スタッフロール

スタッフロール』とは

 

本書『スタッフロール』は、2022年4月に刊行された映画の特殊効果の世界を題材にした作品で、第167回直木三十五賞候補作となった長編小説です。

特殊効果のアナログとCGそれぞれに主人公を設定し、映画に対する情熱にあふれた人たちの姿を描き出した、映画愛満載の心惹かれた作品でした。

 

スタッフロール』の簡単なあらすじ

 

戦後ハリウッドの映画界でもがき、爪痕を残そうと奮闘した特殊造形師・マチルダ。脚光を浴びながら、自身の才能を信じ切れず葛藤する、現代ロンドンのCGクリエイター・ヴィヴィアン。CGの嵐が吹き荒れるなか、映画に魅せられた2人の魂が、時を越えて共鳴する。特殊効果の“魔法”によって、“夢”を生み出すことに人生を賭した2人の女性クリエイター。その愛と真実の物語。(「BOOK」データベースより)

 

スタッフロール』の感想

 

本書『スタッフロール』は、映画の特殊効果の世界を舞台に前半を特殊造形師、後半をCGクリエイターを主人公として紡がれている映画賛歌ともいえる作品です。

この作者深緑野分の『戦場のコックたち』や『ベルリンは晴れているか』などというこれまでのミステリータッチの作風とは全く異なる、異色の物語と言っていいと思います。

 

 

映画大好きの私にとっては本書のような物語は、書かれている内容以前に映画をテーマにした作品というだけで胸が躍ります。ましてや本書は特殊効果をテーマに描いてあるのですから何も言うことはありません。

さらに言えば、本書前半はより具体的にクリーチャーなどを作り出す造形師が主人公になっていて、私が最も好きな映画の一つである「2001年宇宙の旅」が重要なアイテムとして登場するのですからたまらないのです。

その上、後半になるとCGの工程を詳しく説明しながらその工程の一つのプロフェッショナルを主人公としているのですから、本書を読むということは夢のような時間でもありました。

もちろん、ストーリーも読みごたえのあるものであり、何より前後半を通しての人物造形が心に迫るものであって、映画の特殊効果にかける熱い思いが伝わってくるのです。

 

具体的には、第一章でのマチルダが映画のとりこになる描写が素晴らしく、子供の頃に観た「シンバッド七回目の航海」などに熱中した自分を思い出してしまいました。

 

 

特に前半のマチルダのパートでは、一人の特殊メイクアップアーティストの人生を描きつつも、その時代背景や世相そのものを描いてあり、ノスタルジックな一面も持っています。

ただ、前半途中までの流れは特殊造形師の仕事や主人公の仕事に対する姿勢はよく表現されていると思うのだけれど、それ以上の印象があまりなく、物語としての面白さを感じませんでした。

ところが、特殊造形師としてのマチルダの仕事の様子が詳細に語られて惹き込まれ始めているところにコンピューターグラフィック(CG)の話題が持ち込まれたあたりから話が広がり始め、俄然面白くなってきました。

このCGの話が後半の物語へと繋がっていき、本書は更なる広がりを見せていきます。

 

ここで本書の登場人物をみると、まず前半は主人公がマチルダ・セジウィックという特殊造形師です。

そしてその恋人のような同居人がチャールズ・リーヴという合成背景画家(マット・ペインター)であり、アルバイト先のダイナーの同僚がエヴァンジェリンという女性です。

その他にマチルダの父親の友人のロニーやマチルダの造形の師匠のアンブロシオス・ヴェンゴス、そして重要なのがリーヴの友人のモーリーン・ナイトリーという女子大学生がいます。

このモーリーンがマチルダにCGの可能性を説く場面、またCGのフィルムを見せる場面が前半の一つの山場となっていて、ストーリーが大きく展開するきっかけにもなっています。

 

そして後半は、今はリンクス社でCGクリエイターとして勤めるフリーのアニメーターのヴィヴィアン・メリルという女性が主人公です。

そのヴィヴィアンのリンクス社の同僚としてモデラ―のメグミ・オガサワラやアニメーターのユージーン・オジョらがいます。

このリンクス社の社長が前半にも登場したチャールズ・リーヴであり、リメイクされることになった名作「レジェンド・オブ・ストレンジャー」の監督がアンヘル・ポサダ監督です。

