エピクロスの処方箋

エピクロスの処方箋』とは

本書『エピクロスの処方箋』は『雄町哲郎シリーズ』の第二弾で、2025年9月に水鈴社から360頁のハードカバーで刊行された、長編の医療小説です。

若干、説教の匂いがするものの、この作者の物語らしく読みやすいけれども心に染み入る場面が多い作品でした。

エピクロスの処方箋』の簡単なあらすじ

「君はここまで来るために、何人の患者を死なせてきた?」大学病院で数々の難手術を成功させ、将来を嘱望されながらも、母を亡くし一人になった甥のために地域病院で働く内科医の雄町哲郎。ある日、哲郎の力量に惚れ込む大学准教授の花垣から、難しい症例が持ち込まれた。患者は82歳の老人。それは、かつて哲郎が激怒させた大学院の絶対権力者、飛良泉寅彦教授の父親だったー。「医療では、人は救えないんだよ」治せない病は山のようにあるが、癒せない哀しみはない。思想する医師・雄町哲郎は今日も京都の街をゆくー。2024年本屋大賞第四位&京都本大賞受賞の感動作。映画化決定!『スピノザの診察室』続編!(「BOOK」データベースより)

エピクロスの処方箋』の感想

本書『エピクロスの処方箋』は『雄町哲郎シリーズ』の第二弾で、命の問題に直面する話ではあるものの決して暗くはなく、心に染み入る場面が多い作品でした。

この作者の『神様のカルテシリーズ』と同様の医療小説であり、現代の医療が抱える問題などが示されます。

 

この『雄町哲郎シリーズ』が『神様のカルテシリーズ』と異なるのは、まず大きくは、医者としてだけでなく、人としての生き方が明示されているところでしょう。

神様のカルテシリーズ』でも人としてのあり方などは示されていますが、本シリーズのほうがより直接的だと感じるのです。

それは、シリーズ各作品のタイトルに歴史上高名な哲学者の名前が示されていることからもわかります。

特に本シリーズでは、主人公の哲郎は指導医として南茉莉という研修医を指導していて、彼女に対して医者として、またそれ以前に人間としてのあり方を身をもって教えています。

加えて、哲郎はなき妹の息子を育てており、この甥っ子の龍之介に対してもまた人間としての生き方を説いて聞かせているのです。

本書の特徴として言えるのは、こうした指導や教育の過程もあり、哲郎が説いて聞かせる言葉が随所にちりばめられていることです。

この言葉が実に心に沁みるのです。

 

次に、大自然の中に暮らす栗原一止と、京都という大都会の中にいる雄町哲郎との差があると思います。

もちろん、二十九歳の内科医である一止と三十九歳の内科医の哲郎という年齢の差もあります。

何より、共に今は民間の医療環境にいるのですが、一止の場合、大学に戻り先進の医療を学ぶことがいいのかどうかという悩みがあります。これに対し、哲郎の場合は大学側から戻ってほしいとの働きかけがあるのです。

患者に対した時の医者としての対応に関しては同じですが、民間の病院にいて患者と対しながら、訪問診療という現場を見る哲郎の立場からくる差異もあると思えます。

 

本シリーズのほうが説教臭い、という見方もあるかもしれません。大学からの研修医である南医師との会話は、さすが指導医だけに医師としての道しるべとなる言葉が並び、見方によっては説教ともとれるからです。

龍之介との会話もありますが、こちらはより直接的に人生を語る場面が多いようです。

また、『神様のカルテシリーズ』のほうが地域医療の現実、現場の声などが拾い上げられているとも感じますが、この点は考えすぎかもしれません。

それでも、どちらの作品も、患者との最後の別れが綴られている場面の文章を読むと、自然に涙があふれてきます。人前では読めないのです。

本シリーズはまた医療も教授を頂とする権力構造の世界であることや、現代の医者不足の現状などの社会的な問題もまた提起してあります。

 

哲郎に対しては「ともすれば怠惰にさえ見える瞬間がある」と表現されるほどなのだけれど、その後「話をしていると気付かぬ間に見える世界が広がっていくような感覚がある」と評されています。

そのことはまた一止にも当てはまると思われるのです。

 

夏川草介という作家の描く物語世界で登場する医者は、ほとんどすべての医者が金銭を度外視して、真摯に患者のことを思っています。ただ、その現れ方が異なるだけです。

このことは、作者自身が自分の言葉で小説は面白くなければならないというようなことをどこかで語っておられたことと繋がっている気がします。

本書は、単純に医療小説として魅力的なお医者さんの物語として面白い、というだけではありません。

医者不足という現状や、大学病院の医局制度のああり方などの医療制度の抱える問題も含めた医療界の政治的な動きをも含めた物語としての面白さを持った小説です。

それが明確な悪人を登場させず、ユーモアさえも漂わせた話として成立しているのですから面白くないわけがないのです。

また新たに、夏川草介という作家の魅力的なシリーズが始まりました。

あとは『神様のカルテシリーズ』の続編もまた早いうちに刊行されることを願うばかりです。

雄町哲郎シリーズ

雄町哲郎シリーズ』とは

本『雄町哲郎シリーズ』は、京都の町中にある民間の病院を舞台にした医療小説です。

私が今最も好きな作家の一人である夏川草介の、あらためて「人間の生」を見つめなおす感動的なシリーズ作品です。

雄町哲郎シリーズ』の作品

雄町哲郎シリーズ(2025年12月01日現在)

  1. スピノザの診察室
  2. エピクロスの処方箋

雄町哲郎シリーズ』について

本『雄町哲郎シリーズ』の主人公は、原田病院という民間病院で働く雄町哲郎という内科医です。

洛都大学附属病院で将来を嘱望された医師でしたが、妹の美山奈々が亡くなり、その子の美山龍之介を育てる必要もあって大学病院をやめ、原田病院に就職したものです。

そのために、哲郎の二年先輩である洛都大学附属病院消化器内科准教授である花垣辰雄は、いまでも何かと哲郎の腕を頼りにし、また支援もしています。

消化器内科医の南茉莉を研修医として哲郎のもとへ送り込んでいるのもその一環だと考えられます。

反面、将来を嘱望されていただけに、洛都大学附属病院の飛良泉寅彦教授の逆鱗に触れています。

 

哲郎が勤務する原田病院は、消化器疾患を専門科とする四十八床の小規模病棟を持った京都の町中にある民間病院です。

理事長の原田百三は七十近い年齢であり管理業務を主にしています。また、病院長は鍋島治であり、この人は五十代半ばの外科医もあります。

ほかに鍋島医師の後輩であり、原田病院唯一の女性医師で外科医の中将亜矢、総合内科医の秋鹿淳之介がおり、そして本書の主人公である消化器内科医の雄町哲郎の三人がいます。

 

このシリーズは、「スピノザ」や「エピクロス」という高名な哲学者の名前を冠している各作品のタイトルからもわかるように、人として哲学を持った生き方をすることを前面に押し出しています。

