白銀の墟 玄の月 十二国記

白銀の墟 玄の月 十二国記』とは

 

本書『白銀の墟 玄の月』は『十二国記シリーズ』の第九弾で、2019年10月と11月に新潮社から全部で1600頁を越える全四巻の文庫として刊行されてた、長編のファンタジー小説です。

ファンタジー小説としても、また冒険小説としても第一級の面白さであり、私の好みにピタリと合致した作品でした。

 

白銀の墟 玄の月 十二国記』の簡単なあらすじ

 

戴国に麒麟が還る。王は何処へー乍驍宗が登極から半年で消息を絶ち、泰麒も姿を消した。王不在から六年の歳月、人々は極寒と貧しさを凌ぎ生きた。案じる将軍李斎は慶国景王、雁国延王の助力を得て、泰麒を連れ戻すことが叶う。今、故国に戻った麒麟は無垢に願う、「王は、御無事」と。-白雉は落ちていない。一縷の望みを携え、無窮の旅が始まる!( 第一巻「BOOK」データベースより)

民には、早く希望を見せてやりたい。国の安寧を誰よりも願った驍宗の行方を追う泰麒は、ついに白圭宮へと至る。それは王の座を奪い取った阿選に会うためだった。しかし権力を恣にしたはずの仮王には政を治める気配がない。一方、李斎は、驍宗が襲われたはずの山を目指すも、かつて玉泉として栄えた地は荒廃していた。人々が凍てつく前に、王捜し、国を救わなければ。──だが。( 第二巻「BOOK」データベースより)

新王践祚ー角なき麒麟の決断は。李斎は、荒民らが怪我人を匿った里に辿り着く。だが、髪は白く眼は紅い男の命は、既に絶えていた。驍宗の臣であることを誇りとして、自らを支えた矜持は潰えたのか。そして、李斎の許を離れた泰麒は、妖魔によって病んだ傀儡が徘徊する王宮で、王を追い遣った真意を阿選に迫る。もはや慈悲深き生き物とは言い難い「麒麟」の深謀遠慮とは、如何に。( 第三巻「BOOK」データベースより)

「助けてやれず、済まない…」男は、幼い麒麟に思いを馳せながら黒い獣を捕らえた。地の底で手にした沙包の鈴が助けになるとは。天の加護がその命を繋いだ歳月、泰麒は数奇な運命を生き、李斎もまた、汚名を着せられ追われた。それでも驍宗の無事を信じたのは、民に安寧が訪れるよう、あの豺虎を玉座から追い落とすため。-戴国の命運は、終焉か開幕か!( 第四巻「BOOK」データベースより)

 

白銀の墟 玄の月 十二国記』の感想

 

本書『白銀の墟 玄の月』は、シリーズ第八巻『黄昏の岸 暁の天』の続編であり、戴国のその後が描かれています。

本『十二国記シリーズ』ではこれまで慶国や雁国などの様子が描かれてきましたが、そもそも本シリーズの出発点である『魔性の子』が戴国の麒麟である泰麒の話であったように、戴国の様子が基本となっているように思えます。

そして、本書において塗炭の苦しみに遭っている戴国の民が救われるか否かに決着がつくのです。

つまり、『黄昏の岸 暁の天』では蓬莱に流された泰麒の探索の様子が語られていましたが、本書では戴国に戻ってきた泰麒と共に戦う李斎などの姿が描かれているのです。

 

 

本書の見どころと言えば、まずは本『十二国記シリーズ』自体が持つ見事に構築された異世界の社会構造そのものの魅力があります。

次いで、その社会構造の中で破綻なく動き回る個性豊かな登場人物たちの存在があります。

本書でいえば、物語の中心となって動く李斎であり、その李斎を助ける仲間たちがおり、一方で戴国の民のために身を粉にして働く泰麒である高里などの多くの人物の姿があります。

そして、それらの登場人物たちが存分に動き回るストーリー展開が挙げられるのです。

ストーリー展開とはいってもそれは大きく二つに分けることができ、一つは宿敵阿選の懐に飛び込んだ泰麒の話であり、もう一つは野にいて行方不明の泰王驍宗を探し回るとともに、反阿選の勢力を結集しようとする李斎らの話です。

 

また本書の持つ面白さの意味も一つではなく、泰麒や李斎らの阿選に対する反逆の戦いの様子の面白さをまずあげることができます。

それはアクション小説としての面白さであり、また冒険小説としての面白さだとも言えます。

さらには行方不明の驍宗はどこにいるのか、また阿選は何故反旗を翻したのかなど、ミステリアスな側面もまた読者の興味を惹きつけて離しません。

また、ストーリー展開の他に本『十二国記シリーズ』のそれぞれの物語で、この異世界の法則に従いながら通り一遍の視点に限定されることなく、例えば登場人物たちの対話に擬してある出来事について多面的な見方を示していることも私にとっては関心事でした。

こうした多様な価値に従った多面的な思考方法は、同じファンタジーでも高田大介の『図書館の魔女シリーズ』でも見られました。

こうしてみると、物語を紡ぎ出すという能力は、ものの見方も多面的であることが一つの条件であるのかもしれません。

 

 

とはいえ、そうした多様な価値感を反映させていることなどは読了後にゆっくりを反芻するときにでも思い起こせばいいことであり、読書中は単純に物語に乗っかり楽しめばいいと思います。

それだけ楽しませてくれる物語であることは間違いなく、シリーズが終わってしまうことが残念でなりません。

何らかの形で再開してくれることを待ちたいと思います。

丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5

丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』とは

 

本書『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』は『十二国記シリーズ』の第五弾で、2013年6月に新潮社から文庫本で刊行された、辻真先氏による解説まで入れて358頁になるファンタジー短編小説集です。

 

丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』の簡単なあらすじ

 

「希望」を信じて、男は覚悟する。慶国に新王が登極した。即位の礼で行われる「大射」とは、鳥に見立てた陶製の的を射る儀式。陶工である丕緒は、国の理想を表す任の重さに苦慮していた。希望を託した「鳥」は、果たして大空に羽ばたくのだろうかー表題作ほか、己の役割を全うすべく煩悶し、一途に走る名も無き男たちの清廉なる生き様を描く全4編収録。(「BOOK」データベースより)

