人間の檻 獄医立花登手控え(四)

死病に憑かれた下駄職人の彦蔵が「三十年前に子供をさらった」と告白する。その時子供を二人殺したという相棒によく似た男を、登は牢で知っていた。彦蔵の死後、おちえから最近起きた“子供さらい”の顛末を聞いた登は、ある行動に出る―。医師としての理想を模索しつつ、難事に挑む登の姿が胸を打つ完結篇。(「BOOK」データベースより)

 

獄医立花登手控えシリーズの第四巻(完結編)です。

 

このシリーズは獄医の立花登を探偵役とする捕物帳です。各短編で、囚人からの頼まれごとをこなす中から、また囚人からもたらされた言葉から、その言葉や囚人の関わった事件の裏に隠された真実を探り出していきます。

その過程で語られる個々人の暮らしから紡がれる家族の愛情や、想い人に対する恋情などはこの藤沢周平という作者の文章で示されるとき、人々の心情に潜む情感の豊かさが浮かび上がってきます。

このシリーズも本巻を持って終わりますが、上記の印象は感を重ねるごとに強くなってくるようです。

本書では、のいとこであるおちえとの仲もより深まります。口うるさい叔母も心なしか優しくなり、飲んだくれの叔父も医者としての真の姿を垣間見せる場面もより多いようです。

 

以下、各話のあらすじです。

戻ってきた罪
昔、人を殺したことがあると話し出したのは、死病で先が長くない彦蔵という男だった。手を下したのは相棒の磯六という男だというのだが、身代金目的で二人の子供を攫い、殺したらしい。ところが、彦蔵から聞いたその男は登の知った男と一致する。そこで直蔵に相談する登だった。

見張り
ある日作次という囚人が、押し込みの話をしている奴がいたと話してきた。そこに叔父の患者でもある酉蔵の名前が出てきて無視もできない登だった。酉蔵に話を聞くが何も知らない様子のため、蔵吉が儲け話を持ってきても乗らないように言うしかなかった。後日、作次が殺された。

待ち伏せ
たて続けに殺された三人の男のつながりは東の大牢にいたことらしい。次に牢を出る馬六は隣町に住む男で顔見知りだったが、その馬六が牢を出ですぐに襲われた。幸い軽いけがで済んだ馬六は、娘の嫁ぎ先の多田屋に移ることになる。しかし、その多田屋で馬六が見たものは・・・。

家に帰ったを待っていたのは叔父が倒れたというものでした、幸いに軽くてすんだようです。その父親の姿を見て登にすがってくるおちえの様子があります。あの口うるさい叔母は、以前ほどではないにしろ、やはり何かと用事はいいつけてくるのです。

影の男
甚助は無実だと言ってきたのはもうすぐ牢を出る喜八という男だった。甚助は奉公先の松葉屋から百両の金を盗んだという。その頃喜八は、寝物語に今回の入牢について話していた。そもそも甚助は無実なのか、無実だとすると犯人は誰か。松葉屋に百両の金があることを知っていたのは旦那とおかみ、それに番頭と手代の甚助房吉だけだという。そのうちに房吉が殺された。

女の部屋
畳表問屋槌屋彦三郎が、同業の大黒屋の奥座敷で大黒屋の手代新助に殺された。新助はおかみのおむらに付き添われて自首し、遠島と決まった。大黒屋の主人が病床にあり、商用で訪れた槌屋おむらを手籠めにしようとしたところに新助が来て、思わず殺してしまったものだった。

どうやら叔父夫婦はどうやら登をおちえの婿にして跡つぎにする気持ちを固めたらしい。大坂にいる叔父の友達のところへ蘭法の勉強に行くか聞いてきます。叔父の医者としての態度に医の本来の姿を見る登です。

この「女の部屋」という話に関しては「女の部屋の謎」と題して、出久根達郎氏が解説されています。「女の部屋」というタイトルに込められた作者の意図を推測されているのです。この一文は、小説の読み方の教授でもあり、藤沢作品の文章のうまさの解説でもあります。

別れゆく季節
明日牢を出るという兼吉という囚人が登に告げたのは、自分は黒雲の銀次の縁に繋がるもので、牢を出たら伊勢蔵を密告したおあきという女も狙うということだった。藤吉に相談に行った帰り、三人の賊に襲われる登だった。

黒雲の銀次は第三巻の「奈落のおあき」に登場してきた盗人で死罪になっています。また伊勢蔵はその当時おあきの情夫だった男でそのとき捕まっています。

助け出されたおあきの「若先生、これでお別れね。」という言葉、「またたきもしない眼が登を見つめた。」という描写。青春時代への決別の言葉であり、シリーズをまとめる言葉でもあります。

また、明後日が旅立ちという日のおちえとの会話は、二人の行く末を示す姿でもありました。

愛憎の檻 獄医立花登手控え(三)

娘の病を治したお礼にと、登に未解決事件の情報を教えてくれた男が牢の中で殺された。大胆な殺しの後、ゆうゆうと出牢した犯人を追い、登は江戸の町を駆ける―。家では肩身の狭い居候だが、悪事には敢然と立ち向かう若き牢医師・立花登が、得意の柔術と推理で事件を解き明かす。大人気時代連作第三弾。(「BOOK」データベースより)

 

獄医立花登手控えシリーズの第三巻です。

 

