とうざい

人形が解く、人の心と江戸の謎―柄は大きいが気は小さい、若き紋下太夫の竹本雲雀太夫。役者も裸足で逃げ出す色男、人形遣いの吉田八十次郎。木挽町は松輪座に、今日も舞い込む難事件!?とびきりの「芸」で綴るお江戸文楽ミステリー。(「BOOK」データベースより)

 

小さな浄瑠璃小屋を舞台に繰り広げられる、文楽をテーマに描かれた長編のミステリー小説です。

 

ある日松輪座に、鶴沢幹右衛門を訪ねて、童を連れた隠居風の上方言葉の男がやってきます。駒吉というその童は、何故か八十次郎を「かかさま」と呼ぶのです。

新作として「千鳥三味線」がかけられることになっていた松輪座では、深夜に舞台から太棹三味線の音色が聞こえてきたり、人形師の彦太と衣装のおせんが仕事を降りると言い出したり、何かと問題が起きていました。

そのうえ、駒吉が侍に狙われ、気の弱い雲雀は芸が行き詰まったりと、松輪座は新作を演じることができなくなりそうになっていたのです。

 

文楽」とは、「人形浄瑠璃」のことです。もともと、語り物音楽であった「浄瑠璃」と「人形」とが結びつき、中でも大阪の竹本義太夫の「義太夫節」が人気となりますが、それも衰退。それを十九世紀に入って興行師の植村文楽軒が建て直したところから、「文楽」が「人形浄瑠璃」の代名詞になったそうです( 上記参照元の「人形浄瑠璃文楽座」は解散し、そのサイトも閉じられています。そこで上記説明の文章はそのままに、参照先を同様の説明がある「文楽協会」へと変更させていただきます。 )。

また、上記の歴史から、人形浄瑠璃で語られる浄瑠璃は「義太夫節」が用いられるといいます( ウィキペディア : 参照 )。

 

本書の主人公は、一座の代表者である紋下(もんした)太夫の竹本雲雀太夫という義太夫語りです。そしてもう一人、「氷の八十次」との異名を持つ吉田八十次郎という評判の人形遣いがいます。

雲雀太夫は柄は大きいのですが、気が小さいため今一つ芸の上達の妨げになっていました。また、八十次郎は役者も裸足で逃げ出す色男でありながら、その発することばは冷たく、「氷の八十次」という異名のとおりだったのです。

この二人の他に、座長である亀鶴や、先にも名の出た雲雀太夫の相方の三味線弾きの幹右衛門、それにもう一人の人形遣いの毅助などの人たちがいます。

さらに亀鶴の一人娘であるお珠がいます。おきゃんで小生意気ながらも、小気味のいい娘という設定は、この作者の得意とするキャラクターのようです。

とんずら屋シリーズ』の“弥生”や、『からくりシリーズ』の“お緋名”など、もちろん少しずつ異なるものの、似たキャラクターが登場しています。

ただ、この”お珠”はあまり登場場面がないのが残念ですが、よく考えたら、江戸の市井を描く人情ものに登場する町娘といえばおきゃんで小気味のいいキャラクターのような気もします。

 

 

本書の見どころといえば、まずは雲雀太夫の成長の過程でしょう。

気は弱くても本来は雲雀太夫が格上である筈なのに、八十次郎の冷たい言葉に何も言い返せずにいますが、次第に八十次郎の言葉の持つ意味を理解するようになります。

そこでの義太夫語りと人形使いとの関係が次第に変化していく様子が小さな感動を呼ぶのです。

 

でも、本書の持つ一番の魅力は、浄瑠璃の小屋を舞台とするところからくる、物語の全体を貫いている小粋さだと思います。

浄瑠璃をテーマにした作品といえば、三浦しをんの描いた『仏果を得ず』があります。修学旅行で文楽を見た際の義太夫の魅力に取りつかれ、自らもその世界に飛び込み技芸員となった笹本健の、先輩芸人らに助けられ成長していく姿が描かれています。

 

 

