いまこそガーシュウィン

いまこそガーシュウィン』とは

 

本書『いまこそガーシュウィン』は『岬洋介シリーズ』の第八弾で、2023年9月に288頁のハードカバーで宝島社から刊行された長編の推理小説です。

激化する人種差別抗議運動を前に分断するアメリカで音楽の力を示すことができるか、をメインテーマにしたサスペンス作品です。

 

いまこそガーシュウィン』の簡単なあらすじ

 

電子書籍限定にて連載した『このミステリーがすごい! 中山七里「いまこそガーシュウィン」vol.1~4』、待望の書籍化です! アメリカで指折りのピアニストであるエドワードは、大統領選挙により人種差別がエスカレートし、変貌しつつある国内の様子を憂いていた。そこで、3ヵ月後にカーネギーホールで開催予定のコンサートの演目に、黒人音楽をルーツにもつジョージ・ガーシュウィン作曲の「ラプソディ・イン・ブルー」の演奏を希望。6年前のショパン・コンクール中、5分間の演奏で人命を救った男・岬洋介との共演も決まり、期待に胸を膨らませる。岬と共演することで、大統領夫妻もお忍びで鑑賞に来ることが決まり、エドワードと岬は練習に励む。一方その頃、大統領暗殺の依頼を受け、計画を進めていた〈愛国者〉は、依頼主の男から思わぬ提案をされーー。音楽の殿堂、カーネギーホールで流れるのは、憎しみ合う血か、感動の涙か。どんでん返しの帝王が放つ、累計168万部突破の音楽シリーズ最新刊!(内容紹介(出版社より))

 

いまこそガーシュウィン』の感想

 

本書『いまこそガーシュウィン』はミステリーと謳ってある作品ではありますが、ミステリーというよりはサスペンス小説と言った方さよさそうな作品でした。

本書ではミステリーとして提示された謎というほどの謎はなく、ただ、暗殺者である「愛国者」の正体は誰か、というくらいが謎といえるものであり、その謎ですらも決して本筋ではありません。

本筋は、語り手であるエドワードとシリーズの主人公である岬洋介とのジョイントコンサートの行方、つまりはこのコンサートでの暗殺者の大統領暗殺という仕事の行方がどうなるのかという点にあるのです。

 

ところで、あくまで商業ベースとしてのコンサートを見る時、「ラプソディー・イン・ブルー」という楽曲ではお客を呼べないというエドワードのマネージャーの意見があります。

この点に関しては、「ラプソディー・イン・ブルー」といえば人気の楽曲であるのに客を呼べないのか、という疑問しかない私としては、素人にはそこらの感覚は分からないのだろうと思うだけです。

ともあれ、マネージャーのそういう意見があったればこそ、岬洋介とのジョイントコンサートが開催されることになったのですから、それはそれでよしとすべきなのでしょう。

 

本書の本筋はジョイントコンサートの行方だとしても、本書の魅力を考えるときは、まずは中心となる二人が音楽の持つ力を信じていることだと思われます。

つまり、トランプ元大統領(2024年3月現在)を思わせる人種差別主義者のアメリカ大統領がもたらしたアメリカの分断という現状を、岬洋介とエドワードという二人のピアニストの競演でいくらかなりとも和ませることができるのではないかということです。

 

次に、「音楽」という芸術の有する影響力を前提にしての話ですが、「ラプソディー・イン・ブルー」という楽曲のもつ魅力があります。


 

そして本書には「ラプソディー・イン・ブルー」とい楽曲の歴史、ジョージ・ガーシュインという大作曲家の一番高名ともいえる楽曲のもつ背景が詳しく解説してあります。

そこらは実際読んでもらうしかありません。

ちなみに、本書ではエドワードと岬洋介とのジョイントコンサートの様子が描かれていて、そもそも「ラプソディー・イン・ブルー」という楽曲が「二台のピアノを前提として察刻されたという説明がなされていますが、ウィキペディアでも「ガーシュウィンが2台のピアノ用に作曲したもの」だと記載してありました( ウィキペディア : 参照 )