夏川草介という作家には別に『神様のカルテシリーズ』というベストセラーシリーズがありますが、本『雄町哲郎シリーズ』も『神様のカルテシリーズ』に劣らないほどの人気を博すシリーズになることでしょう。

君を守ろうとする猫の話

君を守ろうとする猫の話』とは

 

本書『君を守ろうとする猫の話』は、2022年9月に288頁のハードカバーで小学館から刊行された長編のファンタジー小説です。

2017年1月に刊行された『君を守ろうとする猫の話』の続編であり、前作と同様に「本」の大切さを訴えている作品で、ファンタジーとして面白い作品だとは言い難い作品でした。

 

君を守ろうとする猫の話』の簡単なあらすじ

 

お前なら、きっと本を取り戻せるはずだ。

幸崎ナナミは十三歳の中学二年生である。喘息の持病があるため、あちこち遊びに出かけるわけにもいかず学校が終わるとひとりで図書館に足を運ぶ生活を送っている。その図書館で、最近本がなくなっているらしい。館内の探索を始めたナナミは、青白く輝いている書棚の前で、翡翠色の目をした猫と出会う。

なぜ本を燃やすんですか?

「一番怖いのは、心を失うことじゃない。失った時に、誰もそれを教えてくれないこと。誰かを蹴落としたときに、それはダメだと教えてくれる友達がいないこと。つまりひとりぼっちだってこと」

ようこそ、新たな迷宮へ。(内容紹介(出版社より))

 

君を守ろうとする猫の話』の感想

 

本書『君を守ろうとする猫の話』は、2017年に刊行された『本を守ろうとする猫の話』の続編です。

本書の主人公は、幸崎ナナミという中学二年生の少女です。

持病の喘息で運動ができないために毎日通っていた図書館で本がなくなっていることに気付いたナナミは、探索の途中言葉を話す猫に出会うのでした。

トラネコのトラと名乗るその猫と共に青白く光る書棚の先へと踏み出すと、そこには血の気の無い土気色の顔をした兵士に守られた石造りのお城がありました。

そしてその城の中では世界中から集められた本が燃やされており、その奥の将軍の間にはスーツ姿の将軍がいたのです。

 

こうしてナナミとトラ猫との冒険譚が始まります。お城を脱出したナナミたちは夏木書店の書棚に現れ、第一作の『本を守ろうとする猫の話』の主人公であった夏木林太郎と出会います。

その後、再びお城へと戻ったナナミたちは「宰相の間」にいた宰相や「王の間」のに会うことになるのでした。

 

冒頭に述べたように、本書をファンタジー小説として見る時、決して面白いファンタジー作品とは言えないと思います。

そのことは前作の『本を守ろうとする猫の話』でも思っていたことです。

ただ、ファンタジー物語としての物語のストーリー展開は面白いとは言えなくても、そこに込められたメッセージは前作と同様に強烈なものがありました。

つまりは、書物に対する愛情という点では本書でも同様であり、書物に対する敬愛の念がストレートに表現されていて、単なる冒険物語の枠を超えて心に訴えてくるものがあるのです。

 

ただ、若干の疑念はありました。

作者の言う「書物」は「良書」ということであり、それに対する「悪書」は作者の言う「書物」には入っていないように思われます。

そして、その「良書」と「悪書」の選別の基準が明確でない以上、書物の有用性を語るにしても明確ではないのではないでしょうか。

つまりは「良書」という概念が入る以上は結局は判断の恣意性を排除できず、結局は作者の主張する書物の有用性自体が曖昧になると思うのです。

ただ、繰り返しますが前作同様に「本」の大切さを訴えている素晴らしい作品だとは思います。

 

書物に対する愛情を感じた作品といえば、高田大介の『図書館の魔女シリーズ』が思い出されました。

高田大介著の『図書館の魔女シリーズ』はタイトルからくる印象とは異なり、口のきけない娘を主人公とする、剣と魔法ではない「言葉」にあふれた異色のファンタジー小説です。

また、三上延の『ビブリア古書堂の事件手帖シリーズ』もまた本に対する愛情がよく分かる作品でした。

このシリーズは、北鎌倉にある古書店「ビブリア古書堂」の主である篠川栞子と、アルバイト社員である五浦大輔を中心に、古書にまつわる謎を解き明かしていくミステリーです。

シリーズ累計で310万部を超える大ヒットとなり、『2012年本屋大賞』にもノミネートされました。

 

結局、本書の印象としては、「本」の大切さを訴えている素晴らしい作品だとは思いますが、ファンタジー物語としては面白いとは言えないということになります。

しかしながら、「書物」の効用、といってしまうと打算的な読書の印象になってしまうので好きではありませんが、作者が言う「優しさとは何か、生きるとは何かについて」考えるきっかけになる大切なものだ、というべきなのでしょう( 著者は語る : 参照 )。

本を守ろうとする猫の話シリーズ

『本を守ろうとする猫の話シリーズ』』とは

 

この『本を守ろうとする猫の話シリーズ』は、『神様のカルテシリーズ』の夏川草介が、本を読むことの大切さを訴えたファンタジーシリーズです。

言葉をしゃべる不思議なトラ猫に導かれ、「本」を取り戻すために中学生の女子や高校生の男の子の力を借り冒険に旅立つ物語です。

 

『本を守ろうとする猫の話シリーズ』』の作品

 

本を守ろうとする猫の話シリーズ(2024年04月30日現在)

  1. 本を守ろうとする猫の話
  2. 君を守ろうとする猫の話

 

『本を守ろうとする猫の話シリーズ』』について

 

この『本を守ろうとする猫の話シリーズ』は、三度も映像化されたベストセラーとなった『神様のカルテシリーズ』の夏川草介が、本を読むことの大切さを訴えたファンタジーシリーズです。

言葉をしゃべる不思議なトラ猫に導かれ、「本」を取り戻すために高校生や少女の力を借りて冒険に旅立つのです。

 

第一巻『本を守ろうとする猫の話』では、高校生の夏木林太郎が、祖父の死後祖父が営んでいた「夏木書店」の書物の整理中に、書棚の奥から突然現れた人間の言葉を話すトラネコから本を守るために力を貸してくれと頼まれます。

第二巻の『君を守ろうとする猫の話』では、喘息の薬を欠かすことのできない中学2年生のナナミが主人公です。大好きな図書館で書物が消えていることに気付いたナナミの前に言葉をしゃべる猫が現れ、共に灰色の男たちの守る世界へと旅立つことになります。

共に、書物の大切さを訴え、読書の意味を考えさせられる物語になっています。

 

著者の夏川草介は、世界では人と人との衝突が日常化しているから、「相手のことを想像する力、他人を思いやる心」が必要だといいます。

そこで「想像力を育む」ことになる小説を読み、「優しさとは何か、生きるとは何かについて」考えて欲しいというのです( 著者は語る : 参照 )。

結局、この点こそが作者の言いたいことであり、本シリーズの要点だと言えそうです。

 