また、本書のように粋な世界を描いた作品としては歌舞伎の世界を描いた近藤史恵の『巴之丞鹿の子』や、松井今朝子の『道絶えずば、また』などもあります。

こちらは推理小説ではありますが、歌舞伎の粋な世界を小説上に再現し、本書同様に洒落た世界を追体験させてくれる作品です。

 

鯖猫(さばねこ)長屋ふしぎ草紙

江戸の根津宮永町に、鯖縞模様の三毛猫が一番いばっている長屋があった。人呼んで「鯖猫長屋」。この美猫の名前はサバ。飼い主は、三十半ばの売れない画描き―。炊きたての白飯しか食べないわがままものの猫様が“仕切る”長屋に、わけありの美女や怪しげな浪人者が越してくる。次々に起こる不可解な事件に、途方に暮れる長屋の面々。謎を解くのは、いったい…。心がほっこりあたたまる、大江戸謎解き人情ばなし。(「BOOK」データベースより)

 

なんとも奇妙な小説でした。

 

主人公は売れない絵師の拾楽なのでしょうが、一番存在感があるのは、拾楽と共に暮らしている三毛猫です。

差配をしている老人の名をとって「磯兵衛長屋」と呼ばれていたこの長屋ですが、猫の指図に従い命が助かった者が出たこともあり猫が一番偉く、ついには「鯖猫長屋」と呼ばれるようになったといいます。

この猫、鯖縞模様であるところから名をサバと名付けられたのだそうです。この猫が、白いご飯に鰹節を乗せ、醤油をひとたらしした食事をいいつけ、その他に、何かにつけ指図をする、というように飼い主の拾楽には思えるのです。

 

この拾楽という人物が秘密を抱えていて、本シリーズ全体を貫く色付けがなされてます。

そうした秘密を少しずつ明らかにしていく役目を担いつつも、各章の橋渡し的役目を果たしているのが、各章の冒頭の「問はず語り」と題された短文です。

 

 

「其の一」
新しく越してきたお智に頼まれた絵を描いているところに佐助という男が一人の娘と共にお智をたずねてやってきた。お智と所帯を持つという話はどうなったのかと問い詰めに来たらしい。

「其の二」
拾楽に猫の画を書かせ、開運団扇として売り出しひと儲けをたくらんだ寛八だったが、そのことが原因でおはまを売り飛ばさなければならなくなるのだった。

「其の三」
鯖猫長屋に長谷川豊山という読本作家が越してきた。そのうちにサバが行方不明となってしまう。野菜の振売りをしている蓑吉の様子がおかしく様子を見ていると、豊山の部屋にいるサバが見つかるのだった。サバがいると豊山の近くに出る幽霊が出なくなると閉じ込めたものらしい。

「其の四」
ある日サバを譲ってほしいとあるお店の手代だという男が訪ねてきた。断ると脅しにかかろうとするが、そこを新たにこの長屋に越してきた木島主水介という浪人者が助けるのだった。

この話あたりから、拾楽の弟分である以吉とその親分である盗人の大物の話が「問はず語り」で記されたり、また、サバが成田屋の旦那と呼ばれている掛井十四郎を拾楽の部屋に入れなかったりと、この物語を貫く拾楽の秘密にも繋がる展開となってきます。

「其の五」
大晦日の雪の日、一匹の犬が拾楽の部屋の前で行き倒れていた。アジと名付けられたその犬は、木島主水介の手伝いをしていたが、ある日一人の浪人者にかみつくのだった。

この話は再び人情話へと戻っています。犬の話が好きな人にはたまらない話でしょう。

「其の六」
差配の磯兵衛が風邪で寝込み、拾楽が代わりに差配の仕事をすることになったが、お智の世話をしていた三次を怪しむ磯兵衛のことなど、成田屋はかなり詳しいところまで知っていそうだった。

「其の七」
おはまがいなくなった。そんな中、今度は三次が殺されたという。確認に行ったお智は人違いだと嘘を言う。帰ると拾楽の部屋に「黒ひょっとこ」宛の、おはまを預かっているとの文が届いていた。

鯖猫(さばねこ)長屋ふしぎ草紙シリーズ

鯖猫(さばねこ)長屋ふしぎ草紙シリーズ(2018年12月11日現在)

