夜叉萬同心 親子坂

夜叉萬同心 親子坂』とは

 

本書『夜叉萬同心 親子坂』は『夜叉萬同心シリーズ』の第三弾で、2013年8月にベスト時代文庫から文庫本書き下ろしで刊行され、2017年4月に光文社文庫から309頁の文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。

 

夜叉萬同心 親子坂』の簡単なあらすじ

 

中越・永生藩の山村から、奇妙な男が江戸に送り込まれた。無垢な心を持ち、鷹のように一瞬に獲物に止めを刺す、森で育った忍びの者、西上幻影。北町奉行所の隠密廻り方同心・萬七蔵は相次ぐ豪商の不審死を調べるうち、ある腹黒い商人と永生藩国家老周辺との癒着に気づく。巻き込まれる誇り高い鷹、幼影の運命に、七蔵はどう立ち向かうか。傑作シリーズ第三弾。 (「BOOK」データベースより)

序 十万億土
吉原の男たちによる警動騒ぎが起こって引きたてられ、翌正月に江戸町では女たちの入札が始り、一人の女に対する暴行を止めたのが七蔵だった。一方、永生藩では国家老の河合三了西上幻影にある命令を発していた。

第一章 湯島の白梅
ある日七蔵の家に猫のに誘われて、お美濃という幼子が遊びに来た。世話になっている叔父は帰ってこずに、賭け弓のうまい兄の健太と暮らしているという。しかし、七蔵が掛かりである殺人事件に絡んでいるのが健太が世話になっている白梅という女であり、また健太を利用した白梅の企みの裏には中丸屋康太夫という米問屋が絡んでいる疑いがあった。

第二章 寒椿雪化粧
新吉原の面番所に詰めていた七蔵は、正月に助けた本名を椿、今は寒椿と名乗る女郎から父親の河野佐治兵衛を斬った者を捜し出したいという相談を受けた。河野佐治兵衛の事件を調べると、かつては椿の許婚だった疋田籐軒、今の根津籐軒の身代わりに仕置を受けた事件に関連しているらしいが、根津籐軒の仕置は難しいと伝えるのだった。

第三章 幻の鷹
永生藩の河合三了から命を受けた西上幻影は鏡音三郎の昔馴染みであった。幻影は例の中丸屋に寝泊まりしていた。永生藩御用達を務める笹井屋太佐衛門室生屋利三郎と不審な死が続き、残された荷送問屋大樽屋文右衛門が調べを願い出てきた。中丸屋は永生藩蔵元の地位を望んでいるらしく中丸屋を見張る七蔵らだった。

 

夜叉萬同心 親子坂』の感想

 

本書『夜叉萬同心 親子坂』は、『夜叉萬同心シリーズ』の第三弾となる、連作短編の痛快時代小説です。

 

本書では、登場人物の一人である鏡音三郎が仕える藩の御用達の中丸屋が絡んだ話が第一話と第三話とに出てきます。それは、つまりは「序 十万億土」で登場してきた西上幻影の物語であり、ひいては鏡音三郎の話にもなります。

また前巻から登場してきている猫の倫が結構重要な役割を勤めていて、本書の雰囲気も和らいでいるようにも思えます。

 

猫に重要な役割を担わせている物語は少なからずありますが、時代小説に限ると、田牧大和の作品にはよく猫が登場します。

中でも『鯖猫(さばねこ)長屋ふしぎ草紙』で登場するサバという名の猫は殆ど主人公といってもいいくらいで、この猫の指図で絵師の青井亭拾楽がさまざまに振り回されるのです。

また、そこまでではありませんが思い出すのは、池波正太郎の『剣客商売 二十番斬り』の中の「おたま」という短編に登場する猫も、重要な役割を担っていて、何故か心に残っています。

このシリーズの中では、久しぶりの出会いのきっかけを猫に求めるという、めずらしくファンタジー色が感じられる話であり、また、四十余年という歳月の経過の恐ろしさを描いた好編でした。

 

ともあれ本書『夜叉萬同心 親子坂』の第二話は、いつもの通りの世の中で起きた不条理な出来事の後始末をつける七蔵という流れの話ですが、他の二編は、永生藩の藩内抗争に絡んだ話であり、鏡音三郎が重要な役割を持って活躍する話になっています。

とはいえ、西上幻影という野に育った男が藩の重役の言動に踊らされるという悲哀を持った物語という点では、この作者がよく描く世界の話だとは言えるのでしょう。

変わらずに、一気に読める作品となっています。

夜叉萬同心 冥途の別れ橋

夜叉萬同心 冥途の別れ橋』とは

 

本書『夜叉萬同心 冥途の別れ橋』は『夜叉萬同心シリーズ』の第二弾で、2008年3月にベスト時代文庫から文庫本書き下ろしで刊行され、2017年4月に光文社文庫から317頁の文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。

 

夜叉萬同心 冥途の別れ橋』の簡単なあらすじ

 

北町奉行所の隠密廻り方同心・萬七蔵は、「夜叉萬」と恐れられる存在だ。永代橋崩落の大惨事に揺れる江戸で、押しこみ強盗の末に一家を惨殺する卑劣な窃盗団「赤蜥蜴」の探索をすることに。直近の襲撃のみ、一味のやり口が変化していることに七蔵は戸惑うが、そこから導き出されるのは意外な真実だった。人間の業や情愛、運命を鮮やかに描き出す、シリーズ第二弾。(「BOOK」データベースより)