本シリーズは三部作だということであり、余すところあと一冊となっています( 東京新聞 TOKYO Web : 参照 )。

スピノザの診察室

スピノザの診察室』とは

本書『スピノザの診察室』は『雄町哲郎シリーズ』の第一弾で、2023年10月に287頁の新刊書として水鈴社から刊行された長編の医療小説です。

私が最も好きな作家の一人である夏川草介らしく医者を主人公とする作品で、人間の生をあらためて見つめる期待に違わない感動的な作品でした。

スピノザの診察室』の簡単なあらすじ

雄町哲郎は京都の町中の地域病院で働く内科医である。三十代の後半に差し掛かろうとした頃、最愛の妹が若くしてこの世を去り、一人残された甥の龍之介と暮らすためにその職を得たが、かつては大学病院で数々の難手術を成功させ、将来を嘱望された凄腕医師だった。哲郎の医師としての力量に惚れ込んでいた大学准教授の花垣は、愛弟子の南茉莉を研修と称して哲郎のもとに送り込むが…。数多の命を看取った現役の医師でもある著者が、人の幸せの在り方に迫る感動の物語。(「BOOK」データベースより)

スピノザの診察室』の感想

本書『スピノザの診察室』は、京都の町にある「原田病院」という民間の病院を舞台にした、医療行為に真摯に向き合う医者たちの物語です。

本書の作者夏川草介の代表作でもある『神様のカルテシリーズ』に似た雰囲気の医療小説ですが、本書の方が街中が舞台であるだけに自然描写が少なく、さらにはより医療の現場の日常に近づいているようです。

 

先に述べたように、本書の舞台は京都であり、消化器疾患を専門科とする四十八床の小規模病棟を持った「原田病院」という民間病院です。

この「原田病院」は五人の常勤医がいますが、七十近い年齢の理事長の原田百三は管理業務が主体であり、医療現場は残りの四人で回っています。

外科医は病院長でもある五十代半ばの鍋島治と、鍋島医師の後輩である年齢不詳の中将亜矢がいて、内科医として秋鹿淳之介と本書の主人公である雄町哲郎の二人がいます。

 

また主人公の雄町哲郎医師は、皆から親しみを込めて「マチ先生」と呼ばれているのですが、妹を病で亡くしているという過去を持っています。

死ぬ間際まで明るくいたその妹が残した一人息子の美山龍之介を育てるために将来を嘱望されていた大学の医局を辞め、民間の病院へと移ったのでした。

そのために、大学准教授の花垣はいまでも雄町医師の腕を惜しみ、南茉莉を研修医として雄町医師のもとへ送り込んだりもしているのです。

 

神様のカルテシリーズ』では、主人公の栗原一止は夏目漱石などの古典に親しみ、たまにその蘊蓄などを語る人物です。

それに対し、本書『スピノザの診察室』の主人公の雄町哲郎は、哲学者であるスピノザについて一家言を持っている人物として登場しています。

だからと言って何が違うということはないのですが、共に先人の言葉から人間としての在りようを学び取っているところは同じでしょう。

 

私がこの夏川草介という作者が好きなのは、作品の内容が人の命に対峙する主人公の姿が真摯なものだということはもちろんですが、このひとの文章が実に読みやすく、作品として重苦しくないということが一番の理由になっていると思います。

この人の文章は平易な言葉を連ねてあるにもかかわらず、自然の描写などはとても情感に満ちていながら、同時に登場人物の思いやその言葉は非常に論理的です。

そうした筋の通った優しさに満ちた文章のおかげで、作品の内容が人の「生」とその先にある「死」に連なる、どちらかというと重いものであっても深刻にならずに、またお涙頂戴の軽い物語にならずに済んでいると思うのです。

このことは、著者自身も「ただ、人に読んでもらうなら、どんなに内容が厳しくても読みやすくしないといけません。・・・『神様のカルテ』は、・・・暗い話です。ストーリーには救いがありません。そういう物語を読んでもらうための技術として、文章に気を配っています。」( 読書の泉 : )と書いておられ、この文章を読んだ時はあらためて納得したものです。

 

本書『スピノザの診察室』は多分シリーズ化されるのだろう、と思っていたら、作者自身がシリーズ化する予定だということですから、ファンとしてはたまりません( 夏川草介『スピノザの診察室』刊行記念インタビュー : 参照 )。

できるだけ早く続きを読みたいものです。

追記:

本書に関しては映画化の話も出ているそうです。まだ具体的には何も発表されていないものの、Amazonの該当ページなどにも明記してあるので本当の話でしょう。

 

そして、2025年9月に本書の続巻である『エピクロスの処方箋』が出版されました。

本書同様に京都の「原田病院」に勤務する雄町哲郎を主人公とし、彼を取り巻く医者や患者たちの日常を描く感動的な作品です。

レッドゾーン

レッドゾーン』とは

 

本書『レッドゾーン』は2022年8月に刊行された318頁という長さの長編の医療小説です。

2021年4月に刊行されたこの作者の『臨床の砦』に次いで書かれた作品で、我が国のコロナ禍に立ち向かった、信州にある公立病院の医療従事者たちの姿を描きだした感動的な物語です。

 

レッドゾーン』の簡単なあらすじ

 

病む人がいるなら我々は断るべきではない。

【第一話】レッドゾーン
日進義信は長野県信濃山病院に勤務する内科医(肝臓専門医)だ。令和二年二月、院長の南郷は横浜港に停泊中のクルーズ船内で増加する新型コロナ患者の受け入れを決めた。呼吸器内科医も感染症医もいない地域病院に衝撃が走る。日進の妻・真智子は、夫がコロナ感染症の患者を診療することに強い拒否感を示していた。

【第二話】パンデミック
千歳一郎は五十二歳の外科医である。令和二年三月に入り、コロナの感染者は長野県でも急増していた。三月十四日、千歳は限界寸前の日進に変わり、スペイン帰りの32歳女性コロナ確定患者を診察し、涙を流される。翌日、コロナ診療チームに千歳が合流した。

【第三話】ロックダウン
敷島寛治は四十二歳の消化器内科医である。コロナ診療チームに加わって二月半が過ぎた。四月上旬、押し寄せる患者に対応し、信濃山病院が総力戦に突入するなか、保健所は感染症病床を六床から十六床に増床するよう要請する。医師たちはすべての責務を信濃山病院だけに負わせようとする要請に紛糾するが、「病める人がいるのなら、我々は断るべきでない」という三笠内科部長の発言により、増床を受け入れる。
(内容紹介(出版社より))

 

レッドゾーン』の感想

 

本書『レッドゾーン』は、著者夏川草介が2021年に出版した『臨床の砦』の続編です。

 

 

続編とはいっても物語が続いているという意味ではなく、時系列的にはその前の日本でコロナウイルスが蔓延するごく初期から最初の緊急事態宣言発出に至るまでの一地方病院の姿が描かれています。

