麦屋町昼下がり

不伝流の俊才剣士・片桐敬助は、藩中随一とうたわれる剣の遣い手・弓削新次郎と、奇しき宿命の糸にむすばれ対峙する。男の闘いの一部始終を緊密な構成、乾いた抒情で鮮烈に描き出す表題秀作の他、円熟期をむかえたこの作家の名品を三篇。時代小説の芳醇・多彩な味わいはこれに尽きる、と評された話題の本。(「BOOK」データベースより)

 


 

侍の生きざまを描いた四編の短編小説が収められた時代小説集です。

 

麦屋町昼下がり」 片桐敬助は抜き身の刀を持って追いかけていた男を斬り、追われていた女を助けた。しかし、その女は変人と名高い弓削新八郎の妻女であり、斬った男は新八郎の父親だというのだった。

三ノ丸広場下城どき」 無外流の遣い手であった粒来重兵衛は守屋市之進から頼まれた密使の護衛の仕事をしくじった。ただ、調べてみると守屋市之進は次席家老の臼井内蔵助とつながっていたのだった。

山姥橋夜五ツ」 塚本半之丞が腹を切った。遺書には先代藩主の死は謀殺によると書いてあった。一方柘植孫四郎の俊吾が道場で無用の争いをすると聞かされた。原因は孫四郎が妻の瑞江を離縁したことにありそうだった。

榎屋敷宵の春月」 夫である寺井織之助の執政入りを願う田鶴だったが、金銭に余裕のない寺井家は一歩遅れを取っていた。その帰り、家の前で斬り合いが行われていた。

 

本書は、藤沢作品の中でも評価の高い『三屋清左衛門残日録』と同じく1989年に出版された作品であり、先に本ブログでアップした1991年出版の『玄鳥』などと同様に円熟期の藤沢周平作品です。

 

 

また本書は藤沢周平の武家ものの舞台として高名な「海坂藩」を舞台とした作品だとされています。明記はされていないものの、登場する町の名前などからそう推測されているようです。

全部で四編という収録作品の数でもよくわかるように、短編というには少々長いともいえる作品群ですが、まったくその長さを感じさせないだけの魅力を持った作品集でもあります。

 

いくつかのブログには本書の構成の仕掛けを明かしてありました。

それは本書の「場所」と「時刻」というタイトルにあり、それも「昼下がり(正午)・下城どき(午後四時)・夜五ツ(午後八時)・宵(午後十時)」と進んでいるというものです。

言われてみればそうであって、丁寧に読み込んでいる人には当たり前のことかもしれませんが、私のように気付いていない人が多いのではないでしょうか。

 

「麦屋町昼下がり」は、剣の遣い手の片桐敬助が、更なる遣い手で奇人として通っている男との立ち合いのために研鑽を積み戦いに臨む、というまさにエンターテイメントの世界が展開されます。

それを藤沢周平の筆が描き出すのですから、面白くないわけがありません。

 

「三ノ丸広場下城どき」は、かつて剣名を馳せていたものの、自堕落な生活のために命じられた仕事を失敗した男が再起を図る話です。この話もまたエンタメ性に富んでいます。

この男、粒来重兵衛と、男やもめの重兵衛の家の手伝いに来ている重兵衛の遠縁の女の茂登との行く末もまた読者の関心をひきつけます。

 

「山姥橋夜五ツ」は、先代藩主の事件に絡んだ新たな出来事が起き、それが主人公柘植孫四郎の過去の不始末、妻の離縁などへと連なり、一気に解決する大団円の話になっています。

この物語でもまた塚本半之丞の自裁というメインの話の傍らで語られる、孫四郎と不義のうわさのために離縁された孫四郎の妻瑞江とのサブストーリーがこの物語に妙味を加えています。

 

「榎屋敷宵の春月」は、田鶴という女性が主人公です。

俗物である夫とは違い、田鶴は藩内の不正を見ないふりもできず、ましてや紛争に巻き込まれて落命した家人のためにも黙っていることもできません。

そのため、小太刀の腕を振るう田鶴は見事ですが、その後の夫との生活はどうなるのだろうか、と妙にそちらの方が気になりました。

 

どの作品も軽いユーモアを含んでおり、初期の藤沢周平の作品からは考えられない変化だと言えます。

しかしながら、情感あふれる自然描写は相変わらずに、いえ以前以上に魅せる描写になっています。

剣戟の場面に至っては、立ち合いの一挙手一投足が丁寧に描写され、剣の軌跡が簡単に思い受け部ることができるほどです。

 

どの作品もエンターテイメント作品としての面白さを十分に備えています。

先述したように、さすがに藤沢周平の円熟期に書かれた作品群であり、文章も、もちろんストーリーも読みごたえ十分の一冊でした。

玄鳥

無外流の剣士として高名だった亡父から秘伝を受けついだ路は、上意討ちに失敗して周囲から「役立たず」と嘲笑され、左遷された曾根兵六にその秘伝を教えようとする。武家の娘の淡い恋心をかえらぬ燕に託して描いた表題作をはじめ、身の不運をかこつ下級武士の心を見事にとらえた「浦島」など珠玉の五篇を収録。