本書の魅力の第三は、作者の中山七里が作り出した岬洋介というキャラクターの魅力と、音楽の魅力を文章で示すという作者の表現力だと思います。

この点は本書の魅力と言うよりは本『岬洋介シリーズ』の魅力と言うべきであり、だからこそ帯にあるようなシリーズ累計160万部という人気シリーズになっているのでしょう。

 

さらには、ミステリーシリーズ、サスペンス小説としての本書の魅力があることももちろんの話です。

ただ、これまで書いてきたこととは矛盾するようですが、本書は中山七里という作家の作品の中では決して突出した作品とは言えないと思います。

それはジョイントコンサートの成功と大統領暗殺というサスペンスの点が弱いと感じてしまったからですが、それでもなお平均的な面白さを持っていると思います。

この頃あまりこの作者の作品を読んでこなかったので、あらためてまた読み始めようかと思います。その程度には面白さを感じた作品だったということでしょう。

岬洋介シリーズ

岬洋介シリーズ』とは

 

本『岬洋介シリーズ』は、天才ピアニストの岬洋介が探偵役として活躍する推理小説シリーズです。

各巻ごとの主人公は別に存在し、岬洋介は狂言回し的な存在として登場して事件を解決していきます。

 

岬洋介シリーズ』の作品

岬洋介シリーズ(2024年03月31日現在)

  1. さよならドビュッシー
  2. おやすみラフマニノフ
  3. いつまでもショパン
  4. どこかでベートーヴェン
  1. もういちどベートーヴェン
  2. 合唱 岬洋介の帰還
  3. おわかれはモーツァルト
  4. いまこそガーシュウィン

岬洋介シリーズ スピンオフ(2024年03月04日現在)

  1. さよならドビュッシー 前奏曲(プレリュード) 要介護探偵の事件簿
  2. 煙よりも、軽く

岬洋介シリーズ 番外編(2024年03月04日現在)

  1. サイドストーリーズ

岬洋介シリーズ』について

 

本『岬洋介シリーズ』は、ピアニストの岬洋介が探偵役として様々な謎を解決していくミステリーシリーズです。

この岬洋介というキャラクターが魅力的であり、本シリーズが成功している一番の理由でしょう。

 

この岬洋介という人物は、高校二年生の時に発症した左耳の突発性難聴という病を持病として抱えています。

また、一旦は司法試験に合格して修習期間まで終えたにもかかわらず、法曹の道には進まずにピアニストとして生きていくことを選んだ人物です。

つまり、司法試験合格した世界的なピアニストという身でありながらも数々の謎を解決し、誰からも好意を持たれる人間性をも持っているというまさにスーパーマン的存在なのです。

このような、現実には存在しえないと思われる人間像ですが作者中山七里の筆の力は実見魅力的な人間像を作りあげているのです。

 

そして、このシリーズで力説すべきは、音楽の素晴らしさを文章で表すその表現力です。

第一巻の『さよならドビュッシー』から、ミステリーとしての面白さは勿論ですが、その中で演奏されることになる各楽曲の表現力が素晴らしく、音楽好きな私も一気に惹き込まれてしまいました。

音楽を文章で表現すると言えば忘れてはならない作品として、恩田陸の『蜂蜜と遠雷』という作品があります。

この作品は日本で行われたあるコンサートの様子を参加者それぞれをかき分けながら描き出している作品ですが、文章で表現されるクラシック音楽の素晴らしさは見事なものでした。

本書はその作品にも劣らない音楽の魅力を伝えている作品だと思います。

シリーズのうち数作しか読んでいないので、また全部を読みたいと思っています。

鑑定人 氏家京太郎

鑑定人 氏家京太郎』とは

 

本書『鑑定人 氏家京太郎』は『鑑定人 氏家京太郎シリーズ』の第一弾で、2022年1月に280頁のハードカバーとして双葉社から刊行された長編のサスペンスミステリー小説です。

公的な科学捜査研究所と対峙する民間の鑑定人を主人公とすることで、現在の鑑定業務の問題点を洗い出す、お仕事小説であり、かなり惹き込まれて読み終えました。

 

