還るべき場所

世界第2の高峰、ヒマラヤのK2。未踏ルートに挑んでいた翔平は登頂寸前の思わぬ事故でパートナーの聖美を失ってしまう。事故から4年、失意の日々を送っていた翔平は、アマチュア登山ツアーのガイドとして再びヒマラヤに向き合うことになる。パーティに次々起こる困難、交錯する参加者の思い。傑作山岳小説、待望の文庫化。(「BOOK」データベースより)

 

山岳小説としてもサスペンス小説としても、共に第一級の面白さを持つ長編の山岳小説です。

 

ヒマラヤ山脈のK2で、恋人であり山のパートナーでもある栗本聖美を失った矢代翔平は、その後の四年の間失意の底から立ち直れずにいた。

そこに、山の仲間でる板倉亮太の登山ツアーのガイドの手伝い依頼が来る。K2に再度挑戦し、聖美の最後を確認するために翔平は再び山に登る決心をするのだった。

 

ただでさえ山での自然との対峙それ自体が緊張感をはらむものであり、サスペンスフルな物語であるのに、そこに更なる仕掛けを施し、より緊張感を持った手に汗握る物語が構築されている、そんな物語として仕上がっています。

その上で上質の人間ドラマが展開されるのですから見事としか言いようがありません。

確かに、読み始めてから暫くの間は冗長に感じるところもああるのですが、ヒマラヤに挑戦する第三章のあたりからはそれまでの印象は異なり、文字通り本を置くことができないほどに入り込んでしまいました。

 

山を舞台にした小説は一般の小説とは異なり、常に自然からもたらされる「死」を見据えて語られるので緊張感があるのでしょう。

その緊張感の中で人間ドラマが展開されるのですが、作者の描写力が無ければ緊張感も表現できるものではないし、読者の共感を得られるものではないことは勿論です。

笹本稜平という作家は、その描写力でその緊張感を持続させながらも、サスペンスに満ちた上質な山岳小説を仕上げています。

 

本書は人物設定もまた良くできています。中でも登山ツアーの一員として財界の大物である神津という男がいるのですが、この男が少々出来過ぎかと思えるほどにやり手で魅力的な男として描かれています。

物語進行上のキーマンでもあるのですが、秘書の竹原との会話がなかなかに読ませます。

山に登る、そのことについての考察もこの二人の会話で為されているのです。この二人を中心に据えた物語を読みたいと思ってしまいました。

 

この作家には他に、山小屋で展開される人間ドラマを中心とした「春を背負って」、高所での諜報戦がらみの冒険小説である「天空への回廊」、エベレストを舞台にした魅力あふれるドラマが展開される「未踏峰」など、他にも面白そうな山の物語があります。

 

春を背負って

先端技術者としての仕事に挫折した長嶺亨は、山小屋を営む父の訃報に接し、脱サラをして後を継ぐことを決意する。そんな亨の小屋を訪れるのは、ホームレスのゴロさん、自殺願望のOL、妻を亡くした老クライマー…。美しい自然に囲まれたその小屋には、悩める人々を再生する不思議な力があった。心癒される山岳小説の新境地。(「BOOK」データベースより)

 

六篇の作品から成る連作短編集です。

非常に読みやすく、感動な物語であると共に清々しさも漂い、爽やかな読後感でした。

 

春を背負って / 花泥棒 / 野晒し / 小屋仕舞い / 疑似好天 / 荷揚げ日和

 

長嶺亨は父を山の事故で亡くし、父の残した山小屋の運営を引き継ぐことを決心した。そこに父親の大学の後輩だというゴロさんというホームレスが現れ、何かと山について未熟な亨を手助けしてくれるのだった。

 

先般読んだ漫画の『岳』も山小屋を舞台にした物語で、同じように山小屋を訪れる人々の人間ドラマが描かれていました。

 

 

例えば時代小説の旅籠や現代小説のホテルなど、ある宿を訪れる人々の人間ドラマという設定自体は特別なものではなありません。

しかし、山小屋という設定は特別なようです。普通の人にとっては山行自体が非日常なのですが、加えて、そこに「自然」が要素として入ってきます。その自然は、一旦牙をむくと即「死」に結びつくものであり、展開される人間ドラマも苛烈なものとなりやすいからです。

 

本書でも自然と対峙する人の死が描かれており、そこには街中でのそれとは異なる素の人間の生存そのものが描写されています。

勿論、山を知らなければ山での人間ドラマを描くことはできないでしょうから、笹本稜平という作家さんは山を良く知っておられるのでしょう。山と言えばハイキングコースしか知らない私のような読者にも牙をむいた山の苛酷さがよく伝わり、また山の美しさも同様に感じる、奥行きの深い小説でした。

