キケン

本書『キケン』は、技術系の大学に入学した男子学生の学生生活を描いた長編の青春小説です。

勉学の姿を除いた理系学生の部活動の一面を正面から描いてあるのですが、どうにも現実感がなく、感情移入しにくい小説でした。

 

ごく一般的な工科大学である成南電気工科大学のサークル「機械制御研究部」、略称「キケン」。部長・上野、副部長・大神の二人に率いられたこの集団は、日々繰り広げられる、人間の所行とは思えない事件、犯罪スレスレの実験や破壊的行為から、キケン=危険として周囲から忌み畏れられていた。これは、理系男子たちの爆発的熱量と共に駆け抜けた、その黄金時代を描く青春物語である。(「BOOK」データベースより)

 

この『キケン』という作品は、元山高彦と池谷悟の二人が、成南電気工科大学にある「機械制御研究部」に入部し学生時代を送った様子を、ある人物が回想し妻に語る、という形式で進みます。

これまでの有川浩の小説の傾向とは異なり、単純に学生の馬鹿騒ぎを書き記したという印象が強く、現実感がありません。

そこには生活感が全くなく、ひたすら部活動の側面だけが取り上げられているため違和感を生じているのだと思います。

そのため、物語として見た場合、本書の作者有川浩の『図書館戦争シリーズ』、『三匹のおっさん』などと比べるとどうしても内容が薄く感じられてしまいます。

 

 

生活感が無いという点に関しては、本書『キケン』の文庫版の解説で藤田香織氏が、『キケン』にはこの作者の『塩の街』を始めとする『自衛隊三部作』や『図書館戦争シリーズ』のような作品とは比べようもない、取るに足らない戦いや愛しかない、と書いておられました。

でもそれがいいと言われます。こうした小さな世界に夢中になれる期間はわずかしかなく、本書にはその儚くも尊い時間が描かれているというのです。

 

 

内容の薄さ、という点に関しては、著者自身の「あとがき」に、「男子というイキモノは独特の世界を持っている」と書いておられます。そして、その中に女子が一人でもまじると「よそいき」の顔になるとも書いておられます。

だから、他の作品のように“愛”や“闘い”を中心に描くのではなく、そういうイキモノが確実に生きた青春の一時期を、いたずらの側面を全面的に押し出し描き出すことで描き出したということなのでしょう。

本書の解説で前出の藤田香織氏が、本書で学園祭のラーメン作りやロボット梳毛大会の顛末など、派手で楽しそうな場面ばかりを描きシリアスな場面がないのは作者の親心であり、思い出の中にある青春時代は妻に語る形式である語り手の記憶だからこそだと言っています。

 

しかし、そうした作者の計算が仮にあったとしても、その計算が違っていたとしか思えません。

記憶の中の楽しかった場面のみを語る、というのは理解できます。しかし、この作者であれば、その楽しかった思い出を、単なる馬鹿騒ぎとしてではなく描くことはできると思うのです。

事実、本書『キケン』の中でも、上記のラーメン作りの場面などはかなり面白く読みました。ただ、それに伴うアクション場面は行き過ぎかなという感じはします。

この行き過ぎ、つまりは言ってみればオーバーアクションであり、惹きつけられた関心が突き放されてしまったのです。

大神の恋愛事情もそれはそれでいいとも思うのですが、何となく中途な印象ですし、ロボット相撲も設定は魅力的なのに、上野たちの行動が漫画チックになりすぎという印象に終わってしまいました。

 

正直に言いますと、個人的には学生生活は学生時代はアルバイト等でほかの学生とは異なっていましたので。学生生活は無いのと同じです。従って、大学生時代の青春記に関しては実はあまり語る資格は持ちません。

しかし、高校時代が似たような生活でした。熊本という土地では出身大学はあまり聞きません。どこの高校を出たか、が話の中心になります。その高校時代でやはり馬鹿なことをしていたのです。

 

ちなみに、本書『キケン』には新潮文庫版もあります。私が読んだのはこの新潮文庫版ですが、本稿の表題イメージ写真には出版年月が新しい角川文庫版を使用しています。

 