 


 

藤沢周平という作家の油の乗り切った時期に書かれた、さまざまな侍の生きざまを描いた短編小説を集めた時代小説集です。

 

玄鳥」 曾根兵六は路の父親の秘蔵弟子であり非凡な剣才を示していたが、悲惨な滑稽さというべき粗忽ものだった。その兵六が上意討ちの旅に出て、一人は落命し一人は深手を負ったものの、兵六自身は無傷で帰ってきたのだった。

三月の鮠」 窪井信次郎は、父親である窪井外記の政敵である岩上勘左衛門の息子との立ち合いに敗れて以来、卑屈な毎日を送っていた。そうした折に出先で会ったのが巫女の葉津という娘だった。

闇討ち」 清成権兵衛は家老の迫間甚之助を闇討ちしようとして失敗し、殺されてしまう。権兵衛と同じ隠居で飲み仲間の興津三左衛門と植田与十郎は、失敗した時には骨を拾ってくれとの権兵衛の頼みを聞き入れ、この闇討ちの真相を探るのだった。

鷦鷯」 普請組の横山新左衛門は、小頭の畑谷甚太夫が狂い妻を殺害し家に立て籠もったところに、討手として現れたのが石塚孫四郎であることに気付いた。孫四郎は、新左衛門の娘の品を嫁に貰いたいと言ってきた金貸しの石塚平助の息子であった。

浦島」 御手洗孫六は、酒の上での失敗のために普請組に落とされたもののその身を楽しみ暮らしていた。ところがある日その失敗の嫌疑が晴れたとのお達しがあり、元の勘定方へと戻ることとなった。

 

本書を読んで、あらためて藤沢周平という作家の凄みを感じました。

全体として、初期の作品にみられる哀しさ、暗さはほとんど見られず、人生の哀しさはあってもそこにはユーモアに包まれた文章のせいもあって、決して暗くはない未来の姿があります。

 

「玄鳥」は、おかしみと哀しさが同居する侍と、謹厳な夫に仕える路という女性との、ユーモアの中にも緊張感をたたえたやり取りが描かれています。

取り壊されるツバメの巣に示される路の過去への決別など、読み手の心に迫る好編です。

藤沢周平という作家について解説の中野孝次氏は、情理を尽くして描かれている北国の自然や人々の哀歓故ではなく、「人間の心の動きの急所を鮮やかにとらえてい」るからこそ読み手の心をとらえると書いておられます。

この点は「三月の鮠」のラストシーンも同様で、「同じようにして読む者の胸に哀切の想いをよび起さずにおかない。」と書かれています。

「闇討ち」については、既に隠居の身である三人が、いかにかつては大迫道場の三羽烏と呼ばれていたとしても、再び剣を取って戦えるものか、若干の疑問はあります。

しかし、それでもなお年寄りが活躍する物語は気持ちのいいものだし、その姿を軽いユーモアを絡めて見せる藤沢周平の文章が見事です。

「鷦鷯」もユーモアに包まれながら小気味いいテンポで進む読みやすい物語です。

話自体はよくあるパターンと言えるかもしれませんが、実直な新左衛門の描き方が、藤沢周平という作家の筆のうまさで生き生きとしています。

「浦島」は、剣の腕は立つものの、酒が入ると他のものは見えなくなってしまう欠点のある侍の、しかし傍から見ればどうしようもない男の哀歌をユーモラスに描いた一編。

 

本書『玄鳥』は1991年に出版されています。

1973年に出版され、第69回直木賞を受賞した『暗殺の年輪』に収められているデビュー作の「溟い海」の発表が1971年です。

 

 

そして、名作『たそがれ清兵衛』が1988年、『三屋清左衛門残日録』が1989年ですから、1991年に出版された本書『玄鳥』は脂の乗り切った時期の作品だと言えます。

 

 

そうしてみると、第一話目の「玄鳥」に見る、曽根兵六に口伝を終えた路がいて、夫の言葉に従い燕の巣を取り壊すことの意味を自覚する路の描写の素晴らしさなどは当然だと言うべきなのでしょうか。

 

ともあれ、初期の救いがなく哀切感漂う作風から、ユーモアを交えた情感漂う作風へと変化した藤沢周平という作家の世界を味わうには最適の本の一冊というべきだと思います。

暁のひかり

壷振りの市蔵は、賭場の帰り、大川端で竹を杖に歩く稽古をする足の悪い少女に出会う。ひたむきな姿に、ふとかたぎの暮らしをとりもどしたいと思う市蔵だが、所詮、叶わぬ願いだった―。江戸の市井を舞台に、小さな願いに夢を見ながら、現実に破れていく男女の哀切な姿を描く初期の傑作短篇6篇を収録。

 


 

藤沢周平デビューから三年後の1976に出版された短編集であり、『暗殺の年輪』同様の藤沢周平という作家の初期の短編作品集です。

 

 