  1. 鯖猫長屋ふしぎ草紙
  2. 鯖猫長屋ふしぎ草紙(二)
  3. 鯖猫長屋ふしぎ草紙(三)
  1. 鯖猫長屋ふしぎ草紙(四)
  2. 鯖猫長屋ふしぎ草紙(五)

 

なんとも不思議な力を持つ三毛猫を陰の主人公とした、連作短編の人情小説です。

 

玉木大和の小説で、女錠前師を主人公とした『からくりシリーズ』という作品があります。その中に大福という猫が登場するのですが、この猫が実にいい味を出していました。

作者は、この猫が読者に受け入れられたので、「今度は対極にある猫を書いてみたいと思った」と書かれています。おっとりしたどこか犬のようなところのある白猫の大福に対し、サバは正真正銘、俺様で、気まぐれで、我が物顔での猫っぽい猫にしようと思たのだそうです。

 

この鯖縞模様の三毛猫を中心として、何かいわくありげな売れない絵師の拾楽を主人公に、長屋の面々が人情話を繰り広げます。

この三毛猫が、文化4年8月19日(1807年9月20日)に実際に起きた永代橋崩落事故を予見したことで長屋の住人の命が助かり、以後、この三毛猫は長屋の守り神となり、この長屋は鯖猫長屋と呼ばれるようになったのです。

 

本書は、猫が中心に据えられた小説ということで、どことなくほのぼのとした雰囲気が物語全体を覆っていることは否定できず、小説に緊張感や毒気を求めている人には向かない物語かもしれません。

でも、主人公の拾楽には義賊「黒ひょっとこ」という名の元盗人という過去があり、全くの能天気なファンタジーという話しでもありません。それなりの時代小説としての基本は踏まえたうえでのファンタジーなのです。

 

また、このシリーズは連作の短編集として各話でエピソードが語られながらも、全体としてみると一編の長編としての面白さも味わえる構成になっています。

売れない絵描きの拾楽が住む長屋には、まずは拾楽の隣に住む大工の与六と、この長屋を取り仕切るその女房おてるがおり、次に拾楽に想いを寄せるおはまとその兄の貫八兄妹、料理人の利助とその女房おきね、そして第一巻で新しく越してきたお智という娘などのその他の住人らがいます。

そして住まいは別ですがこの長屋の差配の磯兵衛がいて、皆で力を合わせてこの長屋に降りかかる様々な事件を乗り越えていくのです。シリーズ物の魅力の一つにいろいろな登場人物の顔見世がありますが、こうした長屋の住人も一役買っています。

さらに「成田屋」と呼ばれる同心も登場し、本書はその意味でもなかなかに楽しく、読むことができるのです。

錠前破り、銀太 紅蜆

蕎麦が不味いので有名な「恵比寿蕎麦」を切り盛りする(?)銀太、秀次の兄弟。幼馴染の貫三郎が、色っぽい後家に言い寄られてると知って気が気でない。なんでも、首筋に赤い蝶の痣を持つこの女、亭主が次々に死ぬんだという。さらに、兄弟にとって因縁浅からぬ闇の組織が、意趣返しに動き出す。 (「BOOK」データベースより)

「錠前破り、銀太シリーズ」第二弾の長編の痛快時代小説です。

 

本書冒頭で、前巻で「三日月会」の取りまとめをしていた蓑吉が登場し、「三日月会」が再び動き出したと告げてきます。

数日後、「亭主を取り殺した後家」として噂の綾乃という女について相談があるとやってきた貫三郎でしたが、その後家について調べてきた秀次と言い争いになり帰ってしまい、そのうちに行方不明になってしまいます。

貫三郎を探しに出かけたものの、仙雀という知り合いの家にいた“おしん”という女の子の爺さんもいなくなったという話を聞き、おしんの爺さんも一緒に探すことになる銀太でした。

 

本書に至り、前巻で簡単に触れられていた、銀太の店に現れる女形集団は『濱次シリーズ』に登場する森田座の大部屋女形たちだということがはっきりします。

そして、何よりも、『濱次シリーズ』の主要登場人物の一人である有島千雀が、本書でも重要な役割を持った人物として登場してきたことは驚きであり、同時に物語の幅が一段と広がった感じがしました。