鑑定人 氏家京太郎』の簡単なあらすじ

 

民間で科学捜査鑑定を請け負う“氏家鑑定センター”。所長の氏家京太郎のもとに舞い込んだのは、世間を騒がせる連続殺人犯の弁護士からの鑑定依頼だった。若い女性3人を殺害し死体から子宮を抜き取る猟奇的な事件だが、容疑者は、3人のうち1人の犯行だけは否認している。3人の殺害を主張する検察側の鑑定通知書に違和感を感じた氏家は、犯人の体液の再鑑定を試みる。しかし、試料の盗難や職員への暴行など、何者かからの邪魔が相次いでー。警視庁科捜研と真っ向対立しながら挑む裁判の行く末は?(「BOOK」データベースより)

 

鑑定人 氏家京太郎』の感想

 

本書『鑑定人 氏家京太郎』は、鑑定人を主人公とした推理小説ですが、鑑定という職務を紹介したお仕事小説としての一面もある長編のサスペンス感にあふれた推理小説です。

冒頭から、一般人になじみの深い筆跡鑑定の様子を見せることで筆跡鑑定の業務の内容を示すとともに、主人公の氏家京太郎の人となりを簡単に示してあり、物語の導入部として実に入りやすい設定となっています。

そこでは、氏家が警視庁科学捜査研究所のOBとしての立場や科捜研を辞めた事情、また科捜研と対立している立場も明確にしてあるのです。

 

氏家は人権派と呼ばれている吉田士童弁護士から、世を騒がせている連続殺人犯の弁護のための鑑定の依頼を受けます。

その事件は連続通り魔事件であり、那智貴彦という男が続けて三人の女性を殺し、その腹をY字形にきり割いて子宮を摘出して放置したというものでした。

吉田弁護士は、依頼人の那智が最初の二人の殺害は認めたものの最後の一人は殺していないと否認しているため、最後の事件で現場で採取された体液のDNA鑑定を依頼してきたのです。

 

検察側の鑑定人である科学捜査研究所の提出してきた鑑定書と正面から対決することになり、全体的に不利な状況から如何にして弁護側に有利な証拠を見つけ出すか、つまりは科捜研の提出した鑑定をどのようにしてひっくり返すことができるか、に焦点が当たってくるのです。

ここで、普通は見聞きすることのないDNA鑑定などの鑑定業務の内容が描かれることになり、その点でも興味が沸く内容です。

でも、本書『鑑定人 氏家京太郎』ではそれだけにとどまらず、主人公の氏家京太郎とその氏家と対決することになる科学捜査研究所の鑑定人である黒木康平と氏家との関係や、吉田弁護士とその対決相手となる東京地検第一級検事の谷端義弘検事との間の二組の人間関係のわだかまりなど、直接の業務外の関りという見どころも用意してあります。

勿論のことですが、第一は那智貴彦という殺人犯が犯したとされる第三の殺人事件の真実を探り出すということが最大の見せ場ではありますが、こうしたそれぞれの人間関係も物語の幅を広くしているのです。

また、氏家鑑定センターの所員である、感情よりも論理を優先できる女と言われているDNA鑑定を担当の橘奈翔子などの職人気質の署員たちが登場しつつ、氏家の職務を助けています。

氏家たちの仕事は裁判の手続きの流れの中で重要な意味を持ってきますので、裁判の具体的な手続きも簡単に説明しながら物語が進みます。

例えば、刑事裁判の公判前整理手続きの流れの説明やその手続き自体の問題点が指摘され、またDNA鑑定の重要性や「DNA鑑定のバイブルと呼ばれている」と表現してある『科学的証拠とこれを用いた裁判のあり方』という実在の著作などを引用しつつ、試料に関しての重視すべき観点などを指摘してあります。

 

 

本書内で氏家は、本件では鑑定結果通知書だけの提出しかなく、試料の採取方法も鑑定過程の記録写真も説明されていない、と指摘しています。

このような運用が通っている現実もあると言い、また、現実に下関で起きた事件を引き合いに、科捜研の品質管理体制の問題点なども指摘しているのです。

氏家は、1990年5月に起きた「足利事件」を例に、「人は必ず間違うという真理」を声高に叫びます。彼の言う「無謬性の問題」です。

 

