特異家出人 警視庁捜査一課特殊犯捜査係・堂園晶彦

本書『特異家出人』は、ある誘拐事件を追う主人公の姿を追う長編の警察小説です。

文庫本で殆ど五百頁にもなる力作ですが、その長さを負担に感じかねない微妙な作品でした。

 

東京都葛飾区在住の資産家老人・有村礼次郎が突然失踪した。質素で孤独な生活を送る老人と唯一交流のあった少女・奈々美の訴えで臨場した警視庁捜査一課特殊犯捜査係の堂園晶彦は、有村邸の玄関から血痕を発見する。同時に預金通帳や有価証券、時価二億円の根付コレクションが消えていた。有村老人は元暴力団員・中俣勇夫に金目当てで拉致された可能性が高い。中俣の潜伏先である鹿児島に飛んだ堂園は、自身の祖父と有村が鹿児島第一中学の同級生だったことを知る。二人はある事件がもとで故郷を追われていた。時代を超えた宿縁をめぐる、慟哭のミステリー。(「BOOK」データベースより)

 

本書『特異家出人』の主人公は警視庁刑事部捜査第一課特殊犯捜査第二係の堂園晶彦警部補です。上司は高平裕といい、堂園を買ってくれ、何かと捜査しやすい状況を作ってくれる存在です。

ここで「特殊犯捜査係」とは、本来は現在進行形の凶悪事件を専門に扱う部署だそうです。ですが、緻密な捜査技術と犯人との交渉力こそが特殊班の特徴だとありました。

殺人犯の捜査は死人が出てから始まるのに対し、特殊班の捜査は死人を出さないためのものであり、本件のような事案はまさに特殊犯捜査係の出番だそうです。

 

資産家の有村礼次郎が行方不明の事案は事件性があると感じた堂園でしたが、キャリア然とした所轄の所長の反対により捜査本部の設置は見送られることとなります。

そんな折、堂園の父親から多喜男叔父が死んだという知らせが届きます。銀行の貸し剥がしのために新たに借りた商工ローンの支店長に騙されたようなものだというのです。

叔父の葬儀には出席できないという堂園に、有村礼次郎が堂園の祖父の知り合いらしい事実が判明し、更には鹿児島へ連れていかれた可能性も出てくるのでした。

 

本書『特異家出人』は、被拐取者有村礼次郎の身体の安全の確保し犯人の逮捕を目指す警察小説であり、大河小説風味のミステリー小説だと思い読み進めていました。

ですから、せっかくのミステリーの流れも、有村礼次郎が主人公の堂園晶彦警部補の人生に偶然にからんでくるという設定に触れ、いかにもご都合主義的だと感じたのです。

 

その点を除けば、物語の展開自体は非常に面白いものであり、惹きつけられるはずなのです。

本書でのこの作者らしい社会性を見せる場面として、キャリアである署長の経費削減の観点からの捜査本部設置への反対論や警察の裏金問題なども取り上げてあります。

それも単に反対論があったという事実だけではなく、堂園たちが上司の高平らの支援を得て実際により積極的な捜査へと乘り出すきっかけともなるように、物語の流れの一つとして捉えてあるのです。

ただ一点、たまたま有村と祖父とが知り合いだったという偶然が残念な気持ちになったのです。

 

しかし、この偶然を主人公の行う捜査の過程にたまたま現れた接点というとらえ方ではなく、主人公堂園晶彦、そしてその父、祖父の三代にわたる堂園家の物語として見直せば話は変わってきます。

本書『特異家出人』は先に述べたような「大河小説風味のミステリー小説」ではなく、堂園家の親子三代にわたる物語として、まさに「大河小説」そのものではないか、と思えてきたのです。

そういう点からも本書はシリーズ作品ではなく、単発の物語としてあるのでしょう。

その観点で見ると、本書『特異家出人』はまさに大河小説であり、惹句に「時代を超えた宿縁をめぐる、慟哭のミステリー。」とあるのも納得がいくのです。

 