暁のひかり」 病で歩けない身でありながら必死に歩く練習をしようとする少女と知り合った壺振り師の市蔵だった。しかし市蔵はその少女の危険に祭司、自分の真の姿を見せてしまうのです。

馬五郎焼身」 娘を女房が目を離したすきの事故で失い、ほおずき長屋の嫌われ者となるほどにすさんでいた馬五郎の物語。

おふく」 女衒に売られていった幼馴染みのおふくを探していた造酒蔵は、木場の宗左の子分になり、恐喝の手伝いをする中、おなみという女と出会う。

穴熊」 惚れていた娘を探していた浅次郎は、隠れ淫売の操り主の赤六からその娘に似ていると紹介された女が気になり、その女のため、女の夫の侍にとある仕事を断つだわせることにした。

しぶとい連中」 身投げをしようといていた親子を助けた熊蔵は、その親子をひと晩泊めることになってしまい、さらに居ついてしまうのだった。

冬の潮」 事故で突然死んでしまった息子の芳太郎の嫁のおぬいを実家に戻すことにした市兵衛は、百両という金を持たせた。だが、その後、おぬいは水茶屋に出ているという話を聞くのだった。

 

暗殺の年輪』同様に救いの無い作品集だと言えますが、その一方『暗殺の年輪』ほどに暗くはない感じもします。

物語としては「しぶとい連中」を除いては哀しみに満ちた作品ばかりです。

自分の純な想いを伝えようとするも、その思いは伝わらず意図しない路へと踏み出すことになったり、思いとは異なる結果を招いたりした人たちの哀切漂う物語です。

そんな中で、「しぶとい連中」はこの頃の藤井沢作品にしては珍しく、ユーモアあふれた作品となっています。

こうした点が『暗殺の年輪』とは異なると言えるところでしょう。

暗殺の年輪

海坂藩士・葛西馨之介は周囲が向ける愍笑の眼をある時期から感じていた。18年前の父の横死と関係があるらしい。久しぶりに同門の貝沼金吾に誘われ屋敷へ行くと、待っていた藩重役から、中老暗殺を引き受けろと言われる―武士の非情な掟の世界を、端正な文体と緻密な構成で描いた直木賞受賞作と他4篇。

 

 

藤沢周平の初期の作品を集めた短編集で、「暗殺の年輪」は第69回直木賞を受賞しています。

 

本書末尾掲載の駒田信二氏の解説によれば、本書掲載の各作品は藤沢周平の文壇登場からの二年の間に書かれた作品が集められているそうです。

そして、本書掲載の各作品の受賞歴を見ると、1971年発表の「冥い海」が藤沢周平の文壇デビュー作であり、オール讀物新人賞を受賞するとともに1971年(昭和46年)上半期の直木賞候補作となっています。

さらに、「囮」が同年下半期の、また「黒い蠅」が翌1972年(昭和47年)下半期のそれぞれの直木賞候補作となっています。

そして、1973年(昭和48年)に「暗殺の年輪」で直木賞を受賞するに至っているのです。

 

この人の作品は、特に初期の作品は本当に救いがないとしか言えません。物語は哀しみに満ちています。

本書はまさにそうした救いのない、哀切に満ちた作品ばかりが収められています。

歳をとってからの再読時には本書の凄みともいえる人間の描き方に惹かれた私ですが、最初にこの作者の作品に接したときには、その良さを感じ取れなかったものです。

その一番の理由はやはりその救いの無さの故でしょう。

 

人を殺して江戸にはいない筈の幼馴染の宗次郎に出会い、惹かれてしまう出戻りのおしのの姿を描く「黒い蠅」。

父の死に関係があるらしいまわりの冷たい目にさらされる葛西馨之助を描く「暗殺の年輪」。

好々爺然としている義父刈谷範兵衛の一番の理解者である嫁の美緒を描く「ただ一撃」。

広重の才能を目の当たりにした北斎の姿を描く「溟い海」。

下っぴきとしておふみという女の見張りをしていた彫り師の甲吉を描く「囮」。

 

どの物語も読後はやるせなさが漂いますが、年齢を経るにしたがって藤沢周平という作家の文章や物語の作り方のうまさの方に惹かれるようになったようです。

本書で描かれているやるせなさも、歳を取った今でも痛切に感じるものではあります。

しかし、そこに登場する人々の弱さやちょっとした躓きなどを通して描かれている、人間の営みの哀しみを直視できるようになったということでしょう。

 

視点を変えると、藤沢周平という作家について必ず言われる情景描写のうまさが、藤沢周平のデビュー当初から伺えることに驚かされます。

情景描写のうまさは登場人物の心象描写の一部ともなるものである以上、人間の描き方のうまさにも結び付くものであり、そこに惹かれるのです。

 

ただ、物語に救いがありません。藤沢作品に初めて触れる人に勧めるべき作品とは言えないと思います。

そうした人には赤穂義士の物語を絡めた用心棒ものである『用心棒日月抄』などはいいかもしれません。

 

 

