天切り松-闇がたりシリーズ

天切り松 闇がたりシリーズ(2018年12月現在)

  1. 闇の花道
  2. 残侠
  3. 初湯千両
  1. 昭和侠盗伝
  2. ライムライト

 

夜更けの留置場に現れた、その不思議な老人は六尺四方にしか聞こえないという夜盗の声音「闇がたり」で、遙かな昔を物語り始めた―。時は大正ロマン華やかなりし頃、帝都に名を馳せた義賊「目細の安吉」一家。盗られて困らぬ天下のお宝だけを狙い、貧しい人々には救いの手をさしのべる。義理と人情に命を賭けた、粋でいなせな怪盗たちの胸のすく大活躍を描く傑作悪漢小説シリーズ第一弾。(第一巻 :「BOOK」データベースより)

 

天切り松こと村田松蔵が語り聞かせる、浅田次郎最高のダンディズムに満ちた作品集です。

 

浅田次郎の魅力が一番出ている出色のシリーズ、というのが正直な感想です。全編を貫く’粋’さ、作者の言う男のダンディズムに満ちた最高の作品だと思います。

頭(かしら)である目細の安吉を始め、寅弥(説教寅)、おこん(振袖おこん)、英治(黄不動の英治)、常次郎(書生常)という安吉一家の面々の物語を、村田松蔵(天切り松)がある時は留置場でそこに居る盗人相手に、ある時は署長室で所長相手にと昔語りをするのです。

この松蔵の江戸弁が実に粋で、小気味良く、物語の中の聞き手のみならず、この本の読者までも一気にひきこまれてしまいます。

 

安吉一家を通して見た日本の現代史、という一面もあるかもしれません。一巻目から山県有朋や永井荷風といった歴史上実在の人物が命を得て登場してきます。また、これからも色々登場するのでしょう。

 

各話の終わり方に松蔵が一気に江戸弁で語る場面があります。改行無しで書かれた、一頁ほども一気に語られるその場面は魅力的です。

一巻目で言うと、「白縫華魁」での白縫の道行、更に「衣紋坂から」の最後の松蔵の臓腑をえぐる独白など、この松蔵の江戸弁が一気に迫ってきて、涙なくして読み進めません。

 

三巻目の文庫本あとがきを2012年に亡くなった十八代目中村勘三郎氏が書いておられます。そこには、その台詞回しが粋で見事なのは、浅田次郎本人が江戸っ子であり、黙阿弥に影響を受けていることにあるらしいとありました(このことは「読本」の中でのお二人の対談においても語られています)。

この小説の台詞回しの上手さは、歌舞伎の、それも河竹黙阿弥の台詞回しに通じているようです。先に述べた「白縫華魁」での白縫の道行など、まさに舞台上の大見得を切る場面に通じるのでしょう。

結局は「情」、とか「侠気(おとこぎ)」などという言葉で語られる日本人の心の根底にある情感に関わってくるような気がします。本書はそうした粋で固めた一級の人情話、と言いきって良いと思います。

 

現時点(2018年12月)現在では文庫本で五巻がでています。「読本」の中で筆者は「ライフワーク」だと言っておられますので、この後も続いて行くでしょうし、続いて行くことを心から願います。

鉄道員(ぽっぽや)

北海道のローカル線の終着駅で駅長を務める初老の男が、ある少女との出会いを機に、孤独だった人生に暖かさを見出す人間ドラマ。高倉健主演。“<東映 ザ・定番>シリーズ”。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

第23回日本アカデミー賞・最優秀作品賞を受賞しました。

 

ストーリーは原作をなぞってはいたものの、映画は映画として独立した作品でしたね。そこには高倉健という役者さんならではの色が存在し、やはり高倉健という俳優さんの存在感は凄いと改めて思わされた作品でした。

鉄道員(ぽっぽや)

娘を亡くした日も、妻を亡くした日も、男は駅に立ち続けた…。映画化され大ヒットした表題作「鉄道員」はじめ「ラブ・レター」「角筈にて」「うらぼんえ」「オリヲン座からの招待状」など、珠玉の短篇8作品を収録。日本中、150万人を感涙の渦に巻き込んだ空前のベストセラー作品集にあらたな「あとがき」を加えた。第117回直木賞を受賞。(「BOOK」データベースより)

 

「鉄道員(ぽっぽや)」「ラブ・レター」「悪魔」「角筈にて」「伽羅」「うらぼんえ」「ろくでなしのサンタ」「オリヲン座からの招待状」の八編からなる、第117回直木賞を受賞した、決して明るくはないけれど、浅田次郎らしい短編作品集です。

というよりも、どちらかというと暗い、重いとさえ感じてしまいます。しかし、読後に人の様々の「想い」について、改めて考えさせられ、自分の来し方を振り返ってしまう、そんな短編集です。

 

本書の基底には作者本人の経験譚があるらしく、私小説とまではいかなくても、それに近いものがあるのでしょう。

どの作品も素晴らしいのですが、個人的には「オリヲン座からの招待状」「ラブ・レター」「角筈にて」等に惹かれました。

 