 

目次

丕緒の鳥 | 落照の獄 | 青条の蘭 | 風信

 

丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』の感想

 

本書『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』は、四編の短編からなっています。

本書から版元が新潮社へと代わったそうで、これまでと異なり講談社版での刊行はなく、直接現行の新潮文庫からの出版となっています。

新潮社版ではシリーズ第五弾ということになっていますが、後にエピソード0となった『魔性の子』や、『ドラマCD 東の海神 西の滄海』付録の『漂舶』を除いた出版順から見ると、同じ短編集である『華胥の幽夢』に続く八作目の作品でもあります。

本書では、政(まつりごと)に対する普遍的な民の思い、即ち政治への積極的な参加、消極的な無視、そもそもの無関心その他のいろいろな民の形態が、その時々に応じて種々の登場人物の形態として描き出されています。

だからこそ読者の腑に落ち、登場人物に感情移入し、またそういう考えもあるかと新たな発見があって、そこでも感情移入の路を見つけ出します。

 

第一話「丕緒の鳥」は、シリーズ第一作『月の影 影の海』で語られた景王陽子の即位の儀の裏で苦悩する羅氏という官職の丕緒(ひしょ)の話です。

 

 

羅氏とは、慶国の新王即位の礼で行われる儀式で使われる鳥に見立てた陶製の的を作る陶工を指揮する役目ですが、丕緒は射儀の企図まで為す「羅氏の羅氏」と呼ばれていました。

この丕緒の、陶製の鳥である陶鵲をいかに作るか思い悩む姿が描かれています。

古代中国を参考にしたという『十二国シリーズ』の美しい世界観の中で、ある儀式を中心に新しい王朝の将来をも暗示した物語になっています。

 

第二話「落照の獄」は、柳国の法令・外交を司る役職である秋官の瑛庚の話です。

多くの人命を奪った凶悪犯の狩獺をどう裁くのか、傾きつつある柳国において、死刑を選択すれば司法が民の声に屈することになりかねず、死刑に付さなければ民の怒りは一気に噴出することになりかねないのです。

この物語は死刑制度についての議論が交わされており、『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』と同じように、刑罰の本質に迫る物語であると言えます。

現代の死刑制度に関しての議論と同様の衡量が為されており、かなり惹き込まれて読んだ作品でした。

 

 

第三話「青条の蘭」は、梟王の暴政に苦しむ雁国の、新しい草木や鳥獣を集める地官迹人という官吏である標仲の物語です。

新王が即位したことを聞いた標仲は、雁国で巻き起こった山毛欅(ブナ)の木が石化する病気を食い止めるため、身を削って見つけた薬草を新王に届けようと決意します。

新王登極の話がいきわたっているからか、何も分からないままに標仲の意を汲んだ人々が動く様子は心をうちました。

この物語はどこの国の話なのか、なかなかその名前が登場しません。結局、読後にネットで調べて雁国の話だと知りました。

 

第四話「風信」は、慶国の女王だった舒覚の悪政により家族を殺されてしまった蓮花という十五歳の娘の話です。

舒覚の悪政とは、国からすべての女を追い出してしまうもので、残っていた女は皆殺しにあうものであり、このシリーズでも何回か出てくる出来事です。

何とか軍の手から一人逃げた蓮花は、嘉慶という暦を作ることを職務とする男の下働きとして暮らすことになります。

新王が登壇するなか、燕のひな鳥の数の多さにこの国が明るいみたいのあることを教えてくれていることを知るのでした。

暦の意義、については、冲方丁の『天地明察』で描かれていましたが、この第四話では暦自体がテーマではなく、今の蓮花たちの暮らしが軍や政(まつりこと)に関係の無い浮世離れした生活のように思えても民の生活に密接に結びいていることを教えられるのです。

 

 

こうして読み終えてみると、同じ短編集でも『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』は「官」側の物語であるのに対し、本書『丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5』は「民」側の物語ということができそうです。

共に、十二国記シリーズで語られる物語の深みを増すものであり、かなり面白く読んだ作品でした。

華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7

華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』とは

 

本書『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』は『十二国記シリーズ』の第七弾で、2001年7月に講談社文庫から、2001年9月には講談社X文庫から刊行され、2013年12月に會川昇氏の解説まで入れて351頁の文庫として新潮社から刊行されたファンタジー短編小説集です。

 

華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』の簡単なあらすじ

 

王は夢を叶えてくれるはず。だが。才国の宝重である華胥華朶を枕辺に眠れば、理想の国を夢に見せてくれるという。しかし采麟は病に伏した。麒麟が斃れることは国の終焉を意味するが、才国の命運はー「華胥」。雪深い戴国の王・驍宗が、泰麒を旅立たせ、見せた世界はー「冬栄」。そして、景王陽子が楽俊への手紙に認めた希いとはー「書簡」ほか、王の理想を描く全5編。「十二国記」完全版・Episode 7。(「BOOK」データベースより)

 

目次

冬栄 | 乗月 | 書簡 | 華胥 | 帰山

 

華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』の感想

 

本書『華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7』は、五編の短編からなっています。

各々の話で、様々な登場人物のその後の様子が語られていて、同時にそれぞれの話を通して人としてのあり方や考え方など、今の私達の屈託にも通じるようなエピソードが綴られていきます。

同時にそれは『十二国記』の世界をより強固に構築することになるエピソードでもあり、このシリーズ全体の成り立ちを下支えする話の物語集ともなっています。

 

第一話「冬栄」は、戴国の泰麒の漣国訪問の話です。

この物語では『黄昏の岸 暁の天』や『白銀の墟 玄の月』で語られている、泰王が泰麒に粛清の模様を見せないために他国へ出した際の泰麒の様子が語られています。

泰麒の高里は未だ幼く、自分が麒麟として泰王驍宗の役に立っているのか、民の平和な生活のために尽くすことができていないのではないかと悩んでいたのですが、その悩みに対して、廉王の鴨世卓は農作業をしながら語り掛けます。

風の海 迷宮の岸』では、泰王を選ぶという麒麟としての存在に悩む泰麒の姿が描かれていましたが、ここでは国の政に関わる泰麒としての役目について思い悩む泰麒が描かれています。