 

 

ただ、前巻でも感じた、鍵のなる出来事に偶然の要素がからんでいることは本書でも同様に感じます。銀太と仙雀の出会い自体は別としても、仙雀の家にたまたまおしんがいて、そのことが本書を貫く事件におおきく関わってくる、など少々気になります。

とはいえ、今さらではありますが、こうした偶然の出会いはある程度は仕方のないことではないかとこのごろは思うようになりました。物語の展開上、偶然ではない出会いの場面を設けることの困難さは素人でも分かりますし、その労苦は別なことに向けてもらいたいとも思うのです。

ただ、あくまで最小限の出来事に限って欲しいとは思います。また、その偶然性を感じさせないストーリー展開にしてもらえればなおいいのですが。

 

田牧大和という作家の描く物語の世界は、市井に暮らす普通の人のようでいて、じつは裏社会に身を置いている、少なくとも置いていたという人物が多いようです。

例えば『鯖猫(さばねこ)長屋ふしぎ草紙』の主人公の売れない絵師の拾楽もそうですし、『とんずら屋シリーズ』の「松波屋」の面々もそうです。

 

 

その裏社会に通じる登場人物らが、巻き起こる難題を解決して行く様は痛快で、そこに描かれている人情話は実に小気味いい物語となっているのです。

錠前破り、銀太

しがない蕎麦屋を営む銀太、秀次の兄弟と、北町奉行所・吟味方与力助役の貫三郎は幼馴染。吟味で腑に落ちないことがあると、貫三郎は身分を隠して二人に知恵を借りに来る。そんな三人が、江戸中を騒がす連続辻斬り事件に巻き込まれた。真相を暴くため、銀太は…。傑作時代ミステリー誕生! (「BOOK」データベースより)

「錠前破り、銀太シリーズ」第一弾の痛快長編時代小説です。

本書は、木挽町の近くの三十軒堀にある、「菜や肴が旨い、うどんはまあまあ、そして、蕎麦が不味い」蕎麦屋として噂の「恵比寿蕎麦」をやっている銀太、そしてその弟である秀次、それにこの兄弟の幼なじみである貫三郎こと北町奉行所・吟味方与力助役の及川吉右衛門が中心となって活躍する物語です。

この「恵比寿蕎麦」は、恋女房だった“おかる”が茹で過ぎの柔らかくなった蕎麦が好みだったらしく、銀太の茹でる蕎麦はどうしてもおかるの好みの茹で具合になるのだそうです。

 

ある日貫三郎が、質屋の「亀井屋」に押し入った盗人を捉えたものの、犯人とは思えないと言う。

後日貫三郎が、先日捕物の声と共に「恵比寿蕎麦」に飛び込んできたものの、兄弟の説得の末に店を飛び出ていった加助という子供を捕まえてきた。

話を聞くと、加助の大切な人の偽造された借金の証文が、何の関係も無い「亀井屋」にあるので取り戻しに忍びこみ、その後に「恵比寿蕎麦に」逃げ込んだというのだった。

ところが、「亀井屋」について調べ始めた銀太が何も分からないままに襲われるという事件が起きる。そしてその翌日には、店にいた誹名という女錠前師が、秀次が大番屋に引っ立てられたと知らせてきた。

 

本書の冒頭近く、凝った細工の鬢盥を持っている誹名という女錠前師が登場します。

この作者の『からくりシリーズ』と似た人物設定だと思っていたところ、この女にはいつも大福という猫が側にいて、「緋錠前」と呼ばれるからくり錠前を作るという描写に至り、これは『からくりシリーズ』のスピンオフ作品だと思いつつ読み進めていました。

しかし、そうではなく『錠前破り、銀太 シリーズ』の本文にも書いている通り、『濱次シリーズ』のスピンオフだと作者自身が書いていたのには驚かされました。

 

 