 

夜叉萬同心 冥途の別れ橋』の感想

 

本書、辻堂魁著の『夜叉萬同心 冥途の別れ橋』は、『夜叉萬同心シリーズ』の第二弾となる、連作短編の痛快時代小説です。

この『夜叉萬同心シリーズ』は、クールな主人公萬七蔵が世の悪を懲らしめ、非道を正すという、まさに痛快時代小説の王道をゆく作品であり、本書では、文化4年(1807年)に起きた永代橋の崩落事故にまつわる三つのエピソードが語られています。

 

まず、「序 崩落」では、ある男が必死で逃げている最中に崩落事故に巻き込まれ、あるものを隠す様子が描かれています。

次いで「第一章 がえん太鼓」では、七蔵は崩落事故で行方不明となっている万吉という臥煙を探すように命じられます。七蔵らが調べると、そこでは定火消しの斉東家らが言うこととは異なり、高圧的な臥煙らの横暴な振る舞いが問題となっていた事実が浮かび上がるのでした。

そして「第二章 川向うの女」は、御公儀番方徒組三番組御家人・林勘助の溺死体が上がったことから、七蔵がその探索に乗り出します。崩落事故で行方不明になった妻袈裟を探す勘助の姿、そして一人の女を助けたある男の姿が浮かび上がってきたのでした。

また「第三章 散茶女郎の小判」では、残虐な手口で恐れられている「赤蜥蜴」と名乗る押し込みの一団を追う七蔵の姿があります。冒頭「序」で描かれた崩落事故は、事故の様子を描き出すとともに、この物語へとつながっていたのでした。

こうして永代橋の崩落事故にまつわる三つの物語が描かれるのですが、そこにあるのは、第一章では樋口屋という釘鉄銅物の問屋に降りかかった悲運であり、第二章では御公儀番方徒組三番組御家人・林勘助とその妻の袈裟の悲哀です。

これらの哀しみに隠された非道を暴き、懲らしめるのが萬七蔵とその仲間たちなのです。奉行からの切り捨て御免の暗黙の了解を得ている七蔵は、悪を前に思い斬り剣の腕をふるいます。

 

一方、七蔵の屋敷では、行儀見習いとして入った叔母由紀の孫娘で十三歳になるがいて、明るさを増しています。

また、第二章で登場した猫のが七蔵の家に住み着いたようで、文とに可愛がられる姿などが描かれていて、こうした描写は、殺伐とした内容が描かれることが多いこのシリーズの、息抜きともなっています。

また、このシリーズの第一巻『夜叉萬同心 冬かげろう』でも登場した鏡音三郎という男が今回も登場しますが、町娘のが音三郎に対し抱く愛情の場面などは実に爽やかであり、清涼剤ともなっているようです。

ここらは『日暮し同心始末帖シリーズ』での主人公日暮龍平の家庭の描写がいつも前を見つめていて希望を示していて、暗くなりがちな物語に明るさをもたらしているのと同じで、定番の手法だとは言えうまいものです。

修羅の契り 風の市兵衛 弐

修羅の契り 風の市兵衛 弐』とは

 

本書『修羅の契り 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛シリーズ 弐』の第二弾で、2018年5月に祥伝社文庫から322頁の書き下ろし文庫として出版された、長編の痛快時代小説です。

 

修羅の契り 風の市兵衛 弐』の簡単なあらすじ

 

病弱の妻の薬礼を得んがため人斬りに身をやつした信夫平八。断腸の思いで平八を刀に懸けた唐木市兵衛は、彼の忘れ形見、小弥太と織江とともに新しい生活を始める。日々、絆を深くする市兵衛と子どもたち。そんな中、岡っ引の文六、お糸夫婦が寝込みを急襲された。さらに、幼い兄妹が行方不明に―子どもたちの奪還のため死地へと向かう市兵衛に“修羅の刃”が迫る! (「BOOK」データベースより)

目次
序章 六道の辻 | 第一話 土もの店 | 第二話 仕かえし | 第三話 修羅の町 | 第四話 死闘千駄ヶ谷 | 終章 ご褒美

 

修羅の契り 風の市兵衛 弐』の感想

 

本書『修羅の契り 風の市兵衛 弐』は『風の市兵衛 弐 シリーズ』の第二弾の長編の痛快時代小説です。

 

今回の物語は、大きく二つに分けられます。

ひとつめはシリーズの主人公唐木市兵衛の新しい勤め先での出来事で、ふたつめは前巻で市兵衛が倒した信夫平八が残した二人の子、小弥太織江にまつわる話です。

 

最初の新しい勤め先とは家禄千二百石の旗本大久保東馬を当主とする大久保家であり、そこでの用人としての勤めです。

でも、そこには既に大木駒五郎という人物が既におり、大久保家全般のことを取り仕切っていたのです。

ところが、この大木駒五郎という男は大久保家を食い物にしようとしていることは明白であるにもかかわらず、大久保東馬はそのことを全く認めようとはしないのでした。

 

そしてもう一方では、小弥太と織江とが行方不明になってしまいます。その裏には、信夫平八とその妻由衣が国元から出奔する原因となった宝蔵家の三男であった竜左衛門の存在が疑われるのでした。