こうした警官の家庭をテーマとした警察小説としては、親子三代にわたり警察官となった男達の人生を描く大河小説であり、2007年の日本冒険小説協会大賞を受賞し、直木賞のノミネート作でもある佐々木譲の『警官の血』と、その続編の『警官の条件』があります。

 

 

また、単に親子三代の警察官を描く警察小説としては、堂場瞬一刑事・鳴沢了シリーズもありますが、こちらは大河小説とは言えないでしょう。親子三代の警察官の物語ではありますが、第一巻の雪虫 刑事・鳴沢了を除いては鳴沢了個人の警察小説です。

 

 

話を本書『特異家出人』に戻すと、茶木則雄氏は本書の「解説」で、本書の基礎をなす偶然はご都合主義の疑念を払しょくできないだろうが、作者の巧みな伏線の配置と卓越した文章力で作為的な偶然に終わらせず、そうしたそしりを受けないエクスキューズを構築している、と書かれています。

ここで、「エクスキューズ」とは「弁明」や「言い訳」などという意味だと記されていました。(マイナビニュース : 参照 )

 

しかし、ご都合主義ととられかねない構成であることは否定はできないと思います。やはりその点に関しては物語の構成を考えた方がよかったのではないか、と思うのです。

 

繰り返しになりますが、現時点では新たな視点で振り返り、力作だとの思いを持ってはいます。

ただ、実際に本書『特異家出人』を読んでいる途中では、どうしてもご都合主義との印象もぬぐえません。

現実に本書を読み終えた時点では、面白かったという印象と、それほどでもないという印象との間の微妙な感情にあったとしか言いようがありません。

ということで、残念ながら、冒頭に書いたような「長さを負担に感じかねない微妙な作品」と言わざるを得ないのです。

破断 越境捜査

神奈川県瀬谷区の山林で、白骨化した死体が発見された。死体は、十年前に都内で失踪した右翼の大物。神奈川県警は自殺で片付けたが、あることに疑念を持ち捜査結果に納得しない県警の刑事がいた。宮野裕之。宮野はさっそく警視庁に赴く。捜査一課の鷺沼友哉にその疑念を話し、やがて、“不正規捜査”が始まった―。物語冒頭からトップギアで走るスピーディな展開。次々とわき起こる謎。2人の前にちらつく公安警察の影。まるで現実を見ているかのような組織の腐敗を正義で抉る、大好評シリーズ第3弾!!(「BOOK」データベースより)

警視庁捜査一課の鷺沼友哉と神奈川県警の宮野裕之とがコンビを組み活躍する、『越境捜査シリーズ』の第三弾の長編警察小説です。

右翼の大物の白骨死体が発見されますが自殺として処理されます。しかし、死体のそばに落ちていたけん銃など不審な事柄に疑問を抱いたのがおなじみの神奈川県警のはみ出し者の宮野裕之でした。

そして、宮野から話を持ちこまれた鷺沼らのチームが死体に隠された謎を解こうと捜査を始めるのですが、そこに立ちふさがるのが公安警察だったのです。

第一弾の『越境捜査』では、警視庁と神奈川県警との対立構造の先に警察内部の腐敗構造があって、個人対警察組織という構造がありました。第二弾でもまたパチンコ業界と結びついた警察内部の腐敗部分との対立構造がありました。

そして今回は同じ警察組織との対立ではありますが、公安警察が敵役として登場します。本書での公安は徹底的に組織優先の組織として描かれており、そこが若干違和感を感じるところでもありました。

一昔前の小説であればそうした描き方もありかもしれませんが、今では公安関連の小説もそれなり認知されていると思われ、公安出身の小説家もいるほどです。

例えば、『警視庁情報官シリーズ』を書かれている濱嘉之は、公安警察出身の小説家であり、出版されている小説のリアリティーは群を抜いています。

また、『背乗り ハイノリ ソトニ 警視庁公安部外事二課』の 竹内明は公安出身ではありませんが、現場至上主義のTBSテレビの報道局記者であったといい、これまたリアルな小説を書かれています。