が江戸に出てきた頃は、おあきらと共に遊び回っていたおちえでしたが、第一巻の最終話「牢破り」で、立花登を利用するために、当時の遊び相手だった新助とその職人の仲間に攫われた経験などから次第に大人しく、娘らしくなっていくおちえでした。

前巻でも次第にに優しくなっていくおちえの様子が描かれていたのですが、本巻ではさらにと共にいることに嬉しさを感じるようになっています。

にしても自分の将来を考えるとき、おちえと共にいることを考えるようになているのでした。

いつもの通りに牢内の囚人に絡んだ事件を解決しながらも、自分自身、医者としてもこのままでいいものなのか考えるです。

 

以下、各話のあらすじです。

秋風の女
は、女牢の牢名主のおよねから、下男の佐七が新入りのおきぬという女にいいように使われている話を聞いた。下男の万平から言い聞かせるが、佐七は、あの人はかわいそうな女で夫婦約束もしているといって聞く耳を持たない。
ある日、おきぬと話し込んだあとで家に帰る佐七つけると、背の高い男と現れた佐七が殺されそうになるのだった。

これまでは、田舎者の青年が色々な側面を持つ女の不可思議さに翻弄される姿もありましたが、さすがにこの頃のは女心の不思議さをそのままに受けれているようです。

白い骨
ケチなかっぱらいの辰平は独り身の自由さを語っていたが、実は自分には嬶ァも子供もいると言いだした。辰平から聞いた住まいに行ってみると、そこには辰平の女房がいて、牢を出た辰平を引き取るというのだった。しかし、辰平の牢仲間だった男から、その辰平が牢を出てしばらくして殺されたという話を聞くのだった。

の柔術の腕の冴えはこれまでも本シリーズの特徴としてしばしばその腕前が描かれてきましたが、この話ではいくらが達人だとは言え、無謀に過ぎる気がしないでもありません。ただ、それが若さというものでしょうか。

みな殺し
芳平という囚人が死んだ。本当は不審死であったものを役人たちの手前自然死だとして処理をする。ところが、突然、岡っ引きの藤吉が登のもとを訪れ、芳平は本当に自然死だったのかと聞いてきた。この頃変死人が続いていたが、むささびの七という男に殺されたというのだ。

まさに捕物帳としての話でした。ひとりの囚人の死から、第二巻の「押し込み」でわたり合ったも出てきた極悪な盗人へとたどり着く様子が描かれています。

片割れ
その日、叔父の家に一人でいるのもとへ刀による怪我の治療にやってきた男は稀にみる悪相の持主だった。数日後、押し込みに入り怪我をした蓑吉という盗人が奉行所から送られてきた。話を聞くと、例の悪相の男の怪我が蓑吉の仲間と符合する。蓑吉に悪相の男についてカマをかけると蓑吉の首を絞めようとするのだった。

悪相の男の治療を手伝ってもらったおちえの身を案じる登です。

奈落のおあき
しばらくぶりに会ったおあきは化粧が濃く、あくどいと言っていいほどだった。牢にいる伊勢蔵という男に用があるというのだ。その伊勢蔵は日雇いだというのだが、まったく日焼けをしていないのだ。
その牢にいた嘉吉が、が蓑吉の子供の治療をしたお礼にと、黒雲の銀次という盗人の情報をしらせようとして殺されてしまう。

おちえの遊び仲間だったおあきが年頃になり、ワルの女となっています。盗人の情婦から人殺しの情婦へと落ちていったおあきのすすり泣きが、二度を這い上がれない奈落の底から聞こえてくる嘆きの声のように聞こえるのでした。

影法師
囲われ者だった母親の旦那の加賀屋伝助を刺して牢に入っていたおちせは、杉蔵という職人の想いを受けとめることができずにいた。加賀屋が母親を殺したと思っているおちせは、牢に入った身の自分は杉蔵のもとへは行けないというのだ。しかし、その杉蔵はおちせの放免の日に迎えに来ていなかった。

風雪の檻 獄医立花登手控え(二)

「娘と孫をさがしてくれねえか」半年以上も牢に入り、今は重い病におかされる老人に頼まれ、登が長屋を訪ねてみると、そこには薄気味悪い男の影が―。一方、柔術仲間の新谷弥助が姿を消し盛り場をさまよっているという噂に、登は半信半疑で行方を追う。青年獄医が数々の難事件に挑む傑作連作集第二弾。(「BOOK」データベースより)

 

獄医立花登手控えシリーズの第二巻です。

 

本巻では、五編の連作短編が収められていて、全体を貫く出来事として、主人公の立花登の柔術仲間の新谷弥助が悪所に染まり、家にも帰らない事態になっているのを、新谷を普通の生活に連れ戻そうと奮闘する姿が描かれています。

また、いとこのおちえとの関係が、次第に風向きが変わって良くなっていく様子も示されています。

各話は、前巻と同様に牢内の囚人の話をきっかけに、隠された事実を暴きだすという流れですすみます。らの柔術での立ち合いの場面も勿論用意してあり、痛快さがあるのも同じです。

 

本書「処刑の日」では、江戸の町を、うすい霧がつつんでいる。もう日がのぼっているのに、霧は執拗に地表からはなれず、そのために町は不透明な明るみに満たされていた。と始まります。こうした情景描写のうまさはこの人の右に出るものはいないと、あらためて思わされます。

 

以下、各話のあらすじです。

老賊
新谷弥助が道場に出てこず、奥野研次郎らも心配する日が続いていた。一方、東の二間牢にいる具合の悪い捨蔵という老人が、娘と孫を探して欲しいというのだった。ところが、捨蔵が溜りに移った後、牢名主の長右衛門が、捨蔵守宮の助(やもりのすけ)という新入りとこそこそと話をしていたと知らせてきた。