具体的には、『臨床の砦』の舞台であった信州の信濃山病院に勤務する三人の医師を中心にして、情感豊かに、しかし事実をもとに描かれている作品です。

ただ、物語としては各話での中心となる医師がこの三人というだけで、例えば理事長の南郷や、内科部長の三笠、循環器内科医の富士などの医師たち、また四藤らの看護師といった人々がそれぞれに重要な地位を占めています。

それだけではありません。各話の中心となる医師たちの家族もまたこの物語の重要な登場人物と言えます。

 

三人の医師とは、第一話が肝臓内科医の日進義信、第二話が外科医の千歳一郎、第三話が消化器内科医の敷島寛治です。

彼らの勤務する長野県信濃山病院は病床数二百床弱の公立病院で、公立病院であるがために横浜港に入港したクルーズ船で発生したコロナ患者の要請を受け入れることとしたというのです。

しかし、信濃川病院は感染症指定医療機関ではあっても、呼吸器内科医はおらず、陰圧室もやっと機能している状態の病院です。

そうしたなか、三笠医師の「病める人がいるのなら、我々は断るべきではない。それだけのこと」という考えなど、各医師の単純な、しかし真摯な思いから他の病院が拒絶しているコロナ患者の治療に立ち向かうのです。

 

本書『レッドゾーン』にはほかにも、三笠医師の説明に出てくる、きわめて秘匿性の高い特殊な診療現場であるために情報が非公開であるがゆえの「沈黙の壁」という言葉など、胸に刺さる表現が随所に見られます。

特に、本書の帯に書いてある敷島医師の娘が言った「お医者なのに、コロナの人、助けてあげなくていいの?」という質問は強烈でした。

 

前巻『臨床の砦』でもそうでしたが、本書『レッドゾーン』でも私たちが知らなかったコロナウイルス関連の事実が取り上げられています。

とくに、日本で最初のコロナ患者と言われる横浜でのクルーズ船での感染症患者の発生のとき、神奈川で174人の入院患者を受け入れることができなかったという話には驚きました。

つまり、神奈川の病院は新たな感染症について何も分かっていないために新規の感染症患者の引き受けを拒んだということであり、だからこそ国は公立病院という伝家の宝刀を抜いたのだろう、と作者は三笠医師に言わせています。

ここで述べられている数値、また受け入れ拒否という話は事実であり、だからこそ全国の公立病院に受け入れ要請が出たのでしょう。

また驚きという点では、指揮系統が違うおかげで保健所が救急車を動かすことはできないず、現状ではコロナ患者の移送に救急隊の助力は得られない、という話も同様でした。

 

前巻の『臨床の砦』の時もそうでしたが、私達一般人はテレビのニュースなどを通じて初期のコロナについての情報を得ていました。

そしてその中で医療従事者たちの奮闘ぶりを目の当たりにし、感謝をし、コロナを撃退してくれることを願っていたものです。

しかし、本書『レッドゾーン』を読む限りでは、ニュースを通して得ていた情報は医療従事者たちの苦労のほんの少ししか分っていなかったことを思い知らされました。

 

ここで、個人的なことを言うと、私の住む市での最初のコロナ患者となった看護師さんの勤務する病院の理事長の対処が見事で、病院名を公表し初期対応を見事にやりとげ、クラスターの発生も防いだのです。

しかし、病院名の公表はかなりの誹謗中傷を呼ぶことにもなり、その病院の医療従事者の皆さんはそれこそ本書にも書いてあるような理不尽な対応を受けたと聞いています。

私の学生時代の同級生でもある院長を始めとするその病院関係者がどれほど苦しくつらい目に遭っていたかわかっていたつもりでしたが、本書を読んでその認識がいかに甘いものであったかを思い知らされました。

 

話を元に戻すと、医療従事者たちが直面した事実には、彼らの心理的な負担や思いもふくまれます。

例えば、日進医師の息子でやはり医師である日進義輝の、信濃川病院のコロナ患者受け入れの判断は職員の命を軽んじることであり無責任だ、という言葉はそれなりの重みがあるようです。

しかし、現にほかに行き場のない患者がいるとき、その患者に同じ言葉を言えるか、ということなのでしょう。結局は、現場にいない私達には判断のしようもないと思えます。

 

本書『レッドゾーン』で描いてあるエピソードはその全てが強烈な印象であり、紹介のために取り上げていたら本書を丸写しすることにもなりかねないほどに胸に迫ります。

作者の夏川草介は読者が楽しく読めるような作品を書きたい、という趣旨のことをおっしゃっていたと思いますが、本書の場合、リアルな現実を描く以上そうしたことは言っておられないのでしょう。

読んでいて、正直、辛さを感じる場面が数なからずありましたが、そうした中でも信州の美しい自然を織り込みながらの語りはさすがのものでした。

夏川草介という作家の文章は、本書のような理不尽で悲惨な状況においても信州の美しい風景の描写を織り込んであるためか、状況の過酷さが和らいでいると思われるのです。

 

次から次にウイルスの新たな変種が生まれ、感染の波も繰り返し襲ってきましたが、何とか落ち着いて「ウィズ コロナ」という言葉が現実になりそうなこの頃です。

医療従事者を始めとする、エッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちの努力はただただ頭が下がるばかりです。

あとは、私達自身が、できることを十分にやて、互いへの思いやりを持って生きていくことが大切だと思います。

本書『レッドゾーン』は、そうしたことを改めて思い出させてくれる作品でした。

臨床の砦

臨床の砦』とは

 

本書『臨床の砦』は2021年04月に刊行されて2022年06月に263頁で文庫化された、担当編集者が「記録小説」「ドキュメント小説」と銘打った、現実のコロナ診療の最前線の姿を描いた医療小説です。

『神様のカルテシリーズ』を描いた夏川草介が、現実にコロナ禍に立ち向かう医師、看護師などの姿を描き出しています。

 

臨床の砦』の簡単なあらすじ

 

「自分だけが辛いのではないと思えば、踏みとどまる力が生まれる」。敷島寛治は長野県の感染症指定医療機関、信濃山病院に勤務する内科医である。令和二年の年末からコロナ感染者が急増し、医療従事者の体力は限界を超えていた。“医療崩壊”寸前と言われるが、現場の印象は“医療壊滅”だ。ベッドの満床が続き、一般診療にも支障が出ている。未知のウイルスとの闘いは緊張の連続だった。コロナは肺だけでなく、人の心も壊す。それでも信濃山病院の医師達は、逃げ出さなかった。「あんな恐ろしい世界の中でも、我々は孤独ではなかったー」現役医師が綴る、勇気の物語。(「BOOK」データベースより)

 

消化器専門の内科医の敷島寛治が勤務する信濃山病院は地域で唯一の感染症指定医療機関である。

この病院では一年前の二月にクルーズ船の患者を受け入れてから専門外の内科医と外科医が集まった混成チームで正体不明の感染症に対処してきた。

しかし、二〇二〇年の十二月半ばころから発熱外来に来る患者の数が急速に増え始め、患者の増加スピードが異常に速くなっていた。

今、信濃山病院では対応できない重症化した患者を複数の呼吸器内科医の所属している規模の大きな医療施設である筑摩野中央医療センターへと搬送している敷島寛治は、このまま続けば一、二週間のうちに大変な事態になると感じていた。