 

第二話「乗月」は、『風の万里 黎明の空』で語られた芳国の元公主祥瓊が辛酸を舐める元となった、芳国の峯王仲韃が討たれた事件のその後の芳国の話です。

具体的には、峯王仲韃亡きあと、祥瓊が放逐された後の恵州州侯の月渓の話です。

月渓は自分が王となるために仲韃を討ったのではなく、王となるわけにはいかないと言い官吏たちを困らせていました。

そこに、慶国からの使者が景王の親書と芳国元公主の祥瓊の手紙を届けにきたのです。

 

第三話「書簡」は、雁国で学生となっている楽俊と景王陽子との口伝えをすることのできる青い鳥を介した文通の様子が語られています。

シリーズ第一作『月の影 影の海』において登場し陽子を助けたその後の楽俊と、今では景王となっている陽子とが互いに報告しあっています。

共に明るく、元気にしているとは言いながら、半獣である楽俊が差別を受けていない筈はなく、また蓬莱育ちの陽子が官吏たちにないがしろにされていることも互いに理解しているのです。

でありながらもそれなりに努力をしている姿もまた理解している様子が綴られています。

 

第四話「華胥」は、才国の宝重である華胥華朶と采王砥尚をめぐる大司徒朱夏らの様子が語られています。

誰しもが国を統治する側に回ったときできるだけ理想とする世界に近づけるように努力するものです。

しかしながら、「理想」というものは個々人によって異なるものだということが華胥華朶によって暴かれます。

可能な限り民の安寧を目指す筈だった政がその理想追及の故にいつの間にか民の倖せから遠ざかっていく不合理さが示されています。

この物語は、短編集『丕緒の鳥』の中の「落照の獄」でテーマになっている刑罰の本質に迫る議論と同様の、かなり深い議論が展開されています。

 

第五話「帰山」は、傾きつつある柳国の様子を探る利広風漢、特に利広の様子が語られています。

ここに登場する利広とは、『図南の翼』で登場していた奏国の太子であり、風漢とは『東の海神 西の滄海』など随所に登場してきた延王尚隆です。

この話では、前半は国の寿命についての二人の会話があり、後半は奏国に戻った利広とその家族、つまり奏国王家族の話になっています。

国が傾くとはどういうことか、かなり深い話がなされているようですが、私には若干難しい議論でもありました。

でありながら、話自体は面白いと感じるのですから、私の本の読み込み方にも問題があるのかもしれません。

 

読み終えてみると、シリーズ内の長編では詳しくは語られることの無かった漣国や芳国、才国、柳国などのエピソードが展開されている物語集となっています。

そして、そうした細かな話の積み重ねにより前述したように、この『十二国記シリーズ』の成り立ちを下支えする物語集ともなっているのです。

ただ、こうして短編によって『十二国記シリーズ』の空隙が埋められていくということは、これらの国の物語が長編になることはない可能性も出てくることにもなります。

それはまた残念なことであり、長編の物語も読みたいと思うばかりです。

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』とは

 

本書『黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』は『十二国記シリーズ』の第八弾で、2001年5月に講談社X文庫から刊行され、2014年3月に478頁で新潮文庫から刊行された、長編のファンタジー小説です。

本書は『魔性の子』が蓬莱での泰麒高里の物語であるのに対し、高里が不在の間の異世界〈十二国〉の様子が描かれていて、かなりの読み応えを感じた作品でした。

 

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』の簡単なあらすじ

 

王と麒麟が還らぬ国。その命運は!? 驍宗(ぎようそう)が玉座に就いて半年、戴国(たいこく)は疾風の勢いで再興に向かった。しかし、文州(ぶんしゆう)の反乱鎮圧に赴(おもむ)いたまま王は戻らず。ようやく届いた悲報に衝撃を受けた泰麒(たいき)もまた忽然(こつぜん)と姿を消した。王と麒麟を失い荒廃する国を案じる女将軍は、援護を求めて慶国を訪れるのだが、王が国境を越えれば天の摂理に触れる世界──景王陽子が希望に導くことはできるのか。( 内容紹介(出版社より))

 

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』の感想

 

本『十二国記シリーズ』のエピソード0である『魔性の子』では蓬莱(日本)に流された高里の様子が描かれていましたが、その間の異世界側のようすが本書『黄昏の岸 暁の天 十二国記 8』で描かれています。

具体的には、まずは本書冒頭の「序章」において泰麒、つまりは戴国の麒麟である高里が蓬莱(日本)に流された時の事情が描かれています。

戴国ではやっと泰王驍宗がその座について国の再興が為されようとしていたのですが、将軍の阿選の策謀により泰王が行方不明となる事態が起きていたのです。

そしてそうした事態に応じて、「序章」に続く「一章」では戴国の女将軍李斎が助けを求めるために瀕死の状態で慶国の王宮に現れたところから始まります。

こうして、戴国を助けるためにまずは蓬莱に流された泰麒を探すために各国の王や麒麟が力を合わせることとなるのです。

 

あらためて本シリーズを俯瞰すると、戴国の物語が主になってシリーズの根底になっていることに気がつきます。

まずは、本書の姉妹編ともいえる『魔性の子』があり、その後にシリーズ第二弾の『風の海 迷宮の岸』では、泰麒である高里が驍宗を王として選択する様子が描かれていました。

 

 

そして、次がシリーズ第八弾の本書『黄昏の岸 暁の天』であり、各国が力を合わせて蓬莱に流された泰麒を探す様子が描かれているのです。

次にシリーズ第九弾の『白銀の墟 玄の月』(新潮文庫 全四巻)が本書の続編となっており、行方不明となった泰王驍宗の謎、そして戴国の行方が語られます。

 

 

そうした位置付けの本書ですが、あらためて本書の一番の魅力を見ると、泰麒の行方を捜すそのストーリー展開の面白さにあると思います。

蓬莱にいる泰麒を探すためには麒麟の力を借りるしかかなく、各国の麒麟が力を合わせて泰麒の所在を探すことになる物語の展開が面白いのです。

 

