花下に舞う

本書『花下に舞う』は『弥勒シリーズ』の第10弾であり、新刊書で319頁の長編の時代小説です。

本書はあい変わらず心に闇を抱えた小暮信次郎が謎解きに活躍する、シリーズの中でもかなり面白いと言える作品だと思われます。

 

花下に舞う』の簡単なあらすじ

 

口入屋の隠居と若女房が殺された。北定町廻り同心、木暮信次郎は、二人の驚愕の死に顔から、昔、亡き母が呟いた「死の間際、何を見たのであろうか」という言葉を思い出す。岡っ引、伊佐治、商いの途に生きようと覚悟する遠野屋清之介とともに、江戸に蔓延る闇を暴く。待望の「弥勒」シリーズ最新作!(「BOOK」データベースより)

 

目次

序 / 第一章 桜 / 第二章 野路菊 / 第三章 枯れ薄 / 第四章 釣忍 / 第五章 藻屑火 / 第六章 散り花 / 第七章 残花の雨

 

信次郎は非番で八丁堀の組屋敷でまずい酒を飲んでいたが、古参の女中のおしばに母親の命日だから墓参にいくようにとしつこく声をかけられていた。

そこに伊三次の手下である源造が、相生町の口入屋夫婦が殺されたという報せをもって呼びに来た。

殺されたのは「佐賀屋」の主人の徳重とその女房のお月であり、その死に顔は恐怖にも勝る驚愕の色を浮かべていた。

死体を見つけた女中のおさいは、徳重は先妻のおこうの弟である森下町の油屋「今の屋」主人の榮三郎の葬儀から帰り、故人のことを悪しざまに言っていたので罰が当たったのだと言う。

それを聞いた伊三次は、森下町にいる「遠野屋」のことを思い浮かべ、信次郎に遠野屋は無関係だからと念を押す視線を向けてくるのだった。

 

花下に舞う』の感想

 

本書『花下に舞う』でもこれまでと同様に、『弥勒シリーズ』の特徴である小暮信次郎伊之助遠野屋清之介の三人の心の闇を意識して描かれています。

これまでのシリーズ作品の内容を全部覚えているわけではないので、これまで以上に“重い”とか、“暗い”などと断言できるわけではありませんが、それでも本書自体が心の「闇」を強調している面が多いことは否定できないと思います。

 

例えば信次郎は、手下である伊三次の遠野屋清之介に対する思いについて、「剣呑や、異形、血の放つ匂いには人一倍敏い者である」伊三次が、「遠野屋が刹那放つ凍えた殺気を、底なしの暗みを」「感じ取れないはずがない」と言います。

また、伊三次が信次郎に対する説教が減っていることについて、「自分の内側に、信次郎と同じ情動があることに」思い至ったからだとも言っているのです。

遠野屋清之介自身も、自分の商いにも憂いは何もないはずだが何故か「心の一端に危うさが付き纏う」が、それは信次郎という「鬼と人との間に生まれた」と思わせられる男のせいだと言います。

こうして三人の心の闇を強く描写してありますが、ことはそれだけではなく、母親瑞穗の墓参りをする信次郎の背に吹く風を「濡れた手で肌をまさぐられたような不快」な風と表現してあるように、負の心象を描いてある場面が多い感じがします。

このように、三人それぞれの心象を表すのに「殺気」や「暗み」などの心の闇をしつこく表現しています。

 

本『弥勒シリーズ』では、普通の捕物帳のように主人公やその手下が足を使い聞き込みを行い、その材料を基に推測し犯人を導き出すという流れとは少し異なります。

どちらかというと、小暮信次郎はいわゆるアームチェアディテクティブと言われる探偵のように、自らはあまり動き回らずに集まってくる証拠類をもとに、頭で犯人を見つける手法に近いように感じられるのです。

実際は、信次郎も伊三次と共に、ときには信次郎一人で探索してはいるのでしょうが、何故か、探索する場面は印象が薄いと思われます

というよりも、信次郎は現場を見、発見者などに聞き込みをした時点で当該事件のおかしな点に気付いており、犯人に近いところまで絞り込んでいるようです。

信次郎は自分の直観に応じて伊三次たちを走らせ、自分の考えの補強をし、事件の裏に隠された真実にたどり着きます。

そして、驚愕の表情を張り付かせた死体、死の恐怖よりも驚きの感情が勝つとはどういう状況なのかが明らかになっていくのです。

 

本『弥勒シリーズ』のここ数巻ではミステリーとしての側面が強くなっている気がします。

本書『花下に舞う』では特に、謎が明らかになったと思っても信次郎はまだ納得していません。

それは伊三次にしても、また伊佐治から報告を受けている清之介にしても同様であり、そこから一歩踏み込んだところに事件の裏に隠された本当の貌が見えてきます。

事件の当事者たちの普段の暮らしからは見えてこない、他人の目の届かない「闇」に光が当てられるのです。

その一歩踏み込むきっかけが、信次郎の抱く違和感であり、その裏付けを伊三次やその手下が行います。

事件の裏に隠された真実が次々に明らかにされていく過程で、当然のことながら登場人物たちの隠された人生までも明らかになり、彼らの抱える闇に光が当てられるのです。

そうした意味でも本書『花下に舞う』は人間ドラマとしても、またミステリーとしてもバランスよく書き込まれていると思えます。

 