その後の藤沢作品は、将来を見据えた救いであるとか、人生の機微に触れるような話の中に見える軽いユーモアなど、作品の幅、奥行きの深さが広まっているのはあらためて言うまでもありません。

とはいえ、本書の救いのない暗さもやはり藤沢作品なのです。

本所しぐれ町物語

浮気に腹を立てて実家に帰ってしまった女房を連れ戻そうと思いながら、また別の女に走ってしまう小間物屋。大酒飲みの父親の借金を、身売りして返済しようとする10歳の娘。女房としっくりいかず、はかない望みを抱いて20年ぶりに元の恋人に会うが、幻滅だけを感じてしまう油屋。一見平穏に暮らす人々の心に、起こっては消える小さな波紋、微妙な気持ちの揺れをしみじみ描く連作長編。

 


 

本書は1987に出版された、江戸にあるという架空の町“しぐれ町”に生きる人々の暮らしを個別に描いた連作長編ともいうべき時代小説です。

 

「しぐれ町」に生きる人の暮らしとはいっても、大半の物語は個別の主人公と、主人公がのめり込んだ女との話がテーマになっています。

例えば、「猫」から「おしまいの猫」までの猫と題された四編では、主人公の栄之助と、女房のおりつと、他の男の妾であるおもんという女との姿が描かれています。

同様に、「朧夜」では隠居の佐兵衛と一杯飲み屋の福助の女中のおとき、「春の雲」では千吉おつぎ、「乳房」では信助とその女房のおさよ、と男と女の哀歌が描かれているのです。

 

そして、そうした話は大家である清兵衛と書き役の万平という町役人を狂言回しとしながら、町内の片隅で繰り広げられる人間模様として描き出されていきます。

つまりは一つの町内の出来事を記している物語ですから、同じ人物が本書のいくつもの話に登場するということもあります。

その時々に焦点が当てられている人物が異なるだけ、という何とも楽しい構成です。

 

このような町役人を通して町内の人々の暮らしを描き出す形式の作品としては、 辻堂魁の『花川戸町自身番日記シリーズ』があります。

この作品は、大川にかかる吾妻橋の西詰めにある浅草広小路、その北側にある花川戸町を舞台にした人情物語集です。

この花川戸町の北側にある人情小路の辻に自身番があり、その自身番に詰めている書役である可一を狂言回しとしています。

この『花川戸町自身番日記シリーズ』は、本稿を描いている時点(2020年4月)で『神の子 』と『女房を娶らば 』との二冊しか書かれていませんが、本書『本所しぐれ町物語』に比べるとより通俗的であり、文学的な意味合いにおいては劣るのかもしれませんが、個人的には本書同様に魅せられた作品でした。

 

 

ともあれ本書『本所しぐれ町物語』は藤沢周平の物語の特徴の一つとしての哀愁を帯びた作品集ともなっています。

女におぼれ、その快楽から抜けることができない弱さを抱えた男の姿など、救いを見出せない物語は初期の藤沢作品の特徴の一つでもあると思うのですが、本書もまたその例に漏れないようです。

 

ただ、本書は初期作品の持つ哀しみと比べるとどことなくその程度は少ないとも感じます。

最後の話である「秋色しぐれ町」では救いが描かれている点などは、初期作品にはない傾向ではないでしょうか。

 

この点に関しては、文庫版の最後に「藤沢文学の原風景」と題された藤田昌司氏との対談の中で、なるべくあくどい人間を見たくないと、思うようになった、年齢的なものが反映されている、と著者自身の言葉として書かれていました。

情景描写の上手さはデビュー作である『暗殺の年輪』から見られるものであり、本書でも人物の心象風景を示すという意味での自然描写のうまさはあらためて言うまでもありません。

個人的な好みからすると、この“救い”という点で、初期作品よりは後期の作品の方がより感情移入しやすく、共感を覚えると言えます。

 

ともあれ、本書『本所しぐれ町物語』も藤沢作品としての魅力が満載の作品ということができ、さすがという他ないのです。

人間の檻 獄医立花登手控え(四)

死病に憑かれた下駄職人の彦蔵が「三十年前に子供をさらった」と告白する。その時子供を二人殺したという相棒によく似た男を、登は牢で知っていた。彦蔵の死後、おちえから最近起きた“子供さらい”の顛末を聞いた登は、ある行動に出る―。医師としての理想を模索しつつ、難事に挑む登の姿が胸を打つ完結篇。(「BOOK」データベースより)

 

獄医立花登手控えシリーズの第四巻(完結編)です。

 

このシリーズは獄医の立花登を探偵役とする捕物帳です。各短編で、囚人からの頼まれごとをこなす中から、また囚人からもたらされた言葉から、その言葉や囚人の関わった事件の裏に隠された真実を探り出していきます。

その過程で語られる個々人の暮らしから紡がれる家族の愛情や、想い人に対する恋情などはこの藤沢周平という作者の文章で示されるとき、人々の心情に潜む情感の豊かさが浮かび上がってきます。

