで行っても手に入らぬと思い込んでいた美しいものは、存外、自分のすぐ近くにあるものだ。それを知ったとき、今まで感じたことのない確かな幸福が、その人物のもとを訪れる。」と記しています。

名主という立場の彦五郎は、夢に向かって走り出せない自分だけど、代わりに夢を果たしている盟友を持つが故に、自分にも豊潤な日々の暮らしはある、と思いを巡らします。

 

更に、「脱走」の項では沖田総司の視点で山南敬助の脱走事件の顛末が語られます。他のどの作者の作品でもポイントとなる場面ではあるのですが、本作品でも特に胸に迫るものがあります。

山南を追いかける総司。その総司の内面の描写。帰営してからの特に永倉の言動が簡潔に描かれます。その解釈にとりたてて新鮮なものがあるわけではないのですが、本作品での山南と総司の描かれ方が描かれ方でしたので、一層に心に迫るのです。

 

他に、「油小路」の項では永倉新八の視点で藤堂平助の最後が語られますが、これがまたせつないのです。

 

このところ、 浅田次郎の『壬生義士伝』などの新選組三部作を読んで間も無いこともあり、読み手として新選組という題材自体の持つセンチメンタリズムに酔っているところがあるかもしれません。

しかし、そういう点を差し引いても本書の持つ魅力は褪せないと思うのです。

 

 

蛇足ですが、私はあとがきを読むまでこの木内昇という作家が女性だとは知りませんでした。「きうち のぼる」ではなく、「きうち のぼり」と読むのだそうです。

本書『新選組 幕末の青嵐』は実に面白い一冊でした。新選組という題材自体の持つセンチメンタリズムを越えたところで展開される本書は是非お勧めです。

藁の楯 わらのたて [DVD]

『悪の教典』の三池崇史監督によるアクション。孫娘を殺害された蜷川は、犯人・清丸の首に10億円を懸ける。市民や警察官まで彼の命を狙う中、5人のSPと刑事が48時間以内に清丸を移送しようとするが…。“WARNER THE BEST”。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

監督は三池崇史でした。カンヌ映画祭では低評価だったようです。

 

公開から一年と少し経った2014年5月にははやくもテレビで放映されました。

私はテレビ版を見たのですが、アクション映画として、それも決して良質とはいえない映画として仕上がっていました。原作の持つ緊迫感や主人公を始めとする登場人物それぞれの懊悩などは全くと言って良いほどに無視されていたのです。

ラストシーンなどはB級のアメリカ映画で見たようななシーンだったのですが、個人的には好きになれませんでした。この監督の悪い面が出ていたように思えます

バードドッグ

バードドッグ』とは

 

本書『バードドッグ』は『矢能シリーズ』の第三巻で、文庫本で320頁の長編のエンターテイメント小説です。

優しさ溢れる元ヤクザの探偵がヤクザ内部の組長殺しという事件解決に乗り出す、面白さ満載の作品です。

 

バードドッグ』の簡単なあらすじ

 

日本最大の暴力団、菱口組系の組長が姿を消した。殺されているのは確実だが警察には届けられない。調査を依頼された元ヤクザの探偵・矢能。容疑者は動機充分のヤクザ達。内部犯行か抗争か。だが同じ頃、失踪に関わる一人の主婦も行方不明になっていることが発覚する。最も危険な探偵の、物騒な推理が始まる。(「BOOK」データベースより)

 

探偵の矢能政男は、日本最大のやくざ組織菱口組の実力者でもあり唯一都内に本部事務所を構える二木善治郎から呼び出しを受けた。

二次団体である燦宮会の理事長になる筈だった佐村組組長が行方不明だというのだ。

極秘の調査を進める必要があるものの、理事長の座をめぐる組内の揉め事のため内部の者では調査できず、かと言って外部にも漏らせない。

そこで矢能のもとに依頼が来たのだった。

 

バードドッグ』の感想

 

主人公が矢能政男となり、顧客に問題はありますが、一応探偵という正業についているようです。

あちこちで書いているように、本書『バードドッグ』をシリーズ三作目と言えるかは疑問もあります。

一作目とその後では主人公も違うし、内容も救いのみえない暗いトーンで終始する一作目と、少々コミカルな要素をも持つ二作目以降とでははタッチも異なるからです。

とはいえ、共通の世界での出来事だということと、栞という重要な要素が共通するのですから同じシリーズとしましょう。

 

主人公の探偵矢能政男はヤクザ上がりです。こうした、いわゆる悪漢を主人公とする小説と言うと、近頃読んだ黒川博行の『疫病神』を思い出しました。

こちらも極道を主人公として、関西弁での会話が小気味良い小説でした。ただ、より本作品の方が軽いタッチとは言えるでしょう。

 