このごろ感じていた信次郎、清之介それに伊佐治らの織りなす人間模様のマンネリ感も感じることなく、純粋に楽しむことができたように思います。

とくに信次郎の母親の瑞穗の思い出が語られ、思いもかけずに母親の思い出が事件解決へとつながったことは、若干のご都合主義的な印象は否定できないものの、本書を面白く読むことができた最大の要因ではないでしょうか。

信次郎の幼い頃の姿や、信次郎の性格のおおもとに母親の存在を確認できたことなどは『弥勒シリーズ』のファンとしてはたまらないものがあります。

 

本書『花下に舞う』でも信次郎が遠野屋清之介の正体を暴かずにはおれない、などの言動が何度か出てきます。

商売人としての遠野屋の明るい未来を語るかと思えば、すぐあとに庭の片隅に「闇」をみるなど、決して明るいとは思えない将来を暗示するような表現も随所にみられるのです。

この『弥勒シリーズ』が今後どのように展開するかは分かりませんが、あまり明るくはないだろうということが示唆されているようにも感じものです。

地に滾る

藩政の刷新を願い脱藩した天羽藩上士の子・伊吹藤士郎は、人が行き交い、物が溢れる江戸の大地を踏み締める―。人生に漕ぎ出した武士の子は、貧し、迷い、慟哭しながら、自由に生きる素晴らしさを知る。著者渾身、鮮烈な青春時代小説!(「BOOK」データベースより)

 

天を灼(や)く』の続編です。

 

いかにもあさのあつこの作品らしい青春時代小説であり、安定した面白さを持った作品でした。

作者がこのシリーズをどのくらいの長さにする心積もりなのかはわかりません。

でも、物語の設定こそありがちとも言えるものでしたが、少なくとも本書では先の展開を読めず、意外な成り行きに驚かされるものだったのです。

 

あさのあつこという作者の時代小説を何冊か読んできていますが、その大半が主人公とその親しい仲間という、いわばバディものとも言える組み合わせであるように思えます。

例えば、そもそもあさのあつこの一番の人気シリーズである『バッテリーシリーズ』は原田巧というピッチャーと、同級生のキャッチャー永倉豪という組み合わせですし、青春時代小説の『』もまた、伊月と燦という兄弟が田鶴藩藩主となる圭寿を力を合わせて守るという物語でした。

 

 

本書の二人、正義感に燃えた一本気な若者伊吹藤士郎と、世知に長け、腕もたち、主人公を助けるもう一人の主人公ともいうべき存在の柘植左京という組み合わせは、これらの作品と同様と言えます。

 

先にも述べたように、本書は最後は全く思ってもいない展開になっていて、それがあさのあつこという作者の得意とする青春時代小説として、面白い作品となっている理由の一つだと思われます。

しかし、主人公の伊吹藤士郎の江戸での生活を助けてくれた黒松長屋の大家の加治屋福太郎や、仕事を与えてくれた讃岐屋徳之助などに対し、籐士郎自身が持った「徳之助にしろ、福太郎にしろ何故、こんな目つきをおれたちに向ける?」という疑念があります。

「もっと別の裏の顔がある。その顔がおれを、柘植を探っている。」と感じた疑問にに対する答えはまだ出ていなままでの新たな展開なので、こうした疑問の解決がいずれなされることになるのでしょう。

 

またもう一つの理由として、例えば籐士郎と左京との間ではしばしば意見の対立が見られますが、こうした相反する二つの主張を取り上げる場合でも、その主張を正面から戦わせ、その上で一方の意見に軍配を上げているところにあると思われます。

即ち、二つの価値を十分に比較衡量したうえでの悩みぬいたすえの決断であることを示し、当該選択の裏にある苦悩を浮かび上がらせるという書き方が好感が持たれると思うのです。

このように、作者の意図が見えないことと、読者の関心を掻き立てるその手法のうまさはあさのあつこという作者のうまさでしょう。

 

そしてもう一点、あさのあつこの特徴である登場人物の内心の苦悩、煩悶を繰り返し連ねる手法は本書でも生きています。

ただ、一歩間違えばそれが読み手にくどさを感じさせかねないのでその点だけが気になります。

人気シリーズの『弥勒シリーズ』で、少しではありますが心象の羅列が鼻につく場面があったのでその轍を踏まないことを願うばかりです。

 