 

臨床の砦』の感想

 

本書『臨床の砦』の主人公は、十八年目の消化器専門の敷島寛治という内科医です。

そもそも、コロナ医療の第一線でコロナ患者に対応している主人公の敷島寛治が消化器内科医であって、呼吸器科の医者ではないということにまず驚きました。

確かに同じ内科医ではあるのでしょうが、素人にとっては消化器と呼吸器とでは異なると思うのが普通でしょう。

しかし、本書の中で主人公の敷島寛治は、「専門は消化器だから、肺炎について詳しいわけではないが、常に第一線の臨床医であったから、多くの肺炎も治療してきている。」と言っています。

本書『臨床の砦』が記録小説と銘打たれ、消化器内科医である作者夏川草介も現実にコロナ治療に従事しているという話ですので、そうした事例が日本全国の病院で行われ、またそれが当たり前なのでしょう。

 

さらに驚くことは、主人公の敷島医師が勤務する信濃山病院は感染症指定医療機関ではあるものの、呼吸器や感染症の専門家はいないということです。

感染症もいろいろでしょうから呼吸器の専門家がいないことは仕方のないことだとしても、感染症の専門家もいないというのは素人からすれば不思議に思えます。

これは小説の中の設定というだけではなく、現実に多くの医療機関で似たような事例があることと思われます。

そうした現実の中で我々は暮し、医療関係者はコロナと戦っているというのが現実だということです。

 

毎日毎日、コロナ関連のニュースを見ない日はない中で、本書で語られているように私達は東京の、大阪の、そして自分たちの郷土のコロナ罹患者の数を聞きながら、自分たちが罹らないようにしなければ、と思いながら暮らしています。

一方で、退屈したから、とか単に飲みたいからなどの理由で街に繰り出す人たちのニュースも目に、そして耳にします。

でも私達夫婦のように持病を持っている人間は、コロナに罹患すると文字通り命取りになりかねない怖さがあるのもまた事実です。

とはいえ、明確に対岸の火事とは思っていないまでも、また毎日をおびえて暮らしているわけでもありません。

 

しかしながら、本書で戦っているお医者さんや看護師さんたちは文字通りに命懸けで働いておられます。

こうした事実はテレビを通して医療従事者の方々の生の声として聴くこともあります。

でも、現場を知るお医者さん自身が自分の声で、また小説の形で発表されている文章を読むと、これまでの認識自体、少しも分っていなかったという気にもなります。

特に、本書は全くのフィクションではなく、「現実そのままではないが、嘘うそは書いていない」、という作者の言葉そのままに、ふつうに読んでいる小説とは一線を画していることがよく分かります( 東京新聞TOKYO Web : 参照 )。

 

本書『臨床の砦』に登場する人物たちは、夏川草介の他の小説に出てくる医者のように互いのことを学生時代からよく知り、互いのこともよく知っていて互いを思いやる場面など殆どありません。

もちろん、普通の同じ職場の同僚としての互いへの尊敬、思いやりなどはあるのですが、それ以前にそれぞれに主張を持つ一個の人間です。

まさに、本文中にあるように「医療は青春ドラマではないし、ここに集まった医師たちは信頼と友情でつながったクラスメートではない」のです。「感情を抑え、微妙な駆け引きの中からぎりぎりの妥協点を探していく。それが唯一の方法論なので」す。

とはいえ、小説の形式で発表されているのですから、登場人物は作者の意図が入ったそれなりの造形を施してあるでしょうし、実際そのように感じる人物、場面もあります。

 

また本書『臨床の砦』では医療現場からの声として、作者の夏川草介は主人公の内科医敷島寛治に、感染対策の経過として行政の対応はどうしても後手に回って見え、市の対応も周辺の医療機関に対して患者の受け入れを働きかけているという話も聞こえてこない問い趣旨のことを言わせています。

医療現場からは行政の怠慢としか見えないような現状があります。

しかし行政は、特に保健所などは目いっぱい働いているという情報もありますし、そのほかの機関にしても動いてはいるのでしょう。

ただ、もし動いているのだとしても現場の医療関係者には聞こえていない、もしくは動いていないように見えるのが事実のようです。だとすれば、そうした情報が正確に届くようにすることも必要ではないかと思えます。

 

とにかく、現実は未曽有の事態であることに間違いはありません。そして、医療従事者が文字通り命を懸けて働いておられることも事実です。

そうした現実を本書『臨床の砦』のような形で発表されることは相当考えることもあったのではないかと思料されます。

でも、一般人が知らない現場の情報を知ることは意義があることだと思います。

特に、例えば「病床使用率」という言葉の持つ意味が単に空きベッドの数を意味するのではないことなど全く知らないことでもありました。

医療現場の家族や介護の現場などの苦労にしても、メディアから流れてくる情報とは違った意味を持つ事実として胸に迫ります。

あらためて、私達個人ができることを丁寧にやることが医療現場の人たちの助けにもなるのだと思わせられた作品でした。

 

ちなみに、本書『臨床の砦』は三つのパートに分かれていますが、2022年6月04日現在でも第一章「青空」を下記サイトで無料で読むことができます。

神様のカルテ3

神様のカルテ3』とは

本書『神様のカルテ3』は『神様のカルテシリーズ』の第三弾で、文藝春秋から2012年8月に刊行され、2014年2月に同社から488頁の文庫として出版された連作短編の医療小説集です。

前巻の『神様のカルテ2』の田中芳樹氏に続いて、これまた熊本出身の姜尚中氏が解説を書いておられます。この解説の文章がまたいい。

神様のカルテ3』の簡単なあらすじ

「私、栗原君には失望したのよ。ちょっとフットワークが軽くて、ちょっと内視鏡がうまいだけの、どこにでもいる偽善者タイプの医者じゃない」内科医・栗原一止が三十歳になったところで、信州松本平にある「二十四時間、三百六十五日対応」の本庄病院が、患者であふれかえっている現実に変わりはない。夏、新任でやってきた小幡先生は経験も腕も確かで研究熱心、かつ医療への覚悟が違う。懸命でありさえすれば万事うまくいくのだと思い込んでいた一止の胸に、小幡先生の言葉の刃が突き刺さる。映画もメガヒットの大ベストセラー、第一部完結編。(「BOOK」データベースより)

目次

プロローグ
第一話 夏祭り
七月のある日、一止は本庄病院からの帰り道に寄った天神祭りで、金魚掬いの店の準備をしている一止の患者の横田さんが倒れた場面に出会い、すぐに本庄病院へと搬送させる。