塩の街

本書『塩の街』は、有川浩の自衛隊三部作のうちの一作であり、文庫本で444頁の長編のSF小説です。

本書は『図書館戦争』を始めとするベストセラーを描き続けている有川浩のデビュー作品でもあります。

 

塩の街』の簡単なあらすじ

 

塩が世界を埋め尽くす塩害の時代。塩は着々と街を飲み込み、社会を崩壊させようとしていた。その崩壊寸前の東京で暮らす男と少女、秋庭と真奈。世界の片隅で生きる2人の前には、様々な人が現れ、消えていく。だが―「世界とか、救ってみたくない?」。ある日、そそのかすように囁く者が運命を連れてやってくる。『空の中』『海の底』と並ぶ3部作の第1作にして、有川浩のデビュー作!番外編も完全収録。(「BOOK」データベースより)

 

塩に飲み込まれている世界とは、因果関係は不明なものの隕石らしき物体が降ってきてから始まった現象で、人間が塑像のように塩化してしまい、関東の人口は三分の一にまでなっています。

暴漢に襲われていた高校生の小笠原真奈は、元自衛官の秋庭高範に助けられ、そのまま彼の庇護のもとで生活していたのですが、猫、犬の次に彼女が拾ってきたのは人間でした。

 

塩の街』の感想

 

本書『塩の街』がメジャーデビューだという有川浩ですが、物語のアイデア、そして全体の構成、リズム感に満ちた文章とデビュー作品とは思えません。

確かに、少々人物の書き込みや状況設定などに薄さを感じてしまう部分もあるのですが、もともとライトノベルとして書かれている作品でもあることを考えると、十分すぎる出来だと感じました。

本書『塩の街』は、元自衛官の秋庭高範真奈との恋模様という、大人の男と少女との年齢差を越えた恋愛を軸に描かれている物語です。

更に、秋葉元二尉の友人だという入江という基地司令を名乗る男が登場し、二人の行く末に大きな影響を与えますが、こうし設定自体、このあとに出される有川浩の作品設定の基本形であると言えます。

空の中』『海の底』と併せてのいわゆる自衛隊三部作の中では一番恋愛要素が強い作品でしょう。

 

 

先般、テレビで放映された、庵野監督の2016年版ゴジラである「シン・ゴジラ」を見ましたが、結局は本書も怪獣ものと言えます。

怪獣が暴れまわり、火を吐きビルや家屋を壊す代わりに、本書はただ静かに人間が塩化しているだけで、災厄の本質は何も変わりません。

 

 

ただ怪獣との戦いの場面が無いだけではありますが、その差が恋愛劇の舞台としては描きやすいかもしれないとは思います。事実、人間の塩化、つまりは「死」と生きている人間とのドラマが展開されるのです。

本書は、文庫本(角川版)で444頁という頁数ですが、中ほど250頁ほどからあとは「塩の街、その後」として、「-debriefing- 旅のはじまり」「-briefing- 世界が変わる前と後」「-debriefing- 浅き夢みし」「-debriefing- 旅の終わり」の四編の短編が収められています。

でも、本編と四編の短編を併せて「塩の街」というべきかもしれません。

海の底

4月。桜祭りで開放された米軍横須賀基地。停泊中の海上自衛隊潜水艦『きりしお』の隊員が見た時、喧噪は悲鳴に変わっていた。巨大な赤い甲殻類の大群が基地を闊歩し、次々に人を「食べている!」自衛官は救出した子供たちと潜水艦へ立てこもるが、彼らはなぜか「歪んでいた」。一方、警察と自衛隊、米軍の駆け引きの中、機動隊は凄絶な戦いを強いられていく―ジャンルの垣根を飛び越えたスーパーエンタテインメント。(「BOOK」データベースより)


有川浩の初期作品で、『空の中』『塩の街』そして本書を「自衛隊三部作」と言うそうです。まあ、本書をSFと分類していいものか疑問が無いわけではありませんが、個人的な便宜上の区分けということでご容赦ください。

本書は、突如横須賀の街を襲った巨大ザリガニに対する人間たちの様子を描いた作品です。ある種「怪獣もの」としての冒険小説でもあり、有川浩らしい自衛隊ものであり、青春小説としての一面も持っている作品です。