鬼を待つ

本書『鬼を待つ』は『弥勒シリーズ』の第九弾で、文庫本で344頁の長編のミステリー時代小説です。

マンネリ感も全く無いわけではありませんが、ミステリーとしても面白さを持った作品でした。

 

鬼を待つ』の簡単なあらすじ

ある日、飲み屋で男二人が喧嘩をした。一人は大怪我を負ってしまい、殴った男はそれをみて愕然として遁走の果てに首を吊ってしまった。町方にしてみれば〝些末な事件〟のはずだった。しかし、怪我を負って生きていたはずの男が惨殺されて発見されたことから事態は大きく展開し、そして、また、小間物問屋遠野屋の主・清之介の周囲で闇が蠢く。推理にカミソリの切れ味を見せる北町奉行所定町廻り同心の木暮信次郎、人情派の岡っ引伊佐治が辿り着いたとんでもない真相とは――。一気読みの「弥勒」シリーズ第九弾。(Amazon内容紹介より)

 

目次

一 細萩 / 二 水葉 / 三 空蝉 / 四 烏夜 / 五 月影 / 六 薄明

 

二月ほど前、石原町の飲み屋で喧嘩があり、殴った男が人を殺したと誤解して首を括り自殺した事件があった。

ところが今回深川の相生町で、その殴られた慶五郎という大工の棟梁が喉を切られ、五寸釘を首に打ち込まれて殺されるという事件が起きる。

 

鬼を待つ』の感想

 

前巻に引き続き、本書も謎解きがメインになったミステリーです。

当然ですが本書『鬼を待つ』も、本『弥勒シリーズ』の暗いトーンをそのままに維持しています。

とくに、嵐が来た江戸の町を「まだ宵の口のはるか手前だというのに、真夜中のような濃い闇が流れ込んでくる。」と表現している場面など、情景描写面での陰鬱な雰囲気を醸し出しています。

また、「柿の木の根元に闇が溜まっている。周りの闇より一際濃く、深い。闇と水は似ている。淀み、溜まり、渦巻く。ときに、容赦なく人を飲み込み引きずり込む。」と清之助の前に源庵が現れる場面での描写も同様です。

さらに、本書のタイトルの絡みで言えば、相生町の事件を聞いた清之助の心の内を、「死とも不幸とも無縁の場所など、どこにもないのだ。悪鬼は人の内に棲む。だとしたら、人がいる限り鬼は出没し、人を食らう。」と描いているのも同じでしょう。

このような表現を挙げていけばきりがありません。こうした表現はシリーズを通して随所にあるのですが、本書では特に多いように思えます。

 

本書『鬼を待つ』を読み終えてから、あらためてこのシリーズは不思議なシリーズだと思いました。

もともとあさのあつこという作家は人物の心象を詳しく描写する作風だといえますが、本書でも冒頭近くで殆ど十頁にわたって伊佐治の内心を詳しく描写してあります。

前巻『雲の果』でも書いたように、本来、こういう作風は私の好みではありません。

にもかかわらず、本書はかなり私の好みに合致した小説と言うことができるのです。

そういえば、このしつこいともいえる心象表現に少々辟易としたこともあったのですが、慣れたのでしょうか。

 

本書『鬼を待つ』でも事件の背景に遠野屋が絡んできます。そして、再び遠野屋と嵯波藩とのつながりが出てきて、今後の新たな展開を示唆するようでもあります。

もちろん、遠野屋清之助と信次郎との関係はこれまで同様に複雑な心理戦のような関係を繰り広げ、その信次郎に従う伊佐治もこの両人に微妙な感情を抱いたままです。

伊佐治は清之助を好きな気持ちに偽りはないものの、一方で、「死を呼び寄せる」とも思っています。

信次郎に対しても、信次郎が好きなわけではないのだけれど、信次郎がいなかったら味気ない、と思っています。

清之助も同様であり、「信次郎に出逢った前と後では、生きる色合いが変わってしまった」と思っているのです。

 

これまでの作品の内容をあまり覚えていないので断言できませんが、信次郎の内心を信次郎の目線で語っている場面はシリーズを通して少ないようです。少なくとも本作ではありません。

本書『鬼を待つ』では、信次郎を描く殆どの場合を伊佐治の目線で描写してあり、この点だけを取り上げると信次郎の行動に関しては客観的であり、信次郎の奇妙な性格をうまく表現してあると思います。

たまに清之助目線での信次郎の描写もあります。この二人以外の視点もないことはないのですが、少ないです。

 

ちなみに、本シリーズ第十巻の『花下に舞う』では信次郎目線の場面が多く出てきます。

特に信次郎の母親の瑞穗を語る場面や信次郎が過去を思い出す場面が何か所かあり、そこでは自身の心象を詳しく語っています。

 

 

本書をミステリーとしてみても、私は結構面白く読むことができました。

信次郎自身が事件現場を直接見たり、伊佐治の集めた情報をもとに生じた疑念を、更に信次郎自身や伊佐治が走り回り、裏付けを取り、真実を暴き出す。そこに人間のほんとうの姿が現れ、そこに喜びを、また生きがいを見出す信次郎であり伊佐治です。

