『神の蝶、舞う果て』とは
本書『神の蝶、舞う果て』は、2026年1月に講談社から288頁のハードカバーで刊行された、長編のファンタジー小説です。
これまで読んできたほかの上橋作品に比べると若干物足りない印象は否定できない作品でした。
『神の蝶、舞う果て』の簡単なあらすじ
降魔士の少年・ジェードは、神と魔物、光と闇が共に宿っているとされる、神聖でありながらも恐ろしい聖域〈闇の大井戸〉で、魔物から聖なる蝶を守る役目を負って暮らしていた。ある日、ジェードの相棒である少女・ルクランが、聖なる蝶が舞い上がってくることを知らせる〈予兆の鬼火〉に触れる事件が起きる。他の降魔士たちと違い、なぜか、〈予兆の鬼火〉に激しく反応してしまうルクランは、聖域を守る者のなかで波紋を呼んでいた。自分がなぜ、そんな反応をするのかを知りたいと願うルクランと、ルクランを守りたいと思うジェード。それぞれの思いをよそに、ふたりは壮大で複雑な運命の糸に絡め取られていく。(「BOOK」データベースより)
『神の蝶、舞う果て』の感想
本書『神の蝶、舞う果て』は、頁数も三百頁足らずと多くはないうえに活字も若干大きめで印刷された、装丁も、そして文章も実に読みやすいファンタジー小説です。
また、これまでのほとんどの上橋作品と同様に、現実ではない異世界を舞台にしているいわゆるハイファンタジー作品でもあります。
ラシュラン国の聖地には<闇の大井戸>と呼ばれる垂直に開いた巨大な穴がありました。
この穴の底からは数か月に一度、ラシュラン国の人たちにとって<神が下された糧>であるラムラーの実が採れるラムラーの花を受粉させる<神の蝶>と呼ばれる美しい蝶の群れが飛び出てきました。
ただ同時に、<神の蝶>を食らう<蝶の影>と呼ばれる魔物も出てきていたのです。
主人公のジェードとその相棒のルクランは、コンビでこの<蝶の影>を捉え殺す役目を担っていた降魔士(カタゼリム)という仕事に就いていました。
ところが、ルクランは聖なる蝶が舞い上がってくることを知らせる<予兆の鬼火>と呼ばれる火に過剰に反応してしまう癖を持っており、ある日この鬼火に触れるという事件を起こしてしまうのでした。
本書は待ちに待った上橋菜穂子の新作で、かなりの期待をもって読み始めたためか、これまでの上橋菜穂子の作品とは何か異なる印象でした。
これまでの上橋菜穂子の作品といえば、『守り人シリーズ』や『獣の奏者』、『鹿の王』などの作品が思い出されます。
それらの作品は、どの作品もその根底にはそこに暮らす民の暮らしや習俗が物語の基礎となっているようです。
『守り人シリーズ』では<ナユグ>という精霊の世界との関係が語られましたし、『獣の奏者』では「闘蛇」や「王獣」などの戦いのための獣との共存がありました。
本書もまたその例外ではないのですが、物語の地域的な広がり方が全く異なります。
『守り人シリーズ』や『獣の奏者』などの作品では主人公たちは物語世界を旅し、広大な世界を舞台に冒険物語を見せてくれています。
また、物語には国家間の交流や戦いなどの視点までも取り入れられています。
その上で「生命」や「生きる」ということ自体が物語の中で自然に考察できるように構成されていたのです。
それに対し、本書での物語は主人公たちが暮らす土地そのものに根差し、<闇の大井戸>と呼ばれる巨大な穴と、そこから出てくる<神の蝶>と<蝶の影>とが物語の中心になっています。
もちろん、本書でもその世界観はよく練られていて、光と闇との対立が軸にはなっており、「生命」そのものが物語の中心に据えられています。
そういう意味で物語世界の広がりは限定的であり、物語の中心に伝承そのものの存在がある点でこれまでの物語とは異なると感じるのです。
その点では物語としての面白さは先に挙げた作品のほうが面白かったと言えます。
でも、物語が「生命」の不思議や大切さを中心に持ち、それの上で主人公たちの活躍を読ませる点ではやはり面白い作品だった、と言えるのです。
上橋菜穂子の文化人類学者としての側面が如実に表れた作品でした。