丁度横須賀港の桜祭りに来ていて停泊中の海上自衛隊潜水艦「きりしお」乗員の夏木大和三尉と冬原春臣三尉、それに「きりしお」に逃げ込んだ子供たちとの話と、巨大ザリガニと陸上で直接対峙することになった機動隊や自衛隊の闘いとの二つの場面からなっています。

「きりしお」艦内では、逃げ込んだ子供らの社会に、親社会で構築されている社会的な組織構造そのままヒエラルキーがそのままに存在しており、ボス的存在の中学生の男子の言葉通りに夏木三射らの言葉を聞こうともしません。

そうした子供たちの扱いについての夏木三射と冬原三尉との差がユーモラスに描いてあり、また子供たちの中に一人いた女子高生と夏木三射との恋模様も見どころの一つになっています。

一方、陸上では後に「レガリス」と呼ばれる巨大ザリガニとの戦いが描かれますが、そこでは警察官僚の面子や米軍との兼ね合いで苦労する機動隊の第一戦の現場と、警備課所属の明石亨や、型破りの警察庁キャリアである烏丸俊哉などが謀り、重火器の行使が可能な、しかし出動に制限のある自衛隊を引っ張り出そうと仕掛ける様子が描かれています。


こうした描写が上手いのが有川浩という作家ですね。『図書館戦争シリーズ』でもそうでしたが、組織の論理と個人の行動とのそれぞれの思惑などの原理原則からの理由付けが上手く、説得力があります。

この点では、柳内たくみの『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』もそうでした。ライトノベルでありつつも、自衛隊を単に軍隊として軽く描くのではなく、それなりの自衛隊組織のありようを踏まえた描写は、ファンタジーでありながら、物語にリアリティーを付加するものでした。

本書『海の底』は、そういう意味では贅沢な小説でもあると思います。警察組織を丁寧に描きつつ、レガリスとの戦いをアクション満載で描写し、一方潜水艦「きりしお」内では、親社会を反映する子供社会の問題点をあぶり出しながら、恋愛小説的要素をもふんだんに盛り込んでいて、それでいて℃の場面でも破綻なく描いてあるのです。

エンターテインメント作家としてのこの作者の力量は既に定評がありますが、本書はまだごく初期の作品でありながらも実に面白い物語として仕上げてあるのですから、有川浩という作者の多面的な顔がすべて出ていると言えるのではないでしょうか。

お勧めの一冊です。

ストーリー・セラー

小説家と、彼女を支える夫を襲ったあまりにも過酷な運命。極限の決断を求められた彼女は、今まで最高の読者でいてくれた夫のために、物語を紡ぎ続けた―。極上のラブ・ストーリー。「Story Seller」に発表された「Side:A」に、単行本のために書き下ろされた「Side:B」を加えた完全版。(「BOOK」データベースより)

個人的な好みから言うと、若干外れた小説でした。読後に少しですが、暗さ、それも前を向いた考察などを感じることもないやるせなさを感じたからです。

中編二編からなる物語ですが、この二編のありかたに仕掛けが施してあって、その点も評価の分かれるところではないかと思います。

そもそも本書は「Story Seller」というアンソロジーのための作品「Side:A」があって、本書のために「Side:B」が書き加えられたのだそうです。

「Side:A」は、小説家の妻が、小説を書くことは文字通り自分の命をとるか小説を書くことを選ぶかという命がけの選択になるという話で、この妻に対する夫の愛情はあるものの、それ以外の人間による強烈な悪意に襲われて特殊な病に罹ってしまうなど、けっこう悲惨な状況に陥る女性の姿が描かれています。

「Side:B」もまた小説家の妻と、献身的な夫との物語なのですが、今度は夫の方を不幸が襲います。とはいえ、夫婦二人の暖かみのある物語としても読めるのですが、やはり悲恋というか、ある種の陰鬱さを感じる要素はつきまとっています。

読書は「幸せなひと時、楽しいと思える時間」を過ごすためのものと考えている私には、本書のように美しいかもしれないけれど、つらさをも感じる小説は受け入れにくいのです。

