『われは熊楠』とは
本書『われは熊楠』は、2024年5月に336頁のハードカバーで文藝春秋より刊行され、第171回直木三十五賞候補作となった伝記小説です。
評伝と言っていい本書だと思うのですが、熊楠の身勝手な主張ばかりが目につく作品だと感じ、心惹かれるとは言えない作品でした。
『われは熊楠』の簡単なあらすじ
慶応3年、南方熊楠は和歌山に生まれた。人並外れた好奇心で少年は山野を駆け巡り、動植物や昆虫を採集。百科事典を抜き書きしては、その内容を諳んじる。洋の東西を問わずあらゆる学問に手を伸ばし、広大無辺の自然と万巻の書物を教師とした。希みは学問で身をたてること、そしてこの世の全てを知り尽くすこと。しかし、商人の父にその想いはなかなか届かない。父の反対をおしきってアメリカ、イギリスなど、海を渡り学問を続けるも、在野を貫く熊楠の研究はなかなか陽の目を見ることがないのだった。世に認められぬ苦悩と困窮、家族との軋轢、学者としての栄光と最愛の息子との別離…。かつてない熊楠像で綴る、エモーショナルな歴史小説。(「BOOK」データベースより)
『われは熊楠』の感想
本書『われは熊楠』は、第171回直木三十五賞の候補作となった長編の伝記小説です。
その特徴的な名前だけは昔から知っていた南方熊楠という人物の話ですが、その人物像はかなり強烈なものでした。
本書冒頭から、主人公の南方熊楠の強烈なエネルギーを感じる文章が続きます。
貪欲にこの世の万物について知りたいという欲求をそのままに、ある意味我儘としか言いようのない日々を送る熊楠。読んでいてこちらもその思いを感じ取れるるほどの熱量です。
個人的には、南方熊楠という人物については、「知の巨人」と呼ばれた人だということを除いては、その人となりについては何も知りませんでした。
でも、本書で描かれた熊楠という人物像が明確になるにつれ、熊楠の生活能力の無さや自己中心的な考え方に何となくの違和感を感じるようになったのです。
南方熊楠という人物が本当に本書で描かれているような人間であったのかは不明ですが、少なくとも膨大な資料を読み込んだ著者というフィルターを通した南方熊楠は身勝手と言わざるを得ない人物だったと思われます。
本書『われは熊楠』を積極的に評価できる点としては、熊楠という人物の持つ知への欲求をそのままに描き出しているところでしょうか。
本書での熊楠自身の関心を持った分野に対する好奇心を満たすための行動力は他の追随を許さないところがあり、自身の生活全般を研究に捧げているその姿は私ら凡人には及びもつかないところだと思います。
しかしながら、その行動についてはいろいろな意見があり、個人的にも諸手を挙げて賛成というわけにはいかないものを感じました。
その思いの背景には熊楠の生活全般の面倒を見ていた弟の常楠への評価があまり聞こえてこないとの思いが強くあったように思えます。
熊楠自身の研究に対する行動力は評価されるものだとしても、生活費や研究費のすべてを弟の常楠に委ねている熊楠はそのことを当然と思っている節があり、とても認めがたいのです。
また、本書『われは熊楠』での熊楠の描き方として、熊楠の生き方がエネルギーに満ちているのはいいとしても、その表現の一つとして脳内での会話や幻視と思われるような場面(鬨の声)があったりと、若干非現実的描写があるのはついていきにくく感じました。
熊楠という人物が事実てんかんのような病を持っていたとしても、脳に関する病があったとの記述のみでは熊楠の奇行を理由づけるには弱いと思ったのです。
この点に関しては、作者がインタビューに答える中で「あれは創作です。ただ、熊楠にはてんかんがあったと言われていて、その症状のなかには幻聴もあるそうです。彼の深い思考の裏付けとして、頭の中で声が聞こえていたという設定にしました。」とありました。
また同じ個所で、羽山繁太郎・蕃次郎兄弟が夢の中に出て来る点についても、「夢の内容は創作が多いですが、熊楠が羽山兄弟の夢をよく見ていたのは事実です。兄弟の生前も死後も彼らの夢を見ていたこと、それが性的なニュアンスをおびていたことは日記に残っています。作中でも触れた、繁太郎が夢に出てきて「ここを探すといいよ」というのでそこに行ったら新種の生物を発見した、というエピソードも手紙に記されていて。」と書いてありました( 岩井圭也ロングインタビュー : 参照 )。
本書は評伝であり、著者がイマジネーションを膨らませて南方熊楠という人物像を描き出そうとして脳内の会話などの表現手段を選択し、直木賞の候補作品になるという高い評価を受けたのですからそれは認めるべきなのでしょう。
でも、その表現手段について個人的には違和感を感じたのであり、描かれた人物像についてもついていけなかった、というのが正直な感想です。