そこに、信夫平八の雇い主であった殺し人の元締めの多見蔵が信夫平八の敵を討とうと、新しい殺し人に岡っ引の文六とその女房お糸、そして市兵衛の殺しを依頼し、話は複雑になります。

 

こちらの話が本書の本筋の話ではあるのですが、市兵衛の痛快さが見れるのは最初の大久保家の話のほうです。

こちらは単純に頼りなさげに見えた男が実は芯の強さを秘めていたというヒーローものの王道のような展開を見せます。

そして、久しぶりに市兵衛の経理に強い、用人としての顔を満つことができる物語でもありました。

 

一方、小弥太と織江とにまつわる物語もヒーローものではあるのですが、こちらは物語で読ませる話となっています。

多見蔵と信夫平八との関係や、信夫平八と宝蔵家の竜左衛門と間の話、また市兵衛と幼い子らの関係はどうなっていくのか、などなかなかに読ませるのです。

そして、本来江戸の外に逃げ出せば足る筈の多見蔵が、新たに殺し人を依頼する理由なども丁寧に示してあり、私の好みをきちんと押さえた物語となっていました。

 

しかしながら、市兵衛の新しい物語も登場人物も確定してその中で物語が進行していくものと思っていたところ、更に思いの他の展開となってしまいました。

今後の展開はどのようになっていくものなのか、次巻を待ちたいものです。

縁切り坂 日暮し同心始末帖

内藤新宿のはずれ、成子町で比丘尼女郎の千紗が首の骨をへし折られ殺害された。犯行を目撃しただろう妹は姿を隠してしまう。探索する北町奉行所平同心の日暮龍平は、千紗が執拗に付きまとう男から逃れるため、深川から流れてきたと知る。さらに過去を辿ると、千紗と妹との因果が明らかに。やがて、妹の命を狙う下手人の身勝手な動機に、龍平は鬼となる! (「BOOK」データベースより)

本書は、日暮し同心始末帖シリーズ第六弾の長編の痛快時代小説です。

 

 
序 家内暴力
日暮龍平の出勤前に、お万知が喜多野勇が暴れると言って逃げ込んできた。龍平が何とか押さえている間に組頭の川波らが取り押さえに来て、なんとかその場は収まるのだった。

第一話 成子坂
成子町で、首に右手一本で締められたらしい指の跡を残し、女が殺された。三日前から行方不明のお久仁という妹が客引きをし、殺された千紗が客を取っていたらしい。深川の女衒の十吉によると、二年前まで五間堀の三間町で比丘尼女郎をやっていて、千紗に頼まれ成子町を紹介したというのだ。

第二話 三間町の尼さん
成子町に行くついでに、喜多野らと共に角筈村の心勝寺に大観という祈祷師を捕らえに行くと、喜多野は大観を右手一本で突き上げ、投げ捨てる暴挙に出る。一方、宮三は埼玉郡越谷宿で、お千紗と思われるお円という娘の両親と兄に会い、そもそもお円は根っから女郎になるしかない女だったと聞きこんできた。また、喜多野の手下によると、喜多野は数年前に千紗という名の比丘尼女郎に入れ込んでいたらしい。

第三話 七日目の夢
お久仁が見つかり話を聞くと喜多野がお千紗を殺したのを見たという。龍平は、北町奉行永田備前守らに喜多野の犯行を報告していたが、喜多野が七振りの刀を抱えた信太と共に北町奉行所へと乗り込んできた。暴れまわる喜多野を押さえられない同心、与力だったが、龍平がその前に立ちふさがるのだった。

結 縁切り坂
母方の実家のある用賀村の縁者のもとに旅立つお万知を見送り、お久仁はお円の兄が越谷村へ連れて行き養女にしたと報告があった。

 

今回の物語は、少々趣旨がつかみにくい物語でした。というのも、今回の物語は喜多野勇という男の行動が中心となっているのですが、いくら心に鬱屈を抱えているからといってここまで破れかぶれになるのだろうか、という疑問がずっと頭の片隅に残っていたからです。

龍平はもともと旗本の部屋住みであり、その男が不浄役人と蔑まれた同心の家へ養子に入ったのですが、喜多野勇は貧乏同心の家に、更に貧乏な家から養子に入り、不細工な嫁からはいつも見下されていて、心に鬱屈を抱えた日々を送っていたというのです。

しかし、それにしても激高の程度がひどく自殺願望があるとしか思えません。でも、よく考えて見ると、近年、激高の末に殺人に至る、という事件のニュースをよく見聞きすることに気がつきました。

してみると、こうした話も決して絵空事ではないのかもしれません。そこに日暮龍平が絡み、痛快小説として仕上げてあるわけです。

一方で、男が無くては生きていけない女の行きつくところを描いた物語でもあり、それはそれで哀しい話です。女郎としてしか生きていけに女に入れ込んだ哀しい男の物語でもあるかもしれません。

シリーズの雰囲気も維持したまま、それでも龍平は夫として、そして父親としてもひとつの理想像を生きているようなな気がします。

日暮し同心始末帖 逃れ道

神田堀八丁堤で菱垣廻船問屋の番頭が殺された。臨時で定町廻り方となった北町奉行所平同心の日暮龍平は、早速、探索を引き継ぐが難航する。同じ頃、倅の俊太郎を地廻りから救ってくれたお篠に出会う。お篠の夫は彼女を描いた錦絵が評判の絵師だった。ところが、番頭の遺品にその錦絵が見つかるや、お篠の過去に捜索の手が―秘した哀しみが涙を誘う万感の時代小説。(「BOOK」データベースより)