そうした心象を本当に緻密に描写する作者の手腕は一段と冴えているようです。

 

ただ一点だけ、今回の殺しの仕方をある種の見立てとする設定は、どうにも受け入れにくい設定でした。

クライマックスで、清之助は信次郎に対し、あなたの目の前で誰かを斬るぐらいなら、あなたを斬りますと言い切ります。

そうした二人の関係がどうなるものか、今後の展開が楽しみです。

薫風ただなか

石久藩の上士の子弟が通う藩学で心身に深い傷を負った新吾は、庶民も通う薫風館に転じ新たな友と学びを得、救済される。しかしある日、「薫風館にはお家を害する陰謀が潜んでいる」として、父から間者となり館内を探るよう命じられる。信じられない思いの新吾。いったい、薫風館で何が起きているのか?若き剣士たちの命を懸けた節義を描く、時代小説の新しい風。 (「BOOK」データベースより)

 

青春小説『バッテリー』や時代小説の『弥勒シリーズ』で人気のあさのあつこの描く青春時代小説です。

 

 

本書の主人公の新吾は、藩の実力者の息子瀬島孝之進の取り巻きらの暴力に対し何らの措置も取られない藩校のをきらい、自由な校風の薫風館へと通っていました。

ところが、久しぶりに帰ってきた父親兵馬之助から、薫風館では石久藩藩主の沖永山城守久勝殺害が図られているとして薫風館を探るようにと命じられます。

そこから、石久藩のお家騒動に巻き込まれつつも、様々な人との話の中で成長していう新吾でした。

 

本書はまさに青春小説であり、主人公の新吾の成長譚でもありました。

何よりも、主人公が色々な出来事に出会って成長していくにつれて視野も広がり、今まで見えてなかった事実を自らの眼で見るようになる姿は、青春小説の書き手として定評のあるあさのあつこという作者ならではの描き方だと思われます。

 

主人公新吾の母親は、新吾が、庶民も通う薫風館に通うことをこころよく思ってはいません。上司という家柄を大事とし、藩校こそ新吾のふさわしい学校だと言うのです。

新吾はそうした母親の態度に鬱屈を抱えてはいたものの、薫風館に通い、始めて心からの友を得、藩校では得ることのできなかった明るい毎日を送ることができていました。

そこに思いもかけない藩内の争いの一端が、普段は家におらず妾のもとにいる父親から新吾のもとにももたらされることになります。

しかし、友の負傷や自分をいじめていた筈の藩内の有力者の息子の思いもかけない内心の吐露、加えて家柄にしか価値を見ていないと思っていた母親の意外な素顔など、未だ元服前の若者はである新吾自身の成長していく姿は見ていて気持ちのいいものです。

 

本書では爽やかな青春小説らしく、登場人物の心象を直接的に描くことはあっても、『弥勒シリーズ』で見られるような、心に闇を抱えた男の心象をしつこいばかりに描写する手法は取っていません。

そして、成長する中で新たなものの見方ができるようになった新吾が、意外な真実を知ることになる姿が描かれ、ミステリーとしても読める作品となっています。

あさのあつこという作家は、こうした若者の心象を描き出すことに長けた作家さんだと改めて確認できた作品でした。

 

ちなみに、「小説 野性時代」の2018年8月号で、本書の続編『薫風ふたたび』の連載が開始されたそうです。( カドブン : 参照 )

雲の果

本書『雲の果』は、あさのあつこの人気シリーズ『弥勒シリーズ』第八弾で、文庫本で343頁の長編のミステリー時代小説です。

 

雲の果』の簡単なあらすじ

 

小間物問屋・遠野屋の元番頭が亡くなった。その死を悼む主の清之介は、火事で焼けた仕舞屋で見つかった若い女が殺されていたと報される。亡くなった女の元にあった帯と同じ作りの鴬色の帯が番頭の遺品から見つかり、事件は大きく展開する。北町奉行所定町廻り同心の木暮信次郎と“仇敵”清之介が掴んだ衝撃の真相とは―。緊張感溢れるシリーズ第八弾。(「BOOK」データベースより)

 

目次

一 もつれ雲 / 二 雷雲 / 三 雲煙 / 四 雲海 / 五 流れ雲 / 六 風と雲と / 七 叢雲の空

 

仕舞屋が焼け、腹を深々と刺された女の死体がひとつ見つかった。

伊佐治は遠野屋の廉売に行きたいという女房おふじの頼みに応じ清之介のもとへとやってきていたが、事件の話をし、焼け跡から見つかった鶯色の焼け残りの帯の切れ端を預ける。

ところが、同じ織の帯が先日亡くなった遠野屋の筆頭番頭の喜之助の遺品の中から出てきて、事件は思わぬ方向へと展開するのだった。

 

