樅ノ木は残った

生誕100年。いま、この時代だから、山本周五郎の世界。必死に生きる私たちを静かに励ましてくれる……。
仙台藩主・伊達綱宗、幕府から不作法の儀により逼塞を申しつけられる。明くる夜、藩士四名が「上意討ち」を口にする者たちによって斬殺される。いわゆる「伊達騒動」の始まりである。その背後に存在する幕府老中・酒井雅楽頭と仙台藩主一族・伊達兵部とのあいだの六十二万石分与の密約。この密約にこめられた幕府の意図を見抜いた宿老・原田甲斐は、ただひとり、いかに闘い抜いたのか。(「内容紹介」より)

 

伊達騒動を主題に、それまで悪人との評価が定説だった原田甲斐を主人公として、武家社会の確執を描いた、長編の時代小説です。

 

この本を読むまで、伊達騒動の何たるやも知らず、従って原田甲斐が悪役であったことなど何も知らない私でした。NHKの大河ドラマで本書『樅ノ木は残った』を原作としたドラマが放映されたのが1970年ですので、このドラマを先に見たことになります。

平幹二朗が原田甲斐を演じていたことだけを覚えていて、ドラマ自体は途中でろくに見ていないのです。なにせ、私も高校生なのですから。

 

その後、山本周五郎という作家を知り、全作品を読破する中で本書も読んだのですが、主人公原田の生きざまに心打たれました。この思いは私だけではなく、全ての人に共通して心に迫り、だからこそ何度も映画化、ドラマ化がされているのでしょう。

山本周五郎文学の最高の一冊の一つだと思います。

 

ちなみに、本書は新潮文庫から全三冊として出版されているのですが、AmazonからKindle版として合本版が出ています。

 

さぶ

小舟町の芳古堂に奉公する栄二とさぶ。才気煥発な栄二と少し鈍いがまっすぐに生きるさぶ。ある日、栄二は身に覚えのない盗みを咎められ、芳古堂から放逐されてしまう。自棄になった栄二は身を持ち崩し人足寄場へ送られるが―。生きることは苦しみか、希望か。市井にあり、人間の本質を見つめ続けた作家の代表作。(「BOOK」データベースより)

 

人間の優しさについて深く考えさせられる、山本周五郎が描く長編の人情小説です。

 

書名は「さぶ」ですが、物語はさぶの親友である栄二を中心に進みます。

どんくさい「さぶ」を利発な「栄二」が助けながら、経師屋で修業している二人でした。しかし、ある日盗みの濡れ衣を着せられた栄二は、人足寄せ場に送られてしまいます。苦労の末に栄二を探し出したさぶをも追い返してしまうほどに、世をすねた目でしか見られなくなった栄二ですが、人足寄せ場でいろいろな人たちに出会うのです。

徹底したさぶの人の良さ、善意を主題とし、人はここまで優しくなれるものか、とどこか映画のコピーで使われそうな言葉がそのまま当てはまる物語です。その爽快な読後感は素晴らしいものがあります。

山本周五郎といえば新潮文庫だと思っていたのですが、2018年になり講談社文庫、角川文庫からも出版されていました。

 

 

つばくろ越え

江戸と諸国を独りで結ぶ、通し飛脚。並外れた脚力に加え、預かった金品を守るため、肝がすわり機転がきき、腕も立つ男でなければ務まらぬ。蓬莱屋勝五郎の命を受け、影の飛脚たちは今日も道なき道を走る。ある者は寄る辺ない孤児を拾い、ある者は男女の永遠の別れに立会う。痛快な活劇と胸を打つ人間ドラマを共に備えた四篇を収録。著者の新世紀を告げる時代小説シリーズ、ここに開幕。(「BOOK」データベースより)

 

飛脚問屋蓬莱屋シリーズの第一作目の四編の短編を収めた時代小説集です。

 

飛脚問屋蓬莱屋の雇人夫々に焦点が当たり、各短編を構成しています。そして全体として飛脚問屋蓬莱屋の物語なのです。

夫々の短編の主人公の書き分けが若干分かりにくいかなという気はしますが、それでも、その人物なりの生き方を芯に持って、ただひたすらに生きていく様が描写されています。

 

この本を読んで久しぶりに良質のハードボイルドに出会った気がして、また志水辰夫の未読の本を数冊読むことになりました。

みのたけの春

幕末の北但馬。寂れつつある農村の郷士・清吉は、病気の母と借財を抱えながらも、つましく暮らしていた。ある日、私塾に通う仲間・民三郎が刃傷沙汰を起こす。清吉は友を救うべく立ち上がるが、事態は思わぬ波紋を呼んだ。激動の予兆に満ちた時運に、民三郎らが身を委ねていくなか、清吉はただ日常をあくせくと生きていく道を選ぶのだった。名もなき青春群像をみずみずしく描いた傑作時代長編。(「BOOK」データベースより)

