祝祭のハングマン

祝祭のハングマン』とは

 

本書『祝祭のハングマン』は2023年1月にハードカバーで刊行された長編のエンターテイメント小説です。

「どんでん返しの帝王」の異名を持つ著者中山七里の作品だけにかなりの期待を持って読んだのですが、期待とは裏腹の今一つと感じた作品でした。

 

祝祭のハングマン』の簡単なあらすじ

 

警視庁捜査一課の瑠衣は、中堅ゼネコン課長の父と暮らす。ある日、父の同僚が交通事故で死亡するが、事故ではなく殺人と思われた。さらに別の課長が駅構内で転落死、そして父も工場現場で亡くなる。追い打ちをかけるように瑠衣の許へやってきた地検特捜部は、死亡した3人に裏金作りの嫌疑がかかっているという。父は会社に利用された挙げ句、殺されたのではないか。だが証拠はない…。疑心に駆られる瑠衣の前に、私立探偵の鳥海が現れる。彼の話を聞いた瑠衣の全身に、震えが走ったー。(「BOOK」データベースより)

 

祝祭のハングマン』の感想

 

本書『祝祭のハングマン』は、著者の中山七里が“現代版必殺仕事人”を書いてほしいという依頼に応じて書き上げたものだそうです。

読み終えてみると確かに必殺仕事人の物語であり、池波正太郎の仕事人という立場の存在だけがそのままに現代社会に置き換えられた話でした。

 

本書の登場人物をみると、まず主人公は父の誠也と二人で暮らしている警視庁捜査一課に勤務する春原(すのはら)瑠衣という女性刑事です。

相棒の志木と組んで捜査に当たっていますが、当初交通事故と思われていた事案が人為的な事件の可能性が出てきたため、瑠衣たちが担当することになります。

その内に地下鉄駅の階段で似たような事件が起き、この事件の被害者もまた第一の事件の被害者と同じ会社の社員だったことから殺人の可能性が高くなってきます。

なかなか目撃者も現れないままに現場での捜査は続きますが、そこに刑事上がりの探偵の鳥海という人物が瑠衣の前に現れます。

鳥海は仲間の比米倉という男と共に事件を追っていたのですが、瑠衣にある話を持ちかけてくるのでした。

 

著者の言葉によると、現代社会では、「司法の世界は公正であるはずなのに、そこに格差が生まれている、あるいは生まれつつあるのでは」ないかという印象があったため、リアルな話としてかけるのではないかと思ったそうです( 本の話WEB : 参照 )。

ただ、本書を読んでいる最中から、このミステリーがすごい!大賞を受賞した『さよならドビュッシー』を書いた著者中山七里の作品とは思えない、という印象しかありませんでした。

 

 

とにかく舞台設定があらいのです。

主人公の女刑事がたまたまある交通事故の現場近くに居合わせ、その被害者がたまたま主人公の父親と同じ会社に勤務する会社員であり、その交通事故が殺人事件の可能性が高くなった時にたまたま主人公が担当することになります。

また、後に主人公に深くかかわることになる探偵が、自分たちの秘密を簡単に主人公に明かしてしまったり、自分たちの秘密のアジトに主人公を連れていったりもするのです。

 

結局、本書の物語世界が、登場人物が数人しかいないご都合主義の満ち溢れた狭い世界で完結する物語でしかなく、とても残念な印象しかありませんでした。

久しぶりに中山七里という作家の作品を読もうと思った出鼻をくじかれてしまいました。

もしかしたら、本書はシリーズ化されるのかもしれませんが、たぶんもう読まないと思います。

とにかく中山七里の作品とは思えない残念な作品でした。

連続殺人鬼カエル男

本書『連続殺人鬼カエル男』は、意表をつくストーリーが話題の長編ミステリー小説です。

第8回『このミステリーがすごい!』大賞において対象の受賞作である『さよならドビュッシー』と同時に同大賞に応募していて高い評価を受けたため出版に至ったという小説です。

 

口にフックをかけられ、マンションの13階からぶら下げられた女性の全裸死体。傍らには子供が書いたような稚拙な犯行声明文。街を恐怖と混乱の渦に陥れる殺人鬼「カエル男」による最初の犯行だった。警察の捜査が進展しないなか、第二、第三と殺人事件が発生し、街中はパニックに…。無秩序に猟奇的な殺人を続けるカエル男の目的とは?正体とは?警察は犯人をとめることができるのか。(「BOOK」データベースより)

 

