夏川 草介

雄町哲郎シリーズ

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エピクロスの処方箋』とは

本書『エピクロスの処方箋』は『雄町哲郎シリーズ』の第二弾で、2025年9月に水鈴社から360頁のハードカバーで刊行された、長編の医療小説です。

若干、説教の匂いがするものの、この作者の物語らしく読みやすいけれども心に染み入る場面が多い作品でした。

エピクロスの処方箋』の簡単なあらすじ

「君はここまで来るために、何人の患者を死なせてきた?」大学病院で数々の難手術を成功させ、将来を嘱望されながらも、母を亡くし一人になった甥のために地域病院で働く内科医の雄町哲郎。ある日、哲郎の力量に惚れ込む大学准教授の花垣から、難しい症例が持ち込まれた。患者は82歳の老人。それは、かつて哲郎が激怒させた大学院の絶対権力者、飛良泉寅彦教授の父親だったー。「医療では、人は救えないんだよ」治せない病は山のようにあるが、癒せない哀しみはない。思想する医師・雄町哲郎は今日も京都の街をゆくー。2024年本屋大賞第四位&京都本大賞受賞の感動作。映画化決定!『スピノザの診察室』続編!(「BOOK」データベースより)

エピクロスの処方箋』の感想

本書『エピクロスの処方箋』は『雄町哲郎シリーズ』の第二弾で、命の問題に直面する話ではあるものの決して暗くはなく、心に染み入る場面が多い作品でした。

この作者の『神様のカルテシリーズ』と同様の医療小説であり、現代の医療が抱える問題などが示されます。

 

この『雄町哲郎シリーズ』が『神様のカルテシリーズ』と異なるのは、まず大きくは、医者としてだけでなく、人としての生き方が明示されているところでしょう。

神様のカルテシリーズ』でも人としてのあり方などは示されていますが、本シリーズのほうがより直接的だと感じるのです。

それは、シリーズ各作品のタイトルに歴史上高名な哲学者の名前が示されていることからもわかります。

特に本シリーズでは、主人公の哲郎は指導医として南茉莉という研修医を指導していて、彼女に対して医者として、またそれ以前に人間としてのあり方を身をもって教えています。

加えて、哲郎はなき妹の息子を育てており、この甥っ子の龍之介に対してもまた人間としての生き方を説いて聞かせているのです。

本書の特徴として言えるのは、こうした指導や教育の過程もあり、哲郎が説いて聞かせる言葉が随所にちりばめられていることです。

この言葉が実に心に沁みるのです。

 

次に、大自然の中に暮らす栗原一止と、京都という大都会の中にいる雄町哲郎との差があると思います。

もちろん、二十九歳の内科医である一止と三十九歳の内科医の哲郎という年齢の差もあります。

何より、共に今は民間の医療環境にいるのですが、一止の場合、大学に戻り先進の医療を学ぶことがいいのかどうかという悩みがあります。これに対し、哲郎の場合は大学側から戻ってほしいとの働きかけがあるのです。

患者に対した時の医者としての対応に関しては同じですが、民間の病院にいて患者と対しながら、訪問診療という現場を見る哲郎の立場からくる差異もあると思えます。

 

本シリーズのほうが説教臭い、という見方もあるかもしれません。大学からの研修医である南医師との会話は、さすが指導医だけに医師としての道しるべとなる言葉が並び、見方によっては説教ともとれるからです。

龍之介との会話もありますが、こちらはより直接的に人生を語る場面が多いようです。

また、『神様のカルテシリーズ』のほうが地域医療の現実、現場の声などが拾い上げられているとも感じますが、この点は考えすぎかもしれません。

それでも、どちらの作品も、患者との最後の別れが綴られている場面の文章を読むと、自然に涙があふれてきます。人前では読めないのです。

本シリーズはまた医療も教授を頂とする権力構造の世界であることや、現代の医者不足の現状などの社会的な問題もまた提起してあります。

 

哲郎に対しては「ともすれば怠惰にさえ見える瞬間がある」と表現されるほどなのだけれど、その後「話をしていると気付かぬ間に見える世界が広がっていくような感覚がある」と評されています。

そのことはまた一止にも当てはまると思われるのです。

 

夏川草介という作家の描く物語世界で登場する医者は、ほとんどすべての医者が金銭を度外視して、真摯に患者のことを思っています。ただ、その現れ方が異なるだけです。

このことは、作者自身が自分の言葉で小説は面白くなければならないというようなことをどこかで語っておられたことと繋がっている気がします。

本書は、単純に医療小説として魅力的なお医者さんの物語として面白い、というだけではありません。

医者不足という現状や、大学病院の医局制度のああり方などの医療制度の抱える問題も含めた医療界の政治的な動きをも含めた物語としての面白さを持った小説です。

それが明確な悪人を登場させず、ユーモアさえも漂わせた話として成立しているのですから面白くないわけがないのです。

また新たに、夏川草介という作家の魅力的なシリーズが始まりました。

あとは『神様のカルテシリーズ』の続編もまた早いうちに刊行されることを願うばかりです。

[投稿日]2025年12月01日  [最終更新日]2025年12月1日

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