また人気作家では、今野敏も『倉島警部補シリーズ』のような公安刑事を主人公にした公安警察小説を書かれています。

そうした時代に、組織の内部の腐敗分子というわけではなく、組織自体が組織防衛のために突っ走るという設定はどうしても違和感を感じてしまうのです。

ただ、本シリーズ自体が痛快小説的な気楽に読める物語であることに徹しているところがあることを考えると、敵役としての存在を強烈に印象付けるためには必要だったのか、と思うようにしました。

分水嶺

風間健介は急逝した父の遺志を継ぎ、広告カメラマンから山岳写真家へと転身した。父の愛した厳冬の大雪山で撮影中、風間は絶滅したはずのオオカミを探す田沢保と出会う。十数年前、遭難の危機をオオカミに救われたという。さらに、彼が亡き父を尊敬していたこと、そして、大規模リゾート開発に絡んだ殺人犯だということを知る。風間は田沢と行動をともにするうちに彼の冤罪を信じた…。(「BOOK」データベースより)

山を舞台とする、エゾオオカミを主題とする物語です。

父親の死後、その後を継いで山岳カメラマンとして再出発しようとしていた風間健介でしたが、山の中で、殺人罪で服役後出所してきたばかりだという田沢保という男と知り合います。死んだ父とも同じように山の中での出会いを期に親しくさせてもらっていたという田沢でしたが、絶滅したというエゾオオカミに命を助けられたと信じており、エゾオオカミの探索しているのでした。

この田沢のエゾオオカミの探索は、大雪山系の生態系を壊しかねないリゾート開発計画との衝突が避けられないことでした。田沢自身の服役自体もリゾート開発から身だとのうわさもあるのです。

田沢はまた健介の父親とも同じように山の中で出会い、山に魅せられた男同士の付き合いがあったようなのです。

この作品では、田沢の語るエゾオオカミの話が何度も繰り返されます。それは、健介が山に魅せられていく中で繰り返される話であり、若干ですが食傷気味にも感じました。ここでのオオカミは自然の代表でもあり、人間と自然との共存という大きなテーマに結びつくのは分かりますが、冗長に感じたのです。

とはいえ、健介が山に魅せられ、自然に溶け込んでいく中で、自然との共存に思いを馳せるのは当然のことでしょうし、健介の成長のあかしでもあるのでしょう。

ただ、作者の自然に対する思い入れは分かりますが、そのことがミステリーとしての本書の醍醐味を損なっていると感じる個所があったのは残念でした。



なお、本書でも語られている、部族会議の席に「狼代表」を同席させるという話があります。これは『その峰の彼方』でも狼のエピソードとして描かれていたと覚えていますが、どうでしょう。今は記憶も定かではなく、間違っていたらごめんなさい。

同様に自然との共存を前面に打ち出した小説として、樋口明雄の『約束の地』がありました。環境省エリート役人である七倉が一人娘と共に野生動物被害を調査し対応する公的機関である「野生鳥獣保全管理センター」の八ヶ岳支所に出向し、環境汚染やハンターや猟師の問題、それに対する国、地方公共団体の施策、更には家族の在り方など、様々な問題をテーマとした、大藪春彦賞と日本冒険小説協会大賞を受賞している作品です。かなりの読み応えがありました。

また、私の好きな西村寿行の作品の中にも自然との共存をテーマにした作品があったと記憶しています。幻の日本狼をテーマにしていた『風は悽愴』は、老盗賊や猟師の闘いを描いていました。

ともあれ本書『分水嶺』は、笹本稜平という作家の作品の中では水準、平均と言っていい作品だったと思いました。

尾根を渡る風

取り調べ中に容疑者が自殺、青梅警察署水根駐在所へと降格された元刑事・江波敦史。奥多摩の穏やかな暮らしにも慣れ、自分を取り戻していた。そんなある日、御前山でいなくなったペット犬捜しを頼まれた彼は、山で何者かが仕掛けた罠を発見。それは隣県で発生した殺人事件の証拠だった。シリーズ第2弾!(「BOOK」データベースより)

 

駐在刑事シリーズ第二弾の短編小説集です。

 

山岳警察小説という謳い文句がありましたが、ミステリーというよりは、奥秩父の山を舞台にした人間ドラマを描いた連作短編集と言ったほうが正しい気もします。

 