幻の女
は、新谷を見かけたというおちえから、新谷と一緒にいた女は飲み屋の女だと聞かされる。
東の大牢にいる巳之吉は、自分が十八のときに少しだけ遊んだおこまという十五の娘について嬉しそうに話し始めるのだった。しかし、そのおこまは思いもかけない女になっていた。

歳月の経過は男も女もそれなりに変化するものであり、それでもなお、心の奥底には幼い頃の純な気持ちがなお生きているものだと、もの悲しさとあたたかさとを共に感じさせてくれる好編でした。

押し込み
は、前巻の「落葉降る」で登場してきたおしんの店で、囚人と似た雰囲気の三人の男を見かける。その三人は、足袋屋川庄への押し込みの相談をしているのだった。ところが、牢の中にいた金平から、おしんの店で見かけたという登に、仲間の源治と保次郎に「じゃまが入った。やめろ。」と伝えて欲しいと言ってきた。

化粧する女
新谷弥助の遊び仲間である御留守番与力の村谷徳之助から、新谷はその小舟屋のおかみにたぶらかされているようだと聞かされる。
奉行所吟味方与力の高瀬甚左衛門房五郎という畳職人だったという囚人に加えている牢問いは定法を踏んだものではなかった。高瀬与力のあまりの仕打ちに房五郎をつかまえた百助という岡っ引きに捕縛の事情を聞く登だった。

一途な女の姿を描いたかと思うと、二面性を持つ女、不可思議な女心をもまた描きだしてあります。男と女の姿も醜くいと思いながら、またおしんの顔でもみようかと思う、それほどに心の落ちつく女としてのおしんでもあるようです。

処刑の日
大津屋の主人の助右衛門は妾のおつまを殺しで死罪の言い渡しが来るのを待つだけだった。しかし、大津屋のおかみと手代の新七とが出合茶屋から出てくるのを見たというおちえの言葉から、事件の裏を探り出す登だった。
一方、新谷のことを藤吉に相談し、相手の悪辣さを聞いたは、連中が押し掛けそうな店に待ち伏せして新谷を連れ帰ることとするのだった。

大津屋への死罪の言い渡しを阻止しようとするの面目躍如という話です。また、新谷を連れ戻す痛快な場面も用意されています。

春秋の檻 獄医立花登手控え(一)

医者になる夢を叶えるべく江戸に出た登を迎えたのは、はやらない町医者の叔父と口うるさい叔母、驕慢な娘ちえ。居候としてこき使われながらも、叔父の代診や小伝馬町の牢医者の仕事を黙々とこなしている。ある時、島流しの船を待つ囚人に思わぬ頼まれごとをするが―。若き青年医師の成長を描く傑作連作集。(「BOOK」データベースより)

獄医立花登手控えシリーズの第一巻です。

十九歳で江戸に出てきてもう三年。二十二歳になった獄医立花登の、小伝馬町の牢に入っている科人との話を通して見えてくる人間模様を描き出す、捕物帳であり、青春期でもあります。

叔父の家に厄介になりながら、金に吝い叔母のもとで、遊びに明け暮れるいとこのおちえに振り回されながらも、牢医として成長しているです。

全編を通しておちえが少しずつ顔を見せていて、最後におちえの絡んだ話で本書は終わります。多分この先も登の周りにはおちえが貌を見せることになるのでしょう。

一方、が幼いころから鍛錬している柔術は鴨井道場で免許取りの腕であり、三羽烏とも呼ばれるほどになっています。

この柔術の腕をもって科人の頼みを引き受けるなかでまきこまれる様々な暴力から身を守りつつ、通常の痛快小説で見られる剣戟の場面の代わりに柔術での立ち合いの姿がふんだんに描かれています。

以下、各話のあらすじです。

雨上がり
牢内に病人が出たが、その病人の勝蔵は、伊四郎という男から十両の金を貰い、おみつという女に渡して欲しいと頼んできた。しかし、受け取った金を渡しに行った先にいたのは、伊四郎と共にいた女だった。

善人長屋
自分ははめられたという吉兵衛という男の言葉を真に受け、通称善人長屋で吉兵衛の盲目の娘おみよに会いに行くだった。長屋の人達によくしてもらっているおみよの様子を知るが、藤吉の手下の直蔵に調べてもらうと、善人長屋の連中の裏の顔が見えてくるのだった。

女牢
は朝の見回りで見知った女が入牢しているのに気付いた。おしのというその女は亭主の時次郎を刺し殺し、死罪と決まっているらしい。時次郎の知り合いの参吉という男から、金貸しもやっている能登屋政右衛門の話を聞きこむのだった。

「胸が晴れたわけではなかった。胸の底に、いま照りわたっている月の光のように、澄明なかなしみが残っていた。」という一文で終わるこの話は、の、若者らしい行いと、哀愁が漂う一編です。

返り花
幸伯老人が帰り際に、揚り屋に入っている御家人の小沼庄五郎に届けられた食べ物に毒が盛られていたらしいという。その後、その事実に気付いた下男の甚助という男が小沼家をゆすりに行ったらしい。直蔵に調べてもらうと、小沼の妻女と井崎という侍とが密会していることに気づくのだった。