その横田さんが病院を抜け出し行方不明になった。神社の夏祭りへと探しに行くと、一人の少年に金魚掬いをさせている横田さんがいた。

第二話 秋時雨
内藤先生が去ったあとの本庄病院内科も、小幡奈美という消化器内科の医師がやってきて一息つけるようになっていた。

そんな内科に肝機能障害で榊原信一という東西看護師の古い知り合いであるらしい患者が入院してきたが、何故か入院しても肝機能が悪化する一方だった。

第三話 冬銀河
信州大学の医局へと異動することになった次郎が、新任の小幡医師と衝突した。酒飲みの患者は看ない小幡医師は分からないという次郎に、小幡医師は、あなたに言っても分からない、と言い切る。

最新の医療を学ぶ努力を怠り、死にそうな患者のそばに付き添っているなど自己満足にすぎないと言う小幡医師は、一止のような医者を偽善者であり、生きることを舐めきっている人に割く時間はない、と言うのだった。

第四話 大晦日
小幡医師と救急部の外村師長とが衝突した話が広がるなか、小幡医師は、通常の業務もこなしながら二週間という時間を一人で重症のICU患者の世話をしていたという。

一止が、小幡医師と勤務を代わった大狸先生からその話を聞いていると、そこに検査科の松前徳郎技師長や循環器の自若先生、それに辰也まで集まり、次郎の本庄病院卒業試験である手術の終わりを待つのだった。

第五話 宴
ところが、次郎が執刀した島内耕三という膵癌患者は癌ではなかった。つまりは一止らの診断は誤りであり、薬で治療できるものだったのだ。

事務局では本庄病院の幹部らが集まり、一止らの誤診について話し合いが行われていたのだった。

エピローグ
 

神様のカルテ3』の感想

これまでは「地域医療」の抱える問題に重点が置かれていた本『神様のカルテシリーズ』ですが、本書『神様のカルテ3』では、医療というよりも医師自体の抱える問題に軸足が移っている印象があります。

勿論、本『神様のカルテシリーズ』でもこれまで古狐先生こと内藤先生の問題でも取り上げられたように、「医師と家族」の問題が、それは医療における人的資源の少なさでもあるのでしょうが、大きく取り上げられていました。

本書で言うのはそうではなく、医者自身の問題です。先端医療と地域医療の関係、第一巻でも言われていた問題が正面から取り上げられ、それが一止のこれからの進路と絡めて描かれているのです。

そこで一止の進路に大きな影響を与える役割を担って登場するのが札幌稲穂病院から本庄病院の消化器内科へ来たという小幡奈美という医師です。

この小幡先生は超音波内視鏡検査を得意とし、臨床と研究を同時並行させている稀有な医師でした。

 

第一話、第二話はとある事情を抱えた患者の話と、東西看護師の過去にからんだ患者の話であり、それ以降にこの小幡先生をめぐる問題が巻き起こります。

まず小幡医師は次郎と衝突し、ついで救急部の外村師長との間で火花が散ります。小幡医師の患者に対する態度が問題となるのです。

 

先にも書いたように、この小幡医師は常に先端医療を学び、その上で現場にも臨んでいる医師です。

それに対し、一止は地域医療の現実を見て、大学という医療の研究機関へ入ることをせずに現場での医療を選択したお医者さんです。

その一止に対し、改めて最新の医学、医療技術を学ぶことの大切さを教えてくれる存在として小幡医師が配置されているのです。

それは大狸先生の一止に対する大きな指導の一環であり、愛情の表現だと思われ、同時にそれは医者の良心だけでは立ち向かうことのできない医療という領域への畏怖の表れであるようにも思えます。

 

そして作者夏川草介に対しては、小幡というユニークなキャラクターをもつ医師を登場させて本書『神様のカルテ3』を面白い物語として成立させた手腕に感じ入るばかりです。

また作家のとしての手腕に関しては、信州の自然の描写のうまさもまた『神様のカルテシリーズ』の魅力を増していると思うのです。

本書『神様のカルテ3』についえ言えば、各章の導入として信州の各地の紹介から始め、物語へといざなっています。

例えば第二章の始まりは松本平の東方に位置する「美ヶ原温泉」を「後拾遺和歌集」の源重之の歌にある「白糸」という言葉を引き合いに紹介していますし、第三章の冒頭では「松本平の奥座敷」という呼び方を示して「浅間温泉」を紹介しています。

また第四話は信州の山中の鹿が教えてくれた出湯として「鹿教湯温泉」の名があげられ、鹿教湯の「氷灯ろう」が紹介してあります。

そして第五話の最初に紹介してあるのは大町市の南にある国宝「仁科神明宮」です。

第一話にしても、冒頭こそ本庄病院の救急部の忙しさを紹介してありますが、そのすぐ後にこの話の舞台の一つとなる本庄病院の北側住宅街の一角の「深志神社」とそこで行われる天神祭りが描かれているのです。

 

本『神様のカルテシリーズ』の魅力の一つとして、一止の妻ハルの存在が強く言われる点でもあります。

本書でもそうですが、プロローグとエピローグその両方で、一止の隣には妻のハルがいる、という構成からもわかるように、一止とハルの物語という側面も強く出ていると思えます。

常に医療に対し真摯に向き合う一止、そのそばにはいつもハルの姿があるからこそ医師という仕事に全力を傾けられるのです。

そうしたハルを始めとする善人ばかりの人物の配置も作者夏川草介のうまさの一つだと思われます。

 

作者のうまさでいうと、いつものようなアフォリズム的言辞もそうですが、会話文のうまさも光ります。

例えば、龍の彫り物を背負った患者の島内老人に「背中に龍があるかないかで治療は変わらない」と言い切る一止がいます。

また、その島内老人が言った「あの夜、わしは本当に嬉しかったのですよ。」という言葉は、前後の文脈からして老人が本心から言った言葉として表現してあります。

だからこそこうした会話が心を打つのです。

 

本作を持って、第一部が終わりだそうです。この後に『神様のカルテ0』として、一止の医学部生だった頃から本庄病院に勤めるまでの話がサイドストーリーとして短編集にまとめられています。

神様のカルテ2

神様のカルテ2』とは

本書『神様のカルテ2』は『神様のカルテシリーズ』の第二弾で、小学館から2010年9月に刊行され、2013年1月に小学館文庫から384頁の文庫として出版された連作短編の医療小説集です。

いるはずがないと思われる医者や看護師たちの物語ですが、作品の面白さはあらためて言うまでもなく、この物語を読んで涙しました。

神様のカルテ2』の簡単なあらすじ

栗原一止は、夏目漱石を敬愛する信州の内科医だ。「二十四時間、三百六十五日対応」を掲げる本庄病院で連日連夜不眠不休の診療を続けている。四月、東京の大病院から新任の医師・進藤辰也がやってくる。一止と信濃大学の同級生だった進藤は、かつて“医学部の良心”と呼ばれたほどの男である。だが着任後の進藤に、病棟内で信じがたい悪評が立つ。失意する一止をさらなる試練が襲う。副部長先生の突然の発病ーこの病院で、再び奇蹟は起きるのか。(「BOOK」データベースより)