他にも多くの登場人物がいますが、全部を挙げる余裕はありませんので、前後半の冒頭に掲げられている「Appearance」を見てください。

 

ちなみに、本書のように「映画」をテーマにした小説としては、まずは金城一紀の『映画篇』を思い出しました。

この作品は、誰もが知る映画をモチーフに、人と人との出会い、友情、愛を心豊かに描く短編集で、読後は心豊かになることが保証された物語集です。

また、映画と言ってもアニメーション映画を対象とした物語ではありますが、辻村深月の『ハケンアニメ!』があります。

アニメ業界を舞台に、三組の仕事を中心に描き出した長編小説で、登場する女性の恋心や、アニメの聖地の様子が描かれたりと、いろんな事柄が盛り込まれたサービス満点のお仕事小説であり、青春小説です。

 

 

上記『ハケンアニメ!』もアニメ業界を調査されて会って面白い作品ではありましたが、本書もまた粘土やゴム、合成樹脂などを使っての特殊造形の創作や、コンピュータを駆使したCG制作の場面も分かりやすく、興味深く読ませています。

特にCGの場面では、「モデリング」や「リギング」といった「アセット制作」、そして「エフェクト」「ライティング」「コンポジター」といった「シーン制作」、その中間にあるヴィヴィアンのが担当する「アニメーション」などの説明もうまくこなしてあり、難解な制作過程を分かり易く説明してありますが、この点に関しては相当苦労したと書いてありました( 小説丸 : 参照 )

 

本書で印象的な記述の一つに、「2001年宇宙の旅」についての記述があります。

その冒頭での猿人が骨を叩きつける場面での猿人のメイクと同じ時期に公開された「猿の惑星」での猿のメイクとを比較していて、「2001年宇宙の旅」での猿人メイクを賞賛してあるのです。

この映画は私が最も好きな映画の中の一本であり、その冒頭の場面もよく覚えていますが、その後に見た「猿の惑星」での猿のメイクと比べたことはありませんでした。

でも、言われてみれば、「2001年宇宙の旅(1968年)」でのメイクは「猿の惑星(1968年)」でのメイクに比べより唇の動きなどがリアルであったことに気づいたのです。

 

 

このようにして、本書ではキューブリックやルーカス、そしてスピルバーグなどの偉業が紹介されると共に、名もなきクリエイターたちの仕事をその苦悩と共に紹介してあるのです。

タイトルの「スタッフロール」の意味、作者が教えらえた「裏方への敬意」をあらためて教えられた気がします。

 

小説が好きな人、映画好きな人はもちろん、そうでなくても物づくりに少しでも関心のある人にとっても非常に読みがいのある作品だと思います。

今回の直木賞候補作はかなり読みごたえのある作品が並んでいると思わせられる一冊でした。

この本を盗む者は

本書『この本を盗む者は』は、一人の女子高校生を主人公とする、新刊書で360頁の長編のファンタジー小説で、2021年本屋大賞にノミネートされた作品です。

全五話の物語ですが、第三話までの話はそのファンタジーとしての世界観がよく分からず、私の好みとは異なる話でした。

 

『この本を盗む者は』の簡単なあらすじ 

 

書物の蒐集家を曾祖父に持つ高校生の深冬。父は巨大な書庫「御倉館」の管理人を務めるが、深冬は本が好きではない。ある日、御倉館から蔵書が盗まれ、深雪は残されたメッセージを目にする。“この本を盗む者は、魔術的現実主義の旗に追われる”本の呪いが発動し、街は物語の世界に姿を変えていく。泥棒を捕まえない限り元に戻らないと知った深冬は、様々な本の世界を冒険していく。やがて彼女自身にも変化が訪れて―。(「BOOK」データベースより)

 


 

本書『この本を盗む者は』では、主人公の深冬が「ブック・カース(本の呪い)」がかかっている御倉家の蔵書が盗まれるたびに、呪いにより変異した読長町の姿を元に戻すために盗まれた本を探す、という形が基本的な構造になっています。

具体的には、本が盗まれ、各話のタイトルになっている呪文が読みあげられるとその呪文に関連した物語の内容に即した呪いが発動するのです。

また、呪文が読み上げられると真白という名の謎の女の子も登場し、主人公深冬の相棒として深冬の手助けをすることになっています。

 