「ラブ・レター」は、最初は余りにも筋立てが出来過ぎていてどこか作り物めいて感じたのです。しかし、本当は小説外の情報で作品のイメージが左右されるというのは読み手としては良くないのでしょうが、あとがきで「身近で実際に起こった出来事」だったとあるのを読んで、印象が変わった作品です。

「角筈にて」は、不遇の少年期を過ごした男が自らを捨てた亡き父を思い、街角に居る筈の無い父親の姿を見る、という話なのですが、この筋立ては男ならずとも琴線に触れるものがあると思います。特に解説の北上次郎氏の言うように、還暦を過ぎている私の年代から来る思いもあると思われます。

表題でもある「鉄道員(ぽっぽや)」は、如何にも浅田作品らしいファンタジックな要素もある人間ドラマでした。今思うと先に見ていた映画は少々原作のイメージとは異なるものであったようです。あの映画はやはり健さんあってのものだと思います。

 

 

「オリヲン座からの招待状」の二人は「地下鉄に乗って」の小沼佐吉とお時にもどこか似ています。この二人の描写が上手いですね。

 

本書は浅田次郎の処女短編集だそうですが、浅田次郎という作家は当初からきれいな文章を書かれている人なのだと、改めて思わされる作品集です。どの作品も、ゆっくりと心の奥に染み入ってくるようで、素晴らしいです。

椿山課長の七日間

『鉄道員(ぽっぽや)』『地下鉄(メトロ)に乗って』の浅田次郎のベストセラー小説を、『子ぎつねヘレン』の河野圭太監督の手によって映画化!突然死した中年の男・椿山課長が、3日間だけ絶世の美女の姿で現世によみがえる。そこで家族の秘密と親子の愛情、そして秘められた想いを初めて知る事に…。西田敏行、伊東美咲、成宮寛貴、和久井映見ほか豪華キャストで贈る珠玉の感動ファンタジー!(「Oricon」データベースより)

 

西田敏行という役者が好きで、彼が出ているというそれだけの理由でDVDを借りましたが、彼の出番は少なく残念な作品でした。

 

しかし、思いのほか映画自体の出来も良く、この頃から浅田次郎という作家を意識し始めたような気がします

椿山課長の七日間

大手デパート勤務の椿山和昭は、ふと気付けばあの世の入り口にいた―。そこは死者が講習を受けるSACと呼ばれる現世と来世の中間。身に覚えのない“邪淫”の嫌疑を掛けられた椿山は再審査を希望し、美女に姿を変えて現世に舞い戻ることに。条件は三つ、七日間で戻る、復讐をしない、正体を明かさない。無事に疑いを晴らし、遺り残した想いを遂げられるのか!?ハートフルコメディー小説。(「BOOK」データベースより)

 

突然の死を迎えたサラリーマン、やくざの組長、小学生の夫々が、現世に未練を残し死にきれないと、三日間だけ生き返るファンタジーです。

 

生きているうちの容貌とは全く異なる人間として生き返った三人は、夫々の思いを果たすべく心残りを果たそうとします。夫々の行動がユーモラスに、そして浅田次郎作品らしくペーソスに満ちた物語として仕上げられています。

文章が一人称の独白になったり、テンポのいい語りで物語が展開していくところなど、浅田次郎らしさ満開の物語ではあります。この点は毎度のことながらさすがに上手いものだと感心してしまいます。

 

しかし、各人が思いもかけない事実を見聞きして涙を誘うのですが、これまでの『壬生義士伝』を始めとする新選組三部作や『天切り松-闇がたりシリーズ』などの浅田作品と比べるとと少々物足りなさ感が残りました。

泣きの場面が少ないとかいうことではなく、それらの作品に比べちょっとだけ心に残るものが浅く感じてしまったのです。

結末に関しても少々辛さも残りますし、この終わり方については異論があるところかもしれません。

 

映画化もされています。好きな役者さんである西田敏行が出ているので見たのですが、出番が少なく残念でした。

 

地下鉄に乗って (DVD)

直木賞作家・浅田次郎の同名小説を、堤真一主演で映画化。時空を超える旅の中で絆を再生する父子と、ある秘密を知ってしまう女の運命を描く感動作。会社の帰り道、突然昭和39年にタイムスリップした真次は、恋人・みち子と共に若き日の父と出会う。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

原作よりも先にこの映画を見ていました。原作を読んで後この映画を振り返ってみると、原作の筋立てを可能な限り再現していたように思います。

 

映画を見ているときは戦後の闇市の場面が如何にもきれいで、古い雰囲気を出そうとしているセット然としているのが気になっていましたが、原作を読んだ今ではそういう演出だったのかとさえ思えてしまいます。原作を読んで惹かれた後の贔屓目なのでしょうか。

最後の問題の場面も違和感なく見ることが出来ており、主人公の堤真一が好きな役者さんだと言うこともあるのかもしれませんが、個人的にはかなり面白く、入り込んで見れたと思います。

地下鉄に乗って

地下鉄に乗って』とは

 