目次

プロローグ
第一話 紅梅記
一止が勤める新庄病院に、学生時代からの友人である進藤辰也が移ってきた。

一止の片想いの相手であった如月千夏を射止めた進藤は、かつては「医学部の良心」と呼ばれていた男だった。しかし、その進藤は、緊急の呼び出しにも応ぜず、患者へのインフォームドコンセントを後回しに帰ってしまう男になっていた。

第二話 桜の咲く町で
辰也でなければ対応しきれない難しい患者がいるらしく、病棟で時間外に働く辰也の姿を見かけるようになった。

留川トヨさんの部屋から旦那さんの歌う木曾節が聞こえてくる中、一止は次郎から辰也の妻の千夏がおかしくなったという話を聞いた。そんなとき、辰也の母親のセツが辰也の娘の夏菜を連れて新城病院にやって来た。

第三話 花桃の季節
古狐先生こと内藤副部長先生が倒れ、入院することとなった。一止は古狐先生のCT写真を見た大狸先生から二人の古い約束について聞くのだった。

検査の結果は悪性のリンパ腫であり、治療の開始を数日待ってくれと頼む古狐先生に、辰也は、「先生は、医師である前に人間です。」と言い放つのだった。

第四話 花水木
内藤先生はあとひと月も持たないという話に、ハルがある意外な提案をしてきた。

辰也や外村看護師松前技師長東西看護師などの了承を取り付け、一止は二日後の真夜中、内藤先生と先生の奥さまを本庄病院のヘリポートへと連れだす。

翌日、栗原、砂山、進藤の三医師は本庄病院院長の本庄忠一、そして本庄病院ナンバー2の金山弁次事務長の前に立たされていた。

エピローグ

神様のカルテ2』の感想

本書『神様のカルテ2』は『神様のカルテシリーズ』の第二弾で、長編の医療小説です。

前巻の『神様のカルテ』で、現在の地域医療制度に対する様々な点への問題提起も含みつつ、個々の患者と医者などの人間ドラマを描き出しているのが本『神様のカルテシリーズ』だと書きましたが、本書『神様のカルテ2』も全く同様です。

 

本書では、その他に「医師と家族」の関係とがテーマになっているようです。

本書の前巻との差異は、一止の学生時代からの友人である進藤辰也という血液内科の医師が新たに登場してきていることでしょう。

この進藤辰也は、学生時代は「医学部の良心」と呼ばれたほどの男であったのですが、本庄病院にやってきた辰也は、時間外に連絡が取れずに看護師が困っているという話が聞こえて来るような人物になっていました。

こうした辰也の行いの陰には家族の問題があり、そんな辰也に対し、一止は意表をつく行動をとります。

そして、さらにひと声を掛けるのですが、それが、あの頃のことを「私は一度も忘れたことはない。無論お前との友情も、だ。」というものでした。

 

本『神様のカルテシリーズ』ではこうした青臭いと言われそうなフレーズがよく出てきます。

また、登場人物の言葉だけではなく行いも、ほかであれば単なる書生論であり、世間知らず、としか言われないような言動であることが多いのです。

しかしながら、本シリーズで一止の口からこうした言葉が出てくると、それは自然であり、物語の流れの中で違和感がありません。

そんな作品を作り上げた作者の力量、文章の力にただ脱帽するばかりです。そうした作品だからこそ、読者の心の奥底に浸透し、皆の支持を得ているのだと思います。

加えていうならば、辰也の座右の銘として紹介されている、セオドア・ソレンソンの「良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である」という言葉がまた心に響きます。

さらに述べれば、辰也と一止との仲が昔を取り戻したとき、辰也が一止に対し「帰ってきて正解だったよ。」「本庄病院に来れば、君に会えると思っていたんだ。」と言いますが、仲間に対する確固たる信頼の上に成立するこうした言葉に私は弱いのです。

 

進藤辰也の登場が一つの山とすれば、本書『神様のカルテ2』にはもう一つの山があります。それが古狐先生こと内藤先生の話です。

すなわち、辰也の場面とは異なり、こちらでは正面から本書の大きなテーマであり医者の抱える難問として挙げられている「患者と家族の問題」が描かれています。

一止がそうであるように、二十四時間体制の本庄病院では常に人で不足であり、医者は長い時間病院にいることになります。そしてそのことは、医者は家族のそばにいない、ということを意味します。

そうした事実を背景に、内藤先生が病に倒れて初めてこの夫婦がゆっくりとできるという現実が浮かび上がってくるのです。

 

本書『神様のカルテ2』の最後に、一止らは内藤先生のためにあることを企て、その描写がまた見事なのですが、この場面はそのあとの糾問の場面と合わせて一つでしょう。

一止らの企てに対し追及する事務長に対し、「医者の話をしているのではない。人間の話をしているのだ。」と言い切る一止の言葉は胸を打ち、涙を誘います。

こうした理想論を押し立てていかなければ、この救い難い環境の中で誰が正気を保って働き続けられるのか、という慟哭にも近い言葉は、2021年の現在、コロナ禍の下で命を賭して働いている医療従事者の姿とも重なります。

 

本書『神様のカルテ2』での、御嶽山を前にする冬山に登った二人、そして御嶽山そのものに上った二人を描くプロローグとエピローグが素晴らしいものでした。

一止とハルとの素晴らしい関係を正面から描いてあり、読者はこの場面だけで二人の関係性、立場を一気に理解できます。

本『神様のカルテシリーズ』で、一止の細君のハルの姿、たまに聞かせるハルの言葉が、どれだけこの物語に救いを与えているでしょうか。

このハルに限らず、夏川草介という作家の文章は自然を対象とした比喩表現が見事であり、ときおり挟まれる警句が、琴線を刺激します。

 

本『神様のカルテシリーズ』をあらためて見つめ直すと、非常に青臭く、いわゆる書生論に満ちた作品だと言えます。

登場人物として、私たちの通常の生活で出会う言葉の通じない人や悪人などは全く登場しない善人だけの物語です。

近時読んだ深町秋生の『ヘルドッグス 地獄の犬たち』などは逆に暴力だらけで、悪人しか登場しない物語の対極にある物語でした。一方は死へ誘う話であり、本書は死から救い出す物語です。

アクション満載のこの物語は、バイオレンス満載であり、エンターテイメント小説として強烈な魅力を放っています。

 

ところが、青臭いはずの物語であるこの『神様のカルテシリーズ』が読み手の心をうちます。

こんな医者が、こんな看護師が、こんな病院があるはずがないとは思いつつも、この物語を読んで涙するのです。

エロスもバイオレンスもない、感傷しかないはずの物語に心を揺さぶられるのですから、それは救いなのかもしれません。

このシリーズがいつまでも続いてほしいと切に願います。

始まりの木

始まりの木』とは

 

本書『始まりの木』は、2020年9月に ‎ 小学館からハードカバーで刊行され、2023年8月に小学館文庫から384頁の文庫として出版された長編小説です。

民俗学を通して学ぶこと、生きることの意味を考える作品であって、民俗学の准教授がフィールドワーク先の現場で行う大学院一年生に対しての心豊かな講義は必読です。

 

始まりの木』の簡単なあらすじ

 