そして、その過程でこの異世界の成り立ちそのものへの考察をする場面がありますが、その考察において遠藤周作の名作『沈黙』で描かれているような神の存在に対する弱い人間の叫びと同様な問いかけがあります。

 

 

そこでの李斎の言葉が、本書『黄昏の岸 暁の天』について検索すると数多くの書評やブログで同じ箇所が取り上げられているほどにインパクトが強い表現です。

それは、各国の麒麟たちが力を合わせて蓬莱にいる泰麒を探す行為が天の理に反しないかを蓬山に住む女仙たちの主である碧霞玄君に会いにいく場面で李斎が言った言葉です。

李斎は、天が存在することを知ったときに発した「では、どうして天は戴をお見捨てになったのです!?」と問い、それに対し陽子は、「もしも天があるならそれは無謬ではない。実在しない天は過ちを犯さないが、もしも実在するなら、必ず過ちを犯すだろう」と断じるのです。

 

本書の魅力の第二はこうした異世界の構造を借りた、天(神)の存在への疑問という現代社会にも通じる社会の在りように対する徹底した考察にあると思います。

『沈黙』では神は民を見捨てるのかという問いに対して明確な答えはなく、個々の読者への問題提起としてあったように思えますが、本書では明確にその答えを示してあります。

陽子のその言葉に対する評価は人それぞれでしょうし、個人的に納得できるかと言えば否定的な答えしかないと思われます。

しかしながら、こうした態度は『十二国記シリーズ』全般を通しての著者の姿勢として現れていると思われ、異世界の構造の真実味を増していると思われます。

 

こうして本書もまたシリーズ全体の存在感を高める一冊として、かなりな面白さをもって読むことができた作品と言えます。

本書に続『白銀の墟 玄の月』の全四巻と合わせて、シリーズ内の大作としての存在感を有しているのです。

図南の翼

図南の翼』とは

 

本書『図南の翼』は『十二国記シリーズ』の第六弾で、1996年2月に講談社X文庫から刊行され、2013年9月に新潮社から北上次郎氏の解説まで入れて419頁で文庫化された、長編のファンタジー小説です。

長い間王が不在で妖魔まで襲い来るようになった恭国のため、自らが蓬山を目指すことを決意した一人の女の子が黄海を旅する物語で、これまでにも増して魅力的な一冊でした。

 

図南の翼』の簡単なあらすじ

 

この国の王になるのは、あたし! 恭国(きようこく)は先王が斃(たお)れて27年、王不在のまま治安は乱れ、妖魔までも徘徊(はいかい)していた。首都連檣(れんしよう)に住む少女珠晶(しゆしよう)は豪商の父のもと、なに不自由ない暮らしと教育を与えられ、闊達な娘に育つ。だが、混迷深まる国を憂えた珠晶はついに決断する。「大人が行かないのなら、あたしが蓬山(ほうざん)を目指す」と──12歳の少女は、神獣麒麟(きりん)によって、王として選ばれるのか。(内容紹介(出版社より))

 

図南の翼』の感想

 

本書『図南の翼』は、主人公がこの世界の中央に位置する黄海に入り、その中央にそびえる蓬山に至るまでの旅をメインに描く、恭国の乾王誕生の物語です。

この旅の中で主人公である珠晶は様々なことを学び、そして成長していきます。その様子が冒険小説でありながら成長小説でもあり、惹きつけられるのです。

 

主人公は恭国の首都連檣の豪商の娘である珠晶(しゅしょう)という女の子です。

彼女は王が不在で妖獣まで出没するようになった首都にいて、この王不在という難局を乗り切るためには自分が王となるべきだと考えます。

そして王になるためには恭国の麒麟である恭麒のいる蓬山へ行く必要があり、そのために有り金をかき集めて家出をするのです。

この、旅の途中で知り合った利広の力を借りたり、騎獣にするための妖獣を狩ることを職業とする猟尸師の頑丘を雇い蓬山までの護衛を頼んだりと、自分の頭脳を駆使して旅をつづける姿が描かれます。

珠晶は、利広と頑丘という力強い味方を得て旅を続けるのですが、頑丘は別として利広はその正体が分からないままに物語が進むこともこの物語に興を添えています。

 

昇山する人々が黄海を渡る際には自然と集団ができますが、珠晶は金持ちの室季和や小金持ちの聯紵台、それに猟尸師と同じ朱氏の仲間である剛氏の近迫といった人々と共に旅をすることになり、その旅の中で様々なことを学び、成長していくのです。

利広から「きみは、幼い」と言われ、その言葉の意味も理解できないでいる珠晶が、過酷な旅の中で次第に成長していく姿は感動的ですらあります。

こうした困難な旅を描き出す様子は、第四巻の『風の万里 黎明の空』の中でも見られました。鈴や祥瓊(しょうけい)という娘たちが珠晶と同様の困難を極める旅の様子が描かれていたのですが、その姿と重なるのです。

 

 

そもそも、本『十二国記シリーズ』の醍醐味はまずは見事なまでに緻密に構築された物語世界のありようにあります。

蓬山を抱く黄海を中心として対照的に配置された十二の国からなるこの世界には天の意志が存在し、またそれぞれの国に存在する王や政の中枢にいる人間などは不死の身を得ます。

面白いのは、ひとつの国に一人いる麒麟が自国の王を選任することになっていることです。麒麟の行為を通じて天の意志が顕現することになるのです。

 

そうした堅固な世界観を持つ本書『図南の翼』ですが、、成長小説としての一面を持つ主人公珠晶の旅そのものの面白さもまた魅力の一つだと思います。

つまりはある種の冒険小説としての面白さであり、本書の解説にも書いてあるように「ロード・ノベル」としての魅力を持つ物語でもあります。

利広と頑丘という二人の大人の庇護のもと、妖魔が跋扈する黄海を旅する話はまさに冒険小説であり、その旅の中で様々なことを学び、成長する珠晶の姿は成長小説でもあるのです。

でも、そうした小説に対する呼称はどうでもいいことで、単純に心振るわせるほどに面白い物語だ、というそのことが一番です。

 

本書『図南の翼』は、この『十二国記シリーズ』という物語の面白さを堪能できる一冊であると断言できる、非常に楽しめた一冊でした。

魔性の子

魔性の子』とは

 