 

志水辰夫の描く第二弾の長編時代小説です。

 

幕末、若者は時代の変革に乗り遅れまいとしますが、主人公の暮らす田舎へも時代の波は押しかけます。

病の母の看病に追われる主人公はその波に飲み込まれようとする仲間を引きとめますが、時代はそれを許そうとはしません。主人公とその仲間の生きざまを描きだす名品だと思います。

 

いわゆるヒーローが活躍するハードボイルドではありませんが、主人公の内面を叙情的な文体で照らしだす本書はまさにシミタツ節です。

本書は志水辰夫の時代物第二作です。

黒龍の柩

本書『黒龍の柩』は、新選組副長土方歳三を主人公に据え、ある夢を追いかけた男達の物語として仕上げられた長編の歴史小説です。

あの新撰組の物語を北方謙三の新解釈で再構成した作品で、文庫本で上・下二巻、総頁数が一千頁近くにもなろうかという大作なのですが、あまりその長さを感じませんでした。

 

時は、幕末。時勢は否応なく男たちを呑み込んで行く。土方歳三も、人を斬りながら新選組の活路を探し続けた。親友・山南敬助の捨て身の切腹、同志・近藤勇との別れの予感。やがて土方は、坂本龍馬が暗殺の直前に語った計画に、新選組の未来と己の夢を賭ける。命を燃やしながら奔った男たちの青春群像。見果てぬ夢を謳いあげた北方版「新選組」。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

時代は激しく動いた。徳川慶喜は朝廷に大政を返上。江戸幕府は終焉を迎える。だが新政府は追討令を発し、江戸に進軍を開始する。遂に土方歳三らは、壮大な計画に踏み切った。徳川慶喜を極秘に蝦夷地へ。数十万の幕臣を呼び、豊富な海産物・鉱脈を利用し独立国家を設立する。男たちの夢は、果たして叶うのか。新・幕末歴史小説ここに誕生。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

読者が知っている歴史的事実の隙間を埋めていくのが歴史小説だと言いますが、本書『黒龍の柩』は既知の歴史を材料として新たな歴史を紡ぎだしていると言えます。

歴史的な出来事として示されている事実は実在し、異なる解釈があって、更に虚構が織り交ぜられるのが普通の歴史小説です。

しかし、物語のよって立つ思想、軸が全く異なるので、通常の歴史小説とは異なると感じるのでしょう。

つまり、本書『黒龍の柩』ではまぎれもなく土方歳三を中心とした新選組の歴史が語られているのですが、物語の軸となっているのは坂本竜馬が持っていたという北海道での共和国構想なのです。

旧幕府軍による北海道での共和国という事実は、実際の主権の確立の有無は別として、史実としてあります。

それを竜馬の思想とし、勝海舟も西郷隆盛も、更には徳川慶喜をも巻き込んだ一大構想として展開し、そこに新選組が、というよりも土方歳三という人間が夢を託すのです。

そこの土方の絡み方がいかにも北方作品らしく面白いのです。新選組を脱走した山南敬助は実は土方とよく意思を通わせていた、など、普通の物語とは異なる設定が随所にあります。

いつものとおり、本書『黒龍の柩』でも北方謙三の硬質な文体は情景描写の場面は殆どありません。登場人物の心理描写は直截的です。それでいて人間の「情」をも十分に表現されています。

 

読みながら北方謙三の『水滸伝』(集英社文庫全十九巻)を思い出していました。共に、一般的に読まれている作品がいったん破壊され、北方謙三の視点で異なる物語として組み直されています。

水滸伝』では経済的側面の強化策として「塩の道」というしくみを作り、また、致死軍という武力装置を作って、組織としての梁山泊を強固に作りあげています。

 

 

本書『黒龍の柩』では、土方は武力装置そのものとなり、坂本竜馬の構想を軸として再構築された幕末の歴史の中を、その構想を実現するために疾走するのです。

両作品の出版時期を見ると、水滸伝は2000年から2005年にかけて出版され、本書は2002年の出版ですから、同時期に書かれたものだから似た構成になっているのかとも思いました。

しかし、すこし調べると、北方謙三の描く歴史小説は皆、北方ワールドに変化しているようなので、特別なことではなかったようです。

 