本書は、日暮し同心始末帖シリーズ第五弾の長編の痛快時代小説です。

 

 
序 あぶり団子
六歳の俊太郎は九歳の左江之介らと共に寛永寺参詣に行き、健五と呼ばれる男らから乱暴を受けているところをお篠と名乗る女に助けられた。

第一話 八丁堤
お篠とその夫の錦絵師の涌井意春とにお礼に行った翌朝、龍平は江戸煩い(脚気)で動けない廻り方の南村種義の代わりを務めるように命じられる。難しそうな事件としては神田堀の八丁堤での殺しがあった。南村の手先の蔵六に会いに行くと、そこには南村出入りの店の心付けを狙っていた非常警戒掛同心の鈴本左右助や、俊太郎を痛めつけた健五という男もいた。

第二話 美人画
八丁堤で殺された男は、四十を超えて独り身の、品川裏河岸の菱垣廻船問屋・利倉屋の平番頭の雁之助で、二百両を超える金と涌井意春の錦絵を持っていた。無くなっていた銀の煙管と象牙の根付は、健五らが売り払ったものであり、なお雁之助が八丁堤にいた理由や意春の錦絵を持っていたのは何故かが気にかかる龍平だった。

第三話 嵐
龍平らが、お篠と雁之助との因縁を知っている男、八弥の元に行き、詳しい話を聞いているころ、相模の出張陣屋の元締・黒江左京の命を受けた五郎治郎や庸行を始めとする四人は、お篠と意春の元に忍び込み、これを殺害しようとしていた。

結 馬入川
龍平と俊太郎はとある人物のもとを訪れ、その後の報告をするのだった。

 

本書では一人の女に焦点が当てられています。その女はやっとのことで悪党の仲間から逃げ出し、今はある絵描きの女房となって幸せに過ごしていたのです。

ひょんなことからこの女性お篠と知り合った龍平は、とある殺人事件の被害者がお篠の夫である錦絵師の涌井意春の錦絵を持っていたことが気になるのでした。

 

このお篠という女に凄惨な過去が隠されており、現在の幸せな生活がお篠の過去から現れた男らによって壊されてしまうという、よくあるパターンといってもいい物語の流れでです。

ある事件の関係者が偶然の出会いにより一同に会することになるという物語の流れは、痛快小説の宿命かもしれず、そのことは言いたてても仕方のないことなのでしょう。

しかし、できればその不自然さを少しでもいいので回避して欲しいと思うのです。それとも、無い物ねだりなのでしょうか。

 

ともあれ、今回は息子俊太郎が理不尽な暴力に遭うことから物語は始まり、そのことについての龍平による意趣返しも意図しないままに果され、お篠に対する非道な行為に対しても龍平の剣が冴え渡り、まさに痛快小説ここにありという展開を見せてくれています。

若干の哀愁を帯びた物語としてあるのもこのシリーズのいつもの流れです。軽く読めるエンターテイメント小説として持ってこいの小説です。

凶刃―用心棒日月抄

好漢青江又八郎も今は四十代半ば、若かりし用心棒稼業の日々は遠い…。国元での平穏な日常を破ったのは、藩の陰の組織「嗅足組」解散を伝える密明を帯びての江戸出府だった。なつかしい女嗅足・佐知との十六年ぶりの再会も束の間、藩の秘密をめぐる暗闘に巻きこまれる。幕府隠密、藩内の黒幕、嗅足組―三つ巴の死闘の背後にある、藩存亡にかかわる秘密とは?シリーズ第四作。(「BOOK」データベースより)

用心棒日月抄シリーズの第四巻(最終巻)で、シリーズの中で本書だけ長編時代小説です。

前巻で藩内抗争の元凶であった寿庵保方を倒した又八郎らでしたが、本巻はその十六年後の物語です。

 

本巻では十六年という歳月を経たことによる物語そのものの変遷、そして人物の変貌を語らないわけにはいきません。そこにあるのは、歳月の経過の残酷さであり、哀愁です。

本書で時の経過が一番示されるのは細谷源太夫の変貌です。酒と女が好きで、豪快さと共に家族に対する想いに満ちていた細谷は、十六年という歳月の間に「襤褸をまとった、蓬髪の肥大漢」となり、妻に死なれ、自らも酒毒に侵されています。相変わらず用心棒として糊口をしのいではいるものの、もう役には立ちません。

その仕事を紹介している相模屋の吉蔵も「頬がこけて色が黒く、干し柿のような顔をした年寄り」となっています。

 

とはいえ、本書全体が淋しい雰囲気かと言うとそうでもないのですが、ただ、当たり前のことですが、どうしても十六年という時の経過は随所に出てきてしまうのです。

そして久しぶりに会った佐知からは「十六年も音信も無くほっておかれたからと、寝首を掻くようなことはいたしませぬ。」などと皮肉を言われてしまう又八郎でした。かつての佐知はこうした戯言は言わなかったでしょう。