「狂い咲きの花が、四、五輪ひらいている。不可解な女心に似ている。」との文章は、女心の不可思議を感じるの心象を示しています。

風の道
三十半ばの傘張り職人の鶴吉は、度重なる牢問い(拷問)にも必死で耐えていた。喋れば殺されると言う鶴吉は、女房に今の住まいから逃げろと伝えるように頼まれるのだった。しかし、女房は鶴吉が帰ってくる場所が無くなると困るからと、逃げることを拒むのだった。

藤沢作品の物語としては珍しくあまり余韻の残らない話だった

落葉降る
平助という名の近所に住む男が牢に入っていた。手癖が悪くちょいちょい牢に入っている五十男で、清吉という錺職人との祝言が待っているおしんという娘がいた。鋳かけ屋をしながら手癖が悪く世間を狭くしていた平助だったが、おしんの出来がよく、近所の者もなにかと気を使ってくれるようになっていた。

牢破り
を待ち構えていた男たちから、おちえを預かっているから東の大牢にいる金蔵という男に渡してくれと小さな鉄(かね)の鋸を渡された。

獄医立花登手控えシリーズ

 

本シリーズは文庫本で全四巻になるシリーズ作品です。上記イメージリンクは2017年3月に刊行された文春文庫版を掲載していますが、講談社版の文庫版も2002年12月に新装版として出版されています。

講談社版の新装版は、一巻が佐藤雅美氏、二巻が宇江佐真理氏、四巻が出久根達郎氏という著名作家が解説を担当されていて、三巻だけは1982年にNHKで放映された本シリーズの主演を務めた俳優の中井貴一氏のインタビューが掲載されています。

新装版になる前はまた他の方が解説をされているようです。

 

 

主人公は、羽後亀沢藩の上池館という医学所で医学を修め、母の弟の小牧玄庵を頼り、三年前に江戸に出てきた二十二歳の若者です。

 

叔父の家は場末のようにうらさびれた町の中にあり、だだっ広いだけで古びた家でした。そこに無口で酒好きで怠け者の叔父、叔父を尻に敷いている叔母、母親に似て美貌だが驕慢な娘が住んでいたのです。

叔母にうちは居候をおくゆとりはありませんよと、釘を刺されていた登は、江戸へ来た翌日から叔父の代診や、家の中の掃除もやっていました。

叔父の玄庵ははやらない医者であり、家計と酒代をおぎなうために、小伝馬町の牢医者をかけ持ちしていましたが、それも登が変わって勤めるようになります。

江戸にいさえすれば新しい医学を学ぶ機会にも恵まれるかもしれないと思っていた登ですが、気づけば三年の月日が経っていました。

子供のころからやっていた柔術も鬱屈をはらすこともあって、鴨井道場で師範代をしている登よりも三つ四つ年上の奥野研治郎や、同年の新谷弥助とともに磨きをかけ、免許取りにまですすんでいたのです。

 

叔父の代わりに牢屋敷の医者として勤める登は、牢内の様々な科人と触れ合う中で人間的にも成長していく登の姿が描かれています。

本書は連作の短編の形をとっていて、それぞれの話の中で牢内の科人の話にまつわる事件を捕物帳的に解決していくのです。

 

本シリーズは『小説現代』の1979年1月号から1983年2月号まで連載されたもので、藤沢周平の円熟期に入る時期に書かれたものだそうです。

藤沢周平の文章のうまさは改めて言うまでも無いことですが、時代考証の緻密さを挙げておられるのは第一巻の解説を担当されている佐藤雅美氏です。

例えば、本文中にある「小伝馬町の牢には、本道(内科)二人、外科一人の医者が詰め」ていると、さらりと書いてありますが、この点を「牢に関する記録らしい記録は残っていないから、たぶん作り話だ。」とされ、「将来、事実が掘り起こされることがないと確信されておられる」まで資料を読みこんであられるのだろうと書かれています。

こうした個所は四冊の本シリーズ中に山ほどあり、それがいかにも自然であって、情感豊かな描写の中にちりばめられていいるのです。

捕物帳としても、また人間ドラマとしても、読み応え十分なシリーズです。

 

ちなみに、2018年11月9日からNHKのBS時代劇で溝端淳平の主演で『立花登青春手控え3』が始まります。

詳しくは、立花登青春手控え3 | NHK BS時代劇 を参照してください。

 

時代小説での医者の話としては、 司馬遼太郎の『赤ひげ診療譚』があります。小石川養生所の“赤ひげ”と呼ばれる医師と、そのもとで修行する医員見習いの保本登との人間ドラマとしてあまりにも有名です。

この作品は、1965年(昭和40年)に黒澤明監督、三船敏郎主演で『赤ひげ』というタイトルで映画化されています。そういえば、青年医師を加山雄三が演じていました。

 

 

また、たびたび舞台化、テレビドラマ化されていますが、最近では2017年に NHKのBSプレミアムで船越英一郎の主演で放映されました。

 

凶刃―用心棒日月抄

好漢青江又八郎も今は四十代半ば、若かりし用心棒稼業の日々は遠い…。国元での平穏な日常を破ったのは、藩の陰の組織「嗅足組」解散を伝える密明を帯びての江戸出府だった。なつかしい女嗅足・佐知との十六年ぶりの再会も束の間、藩の秘密をめぐる暗闘に巻きこまれる。幕府隠密、藩内の黒幕、嗅足組―三つ巴の死闘の背後にある、藩存亡にかかわる秘密とは?シリーズ第四作。(「BOOK」データベースより)