こうして、専門的な事柄を私達一般素人にもわかりやすく説明しながら、鑑定業務を紹介しつつ、事件の真相に辿り着く氏家たち鑑定センターの所員たちの努力は胸のすくものでもあり、知的な好奇心を満たす作業でもあります。

そういう意味で本書は実に面白く読むことができました。

ちなみに、本書『鑑定人 氏家京太郎』の主人公の氏家京太郎という人物は中山七里の『特殊清掃人』にサプライズ登場してくるそうです。

近いうちに読んでみたいものです。

 

祝祭のハングマン

祝祭のハングマン』とは

 

本書『祝祭のハングマン』は2023年1月にハードカバーで刊行された長編のエンターテイメント小説です。

「どんでん返しの帝王」の異名を持つ著者中山七里の作品だけにかなりの期待を持って読んだのですが、期待とは裏腹の今一つと感じた作品でした。

 

祝祭のハングマン』の簡単なあらすじ

 

警視庁捜査一課の瑠衣は、中堅ゼネコン課長の父と暮らす。ある日、父の同僚が交通事故で死亡するが、事故ではなく殺人と思われた。さらに別の課長が駅構内で転落死、そして父も工場現場で亡くなる。追い打ちをかけるように瑠衣の許へやってきた地検特捜部は、死亡した3人に裏金作りの嫌疑がかかっているという。父は会社に利用された挙げ句、殺されたのではないか。だが証拠はない…。疑心に駆られる瑠衣の前に、私立探偵の鳥海が現れる。彼の話を聞いた瑠衣の全身に、震えが走ったー。(「BOOK」データベースより)

 

祝祭のハングマン』の感想

 

本書『祝祭のハングマン』は、著者の中山七里が“現代版必殺仕事人”を書いてほしいという依頼に応じて書き上げたものだそうです。

読み終えてみると確かに必殺仕事人の物語であり、池波正太郎の仕事人という立場の存在だけがそのままに現代社会に置き換えられた話でした。

 

本書の登場人物をみると、まず主人公は父の誠也と二人で暮らしている警視庁捜査一課に勤務する春原(すのはら)瑠衣という女性刑事です。

相棒の志木と組んで捜査に当たっていますが、当初交通事故と思われていた事案が人為的な事件の可能性が出てきたため、瑠衣たちが担当することになります。

その内に地下鉄駅の階段で似たような事件が起き、この事件の被害者もまた第一の事件の被害者と同じ会社の社員だったことから殺人の可能性が高くなってきます。

なかなか目撃者も現れないままに現場での捜査は続きますが、そこに刑事上がりの探偵の鳥海という人物が瑠衣の前に現れます。

鳥海は仲間の比米倉という男と共に事件を追っていたのですが、瑠衣にある話を持ちかけてくるのでした。

 

著者の言葉によると、現代社会では、「司法の世界は公正であるはずなのに、そこに格差が生まれている、あるいは生まれつつあるのでは」ないかという印象があったため、リアルな話としてかけるのではないかと思ったそうです( 本の話WEB : 参照 )。

ただ、本書を読んでいる最中から、このミステリーがすごい!大賞を受賞した『さよならドビュッシー』を書いた著者中山七里の作品とは思えない、という印象しかありませんでした。

 

 

とにかく舞台設定があらいのです。

主人公の女刑事がたまたまある交通事故の現場近くに居合わせ、その被害者がたまたま主人公の父親と同じ会社に勤務する会社員であり、その交通事故が殺人事件の可能性が高くなった時にたまたま主人公が担当することになります。

また、後に主人公に深くかかわることになる探偵が、自分たちの秘密を簡単に主人公に明かしてしまったり、自分たちの秘密のアジトに主人公を連れていったりもするのです。

 