 

徹底した強面ではありながら、内面の優しさが表に現れることを潔しとしない矢能の振舞いは、人によってはこの点こそが疵だという人もいるかもしれませんが、読んでいて微笑ましいとさえ感じます。

本書『バードドッグ』は実に軽く読めます。徹底した強面ではありながら、内面の優しさが表に現れることを潔しとしない矢能の振舞いは読んでいて微笑ましいと感じます。

人によってはこの点こそが疵だという人もいるかもしれませんが、私はこのような描写こそが心を掴まれるのです。

 

とにかくテンポの良い小説です。栞という少女をクッションにして小気味の良いエンターテインメント小説として仕上がっています。肩の力を抜いて気楽に読める物語です。

喧嘩猿

時は幕末。十六歳の捨吉は名刀・池田鬼神丸と自分の左眼を奪った「黒駒の勝蔵」を追って故郷を飛び出す。千に一つの島破りを成功させた伝説のやくざ「武居の吃安」と出会った彼は、やがて凄絶なる戦いの渦に巻き込まれてゆく。「森の石松」が次郎長の子分となる前の若き姿を描くアウトロー講談小説登場!(「BOOK」データベースより)

 

ひと昔前、と言っても私が子供の頃ですから半世紀ほど前の時代なら子供まで知っていた森の石松の物語の長編時代小説です。

 

本書は活字に古い書体の漢字を使ってあり、それに丁寧にルビを振ってあります。当初はそれが少々わずらわしく感じたのですが、読み進むにつれ邪魔な感じは無くなってしまいました。講談調を目論んだであろう著者の狙いにはまったのでしょう。

これまで見聞きした森の石松、黒駒の勝蔵、武居の吃安といった連中が漢(おとこ)として生き生きと活躍しているではないですか。かつて東映の股旅ものの映画などで清水の次郎長等が描かれ、そこでは黒駒の勝蔵、武居の吃安は敵役に過ぎませんでした。それが、それなりの貫禄のある男として描写されています。

 

それらの男の前で石松もまだまだ通り一遍の悪ガキでしかありません。その悪ガキがこれから売り出そうとする黒駒の勝蔵と出会ったり、大親分の武居の吃安に気にいられたり、と一人前になる前の時代が描かれるのです。

この物語は一巻で終わってしまう物語ではないでしょう。もう少し木内版石松を読んでみたい気がします。

アウト & アウト

アウト & アウト』とは

 

本書『アウト & アウト』は『矢能シリーズ』の第二巻で、文庫本で352頁の長編のエンターテイメント小説です。

優しさ溢れる元ヤクザの探偵がヤクザ内部の組長殺しという事件解決に乗り出す、面白さ満載の作品です。

 

アウト & アウト』の簡単なあらすじ

 

探偵見習いで元ヤクザ。矢能が呼び出された先で出くわしたのは、死体となった依頼主と妙な覆面を被った若い男。図らずも目撃者となり、窮地に追い込まれた矢能。しかし覆面男は意外な方法で彼を解放した。これが周到に用意した殺人計画の唯一の誤算になることも知らずに。最も危険な探偵の反撃が始まる。(「BOOK」データベースより)

 

アウト & アウト』の感想

 

作者の木内一裕の作品を読んだのはこの作品が初めてでした。

何年か前にこの本を読んだときのメモに「ヤクザ上がりの主人公が探偵をしているその設定がまず面白く、その被保護者である栞という小学生が効いている。全体のスピード感が小気味良く、夫々のキャラがたっていて読ませる。久々に面白い小説に出会った。」と書いています。

 

続きものということを読んだ後で知り、早速前作『水の中の犬』を借りて読んだものです。

できれば前作の『水の中の犬』から順に読めばさらに面白いでしょう。矢能という人間が探偵をやっている理由、矢能と栞という子との関係等の本書の舞台の背景が前作で明らかになっているからです。

というよりも、『水の中の犬』が『矢能シリーズ』の前日譚ともいういべき話であり、まだ脇役でしかなかった矢能が探偵になった理由も詳しく描き出してあるのです。

水の中の犬』に書いたように、爽やかな読後感や骨太の小説を求めている人には向かない物語です。

 

ちなみに、本作『アウト & アウト』は遠藤憲一が主人公矢能政男を演じ、映画化されています。

2018年11月16日が公開日だそうで、どのような仕上がりになっているものなのか、是非見たいものです。

驚くことに、この映画は原作が“木内一裕”で、監督、脚本が“きうちかずひろ”となっています。つまり全部を一人でこなしているわけで、その意味でも興味のある映画です。