本書の主人公の銀太は、「恵比寿蕎麦」という蕎麦屋をやっていますが、元は盗人です。その詳しい事情まではまだ分かってはいません。

その銀太に、人たらしと言われるほどに人懐っこい性格をしている弟の秀次がいて、貫三郎という名の幼なじみである与力がおり、更に誹名という女錠前師も加わって物語は進みます。

本書では、貫三郎が、捕まっている男は真犯人ではないのではないかとの疑いを持った事件と、それとは別口の人助けの話とが絡み合い、銀太ら三人が、誹名の力も借りつつ真実を探り出す、ミステリー仕立ての痛快エンターテインメント小説として仕上がっているのです。

 

しかし、無条件に面白いというわけでもありません。まずい蕎麦という設定や、元盗人という銀太の来歴、それに本書での出来事が銀太の周りに限定されていて偶然が多すぎるなど、何となく消化不良の印象を持った小説でもありました。

しかし、読み進めるうちに、田牧大和という作家のテンポの良い文章のためもあってか、いつの間にか引き込まれ、続巻も読みたいと思っていたのです。

それは、『からくりシリーズ』や『濱次シリーズ』とリンクしている世界観、というだけではなく、銀太たちに敵対する組織としての「三日月会」という謎の一団の存在が明確になってくるなどの、エンターテインメントとしての仕掛けもうまく機能しているからだと思われます。

なんとなく、物語の世界全体としての動きが制限されているような嫌いはあるものの、やはり田牧大和の描く物語は面白いと言える小説でした。

錠前破り、銀太 シリーズ

錠前破り、銀太 シリーズ(2018年06月23日現在)

  1. 錠前破り、銀太
  2. 錠前破り、銀太 紅蜆

 

このシリーズは、田牧大和の他のシリーズのスピンオフ作品として書かれた小説であり、またそれ以外のシリーズとも世界を共通にしているという独特な構成の小説です。

そのひとつは、『からくりシリーズ』です。本『錠前破り、銀太』シリーズの第一巻目『錠前破り、銀太』に登場する女錠前師の誹名は、『からくりシリーズ』に登場する誹名と同一人物です。

そしてもうひとつは、主役級の役者以下の女形である「中二階女形」の濱次を主人公とする『濱次シリーズ』です。作者によると、そもそもこの『濱次シリーズ』のスピンオフとして本『錠前破り、銀太 シリーズ』が書かれたものだそうです。

そこらの詳しい事情は

講談社文庫 » もうひとつのあとがき

に詳しいので、そちらを見てください。

 

本シリーズの読み始めは、凝った細工の鬢盥を持った女錠前師の登場に接しては、もしかして『からくりシリーズ』の誹名と同一人物か、と思ったものですし、もしそんな仕組みであるのならば、銀太の営む「恵比寿蕎麦」にお騒がせとして登場する森田座の大部屋女形たちが『濱次シリーズ』に登場する連中ならば面白いのに、などとも思ったものです。

その点が、上記の「もうひとつのあとがき」に上記の疑問は正しいものだと明記してあるのですから、田牧大和のファンとしては嬉しい限りです。

そして、その思いはシリーズ第二巻になると一層はっきりします。というのも、第二巻『錠前破り、銀太 紅蜆』には『濱次シリーズ』の主要登場人物の一人である有島千雀がこちらでも重要な役割を担って登場するからです。

こうした異なる物語で世界観を共通にさせるという小説手法は珍しいものではありません。近年読んだ作品でも、誉田哲也の『ノワール-硝子の太陽』と『ルージュ: 硝子の太陽』という作品がありますし、海堂尊の「桜宮サーガ」も物語が共通する世界で展開している作品として有名です。

 

 

本書の主人公は銀太といい、弟の秀次との二人で木挽町の近くの三十軒堀にある「恵比寿蕎麦」という蕎麦屋を営んでいます。ところが、この蕎麦屋は、銀太の茹でる蕎麦が不味いことで知られているのです。「菜や肴が旨い、うどんはまあまあ」だというのですから蕎麦屋としては致命的ですが、銀太の茹でる蕎麦以外はうまいこと、それに人懐こい秀次の人柄でもっています。