結局、本書の物語世界が、登場人物が数人しかいないご都合主義の満ち溢れた狭い世界で完結する物語でしかなく、とても残念な印象しかありませんでした。

久しぶりに中山七里という作家の作品を読もうと思った出鼻をくじかれてしまいました。

もしかしたら、本書はシリーズ化されるのかもしれませんが、たぶんもう読まないと思います。

とにかく中山七里の作品とは思えない残念な作品でした。

連続殺人鬼カエル男

本書『連続殺人鬼カエル男』は、意表をつくストーリーが話題の長編ミステリー小説です。

第8回『このミステリーがすごい!』大賞において対象の受賞作である『さよならドビュッシー』と同時に同大賞に応募していて高い評価を受けたため出版に至ったという小説です。

 

口にフックをかけられ、マンションの13階からぶら下げられた女性の全裸死体。傍らには子供が書いたような稚拙な犯行声明文。街を恐怖と混乱の渦に陥れる殺人鬼「カエル男」による最初の犯行だった。警察の捜査が進展しないなか、第二、第三と殺人事件が発生し、街中はパニックに…。無秩序に猟奇的な殺人を続けるカエル男の目的とは?正体とは?警察は犯人をとめることができるのか。(「BOOK」データベースより)

 

この作者は『さよならドビュッシー』を第一作とする「岬洋介シリーズ」しか読んだことが無く、そのシリーズの持つ音楽表現の素晴らしさに心惹かれていました。

 

 

しかし、本書『連続殺人鬼カエル男』では、確かに有働さゆりのピアノを引く場面で音楽表現の見事さの一端は示されているものの、何よりも殺戮場面の陰惨さと、読者のミスディレクションをさそう手腕に驚きました。

考えて見ると、『さよならドビュッシー』でもその手法は発揮されていたのであり、何をいまさらという感想でもありすが、事件の猟奇的な描写は例えば誉田哲也ケモノの城にも劣らないものです。

この手のグロテスクな描写の苦手な人にはお勧めできない作品です。とくに、サイドストーリ的に挟まれるナツオという人物の話が読者のミスリードを誘い効果的です。

 

 

また、本書自体刑法三十九条での「責任能力」の問題への問いかけにもなっており、問題の根の深さが感じられます。

刑法三十九条の「責任能力」の問題を扱った小説としてネットで調べて見ると、薬丸岳の『虚無』がよく挙げられています。

私は未読なので何も書けないのですが、ざっとあらすじをまとめると、通り魔により娘を殺されたものの、犯人は「心神喪失」状態であったとして罪に問われることはなく、心に大きな傷を負い妻とも別れてしまった男の物語、だそうです。

 

 

また、映画「臨場 劇場版」でも、刑法第39条の取り扱いが焦点となっています。もともと「臨場」は、横山秀夫による『臨場』という鑑識課員を主人公とする警察小説を原作とするテレビドラマであり、内野聖陽を主演として人気の高かったシリーズです。

その映画版はオリジナルストーリーで制作されていて、無差別殺人の殺人犯が心神喪失として無罪になった事件から数年後の、その判決に怒りを抱いていた遺族の姿が描かれています。

 

 

本書『連続殺人鬼カエル男』のミステリーとしての面白さは、「どんでん返しの帝王」と呼ばれる作者の面目躍如たる意外性にあり、驚きに満ちています。

ただ、欠点も多く、殺人犯に対して恐慌状態に陥った一般市民が過剰反応を起こし警察署を襲うという展開にはついていけません。

いくらなんでもという気持ちが先行し、感情移入できないのです。個々の市民の個別の過剰反応とは別の次元ですので、ちょっといきすぎとしか思えませんでした。

 

更にまた、古手川和也が暴行を受ける場面で、その体力というか耐えうる限界が少々高すぎるとしか思えませんでした。もう廃人になるとしか言えない状況での活動は少々無理があり過ぎます。

こうした点を除いてもなお、物語としての面白さは維持できていると感じるのですから、私の贔屓目だけではないと思われます。

 

ちなみに、殺人鬼のカエル男が出てくる、小栗旬主演の映画があったので、本書を映画化したものと思っていたら、全くの別物でした。この映画「ミュージアム」は、巴亮介という人の「ミュージアム」を言うコミックを原作としているそうです。

 

