JAGAE 織田信長伝奇行

JAGAE 織田信長伝奇行』とは

 

本書『JAGAE 織田信長伝奇行』は、著者自身のあとがきまで入れて新刊書で516頁にもなる長編の歴史小説です。

伝奇作家として高名な夢枕獏が夢枕獏なりの織田信長を描いた作品で、期待とは異なってはいたものの、それなりに面白い作品でした。

 

JAGAE 織田信長伝奇行』の簡単なあらすじ

 

河童、妖刀、大蛇、バテレンと法華、信玄の首……
現代伝奇の旗手が描く誰も知らなかった戦国覇王の顔!
その時、本能寺にいたのは誰だ?
著者渾身の歴史巨編!

『魔獣狩り』『神々の山嶺』『陰陽師』の創造主が描く、神になろうとした男!
“蛇替えーーつまり、蛇を捕らえるために、池の水を汲み出すことである。”
UMA(未確認動物)の探索者であり、合理主義者だった信長。対するは、あやかしの人、飛び加藤こと加藤段蔵。
「これで、おもしろいものにならなかったら、物語作家失格である。」(「内容紹介」出版社より)

 

JAGAE 織田信長伝奇行』の感想

 

本書『JAGAE 織田信長伝奇行』は、作者があの夢枕獏であり、テーマが織田信長ということもあって、当然、信長を中心とした伝奇小説だと思っていました。

冒頭の三章は妖術師や河童、妖刀などの不思議な出来事を中心に超合理主義者の信長がその実態を暴くという話です。つまり本書は、章ごとに世の中の不思議を取り上げその実態を信長が暴いていく、という物語のようです。

しかし、次第にどうもそうではなさそうに思えてきました。帰蝶を嫁とし、義父である美濃の斎藤道三との対面の様子の描写などはまさに歴史小説そのものなのです。

ただ、本書序盤で描かれている信長は徹底した合理主義者であり、うつけと呼ばれるほどに身なりにかまわない存在であって、これまで言われてきた信長像と異なりません。

 

その点では、同じく信長を描いた垣根涼介の『信長の原理』という第160回直木賞の候補となった作品のほうが、「パレートの法則」と呼ばれている現象を通して組み立てられていて、より特徴的だったと思います。

 

 

しかしながら、冒頭から描かれる河童や妖刀についての信長の関りかたについての描き方はまさに夢枕獏の文章であり、超合理主義者である信長という人物の存在を際立たせています。

そうした合理主義者信長を際立たせるという描き方自体はいかにも夢枕獏の描写であり、作品らしいということはできると思います。

また、『信長公記』やフロイスの『日本史』などの資料を随所で引用し、史実を際立たせてながら、信長の極端な性格を浮き彫りにする手法も上手いものだと思います。

 

 

本書『JAGAE 織田信長伝奇行』の序盤をこのようにみると、冒頭で飛び加藤こと加藤段蔵という忍びのエピソードを持ってきているのはそれなりの意味があると思えて来ました。

まず、幼い信長と飛び加藤との邂逅から始め、信長の人生の節目に飛び加藤を関わらせることで、超合理主義者で現実的な信長と、その対極である不思議の頂点にいる「妖物」の飛び加藤とのかかわりを描きたかったのだろうと思うようになりました。

その観点から本書を見てみると、序盤の木下藤吉郎と信長との出会いや、終盤の明智光秀との関係にも飛び加藤がかかわっています。

ということは本書『JAGAE 織田信長伝奇行』は、歴史の裏面に飛び加藤がいて、飛び加藤の思惑にのって歴史が動いたという、まさに夢枕獏の歴史小説だということになりそうです。

ただ、かつての夢枕獏の物語であれば、歴史的事実の改変も含め、より直接的に「妖物」としての飛び加藤を動かしてダイナミックな描き方をしていたのではないでしょうか。

しかし、本書ではそうではなく、信長という人物自体の行動、その行動に至る信長の心象を深く追い求め、信長という人物像を浮かび上がらせているように思えます。

 