この銀太は、過去に盗人稼業に身を置いていた過去を持つなど、若干の秘密めいた過去がありますが、銀太の死んだ女房のおかるが伸びた蕎麦が好きだったなど、銀太の過去は早めに明らかにされます。

銀太と秀次兄弟には幼なじみで貫三郎と呼ばれている北町奉行所吟味方与力助役の及川吉右衛門がいます。銀太や秀次の知恵を借りながら、与力としての職務を果たしているのです。

銀二、秀次、それに貫三郎の三人を中心に、更に先に述べた誹名という女錠前師が加わって話は進むことになります。

当初は何故わざわざまずい蕎麦屋という設定にする意味がよく分からない、とか、登場人物の性格設定も今ひとつ、などとも思っていたのですが、第一巻目を読み終えてしまう頃にはやはり田牧大和の小説は面白い、と思っていたのでした。

三悪人

騙されたら、騙し返せ。駆け引きこそが生き甲斐だ―。目黒・祐天寺の火事に隠された、水野忠邦の非情なたくらみ。そのからくりを知った遠山金四郎は、鳥居耀蔵と手を組み、水野に「取り引き」を持ちかける。ひとりの遊女の行く末を巡って絡み合う。三者三様の思惑とは。三つ巴の知恵比べが、花の吉原で大きく動き出す。(「BOOK」データベースより)

 

遠山金四郎を主人公とした痛快時代小説です。

若かりし頃の遠山の金さんと後の妖怪である鳥居耀蔵とがタッグを組み、後の老中水野忠邦の非道を懲らしめる、という実にユニークな設定の長編の痛快時代小説です。

 

目黒の祐天寺の焼け跡から身元の知れない女と盲目の僧侶の焼死体が見つかった。たまたま水野の身辺を探っていた鳥居の仲間が、祐天寺の火事は水野の仕業だという。吉原で金四郎の敵娼(あいかた)である花魁夕顔の弟が、祐天寺で亡くなった僧侶だったところから、金四郎は鳥居と組んで水野忠邦の鼻をあかそうとするのだった。

 

冒頭書いたように、まだ若かりし頃の遠山金四郎鳥居耀蔵水野忠邦という、その名前を知らない者はいないだろう程の人物を、それも金さんと鳥居とを仲間にして水野と戦うという、なかなかにユニークな舞台設定の小説です。この点は他に見たこともなく、興をそそられます。

遠山の金さんや妖怪鳥居耀蔵を描いた作品としては、神田たけ志画の「御用牙」という劇画や、西條奈加の『涅槃の雪』などがありますが、共に老中水野忠邦の天保の改革を時代背景とした中で、鳥居耀蔵を悪役として前面に出して描いている作品です。

 

 

若かりし頃の遠山金四郎、鳥居耀蔵らを主人公とした本書は、設定は面白いのですが、残念ながら物語の展開が偶然にたよる場面が多く、作者の独りよがりと言われても仕方がないと感じる個所が少なからずありました。

鳥居の仲間がちょうど水野を探っていたから水野の仕業と分かる、という水野との対決のきっかけも偶然ですし、その火事で亡くなった僧侶がたまたま金四郎の敵娼の弟だった、というのも少々出来すぎです。

もう少し、必然性とまでは言いませんが納得できる理由が欲しいと思ってしまいます。

 

金四郎が命をかけて水野との戦いに挑む動機も、たまたま敵娼だった花魁の弟が殺されたから、というのでは説得力を感じません。それならそれで金四郎の性格など、感情移入できるだけの材料、つまりは読みである私を納得させる理由が欲しいのです。

とても、この花魁の初めての男が金四郎だったことや、金四郎がかなりの遊び人であり「暇だったから」などというのでは納得できる理由とは言えないのです。

 

もう一点、本書ではストーリー運びに力が入っていて、情景描写があまりありません。そのためか、会話はテンポよく進むのに、その場面の情景は浮かばず、人物がいる場所が空白でしかありません。こういう印象は初めてだと思います。

勿論、本書を面白いと言われる読者も多数おられます。気楽に楽しめる作品という意味では私も同感です。テンポよく、肩の凝らない読み物であることには違いなく、上記のような文句をつけずに、気楽に読み飛ばすにはいいかもしれません。が、田牧大和という作家の力量からすると、本書の水準以上のものを要求してもいいと思うのです。