歳月の経過を感じさせる中、忍びの集団である嗅足組の解散を告げる役目を負った又八郎は、藩の秘密を探ろうとする幕府隠密と、藩の秘密を藩内にも隠そうとする一派との三つ巴の闘いへと再び踏み込むことになるのです。

 
以下、あらすじです。
 

又八郎は谷口亡きあとの嗅足組の棟梁である寺社奉行の榊原造酒に呼ばれ、又八郎の今回の江戸行きの折、江戸の嗅足組に解散を伝えるようにと命じられる。藩主壱岐守が将軍吉宗に藩内には忍びはいないと言い切り、その時に嗅足の勤めは終わったというのだ。

ところが、寺社奉行の榊原が殺されたとの知らせを受け、出立の前日、大目付の兼松甚左衛門に会い、江戸屋敷の女は少しずつ帰国させるようにとの指示を受けるのだった。

江戸に着いて数日後、若松町の町医平田麟白の家で佐知と会い、江戸の嗅足組の解散を告げるとともに、佐知からは又八郎の江戸到着の翌日に新たに国元から二人の足軽が来たことを告げられた。

一方、口入屋の相模屋へ行き年老いて痩せた吉蔵から初村賛之丞という今の細谷の相棒を紹介される。後日、賛之丞に細谷の家に案内されると、酒毒に蝕まれた細谷がいた。妻女は五年前に死に数人の子らは死に、ほかは幸せに暮らしているというのだった。

その後佐知から、国元へ帰した三人が相次いで変死したとの知らせを受け、また先に来た野呂や今回来た五人は二の組の嗅足であり、内御用人の村越儀兵衛の指揮のもとにあるという。

その後碁の調べによると、かつての藩の出入りの商人である長戸屋が絡んだ、下屋敷のお卯乃の方に関する出生の秘密にたどり着き、幕府隠密とお卯乃の方の秘密を隠し通そうとする藩内の一派との闘いの構図が明らかになるのだった。

刺客―用心棒日月抄

お家乗っ取りを策謀する黒幕のもとから、五人の刺客が江戸に放たれた。家中屋敷の奥まで忍びこんで、藩士の非違をさぐる陰の集団「嗅足組」を抹殺するためにである。身を挺して危難を救ってくれた女頭領佐知の命が危いと知った青江又八郎は三度び脱藩、用心棒稼業を続けながら、敵と対決するが…。好漢又八郎の凄絶な闘いと、佐知との交情を描く、代表作『用心棒シリーズ』第三編。(「BOOK」データベースより)

 

藤沢周平著の『刺客―用心棒日月抄』は、『用心棒日月抄シリーズ』の第三弾の連作短編時代小説集で、やはり藩内抗争を軸としながらも、用心棒としてのエピソードを絡めた長編小説と言えます。

 

大富一派の残滓とも言うべき大富静馬との闘争を制し、連判状や手紙なども取り返して幕府からの追及の恐れも無くなった又八郎らでしたが、今回は新たに、と言うべきか大富一派の背後にいたと思われる前藩主の異母兄寿庵保方が動き出します。

自らが藩政の表舞台に出たいと考えた寿庵保方は自分が抱える忍びを活かすため、藩主直属の忍び集団である嗅足組を一掃しようと図り、江戸へ刺客を送りこもうと企みます。そこで、またまた又八郎が江戸の嗅足組をまとめている佐知への連絡掛りとして派遣されるのです。

 

今回は、国元の嗅足組の頭領である谷口権七郎からの命であり、一応の資金も用意されていましたが、コソ泥にやられ文無しとなり、やはり相模屋の世話で用心棒生活に戻ります。

勿論、細谷源太夫も登場し、又八郎と息のあった用心棒稼業の姿を見せてくれます。ただ、今回のメインはやはり又八郎と佐知との成り行きでしょう。

<梅雨の音>の章で、怪我をして眠る佐知の枕元で、このひとは「女子には荷が勝ちすぎる重荷をになっている。」と思う又八郎と、<黒幕の死>の章で「江戸の妻に」と願う佐知との間では、藩のために命を賭して働いている仲間同士を超えた心情があります。

この二人の心の通い合いを一つの見どころとして、又八郎の刺客たちとの剣戟の場面もまた見るべき場面でしょう。鳥羽亮津本陽の描く剣戟の場面とは異なる自然な流れの中での立ち合いの場面は、派手ではありませんが引き込まれます。

 
以下、各話のあらすじです。
 

陰の頭領
ある夜遅く、かつて筆頭家老であった谷口権七郎からの呼び出しを受ける。寿庵保方が動き出し、江戸の嗅足が狙われており、谷口の娘である佐知を助けるために江戸へ行って欲しいと命じられるのだった。

再会
吉蔵を通じて久しぶりに佐知と会い、剣の使い手である筒井杏平を始めとする五人が嗅足殺害のための刺客として送り込まれたことを告げる。その後、用心棒のために細谷と共に詰めていた屋敷で問題の強盗を取り押さえ、帰宅した又八郎を待っていたのは、はるという女が戻らないという佐知からの連絡だった。

番場町別宅
廃人同様になっていたはるを佐知と共に助けだし、はるを背負い帰る途中、刺客に襲われる。しかし刺客の一人土橋甚助と思われる男を倒す又八郎だった。家に帰った又八郎は、留守中に軍資金を盗られてしまっていた。菱屋という問屋の娘の見守りの仕事で夜盗を退治して帰ると佐知からの連絡が入った。