雲の果』の感想

 

本書の主人公である北町奉行定町廻り方同心木暮信次郎と元暗殺者の小間物屋遠野屋清之助という、ともに心に深い闇を持つ人物の心象を、ときには辟易するほどの緻密さで描写し人気となっているこのシリーズですが、本書もまたその例にもれず、この二人に伊佐治を加えた三人の心象描写に満ちています。

 

とくに、本書では伊佐治の内心についてよりしつこく描いてあります。

伊佐治は女房のおふじと息子夫婦に店を任せ、自分は信次郎の手下として岡っ引きという仕事に魅入られています。

そしてその様を、「信次郎の岡っ引きとして生きている限り、人が隠し持つ闇を知ることができる。人という生き物の深さにふれることができる」こと、「江戸の巷にうごめく人々の表と裏を垣間見る」ことが面白いと言うのです。

こうした伊佐治の内心を、ほとんど八頁にもわたる文章を費やしておふじや信次郎と交わす会話の間にちりばめながら、つまりは人間が“面白い”と言わせているのです。

このように伊佐治の内面を描写するのと同時に、信次郎の清之介に対する、同心という権力者の商人に対するいじめとも言えそうな物言いを通じて、信次郎と清之介との奇妙な心の交流をも描き、何とも不思議な空間を紡ぎだす、それがこのシリーズの大きな魅力になっていると思われます。

 

本来、私は登場人物の心象を緻密に描写する作品はあまり好きではありませんでした。例えば、2017年本屋大賞にノミネートされた西加奈子の『i(アイ)』は最後まで読みとおすのがやっとでした。ここまで主人公の内心だけを追求されると読書という行為自体を苦痛に感じかねないのです。

同様のことは藤崎彩織ふたごという作品でも感じました。この作品は、「SEKAI NO OWARI」という人気バンドのメンバー藤崎彩織が書いた初の小説であり、第158回直木賞の候補作となった小説です。主人公の内面をこれでもかと描写するこの作品もまた『i(アイ)』ほどではないにしろ、私の好みからは外れた作品でした。

 

 

ところが、本シリーズではそうした忌避感は起きません。それどころか、シリーズ内での似たような心象描写について若干のマンネリ感を感じはしても、物語自体には惹きこまれています。

それはやはりエンターテイメント小説として書かれているか否かということに帰着するのでしょう。

先に例として挙げた二冊は人間そのものを描くことが目的だと思われ、それに対し、本シリーズの場合やはり物語自体が主役であり、その手段としての人間描写であると思うのです。

 

本書は、シリーズ内の他の作品にあるような清之介の過去を探るとか、信次郎の過去へ遡るなどの人物像の探究という場面はなく、純粋に仕舞屋の火事と、その焼け跡から見つかった刺殺された女という事件についての探索が描かれるミステリーです。

その探索は、焼け跡に残された帯の切れはしに遠野屋が絡み、そして信次郎の動物的な勘が働いて隠された事実を暴き立てることになります。

まさにミステリーであるはずなのですが、ミステリー小説と言うにはためらいもあります、

それはやはり、あさのあつこという作家の心象描写、とくにこのシリーズでの濃厚な心象描写が、単なる謎解きというには深すぎるというところにあるからだと思います。

 

とはいえ、信次郎と清之介という二人のキャラクターの面白さは変わりません。互いに抱える心の闇をどのように引きずりだし、互いに血を流すのか、今後の展開が待たれます。

天を灼く

止まぬ雨はない。明けぬ夜もない。少年は、ただ明日をめざす。父は切腹、所払いとなった天羽藩上士の子・伊吹藤士郎は、一面に藺草田が広がる僻村の大地を踏み締める―過酷な運命を背負った武士の子は、何を知り、いかなる生を選ぶのか?

あさのあつこお得意の青春小説の時代劇版で、多分シリーズの第一作目になると思われます。

伊吹藤士郎の父斗十郎は天羽藩出入りの商人から賄賂を受け取ったとして捕らえられ、腹を切ることになります。その前夜、藤士郎は牢内の父からの呼び出しを受け一振りの刀を形見として渡され、介錯をするように言われるのでした。

その牢屋敷で父の世話をしているという柘植左京という男がこのあとの籐士郎一家を支えていくというのですが、父斗十郎に命じられたというだけで、全く謎の存在なのです。

このあと、母、離縁され出戻った姉美鶴、老僕の佐平という籐士郎一家は、柘植左京に助けられながらの田舎暮らしを強いられることになります。その生活を籐士郎の親友である風見慶吾、大鳥五馬らが少しなりとも支えていくのでした。