確かに、この二編の物語に施された仕掛けは、やはり有川浩という作家はただ者ではないという印象を持たせてくれます。この仕掛けに関しては何も言うことはないのです。

ただ、若干の分かりにくさがあり、結局、読者の感じるであろう曖昧さこそが狙いだったのか、などとも思ってしまいます。

ラブストーリーは決して得意ではない私ですが、雫井脩介の『クローズド・ノート』などは結構面白いと思って読んだのですから、本書に対する感情はラブストーリー故の苦手意識というわけではなさそうです。やはり、悲恋なら悲恋でもいいので、読了後に感じる、本書にある曖昧さ、割り切れなさが原因だと思われます。

どうも書いていてもこの文章自体が分かりにくいと思うのですが、そこを書くとネタバレになってしまうので、あとは読んでもらうしかありません。

図書館戦争

本書『図書館戦争』は、『図書館戦争シリーズ』の第一作目で、文庫本で398頁のSFチックな長編小説です。

軽く読める本でありながら、表現の自由という重要な論点をテーマにした良質なエンターテイメント小説です。

 

図書館戦争』の簡単なあらすじ

 

2019年(正化31年)。公序良俗を乱す表現を取り締まる『メディア良化法』が成立して30年。高校時代に出会った、図書隊員を名乗る“王子様”の姿を追い求め、行き過ぎた検閲から本を守るための組織・図書隊に入隊した、一人の女の子がいた。名は笠原郁。不器用ながらも、愚直に頑張るその情熱が認められ、エリート部隊・図書特殊部隊に配属されることになったが…!?番外編も収録した本と恋の極上エンタテインメント、スタート。(「BOOK」データベースより)

 

「メディア良化法」という公序良俗を害すると思料される表現を取り締まることを目的とする法律が制定された世界、つまりは「検閲」が堂々とまかり通り、法律の名のもとに法務省管轄化のメディア良化委員会及びその執行機関である良化特務機関が検閲を実行している社会が舞台です。

行きすぎた「検閲」に対抗するために既存の図書館法を強化し、図書館も力をもつことが要求され、図書隊が設立されました。

本書の主人公である笠原郁は、高校生の時に書店で買おうとしていた本が良化特務機関の「検閲」にかかり没収されてしまいそうになります。

没収に抗おうとする郁を助けてくれたのが、たまたまその場に居合わせた図書隊員でした。その隊員を心の王子様として追いかけ、自分も図書隊員になったのです。

 

図書館戦争』の感想

 

身体能力の優秀さと本人の必死の努力の末に、全国初の女性隊員として武力の行使をも含めた図書館の全業務をこなす図書特殊部隊に選抜された笠原郁です。

その後、同期で同じ武蔵野第一図書館の柴崎麻子や図書特殊部隊である手塚光、それに上官の堂上篤小牧幹久らに助けられながらも、図書館業務に邁進する郁の姿が、コミカルに、そして本人のみひそやかと思っている恋模様をも描かれます。

圧倒的にリアルな「図書隊」という組織は、そのイメージは勿論自衛隊に被ります。そして、有川浩という作者はデビュー作の『塩の街』を含む自衛隊三部作を始めとして自衛隊を描くことが多く、その描写は実に真に迫っています

 

 

本人曰く、「まず、訳が分からないなりに何冊か資料を読む。そうしたらなんとなく分かってくるんです。詰め込んで詰め込んで、どこをバッサリ切るか、という。私の場合は膨大に詰め込んで、膨大に捨てるんです。( 作家の読書道 : 参照 )」ということです。

その結果、どの物語でも実にリアルな背景が描かれることになるのだと納得しました。

図書館戦争シリーズ

この『図書館戦争シリーズ』は、第39回星雲賞日本長編部門賞を受賞した長編のSF小説作品です。

 

図書館戦争シリー』について

 

図書館戦争シリーズ( 2021年03月25日現在 ) 完結

  1. 図書館戦争
  2. 図書館内乱
  3. 図書館危機
  4. 図書館革命
  1. 別冊 図書館戦争I
  2. 別冊 図書館戦争II

 