用心棒日月抄シリーズの第四巻(最終巻)で、シリーズの中で本書だけ長編時代小説です。

前巻で藩内抗争の元凶であった寿庵保方を倒した又八郎らでしたが、本巻はその十六年後の物語です。

 

本巻では十六年という歳月を経たことによる物語そのものの変遷、そして人物の変貌を語らないわけにはいきません。そこにあるのは、歳月の経過の残酷さであり、哀愁です。

本書で時の経過が一番示されるのは細谷源太夫の変貌です。酒と女が好きで、豪快さと共に家族に対する想いに満ちていた細谷は、十六年という歳月の間に「襤褸をまとった、蓬髪の肥大漢」となり、妻に死なれ、自らも酒毒に侵されています。相変わらず用心棒として糊口をしのいではいるものの、もう役には立ちません。

その仕事を紹介している相模屋の吉蔵も「頬がこけて色が黒く、干し柿のような顔をした年寄り」となっています。

 

とはいえ、本書全体が淋しい雰囲気かと言うとそうでもないのですが、ただ、当たり前のことですが、どうしても十六年という時の経過は随所に出てきてしまうのです。

そして久しぶりに会った佐知からは「十六年も音信も無くほっておかれたからと、寝首を掻くようなことはいたしませぬ。」などと皮肉を言われてしまう又八郎でした。かつての佐知はこうした戯言は言わなかったでしょう。

歳月の経過を感じさせる中、忍びの集団である嗅足組の解散を告げる役目を負った又八郎は、藩の秘密を探ろうとする幕府隠密と、藩の秘密を藩内にも隠そうとする一派との三つ巴の闘いへと再び踏み込むことになるのです。

 
以下、あらすじです。
 

又八郎は谷口亡きあとの嗅足組の棟梁である寺社奉行の榊原造酒に呼ばれ、又八郎の今回の江戸行きの折、江戸の嗅足組に解散を伝えるようにと命じられる。藩主壱岐守が将軍吉宗に藩内には忍びはいないと言い切り、その時に嗅足の勤めは終わったというのだ。

ところが、寺社奉行の榊原が殺されたとの知らせを受け、出立の前日、大目付の兼松甚左衛門に会い、江戸屋敷の女は少しずつ帰国させるようにとの指示を受けるのだった。

江戸に着いて数日後、若松町の町医平田麟白の家で佐知と会い、江戸の嗅足組の解散を告げるとともに、佐知からは又八郎の江戸到着の翌日に新たに国元から二人の足軽が来たことを告げられた。

一方、口入屋の相模屋へ行き年老いて痩せた吉蔵から初村賛之丞という今の細谷の相棒を紹介される。後日、賛之丞に細谷の家に案内されると、酒毒に蝕まれた細谷がいた。妻女は五年前に死に数人の子らは死に、ほかは幸せに暮らしているというのだった。

その後佐知から、国元へ帰した三人が相次いで変死したとの知らせを受け、また先に来た野呂や今回来た五人は二の組の嗅足であり、内御用人の村越儀兵衛の指揮のもとにあるという。

その後碁の調べによると、かつての藩の出入りの商人である長戸屋が絡んだ、下屋敷のお卯乃の方に関する出生の秘密にたどり着き、幕府隠密とお卯乃の方の秘密を隠し通そうとする藩内の一派との闘いの構図が明らかになるのだった。

刺客―用心棒日月抄

お家乗っ取りを策謀する黒幕のもとから、五人の刺客が江戸に放たれた。家中屋敷の奥まで忍びこんで、藩士の非違をさぐる陰の集団「嗅足組」を抹殺するためにである。身を挺して危難を救ってくれた女頭領佐知の命が危いと知った青江又八郎は三度び脱藩、用心棒稼業を続けながら、敵と対決するが…。好漢又八郎の凄絶な闘いと、佐知との交情を描く、代表作『用心棒シリーズ』第三編。(「BOOK」データベースより)

 

藤沢周平著の『刺客―用心棒日月抄』は、『用心棒日月抄シリーズ』の第三弾の連作短編時代小説集で、やはり藩内抗争を軸としながらも、用心棒としてのエピソードを絡めた長編小説と言えます。

 

大富一派の残滓とも言うべき大富静馬との闘争を制し、連判状や手紙なども取り返して幕府からの追及の恐れも無くなった又八郎らでしたが、今回は新たに、と言うべきか大富一派の背後にいたと思われる前藩主の異母兄寿庵保方が動き出します。

自らが藩政の表舞台に出たいと考えた寿庵保方は自分が抱える忍びを活かすため、藩主直属の忍び集団である嗅足組を一掃しようと図り、江戸へ刺客を送りこもうと企みます。そこで、またまた又八郎が江戸の嗅足組をまとめている佐知への連絡掛りとして派遣されるのです。

 

今回は、国元の嗅足組の頭領である谷口権七郎からの命であり、一応の資金も用意されていましたが、コソ泥にやられ文無しとなり、やはり相模屋の世話で用心棒生活に戻ります。

勿論、細谷源太夫も登場し、又八郎と息のあった用心棒稼業の姿を見せてくれます。ただ、今回のメインはやはり又八郎と佐知との成り行きでしょう。

<梅雨の音>の章で、怪我をして眠る佐知の枕元で、このひとは「女子には荷が勝ちすぎる重荷をになっている。」と思う又八郎と、<黒幕の死>の章で「江戸の妻に」と願う佐知との間では、藩のために命を賭して働いている仲間同士を超えた心情があります。

