劒岳 点の記

名カメラマンとして知られる木村大作が初監督、浅野忠信が主演を務めたドラマ。明治時代末期、陸軍参謀本部より日本地図最後の空白地点、劔岳の登頂を命じられた測量手の柴崎芳太郎が、案内人の宇治長次郎ら仲間と共に山頂を目指す。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

地上波TVで放映されたものを見たのですが、それでも映像の美しさは見事でした。

 

名カメラマンと言われる木村大作の初監督作品でもあるそうで、このあと笹本稜平原作の『春を背負って』という小説を原作として、同監督による『春を背負って』というタイトルの映画も制作されています。

 

聖職の碑

『八甲田山』の森谷司郎監督が、新田次郎の原作を豪華キャストを迎えて映画化したヒューマンドラマ。大正2年8月、修学旅行中に暴風雨に襲われ遭難してしまった中箕輪尋常高等小学校の生徒と教師たちの姿を通して、人間の生死と愛を綴っていく。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

中央アルプスの木曽駒ヶ岳での山岳遭難事故の実話をもとにした原作を、鶴田浩二を主人公に据えて作成された作品です。

 

当時、映画『八甲田山』があたったので、本作を作ったのではないかと思っていました。しかし、それなりに面白い(と言っては内容が内容だけに語弊がありますが)映画だったと記憶しています。

八甲田山

『日本沈没』の森谷司郎監督、『七人の侍』の橋本忍脚本による名作ドラマ。日露戦争を目前にした明治34年。神田大尉率いる青森第5連隊と徳島大尉率いる弘前第31連隊は、八甲田山を雪中行軍することになり…。主演は高倉健、共演は北大路欣也ほか。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

原作は1902年に現実に起きた「八甲田雪中行軍遭難事件」をもとに書かれた作品です。

 

北大路欣也が雪の中に立ち尽くし、「天は我々を見放した」というセリフを吐くシーンは今でもはっきりと覚えています。

富士山頂

石原裕次郎と渡哲也が挑んだ空前絶後のスペクタクル映画。日本列島の南方800kmの台風を察知するため、迫り来る大雪崩や吹き荒ぶ暴風雨の中、富士山頂近くに気象レーダー基地を建設するという無謀なプロジェクトに命を懸けた男たちの姿を描く。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

富士山頂にある富士山測候所を建設した男達の物語。

 

原作者の新田次郎氏は気象庁職員でもあった人であり、実際のこの測候所の建設に関わったことがあるそうです。

映画の撮影のために、どの高さまでかは分かりませんが、本当にブルドーザーを登らせた様子などが宣伝であったように記憶しています。

映画も見た筈ですが、内容は殆ど覚えていません。ただ、石原プロモーションの『黒部の太陽』などと並ぶ作品であったと記憶しています。

 

昨年でしたか、テレビで放映されたこの映画を再度見ました。上記のブルドーザーの話などは間違いありませんでした。

決していい画質ではない画面ではありましたが、それなりの迫力を持った映画として楽しむことができました。

劒岳 点の記

日露戦争の直後、前人未踏といわれ、また、決して登ってはいけない山とおそれられた北アルプスの劔岳。測量官・柴崎芳太郎はその山頂に三角点埋設の至上命令を受ける。
山岳信仰から剱岳を畏怖する地元住民の反発、ガレ場だらけの切り立った尾根と悪天候・雪崩などの厳しい自然環境、日本山岳会との登頂争い、未発達な測量技術と登山装備などさまざまな困難と戦いながら山頂に挑んだ柴崎一行の苦闘の姿をえがく、新田次郎「山岳小説」の白眉。
巻末に著者自身による劔岳登山の記「越中劔岳を見詰めながら」を付す
木村大作監督による映画化作品(浅野忠信、香川照之、役所広司出演)は第33回の日本アカデミー賞を受賞した。(「内容紹介」より)

 

日露戦争の直後、北アルプスの劔岳の頂上に天候観測のための三角点を埋設すべく命を懸けた測量官・柴崎芳太郎らを描いた長編の山岳小説です。

 

「富士山頂」もそうなのですが、まさに気象庁に勤務していた新田次郎という作家ならではの作品でしょう。

映画化もされているのでご存知の方も多いかと思いますが、明治末期の日本地図作成の一環としてなされた、北アルプス・立山連峰の劔岳山頂に、測量に必要な三角点を敷設した歴史的事実を小説化したものです。

 

 

現代のようなすすんだ登山設備も無い中、測量技師・柴崎芳太郎を始めとする技師たちが成し遂げたその偉業にはただ敬服するばかりです。

小説としての面白さは言うまでもありません。是非読むべきです。

栄光の岩壁

本書の主人公竹井岳彦は18歳のときの八ヶ岳での遭難で両足先の大半を失います。しかし、持ち前の負けん気からその不自由な足に登山靴を履き、マッターホルン北壁に挑戦するほどの世界有数のクライマーへと成長していくのです。

この主人公の生きざまがすごい。少し歩けば出血するというその足で、それも世界有数の山に登ろうというのですから言葉がありません。ましてや、全くのフィクションではなく、モデルとなった実在する生身の人がいての物語なのです。

この作家のどの本でもそうなのですが、本書でもマッターホルン北壁の登攀シーンの描写はその迫力に本を置くことができなかったことを覚えています。

本書でツェルマットやシャモニーなどのスイスの町の名前を覚え、以後スイスを紹介するテレビ番組等を見る度にの本を思い出したものです。

本書の主人公竹井岳彦は実在のクライマー芳野満彦氏がモデルらしいのですが、その芳野氏は2012年2月5日に逝去されたそうです。

是非一読ください。

夢枕 獏

30年以上前に、今は「朝日文庫」その他のレーベルになっているらしい、ジュブナイルと分類される「ソノラマ文庫」という文庫がありました。この文庫で菊地秀行の「魔界都市〈新宿〉」や高千穂遙の「クラッシャージョウ」などを見つけたものです。