まず本『図書館戦争シリーズ』で語られるべきは、個人的には「表現の自由」という大きな問題がテーマとなっていること、だと思っています。

その上で、有川浩独特の図書隊という組織の描き方のうまさや、恋愛小説としての側面もあるライトノベル的読みやすさなどが語られることになるのでしょうか。

本書の世界観は、「メディア良化法」という公序良俗を害すると思料される表現を取り締まることを目的とする法律が制定された世界です。

その「メディア良化法」を守るために「メディア良化委員会」がつくられ、その執行機関である「メディア良化隊」が、ときには武力の行使も辞さない組織として存在しているという、とんでもない世界です。

公序良俗を守る正義の味方としての「メディア良化委員会」に対し、表現の自由をこそ守らなければならないとして図書館が立ちあがります。

そして、実力装置としての「メディア良化隊」に対する組織として「図書隊」が創設されたのです。「メディア良化隊」が武力を有するのと同様に「図書隊」も銃を手に取ります。

武力を有し、戦闘員だけを対象とはするものの、最終的には戦闘員の殺害をも認める組織として存在しますから、両組織の衝突の場面では銃火を交える戦闘行為が行われることになります。

まあ、物語の設定として、対象の殺害を目的とする発砲はしない、などの文言すら含む「交戦規定」があることにはなっていますが、こうした設定を設けること自体が矛盾ではあります。

 

しかしながら、本来武力と対極のところにある組織である筈の「図書館」が有する軍隊とは自己矛盾に満ちた存在です。

しかしその存在を実にリアルに、それなりの理由付けをもって存在させているのですから、有川浩という作者の構成力は見事なものです。

一方、こうした大きなテーマを、そして軍隊という硬直な世界を描いているにもかかわらず、本書で描かれているのは一人の女の子と中心とした恋愛小説と言っても間違いではない、ユーモラスな世界です。

「表現の自由」などという堅苦しいテーマなど考えずに、単純にラブコメ小説として読んでも十二分な面白さをもった物語として仕上がっています。

同様に、自衛隊をメインに描写はしているものの、その舞台は異世界というファンタジー小説として柳内たくみの『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』があります。

こちらはライトノベルそのままであり、また舞台を魔法や騎士たちが存在する異世界に設定した王道のファンタジー小説です。ただ、ここで描かれる自衛隊のありようは本書同様にかなりのリアリティをもって描かれています。

 

 

本シリーズ『図書館戦争』は魔法が生きているファンタジーではありません。そういう意味では本シリーズの方が数段リアルだとも言えます。

しかし架空の世界を舞台にしたラブコメという点では似た世界観をもっていると言えなくもないでしょう。

有川浩という作家は、そのデビューから自衛隊三部作といわれれる作品においても恋模様を描き出し、どちらかと言うと恋愛描写が主で、舞台を軍隊(?)にしているだけ、という趣きが無きにしも非ずでした。

その点からすると、有川浩の描く小説としては王道と言えるのでしょう。

とはいえ、本書の掲げるテーマはやはり見過ごすことはできません。本書は、有川浩の旦那さんが図書館で見つけてきた下記の「図書館の自由に関する宣言」をヒントに書きあげられた物語だそうです。

「図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。」
第1 図書館は資料収集の自由を有する
第2 図書館は資料提供の自由を有する
第3 図書館は利用者の秘密を守る
第4 図書館はすべての検閲に反対する
日本図書館協会 図書館の自由に関する宣言 : 参照)

検閲のあるところ、言論は封殺され、市民生活の自由は奪われてしまうことは歴史が示すところでもあります。そしてそのことは現在の社会でもたびたび目にするところもあります。

近年では、中沢啓治の『はだしのゲン』という漫画が、内容に疑義があり「子供たちに間違った歴史認識を植えつける」を扱っている漫画だからということで松江市教育委員会が図書室から排除し閉架措置にしようとした事実があります。

日本図書館協会の、松江市教育委員会による閉架措置が、「図書館の自由に関する宣言」(1979年、総会決議)に違反していると指摘したこともあってか、現在では開架措置に戻されているようです。( ウィキペディア : 参照 )

この漫画に対する評価は別としても、表現の自由の問題として見るとき、いろいろと考えるべき内容を含んでいる事件であったとともに、日本図書館協会のとった態度は印象的でした。