せっかく面白い舞台設定なのですから、この作家さんならばまだまだ面白い物語を構築できるはずです。続編があるので、そちらに期待します。

泣き菩薩

「東海道五十三次」を描くのはまだ先のこと。十九歳の歌川広重こと安藤重右衛門は、江戸は八代洲河岸の定火消同心。二人の幼馴染、切れ者の信之介と剛力の五郎太とともに、菩薩像を襲った小火騒ぎの謎を追う。相次ぐ不審火は、噂の火付集団の仕業なのか。意外な黒幕が明かされる時、三人を待つ運命とは?江戸のモテ男・火消三人組が謎を解く。(「BOOK」データベースより)

 

若き日の歌川広重を主人公とした痛快時代小説です。

 

ある日、光照寺の哲正という名の小坊主が五郎太を訪ねてきて、哲正の同輩の森念を助けてほしいという。失火で講堂の仏像が燃え、森念が先輩から折檻を受けているというのだ。重右衛門ら三人は森念にかけられた疑いを晴らすべく奔走するが、その裏には火つけ一味の暗躍が見え隠れするのだった。

 

本書は若き日の歌川広重を主人公としています。

歌川広重は八代洲河岸定火消屋敷の同心の子として生まれ、数えの十三歳で同心職を継いでいます。十五歳の頃、歌川豊広に入門し、歌川広重の名を貰います。本書の時代の広重は未だ十九歳であり、安藤重右衛門と名乗っていました。

 

定火消」とは旗本の火消しのことです。つまり何度も大火に襲われていた江戸の町では火消し制度が整えられており、武家と町人それぞれに「武家火消」と「町火消」とがあって、「武家火消」は更に大名が管理する「大名火消」と幕府つまりは旗本の「定火消」とに整備されていったそうです。

 

私の時代は「安藤広重」という名で教わっていたと思うのですが、本名と号とを組み合わせるのもおかしな話ということで、今では「歌川広重」と呼ばれているようです。

 

本書は、作者田牧大和が小説現代長編新人賞を受賞した『花合せ 濱次お役者双六』の後の第一作であって、『花合せ 濱次お役者双六』とは色合いの異なる物語でありながら、それに劣らない面白さを持った作品に仕上がっています。

主人公が若き日の歌川広重ということで、重右衛門の画のうまさが巧みに生かされています。つまり、聞いたものに関しての情報はあいまいながらも、見たものに関しては抜群の記憶力を発揮して絵におこし、探索に生かすのです。能力は絵のうまさだけであり、腕力も勿論ありません。なのに、単独で行動するなど、思慮不足の面が危機を招いたりもします。

 

本書での安藤重右衛門には同じ定火消し同心として西村信之介と猪瀬五郎太という仲間がいます。西村信之介は「八代洲河岸の孔明」と呼ばれるほどに明晰な頭脳を持ち、五郎太は力持ちで、臥煙らからも慕われる人情家です。この五郎太のもとに小坊主が駆けつけてきたわけです。

これらの仲間が力を合わせ事件を解決します。この作家のテンポの良い文体、ストーリーが生かされた痛快時代小説です。

翔ぶ梅

大部屋女形の濱次に、まさかの引き抜き話が。天下の中村座が、思いもよらぬ好待遇で迎えたいというのだ。しかし巧い話には裏があるのが世の常で…。芸に生きる者たちの情熱と哀切を写し出す「縁」のほか、伝説の舞いを生んだ在りし日の有島香風の奔走を描く表題作など全3編。シリーズ第三弾。(「BOOK」データベースより)

 

濱次シリーズ第三作目の短編小説集です。

 

相変わらず、舞台裏のかしましさが伝わってくるような、小気味のいい物語です。今回は、趣を変えて、短編三作により成っています。

「とちり蕎麦」
二枚目立役の野上紀十郎は、舞台上でとちった詫びとして「とちり蕎麦」を皆にふるまう羽目になります。紀十郎は何故にしくじりを犯したか、そして何故に紀十郎は森田座から離れた場所にある「峰屋」を「とちり蕎麦」として使うのかが、ほっこりとした人情噺として語られています。

