『父がしたこと』とは
本書『父がしたこと』は、2023年12月に256頁のハードカバーでKADOKAWAから刊行された長編の時代小説です。
青山文平という作家は、新刊が出るたびに前著を越える作品を提供してくれる作家さんであり、本書もその例にもれず実に面白く、感動的な作品でした。
『父がしたこと』の簡単なあらすじ
目付の永井重彰は、父で小納戸頭取の元重から御藩主の病状を告げられる。居並ぶ漢方の藩医の面々を差し置いて、手術を依頼されたのは在村医の向坂清庵。向坂は麻沸湯による全身麻酔を使った華岡流外科の名医で、重彰にとっては、生後間もない息子・拡の命を救ってくれた恩人でもあった。御藩主の手術に万が一のことが起これば、向坂の立場は危うくなる。そこで、元重は執刀する医師の名前を伏せ、手術を秘密裡に行う計画を立てるが……。御藩主の手術をきっかけに、譜代筆頭・永井家の運命が大きく動き出す。(内容紹介(出版社より))
『父がしたこと』の感想
本書『父がしたこと』は、本書の「武士が護るべきは主君か、家族か」という惹句にそのテーマが端的に表現されています。
これまでも青山文平の作品では主君に忠実に生きる侍の生きざまが描いてありましたが、本書でもまた侍の生きる姿が描かれています。
ただ、本書が特殊なのは、侍の生きる姿と同時に家族の大切さが描かれていることに加え、さらに医療のあり方をも問うている感動作であることです。
本書の独特な表現として挙げていいと思うのは、舞台となる藩の名前や場所などの藩に関する具合的な情報は殆ど示してない点と、藩主の名前は明記せずに御藩主としか示してないことです。
でも、主役である永井家として元重、登志夫婦とその子の重彰、佐江夫婦とその子の拡については詳細に描き出してあります。
本書の主人公永井重彰は役職が目付であり、父親は小納戸頭取であって御藩主の身近にいてその世話を一身に執り行っている、などの詳しい説明がなされているのです。
また、名前も明らかにされていない御藩主や、名医と言われる向坂清庵についてもその人となりについてはそれなりに頁数を費やしてあります。
重要なのは中心となる永井家の人々であって個々人の特定は必要ですが、永井家が尽くすべき藩主は藩に一人しかおらず御藩主というその地位にいる人物が重要なのだということでしょう。
また向坂清庵という名の医者にしても、藩内に多数存在する医者を名乗るものの中でも向坂清庵という名医が重要だから明記してあると思われるのです。
その上で、本書では物語の中心となる永井一家と御藩主それに名医の向坂清庵以外は登場しないと言い切ってもいいほどに誰も登場しません。
当初、本書の「父がしたこと」というタイトルからして、本書の主題は侍のあり方、つまり主君のために尽くすか、それとも家族のため生きるかが問われる父の姿が描かれている物語だと思っていました。
ところが読み進めるうちに永井重彰の子の拡の生まれつきの病に関連した医療関係の描写に重きが置かれており、単にこれまでのような侍の生き方を正面から問う作品とは違いそうだと思えてきたのです。
しかしながら、ネタバレになるので詳しくは書けませんが、主君に尽すことを本分とする侍の生き方を描いてきた青山文平の作品である本書は、やはり本分を尽くした侍の物語でした。
そこに、医療の本質を絡めた感動の物語として仕上がっていたのです。
本書『父がしたこと』ではその冒頭から重要な登場人物である向坂清庵という名医についての描写から始まります。
物語の中心となる、向坂清庵医師に御藩主の治療を依頼した件についての永井重彰とその父親の元重との会話に関連して向坂清庵についての人物紹介が始まるのです。
その際の話の中で、『蔵志』や『瘍科秘録』などの具体的な書物名と共に当時の華岡流外科の説明が為されます。
その話の流れは、そのまま前作『本売る日々』で紹介されていた実在の書物名が取り上げられ語られた流れそのままでした。
もしかして、前作で詳しく調べられた書物の中にあった医療関係の書物から本書のアイデアを得られたのではないかと思ったほどです。
そういう意味では本書は前作『本売る日々』の続編的な位置にある作品かもしれないなどと思ったものです。
しかし物語としては関係のないものでした。
ただ、前作での、民間における「地域の文化の核にもなっていた
」( 本の話 : 参照 )名主らの物語に対する「官」側の核の話だということができるかもしれません。
同時に、前作『本売る日々』で描かれていた佐野淇一という村医者の話が本書に結びついているとも言えそうです。
それはさておき、本書は侍の物語であると同時に医療小説でもあるという珍しい作品で、江戸時代末期で行われた二件の外科手術、即ち「痔漏」と「鎖肛」という手術を華岡青洲の流れを汲む向坂清庵という名医が執行する話が中心になっています。
つまり、藩主の痔ろうと息子の閉ざされた肛門の新設ついて外科処置を施す話であって、蘭方の外科医による処置を手順まで詳しく描写するというこれまでにない蘭方医の描き方が為されているのです。
医学の歴史にも言及することで、本書の主題となる侍のあり方、主君のために尽くすのか、家族のため生きるのかという問いの背景を堅実なものとして、侍の生き方についての問い掛けを明確にするという効果を期待しているのでしょう。
同時に、本書で見るべきは御藩主や重彰の子の拡の病に関連しての永井親子の関わり方だけではなく、永井重彰の妻佐江とその母登志の侍の妻としてのあり方もまた見どころの一つとなっています。
御藩主に尽す永井元重、重彰親子の姿に焦点が当たるのは当然のことですが、永井親子の妻たちの姿も現代に生きる一人の人間の姿としてもあてはまるものだと思えたのです。
こうした妻の姿を通して、夫である侍たちが主君のために尽すことができたのだと、あらためて感じ入ったものです。
読後に調べていると、この「鎖肛」という名前は華岡青洲がつけたものであり、華岡青洲の医業であったとの記載がありました。
同じ頁には「数多の資料から説得力ある心の動きを抽出できるのは時代小説の強みです」との言葉もありましたし、母親の登志についても「武家の妻らしい肝の据わり具合を見せる彼女は、唯々諾々と慣習に従うようなこともない」と記してあります( カドブン: 参照 )
やはり、この作家の作品にはずれはなく、作品ごとに新たな感動をもたらしてくれる素晴らしい作家さんだと恐れ入るしかない作品でした。