この二人の心の通い合いを一つの見どころとして、又八郎の刺客たちとの剣戟の場面もまた見るべき場面でしょう。 鳥羽亮津本陽の描く剣戟の場面とは異なる自然な流れの中での立ち合いの場面は、派手ではありませんが引き込まれます。

 
以下、各話のあらすじです。
 

陰の頭領
ある夜遅く、かつて筆頭家老であった谷口権七郎からの呼び出しを受ける。寿庵保方が動き出し、江戸の嗅足が狙われており、谷口の娘である佐知を助けるために江戸へ行って欲しいと命じられるのだった。

再会
吉蔵を通じて久しぶりに佐知と会い、剣の使い手である筒井杏平を始めとする五人が嗅足殺害のための刺客として送り込まれたことを告げる。その後、用心棒のために細谷と共に詰めていた屋敷で問題の強盗を取り押さえ、帰宅した又八郎を待っていたのは、はるという女が戻らないという佐知からの連絡だった。

番場町別宅
廃人同様になっていたはるを佐知と共に助けだし、はるを背負い帰る途中、刺客に襲われる。しかし刺客の一人土橋甚助と思われる男を倒す又八郎だった。家に帰った又八郎は、留守中に軍資金を盗られてしまっていた。菱屋という問屋の娘の見守りの仕事で夜盗を退治して帰ると佐知からの連絡が入った。

襲撃
嗅足の女らと共に刺客らを襲撃し、刺客の中田伝十郎、江戸屋敷祐筆方の寺内弥蔵、氏名不詳の探索の男の三人を倒した。そこに細谷がおみねという名のばあさんと頭のおかしい孫娘の二人のお守という仕事を持ってきた。

梅雨の音
佐知が怪我をして結城屋という商家に寝ているという連絡が入った。佐知の医者の支払いなどで金の必要な又八郎の仕事は、本多市兵衛という胡乱な男の用心棒だった。ところが、数日後、本多の家を襲ってきた賊は「上意により」と言ってきたのだった。

隠れ蓑
細谷が飲み屋で知り合ったおきんが、女の旦那佐川屋六兵衛の用心棒を頼みたいと言ってきた。翌朝細谷が、佐川屋六兵衛がさらわれたと言ってきたが、佐川屋に行くと既に六兵衛が帰っていたのだった。また、佐知から寿庵の母親の出自を聞き、帰ってきた刺客成瀬助作と立ち合い、これを倒すのだった。

薄暮の決闘
辰巳屋という煙草問屋の隠居の別宅の見回りという仕事を請けた。隠居の八兵衛は、自分が奉行所に告げ口をした松平が襲ってくると言うが、松平は既に死んでいるのだ。その辰巳屋からの帰りに相模屋へ寄ると筒井杏平が待っていて、七日後の果し合いを言ってきた。

黒幕の死
国元へ帰り谷口権七郎に報告し、何も知らない間宮中老にも寿庵保方の企みをも知らせると、藩主の鷹狩りの帰りに寿庵の屋敷へと行く約束をしているというのだった。

孤剣―用心棒日月抄

お家の大事と密命を帯び、再び藩を出奔――用心棒稼業で身を養い、江戸の町を駆ける青江又八郎を次々襲う怪事件。シリーズ第二作。( Amazon「内容紹介」より )

 

『用心棒日月抄シリーズ』の第二弾の連作短編時代小説集です。本書も前巻同様に用心棒としてのエピソードを繋いだ長編小説とも言えそうです。

前巻で赤穂浪士の物語に絡んだ又八郎の物語は終わりました。本来、このシリーズは「第一巻だけで終わる予定だった」筈ですが、「編集者のそそのかしによってシリーズ化された」そうで、この巻からは前巻での藩内の争いを軸に物語を再構成してあります。

つまり、前藩主壱岐守毒殺の首謀者の家老の大富丹後は間宮中老によりすでに処断されていたものの、大富一派の手紙類や日記、それに連判状などが剣客大富静馬に持ちだされたらしいのです。

ところが、そのことを公儀隠密が嗅ぎつけて静馬を追っているため、藩のために間宮中老は又八郎に再度脱藩の形式をとり、静馬から連判状他を取り戻すようにと命じるのです。

こうして又八郎は再度江戸へと出ることになります。間宮中老は家族の世話は見るし、路銀こそ少しは出してくれたものの、江戸での生活費は自分で調達するようにとのことであり、再び相模屋の吉蔵の世話になることになるのでした。

 

そこで、重要な登場人物として佐知という女性が重要な役目を持って登場します。前巻の終わりで又八郎を襲撃したものの、自ら太ももを傷つけ逆に又八郎に助けられた女です。

この佐知は江戸での忍びの組織である嗅足組の頭であり、又八郎の手足となり又八郎の任務の手助けをすることになるのでした。

勿論、細谷源太夫も用心棒の相棒として登場しますし、新たな用心棒仲間も加わり、又八郎の用心棒としての日々が描かれることになるのです。

 
以下、各話のあらすじです。
 

剣鬼
間宮中老の命により、大富静馬のもつ連判状などを取り戻すために再び江戸へと戻った又八郎でした。藩邸を見守るうち、佐知という女刺客を見つけ、静馬の情報を知らせてくれるようにと頼むのだった。一方、吉蔵の店へ行くと、細谷が付き添っていた子供が行方不明となり、怒った雇い主の旗本に捉われているという。又八郎は、すぐに細谷を救い出し子供の行方を探すのだった。