この作者は『さよならドビュッシー』を第一作とする「岬洋介シリーズ」しか読んだことが無く、そのシリーズの持つ音楽表現の素晴らしさに心惹かれていました。

 

 

しかし、本書『連続殺人鬼カエル男』では、確かに有働さゆりのピアノを引く場面で音楽表現の見事さの一端は示されているものの、何よりも殺戮場面の陰惨さと、読者のミスディレクションをさそう手腕に驚きました。

考えて見ると、『さよならドビュッシー』でもその手法は発揮されていたのであり、何をいまさらという感想でもありすが、事件の猟奇的な描写は例えば誉田哲也ケモノの城にも劣らないものです。

この手のグロテスクな描写の苦手な人にはお勧めできない作品です。とくに、サイドストーリ的に挟まれるナツオという人物の話が読者のミスリードを誘い効果的です。

 

 

また、本書自体刑法三十九条での「責任能力」の問題への問いかけにもなっており、問題の根の深さが感じられます。

刑法三十九条の「責任能力」の問題を扱った小説としてネットで調べて見ると、薬丸岳の『虚無』がよく挙げられています。

私は未読なので何も書けないのですが、ざっとあらすじをまとめると、通り魔により娘を殺されたものの、犯人は「心神喪失」状態であったとして罪に問われることはなく、心に大きな傷を負い妻とも別れてしまった男の物語、だそうです。

 

 

また、映画「臨場 劇場版」でも、刑法第39条の取り扱いが焦点となっています。もともと「臨場」は、横山秀夫による『臨場』という鑑識課員を主人公とする警察小説を原作とするテレビドラマであり、内野聖陽を主演として人気の高かったシリーズです。

その映画版はオリジナルストーリーで制作されていて、無差別殺人の殺人犯が心神喪失として無罪になった事件から数年後の、その判決に怒りを抱いていた遺族の姿が描かれています。

 

 

本書『連続殺人鬼カエル男』のミステリーとしての面白さは、「どんでん返しの帝王」と呼ばれる作者の面目躍如たる意外性にあり、驚きに満ちています。

ただ、欠点も多く、殺人犯に対して恐慌状態に陥った一般市民が過剰反応を起こし警察署を襲うという展開にはついていけません。

いくらなんでもという気持ちが先行し、感情移入できないのです。個々の市民の個別の過剰反応とは別の次元ですので、ちょっといきすぎとしか思えませんでした。

 

更にまた、古手川和也が暴行を受ける場面で、その体力というか耐えうる限界が少々高すぎるとしか思えませんでした。もう廃人になるとしか言えない状況での活動は少々無理があり過ぎます。

こうした点を除いてもなお、物語としての面白さは維持できていると感じるのですから、私の贔屓目だけではないと思われます。

 

ちなみに、殺人鬼のカエル男が出てくる、小栗旬主演の映画があったので、本書を映画化したものと思っていたら、全くの別物でした。この映画「ミュージアム」は、巴亮介という人の「ミュージアム」を言うコミックを原作としているそうです。

 

いつまでもショパン

難聴を患いながらも、ショパン・コンクールに出場するため、ポーランドに向かったピアニスト・岬洋介。しかし、コンクール会場で刑事が何者かに殺害され、遺体の手の指十本がすべて切り取られるという奇怪な事件に遭遇する。さらには会場周辺でテロが頻発し、世界的テロリスト・通称“ピアニスト”がワルシャワに潜伏しているという情報を得る。岬は、鋭い洞察力で殺害現場を検証していく! (「BOOK」データベースより)

岬洋介シリーズの第三弾で、今回はポーランドのワルシャワで開催されたショパンコンクールが舞台の長編推理小説です。

2010年10月のショパンコンクールは、旧市街市場広場での爆弾事件、聖ヤン大聖堂の爆弾事件とテロ行為の犯人と目される「ピアニスト」と呼ばれている世界的テロリストが、ワルシャワに潜伏しているという中で開催されます。

そして、一次予選最終日にはテロ特別対策本部所属の刑事であるスタニフワフ・ピオトルが殺されるという事件が起きるのでした。それも、遺体の全部の指が第二関節から切り取られていたのです。

本作品ではこれまでと異なり、岬洋介自身がピアニストとしてワルシャワでのショパンコンクールに参加するなかで、そこで起きた殺人事件をこれまで同様に解決していくのです。

また、当然ですが音楽を背景にしている点もこれまでと同様です。もちろん音楽はショパンの音楽であり、とくに「革命のエチュード」の持つ意味は大きなものがあります。

ポーランドは、ロシア、プロイセン、それにオーストリアといった近隣の大国による併合によって消滅という事態も経験し、そんな中から自国の独立を勝ち取ってきたという歴史を持つ国です。