私にとって山の小説と言えば新田次郎でした。『孤高の人』や『銀嶺の人』を始めとする殆どの作品に魅入られ、読みつくしました。

 

 

この新田次郎の作品は山と人間とが対峙していたのですが、笹本稜平の描く本書『春を背負って』の場合、山を舞台にしてはいますが、山と共に生きようとする人間たちのドラマが展開されています。

 

この笹本稜平という作家さんには他にも山を舞台にした作品があります。かなり評判も高く、実際『天空への回廊』などの、かなり読み応えのある作品を書かれています。

 

 

また、本作品は「劔岳 点の記」を撮った木村大作監督により映画化されました。松山ケンイチが主人公で豊川悦司、蒼井優らが脇を支えるらしく、こちらもまた面白そうで期待したいです。

 

白日夢 素行調査官2

警察組織の腐りきった体質は外からじゃ治せない。なかにいるおれたちじゃないとできない仕事だ。警務部人事一課監察係の本郷岳志たちは、山形へ元刑事の遺骨を引き取りに向かう。自殺したその男は元潜入捜査員で、退職時、多量の覚醒剤を持ち出していた。単独犯なのか?背後関係を調査した本郷たちは、警察組織のなかに元刑事の男を追いつめた黒い人脈が存在する痕跡をみつける。裏切り者は誰だったのか。二転三転する真相!最後まで息をつけない痛快警察小説最新作待望の完成。(「BOOK」データベースより)

 

警察内部の警察という立場の監察官を主人公とする長編の警察小説です。

 

図書館で目の前にあったので借りてしまったため、「素行調査官」の1ではなく2になっています。

警察ものの中でも犯人が警察官だった、という設定はありがちなものですが、そもそも主人公が監察官という設定ですから、舞台は警察内部の物語として描かれます。

 

本郷岳志は元探偵だったのですが、キャリアである警視正の入江透主席監察官が監察官として引き抜いたのです。

その本郷たちは山形で潜入捜査官だった男の遺骨を引き取りに行くことになります。ところがその捜査官は退職時に多量の覚醒剤を持ち出していました。その覚醒剤の背後関係を調査するうちに警察内部の暗部をあぶりだすこととなるのでした。

 

この本自体は私の好みとは若干合わなかったような記憶があります、それで、このシリーズを続けて読まなかったと思うのです。「痛快警察小説」とあるわりにはそれ程痛快な読後感を得られなかったのでしょう。

この作者の『越境捜査』という作品は結構面白く読んでいるので、本作品は私の琴線に触れなかったのだと思います。

越境捜査

警視庁捜査一課殺人犯捜査六係から、特別捜査係に異動した鷺沼は、継続捜査の任に着く。14年前に起きた、12億円を詐取した男が失踪後、死体となって発見された未解決事件の捜査に乗り出すが、難航する。真相解明を拒むかのような圧力。それは一体誰が?―警視庁と神奈川県警。組織と個人。悪と正義。さまざまな境界線を“越境”し、真実を抉り出す熱い警察小説。人気TVドラマシリーズの原作第1弾、待望の文庫化。(上巻:「BOOK」データベースより)

14年前の12億円詐取・殺人事件。再捜査を開始した鷺沼は、神奈川県警山手署刑事、宮野と手を組む。一匹狼を自認する宮野と型破りの捜査を展開し、12億円の行方をつかむ。それは、神奈川県警の裏金庫―。警察庁を含む、警察組織を覆う腐敗を見逃すか、それとも暴くか。組織の安泰をとるか、自らの信条をとるか。人生を賭けた闘いの果てにあるのは希望か絶望か。大藪春彦賞受賞作家が、静かに激しく生きる刑事たちを描く。(下巻:「BOOK」データベースより)

 

一大人気シリーズとなった「越境捜査シリーズ」の第一弾となる長編の警察小説です。

 

もう警察ものの定番と言ってもいいくらいに警視庁対神奈川県警の対立の物語は多い気がします。

 

警視庁の刑事である鷺沼は、12億円の行方が分からないまま迷宮入りになり、時効間近となった事件を洗い直していた。

そのときかつての上司で現在は神奈川県警監察官室長の韮澤から連絡を受け、その時効間近の事件が神奈川県警内部の者の犯行の可能性があることを匂わせられた。そこで、神奈川県警の宮野と共に管轄を超えて調査を開始することとなる。

しかし、その先には組織の腐敗が広がっており、韮澤も何者かの襲撃を受け入院することとなるのだった。

 

当初は警視庁と神奈川県警の対立が前面に出ていましたが、話の展開に伴い、主人公たちと警察組織そのものとの対立の図式まで重なってきます。

結局は警察内部の腐敗という話になるのですが、今野敏などのように軽く読める、とまではいかないにしても、物語のテンポがよくて、結構面白く読み進めることができました。