『生殖記』とは
本書『生殖記』は、2024年10月に小学館から290頁のハードカバーで刊行され、2025年本屋大賞にノミネートされた長編の現代小説です。
ストーリー展開を楽しむ作品ではなく、語りの名を借りた文明批評としか思えず、理解はできても私の感性ではついていきにくい作品でした。
『生殖記』の簡単なあらすじ
とある家電メーカー総務部勤務の尚成は、同僚と二個体で新宿の量販店に来ています。体組成計を買うためーではなく、寿命を効率よく消費するために。この本は、そんなヒトのオス個体に宿る○○目線の、おそらく誰も読んだことのない文字列の集積です。(「BOOK」データベースより)
『生殖記』の感想
本書『生殖記』は、これが小説かという疑問が浮かびそうな、長編の現代小説です。
私が小説に求めるのは読書時間が楽しく思えるような物語であり、ほとんどエンターテイメント作品を好むものです。
ところが、本書は昨今話題の「SDGs」などについての評論としか思えず、ついていきにくい作品でした。
本書『生殖記』の特徴と言えば、まずはその語り手の正体が特徴的だという以外の何ものでもありません。
この語り手の正体はすぐに明かされますが、これまでに一人称視点でも三人称視点でもない本書のような視点の小説は見たことも聞いたこともありませんでした。
作者のインタビュー記事を読むと、これまでどんな視点を設定しても人間という枠故の制約を感じていたそうですが、本書ではその枠を外したために自由に発想することができたと書いてありました。
本書のような視点のことを作者の朝井リョウは「人類に何の肩入れもしない存在」と表現しておられます( NHK WEB特集 : 参照 )。
本書『生殖記』の主人公は、と言えば文中では尚成と呼ばれている達家尚成という男であり、先に述べた語り手はこの尚成の心象を解説するのです。
この解説する内容がとても分析的であり、次第に難解な解説へと変貌していきます。
そもそも、尚成は、「均衡 維持 拡大 発展 成長」というあらゆる共同体の行動原理を避けることを自分の行動原理としています。
その尚成が共同体感覚をここまで欠如させるに至った経緯としては、尚成という存在が本書の言葉によれば「同性愛個体」であることにあります。
そして、「同性愛個体」の尚成が「異性愛個体」で構成されるこの社会で心地よく過ごしていくための方法として、共同体の行動原理を避ける生き方にたどり着いたのです。
具体的には、「手は添えて、だけど力は込めず」ということでした。体育で使うマットを皆で運ぶときに手は添えるけれども力は込めずにそれらしく見せるだけという、本書冒頭で語られる生き方なのです。
本書の語り手の存在は、尚成のこの「相手の話すことに共感して、否定はせず、大変さに理解を示し、応援する」生き方を客観的に分析し、ひいては人間社会のありようにまで分析対象を広げ、現代の政治家の「生産性がない発言」などを取り上げ、笑い飛ばしているのです。
この物語を「小説」と言っていいものかは議論があるところでしょうが、個人的な好みから言えば決して自ら手を取り読もうという作品ではありません。
本書が2025年の本屋大賞にノミネートされていなければ決して手に取ることはなかったと言える類の作品です。
作者の朝井リョウといえば、2022年本屋大賞にノミネートされた前著の『正欲』でも「多様性」が語られていました。でも、まだ小説として惹きつけられる凄みを感じたものです。
しかしながら、本書はどうにも魅力を感じられません。視点の主の語る尚成の心象や「ヒト種」という存在の分析にそのほとんどが費やされ、いわゆるストーリー性は全くないと言って過言ではありません。
本書『生殖記』に似た小説を紹介しようと思いましたが、本書の設定は前代未聞であり、類似作品は見当たりませんでした。
それほどに荒唐無稽な設定なのです。