恫し文
近く強盗に入るという投げ文があり、呉服屋の越前屋の用心棒を米坂八内と共に請けた。そんな折、佐知からの知らせで静馬の現れる場所に行くと、静馬を狙う公儀隠密の一団と闘うことになってしまう。その後、越前屋では百両という金が消え、その数日後米坂といるときに七~八人の頬かむりの男たちが襲い来たのを迎え撃つのだった。

誘拐
ふた親を殺されたゆみという十三才の女子が雇い主の仕事を請けた。その泊まり込み先に佐知に使われているという女が佐知の危機を知らせてきた。大富静馬に捕らえられたらしい。すぐに佐知を助け出した又八郎だったが、帰るとゆみの姿が無くなっていた。

凶盗
評判の残虐な夜盗を恐れている箔屋町の油問屋安積屋で、細谷や米坂とともに用心棒につくことになった。ある日佐知に呼び出され、静馬の探索の報告を受けた帰り、安積屋を見張る男を見かける。十四~五人の夜盗が襲ってきたものの、なんとか三人で撃退することができた。後日、佐知と共に静馬の隠れ家へ行くと、静馬は大富の手紙と日記を残して逃げ去るのだった。

奇妙な罠
小牧屋という糸屋の隠居の別宅の番人の仕事を請けた又八郎だったが、これが罠だったらしく、公儀隠密の一団に捉われてしまう。又八郎を大富静馬の仲間と勘違いした隠密らは、又八郎を拷問にかけ静馬の行方を白状させようとするのだった。

凩の用心棒
ある日米坂が帰ってこないという知らせを受けた。吉蔵から話を聞くと、若狭屋の別宅に隠したおけいという十七歳の娘の警護だったらしい。用心棒として自分でおけいを助け出そうとしている筈と考えた又八郎は、新たな変死体が出たとの知らせに駆けつけ、その近くに米坂がいるとの見当で探すと案の定米坂がいた。

債鬼
風邪を貰った又八郎はしばらく寝込んでしまう。何とか熱も下がった頃、佐知が静馬がさる老中に近づいていると知らせてきた。一方、米もなくなった又八郎は、ある因業な金貸しの用心棒をすることになったが、これほどいやな仕事もないほどだった。また、細谷と米坂に会った又八郎は、米坂の帰参が叶うかもしれない事情を知る米坂の元同僚を捕まえるのだった。

春のわかれ
佐知が静馬の隠れ家を見つけたと言ってきた。その屋敷では十人近くの公儀隠密が見張っていて、又八郎は大富派の瀬尾弥次兵衛に会い、公儀隠密に対し手を組むことを持ちかける。また細谷に助っ人を頼み、佐知や瀬尾と共に静馬の隠れ家を見張るの公儀隠密を倒しに向かうのだった。

用心棒日月抄

家の事情にわが身の事情、用心棒の赴くところ、ドラマがある。青江又八郎は二十六歳、故あって人を斬り脱藩、国許からの刺客に追われながらの用心棒稼業。だが、巷間を騒がす赤穂浪人の隠れた動きが活発になるにつれて、請負う仕事はなぜか、浅野・吉良両家の争いの周辺に……。江戸の庶民の哀歓を映しながら、同時代人から見た「忠臣蔵」の実相を鮮やかに捉えた、連作時代小説。(Amazon「内容紹介」より)

 

『用心棒日月抄シリーズ』の第一弾の連作の短編時代小説集です。というよりも、もはや細かなエピソードをつないだ一編の長編小説と言うべきかとも思います。

勿論、主人公の青江又八郎自身が刺客に狙われたりする日々であり、浪人青江の日常を描き出してあります。

主人公の青江又八郎は、「擦れ違う女が時どき振りかえる」ような男であって、家老大富丹後による藩主毒殺の話を許婚の父親の平沼喜左衛門に知らせたところ、逆に切りつけられてこれを返り討ちにしてしまい、脱藩する羽目になってしまったのです。

そのため、江戸で知り合った相棒の細谷源太夫らと共に行う用心棒暮らしの間に、国元からの刺客に襲われることも覚悟しながらの日々を送っています。

 

本書の特徴は、又八郎の用心棒稼業の日常を描きながら、忠臣蔵の物語を絡めてあるところでしょう。

といっても、又八郎が赤穂浪士の仲間になるなどというものではなく、各話の随所に赤穂浪士の話が噂話として聞こえてきたり、仕事先の依頼人が赤穂浪士の関係者であったり、更には赤穂浪士本人だったりと、赤穂浪士の周辺から彼らの討入りを見つめることになるのです。

 

藤沢周平という作家は、その抒情性こそが一番の魅力だと思っていますが、本書ではその抒情性はあまり前面には出てきていないようです。とはいえ全くないわけではなく、又八郎の生活を緻密に描いていく中で、折にふれ藤沢周平の作品だと感じさせてくれます。

 
以下、各話のあらすじです。
 

犬を飼う女
犬の番という仕事の紹介先では、妾暮らしのおとよという女が、飼っている犬が何者かに狙われているという。この時代、将軍綱吉の「生類憐みの令」が活きており、もしその犬に何かあれば、その咎は飼い主の旦那、田倉屋におよぶのだった。