本書『魔性の子』は1991年9月に新潮文庫から出版されたのですが、2012年6月に『十二国記シリーズ』の番外編ともいうべき位置づけで、菊地秀行氏の解説まで入れて491頁の文庫として新潮文庫より刊行された長編のファンタジー小説です。

若干長すぎるか、という印象もありますが、じわじわと迫るホラーチックな物語の運びも面白く、『十二国記』に連なる物語の面白さもあり、惹き込まれて読んだ作品です。

 

魔性の子』の簡単なあらすじ

 

どこにも、僕のいる場所はない──教育実習のため母校に戻った広瀬は、高里という生徒が気に掛かる。周囲に馴染まぬ姿が過ぎし日の自分に重なった。彼を虐(いじ)めた者が不慮の事故に遭うため、「高里は祟(たた)る」と恐れられていたが、彼を取り巻く謎は、“神隠し”を体験したことに関わっているのか。広瀬が庇おうとするなか、更なる惨劇が。心に潜む暗部が繙(ひもと)かれる、「十二国記」戦慄の序章。(内容紹介(出版社より))

 

魔性の子』の感想

 

本書『魔性の子』は、「十二国記 0」というサブタイトルがついていることからも分かるように、『十二国記シリーズ』のエピソード0、もしくは番外編として位置づけられてきた作品です。

冒頭にも書いたように、そもそもは1991年9月に「ファンタジーノベル・シリーズ」の1冊として新潮文庫から刊行された作品です。

それが、後に『十二国記シリーズ』が展開されるにつれ、『十二国記シリーズ』の番外編として位置づけられるようになったものだと言います。

つまり、本来は単独の作品として考えれていた作品だったのですが、この物語の背景となる世界を作り込んでいた資料の話を聞いた講談社の編集者に勧められ、講談社から新たなシリーズ作品として『十二国記シリーズ』として生まれたものだそうです( ウィキペディア : 参照 )。

 

本書『魔性の子』は、一般にはホラー小説として紹介されているようです。

確かに、作者の小野不由美という人の他の作品を見ると山本周五郎賞を受賞した『屍鬼』(新潮文庫 全五巻)や『残穢』といったホラー小説として名高い作品が並んでいます。

 

 

そして本書の内容も主人公高里の周りで異形のものが見え隠れし、さらに高里を攻撃した者に最悪は死が訪れるという、ホラーという他ないような物語の展開です。

しかしながら、ネットで誰かが書いていたように、『十二国記シリーズ』を読んだ後に本書を読むと、まさに『十二国記シリーズ』を構成する内容であり、異常現象にもきちんと説明がつくところからホラーとは呼べないように思います。

異常現象の詳細については本書の中でも具体的に示されている個所もあり、それなりの説明は為されているのです。

ただ、その説明も『十二国記シリーズ』を読んでいるか否かでその具体性の程度が異なり、単なる超常現象としてホラーの範疇に入ると評価するか、そうではなく物語の流れにきちんとおさまる現象なのかが違ってくるのです。

 

先に『十二国記シリーズ』を読んだ人ならばわかるのですが、本書の登場人物は、『風の海 迷宮の岸』に登場する戴国(たいこく)麒麟の泰麒(たいき)である高里要を主人公としています。

本書『魔性の子』では、高里が泰麒であることは示されてはおらず、過去に一年間の神隠しにあった少年として皆から恐れられている存在です。

恐れられているというのは、高里に何らかの害を加えた人物は異常な事件や事故に遭い、場合によっては命を落とすことさえあるというのでした。

その高里のいる私立高校の二年生のクラスに教生としてやってきたのが、三年と少し前この高校を卒業したばかりの広瀬という教育実習生で、その広瀬の担当教官が、広瀬が在校時代の化学の担任だった後藤という理科教師です。

高里の周りで次々と発生する異常な状況下での事故や、最終的には死者まで出る事態の中、孤立する高里にどことなく相通じるものを覚えた広瀬は深くかかわっていくのでした。

 

十二国記シリーズ』での本書の位置付けを見ると、まずは高里が神隠しに遭った一年間のこの異世界での話が『風の海 迷宮の岸』に語られている話で、戴国の麒麟として泰王を選ぶ様子が描かれています

その後、泰王が選ばれてから半年が経過した戴国では、泰王が行方不明となるなか泰麒が何者かに斬りつけられたため「蝕」が起き、泰麒は再び蓬莱へと流されてしまうという事件が起きます。

その事件の顛末が描かれているのがシリーズ第八弾の『黄昏の岸 暁の天』であり、そのとき蓬莱に流された泰麒である高里の様子が描かれているのが本書『魔性の子』ということになるのです。

 

こうして、『十二国記シリーズ』の中に位置づけられる本書ですが、見事にシリーズに融合していて本書単発として読むよりも一段と物語に奥行きが感じられることになっているのです。

風の万里 黎明の空

風の万里黎明の空』とは

 

本書『風の万里 黎明の空』は『十二国記シリーズ』の第四弾で、上巻が1994年8月に、下巻が9月に講談社X文庫から刊行され、2013年3月に金原瑞人氏の解説まで入れて上下二巻で768頁で新潮社から文庫化された、長編のファンタジー小説です。

慶国の景王陽子を中心とした物語ですが、ほかに芳国の公主である祥瓊、そして才国で苦行を強いられていた海客の鈴の二人の物語も加えた壮大なスケールの冒険小説でもある、惹き込まれずにはいられない物語です。

 

風の万里 黎明の空』の簡単なあらすじ

 

人は、自分の悲しみのために涙する。陽子は、慶国の玉座に就きながらも役割を果たせず、女王ゆえ信頼を得られぬ己に苦悩していた。祥瓊は、芳国国王である父が簒奪者に殺され、平穏な暮らしを失くし哭いていた。そして鈴は、蓬莱から辿り着いた才国で、苦行を強いられ泣いていた。それぞれの苦難を負う少女たちは、葛藤と嫉妬と羨望を抱きながらも幸福を信じて歩き出すのだがー。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

