笹本 稜平

この作家の本領は山岳小説にあるようです。山という自然に対峙する人間という構図がもっともその力量を発揮するようで、対象となる山が八千メートルを超える冬山であろうと、二千メートルに満たない奥秩父の山であろうとそれは変わりません。

山岳小説としては「還るべき場所」が一番好きなのですが、「天空への回廊」は山岳小説と一級の冒険小説とが合体しており、読み応えがあります。一方、「春を背負って」では山小屋を舞台として人間模様が展開されます。ここでは山は乗り越えるべきものではなく共に生きるべき自然として描かれています。人と人との繋がりが丁寧な筆致で描かれており、暖かな読後感が待っています。

山岳小説が面白いので上記のように書いたのですが、それ以外の冒険小説、警察小説も勿論面白い作品がそろっています。どうも、笹本稜平という作家は”個人”を描くことが上手いのかもしれません。山岳小説では勿論チームを組むのですが、それは個人同士のつながりであって、組織的な存在ではありません。警察小説でも、今野敏のような組織としての警察の物語ではないようです。

こうしてみると、この作家の作品は基本的にはハードボイルドなのかも知れません。従来使われた意味での主観を排し客観的描写に徹するという意味からすると異なりますが、男の矜持を大切にするというこの頃の”ハードボイルド”という言葉の使われ方からすると、まさにそうではないかと思われます。

物語はテンポよく進んでいき、読みやすい作品ばかりです。まだまだ未読作品が多い作家さんですので、今後も読み続けたい作家の一人です。

蛇足ですが、「春を背負って」は映画化もされています。仕上がりが楽しみです。

銀色の雨

『銀のエンゼル』の鈴井貴之監督が浅田次郎の短編小説を映画化。父を知らずに育った高校生・和也、引退を勧告されたプロボクサー・章次、身寄りのない孤独な女・菊枝。偶然出会った3人が心の傷を乗り越え、新たな一歩を踏み出していく姿を描く。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

短編集「月のしずく」(文春文庫)の中の一編「銀色の雨」を原作としています。

 

映画としての評判はあまりよろしくなく、そのため私は未見です。

オリヲン座からの招待状

浅田次郎の同名小説を『MISTY』の三枝健起監督が映画化。昭和30年代の京都で、先代の館主亡き後その妻が灯を守り続けた映画館「オリヲン座」。時代は流れ、オリヲン座に縁のあった人々の下へ一通の招待状が送られてくる。宮沢りえ、加瀬亮ほか共演。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

できは今一つと言っていいでしょう。

出演俳優は映画館経営の夫婦に宇崎竜童と宮沢りえ、そこに転がり込んだ青年に加瀬亮が扮しています。加えて、現代になってからは原田芳雄と中原ひとみが映画館の夫婦を演じ、田口トモロヲと樋口可南子が離婚危機の夫婦を演じています。

役者陣は豪華で、映画の出来もそれほど悪いとは思えないのですが、原作と比べて見ると、映画館夫婦の恋愛劇としての仕上がりは、どこか入り込めませんでした。

 

しかし、原作を離れ、映画を映画として見るとまた異なる印象だったのかもしれません。原作は『鉄道員(ぽっぽや) 』という短編集の中の一編であり、映画館からの招待状を受け訪ねていく夫婦の方に焦点があったいるので、映画とはかなり印象が異なります。

ラブ・レター ~パイランより~

浅田次郎の短編小説を韓国の若手監督、ソン・ヘソンが映画化したラブストーリー。かつて偽装結婚した中国人女性・パイランが死んだことを知ったカンジェは、彼女の遺した手紙を受け取る。そこにはパイロンのカンジェへの純な想いが切々と綴られていた。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

短編小説「ラブ・レター」を原作とする韓国の映画。原作の持つ哀しさは今一つだったような気がします。短編小説を116分という長さの映画に展開しているのですから、原作の膨らませ方が難しいでしょうけど、私のイメージとは少々異なりました。

 