藤崎千佳は、国立東々大学文学部で民俗学を学んでいる。指導教官の古屋神寺郎は、足が悪いながらフィールドワークへ出かける、偏屈で優秀な民俗学者だ。古屋は日本中を練り歩きながら、“現代日本人の失ったもの”を問いかけてゆく。「この世界には理屈の通らない不思議な出来事がたくさんある。科学や論理では捉えきれない物事が確かに存在する。そういった事柄を、奇跡という人もいれば運命と呼ぶ人もいる。超常現象という言葉で説明する者もあれば、『神』と名付ける者もある。目に見えること、理屈の通ることだけが、真実ではない」“知”の冒険が、いま始まる。(「BOOK」データベースより)

 

第一話 寄り道
古屋と千佳は、青森県弘前市へと向かい、古屋の知り合いの宿へと泊まる。翌朝目覚めた千佳は、岩木山を前に古屋から日本と西洋の夫々のの神の成り立ち、違いについて講義を受けるのだった。

第二話 七色
藤崎千佳はいつものように古屋神寺郎と京都に講演のために来ていた。そこで出会った一人の青年を鞍馬まで送っていくことになるが、途中の色彩の降り注ぐ駅で彼は降りた。

第三話 始まりの木
信州の松本駅前の店で倒れたものの翌日元気を取り戻した古屋は、千佳を連れて伊那谷へと向かう。そこで、古屋の民俗学の原点が示され、そして日本人にとっての神についての講義が始まった。

第四話 同行二人
古屋と千佳は、高知県宿毛市で調査中の仁藤仁のもとへと行く。翌朝の散歩の途中、ゆったりと響いてくる読経の声に誘われて横道に入った千佳らは、行き倒れている一人のお遍路さんを見つけた。

第五話 灯火
東々大学近くの輪照寺には道路拡張のために切り倒される樹齢六百年の見事な枝垂桜の老木があった。千佳は、輪照寺の住職からこの国の神の独特な在り方を、古屋からは民俗学の意義についての話を聞く。

 

始まりの木』の感想

 

本書『始まりの木』は、『神様のカルテシリーズ』の著者夏川草介による、民俗学を通して学ぶこと、生きることの意味を考える長編小説です。

民俗学の准教授がフィールドワーク先の現場で行う大学院一年生に対しての心豊かな講義は必読です。

 

 

本書の主人公は、国立東々大学の民俗学者である古屋神寺郎(かんじろう)准教授の研究室で学ぶ、藤崎千佳という大学院一年生です。

千佳の二年先輩の仁藤仁が、古屋の言葉は「毒と皮肉でできている」と言うほどに古屋という人物は偏屈であり、要らざる敵を作ることに長けています。

そうした人物に付き従い、足の悪い古屋の世話をする千佳もまた少々変わった人物です。古屋と共にする日本中の旅が、いつも新鮮な発見と驚きとをもたらしてくれることがとても気に入っているのです。

自分の方向性も定まらないままに柳田國男の『遠野物語』を愛読する彼女は、ひょんなきっかけで聞くことになった古屋の講座に魅せられ、古屋の研究室に入る決心をしたのでした。

 

 

そうした二人ですが、古屋の「藤崎、旅の準備をしたまえ」という一声でいつも唐突なフィールドワークの旅へと旅立つことになります。

 

その旅先として本書『始まりの木』ではそれぞれの話で「青森県弘前市、嶽温泉、岩木山」、「京都府京都市(岩倉、鞍馬)、叡山電車」、「長野県松本市、伊那谷」、「高知県宿毛市」へと旅をし、最後に「東京都文京区」という大学近くで不思議な出来事に出逢います。

同時に、それぞれの話で千佳は古屋から、また別な人物から、日本の神について、生きるということについて得難い講義を聞くことになります。

例えば第一話では、日本人にとって生活の場そのものである自然はそのまま神の姿になった。それに対し、西洋では森や海は恐怖の世界との境界であるため森や海という自然を制圧することとなり、自らの心の中に人間的な神を作ることになった、という話でした。

自分の足で歩いて、自分の手で事物に触れ、自分の目で対象を見、そして実際に様々な出来事に遭遇することこそが大事なことに気付くのです。

彼らの旅では、鞍馬での色鮮やかな紅葉たち、高知での読経の見事な高僧、文京区での見事な枝垂桜など、自分で歩いたからこそ出逢える不思議な出来事に出逢います。

そして、古屋の講義は神と自然、日本の神と西洋の神のそれぞれの在りようを語り、千佳は日本人の生活、考え方、日本という国独特の神の考え方などについて学ぶのでした。

 

そうした講義は、ひいては読者である私たちの心の中へと響いてきます。日々の暮らしの中にある日本人特有の神についての考え方などを知るのです。

それは、押し付けでもなく、本書の作者である夏川草介の、日々命と向き合う医者という立場から学んだ事柄でもあるでしょう。

また、本書巻末に載せられた膨大な量の参考文献を読んで得られた「民俗学」や「神」についての考え方でもあるのでしょう。

夏川草介という作家の科学に対する考え方、科学万能主義に対する批判的な考えをもとに、自然の中に生きる我らの在りようを見つめ直したくてこの物語を書いたのではないかと思えます。

この考え方は、『神様のカルテシリーズ』などの夏川草介の他の作品の根底にも流れている思いのように感じます。

 

本書『始まりの木』の主人公のひとりである古屋という人物は、本書の文章を読んでいると、足が悪いという設定もあってかまるで初老の准教授といった趣があります。

その印象は古屋の台詞が老成していることや、この作者の特徴の一つでもあるかと思うのですが、文章表現そのものが和風というか、古風、少なくとも現代風ではないことからも来ているのでしょう。

例えば、第三話で信濃大学教育学部の永倉教授が発した苛烈な言葉について述べている、「清風が名月を払うような爽やかさ」などという和風の比喩表現の巧みさなどはその典型だと思います。

しかし、多分、東々大学の次期教授を嘱望されている人物でもある彼はまだ五十歳にもなっていないのです。

 

いつもは主として派手なエンターテイメント小説を読んでいる私にとって、本書『始まりの木』のような心に直接響いてくる小説は非常にありがたい作品でもあります。

日本人としての物ごとの考え方や、神という存在についてあらためて考えることなどまずない日々を送っていると、本書のような作品はまさに自分をリフレッシュさせてくれる作品でもあるのです。

若干の感傷に浸る、そうした側面がないとは言いませんが、そうしたことも含めて自体自分にとっては代えがたい体験であるようです。

 

この作者の作品それぞれが、作者自身がいつも考えておられるであろうことであり、それを軽いユーモアで包みながら魅力的な登場人物に託して提供してくれています。

それを読者である私たちが受取り、咀嚼し、感動を得るという、普通でありながらもある意味得難い体験をさせてもらえていると思うのです。

本書『始まりの木』では痛切にそう感じました。

この作者の作品はいつも新たな感動をもたらしてくれます。

また新しい作品を提供してほしい、心からそう思う作家さんです。