いつまでもショパン

いつまでもショパン』とは

 

本書『いつまでもショパン』は『岬洋介シリーズ』の第三弾で、2013年1月に宝島社からハードカバーで刊行され、2014年1月に宝島社文庫から405頁の文庫として出版された、長編の推理小説です。

 

いつまでもショパン』の簡単なあらすじ

 

難聴を患いながらも、ショパン・コンクールに出場するため、ポーランドに向かったピアニスト・岬洋介。しかし、コンクール会場で刑事が何者かに殺害され、遺体の手の指十本がすべて切り取られるという奇怪な事件に遭遇する。さらには会場周辺でテロが頻発し、世界的テロリスト・通称“ピアニスト”がワルシャワに潜伏しているという情報を得る。岬は、鋭い洞察力で殺害現場を検証していく! (「BOOK」データベースより)

2010年10月のショパンコンクールは、旧市街市場広場での爆弾事件、聖ヤン大聖堂の爆弾事件とテロ行為の犯人と目される「ピアニスト」と呼ばれている世界的テロリストが、ワルシャワに潜伏しているという中で開催されつことになった。

そして、一次予選最終日にはテロ特別対策本部所属の刑事であるスタニフワフ・ピオトルが殺されるという事件が起きた。それも、遺体の全部の指が第二関節から切り取られていたのだった。

 

いつまでもショパン』の感想

 

本書『いつまでもショパン』は『岬洋介シリーズ』の第三弾です。

今回はポーランドのワルシャワで開催されたショパンコンクールが舞台の長編推理小説です。

 

本作品ではこれまでと異なり、岬洋介自身がピアニストとしてワルシャワでのショパンコンクールに参加するなかで、そこで起きた殺人事件をこれまで同様に解決していきます。

当然ですが音楽を背景にしている点はこれまでと同様です。もちろん音楽はショパンの音楽であり、とくに「革命のエチュード」の持つ意味は大きなものがあります。

 

ポーランドは、ロシア、プロイセン、それにオーストリアといった近隣の大国による併合によって消滅という事態も経験し、そんな中から自国の独立を勝ち取ってきたという歴史を持つ国です。

この第二次世界大戦時におけるナチスによるポーランド侵攻といえば、この時代を背景にした小説として須賀しのぶの『また、桜の国で』という作品を忘れてはいけません。

この作品は、日本大使館に勤務する一人の日本の若者の、緊迫するポーランドという国において自分はどのような行動を取るべきかと苦悩する姿を、実在の人物をも織り交ぜながら、併せて抑圧されるポーランドの市民、加えて弾圧されるユダヤの民の姿をも描き出している、直木賞の候補にもなった力作です。

 

 

本書『いつまでもショパン』はそういう歴史を持つポーランドという国のワルシャワで、ショパンコンクールの準優勝者を出してきた家系に育ったヤン・ステファンスという少年の目線で語られる物語です。

「ポーランドのショパン」によるショパンコンクールでの優勝を至上命題とされるステファンですが、ショパンコンクールの参加者である榊場隆平岬洋介の音楽に耳を傾け、自分の力量を知るのです。

一方で音楽という芸術の高みに登ろうとするコンクール参加者たちの心象を細やかに拾い上げ、それを表現して読者に提示するこの作者の力量は相変わらず凄いとしか言いようがありません。

 

ただ、音楽に関しての描写の凄さとは別に、小説としての本書についての感想は決して高いものとは思えませんでした。

あまりにも音楽の描写、演奏者の演奏や楽曲の解釈についての描写が長すぎるのです。

また、クライマックスでの岬洋介の演奏の効果についてのある出来事の描き方は、とても素直に受け入れることはできませんでした。

もしかしたら音楽に対しあまりにも無知な私であるからこその感想なのかもしれませんが、岬洋介というピアニストの奏でる音楽の効果に対する過大評価としか思えないのです。

 