王は人々の希望。だから会いに行く。景王陽子は街に下り、重税や苦役に喘ぐ民の暮らしを目の当たりにして、不甲斐なさに苦悶する。祥瓊は弑逆された父の非道を知って恥じ、自分と同じ年頃で王となった少女に会いに行く。鈴もまた、華軒に轢き殺された友の仇討ちを誓うー王が苦難から救ってくれると信じ、慶を目指すのだが、邂逅を果たす少女たちに安寧は訪れるのか。運命は如何に。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

風の万里 黎明の空』の感想

 

本書『風の万里 黎明の空』は、主に慶国の物語であり、今では景王陽子となっているシリーズ第一巻『月の影 影の海』の主人公中嶋陽子のその後の物語を中心に描かれています。

中心にと言うのは、本書ではほかに陽子と同世代の二人の女の子も物語の中心人物となっているからです。

一人は明治時代に口減らしのため女衒に売られたのですが、その旅の途中崖から落ち、見知らぬ土地で目覚めたという大木鈴という娘です。

この鈴は、知らない土地をさまよった挙句、この世界の南西にある才国の凌雲山の翠微洞に住まう梨耀のもとで仙となり、百年のあいだつらい下働きに耐えています。

そしてもう一人は、この世界の北西の隅にある芳国の峯王仲韃の娘である祥瓊(しょうけい)です。

父である峯王仲韃はその圧政により八州諸侯の州師の蜂起により殺されましたが、祥瓊だけはある里家の世話役の沍姆(ごぼ)のもとで暮らしていたのです。

しかし、沍姆にその身元を知られ、ただいじめられ、虐げられる生活を送っていました。

 

本書は、三人の同じ年ごろの娘のそれぞれの立場での苦悩が描かれています。

一人目は、この国のことを何も知らない王の尊厳を軽んじ、その言葉を聞かない官僚の存在に王として懊悩しています。

そんな王である陽子は慶国のことを何も知らず、民の生活を知るために身分を隠して旅に出て見聞を広げようとします。

二人目は、百年以上も下働きとして辛い日々を送る中で、自分の辛さ、悲しさを誰も分ってくれないとただ自分の中に閉じこもり、そんな自分を救ってもらうために景王に会おうとします。

そして三人目は、何も知らない自分には責任などない筈なのに、皆が自分を理不尽に虐げるとして怒り、まだ見ぬ景王を羨み、妬み、刃を向けるために景王に会うために旅に出るのです。

 

本書『風の万里 黎明の空』は、これら三人の娘を主人公として描かれる冒険小説であり、また同時に、三人の娘の、特に鈴や祥瓊の成長物語でもあります。

景王なら自分の気持ちを分かってくれる、という心情があって、それに対する采王黄姑の「あなたはもう少し、大人になったほうがいい」という言葉のもとの鈴の旅です。

また、自分中心にしか物事を考えることのできず、自分が得る筈であったきらびやかな環境に身を置く陽子に一太刀浴びせたいと思う祥瓊の旅があります。

こうした、幼い考えの鈴、自分中心の考えの祥瓊という二人は、大人になっても似た要素を持つ読み手が、困難な旅の中で鍛えられ成長していく二人の姿をみて感情移入し、我がことのように感じてしまいます。

また、陽子にしてもこの国のことを知らないため国をうまく治めることができないでおり、王として未熟な自分を鍛えるために旅で出て成長していくのです。

 

本書は、単純に三人それぞれの冒険を楽しむという読み方だけでも十二分に面白い作品となっています。

でも、それだけではなく、幼くまた自己中心的な娘たちが旅をする中で、国の政治がうまく機能しておらず苦しむ民の姿を直接目にし、また傷つき友を失うなどの哀しみを乗り越えて成長していく姿は感動的ですらあります。

王として自覚する陽子や、一人の娘として己を、そして世の中を見つめ直す鈴と祥瓊の姿は読み手の心に鋭く迫ってくるのです。

 

先に述べたように、本書『風の万里 黎明の空』は、慶国の陽子に関してシリーズ第一巻『月の影 影の海』の続編的な位置にあります。

またシリーズ第八巻『黄昏の岸 曉の天』は直接には戴国の物語ではありますが、本書の陽子や鈴、祥瓊、さらには雁王の尚隆や麒麟の六太なども重要な役割で登場します。

 

そして読了すると楽しい読書の時間が終わってしまったという寂しさの中で、さらに次の物語を早く読みたいと思わせられます。

それほどに思い入れを強く持つシリーズ作品だということです。

東の海神 西の滄海

東の海神 西の滄海』とは

 

本書『東の海神 西の滄海』は『十二国記シリーズ』の第三弾で、まず1994年6月に講談社X文庫から発刊され、また2012年12月には新潮文庫から養老孟司氏の解説まで入れて348頁で刊行された長編のファンタジー小説です。

雁国の延王尚隆と延麒六太の物語であり、幼い麒麟が、自分が何ものであるかも分からないでいるところから王を選び、その後も自分の決断の是非に悩む姿が描かれています。

 

東の海神 西の滄海』の簡単なあらすじ

 

延王尚隆と延麒六太が誓約を交わし、雁国に新王が即位して二十年。先王の圧政で荒廃した国は平穏を取り戻しつつある。そんな折、尚隆の政策に異を唱える者が、六太を拉致し謀反を起こす。望みは国家の平和か玉座の簒奪かー二人の男の理想は、はたしてどちらが民を安寧に導くのか。そして、血の穢れを忌み嫌う麒麟を巻き込んた争乱の行方は。(「BOOK」データベースより)

 

ひとりは蓬莱国の少年の話であり、応仁の乱の昔、父親に山中に捨てられ死にかけていた少年は、麒麟であるとして助けられ常世国で暮らすことになる。

ひとりは常世国の少年の話であって、やはり母親に捨てられさまよい見知らぬ里の男に崖から突き落とされたものの妖獣に庇護されでいた。

それから二十年が経ち、一人は麒麟として王を探し出し、一人はある男に仕えることになり、異なった立場で出会うこととなる。

 

東の海神 西の滄海』の感想

 

本書『東の海神 西の滄海』は雁国再興の物語です。

応仁の乱の頃、親に捨てられ死にかけた六太が自分が麒麟であることを知り、やはり蓬莱で暮らしていた小松尚隆という男を王として選び、この二人を中心に荒廃した雁国を立て直す新たな国造りの物語です。

