ベルリンは晴れているか

総統の自死、戦勝国による侵略、敗戦。何もかもが傷ついた街で少女と泥棒は何を見るのか。1945年7月。ナチス・ドイツが戦争に敗れ米ソ英仏の4カ国統治下におかれたベルリン。ソ連と西側諸国が対立しつつある状況下で、ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が、ソ連領域で米国製の歯磨き粉に含まれた毒により不審な死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、彼の甥に訃報を伝えるべく旅出つ。しかしなぜか陽気な泥棒を道連れにする羽目になり―ふたりはそれぞれの思惑を胸に、荒廃した街を歩きはじめる。最注目作家が放つ圧倒的スケールの歴史ミステリ。(「BOOK」データベースより)

 

第二次世界大戦が終わりアメリカやかつてのソヴィエト連邦、イギリス、フランスなどの四か国による統治下にあったベルリンを舞台にした長編のミステリー小説です。

また、第160回直木三十五賞および2019年本屋大賞の候補作となった作品でもあります。

 

本書の作者深緑野分は、『戦場のコックたち』という作品でも第154回直木三十五賞および2016年本屋大賞の候補作となっています。この作品もまた舞台は日本ではなく、第二次世界大戦でのヨーロッパ戦線の出来事を描いた作品でした。

戦場のコックたち』でもそうだったのですが、本書でももちろん、当時の状況の描写力には脱帽するしかないものがあります。膨大な資料を読み込み描いたと思われる戦後ベルリンの姿は実にリアルです。

 

 

そうしたリアルなベルリンを舞台に、まだ十七歳のドイツ人の娘アウグステが運命に翻弄されながらも必死に生き抜いていこうとする姿はある種感動的ですらあります。

しかし、本書では主人公アウグステという娘の生き方ではなく、彼女の恩人の不審な死をめぐる謎こそが本題です。本書はこの謎をめぐってアウグステがとった行動を追って展開されます。

 

アウグステをめぐり、まずはソ連軍のユーリイ・ヴァシーリエヴィチ・ドブリギンという内務人民委員部(NKVD)大尉が、彼女を正常時であれば半日もあれば足るベルリンの隣にあるバーベルスベルクへと向かわせます。

そこに同行者として設定されたのがファイビッシュ・カフカという泥棒であり、ドブリギン大尉同様に本書において重要な役割を担っています。

この二人の旅が緻密に描いてあるのですが、その途中の街の様子の描写は感心するしかないほどに緻密でリアルです。ただ、ベルリンという土地の土地勘がないためになかなか感情移入しにくいきらいはあります。

途中で描かれる「DPキャンプ」というユダヤ難民キャンプの存在など初めて知った情報もありました。こうした初めて接する知識は随所にちりばめられています。

 

本書は、戦後ベルリンの状況という本来の筋から時系列を戻したアウグステの幼いころからの成長を描写する「幕間」と題されたパートとの二本立てという構成になっています。

本筋の話でもそうですが、特に「幕間」で描かれるナチスドイツによるユダヤ人の虐待などの場面はかなりつらいものがあります。

ここで描かれている話は歴史的事実であり、目を背けてはいけない事柄であることは理解しているつもりですが、個人的には何度も見聞きした話であり、楽しかるべき読書の時間ではもういいのではないか、と思ってしまったのも事実です。

ただ、この幕間と本筋の話とが、本書での謎の解決に収れんしていく構成は縛らしいものがあります。

 

本書に若干の拒否感を持つ理由の一つが「話の重さ」ですが、もう一点、物語の内容にも疑問を持ってしまう箇所がありました。

アウグステたちが目的地まで行くのに苦労する姿を描いてある部分が大半な本書ですが、途中のDPキャンプでの出来事などを考えると、当初からドブリギン大尉がアウグステたちを目的地まで車で連れて行けばそれで済むのではないか、と思ってしまったのです。私の読み落とした理由があったのかもしれませんが、この疑問はずっと付きまといました。

他にも、アウグステとカフカとの出会いなど、細かな疑問点が散見されました。

そして常に思っていたのが、何故舞台がベルリンなのか、ということです。確かに『戦場のコックたち』のときの選考委員の桐野夏生が言うように「どの時代のどんな人物を題材にしようが、文学は自由」でしょう。しかし頭では分かるものの、なぜ舞台がベルリンである必要があるのか、という疑問が付きまといました。