このシリーズも本巻を持って終わりますが、上記の印象は感を重ねるごとに強くなってくるようです。

本書では、のいとこであるおちえとの仲もより深まります。口うるさい叔母も心なしか優しくなり、飲んだくれの叔父も医者としての真の姿を垣間見せる場面もより多いようです。

 

以下、各話のあらすじです。

戻ってきた罪
昔、人を殺したことがあると話し出したのは、死病で先が長くない彦蔵という男だった。手を下したのは相棒の磯六という男だというのだが、身代金目的で二人の子供を攫い、殺したらしい。ところが、彦蔵から聞いたその男は登の知った男と一致する。そこで直蔵に相談する登だった。

見張り
ある日作次という囚人が、押し込みの話をしている奴がいたと話してきた。そこに叔父の患者でもある酉蔵の名前が出てきて無視もできない登だった。酉蔵に話を聞くが何も知らない様子のため、蔵吉が儲け話を持ってきても乗らないように言うしかなかった。後日、作次が殺された。

待ち伏せ
たて続けに殺された三人の男のつながりは東の大牢にいたことらしい。次に牢を出る馬六は隣町に住む男で顔見知りだったが、その馬六が牢を出ですぐに襲われた。幸い軽いけがで済んだ馬六は、娘の嫁ぎ先の多田屋に移ることになる。しかし、その多田屋で馬六が見たものは・・・。

家に帰ったを待っていたのは叔父が倒れたというものでした、幸いに軽くてすんだようです。その父親の姿を見て登にすがってくるおちえの様子があります。あの口うるさい叔母は、以前ほどではないにしろ、やはり何かと用事はいいつけてくるのです。

影の男
甚助は無実だと言ってきたのはもうすぐ牢を出る喜八という男だった。甚助は奉公先の松葉屋から百両の金を盗んだという。その頃喜八は、寝物語に今回の入牢について話していた。そもそも甚助は無実なのか、無実だとすると犯人は誰か。松葉屋に百両の金があることを知っていたのは旦那とおかみ、それに番頭と手代の甚助房吉だけだという。そのうちに房吉が殺された。

女の部屋
畳表問屋槌屋彦三郎が、同業の大黒屋の奥座敷で大黒屋の手代新助に殺された。新助はおかみのおむらに付き添われて自首し、遠島と決まった。大黒屋の主人が病床にあり、商用で訪れた槌屋おむらを手籠めにしようとしたところに新助が来て、思わず殺してしまったものだった。

どうやら叔父夫婦はどうやら登をおちえの婿にして跡つぎにする気持ちを固めたらしい。大坂にいる叔父の友達のところへ蘭法の勉強に行くか聞いてきます。叔父の医者としての態度に医の本来の姿を見る登です。

この「女の部屋」という話に関しては「女の部屋の謎」と題して、出久根達郎氏が解説されています。「女の部屋」というタイトルに込められた作者の意図を推測されているのです。この一文は、小説の読み方の教授でもあり、藤沢作品の文章のうまさの解説でもあります。

別れゆく季節
明日牢を出るという兼吉という囚人が登に告げたのは、自分は黒雲の銀次の縁に繋がるもので、牢を出たら伊勢蔵を密告したおあきという女も狙うということだった。藤吉に相談に行った帰り、三人の賊に襲われる登だった。

黒雲の銀次は第三巻の「奈落のおあき」に登場してきた盗人で死罪になっています。また伊勢蔵はその当時おあきの情夫だった男でそのとき捕まっています。

助け出されたおあきの「若先生、これでお別れね。」という言葉、「またたきもしない眼が登を見つめた。」という描写。青春時代への決別の言葉であり、シリーズをまとめる言葉でもあります。

また、明後日が旅立ちという日のおちえとの会話は、二人の行く末を示す姿でもありました。

愛憎の檻 獄医立花登手控え(三)

娘の病を治したお礼にと、登に未解決事件の情報を教えてくれた男が牢の中で殺された。大胆な殺しの後、ゆうゆうと出牢した犯人を追い、登は江戸の町を駆ける―。家では肩身の狭い居候だが、悪事には敢然と立ち向かう若き牢医師・立花登が、得意の柔術と推理で事件を解き明かす。大人気時代連作第三弾。(「BOOK」データベースより)

 

獄医立花登手控えシリーズの第三巻です。

 

が江戸に出てきた頃は、おあきらと共に遊び回っていたおちえでしたが、第一巻の最終話「牢破り」で、立花登を利用するために、当時の遊び相手だった新助とその職人の仲間に攫われた経験などから次第に大人しく、娘らしくなっていくおちえでした。

前巻でも次第にに優しくなっていくおちえの様子が描かれていたのですが、本巻ではさらにと共にいることに嬉しさを感じるようになっています。

にしても自分の将来を考えるとき、おちえと共にいることを考えるようになているのでした。

いつもの通りに牢内の囚人に絡んだ事件を解決しながらも、自分自身、医者としてもこのままでいいものなのか考えるです。

 