ちなみに、ここで蓬莱国とは私たちが済むこの世界のことであり、常世国とは本『十二国記シリーズ』の舞台となる世界のことです。

 

延麒である六太は親に捨てられ死にかけていたときに常世国から迎えが来て麒麟として生きていたのですが、蓬莱で村上水軍に滅ぼされそうになっている小松氏の跡継ぎである尚隆を王として選び出します。

一方常世国では、六太に更夜という名前を貰った、六太と同じように親に捨てられ妖獣に育てられていた少年は、雁国の斡由に恩を感じ斡由に忠誠を尽くしていました。

本書『東の海神 西の滄海』自体はこの二人の話から始まっているのですが、この物語の実際は、麒麟である六太と六太が選んだ延王尚隆との国造りの物語です。

尚隆と六太とが、延王と延麒として先王の梟王の圧政のため荒れ果ててしまっている雁国を緑豊かな国として再生する姿が描かれています。

 

この新たな国造りを目指す二人の前に立ちふさがるのが、雁国元州候の倅である斡由と、彼に優しくしてもらい心酔している更夜というコンビです。

斡由の決起は、未だ雁国の一地方である元州の治水等に手を付けることもできないでいる延王の政を糺すためのものであり、間違ったことは言っていないように思えます。

その斡由のために必死で働く更夜もまた純粋です。

ちなみに、この更夜は本シリーズのあとの物語の中で意外な形で登場してきます。名前が“更夜”ですので多分同一人物と考えていいと思います。

 

六太は、貧しく苦労しかなかった自分の幼いころのような目にあう民を無くすために働いているのですが、政というものはなかなかに思い通りには動かず、苦労しています。

自分が尚隆を王として選んだのは間違いではなかったか、常に悩んでいる姿は麒麟としての定番の悩みなのかもしれません。

それだけ国を治めるということは難しく、ましてや梟王が荒らしまくった後の雁国の建て直しは困難を極めているのです。

 

こうして本書『東の海神 西の滄海』は、二人の国造りの話として、「国」とは何か、などの問題を提起しながら展開していきます。

そんな中で、「王はしょせん、国を亡ぼすためにある」という六太の言葉は衝撃的です。

また、民の主は民自身だけでいいという六太の考えは、現在の世界が共通の価値として認める民主主義を言い表しているようでもあります。

私達の社会体制の一つである民主主義に対して、常世国の王制はまさに対立する概念です。

そもそも、全能の神である天主が存在し、天の意志のもと麒麟による王の選定が為されるという仕組みが確立している常世国ですから、民の主は民という考えは受け入れられるものではないと言えます。

そういう社会だからこそ民こそが主という考えは珍しく、また貴重であるとも言えそうです。

 

このような読み方ができる本書は、私達が生きているこの社会の体制をあらためて考察する、というきっかけにもなりそうであり、もともとは少年少女を対象とした物語であることがにわかには信じられないほどの内容を持った作品です。

物語の完成度がそれだけ高い作品だということができ、シリーズとして見ても、冒険小説、成長小説、青春小説などの様々な側面を見せてくれるシリーズでもあります。

シリーズを読み進め、巻を重ねるほどに物語の全体が丁寧に構築されているのが分かります。

一冊を読み終えると、早く次の巻を読みたいと毎回思わずにはいられないシリーズなのです。

風の海 迷宮の岸

風の海 迷宮の岸』とは

 

本書『風の海 迷宮の岸』は『十二国記シリーズ』の第二弾で、2012年9月に井上朱美氏の解説まで入れて390頁で文庫化された、長編のファンタジー小説です。

 

風の海 迷宮の岸』の簡単なあらすじ

 

幼(いとけな)き麒麟に決断の瞬間が訪れる──神獣である麒麟が王を選び玉座に据える十二国。その一つ戴国(たいこく)麒麟の泰麒(たいき)は、天地を揺るがす<蝕(しょく)>で蓬莱(ほうらい)(日本)に流され、人の子として育った。十年の時を経て故国(くに)へと戻されたが、麒麟の役割を理解できずにいた。我こそはと名乗りを挙げる者たちを前に、この国の命運を担うべき「王」を選ぶことはできるのだろうか。(内容紹介(出版社より))

 

風の海 迷宮の岸』の感想

 

本書『風の海 迷宮の岸』は、戴国の物語であり、幼い麒麟が、自分が何ものであるかも分からないでいるなかで王を選び、その後も自分の決断の是非に悩む姿が描かれています。

本書での主役である麒麟の高里要は、蓬莱、つまり日本で祖母から厳しく育てられているところを異世界へと連れてこられました。

そこは夢のような世界であり、禎衛(ていえい)蓉可(ようか)、そして上は人、下は豹でほかに魚や蜥蜴といった要素を持つ汕子(さんし)という女怪が彼を優しく包んでくれる世界だったのです。

異世界へと連れてこられた彼、つまり戴国の麒麟である泰麒の高里要は、ここ蓬山で生まれたものの、蝕と呼ばれる天変地異のために蓬莱へと流され、そこで女の胎に辿り着いて胎果となり育てられていたのです。

何もわからないままに、優しい性格の泰麒は自分が麒麟として未熟であるために皆に迷惑をかけているのではないかと悩み苦しみます。

王を選ぶために存在しているのが麒麟なのに、自分は麒麟に転変することもできず、王を選ぶという重要な行為を為せないのではないかと悩んでいるのです。

その悩みはいざ王を選定してからも続きます。

自分の選択は自分の我儘から、その人の身近にいたいという個人的な望みから選んでしまったという大いなる間違いではないかというのです。

 

こうして本書は、この世界の根本にかかわる、王は麒麟によって選ばれるという事実を中心に、蓬莱で育ちこの世界のことは何も分からない幼い麒麟の、麒麟としての苦悩が描かれています。

そのことは、いまだこの世界になじんでいない読者の共感も呼びやすいのではないでしょうか。何も分からない麒麟と、いまだ曖昧な理解しかない読者とを共にこの世界になじませるうまい設定だと思います。