花曇りの朝」  いなくなった犬を探してほしいと頼まれ、山歩きを兼ねて登った御前山で見つけたトラバサミは、その後の大事件への糸口だった。

仙人の消息」  皆から仙人と呼ばれている男の姿が見えないため、江波が田村の家に電話をしてみると、不審な男が「職権乱用で告訴する」と脅してくるのだった。

冬の序章」  山に初雪が降ったある日登山道の点検もあって山に登ろうとすると、近くにある店の看板娘の真紀が、気になる男女の二人組を見たという。登ってみると、トオノクボという広場の近くの斜面で遭難者を見つけるのだった。

尾根を渡る風」  新緑の季節、トレイルランニングの練習をしている江波は、司書の内田遼子からストーカーらしき人物の相談を受けた。図書館に来た人物に似ているらしいが、その人物がトレランの練習中にも表れた。

十年後のメール」  10年ほど前に山で行方不明になった息子から父のパソコン宛に「助けて」というメールが届く。

 

各短編が、四季おりおりの顔を見せる奥秩父の山を舞台に展開されています。その情景描写はやはり舞台背景を如実に表し、都会とは異なる物語だということを知らしめてくれます。

本書の主人公である青梅署水根駐在所所長の江波敦史は、警視庁捜査一課時代に起こした不始末のために左遷されてきたという過去を持つ警部補です。

なんとか町にもなじんで自分を取り戻しつつある江波と、いつも江波と共にいる雑種犬のプール、それに主人公の方が世話になってしまった感がある池原孝夫、江波と同じくバツ一の司書遼子、それに江波のかつての同僚だった青梅警察署の刑事課強行犯係係長の南村陽平といった面々が脇を固めていて、思った以上に読みごたえのある物語でした。

 

「山里の人々との心の触れ合いを通じて成長する主人公」の物語を通じて、「どんなに荒んだ人の心でも必ずその奥底に眠っているはずの善とでもいったもの」を描きたかった、との著者の言葉がありました。

笹本稜平の作品の一つに『春を背負って』という物語があります。松山ケンイチ、豊川悦司という役者さんで映画化もされている作品ですが、本作はこの作品に通じるところがあるようです。共に大自然を舞台に繰り広げられる人間ドラマをを描いている作品なのです。

 

 

本作などを読んで思うのは、やはり笹本稜平という作家は山が舞台の作品が良いということです。『越境捜査』を始めとするシリーズなどの作品も悪いというわけではありませんが、どうしても山岳小説での人間描写の深さなどを思うとそう思ってしまいます。もしかしたら、個人的に山の匂いのする物語が好きなのかもしれませんが。

春を背負って 通常版[DVD]

名キャメラマン・木村大作の監督第2作。立山連峰で山小屋・菫小屋を営む厳格な父に育てられた長嶺亨。社会人になり、東京で外資系投資銀行のトレーダーとして働いていた彼は、父の死をきっかけに菫小屋を継ぐ決心をする。(「キネマ旬報社」データベースより)

この作品も名カメラマンと言われる木村大作氏が監督されています。木村監督の作品である劔岳 点の記 も映像が見事でしたので、この作品も期待できそうです。是非見たいものです。

 

その峰の彼方

本書『その峰の彼方』は、北米最高峰マッキンリーを舞台とする長編の山岳小説です。

山岳小説の第一人者が描く冬のマッキンリーの姿は必読です。

 

厳冬のマッキンリーで消息を絶った津田悟。最愛の妻は出産直前、アラスカを舞台にした新規事業がようやく端緒につくという大事な時期に、彼はなぜ無謀ともいえる単独行に挑んだのか。極限状態の中、親友の吉沢を始めとする捜索隊が必死の探索行の末に辿り着いた奇跡とは?山岳小説の最高峰がここに!(「BOOK」データベースより)

 

北米最高峰のマッキンリー山は、今ではその名称をデナリと変更されています。

詳しくは

北米最高峰マッキンリー、デナリに名称変更

を参照してください。

 