「第一話 魔術的現実主義の旗に追われる」は、雨男のベイゼルと晴男のケイゼルという兄弟の『繁茂村の兄弟』という物語が基本にあり、深冬と真白はは真珠の雨が降る中で盗まれた本を探します。

ちなみに、「魔術的現実主義」とは「“非日常的”なことを“日常的”に描く手法」だそうです。ここで、「“非日常”の割合が“日常”よりも勝っている」と、それはファンタジーとして分類されるとありました。

 

また、「第二話 固ゆで玉子に閉じ込められる」では『BLACK BOOK』という物語が基本になり、「固ゆで玉子」すなわち銃声が飛び交うハードボイルドの物語が始まります。

そして「第三話 幻想と蒸気の靄に包まれる」は『銀の獣』という本を基本とする、イメンスニウムという特殊な金属をめぐる物語です。

この物語で御倉家の蔵書を盗んでいた蛍子という人物が現れ、深冬と真白を翻弄し、蛍子の正体も明らかになります。

「第四話 寂しい街に取り残される」では、読長町に誰もいなくなり、深冬の父まひるが残した茶色のカバーの手帳の秘密も判明します。

そして真白に渡された『人ぎらいの街』というタイトルの物語は、これまでとは逆に今の深冬の状況に酷似していたのです。

最終話である「第五話 真実を知る羽目になる」では、すべての謎が明らかになります。

 

『この本を盗む者は』の感想

 

本書『この本を盗む者は』の登場人物としては、まず主人公の高校一年生の御倉深冬がいて、その父親と父親の妹としてまひるひるねがおり、また深冬が別世界に入ったときに現れる真白という名の相棒的な存在の少女がいます。

他に、蛍子さんとか、春田さんなどの物語の進行に合わせた人物が登場します。

 

本書『この本を盗む者は』の第三話までは、本書に書かれている言葉を借りれば第一話は「真珠雨を降らせる男」の話であり、第二話は「暴力的な夜の世界に生きる孤高の探偵」の話であり、第三話は「不思議な物質を生む獣と蒸気機関」の話だということになります。

読んでいる途中、第三話まではファンタジー小説としての面白さを感じることができず、このような世界での主人公の活躍に対する感情移入など全く感じることができずにいました。

第一話で言うと、ベイゼルとケイゼルという兄弟は何かの寓意なのか、この世界は何かを意味しているのか、などと考えてしまったのです。

しかし第四話、第五話にいたると本書の構造が明らかにされてこれまで貼られていた伏線が回収される過程に入り、ミステリーとしての面白さが発揮されて、やっと本書を面白く感じてきました。

 

冒頭に書いたように、本書『この本を盗む者は』はこの作者の『戦場のコックたち』や『ベルリンは晴れているか』のような作品とは全く異なる、別人が書いたかのような物語です。

 

 

これらの作品は、第二次世界大戦中および直後の欧州を舞台にしたミステリーであり、ファンタジーとは対極にあるかのような作品です。

たしかに、本書『この本を盗む者は』も主人公の御倉深冬が巻き込まれる様々な世界やそれらの世界成立の謎を解明する、という意味ではミステリーとしての側面も持っています。

しかし、歴史的な事実の上に組み立てられた先の二作品とは異なり、本書はファンタジーであってその物語としての構造は全く異なるのです。

 

この点においては、2020年本屋大賞候補作となった知念実希人の書いた『ムゲンのi』という作品とまったく同じ構造であり、その作品についての私の感想までも似たようなものだったと言えます。

この作品は主人公の女医が四人の奇病患者の夢の中に入り、その病を治し、かつ同時期に発生していた連続殺人事件の謎をも解決するというファンタジーミステリーでした。

とはいえ、本書『この本を盗む者は』のほうが読みにくさを感じたのはどういうことでしょう。『ムゲンのi』の方がミステリーとしての仕掛けがははっきりとしていた、というところでしょうか。

ですが、作品の構造としてはほとんど同じといっても過言ではないと思います。

 

 