本書『JAGAE 織田信長伝奇行』の設定だけを見ると、歴史の背後に忍者がいたという考えは、コミックや映画だけではなく小説でもタイトルは覚えてはいませんが、すでにあった構成だと思えます。

特に、冒頭の加藤段蔵の「牛を呑む」幻術のエピソードなどは司馬遼太郎の『果心居士の幻術』という短編集の中の「飛び加藤」という作品で描かれています。

このエピソードに関して調べると「甲陽軍鑑末書結要本」という書物が種本のようで( ウィキペディア : 参照 )、その後もいろいろな物語やコミックでこの場面を見たと記憶しています。

 

 

でも、そうしたことは別に難点でも何でもなく、出来上がった物語がいかに面白いかどうか、だけが問題でしょう。

 

その観点からは、本書『JAGAE 織田信長伝奇行』は確かに夢枕獏ならではの視点があるようです。

例えば、藤吉郎は飛び加藤から信長の人物評として、信長は人を権威では見ずに機能として見る、と聞いています。だから、藤吉郎は信長の杖となれというのです。走る信長は転ぶから杖となれというのです。

こうした信長像自体は決して目新しいものとは思えませんが、それを飛び加藤の信長評として藤吉郎が信長に仕える一因となったとするのは面白い描き方だと思います。

また信長が使った「天下布武」という言葉や印判についての考察や、信長が行った伴天連と仏教僧との宗論の場面などは資料を駆使して描いてあり、読みごたえがあります。

 

このように、本書『JAGAE 織田信長伝奇行』では夢枕獏らしい表現が随所にありますが、特に飛び加藤が自身を評していった言葉は印象的でした。

飛び加藤は、自分にはとれぬ首はないが、人望がなく徳がないし、おれについてくる者はおらず、結局はおれの持っているものは技に過ぎない、というのです。

そうした飛び加藤と超合理主義者の信長との物語である本書『JAGAE 織田信長伝奇行』は、当初思っていた夢枕獏の物語とは違っていましたが、それなりの面白さはあったと思えます。

ヤマンタカ 大菩薩峠血風録

四年に一度開かれる御岳の社での奉納試合。「音無しの構え」で知られる剣客・机竜之助や甲源一刀流の師範・宇津木文之丞ら、実力者たちが御岳山に集う。土方歳三はこれに出場するため天然理心流に入門し、自分の強さを見極めようとする。真剣で生命を賭ける男たち。彼らは善も悪もない、ヤマンタカ(閻魔大王をも殺す最凶の菩薩)の世界を生きている―。死闘のゆくえは。そして、互いの因縁が明らかになったとき、彼らがたどる数奇な運命とは…。(「BOOK」データベースより)

本書は中里介山が書いた『大菩薩峠』という未完の大作を夢枕獏流に再構成した長編の剣豪小説です。

中里介山や『大菩薩峠』と言っても今の若い人は多分誰も知らないでしょうが、この物語は幕末を生きた架空の剣豪、机龍之介を主人公にした全二十巻(ちくま文庫版)の未完の大作です。

夢枕獏氏も途中まででやめたそうですが、私自信も二十歳代も終わりの頃に最初の一冊を読み終えずに終わっています。

本書はこの『大菩薩峠』を再構成した作品です。とは言っても、一巻目で描かれる御嶽神社の奉納試合までを再構成したもので、全くの夢枕獏の物語です。

それも後に新選組副長になる土方歳三を中心として、机龍之介と宇津木文之丞その他の人物を絡ませて、夢枕獏のエンターテインメント小説としてとして仕上がっています。




つまりは、『餓狼伝』や『獅子の門』の世界観で書き直された剣豪小説です。剣豪小説とは言っても 津本陽の『柳生兵庫助』(文春文庫版全八巻)や、海道龍一朗の『真剣』で描かれている、柳生兵庫助や上泉伊勢守信綱と言った剣豪蔵とは全く異なります。