津田悟がマッキンリーの厳冬の未踏ルートの挑戦し連絡を絶った。吉沢國人は現地の山岳ガイドたちと共に冬のマッキンリーに登ることになる。

アラスカを舞台にした一大プロジェクトが進行している中、津田は何故マッキンリーに挑んだのか。吉沢國人を始め、救助に同行した現地のガイドたちや津田の妻の祥子、山仲間で仕事のパートナーでもある高井らの、津田に対する、また山に対する思いが語られる。

 

本書『その峰の彼方』は新刊書で492頁、文庫版で564頁という大部の本です。

そして、その紙面の多くが登場する個々人の山に対する思いの吐露、独白で占められていると言っても過言ではありません。

本書『その峰の彼方』の中での皆の独白は、津田悟は何故マッキンリーに命をかけてまで登ったのかと問いかけます。

その問いは津田悟という人間その人の内面を深いところまで考察しようとし、次いで人は何故山に登るのかという問いに至り、最後には「人は何故生きるのか」という問いにまで辿り着きます。

作者は、登場人物の一人であるワイズマンに、人は「自分で輝かそうとしない限り、人生は生まれて生きて死ぬだけ」だと言わせています。

そして「自分の人生に意味を与えられるのは自分だけ」であり、それは「義務」だと言わせているのです。この言葉が作者の心情なのでしょう。

 

笹本稜平の手による山岳サスペンス小説の『還るべき場所』や、冒険小説としての色合いが濃い『天空への回廊』のような、エンターテインメント性の強い小説を期待していると違和感を感じるでしょう。

娯楽作品以上の何かを求めていない人にとっては、もしかしたら随所で語られる教訓めいた台詞に食傷するかもしれません。

 

 

しかし、そうした人たちにとっても、本書『その峰の彼方』の山岳小説としての迫力は十二分に堪能することができると思います。

津田を救出する過程で語られる冬のマッキンリーの描写は相変わらずに圧倒的な迫力で迫ってきます。

更に、津田は生きているのか、吉沢たちは津田を助けることができるのか、というサスペンス感も満ちており、その先に津田がマッキンリーに登った理由の解明という関心事もあります。

その上で登場人物たちの言葉をかみしめることができれば、更に読み応えのある作品になると思うのです。

逆流 越境捜査

本書『逆流 越境捜査』は、『越境捜査シリーズ』の四冊目の長編の警察小説です。

神奈川県警と警視庁の軋轢の中、シリアスに描かれたという印象の作品だったシリーズ一冊目の『越境捜査』に比べ、本書は今一つだった印象です。

 

警視庁捜査一課特命捜査二係の鷺沼は、十年前の死体遺棄事件を追っている最中、自宅マンションの外階段で刺された。一命は取り留めた鷺沼に、神奈川県警の宮野が、十二年前に起きた不可解な殺人事件の概要を告げる。新たな仲間とともに捜査を始める鷺沼と宮野。やがて捜査線上にある人物が浮かぶが―。真実のため、組織と犯罪に闘いを挑む刑事たちの熱い姿を描いた「越境捜査」シリーズの第4弾。この巨悪、容易には斃れない…。(「BOOK」データベースより)

 

警視庁刑事部捜査一課特命二係所属の鷺沼は自分のマンションの外階段で見知らぬ男に刺されてしまう。

自分が刺された理由もわからない鷺沼だったが、神奈川県警の嫌われ者の万年巡査部長である宮野は、鷺沼の抱えている荒川河川敷で発見された白骨死体の捜査と、宮野自身が聞きこんだ殺人事件の端緒らしき事案との関連を疑う。

それは小暮孝則という現職の参議院議員が持っていた家屋に絡んでくるかもしれないという、雲を掴むような事柄ではあった。

しかし、白骨死体の捜査が進む中、宮野の言葉が現実味を帯びて来るのだった。

 

冒頭で鷺沼が刺されてしまうため鷺沼本人はあまり動き回れません。代わりに鷺沼の相方の井上巡査やお調子者の宮野が走り回ることになります。

結局、物語は彼らの持ってくる事実をもとにして、鷺沼を中心としての全体の推理がメインになります。決して会話劇というわけではないのですが、スケールは小さく感じられてしまいました。