襲撃
嗅足の女らと共に刺客らを襲撃し、刺客の中田伝十郎、江戸屋敷祐筆方の寺内弥蔵、氏名不詳の探索の男の三人を倒した。そこに細谷がおみねという名のばあさんと頭のおかしい孫娘の二人のお守という仕事を持ってきた。

梅雨の音
佐知が怪我をして結城屋という商家に寝ているという連絡が入った。佐知の医者の支払いなどで金の必要な又八郎の仕事は、本多市兵衛という胡乱な男の用心棒だった。ところが、数日後、本多の家を襲ってきた賊は「上意により」と言ってきたのだった。

隠れ蓑
細谷が飲み屋で知り合ったおきんが、女の旦那佐川屋六兵衛の用心棒を頼みたいと言ってきた。翌朝細谷が、佐川屋六兵衛がさらわれたと言ってきたが、佐川屋に行くと既に六兵衛が帰っていたのだった。また、佐知から寿庵の母親の出自を聞き、帰ってきた刺客成瀬助作と立ち合い、これを倒すのだった。

薄暮の決闘
辰巳屋という煙草問屋の隠居の別宅の見回りという仕事を請けた。隠居の八兵衛は、自分が奉行所に告げ口をした松平が襲ってくると言うが、松平は既に死んでいるのだ。その辰巳屋からの帰りに相模屋へ寄ると筒井杏平が待っていて、七日後の果し合いを言ってきた。

黒幕の死
国元へ帰り谷口権七郎に報告し、何も知らない間宮中老にも寿庵保方の企みをも知らせると、藩主の鷹狩りの帰りに寿庵の屋敷へと行く約束をしているというのだった。

孤剣―用心棒日月抄

お家の大事と密命を帯び、再び藩を出奔――用心棒稼業で身を養い、江戸の町を駆ける青江又八郎を次々襲う怪事件。シリーズ第二作。( Amazon「内容紹介」より )

 

『用心棒日月抄シリーズ』の第二弾の連作短編時代小説集です。本書も前巻同様に用心棒としてのエピソードを繋いだ長編小説とも言えそうです。

前巻で赤穂浪士の物語に絡んだ又八郎の物語は終わりました。本来、このシリーズは「第一巻だけで終わる予定だった」筈ですが、「編集者のそそのかしによってシリーズ化された」そうで、この巻からは前巻での藩内の争いを軸に物語を再構成してあります。

つまり、前藩主壱岐守毒殺の首謀者の家老の大富丹後は間宮中老によりすでに処断されていたものの、大富一派の手紙類や日記、それに連判状などが剣客大富静馬に持ちだされたらしいのです。

ところが、そのことを公儀隠密が嗅ぎつけて静馬を追っているため、藩のために間宮中老は又八郎に再度脱藩の形式をとり、静馬から連判状他を取り戻すようにと命じるのです。

こうして又八郎は再度江戸へと出ることになります。間宮中老は家族の世話は見るし、路銀こそ少しは出してくれたものの、江戸での生活費は自分で調達するようにとのことであり、再び相模屋の吉蔵の世話になることになるのでした。

 

そこで、重要な登場人物として佐知という女性が重要な役目を持って登場します。前巻の終わりで又八郎を襲撃したものの、自ら太ももを傷つけ逆に又八郎に助けられた女です。

この佐知は江戸での忍びの組織である嗅足組の頭であり、又八郎の手足となり又八郎の任務の手助けをすることになるのでした。

勿論、細谷源太夫も用心棒の相棒として登場しますし、新たな用心棒仲間も加わり、又八郎の用心棒としての日々が描かれることになるのです。

 
以下、各話のあらすじです。
 

剣鬼
間宮中老の命により、大富静馬のもつ連判状などを取り戻すために再び江戸へと戻った又八郎でした。藩邸を見守るうち、佐知という女刺客を見つけ、静馬の情報を知らせてくれるようにと頼むのだった。一方、吉蔵の店へ行くと、細谷が付き添っていた子供が行方不明となり、怒った雇い主の旗本に捉われているという。又八郎は、すぐに細谷を救い出し子供の行方を探すのだった。

恫し文
近く強盗に入るという投げ文があり、呉服屋の越前屋の用心棒を米坂八内と共に請けた。そんな折、佐知からの知らせで静馬の現れる場所に行くと、静馬を狙う公儀隠密の一団と闘うことになってしまう。その後、越前屋では百両という金が消え、その数日後米坂といるときに七~八人の頬かむりの男たちが襲い来たのを迎え撃つのだった。

誘拐
ふた親を殺されたゆみという十三才の女子が雇い主の仕事を請けた。その泊まり込み先に佐知に使われているという女が佐知の危機を知らせてきた。大富静馬に捕らえられたらしい。すぐに佐知を助け出した又八郎だったが、帰るとゆみの姿が無くなっていた。

凶盗
評判の残虐な夜盗を恐れている箔屋町の油問屋安積屋で、細谷や米坂とともに用心棒につくことになった。ある日佐知に呼び出され、静馬の探索の報告を受けた帰り、安積屋を見張る男を見かける。十四~五人の夜盗が襲ってきたものの、なんとか三人で撃退することができた。後日、佐知と共に静馬の隠れ家へ行くと、静馬は大富の手紙と日記を残して逃げ去るのだった。