柳生兵庫助や上泉伊勢守信綱を描いたこれらの作品は、「剣」の道を追求し、求道者として哲学的とも言えるほどに人間の内面までをも追及した物語です。

これに対し、夢枕獏の描く剣豪はそれらとは全く異なり、剣戟の場面などはまさに格闘技であり、即物的です。本書に餓狼伝の丹波文七やサイコダイバーの九門鳳介などが登場してきても違和感を感じないのではないかと思えるほどです。

勿論、机龍之介の有名な「音無しの構え」という秘剣の解釈にしても、夢枕獏独自の解釈を施し、机龍之介の立ち合いの場面にも生かしているなどの工夫があり、本書が時代小説として面白くないということではありません。夢枕獏の描く時代小説の世界がそのようなものだということだけであって、エンターテインメント物語としての面白さは十分に備えている小説です。

『大菩薩峠』では机龍之介は武州沢井村の沢井道場の若師範だそうで、つまりは近藤勇や土方歳三らの住む日野宿とも近くにあります。ということは、机龍之介と土方らは江戸で知り合う前に出会っていてもおかしくないということで、土方歳三らと絡ませたのだそうです。( 著者にインタビュー!: 参照 )

こうした解釈が本書の面白さを増幅させているのは当然のことで、他にも原作に登場している盗賊の七兵衛や色気担当のお浜、宇津木文之丞も登場し、奉納試合へと突き進みます。

夢枕獏の描く剣豪小説として、面白い作品でした。

神々の山嶺

カトマンドゥの裏街でカメラマン・深町は古いコダックを手に入れる。そのカメラはジョージ・マロリーがエヴェレスト初登頂に成功したかどうか、という登攀史上最大の謎を解く可能性を秘めていた。カメラの過去を追って、深町はその男と邂逅する。羽生丈二。伝説の孤高の単独登攀者。羽生がカトマンドゥで目指すものは?柴田錬三郎賞に輝いた山岳小説の新たなる古典。( 上巻 : 「BOOK」データベースより)

その男、羽生丈二。伝説の単独登攀者にして、死なせたパートナーへの罪障感に苦しむ男。羽生が目指しているのは、前人未到のエヴェレスト南西壁冬期無酸素単独登頂だった。生物の生存を許さぬ8000メートルを越える高所での吐息も凍る登攀が開始される。人はなぜ、山に攀るのか?永遠のテーマに、いま答えが提示される。柴田錬三郎賞に輝いた山岳小説の新たなる古典。( 下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

伝奇小説の第一人者である夢枕獏が描く、長編の山岳小説です。

 

本作品は実在の人物をモデルにした主人公羽生丈二の冬季単独登攀が描かれています。併せてジョージ・マロリーという登山家がエベレストに登頂したのか、という謎を絡めた話にもなっています。

 

この作者の筆力が真向に感じされる骨太の作品で、実に面白く、熱くなって読み終えました。

ただ、私にとって山の物語はやはり新田次郎です。この作品も新田次郎を越えるとまでは感じませんでした。

例えば、昭和の初めの頃「単独行の加藤」と呼ばれた実在の登山家である加藤文太郎という人をモデルとした『孤高の人』があります。
 

 
また実在の登山家芳野満彦臥モデルの『栄光の岩壁』や、今井通子、若山美子といった登山家をモデルにした『 銀嶺の人』などがあります。
 

 

 

そういう意味では笹本稜平の山岳小説は、『天空への回廊』などの冒険小説的な色合いが豊かな作品や、『春を背負って』などの爽やかな人間ドラマな作品もあり、また違った側面の山を描いてあって、面白い小説でした。

 

NHK版 陰陽師 [DVD]

2001年5月29日からNHKで放送された、夢枕獏原作のドラマをDVD化。SMAPの稲垣吾郎が扮する、“陰陽師”の中でも天才と謳われた安倍晴明が、平安京を舞台に“鬼”や“生霊”となった者達の魂を鎮めていく。第1話「玄象」第2話「這う鬼」の2話収録。(「キネマ旬報社」データベースより)