 

ストーリーも物語に没入してしまうほどに面白い、とは言えないでしょう。

十年前という時間的な隔たりを設けて立証を困難にする点は別としても、どうしても事件解明の段階ごとに少しずつ無理を感じてしまいました。

この作者の「天空への回廊」「未踏峰」「春を背負って」などの迫力のある読み応えのある作品を読んだ後なので、とても辛口に読んでいるのかもしれませんが、少々残念な読後感でした。

 

 

この作者だからこそのスケールの大きな物語展開を期待していただけに、少々小じんまりとした印象は残念な作品でした。

恋する組長

本書『恋する組長』は、名前が示されない探偵を主人公とする全六話からなる連作短編小説です。

コメディタッチの小説ではなく、軽いハードボイルド小説と言うべき作品でしょう。

 

“おれ”は、東西の指定広域暴力団と地場の組織が鎬を削る街に事務所を開く私立探偵。やくざと警察の間で綱渡りしつつ、泡銭を掠め取る日々だ。泣く子も黙る組長からは愛犬探しを、強面の悪徳刑事からは妻の浮気調査を押しつけられて…。しょぼい仕事かと思えば、その先には、思いがけない事件が待ち受けていた!ユーモラスで洒脱な、ネオ探偵小説の快作。(「BOOK」データベースより)

 

名前が示されない探偵といえば、プロンジーニの『名無しの探偵』や、ダシール・ハメットの『コンチネンタル・オプ』、日本では三好徹の『天使シリーズ』の「私」などが思い出されます。

 

 

少々おっちょこちょいで能天気さを持つという点では東直己の『ススキノ探偵シリーズ』に似ているのですが、内容はかなり違います。何しろ本書の探偵は暴力団に敵対するのではなく、主だった顧客が暴力団なのです。

 

 

本書『恋する組長』について最初イメージしていたのは今野敏の『任侠シリーズ』だったのですが、そうでは無く、軽いタッチのハードボイルド小説でした。

ただ、笹本稜平という作家の力量からすると少々中途半端に感じられます。

『恋する組長』の登場人物は、主人公”おれ“の事務所の電話番である尻軽女の由子とS署一係の門倉権蔵刑事(通称ゴリラ)、そして山藤組や橋爪組といった地場であるS市の独立系の暴力団暴力団関係者と限定していて、こじんまりとまとまってしまっています。

登場人物だけでなく、主人公の”おれ”も暴力団の親分の言葉には逆わない使い走り的な立ち位置なのですが、それなりに存在感を出していこうとする雰囲気もあり、何となくキャラがはっきりとしません。

もう少し、コメディなのかハードボイルドなのかのメリハリをつけてもらいたいと、読んでいる途中から思ってしまいました。

笹本稜平という作家のスケールの大きさからすると、この『恋する組長』という物語ももっと面白くなる筈だと、ファンならではの勝手な言い分ではありますが、思ってしまったのです。

その面白くなるはずの続編は、今現在(2018年12月)の時点では書かれていないようです。

天空への回廊

第一級の山岳小説と冒険小説が合体した、実に贅沢な長編の冒険小説です。

山岳小説も冒険小説も笹本稜平という作家の得意とする分野だそうで、評判通りの面白い作品でした。

エベレスト山頂近くにアメリカの人工衛星が墜落!雪崩に襲われた登山家の真木郷司は九死に一生を得るが、親友のフランス人が行方不明に。真木は、親友の捜索を兼ねて衛星回収作戦に参加する。ところが、そこには全世界を震撼させる、とんでもない秘密が隠されていた。八千メートルを超える高地で繰り広げられる壮絶な死闘―。大藪賞作家、渾身の超大作。(「BOOK」データベースより)

 

世界的なアルピニストに名を連ねる真木郷司はエベレストの山頂近くで人工衛星の落下の場面に遭遇した。自らは無事だったものの、親友であるマルク・ジャナンが行方不明となってしまう。人工衛星の回収の手助けを頼まれた郷司は、マルクの捜索のこともあって、再度エベレストに登ることになった。しかし、この事故の裏にはテロリストの絡んだ秘密が隠されており、真木は八千メートルを超えるエベレスト山中でのテロリストとの死闘に巻き込まれることになるのだった。