同じ新選組を描いた作品でも浅田次郎の『壬生義士伝』他のいわゆる新撰組三部作や木内昇の『新選組 幕末の青嵐』などとはその趣はかなり異なります。

 

 

ひと昔前「半村良」という作家のSF伝奇小説にはまりました。『産霊山秘録』や『石の血脈』というそれらの物語は歴史的な事実や各地に残る伝承などの上に法螺話をかぶせ、奇想天外な物語を如何にも事実らしく読ませてくれたものです。

 

 

本書『黒龍の柩』はその変形だと思いました。歴史小説というジャンル自体が歴史的事実を土台にそうした嘘話を面白く聞かせるというものですが、そこから一歩進んで虚構を構築しているのです。その虚構の部分が地に足がついているかどうかの違いでしょう。

勿論、作家の表現思想も違えば、具体的には文体も、表現分野も異なります。半村良の場合は物語自体が目的のようなところがありました。しかし、北方謙三は「男」のあり方の追求を感じるのです。

ともあれ、北方謙三の面白さが十分に発揮された、ちょっと変わった新選組ものです。幕末を舞台にしたハードボイルドであり、意外な結末に至る、新たな視点の歴史小説です。

三国志

吉川英治版『三国志』をもとにしたコミックの横山光輝の『三国志』は読んだのですが、北方謙三版の『三国志』を原作とするコミックはまだ読んでいません。

全十巻セットは下記リンクです。

 

 

水滸伝

十二世紀の中国、北宋末期。重税と暴政のために国は乱れ、民は困窮していた。その腐敗した政府を倒そうと、立ち上がった者たちがいた―。世直しへの強い志を胸に、漢たちは圧倒的な官軍に挑んでいく。地位を捨て、愛する者を失い、そして自らの命を懸けて闘う。彼らの熱き生きざまを刻む壮大な物語が、いま幕を開ける。第九回司馬遼太郎賞を受賞した世紀の傑作、待望の文庫版刊行開始。(第一巻 : 「BOOK」データベースより)

三国志』に比べ、本書『水滸伝』の方はとても面白く読んでいます。元々物語を良く知っている『三国志』とは異なり、『水滸伝』については横山光輝の漫画やかなり昔のNHKの人形劇を見たことくらいしか接したことがありませんでした。そのためか物語世界に素直に入っていくことが出来たのでしょう。

この作品もかなり面白い物語であると同時に北方謙三という作家の凄みを感じさせられます。100人を越える登場人物の内面まで含めて描写し、夫々登場人物に背景を持たせるその力量には驚くしかありません。敵役も含めてキャラクタ造形が上手く感情移入しやすい物語に仕上がっているのです。

初期の北方作品に感じられたどことなく暗いイメージは無く、逞しいエンターテインメント作品に仕上がっています。『三国志』同様かなりな長編なので(全十九巻)、のんびりと時間をかけて読むのが良いと思います。

なお、この作品は『大水滸シリーズ』の第一部であり、この後同じく集英社文庫の『楊令伝』(全十五巻)、『岳飛伝』(全十七巻)と続く三部作になっています。

 

 

三国志






これまで「三国志」に関しては、小説では吉川英治の「三国志」と柴田錬三郎の「英雄三国志」を、漫画では横山光輝の「三国志」と王欣太の「蒼天航路」などを読みました。他にも陳舜臣宮城谷昌光他の人たちが書いていますし、漫画では三国志関係という点で言えば多数ありすぎて一々挙げられないようです。エンターテイメント作品という点では柴田錬三郎の作品が一番だったと思います。「蒼天航路」も曹操からの視点で面白く読みました。

(なお、蛇足ですが吉川英治版の「三国志」は、Kindle版では0円で読むことができるようです。)

読み手である私の側のこうした先入観のためか、個人的には北方版三国志については登場人物の書き分けに不満が残り、本書の世界に今一つ感情移入することができませんでした。三国志では多くの登場人物が活躍しますが、その個々の登場人物の個性が似ているように感じたりと、何となくの違和感を持ってしまいまったのです。もしかしたら北方版三国志が三国志の正史をベースにしているということも関係しているのかもしれません。

しかし、三国志という物語自体の面白さは言うまでも無く、北方謙三という作家の三国志の新しい解釈も印象深いものがあります。ベストセラーになっていることからも分かるように、本書の面白さもまた否定できず、読み応えのある本を探している人にはお勧めです。

ただ、別巻を数えなくても文庫本で全13巻という長尺の物語です。気楽に読むことをお勧めします。