「縁(よすが)」
江戸の歌舞伎の芝居小屋、江戸三座のひとつ「市村座」が、大坂で大人気の女形、香川富助を呼ぶという話がおきます。それに対抗した「中村座」による濱次の引き抜き話に、濱次は勿論、師匠の仙雀や座元の勘弥、ひいきの茶屋の女将のお好らが振り回されるのです。

「翔ぶ梅」
濱次の師匠である有島仙雀と、仙雀の兄弟子で稀代の名女形の有島香風の若かりし頃の物語です。有島香風は本書の影の主人公とも言えるのですが、ここではまだ若手の仙雀はその香風に振り回されています。そして、本シリーズの最初に濱次も演じた舞踏劇「飛ぶ梅」の成り立ちも明らかになるのです。

 

濱次を中心とした人間模様が、芝居小屋の小粋な世界を舞台に繰り広げられますが、その世界観がうまく確立されていて、読み応えがあります。肩の凝らない読み易い文章でありながら、読み手をすんなりと納得させるのですから見事です。

シリーズものとしては珍しく、巻を重ねるごとに物語の世界が明確になっていき、面白さが増しているような印象がします。いえ、面白くなっていると言えます。

質草破り

訳ありの住人ばかりが集う、通称“烏鷺入長屋”に引っ越した役者の濱次。その家主で質屋のおるいは、筋金入りの“芝居者嫌い”だった。ある日、金を借りに来た三味線弾きの豊路に、おるいは意外な、けれど芝居で大切な役割を担う「あるもの」を質入れしろと言う。濱次シリーズ第二弾。(「BOOK」データベースより)

 

濱次シリーズの第二作目です。

 

中二階の女形である主人公の濱次は、それまで住んでいた長屋を追いだされ、通称「烏鷺入長屋」と呼ばれる後家さんが暮らす長屋に移ることになった。家主は「竹屋」という質屋であり、この物語の中心となるのが、そこの男勝りのおるいという女主人だった。

 

江戸時代の質屋では利息が収入源であり、質草も客の心意気や体面といった見栄に関わるものが一般的だった、といいます。

本書冒頭に語られる大工と「竹屋」のおるいとの掛け合いも、質入れされた月代(さかやき)をめぐる揉め事です。月代を質入れすると月代を剃ることはできなくなります。つまりは「恥ずかしさ、ばつの悪さ」と引き換えに質屋は金を貸すのだそうです。

 

この「竹屋」に、森田座の訳ありの三味線弾きが「掛け声」を質に入れます。つまりは、舞台上で三味線の曲の合間の掛け声をかけることができなくなり、事実上三味線を弾けなくなるのです。

しかし、これが騒動を巻き起こします。そこには、前作でも狂言回し的な存在であった奥役の清助が再び絡んできて、同時に、濱次が演じる筈の舞台の配役へも飛び火することになります。

 

本シリーズは芝居小屋が舞台であることから、この作者がもともと持っているリズムの良さが、小粋な舞台設定と相まって実に粋(すい)な色合いを醸し出しています。濱次の師匠の有島仙雀、森田座の座元の森田勘弥といったいつもの人物たちも当然のことながら登場し、物語の脇を固めています。

 

歌舞伎の世界を背景にした物語と言えば、まずは松井今朝子の『花伝書シリーズ』を思い出されます。綿密な考証の上に構築された世界は、格調高く、ミステリーとしての面白さも抜群です。

また、杉本章子の『お狂言師歌吉うきよ暦シリーズ』もあります。下町娘が女歌舞伎の世界で活躍する物語ははなやかで、すぐに物語の世界に引き込まれました。

また、近藤史恵の『猿若町捕物帳シリーズ』も挙げて良いのでしょう。捕物帖ですが第一作目の『巴之丞鹿の子』は歌舞伎の世界が舞台になっています。

どの作品も、粋さを堪能しつつ、人情物語としても、作品によってはミステリー者としても第一級の面白さを持った物語です。