以下、各話のあらすじです。

秋風の女
は、女牢の牢名主のおよねから、下男の佐七が新入りのおきぬという女にいいように使われている話を聞いた。下男の万平から言い聞かせるが、佐七は、あの人はかわいそうな女で夫婦約束もしているといって聞く耳を持たない。
ある日、おきぬと話し込んだあとで家に帰る佐七つけると、背の高い男と現れた佐七が殺されそうになるのだった。

これまでは、田舎者の青年が色々な側面を持つ女の不可思議さに翻弄される姿もありましたが、さすがにこの頃のは女心の不思議さをそのままに受けれているようです。

白い骨
ケチなかっぱらいの辰平は独り身の自由さを語っていたが、実は自分には嬶ァも子供もいると言いだした。辰平から聞いた住まいに行ってみると、そこには辰平の女房がいて、牢を出た辰平を引き取るというのだった。しかし、辰平の牢仲間だった男から、その辰平が牢を出てしばらくして殺されたという話を聞くのだった。

の柔術の腕の冴えはこれまでも本シリーズの特徴としてしばしばその腕前が描かれてきましたが、この話ではいくらが達人だとは言え、無謀に過ぎる気がしないでもありません。ただ、それが若さというものでしょうか。

みな殺し
芳平という囚人が死んだ。本当は不審死であったものを役人たちの手前自然死だとして処理をする。ところが、突然、岡っ引きの藤吉が登のもとを訪れ、芳平は本当に自然死だったのかと聞いてきた。この頃変死人が続いていたが、むささびの七という男に殺されたというのだ。

まさに捕物帳としての話でした。ひとりの囚人の死から、第二巻の「押し込み」でわたり合ったも出てきた極悪な盗人へとたどり着く様子が描かれています。

片割れ
その日、叔父の家に一人でいるのもとへ刀による怪我の治療にやってきた男は稀にみる悪相の持主だった。数日後、押し込みに入り怪我をした蓑吉という盗人が奉行所から送られてきた。話を聞くと、例の悪相の男の怪我が蓑吉の仲間と符合する。蓑吉に悪相の男についてカマをかけると蓑吉の首を絞めようとするのだった。

悪相の男の治療を手伝ってもらったおちえの身を案じる登です。

奈落のおあき
しばらくぶりに会ったおあきは化粧が濃く、あくどいと言っていいほどだった。牢にいる伊勢蔵という男に用があるというのだ。その伊勢蔵は日雇いだというのだが、まったく日焼けをしていないのだ。
その牢にいた嘉吉が、が蓑吉の子供の治療をしたお礼にと、黒雲の銀次という盗人の情報をしらせようとして殺されてしまう。

おちえの遊び仲間だったおあきが年頃になり、ワルの女となっています。盗人の情婦から人殺しの情婦へと落ちていったおあきのすすり泣きが、二度を這い上がれない奈落の底から聞こえてくる嘆きの声のように聞こえるのでした。

影法師
囲われ者だった母親の旦那の加賀屋伝助を刺して牢に入っていたおちせは、杉蔵という職人の想いを受けとめることができずにいた。加賀屋が母親を殺したと思っているおちせは、牢に入った身の自分は杉蔵のもとへは行けないというのだ。しかし、その杉蔵はおちせの放免の日に迎えに来ていなかった。

風雪の檻 獄医立花登手控え(二)

「娘と孫をさがしてくれねえか」半年以上も牢に入り、今は重い病におかされる老人に頼まれ、登が長屋を訪ねてみると、そこには薄気味悪い男の影が―。一方、柔術仲間の新谷弥助が姿を消し盛り場をさまよっているという噂に、登は半信半疑で行方を追う。青年獄医が数々の難事件に挑む傑作連作集第二弾。(「BOOK」データベースより)

 

獄医立花登手控えシリーズの第二巻です。

 

本巻では、五編の連作短編が収められていて、全体を貫く出来事として、主人公の立花登の柔術仲間の新谷弥助が悪所に染まり、家にも帰らない事態になっているのを、新谷を普通の生活に連れ戻そうと奮闘する姿が描かれています。

また、いとこのおちえとの関係が、次第に風向きが変わって良くなっていく様子も示されています。

各話は、前巻と同様に牢内の囚人の話をきっかけに、隠された事実を暴きだすという流れですすみます。らの柔術での立ち合いの場面も勿論用意してあり、痛快さがあるのも同じです。

 

本書「処刑の日」では、江戸の町を、うすい霧がつつんでいる。もう日がのぼっているのに、霧は執拗に地表からはなれず、そのために町は不透明な明るみに満たされていた。と始まります。こうした情景描写のうまさはこの人の右に出るものはいないと、あらためて思わされます。

 

以下、各話のあらすじです。

老賊
新谷弥助が道場に出てこず、奥野研次郎らも心配する日が続いていた。一方、東の二間牢にいる具合の悪い捨蔵という老人が、娘と孫を探して欲しいというのだった。ところが、捨蔵が溜りに移った後、牢名主の長右衛門が、捨蔵守宮の助(やもりのすけ)という新入りとこそこそと話をしていたと知らせてきた。