あさのあつこの作品は、くどいほどに登場人物の心象を描写し、行動を丁寧に説明していると感じるのですが、本書もまたその例にもれません。

そうした心象描写の後に如何にも幸せそうな、恵まれた生活を営む籐士郎一家や親友らとの語らいの情景が描かれることでこの物語は始まっています。

その後、父の死に伴う家族の生活の変転、姉や左京の出生にまつわる秘密や、藩の重鎮らも絡む不正の実情などがテンポよく語られ、本書を一気に読み終えてしまいました。

読者が読みやすいようにとの配慮でしょうが、漢字を多用せずに読みやすい日本語を使用するというのがこのごろの、特に文庫版時代劇での風潮であるかと思っていたのですが、あさのあつこという作家はその逆を行っているようです。

父の命を受け、父がとらわれている牢へと走る籐士郎の描写から始まるのですが、その心象を表現するような嵐の情景描写から丁寧です。そして、その日本語は始めて聞くような単語で綴られた言葉であり、なのに情景を描写するのに最適と感じさせられるのです。

登場人物の心象表現としての情景描写としては藤沢周平が代表的な作者として挙げられるでしょうか。この人の作品ならどれをとっても心象表現としての美しい情景描写の場面を感じ取ることができると思います。

近年では、野口卓の『軍鶏侍シリーズ』での情景描写が思い出されます。特に園瀬の里の描き方は美しく、主人公の岩倉源太夫の人となりをも表しているようです。

あさのあつこの情景描写のほうがより直接的に心象を表現しているようで、上記の二人は勿論心象表現としての情景描写もありますが、どちらかというと物語全体の情感を豊かにしているという印象は見受けられるようです。

あさのあつこの小説に薄い文庫本で全八巻の『燦』という作品があります。主人公は田鶴藩筆頭家老の嫡男の吉倉伊月という少年で、この伊月を伊月の双子の弟である燦が助け活躍する物語です。物語自体は伊月が田鶴藩主二男の圭寿の近習であるところから、伊月は圭寿の藩主としての活動と共にあり、燦もその手助けをすることになります。

本書はまだ第一巻であり、二人が天羽藩を旅立つ場面で終わっているので先の展開は全く不明ですが、いまだ頼りなさの残る籐士郎を、殺人剣の使い手である左京が助け、江戸への籐士郎の旅を助ける物語になるのでしょう。

今後の展開を待ちたいと思います。

花を呑む

本書『花を呑む』は、『弥勒シリーズ』第七弾で、文庫本で353頁の長編のミステリー時代小説です。

 

花を呑む』の簡単なあらすじ

 

「きやぁぁっ」老舗の油問屋で悲鳴が上がる。大店で知られる東海屋の主が変死した。内儀は、夫の口から牡丹の花弁が零れているのを見て失神し、女中と手代は幽霊を見たと証言した。北町奉行所の切れ者同心、木暮信次郎は探索を始めるが、事件はまたも“仇敵”遠野屋清之介に繋がっていく…。肌を焦がす緊張感が全編に溢れる、人気シリーズ待望の第七弾。(「BOOK」データベースより)

 

海辺大工町の油問屋東海屋五平が、無傷ではあるものの深紅の牡丹がいくつも口に突っ込まれた状態で死んでいるのが見つかった。

その場にいた女中は「恨みを晴らしてやった」と言う幽霊を見たと言うが、その翌日、五平の囲い者である女も仕舞屋の庭にある牡丹の根元で白い襦袢を血のりで真っ赤に染めて死んでいるのが見つかる。

一方、伊佐治の家では、息子嫁のおけいが二度の流産により自分を見失い家を飛び出してしまう。

また清之介のもとでは、兄の家来の伊豆小平太が五百両という大金を借りに来るが、その借財の理由が兄の病だという出来事が起きていた。

五平の事件が起きた時、風邪で寝込んでいたためその後の探索が後手に回ってしまった信次郎と伊佐治だったが、脇筋とも思われる事柄が次第に一つの流れにまとまりを見せて行くのだった。

 

花を呑む』の感想

 

シリーズ第五弾『冬天の昴』、第六弾『地に巣くうと同心小暮信次郎をメインとした話が続いていましたが、本書『花を呑む』もまた小暮信次郎の話です。それも、本格的な捕物帳としての物語です。

もともと同心が主人公のこの物語であり、捕物帳として謎解きを中心とした物語であること自体に何の不思議なこともない筈なのですが、あまりに小暮信次郎と遠野屋の清之介の「闇」を抱えた男たちの人間ドラマが面白く、エンターテインメント小説としての本筋を忘れてしまっていました。

それだけこの物語のキャラクター造形の上手さが光っていると思われます。そして、この捕物帳がそれなりの面白さを持っているのですから何の文句もない筈なのですが、男たちの心象描写に捉われてしまっていたのでしょう。

 

相変わらずと言っていいと思うのですが、本書『花を呑む』でも心象描写はしつこいばかりに続きます。ただ、それを上回る物語の面白さがあるのです。

本筋の殺人事件があり、脇の流れとして清之介の兄の病の話があって、挿話的に伊佐治の息子嫁のおけいの家で騒動があり、それらの話が次第に一つにまとまっていく物語の運びは、この作者の上手さを見せつけられるようです。

