人形が解く、人の心と江戸の謎―柄は大きいが気は小さい、若き紋下太夫の竹本雲雀太夫。役者も裸足で逃げ出す色男、人形遣いの吉田八十次郎。木挽町は松輪座に、今日も舞い込む難事件!?とびきりの「芸」で綴るお江戸文楽ミステリー。(「BOOK」データベースより)
小さな浄瑠璃小屋を舞台に繰り広げられる、文楽をテーマに描かれた長編のミステリー小説です。
ある日松輪座に、鶴沢幹右衛門を訪ねて、童を連れた隠居風の上方言葉の男がやってきます。駒吉というその童は、何故か八十次郎を「かかさま」と呼ぶのです。
新作として「千鳥三味線」がかけられることになっていた松輪座では、深夜に舞台から太棹三味線の音色が聞こえてきたり、人形師の彦太と衣装のおせんが仕事を降りると言い出したり、何かと問題が起きていました。
そのうえ、駒吉が侍に狙われ、気の弱い雲雀は芸が行き詰まったりと、松輪座は新作を演じることができなくなりそうになっていたのです。
「文楽」とは、「人形浄瑠璃」のことです。もともと、語り物音楽であった「浄瑠璃」と「人形」とが結びつき、中でも大阪の竹本義太夫の「義太夫節」が人気となりますが、それも衰退。それを十九世紀に入って興行師の植村文楽軒が建て直したところから、「文楽」が「人形浄瑠璃」の代名詞になったそうです( 上記参照元の「人形浄瑠璃文楽座」は解散し、そのサイトも閉じられています。そこで上記説明の文章はそのままに、参照先を同様の説明がある「文楽協会」へと変更させていただきます。 )。
また、上記の歴史から、人形浄瑠璃で語られる浄瑠璃は「義太夫節」が用いられるといいます( ウィキペディア : 参照 )。
本書の主人公は、一座の代表者である紋下(もんした)太夫の竹本雲雀太夫という義太夫語りです。そしてもう一人、「氷の八十次」との異名を持つ吉田八十次郎という評判の人形遣いがいます。
雲雀太夫は柄は大きいのですが、気が小さいため今一つ芸の上達の妨げになっていました。また、八十次郎は役者も裸足で逃げ出す色男でありながら、その発することばは冷たく、「氷の八十次」という異名のとおりだったのです。
この二人の他に、座長である亀鶴や、先にも名の出た雲雀太夫の相方の三味線弾きの幹右衛門、それにもう一人の人形遣いの毅助などの人たちがいます。
さらに亀鶴の一人娘であるお珠がいます。おきゃんで小生意気ながらも、小気味のいい娘という設定は、この作者の得意とするキャラクターのようです。
『とんずら屋シリーズ』の“弥生”や、『からくりシリーズ』の“お緋名”など、もちろん少しずつ異なるものの、似たキャラクターが登場しています。
ただ、この”お珠”はあまり登場場面がないのが残念ですが、よく考えたら、江戸の市井を描く人情ものに登場する町娘といえばおきゃんで小気味のいいキャラクターのような気もします。
本書の見どころといえば、まずは雲雀太夫の成長の過程でしょう。
気は弱くても本来は雲雀太夫が格上である筈なのに、八十次郎の冷たい言葉に何も言い返せずにいますが、次第に八十次郎の言葉の持つ意味を理解するようになります。
そこでの義太夫語りと人形使いとの関係が次第に変化していく様子が小さな感動を呼ぶのです。
でも、本書の持つ一番の魅力は、浄瑠璃の小屋を舞台とするところからくる、物語の全体を貫いている小粋さだと思います。
浄瑠璃をテーマにした作品といえば、三浦しをんの描いた『仏果を得ず』があります。修学旅行で文楽を見た際の義太夫の魅力に取りつかれ、自らもその世界に飛び込み技芸員となった笹本健の、先輩芸人らに助けられ成長していく姿が描かれています。
また、本書のように粋な世界を描いた作品としては歌舞伎の世界を描いた近藤史恵の『巴之丞鹿の子』や、松井今朝子の『道絶えずば、また』などもあります。
こちらは推理小説ではありますが、歌舞伎の粋な世界を小説上に再現し、本書同様に洒落た世界を追体験させてくれる作品です。