本書『地下鉄に乗って』は、1995年に発刊され、2020年に新装版で出版された文庫本では368頁になる、ファンタジックな長編小説です。
第16回吉川英治文学新人賞を受賞した、家族の姿を描く作品で、浅田作品らしく心を打つ物語です。

 

地下鉄に乗って』の簡単なあらすじ

 

地下鉄駅の階段を上がると、そこは三十年前の、家族と暮らした懐かしい町。高校生で自殺をした兄の命日となる日だった。兄の姿を見つけた真次は運命を変えようとするが、時間を行き来するうちにさらなる過去にさかのぼり…。いつの時代も懸命に生きた人びとがいた。人生という奇跡を描く、感動の傑作長編。(「BOOK」データベースより)

 

主人公小沼信次には同じ会社の同僚である恋人軽部みち子がいました。

小沼信次が同窓会の帰り地下鉄の駅で恩師と出会ったある日、地上に出るとそこは奇妙な風景の場所でした。

今は死の床にある厳格な父との折り合いが悪く家を出ていた小沼信次は、兄の死の直前の時代の実家近くにタイムスリップをしたのです。

その後、その恋人も共に何度も過去に戻り、その度に若かりし頃の父小沼佐吉と出会います。

そして、父の来し方をたどることになり、その生きざまを見ることになるのです。

 

地下鉄に乗って』の感想

 

父親に対する微妙な想いが読みやすい文章で語ってあり、最後にひねりを効かせてあります。やはり浅田次郎作品だと思わされました。

 

映画版の『地下鉄に乗って』を先に見ていたのですが、筋立てはそれほど外れているわけではなく、原作の雰囲気がよく出ていました。その意味では映画もかなり良い出来だったと思います。

ただ、映画は主人公の小沼信次と父親の小沼佐吉との物語という印象だったのです。しかし、原作は主人公と恋人のみち子との物語こそ本筋だとの印象でした。

 

 

私が読んだ小説は「特別版」と書かれた新刊書なのですが、その最後には「『地下鉄(メトロ)に乗って』縁起」と題されたあとがき風のエッセイがありました。

このあとがきがなかなかに読ませるもので、本作品を書くきっかけや、浅田次郎の父親のこと、本書が私小説的側面もあること、などが書かれています。文庫版にも収納されているものか、確認は出来てませんが、出来ればこの部分まで読んでもらいたいものです。

 

 

蛇足ですが、恋人恋人軽部みち子のアパートのある中野富士見町は学生時代の私が半年間だけ住んでいた中野新橋の次の駅です。

丸の内線という地下鉄は四谷辺りで地上には出るし、方南町へは中野坂上で乗り換えなければならない、奇妙な地下鉄でした。バイト先のあった新宿までの電車賃数十円が無かった学生時代でした。

プリズンホテル

浅田次郎原作のヤクザコメディ。オーナーから従業員まで全員がヤクザの“プリズンホテル”で、支配人の息子にして暴走族のヘッド・買mcFクセ者揃いの住人たちと接しながら成長していく。そして、因縁の関西ヤクザとのソフトボール対決の日を迎えるが…。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

1996年のVシネマ作品です。

私は未見ですが、とても評価が低いですね。

プリズンホテル

極道小説で売れっ子になった作家・木戸孝之介は驚いた。たった一人の身内で、ヤクザの大親分でもある叔父の仲蔵が温泉リゾートホテルのオーナーになったというのだ。招待されたそのホテルはなんと任侠団体専用。人はそれを「プリズンホテル」と呼ぶ―。熱血ホテルマン、天才シェフ、心中志願の一家…不思議な宿につどう奇妙な人々がくりひろげる、笑いと涙のスペシャル・ツアーへようこそ。(「BOOK」データベースより)

 

文庫本で全四巻のピカレスク風の長編のコメディ小説といったところでしょうか。

 

関東桜会木戸組の初代組長木戸仲蔵がリゾートホテルのオーナーになった。その業界では超大物であり、総会屋としても知らぬ者はいない、らしい。

任侠道を貫くその男の下にはこのホテルの番頭である若頭黒田旭がいる。支配人は大手「クラウンホテル」の元ホテルマンであり、お客様第一主義のため、会社と相容れない立場になっていたところを木戸仲蔵に拾われた。

主人公は木戸仲蔵の甥っ子で木戸孝之介といい、極道小説があたり、当代の売れっ子作家となっている。孝之介の母は若頭の黒田と駆け落ちをし、父は母に逃げられた後程なく死ぬ。

孝之介は寂しい子供時代を送っていて、それが現在の孝之介の性格を形作った一因となっている、と思われる。

 

母が逃げた後、後添えとして入り子供のまま成長していない孝之介を育てた木戸富江や、今の孝之介の愛人となっている田村清子など、他の登場人物も実にユニークで、夫々に掛け合い漫才のような会話を繰り広げています。

自己中心的で暴力的であり、我がまま放題の孝之介を温かく包んでいるのがこの二人なのです。

 

巻毎に少しずつ雰囲気が異なり、巻を追うごとに「平成の泣かせ屋」である浅田次郎の片鱗が少しずつ見えてきたりもします。

軽く読めます。そのくせどことなく心に残る物語です。