奇妙な罠
小牧屋という糸屋の隠居の別宅の番人の仕事を請けた又八郎だったが、これが罠だったらしく、公儀隠密の一団に捉われてしまう。又八郎を大富静馬の仲間と勘違いした隠密らは、又八郎を拷問にかけ静馬の行方を白状させようとするのだった。

凩の用心棒
ある日米坂が帰ってこないという知らせを受けた。吉蔵から話を聞くと、若狭屋の別宅に隠したおけいという十七歳の娘の警護だったらしい。用心棒として自分でおけいを助け出そうとしている筈と考えた又八郎は、新たな変死体が出たとの知らせに駆けつけ、その近くに米坂がいるとの見当で探すと案の定米坂がいた。

債鬼
風邪を貰った又八郎はしばらく寝込んでしまう。何とか熱も下がった頃、佐知が静馬がさる老中に近づいていると知らせてきた。一方、米もなくなった又八郎は、ある因業な金貸しの用心棒をすることになったが、これほどいやな仕事もないほどだった。また、細谷と米坂に会った又八郎は、米坂の帰参が叶うかもしれない事情を知る米坂の元同僚を捕まえるのだった。

春のわかれ
佐知が静馬の隠れ家を見つけたと言ってきた。その屋敷では十人近くの公儀隠密が見張っていて、又八郎は大富派の瀬尾弥次兵衛に会い、公儀隠密に対し手を組むことを持ちかける。また細谷に助っ人を頼み、佐知や瀬尾と共に静馬の隠れ家を見張るの公儀隠密を倒しに向かうのだった。

用心棒日月抄

家の事情にわが身の事情、用心棒の赴くところ、ドラマがある。青江又八郎は二十六歳、故あって人を斬り脱藩、国許からの刺客に追われながらの用心棒稼業。だが、巷間を騒がす赤穂浪人の隠れた動きが活発になるにつれて、請負う仕事はなぜか、浅野・吉良両家の争いの周辺に……。江戸の庶民の哀歓を映しながら、同時代人から見た「忠臣蔵」の実相を鮮やかに捉えた、連作時代小説。(Amazon「内容紹介」より)

 

『用心棒日月抄シリーズ』の第一弾の連作の短編時代小説集です。というよりも、もはや細かなエピソードをつないだ一編の長編小説と言うべきかとも思います。

勿論、主人公の青江又八郎自身が刺客に狙われたりする日々であり、浪人青江の日常を描き出してあります。

主人公の青江又八郎は、「擦れ違う女が時どき振りかえる」ような男であって、家老大富丹後による藩主毒殺の話を許婚の父親の平沼喜左衛門に知らせたところ、逆に切りつけられてこれを返り討ちにしてしまい、脱藩する羽目になってしまったのです。

そのため、江戸で知り合った相棒の細谷源太夫らと共に行う用心棒暮らしの間に、国元からの刺客に襲われることも覚悟しながらの日々を送っています。

 

本書の特徴は、又八郎の用心棒稼業の日常を描きながら、忠臣蔵の物語を絡めてあるところでしょう。

といっても、又八郎が赤穂浪士の仲間になるなどというものではなく、各話の随所に赤穂浪士の話が噂話として聞こえてきたり、仕事先の依頼人が赤穂浪士の関係者であったり、更には赤穂浪士本人だったりと、赤穂浪士の周辺から彼らの討入りを見つめることになるのです。

 

藤沢周平という作家は、その抒情性こそが一番の魅力だと思っていますが、本書ではその抒情性はあまり前面には出てきていないようです。とはいえ全くないわけではなく、又八郎の生活を緻密に描いていく中で、折にふれ藤沢周平の作品だと感じさせてくれます。

 
以下、各話のあらすじです。
 

犬を飼う女
犬の番という仕事の紹介先では、妾暮らしのおとよという女が、飼っている犬が何者かに狙われているという。この時代、将軍綱吉の「生類憐みの令」が活きており、もしその犬に何かあれば、その咎は飼い主の旦那、田倉屋におよぶのだった。

娘が消えた
神田駿河町の油問屋の清水屋の娘おようの付添いの仕事を請けた。ある日付添いの途中、丁度又八郎に刺客が討ちかかってきたすきに、おようがいなくなっていた。おようの小唄の稽古先である芳之助の家に行き、同じ弟子の中の経師屋の喜八という男のことを聞き、喜八の家へ行くと何者かに襲われるのだった。

梶川の姪
浅野の浪士に命を狙われているという旗本の梶川与惣兵衛の用心棒についた。しかし、屋敷から抜け出した梶川の姪の千加が、石黒滋之丞という男に脅されているのを目撃するのだった。

夜鷹斬り
ある夜、又八郎の迎えが送れたため、同じ長屋の夜鷹のおさきは殺されてしまう。おさきは数日前に「大石って人が、間もなく江戸に来るらしい」という話をしていたというのだった。

夜の老中
細谷が怪我をした仕事の後を請けると、小笠原佐渡守の屋敷で外出の折の警護を頼むということだった。奥方らしき女性に浮気の証拠をつかみたいと頼まれるが、しかし、雇い主である殿様は、浅野家に好意を持つものの会合へ出ているのだった。