幻の女
は、新谷を見かけたというおちえから、新谷と一緒にいた女は飲み屋の女だと聞かされる。
東の大牢にいる巳之吉は、自分が十八のときに少しだけ遊んだおこまという十五の娘について嬉しそうに話し始めるのだった。しかし、そのおこまは思いもかけない女になっていた。

歳月の経過は男も女もそれなりに変化するものであり、それでもなお、心の奥底には幼い頃の純な気持ちがなお生きているものだと、もの悲しさとあたたかさとを共に感じさせてくれる好編でした。

押し込み
は、前巻の「落葉降る」で登場してきたおしんの店で、囚人と似た雰囲気の三人の男を見かける。その三人は、足袋屋川庄への押し込みの相談をしているのだった。ところが、牢の中にいた金平から、おしんの店で見かけたという登に、仲間の源治と保次郎に「じゃまが入った。やめろ。」と伝えて欲しいと言ってきた。

化粧する女
新谷弥助の遊び仲間である御留守番与力の村谷徳之助から、新谷はその小舟屋のおかみにたぶらかされているようだと聞かされる。
奉行所吟味方与力の高瀬甚左衛門房五郎という畳職人だったという囚人に加えている牢問いは定法を踏んだものではなかった。高瀬与力のあまりの仕打ちに房五郎をつかまえた百助という岡っ引きに捕縛の事情を聞く登だった。

一途な女の姿を描いたかと思うと、二面性を持つ女、不可思議な女心をもまた描きだしてあります。男と女の姿も醜くいと思いながら、またおしんの顔でもみようかと思う、それほどに心の落ちつく女としてのおしんでもあるようです。

処刑の日
大津屋の主人の助右衛門は妾のおつまを殺しで死罪の言い渡しが来るのを待つだけだった。しかし、大津屋のおかみと手代の新七とが出合茶屋から出てくるのを見たというおちえの言葉から、事件の裏を探り出す登だった。
一方、新谷のことを藤吉に相談し、相手の悪辣さを聞いたは、連中が押し掛けそうな店に待ち伏せして新谷を連れ帰ることとするのだった。

大津屋への死罪の言い渡しを阻止しようとするの面目躍如という話です。また、新谷を連れ戻す痛快な場面も用意されています。

春秋の檻 獄医立花登手控え(一)

医者になる夢を叶えるべく江戸に出た登を迎えたのは、はやらない町医者の叔父と口うるさい叔母、驕慢な娘ちえ。居候としてこき使われながらも、叔父の代診や小伝馬町の牢医者の仕事を黙々とこなしている。ある時、島流しの船を待つ囚人に思わぬ頼まれごとをするが―。若き青年医師の成長を描く傑作連作集。(「BOOK」データベースより)

獄医立花登手控えシリーズの第一巻です。

十九歳で江戸に出てきてもう三年。二十二歳になった獄医立花登の、小伝馬町の牢に入っている科人との話を通して見えてくる人間模様を描き出す、捕物帳であり、青春期でもあります。

叔父の家に厄介になりながら、金に吝い叔母のもとで、遊びに明け暮れるいとこのおちえに振り回されながらも、牢医として成長しているです。

全編を通しておちえが少しずつ顔を見せていて、最後におちえの絡んだ話で本書は終わります。多分この先も登の周りにはおちえが貌を見せることになるのでしょう。

一方、が幼いころから鍛錬している柔術は鴨井道場で免許取りの腕であり、三羽烏とも呼ばれるほどになっています。

この柔術の腕をもって科人の頼みを引き受けるなかでまきこまれる様々な暴力から身を守りつつ、通常の痛快小説で見られる剣戟の場面の代わりに柔術での立ち合いの姿がふんだんに描かれています。

以下、各話のあらすじです。

雨上がり
牢内に病人が出たが、その病人の勝蔵は、伊四郎という男から十両の金を貰い、おみつという女に渡して欲しいと頼んできた。しかし、受け取った金を渡しに行った先にいたのは、伊四郎と共にいた女だった。

善人長屋
自分ははめられたという吉兵衛という男の言葉を真に受け、通称善人長屋で吉兵衛の盲目の娘おみよに会いに行くだった。長屋の人達によくしてもらっているおみよの様子を知るが、藤吉の手下の直蔵に調べてもらうと、善人長屋の連中の裏の顔が見えてくるのだった。

女牢
は朝の見回りで見知った女が入牢しているのに気付いた。おしのというその女は亭主の時次郎を刺し殺し、死罪と決まっているらしい。時次郎の知り合いの参吉という男から、金貸しもやっている能登屋政右衛門の話を聞きこむのだった。

「胸が晴れたわけではなかった。胸の底に、いま照りわたっている月の光のように、澄明なかなしみが残っていた。」という一文で終わるこの話は、の、若者らしい行いと、哀愁が漂う一編です。

返り花
幸伯老人が帰り際に、揚り屋に入っている御家人の小沼庄五郎に届けられた食べ物に毒が盛られていたらしいという。その後、その事実に気付いた下男の甚助という男が小沼家をゆすりに行ったらしい。直蔵に調べてもらうと、小沼の妻女と井崎という侍とが密会していることに気づくのだった。