だい十話までの全五巻DVDです。

未見です。

陰陽師 2 [DVD]

『壬生義士伝』の滝田洋二郎が監督し、原作者である夢枕獏がシナリオ作りに当初から参加した「陰陽師」劇場版シリーズ第2作。アマテラスを天岩戸から誘い出す神話のエピソードをモチーフに、命が保証されない神の領域に陰陽師・安倍晴明が挑んでいく。(「キネマ旬報社」データベースより)

もともとのシリーズを好みでないためもあるのでしょうか、やはり今一つでした。

陰陽師 [DVD]

小説、コミック、テレビドラマで話題となり一大ブームを巻き起こした『陰陽師』の劇場版。平安時代に実在した陰陽師・^倍晴明が、妖怪の跋扈する闇の世界に挑む姿を描く。原作は「上弦の月を食べる獅子」で日本SF作家大賞を受賞している夢枕獏。(「キネマ旬報社」データベースより)

特撮も今一つの出来で、個人的にはあまり面白いと思った映画ではありませんでした。

ただ、野村萬斎の存在感だけはあったと思います。

陰陽師シリーズ

一時期ブームとなった「陰陽師」のきっかけとなった作品です。

個人的にはこの作者の作品の中ではランクは高くはありません。

同じ系統であれば、「闇狩り師」に軍配を上げます。しかし、一般的にはこちらの「陰陽師」シリーズの方が人気があるようなので取り上げました。

妖魔封じを稼業とする、仙道と中国拳法の使い手である九十九乱蔵を主人公とする伝奇小説で、『キマイラ・吼』シリーズに登場する九十九三蔵は乱蔵の実弟です。

 

 

本書は、闇にうごめく妖怪(あやかし)達と陰陽師安倍晴明との戦いの物語です。

ただ、戦いと言いきるには語弊があるようです。平安時代、日々の生活は闇と共にあり、その闇には妖怪が住まっていたのです。妖怪とは即ち人間の怨みや妬みであり、結局は人間そのものなのです。安倍晴明はそのような恨みを持つ妖怪、人間との対話を通して怨みを解き放つのです。

陰陽師シリーズ(2015年04月01日現在)

  1. 陰陽師
  2. 陰陽師 飛天ノ巻
  3. 陰陽師 付喪神ノ巻
  4. 陰陽師 生成り姫
  5. 陰陽師 鳳凰ノ巻
  6. 陰陽師 龍笛ノ巻
  7. 陰陽師 太極ノ巻
  8. 陰陽師 瀧夜叉姫(上)
  9. 陰陽師 瀧夜叉姫(下)
  1. 陰陽師 夜光杯ノ巻
  2. 陰陽師 天鼓ノ巻
  3. 陰陽師 醍醐ノ巻
  4. 陰陽師 酔月ノ巻
  5. 陰陽師 蒼猴ノ巻
  6. 陰陽師 螢火ノ巻

餓狼伝 the Bound Volume

格闘小説なんですが、この作品のように真正面から格闘技と取り組んだ作品はそれまであまり無かったのではないでしょうか。

主人公は丹波文七という空手を初めとする種々の格闘技を学んだ若者で、それに対し、空手家松尾象山、プロレスのグレート巽など現実の格闘家を彷彿とさせる人物が配置されています。他にも柔術や古武術などの使い手も登場する格闘技の一大イベント小説となっています。

武道に対する作者の強い思い入れが感じられる作品です。

エロスは全くなく、純粋に「誰が強いのか」という現実の世界での問いかけを小説の中で表現しようとしているのでしょう。

今では無くなったK-1やプライドが一世を風靡しましたが、それらよりずっと前にこの小説は書かれています。プライド等の格闘技に興味のない人には面白くはない物語かもしれません。でも、少しでもそれらの格闘技を面白いと思った人にはたまらない作品だと思います。