音楽の表現の点では、156回直木賞、2017年本屋大賞のダブル受賞を果たした恩田陸の『蜜蜂と遠雷』という小説が素晴らしい作品でした。

この作品は、実際に存在する「浜松国際ピアノコンクール」をモデルとする「芳ヶ江国際ピアノコンクール」という架空のピアノコンテストを舞台に、16歳の風間塵を台風の目として、天才少女栄伝亜夜20歳、名門ジュリアード音楽院の19歳マサル・C・レヴィ=アナトール、それに現在は楽器店勤務である28歳の高島明石という出場者らを中心に、彼らの課題曲にたいする理解や演奏の模様などを、詩情あふれる文章で表現した青春群像劇です。

ほとんど全編と言っても過言ではないほどに、コンクール参加者のピアノ演奏場面を情感豊かに描き出しているその力量は、本書での感動をも越える素晴らしさでした。

 

 

本書『いつまでもショパン』は、当岬洋介シリーズ』内での面白さを見ても前二作には及ばないと感じましたが、それでも中山七里という作家の力が見える作品ではあると思います。

先の『蜜蜂と遠雷』と本書との音楽の表現に対する文章を読み比べているというのも面白いものではないでしょうか。

おやすみラフマニノフ

さよならドビュッシー』とは

 

本書『おやすみラフマニノフ』は『岬洋介シリーズ』の第二弾で、2010年10月に宝島社からハードカバーで刊行され、2011年9月に宝島社文庫から372頁の文庫として出版された、長編の推理小説です。

 

おやすみラフマニノフ』の簡単なあらすじ

 

第一ヴァイオリンの主席奏者である音大生の晶は初音とともに秋の演奏会を控え、プロへの切符をつかむために練習に励んでいた。しかし完全密室で保管される、時価2億円のチェロ、ストラディバリウスが盗まれた。彼らの身にも不可解な事件が次々と起こり…。ラフマニノフの名曲とともに明かされる驚愕の真実!美しい音楽描写と緻密なトリックが奇跡的に融合した人気の音楽ミステリー。(「BOOK」データベースより)

学費の支払いもままならない状況に陥っている愛知音大の学生である城戸晶は、学長の柘植彰良との共演と後期学費の免除という特典のある定期演奏会のメンバーに選抜されるべく練習に励み、見事その座を射止めた。

ところが、時価二億円もするストラディバリウス作のチェロが、密室状態だった保管室から盗み出され、更には柘植彰良の愛用のピアノが破壊されたりと事件が連続して起きるのだった。

 

おやすみラフマニノフ』の感想

 

本書『おやすみラフマニノフ』は、ピアニストの岬洋介を探偵役とする『岬洋介シリーズ』の第二弾です。

岬洋介シリーズの第一弾の『さよならドビュッシー』では、ピアノをテーマとして言葉で楽曲の美しさを表現し、またミステリーとしても意外性を持った作品として、「このミステリーがすごい!」大賞の大賞を受賞しました。

それに続く本書では主人公城戸晶の演奏する楽器はバイオリンが選ばれていて、楽曲としてはラフマニノフのピアノ協奏曲第二番が取り上げられています。

 

 

前作同様に、ミステリー仕立ての音楽小説といったほうが正解であるような作品です。

小説としては、普段縁のない音楽大学やそこで学ぶ学生たちの様子の描写こそが面白く、本書の謎とき自体はそれほど感心したものはありませんでした。

もちろん本書『おやすみラフマニノフ』でも言葉で音楽を表現し、その感動をもたらしてくれています。

とくに、台風の迫る中、避難している人たちの不安が不穏な状況をもたらそうとする中、主人公城戸晶と指導者としての岬洋介は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を奏でる場面は圧巻です。

状況設定は決して特別なものではなく、どちらかというとありふれたものであり、一歩間違えば安易な感傷に陥りそうな場面ではあるのですが、作者の筆は感動的な場面として仕上げているのです。

 

作者はクラシックに関しては興味もなく、楽器の演奏もできないのだそうです。音楽に関しては全くの素人であり、数回聴いたCDをもとに、クラシック音楽を言葉で表現するのですから何とも言いようがありません。

それでも、ストラディバリウスという私でも知っている名器の盗難や、教授のピアノの破壊という事件の裏に潜む人間の思惑は読み応えがあり、そこに音楽の描写という更にる魅力が加わり、またシリーズ続編を読みたいと思う作品でした。