 

 

そうした大きなテーマを抱えつつも、エンターテインメント小説として映画化、更にはアニメ化もされている本シリーズは単に青春恋愛小説として読んでも、かなりの面白く読める作品だと思います。

追記として、もう一冊思い出しました。

本書とはかなり設定は異なりますが、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』という作品があります。「検閲」どころか、「本」そのものの所持が禁止された世界を描いた作品です。

読書自体を悪と決め付け、書物を見つけ次第焼却してしまうのです。主人公は、その本の焼却を仕事とする男で、図らずも一冊の本を読んでしまったことから書物の持つ意味に気付くという物語です。

話はそれだけに終わらず、社会そのものの在り方にまで物語は広がっていきます。ただ、作者自身は「この作品で描いたのは国家の検閲ではなく、テレビによる文化の破壊」だと述べているそうです。

 

 

「華氏451度」というのは、紙の発火温度であり、この物語の内容を如実に表したタイトルでした。フランソワ・トリュフォー監督により映画化もされています。

 

フリーター、家を買う。

就職先を3カ月で辞めて以来、自堕落気侭に親の臑を齧って暮らす“甘ったれ”25歳が、母親の病を機に一念発起。バイトに精を出し、職探しに、大切な人を救うために、奔走する。本当にやりたい仕事って?やり甲斐って?自問しながら主人公が成長する過程と、壊れかけた家族の再生を描く、愛と勇気と希望が結晶となったベストセラー長篇小説。(「BOOK」データベースより)

本書は、まるで「家族」の抱える現代の闇を描いた作品かと思うほどの始まり方をします。それは、母親の鬱による家庭の崩壊です。その母親の鬱の原因は、直接的には町内の奥様族の間でのいじめであり、そうした母親の状況に気づかない父親の無理解、そして主人公である息子の無神経さにありました。

物語は母親の異常に気付いた娘が嫁ぎ先から帰ってきて、主人公の武誠治の無神経さを責め立てるところから始まります。その後、誠治が一念発起し、まずは百万円を目標に貯金をし、まともに就職することを目指すのです。

ここまでの話を見ると、本来であれば暗く、重い雰囲気の物語のようですが、そこは有川浩という作家のうまさで、確かに重い話ではありつつも、それとなくユーモアに包まれながらこの物語の本筋へと入っていきます。

この物語は一種の就活の物語でもあります。「家族」の問題を抱えながらも、きびしい現実に直面しながら就職するためにひたすら努力する主人公。その過程で見えてくる現実であり、様々な人たちの人情があります。現場のおっさんたちの言葉が身に沁みたり、助けられたりしながら前進する主人公の姿は感動的ですらあります。

ちなみに就活小説としては朝井リョウの『何者』という直木賞受賞作がありますが、こちらはいかにも今の時代の就職活動で、ネットを駆使したりする姿には私たちの時代の就職活動と比して違和感を感じたものです。でも本書の場合は、今時の若者の就職活動ではあっても、普遍的な香りを持っています。

こうして、痛快青春小説として小気味いい展開を見せながら話は進んでいくのですが、痛快ものの常として、若干のご都合主義としか言いようのない主人公に都合のいい追い風が吹きまくりながら、主人公の成長を面白おかしく描写してあります。このご都合主義をご都合主義と感じさせずに展開させることこそが作者の腕の見せ所でしょう。

近年一大ブームを巻き起こした、「倍返しだ!」のテレビドラマ『半沢直樹』の原作である池井戸潤の『オレたちバブル入行組』にしても、銀行員である主人公に都合のいい風が吹いて目前の危機が回避されていきますし、同じ作者の『下町ロケット』も同様です。中小企業である佃製作所の危機に際し、敏腕弁護士が表れて特許権関連訴訟を有利に導いてくれたり、第二部の「ガウディ編」では医療過誤専門の記者がやはり佃製作所の危機を救ってくれることになるのです。

でも、本書も池井戸潤の各作品もご都合主義の顔は全く見えません。結局それは作者の力量に帰着すると思え、都合よく現れると思われる救いの手、救いの手も物語の流れの中で違和感なく描かれているのです。