娘が消えた
神田駿河町の油問屋の清水屋の娘おようの付添いの仕事を請けた。ある日付添いの途中、丁度又八郎に刺客が討ちかかってきたすきに、おようがいなくなっていた。おようの小唄の稽古先である芳之助の家に行き、同じ弟子の中の経師屋の喜八という男のことを聞き、喜八の家へ行くと何者かに襲われるのだった。

梶川の姪
浅野の浪士に命を狙われているという旗本の梶川与惣兵衛の用心棒についた。しかし、屋敷から抜け出した梶川の姪の千加が、石黒滋之丞という男に脅されているのを目撃するのだった。

夜鷹斬り
ある夜、又八郎の迎えが送れたため、同じ長屋の夜鷹のおさきは殺されてしまう。おさきは数日前に「大石って人が、間もなく江戸に来るらしい」という話をしていたというのだった。

夜の老中
細谷が怪我をした仕事の後を請けると、小笠原佐渡守の屋敷で外出の折の警護を頼むということだった。奥方らしき女性に浮気の証拠をつかみたいと頼まれるが、しかし、雇い主である殿様は、浅野家に好意を持つものの会合へ出ているのだった。

内儀の腕
日比谷町の呉服問屋備前屋の内儀のおちせの外出の折の警護の仕事だった。どうも内儀のおちせの過去に島送りになった益蔵という男がいたらしいのだ。ある日、おちせの寺詣りで、おちせが吉田忠左衛門と名乗る男と会っているのを知った。

代稽古
吉蔵から紹介された仕事は長江長左衛門が道場主をする町道場の手伝いだった。たまたま顔を見に来た細谷が、長江の道場を訪ねてきた客は浅野の旧家臣の神崎与五郎ではないかというのだった。

内蔵助の宿
ある日、おりんから、先日の道場主の長江の本名は堀部安兵衛といい、おりんがつけていた老人はやはり浅野浪人の原惣右衛門だという。翌日吉蔵の紹介で川崎宿の北の山本長左衛門の隠宅へと向かった。そこで守るべき垣見という男は大石内蔵助だった。

吉良邸の前日
又八郎は細谷と共に吉良邸の用心棒の仕事を請けることとした。そこに土屋清之進が、由亀からの帰ってきてほしいという手紙と明後日に浅野浪士の討ち入りがあるという知らせを持ってきた。

最後の用心棒
国元近く、一人の娘が不意に襲ってきた。太ももを傷つけた娘を助けようとしたすきに斬りかかってきた男は大富静馬と名乗り、斬るのは今ではないとして立ち去るのだった。佐知と名乗る娘を近くの農家まで届け、間宮に会うと、医師の広瀬幸伯が、壱岐守は大富に毒殺されたの証拠を挙げて言い残して病死したというのだった。

霧の果て

北の定町廻り同心・神谷玄次郎は14年前に母と妹を無残に殺されて以来、心に闇を抱えている。仕事を怠けては馴染みの小料理屋に入り浸る自堕落ぶりで、評判も芳しくない。だが事件の解決には鋭い勘と抜群の推理力を発揮するのだった。そんなある日、川に女の死体が浮かぶ―。人間味あふれる傑作連作短篇集。(「BOOK」データベースより)

藤沢周平作品には珍しい、同心を主人公にした「針の光」「虚ろな家」「春の闇」「酔いどれ死体」「青い卵」「日照雨」「出合茶屋」「霧の果て」の八編から成る短編時代小説集です。



別館ブログの方に、藤沢周平作品には同心が主人公の捕物帳は本書の他には無いのでは、と書いたのですが、少し調べると、捕物帳では『彫師伊之助捕物覚え』や、同心が主人公の作品では『疑惑』(文春文庫「花のあと」収録)や『狂気』(新潮文庫「闇の穴」収録)という短編などの作品があるようです。

それはさておき、本書ですが、私としては藤沢作品の中ではあまり高い評価ではありませんでした。

それは、登場人物の内心に踏み込むような描写が少なかったり、心象風景をも巧みに表現する情感豊かな情景描写が無かったりと、私が藤沢作品の特徴だと思っているしっとりとした佇まいを感じることが出来なかったからだと思われます。

ぶっきらぼうな玄次郎の探索の様子や手下の銀蔵とのやり取りなど、藤沢周平らしさが垣間見える個所もあるのですが、捕物帳として今ひとつ切れを感じず、いつもの藤沢周平作品らしさを感じられないのです。上記に掲げたことが理由でしょうか。

主人公が同心であり、捕物帳であるという本書の性格からそのような描き方にしているのだとは思いますが、個人的な感想としては違和感を感じざるを得ませんでした。

勿論、神谷玄次郎とお津世との、微笑ましくもほんのりとした色気のあるやり取りの場面に、玄次郎配下の岡っ引きである銀蔵が殺しの知らせを持って呼び出しにくるという冒頭のように、その数頁で本書の主要登場人物の三人の関係性示し、更に彼らの人となりを知らしめる様子などは、やはり上手いものだと思ってしまいます。

そういう意味では面白いのですが、やはり藤沢周平の作品だから間違いなくお勧めです、とまでは言えないのです。

本書はある種のヒーローものとも言えると思うのですが、その点では藤沢周平作品では『用心棒日月抄』という新潮文庫で全四冊のシリーズがあります。とある事情から人を切り脱藩後、国許からの刺客に追われながらの用心棒稼業にいそしむ青江又八郎を主人公とする作品で、この作品は名作と言われるほどに面白い物語です。

どうしてもこの作品と比べてしまい、私の中では評価の低いものとなったようです。