この第二次世界大戦時におけるナチスによるポーランド侵攻といえば、この時代を背景にした小説として須賀しのぶの『また、桜の国で』という作品を忘れてはいけません。

この作品は、日本大使館に勤務する一人の日本の若者の、緊迫するポーランドという国において自分はどのような行動を取るべきかと苦悩する姿を、実在の人物をも織り交ぜながら、併せて抑圧されるポーランドの市民、加えて弾圧されるユダヤの民の姿をも描き出している、直木賞の候補にもなった力作です。

本書『いつまでもショパン』はそういう歴史を持つポーランドという国のワルシャワで、ショパンコンクールの準優勝者を出してきた家系に育ったヤン・ステファンスという少年の目線で語られる物語です。「ポーランドのショパン」によるショパンコンクールでの優勝を至上命題とされるステファンですが、ショパンコンクールの参加者である榊場隆平や岬洋介の音楽に耳を傾け、自分の力量を知るのです。

一方で音楽という芸術の高みに登ろうとするコンクール参加者たちの心象を細やかに拾い上げ、それを表現し、読者に提示するこの作者の力量は、相変わらず凄いとしか言いようがありません。

ただ、音楽に関しての描写の凄さとは別に、小説としての本書についての感想は決して高いものとは思えませんでした。あまりにも音楽の描写、演奏者の演奏や楽曲の解釈についての描写が長すぎるのです。

また、クライマックスでの岬洋介の演奏の効果についてのある出来事の描き方は、とても素直に受け入れることはできませんでした。もしかしたら音楽に対しあまりにも無知な私であるからこその感想なのかもしれませんが、岬洋介というピアニストの奏でる音楽の効果に対する過大評価としか思えないのです。

音楽の表現の点では156回直木賞、2017年本屋大賞のダブル受賞を果たした恩田陸の『蜜蜂と遠雷』という小説が素晴らしい作品でした。

この作品は、実際に存在する「浜松国際ピアノコンクール」をモデルとする「芳ヶ江国際ピアノコンクール」という架空のピアノコンテストを舞台に、16歳の風間塵を台風の目として、天才少女栄伝亜夜20歳、名門ジュリアード音楽院の19歳マサル・C・レヴィ=アナトール、それに現在は楽器店勤務である28歳の高島明石という出場者らを中心に、彼らの課題曲にたいする理解や、演奏の模様などを、詩情あふれる文章で表現した青春群像劇です。

ほとんど全編と言っても過言ではないほどに、コンクール参加者のピアノ演奏場面を情感豊かに描き出しているその力量は、本書での感動をも越える素晴らしさでした。

本書『いつまでもショパン』とは、シリーズ内での面白さを見ても前二作には及ばないと感じましたが、それでも中山七里という作家の力が見える作品ではあると思います。

先の『蜜蜂と遠雷』と本書との音楽の表現に対する文章を読み比べているというのも面白いものではないでしょうか。

おやすみラフマニノフ

第一ヴァイオリンの主席奏者である音大生の晶は初音とともに秋の演奏会を控え、プロへの切符をつかむために練習に励んでいた。しかし完全密室で保管される、時価2億円のチェロ、ストラディバリウスが盗まれた。彼らの身にも不可解な事件が次々と起こり…。ラフマニノフの名曲とともに明かされる驚愕の真実!美しい音楽描写と緻密なトリックが奇跡的に融合した人気の音楽ミステリー。 (「BOOK」データベースより)

ピアニストの岬洋介を探偵役とする岬洋介シリーズの第二弾です。

岬洋介シリーズの第一弾の『さよならドビュッシー』では、ピアノをテーマとして言葉で楽曲の美しさを表現し、またミステリーとしても意外性を持った作品として、「このミステリーがすごい!」大賞の大賞を受賞しました。

それに続く本書では主人公城戸晶の演奏する楽器はバイオリンが選ばれていて、楽曲としてはラフマニノフのピアノ協奏曲第二番が取り上げられています。

学費の支払いもままならない状況に陥っている愛知音大の学生である城戸晶は、学長の柘植彰良との共演と後期学費の免除という特典のある定期演奏会のメンバーに選抜されるべく練習に励み、見事その座を射止めます。

ところが、時価二億円もするストラディバリウス作のチェロが、密室状態だった保管室から盗み出され、更には柘植彰良の愛用のピアノが破壊されたりと事件が連続して起きるのでした。