さよならドビュッシー

さよならドビュッシー』とは

 

本書『さよならドビュッシー』は『岬洋介シリーズ』の第一弾で、2010年1月に宝島社からハードカバーで刊行され、2011年1月に宝島社文庫から415頁の文庫として出版された、長編の推理小説です。

描かれている音楽の描写も素晴らしく、どんでん返しの妙も味わうことができた物語であって、第8回『このミステリーがすごい!』大賞大賞受賞作に相応しい作品でした。

 

さよならドビュッシー』の簡単なあらすじ

 

ピアニストからも絶賛!ドビュッシーの調べにのせて贈る、音楽ミステリー。ピアニストを目指す遙、16歳。祖父と従姉妹とともに火事に遭い、ひとりだけ生き残ったものの、全身大火傷の大怪我を負う。それでもピアニストになることを固く誓い、コンクール優勝を目指して猛レッスンに励む。ところが周囲で不吉な出来事が次々と起こり、やがて殺人事件まで発生するー。第8回『このミス』大賞受賞作品。(「BOOK」データベースより)

ピアニストになることを夢見て練習に励む十六歳の女の子が、祖父と従姉妹とを同時に亡くす火災に遭い、自らも全身大やけどを負ってしまう。

奇蹟的に命を取り留めた娘は整形手術により顔も、ひどくはありますが声も取り戻し、再度ピアニストになるという夢に向かって進み始めるのだった。

 

さよならドビュッシー』の感想

 

本書『さよならドビュッシー』は、第8回『このミステリーがすごい!』大賞大賞受賞作であり、作家中山七里のデビュー作でもあります。

 

本書の特徴としては音楽に満ち溢れている作品だということです。

新たに歩み始めた娘香月遥は、岬洋介という気鋭のピアニストの個人教授をうけつつ、いじめをはねのけながら名門高校に通い続けるのですが、その姿はスポーツ青春小説に描かれそうな熱意あふれるものです。

と言うより、遙という娘が、弱ってしまった指を長時間の演奏に耐えるために鍛える姿は文字通りスポ根小説そのものなのです。

彼女の練習の過程で示されるのはクラシック音楽の分析であり、音楽そのものについての解説でもあります。それは、クラシック音楽を学び、演奏する人の技術であり心構えです。

そこで示される知識、分析は普段クラシックに疎遠な私たちにとって実に新鮮なものであり、実際の演奏を聞きたくなるような表現でもあります。実際、私はYouTubeで聞きました。

「音」を文章で表現することの難しさを軽く超えている、そんな印象すら持ってしまうのです。

 

それは感性で感じるべき芸術を文章表現することであり、その類の作品はこれまでにも読んできました。

近年では原田マハの、ピカソの作品である「ゲルニカ」をめぐるミステリーである『暗幕のゲルニカ』や、アンリ・ルソーの作品の「夢」についての物語である『楽園のカンヴァス』がそうでした。

また、三浦しをんの『仏果を得ず』は人形浄瑠璃を描写した作品でした。

 



 

これらの作品は、絵画や浄瑠璃の素晴らしさを文章を持って表現した作品でしたが、本書『さよならドビュッシー』での音楽の分析はこれらの作品を上回ると言っても過言ではない表現です。

ミステリーとしても伏線の張り方が緻密です。本書の始めから後に大切な意味を持ってくる一文が、実にさりげなく普通の文章の中に埋め込まれているのです。

クライマックスになり、岬洋介の謎ときの中でその伏線が丁寧に回収されていくのですが、これまで提示されてきた謎が解き明かされるというミステリーの醍醐味を十分に味わえる作品だと思います。

 

ただ、一点だけミステリーファンの中にはこの結末は許されないという人がいるのではないかという危惧はありました。

個人的には別にかまわないのですが、ミステリーの決まりごとを破ることになるのではないか、という心配です。

とはいえ、本書『さよならドビュッシー』はベストセラーになっていますので、そうした点は杞憂であったと言っていいと思われます。