前巻のシリーズ第一巻『月の影 影の海』では、やはり蓬莱で高校生になるまで育ち、自分を選んだ麒麟に事情を知らされずにこの世界に連れてこられた女子高生が、麒麟ともはぐれ、まさに何も分からない異世界で苦労する様子が描かれていました。

つまり前巻では麒麟により選ばれた王の目線の話であり、本書は同じ様に蓬莱で育ったまだ幼い麒麟の側の様子が描かれているのです。

そして、シリーズ第三巻の『東の海神 西の滄海』では、麒麟とその麒麟が選んだ王との国造りの様子が描かれるという、わかりやすい構成がとられています。

 

 

繰り返しますが、本シリーズは他のファンタジー物語と異なりその世界の成り立ちからして全く異なる、私たちの世界の理とは異なる世界です。

その世界は四角形の中に十二カ国を有する対照的な世界であって、人は木に成る実から生まれ、妖魔が跋扈する古代中国風の世界です。

それはあたかも孫悟空たちが冒険をする『西遊記』の世界のようでありながら『西遊記』よりも不思議な世界であり、王や麒麟などは不死であって、獣人すら生きているのです。

 

 

このシリーズのストーリーをみても、なかなかに先が読みにくい意外性をもって展開され、読み手としてはただ楽しむばかりです。

不思議に満ちた世界をただ満喫すればいい、そういう物語だと思います。

月の影 影の海

月の影 影の海』とは

 

本書『月の影 影の海』は『十二国記シリーズ』の第一弾で、2012年6月に上下二巻で540頁を超える文庫本として出版された長編のファンタジー小説です。

古代中国を参考にした独特な雰囲気と、堅牢に構築された世界観を持つ世界を、主人公の女子高生が一人生き抜く物語は魅力的でした。

 

月の影 影の海』の簡単なあらすじ

 

「お捜し申し上げました」-女子高生の陽子の許に、ケイキと名乗る男が現れ、跪く。そして海を潜り抜け、地図にない異界へと連れ去った。男とはぐれ一人彷徨う陽子は、出会う者に裏切られ、異形の獣には襲われる。なぜ異邦へ来たのか、戦わねばならないのか。怒濤のごとく押し寄せる苦難を前に、故国へ帰還を誓う少女の「生」への執着が迸る。シリーズ本編となる衝撃の第一作。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

「わたしは、必ず、生きて帰る」-流れ着いた巧国で、容赦なく襲い来る妖魔を相手に、戦い続ける陽子。度重なる裏切りで傷ついた心を救ったのは、“半獣”楽俊との出会いだった。陽子が故国へ戻る手掛かりを求めて、雁国の王を訪ねた二人に、過酷な運命を担う真相が明かされる。全ては、途轍もない「決断」への幕開けに過ぎなかった。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

月の影 影の海』の感想

 

本書『月の影 影の海』は古代中国風の世界観を持つ異世界を舞台にした、一人の少女の冒険活劇風のファンタジーです。

 

主人公である女子高生の中嶋陽子は、突然ケイキと名乗る男に異世界へと連れられますが、途中ケイキとはぐれ、一人置き去りにされてしまいます。

ここがどこで、どういう所かもわからないままに放り出された陽子は、ただ我が家に帰りたいというその一心だけで、ケイキから渡されたひと振りの剣だけを抱え、生き抜いていくのです。

 

このシリーズは『十二国記シリーズ』の項でも書いたように、古代中国の讖緯(しんい)思想が基本にあり、また物語に登場する妖魔などの生き物は『山海経(せんがいきょう)』を参考にしているそうです。

そのため、この物語では陽子は虚海を越えてきたものとして海客と呼ばれているように、世界の成り立ちに関した事柄や、土地や人の名前などに難しい漢字が多用されていて、独特の世界観が構築されています。

また、同じ異世界ファンタジーの雄である上橋菜穂子の紡ぎ出す『鹿の王』のような物語もまた物語世界がきちんと構築されていて、読んでいて何の違和感も感じることなく物語世界に浸っていることが可能であるように、本シリーズもまた独特の世界が構築されているのです。

 

 

そして、本書『月の影 影の海』の特徴と言えば、上記の中国の古代思想を基本にしている独特な世界が舞台であることがまず一番に挙げられると思います。

四角形の世界に存在する十二の国の十二人の王と麒麟。そして、人間も麒麟も木に生り成長し、王は麒麟に選ばれ、不死の命を得るというるという不思議な世界です。

この世界で先の読めない物語が展開しているのです。

 

主人公の陽子が異世界で一人気丈に生き抜いていく姿が描かれていることが二番目に挙げられます。

普通の少女が、生きる、そのことためにひたすら強くなっていきます。ただ家に帰ることを信じて、死ぬことではなく、生き抜くことを選び戦って行く姿は感動的ですらあります。

その陽子の生きざまは、別な見方をすれば一級の冒険小説であり、物語も後半になるとクライマックスへ向けてひた走ることになります。

 

月の影 影の海』は、そんな主人公を中心とした登場人物も様々であり、またユニークです。

まず、主人公の中嶋陽子は普通の高校生でしたが、異世界へ放り込まれ強くなっていきます。

その陽子を異世界へと導いたのは霊獣である麒麟のケイキ即ち景麒であり、陽子をこの世界へ導いたのはいいのですが、すぐにはぐれてしまいます。

その陽子を助けたのが、ネズミの姿をした半獣の楽俊であり、陽子を雁国へと連れて行ってくれます。

他にも多くの人物、妖獣が登場しますが、まずは本シリーズの物語世界の紹介を兼ねたこの物語を堪能することが先でしょう。

 

本書『月の影 影の海』の舞台は巧州国から雁州国へと移り、陽子がこの世界へ招かれた理由も明らかになります。そして、この世界の成り立ち、構造も順次説明されていき、読者は本シリーズの世界観に慣れ、物語世界へ取り込まれることになります。

本書のあと、巻ごとに主人公は変わり、舞台となる国もまた変化するようで、その途中でまた本書の主人公も再び登場することでしょう。

これまで読んでこなかったことを残念に思うほどに引き込まれてしまいましたが、でも、そのことはこれから続巻を読む楽しみがあるということでもあります。

ぼちぼち読み進めたいと思います。