そして、その過程で語られる信次郎を始めとする登場人物たちの心の闇を覗きこむかのような心象描写があります。

もう少し、この心象描写を軽くして物語の本筋を追いかけてもらえればと思うのですが、もしかしたら、そのようにしたらこの物語の面白さが無くなるかもしれないという恐れは感じます。

 

数日前に月村了衛の『機龍警察シリーズ』の最新巻を読んだのですが、そこで本『弥勒シリーズ』の闇を覗きこむかのような描写を思い出してしまいました。

この『機龍警察シリーズ』も、突撃隊員らの過去が重く、彼らの心象を描く場面は本『弥勒シリーズ』に通じる「闇」を感じるものなのです。

本シリーズは時代小説であり、あちらは現代のアクションシーン満載のSF的な警察小説と書かれている作品の内容は全く異なります。ただ、登場人物の闇を抱えた心象描写が豊富というその一点において共通するようです。

 

 

そう言えば、逢坂剛の『百舌の叫ぶ夜』を第一巻目とする「MOZUシリーズ」でも似たような重さを感じたことがありました。

ただ、個人の公安警察員を主人公とするハードボイルドで、客観描写に徹し、主観描写を排している『MOZUシリーズ』と本書では機龍警察シリーズ』以上に遠いものがあるようです。

 

江戸から遠く離れた田鶴藩。その藩主が襲われた。疾風のように現れた刺客は鷹を操り、剣も達者な謎の少年・燦。筆頭家老の嫡男・伊月は、その矢面に立たされるが、二人の少年には隠された宿命があった―。尋常でない能力を持つ「神波の一族」の正体とは?少年たちの葛藤と成長を描く著者待望の文庫書き下ろし新シリーズ第一弾。

弥勒シリーズ』のあさのあつこの描く全八巻の長編の青春時代小説です。一巻が160~170頁前後と実に薄い文庫本で、全八巻とは言っても通常の文庫本では三冊ほどにおさまってしまうでしょう。

シリーズのタイトルは「燦」ですが、本シリーズの主人公は、神波の一族という山の民に育てられた燦と、田鶴藩主の二男圭寿の近習として仕える田鶴藩筆頭家老の嫡男吉倉伊月という燦の双子の兄になると思います。

この二人が圭寿に付き添い、圭寿のために生きてゆく姿を描いてあります。したがって、圭寿の比重が重く、圭寿の生き方を中心にこの物語が展開していくことになり、田鶴藩内部の争いが描かれることになります。

ある日田鶴藩藩主常寿が鷹狩の最中に何者かに襲われ、落馬し大怪我を負ってしまいます。その賊こそが燦であり、伊月の双子の弟でした。

田鶴藩には、古くから田鶴の山を住みかとし、田鶴藩とは対等な関係を保っていた神波の一族という存在がいました。その神波の一族の長である兎十の娘が伊月の父伊左衛門に嫁いで生んだのが、燦と伊月という双子の兄妹だったのです。

ところが、一昔前に田鶴藩と神波の一族とが仲たがいをし、神波の一族は田鶴藩により殆どの者が殺されてしまい、そのことに苦しみながら燦らの母親は自害してしまいました

生き残った燦は神波の一族の手で育てられていたため田鶴藩主に恨みを持っていましたが、伊月とそして伊月の主人である圭寿と語らううちに二人に心惹かれ、圭寿の手助けをすることとなります。そして、圭寿と伊月が江戸へと赴くときに燦も共に江戸へ出ることになります。

圭寿は本来は戯作者として暮らしていきたいのですが、父常寿が亡くなるとともに圭寿がその後を継ぐことになり、その夢もかなわなくなるのでした。

その後、圭寿の命が狙われたり、「闇神波」一族なる存在が登場してきてたりと伝奇小説的な色彩をも帯びてきます。また、圭寿の兄継寿の側室である静門院という新たな人物が登場して謎は深り、更には行方不明になった燦の幼なじみらが再度意外な形で登場したりと、なかなかに忙しい展開となります。

伊月らを中心とした青春小説のつもりで読み始めていると、途中からはこの作者の『弥勒シリーズ』のような「闇」を垣間見せる部分もあったりと微妙に雰囲気が違う物語としての側面も見せます。

とはいえ、伊月ら三人の若者の物語であることは間違いなく、青春小説と言って間違いではないと思うのです。

話も終わり近く再び田鶴藩が舞台になったあたりでこの物語の終わりは大丈夫かと心配していたのですが、案の定最終巻となると、大きく展開していた物語が一気にかたがついてしまいます。つじつま合わせとしか思えない物語の終わり方だったのです。この点が残念でした。

この最後の点を除けば、痛快活劇小説としての面白さを十分に持った小説でした。それもあさのあつこというストーリーテラーの手になる物語として、面白い物語だったと言えると思います。