主人公を演じている『オールド・ボーイ』のチェ・ミンシクはさすがで、亡くなった女性の純粋さに触れて涙する肝心の場面は見事です。でも、この場面は素晴らしかったのですが、ここに至るまでが若干間延びしてしまいました。女性も美しく、この明るさも悪くは無いのですが、もう少しまだ見ぬ夫を思う感じがあれば、と思ってしまいました。

 

 

ラブ・レター

『ペコロスの母に会いに行く』の森崎●東監督が、浅田次郎の短編を元に描いたドラマ。新宿の歌舞伎町で裏ビデオ屋の店長を任されている高野吾郎は、世話になっている佐竹から偽装結婚の話を持ち掛けられる。“あの頃映画 松竹DVDコレクション”。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

短編集「鉄道員」の中の一編を映像化したもの。

 

この作品の原作は、同じく『ラブ・レター ~パイランより~』というタイトルで韓国でも映画化されています。

主演は『オールド・ボーイ』のチェ・ミンシクで、そこそこに面白く見ることができました。

 

 

本作は中井貴一主演ということなので、レンタルに降りて来るのを楽しみに待っているのですが、いまだありません。早くレンタル化してほしいものです。

きんぴか

本書『きんぴか』は、浅田次郎のごく初期のユーモア長編小説ですが、浅田次郎の泣かせ方や、見せ場の盛り上げ方などは既に備わっています。

全体として一本の長編ではあるのですが、各章が短編としても読めるエピソードで構成されている、まさに浅田次郎の物語といえる楽しく読める作品です。

阪口健太、通称ピスケン。敵対する組の親分を殺り13年刑務所で過ごす。大河原勲、通称軍曹。湾岸派兵に断固反対し、単身クーデターを起こした挙句、自殺未遂。広橋秀彦、通称ヒデさん。収賄事件の罪を被り、大物議員に捨てられた元政治家秘書。あまりに個性的で価値観もバラバラな3人が、何の因果か徒党を組んで彼らを欺いた巨悪に挑む!悪漢小説の金字塔。(第一巻 「BOOK」データベースより)

きんぴかシリーズ(全三巻 完結)

  1. 三人の悪党
  2. 血まみれのマリア
  1. 真夜中の喝采

 

やっとシャバに出てきたヤクザ「ピスケン」、自殺未遂を起こした元自衛隊員の「軍曹」、そして大物政治家の収賄の罪を被った元大蔵キャリア「ヒデさん」の三人は、第一巻の冒頭で、退職間際の刑事「マムシの権佐」と引き合わされることからこの物語は始まります。

この作品も他の作品と同じく、荒唐無稽ではあるけれども、江戸っ子堅気に見られる「粋」や「義」で貫かれた、不器用とも言える「男気」の物語であって、これは即ち浅田次郎の基本であるようです。

 

第二巻目『血まみれのマリア』では阿部マリアの救急救命センターでの看護師長としての活躍が描かれていますが、このマリアはその後に『プリズンホテル』でも登場し読者の涙を誘います。

つまり本書『きんぴか』は、直接には『プリズンホテル』や『天切り松 闇がたりシリーズ』に連なる作品と言えるでしょう。

 

 

ただ、男気にあふれる三人の夫々の夫婦や家族の物語は、「粋」や「義」という「男の意地」の物語であって、それは『壬生義士伝』での吉村貫一郎の家族への思いや、『黒書院の六兵衛』の的矢六兵衛の行動にも通じていると言えそうです。

ただ、本書『きんぴか』はごく初期の作品であるがために、脂の乗った現在の作品である上記の『黒書院の六兵衛』程の完成度が無いのは仕方がなく、そのレベルを要求するわけにはいきませんが、あらためて現在の浅田次郎か書いた『きんぴか』の三人の物語を読みたいものです。

 

天切り松 闇がたり ( DVD )

2004年7月にフジテレビ系で放映された浅田次郎原作によるドラマをDVD化。大正、昭和、平成の3時代にわたり、激動の時代を生き抜いた伝説の泥棒・天切り松を描く。篠原涼子、中村獅童、井川遥らの若手俳優も多数出演、好演している。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