前作同様に、ミステリー仕立ての音楽小説といったほうが正解であるような作品です。小説としては、普段縁のない音楽大学やそこで学ぶ学生たちの様子の描写こそが面白く、本書の謎とき自体はそれほど感心したものはありませんでした。

勿論本書でも言葉で音楽を表現し、その感動をもたらしてくれています。とくに、台風の迫る中、避難している人たちの不安が不穏な状況をもたらそうとする中、主人公城戸晶と指導者としての岬洋介は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を奏でる場面は圧巻です。

状況設定は決して特別なものではなく、どちらかというとありふれたものであり、一歩間違えば安易な感傷に陥りそうな場面ではあるのですが、作者の筆は感動的な場面として仕上げているのです。

作者はクラシックに関しては興味もなく、楽器の演奏もできないのだそうです。音楽に関しては全くの素人であり、数回聴いたCDをもとに、クラシック音楽を言葉で表現するのですから何とも言いようがありません。

それでも、ストラディバリウスという私でも知っている名器の盗難や、教授のピアノの破壊という事件の裏に潜む人間の思惑は読み応えがあり、そこに音楽の描写という更にる魅力が加わり、またシリーズ続編を読みたいと思う作品でした。

さよならドビュッシー

ピアニストからも絶賛!ドビュッシーの調べにのせて贈る、音楽ミステリー。ピアニストを目指す遙、16歳。祖父と従姉妹とともに火事に遭い、ひとりだけ生き残ったものの、全身大火傷の大怪我を負う。それでもピアニストになることを固く誓い、コンクール優勝を目指して猛レッスンに励む。ところが周囲で不吉な出来事が次々と起こり、やがて殺人事件まで発生する―。第8回『このミス』大賞受賞作品。(「BOOK」データベースより)

第8回『このミステリーがすごい!』大賞大賞受賞作であり、作家中山七里のデビュー作でもあります。

本書の特徴としては音楽に満ち溢れている作品だということです。

ピアニストになることを夢見て練習に励む十六歳の女の子が、祖父と従姉妹とを同時に亡くす火災に遭い、自らも全身大やけどを負ってしまいます。奇蹟的に命を取り留めた娘は、整形手術により顔も、ひどくはありますが声も取り戻し、再度ピアニストになるという夢に向かって進み始めるのです。

新たに歩み始めた娘香月遥は、岬洋介という気鋭のピアニストの個人教授をうけつつ、いじめをはねのけながら名門高校に通い続けるのですが、その姿はスポーツ青春小説に描かれそうな熱意あふれるものです。と言うより、遙という娘が、弱ってしまった指を長時間の演奏に耐えるために鍛える姿は文字通りスポ根小説そのものなのです。

彼女の練習の過程で示されるのは、クラシック音楽の分析であり、音楽そのものについての解説でもあります。それは、クラシック音楽を学び、演奏する人の技術であり心構えなのです。そこで示される知識、分析は普段クラシックに疎遠な私たちにとって実に新鮮なものであり、実際の演奏を聞きたくなるような表現でもあります。実際、私はYouTubeで聞きました。

「音」を文章で表現することの難しさを軽く超えている、そんな印象すら持ってしまうのです。

それは感性で感じるべき芸術を文章表現することであり、その類の作品はこれまでにも読んできました。近年では原田マハの、ピカソの作品である「ゲルニカ」をめぐるミステリーである『暗幕のゲルニカ』や、アンリ・ルソーの作品の「夢」についての物語である『楽園のカンヴァス』がそうでした。また、三浦しをんの『仏果を得ず』は人形浄瑠璃を描写した作品でした。

これらの作品は、絵画や浄瑠璃の素晴らしさを文章を持って表現した作品でしたが、本書『さよならドビュッシー』での音楽の分析はこれらの作品を上回ると言っても過言ではない表現です。

ミステリーとしても伏線の張り方が緻密です。本書の始めから後に大切な意味を持ってくる一文が、実にさりげなく普通の文章の中に埋め込まれているのです。クライマックスになり、岬洋介の謎ときの中でその伏線が丁寧に回収されていくのですが、これまで提示されてきた謎が解き明かされるというミステリーの醍醐味を十分に味わえる作品だと思います。

ただ、一点だけミステリーファンの中にはこの結末は許されないという人がいるのではないかという危惧はありました。個人的には別にかまわないのですが、ミステリーの決まりごとを破ることになるのではないか、という心配です。

とはいえ、本書はベストセラーになっていますので、そうした点は杞憂であったと言っていいと思われます。