冒頭に書いたように冒険小説としても非常に読み応えのある作品で、文庫本で六百頁を越えるという長さを感じさせない物語です。

ただ、難を言えば、主人公の真木郷司が少々スーパーマンに過ぎるというところでしょう。

八千メートルを超える高所で無酸素のまま数日を過ごすという話は、少々現実味を欠くのではないか、と読んでいる途中で思ってしまいました。こちらは山の素人ですから、作中に普通はあり得ない行為であることも示してあるので、状況によっては全くの不可能ではない話なのだと、それなりに納得したつもりで読み進めたものです。

それともう一点。物語の根幹にかかわる、テロリストの犯行の動機が少々弱いのではないか、と気になりました。

でも、作者の圧倒的な筆力は、地球で一番高い場所という未知の環境を現実感を持ってに描写しています。この筆力の前には、少々の疑問点など大したことでは無いように思えてしまいます。それだけの力量のある作家の、読者をひきつける面白さを持った物語だったということでしょう。

とにかく、読んでいるといつの間にか物語世界に引き込まれています。評判の高い作品であるのも当然だと思いました。

山岳小説と言えば新田次郎です。この人の書いた山岳小説は多数あって、どれか一つに絞ることさえ難しいのですが、あえて言うならば、「単独行の加藤」と呼ばれた登山家加藤文太郎をモデルとしたノンフィクション小説の『孤高の人 』を挙げてもいいかなとは思います。山岳小説と言えば、この人の作品は避けては通れないと思うのです。

 

 

海外に目を向けると、やはりボブ・ラングレー北壁の死闘をまずは挙げることになります。「J.ヒギンズをして「比類なき傑作」と言わしめた」(「BOOK」データベースより)傑作で、冒険小説としての第一級の作品です。

 

未踏峰

遺骨の入ったケースを胸に、それぞれに事情を抱える橘裕也と戸村サヤカ、勝田慎二の三人は、ヒマラヤ未踏峰に挑んでいた。彼らをこの挑戦に導いたのは登山家として世界に名を馳せ、その後北八ヶ岳の山小屋主人になった“パウロさん”だった。祈りの峰と名づけた無垢の頂きに、はたして彼らは何を見るのか?圧巻の高所世界に人間の再生を描く、著者渾身の長編山岳小説。(「BOOK」データベースより)

 

第一級の面白さを持つ長編の山岳小説です。

 

橘裕也は薬への依存から万引き事件を起こし、戸村サヤカは人とのコミュニケーションをとりにくいアスペルガー症候群という病に罹っていて、勝田慎二は軽度の知的障害を持つ身でした。

そうした三人が力を合わせ、自分たちでビンティ・ヒュッテと勝手に名付けたヒマラヤの未踏峰の初登頂に挑戦する物語です。

 

本作品は、「還るべき場所」ほどの手に汗握るサスペンス色はありませんし、「春を背負って」に見られる山小屋での人との出会いからもたらされる人間ドラマもありません。

しかし、俗世のプレッシャーに押しつぶされかけた、橘裕也を中心とした前記の三人の再生の物語としてみると、これはまたなかなかに捨てがたいものがあります。

 

この三人は、かつての世界的なアルピニストであるパウロさんこと蒔本康平の営む山小屋で働くことになり知り合います。このパウロさんが三人に山のこと、また生きることの大切さを教えるのです。

K2のような名のある高峰ではないし、標高こそ7千メートルに満たないけれど、素人だった三人が登るに決して荒唐無稽では無いというその設定がいいです。

とはいえ、山は山です。死が隣り合わせでいることには間違いはありません。頂上を目指す三人の姿は、予想外の出来事や気象の変化といったサスペンスの要素も加味され、感動的です。

 

先に書いたように、小説としての面白さからすれば「還るべき場所」の方が数段面白いと思います。それでも、この本もなかなかに捨てがたい物語ではないでしょうか。