2004年7月に関西テレビで制作されたドラマです。天切り松の口調は確かに勘九郎(故十八代目 中村 勘三郎)のべらんめえなのですが、映像は小太りの勘九郎ではイメージ違いとしか思えませんでした。

 

抜け弁天の杉本安吉を渡辺謙、黄不動の栄治を椎名桔平が演じています。

でも、原作を読んでいた時のイメージとはかなり異なる渡辺謙であり、椎名桔平でした。この原作のイメージは読み手夫々に異なるでしょうから、そのイメージを壊さないで映像化することは至難の業だとは思います。

だとしても、原作の持つノスタルジックで、そのくせきらびやかな大正、昭和史を期待するだけに残念でした。

天切り松-闇がたりシリーズ

天切り松 闇がたりシリーズ(2018年12月現在)

  1. 闇の花道
  2. 残侠
  3. 初湯千両
  1. 昭和侠盗伝
  2. ライムライト

 

夜更けの留置場に現れた、その不思議な老人は六尺四方にしか聞こえないという夜盗の声音「闇がたり」で、遙かな昔を物語り始めた―。時は大正ロマン華やかなりし頃、帝都に名を馳せた義賊「目細の安吉」一家。盗られて困らぬ天下のお宝だけを狙い、貧しい人々には救いの手をさしのべる。義理と人情に命を賭けた、粋でいなせな怪盗たちの胸のすく大活躍を描く傑作悪漢小説シリーズ第一弾。(第一巻 :「BOOK」データベースより)

 

天切り松こと村田松蔵が語り聞かせる、浅田次郎最高のダンディズムに満ちた作品集です。

 

浅田次郎の魅力が一番出ている出色のシリーズ、というのが正直な感想です。全編を貫く’粋’さ、作者の言う男のダンディズムに満ちた最高の作品だと思います。

頭(かしら)である目細の安吉を始め、寅弥(説教寅)、おこん(振袖おこん)、英治(黄不動の英治)、常次郎(書生常)という安吉一家の面々の物語を、村田松蔵(天切り松)がある時は留置場でそこに居る盗人相手に、ある時は署長室で所長相手にと昔語りをするのです。

この松蔵の江戸弁が実に粋で、小気味良く、物語の中の聞き手のみならず、この本の読者までも一気にひきこまれてしまいます。

 

安吉一家を通して見た日本の現代史、という一面もあるかもしれません。一巻目から山県有朋や永井荷風といった歴史上実在の人物が命を得て登場してきます。また、これからも色々登場するのでしょう。

 

各話の終わり方に松蔵が一気に江戸弁で語る場面があります。改行無しで書かれた、一頁ほども一気に語られるその場面は魅力的です。

一巻目で言うと、「白縫華魁」での白縫の道行、更に「衣紋坂から」の最後の松蔵の臓腑をえぐる独白など、この松蔵の江戸弁が一気に迫ってきて、涙なくして読み進めません。

 

三巻目の文庫本あとがきを2012年に亡くなった十八代目中村勘三郎氏が書いておられます。そこには、その台詞回しが粋で見事なのは、浅田次郎本人が江戸っ子であり、黙阿弥に影響を受けていることにあるらしいとありました(このことは「読本」の中でのお二人の対談においても語られています)。

この小説の台詞回しの上手さは、歌舞伎の、それも河竹黙阿弥の台詞回しに通じているようです。先に述べた「白縫華魁」での白縫の道行など、まさに舞台上の大見得を切る場面に通じるのでしょう。

結局は「情」、とか「侠気(おとこぎ)」などという言葉で語られる日本人の心の根底にある情感に関わってくるような気がします。本書はそうした粋で固めた一級の人情話、と言いきって良いと思います。

 

現時点(2018年12月)現在では文庫本で五巻がでています。「読本」の中で筆者は「ライフワーク」だと言っておられますので、この後も続いて行くでしょうし、続いて行くことを心から願います。