内儀の腕
日比谷町の呉服問屋備前屋の内儀のおちせの外出の折の警護の仕事だった。どうも内儀のおちせの過去に島送りになった益蔵という男がいたらしいのだ。ある日、おちせの寺詣りで、おちせが吉田忠左衛門と名乗る男と会っているのを知った。

代稽古
吉蔵から紹介された仕事は長江長左衛門が道場主をする町道場の手伝いだった。たまたま顔を見に来た細谷が、長江の道場を訪ねてきた客は浅野の旧家臣の神崎与五郎ではないかというのだった。

内蔵助の宿
ある日、おりんから、先日の道場主の長江の本名は堀部安兵衛といい、おりんがつけていた老人はやはり浅野浪人の原惣右衛門だという。翌日吉蔵の紹介で川崎宿の北の山本長左衛門の隠宅へと向かった。そこで守るべき垣見という男は大石内蔵助だった。

吉良邸の前日
又八郎は細谷と共に吉良邸の用心棒の仕事を請けることとした。そこに土屋清之進が、由亀からの帰ってきてほしいという手紙と明後日に浅野浪士の討ち入りがあるという知らせを持ってきた。

最後の用心棒
国元近く、一人の娘が不意に襲ってきた。太ももを傷つけた娘を助けようとしたすきに斬りかかってきた男は大富静馬と名乗り、斬るのは今ではないとして立ち去るのだった。佐知と名乗る娘を近くの農家まで届け、間宮に会うと、医師の広瀬幸伯が、壱岐守は大富に毒殺されたの証拠を挙げて言い残して病死したというのだった。

天地の螢 日暮し同心始末帖4

両国川開き大花火の深夜、薬研堀で勘定組頭が斬殺された。刀を抜く間も与えぬ凄腕に、北町奉行所平同心の日暮龍平は戦慄した。先月の湯島切通しと亀戸村堤での殺しに続く凶行だった。探索の結果、いずれの現場近くにも深川芸者くずれの夜鷹の姿が。やがて、人斬りと女のつながりにとどいた龍平は、悲しみと憎しみに包まれた真相に愕然とし―剛剣唸る痛快時代! (「BOOK」データベースより)

本書は、日暮し同心始末帖シリーズ第四弾の長編の痛快時代小説です。

 

序 両国川開き
龍平が警備をした両国川開き大花火の夜、薬研掘りの堤で御公儀勘定組頭黒川紀重とその家士が、深川の伝吉と名乗る夜鷹に殺された。

第一話 牢屋敷切腹検使
尾嶋建道と三谷由之助という部屋住み二名の殺害事件の掛を命じられた龍平は、二人が通っていた道場で輝川という寺小姓と二人との関係を聞く。その後、牢屋敷での切腹検使で、俊太郎の友人でもある同心司馬中也の、介錯人としての凄まじい姿を見るのだった。

第二話 寺小姓
どうしても輝川という寺小姓のことが気いなる龍平は、その寺小姓について調べると、輝川がいた寺は、四月の末に斬られた坊さんの寺のいた寺であり、輝川はある旗本と深川の羽織芸者の子だった。

第三話 読売屋孫兵衛
深川岡場所の女郎について詳しいという読売屋孫兵衛から、妾奉公のために息子を寺に預けた伝吉という羽織芸者がいたが暇を出され、しまいにはお伝という名で女郎をしていたという話を聞きこんできた。

第四話 江戸相撲
神田明神下の魚屋の倅に将来の大関間違いなしの相馬という男がいたが、その気の弱さからとの評価も立ち消えになった男の過去があった。

第五話 道行
龍平と御家人らの殺害犯人である黒羽二重のお伝との対決となり、宮三らは相馬を取り押さえるのだった。

桔 愛しき人々
龍平と俊太郎との、今回の結果について久しぶりに語らう姿があった。

 

本書は、ある人物の復讐譚とも思える話になっています。復讐譚ですから、結局はこのシリーズの特徴である虐げられた者の悲哀を描きだすことにはなっているのですが、その恨みを晴らすのが龍平ではなく、理不尽な仕打ちを受けていた本人の手によるという点が異なります。

他の物語と同様に、本書の話も決して明るいものではありません。しかしながら、シリーズとして暗くないのはやはり、これまたこのシリーズについて毎回書いているところですが、龍平を取り巻く人物たちが決して暗くないこと、何より龍平一家の明るさが素晴らしいものであることによると思われます。

特に本書では、物語の最後での龍平と俊太郎との会話の場面で、龍平は「俊太郎に倣って、真っ直ぐ前を見つめた。すると、ささやかだがとても清々しい気分が胸いっぱいにあふれた。父と子の進む道の先には、晩夏の果てしない青空が広がっていた。」と描写されています。

まさに、龍平らの目線は常に未来へと向かっているのでです。決して明るくはない過去は過ぎ去ったものとして、明るいであろう明日を一生懸命に生きようという強い意志が感じられるのです。

 

この作者の『風の市兵衛シリーズ』はベストセラーとなり、NHKでドラマ化もされていますが、それは主人公市兵衛も含めて物語自体の持つ爽やかさが読者に受け入れられているところではないでしょうか。

その意味では本書の物語は決して爽やかとは言えませんが、それでもなお主人公龍平というキャラクターの持つ爽やかさはなお感じられ、痛快小説の醍醐味も十分に感じられる作品となっています。