 

しかしながら、ドブリギン大尉がアウグステに対し言った「自分の国が悪に暴走するのを止められなかったのは、あなた方全員の責任です。」という言葉などをはじめとする戦争に対する一面的な見方ではない描き方など、読みごたえがある点も否定できません。

この作者が筆力のあることは誰しも認めるところですので、願わくばもう少し読みやすい物語を、と願うのは勝手に過ぎることでしょうか。

 

ちなみに、タイトルの「ベルリンは晴れているか」は、ヒトラーが言ったとされる「パリは燃えているか」という文言を借りたものでしょうが、その意図は何でしょう。戦後のベルリンの平和を言いたいのか、平和の陰にある悲惨な状況を言いたいのか、私にはわかりませんでした。

この「パリは燃えているか」文言では、ルネ・クレマン監督のフランスレジスタンスを描いた映画「パリは燃えているか」が思い出されました。この映画は一九六六年に映画化されましたが、その四年前に公開された大作「史上最大の作戦」同様のオールスターキャストで制作された名作でした。

 

戦場のコックたち

一晩で忽然と消えた600箱の粉末卵の謎、不要となったパラシュートをかき集める兵士の目的、聖夜の雪原をさまよう幽霊兵士の正体…誇り高き料理人だった祖母の影響で、コック兵となった19歳のティム。彼がかけがえのない仲間とともに過ごす、戦いと調理と謎解きの日々を連作形式で描く。第7回ミステリーズ!新人賞佳作入選作を収録した『オーブランの少女』で読書人を驚嘆させた実力派が放つ、渾身の初長編。(「BOOK」データベースより)

スピルバーグが制作した『プライベート・ライアン』や『バンド・オブ・ブラザース』を見て、戦争の後方支援に興味を持ち、「コック兵って他人の命を預かりながら、同時に自分でも銃をとって闘い、二倍大変なんですよ。」と言い、「戦場の中の“ここ”を書きたい」と思ったという作者です。

しかしながら、それが何故ヨーロッパ戦線なのかという疑問が常に付きまといました。コック兵であるならば、日本兵ではいけなかったのだろうか、何故日本人である作者がアメリカの若者を描く必要があったのか、ということです。

その点を除けば、この作者の想像力、そして創造力には正直脱帽します。本書の終わりに掲げられている膨大な資料を見ても、何よりも本文を読んでみてもその努力の跡がうかがえます。

第二次世界大戦でのノルマンディー上陸作戦に参加した十九歳のアメリカ兵のティムは、戦場で一晩で忽然と消えた600箱の粉末卵や、不要となったパラシュートをかき集める兵士、オランダで接収した民家での職人夫婦の死、雪原で聞こえてきた幽霊の音などの謎を探偵役のエドの力を借りて解き明かします。

(戦争という非日常の中の)日常に潜む謎を解き明かすと言えば、近頃読んだ作品であるためか 長岡弘樹の物語を思い浮かべます。『教場』にしても、日本推理作家協会賞短編部門賞をとった『傍聞き』にしても、前提となる殺人事件などの大きな事件ではない、日常に潜む細かな謎を、緻密に張り巡らされた伏線を順次回収しながら解き明かすという、小気味いい物語でした。

また、 米澤穂信の『真実の10メートル手前』にしてもこの系統に属すると言ってもいいのではないでしょうか。この作品は直木賞候補にもなった作品で、太刀洗万智という女性フリージャーナリストの、誰も気にしない「一言」から、その裏にある意味を探りながら真実にたどり着くという、ミステリーです。

本書をミステリーとしておすすめかと言えば、首をひねります。どうしても謎が戦場で考慮すべきもなのかなどと思ってしまい、物語を平板に感じてしまうのです。

ただ、ここまで書いてきて言うのも変ですが、全体として第二次世界大戦の欧州戦線下での若者を描いた物語としてみると読み甲斐のある物語だった、とも思います。戦争ものの常としての翌日にはいなくなる戦友たちとの交流や、エピローグでのひとくだりなど、一つの青春小説としても読ませる物語だと思います。