後に「キマイラ・吼」シリーズとなる「幻獣少年キマイラ」を、天野喜孝氏(だったと思う)のイラストが印象的で購入したと覚えています。変身もののこの本は格闘技小説の片鱗も見え、SF、ファンタジーいずれともつかない変な魅力がありました。

その後この作家はエロスとバイオレンスの世界で花開くことになりますが、「闇狩り師」にしても「サイコダイバー」にしても、人の精神世界を描くという点では一致していると思います。

その精神世界の描写のひとつの到達点として「陰陽師」シリーズがあり、「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」があるのではないでしょうか。共に怪異譚を描くのですが、その本質は人間の精神を言っているようです。この作家の各作品を通して語られるのはそうした人間の心の哀しさであるような気がします。

その文体は会話文が多く、短めのセンテンスをたたみ掛けてくるので、テンポよく読み進めることができます。漫画チックという言い方もできるかもしれませんが、それがまた私のような読者にはたまりません。軽く読めて、お勧めです。

ただ、この作家のシリーズものはどれも長い。20年を経てもなお終わっていないシリーズが何本もあります。

彼の書いたバイオレンスは格闘技小説というジャンルを切り開いたと言っても良いのではないでしょうか。

他方「神々の山嶺」のような山岳小説、更には釣りをテーマにした作品まで著しています。

以下のおすすめの作品は参考にすぎません。他にも面白い作品がたくさんあります。

お勧めの作家のひとりです。

孤高の人

昭和初期、ヒマラヤ征服の夢を秘め、限られた裕福な人々だけのものであった登山界に、社会人登山家としての道を開拓しながら日本アルプスの山々を、ひとり疾風のように踏破していった“単独行の加藤文太郎”。その強烈な意志と個性により、仕事においても独力で道を切り開き、高等小学校卒業の学歴で造船技師にまで昇格した加藤文太郎の、交錯する愛と孤独の青春を描く長編。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

いかなる場合でも脱出路を計算に入れた周到な計画のもとに単独行動する文太郎が初めてパーティを組んだのは昭和11年の厳冬であった。家庭をもって山行きをやめようとしていた彼は友人の願いを入れるが、無謀な計画にひきずられ、吹雪の北鎌尾根に消息を断つ。日本登山界に不滅の足跡を遺した文太郎の生涯を通じ“なぜ山に登るのか”の問いに鋭く迫った山岳小説屈指の力作である。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

実在の「加藤文太郎」という人がモデルの昭和の初めの頃の物語です。

 

人との付き合い方が下手で、山登りの仲間からも相手にされない、孤独の中に生きた「加藤」でした。誰にも相手にしてもらえず、一人で行動するしかなかったのです。そうした中、「単独行の加藤」の異名が確立していきます。

作者は『孤高の人』『栄光の岸壁』『銀嶺の人』の三部作を「なぜ山に登るのか」という問いに対する答えとして書いたと、どの本かのあとがきに書いてありました。

 

 

 

また、あくまでフィクションなのに、実名での物語故に各方面からの非難や抗議等もあったと聞き及びます。小説上の「加藤文太郎」と実在の「加藤文太郎」との混同をもたらすほどにこの物語がよくできている、とも言えるのかもしれません。

決して上手い文章とは思えないのですが、訥々としたその文章は読む者の心にゆっくりと忍び入ってきて、思いがけない感動を呼び起こしてくれます。

 

山岳小説と言えば、近年読んだ笹本稜平の描く一連の山岳小説は、サスペンス小説としても第一級の面白さを持つ『還るべき場所』という作品のように、また違った山の感動をもたらしてくれました。

 

笹本 稜平

この作家の本領は山岳小説にあるようです。山という自然に対峙する人間という構図がもっともその力量を発揮するようで、対象となる山が八千メートルを超える冬山であろうと、二千メートルに満たない奥秩父の山であろうとそれは変わりません。

山岳小説としては「還るべき場所」が一番好きなのですが、「天空への回廊」は山岳小説と一級の冒険小説とが合体しており、読み応えがあります。一方、「春を背負って」では山小屋を舞台として人間模様が展開されます。ここでは山は乗り越えるべきものではなく共に生きるべき自然として描かれています。人と人との繋がりが丁寧な筆致で描かれており、暖かな読後感が待っています。

山岳小説が面白いので上記のように書いたのですが、それ以外の冒険小説、警察小説も勿論面白い作品がそろっています。どうも、笹本稜平という作家は”個人”を描くことが上手いのかもしれません。山岳小説では勿論チームを組むのですが、それは個人同士のつながりであって、組織的な存在ではありません。警察小説でも、今野敏のような組織としての警察の物語ではないようです。

こうしてみると、この作家の作品は基本的にはハードボイルドなのかも知れません。従来使われた意味での主観を排し客観的描写に徹するという意味からすると異なりますが、男の矜持を大切にするというこの頃の”ハードボイルド”という言葉の使われ方からすると、まさにそうではないかと思われます。

物語はテンポよく進んでいき、読みやすい作品ばかりです。まだまだ未読作品が多い作家さんですので、今後も読み続けたい作家の一人です。

蛇足ですが、「春を背負って」は映画化もされています。仕上がりが楽しみです。