バッテリー

「そうだ、本気になれよ。本気で向かってこい。―関係ないこと全部捨てて、おれの球だけを見ろよ」中学入学を目前に控えた春休み、岡山県境の地方都市、新田に引っ越してきた原田巧。天才ピッチャーとしての才能に絶大な自信を持ち、それゆえ時に冷酷なまでに他者を切り捨てる巧の前に、同級生の永倉豪が現れ、彼とバッテリーを組むことを熱望する。巧に対し、豪はミットを構え本気の野球を申し出るが―。『これは本当に児童書なのか!?』ジャンルを越え、大人も子どもも夢中にさせたあの話題作が、ついに待望の文庫化。(「BOOK」データベースより)

あさのあつこの代表作とも言える野球を舞台にした青春小説の名作で、野間文芸賞も受賞している作品です。

主人公は、他人に対しては自分の野球に役に立つか否かという判断基準しかない原田巧という少年です。親の都合で引っ越しっ先の岡山県の新田という町で知り合った永倉豪という少年とバッテリーを組むことになります。体の弱い弟青波や他の仲間らと過ごし、成長していく姿が描かれています。

時代小説の『弥勒シリーズ』で、あさのあつこという作者のしつこいまでの登場人物の心象の描くさまをみて、そのうまさを感じてはいたのですが、本書でも巧少年の傲慢さや、父や弟に対する心の振れ具合を丁寧に描き出してあります。

この巧という少年の傲慢さは、読み手にとって嫌悪感すら覚えるほどですが、一方、弟の青波がその傲慢さを打ち消す存在として、巧の良心的存在としてよく描かれています。また、豪はその包容力で巧を包みこみ、同級生ではありますが、巧を上手く補う存在としてあって、巧の祖父である井岡洋三が巧を見まもり導く存在として配置されています。

登場人物のそれぞれの人格が少々誇張されすぎてはいないか、とも思うのですが、そもそも本書が児童文学として書かれていることを考慮すると、この程度のデフォルメは仕方がないのかとも思います。

全六巻のうちのまだ一巻目です。巧らはこれから中学へと進み、さまざまな出会いが待っていそうです。これから描かれるであろう巧、豪、そして青波らの成長する姿を楽しみたいと思わせてくれる作品でした。



青春小説として思いだすのは、佐藤多佳子一瞬の風になれでしょうか。陸上のスプリンターの道をまい進する少年の物語。短距離走の選手である主人公の走る場面の風の様子など、その描写は素晴らしいの一言です。

また、エンターテインメント性の強い作品としては、誉田哲也武士道シリーズがあります。この作家の他の作品にみられるホラーテイストは微塵も無く、剣道に打ち込む少女たちの姿を描いています。空はどこまでも青く澄み渡っている青春世界です。

また、蓮見恭子襷(たすき)を、君に。もあります。高校に入り、陸上部にはいって、目標とする女の子の走りに近づくために必死で努力する姿を描いた長編青春小説です。

地に巣くう

この苛立ち、この焦燥、この憎悪、この執着。剣呑で歪で異様な気配を纒う、同心信次郎と商人清之介。彼らの中に巣くう何かが江戸に死を手繰り寄せる。今は亡き父と向き合い、息子は冷徹に真実を暴く。疼く、痺れる、突き刺さる、「弥勒シリーズ」最新刊!(「BOOK」データベースより)

「弥勒」シリーズの第六弾長編小説です。

今回は、信次郎の父親である小暮右衛門の隠された過去が暴かれます。

とある両替商の内儀であるお美代の接待を受けた信次郎は、飲まされた酒に何か入っていたらしく、その帰りに島帰りの徳助という男に刺されてしまいます。その徳助も数日後水死体となって発見されます。調べていくと、徳助を島送りにしたのは信次郎の父親の右衛門であるらしく、右衛門を恨んでいた徳助であり、事件の真実は右衛門の悪事に結びつきそうな気配があるのです。そのうちに、お美代は亭主の両替商ともども店の火災で焼け死んでしまいます。

父親の悪事を暴くことにもなりかねない探索を続行することをも「面白い」と言い突き進む信次郎の心のうちが分からず、ついていけないと思う伊佐治で、信次郎からは探索をはずすとまで言われてしまいます。また、お美代に対する調べを清之介に依頼したりと、いつもながら三人は妙なところでつながっています。

父親の真実の貌を暴き出すという点では捕物帳としての謎解き、ということになるのでしょうが、それよりもやはり小暮信次郎、伊佐治、そして遠野屋清之介の三人の心の交錯こそが本書の醍醐味でしょう。

ただ、今回は信次郎メインで話は進むものの、繰り返される心象描写の連なりは、少しではありますが読んでいてマンネリ感を感じないでもありません。勿論、本書が物語として面白くないとは言うつもりもないのですが、いささか食傷気味であることも全く否定はできないところです。