「狂い咲きの花が、四、五輪ひらいている。不可解な女心に似ている。」との文章は、女心の不可思議を感じるの心象を示しています。

風の道
三十半ばの傘張り職人の鶴吉は、度重なる牢問い(拷問)にも必死で耐えていた。喋れば殺されると言う鶴吉は、女房に今の住まいから逃げろと伝えるように頼まれるのだった。しかし、女房は鶴吉が帰ってくる場所が無くなると困るからと、逃げることを拒むのだった。

藤沢作品の物語としては珍しくあまり余韻の残らない話だった

落葉降る
平助という名の近所に住む男が牢に入っていた。手癖が悪くちょいちょい牢に入っている五十男で、清吉という錺職人との祝言が待っているおしんという娘がいた。鋳かけ屋をしながら手癖が悪く世間を狭くしていた平助だったが、おしんの出来がよく、近所の者もなにかと気を使ってくれるようになっていた。

牢破り
を待ち構えていた男たちから、おちえを預かっているから東の大牢にいる金蔵という男に渡してくれと小さな鉄(かね)の鋸を渡された。

獄医立花登手控えシリーズ

 

本シリーズは文庫本で全四巻になるシリーズ作品です。上記イメージリンクは2017年3月に刊行された文春文庫版を掲載していますが、講談社版の文庫版も2002年12月に新装版として出版されています。

講談社版の新装版は、一巻が佐藤雅美氏、二巻が宇江佐真理氏、四巻が出久根達郎氏という著名作家が解説を担当されていて、三巻だけは1982年にNHKで放映された本シリーズの主演を務めた俳優の中井貴一氏のインタビューが掲載されています。

新装版になる前はまた他の方が解説をされているようです。

 

 

主人公は、羽後亀沢藩の上池館という医学所で医学を修め、母の弟の小牧玄庵を頼り、三年前に江戸に出てきた二十二歳の若者です。

 

叔父の家は場末のようにうらさびれた町の中にあり、だだっ広いだけで古びた家でした。そこに無口で酒好きで怠け者の叔父、叔父を尻に敷いている叔母、母親に似て美貌だが驕慢な娘が住んでいたのです。

叔母にうちは居候をおくゆとりはありませんよと、釘を刺されていた登は、江戸へ来た翌日から叔父の代診や、家の中の掃除もやっていました。

叔父の玄庵ははやらない医者であり、家計と酒代をおぎなうために、小伝馬町の牢医者をかけ持ちしていましたが、それも登が変わって勤めるようになります。

江戸にいさえすれば新しい医学を学ぶ機会にも恵まれるかもしれないと思っていた登ですが、気づけば三年の月日が経っていました。

子供のころからやっていた柔術も鬱屈をはらすこともあって、鴨井道場で師範代をしている登よりも三つ四つ年上の奥野研治郎や、同年の新谷弥助とともに磨きをかけ、免許取りにまですすんでいたのです。

 

叔父の代わりに牢屋敷の医者として勤める登は、牢内の様々な科人と触れ合う中で人間的にも成長していく登の姿が描かれています。

本書は連作の短編の形をとっていて、それぞれの話の中で牢内の科人の話にまつわる事件を捕物帳的に解決していくのです。

 

本シリーズは『小説現代』の1979年1月号から1983年2月号まで連載されたもので、藤沢周平の円熟期に入る時期に書かれたものだそうです。

藤沢周平の文章のうまさは改めて言うまでも無いことですが、時代考証の緻密さを挙げておられるのは第一巻の解説を担当されている佐藤雅美氏です。

例えば、本文中にある「小伝馬町の牢には、本道(内科)二人、外科一人の医者が詰め」ていると、さらりと書いてありますが、この点を「牢に関する記録らしい記録は残っていないから、たぶん作り話だ。」とされ、「将来、事実が掘り起こされることがないと確信されておられる」まで資料を読みこんであられるのだろうと書かれています。

こうした個所は四冊の本シリーズ中に山ほどあり、それがいかにも自然であって、情感豊かな描写の中にちりばめられていいるのです。

捕物帳としても、また人間ドラマとしても、読み応え十分なシリーズです。

 

ちなみに、2018年11月9日からNHKのBS時代劇で溝端淳平の主演で『立花登青春手控え3』が始まります。

詳しくは、立花登青春手控え3 | NHK BS時代劇 を参照してください。

 

時代小説での医者の話としては、 司馬遼太郎の『赤ひげ診療譚』があります。小石川養生所の“赤ひげ”と呼ばれる医師と、そのもとで修行する医員見習いの保本登との人間ドラマとしてあまりにも有名です。

この作品は、1965年(昭和40年)に黒澤明監督、三船敏郎主演で『赤ひげ』というタイトルで映画化されています。そういえば、青年医師を加山雄三が演じていました。

 

 

また、たびたび舞台化、テレビドラマ化されていますが、最近では2017年に NHKのBSプレミアムで船越英一郎の主演で放映されました。