でも『ムゲンのi』もそうだったのですが、本書『この本を盗む者は』もよく練られた作品だとは思います。

例えば基本的なところでは、御倉家の蔵書が盗まれると呪いにより読長町が変異しますが、本を盗んだ者に対して呪いが発動するのであるのならば、読長町までが変わってしまうのはおかしい筈です。

しかしその点は、本の量が多い現在では呪いも強力になっているため盗んだ冊数にかかわらず読長町全体が変化してしまうと説明されているのです。

こんな細かいところを丁寧に押さえている作品だからこそ皆の支持を受けていると思われます。

 

私の好みとは若干異なる作品でしたが、何といっても本書は2021年本屋大賞にノミネートされた作品です。

そもそも作者の深緑野分という人は先述した二作品共に、直木賞、大藪春彦賞、本屋大賞の候補作となっていて、そしてまた本書も本屋大賞候補となっているほどの作家さんです。

今後の作品にも注目してみたいと思います。

ベルリンは晴れているか

ベルリンは晴れているか』とは

 

本書『ベルリンは晴れているか』は、第二次世界大戦が終わりアメリカやかつてのソヴィエト連邦、イギリス、フランスなどの四か国による統治下にあったベルリンを舞台にした長編のミステリー小説です。

また、第160回直木三十五賞および2019年本屋大賞の候補作となった作品でもあり、新刊書で480頁の長さながら読みごたえのある作品でした。

 

ベルリンは晴れているか』の簡単なあらすじ 

 

1945年7月、ナチス・ドイツの敗戦で米ソ英仏の4カ国統治下におかれたベルリン。ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が米国製の歯磨き粉に含まれた毒による不審死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、なぜか陽気な泥棒を道連れに彼の甥に訃報を伝えに旅出つー。圧倒的密度で書かれた歴史ミステリの傑作、待望の文庫化!(「BOOK」データベースより)

 

ベルリンは晴れているか』の感想

 

本書の作者深緑野分は、『戦場のコックたち』という作品でも第154回直木三十五賞および2016年本屋大賞の候補作となっています。

この作品もまた舞台は日本ではなく、第二次世界大戦でのヨーロッパ戦線の出来事を描いた作品でした。

戦場のコックたち』でもそうだったのですが、本書でももちろん、当時の状況の描写力には脱帽するしかないものがあります。膨大な資料を読み込み描いたと思われる戦後ベルリンの姿は実にリアルです。

 

 

そうしたリアルなベルリンを舞台に、まだ十七歳のドイツ人の娘アウグステが運命に翻弄されながらも必死に生き抜いていこうとする姿はある種感動的ですらあります。

しかし、本書『ベルリンは晴れているか』では主人公アウグステという娘の生き方ではなく、彼女の恩人の不審な死をめぐる謎こそが本題です。

本書はこの謎をめぐってアウグステがとった行動を追って展開されます。

 

アウグステをめぐり、まずはソ連軍のユーリイ・ヴァシーリエヴィチ・ドブリギンという内務人民委員部(NKVD)大尉が、彼女を正常時であれば半日もあれば足るベルリンの隣にあるバーベルスベルクへと向かわせます。

そこに同行者として設定されたのがファイビッシュ・カフカという泥棒であり、ドブリギン大尉同様に本書において重要な役割を担っています。

この二人の旅が緻密に描いてあるのですが、その途中の街の様子の描写は感心するしかないほどに緻密でリアルです。

ただ、ベルリンという土地の土地勘がないためになかなか感情移入しにくいきらいはあります。

途中で描かれる「DPキャンプ」というユダヤ難民キャンプの存在など初めて知った情報もありました。こうした初めて接する知識は随所にちりばめられています。

 

本書『ベルリンは晴れているか』は、戦後ベルリンの状況という本来の筋から時系列を戻したアウグステの幼いころからの成長を描写する「幕間」と題されたパートとの二本立てという構成になっています。

本筋の話でもそうですが、特に「幕間」で描かれるナチスドイツによるユダヤ人の虐待などの場面はかなりつらいものがあります。

ここで描かれている話は歴史的事実であり、目を背けてはいけない事柄であることは理解しているつもりです。

しかし、個人的には何度も見聞きした話であり、楽しかるべき読書の時間ではもういいのではないか、と思ってしまったのも事実です。

ただ、この幕間と本筋の話とが、本書での謎の解決に収れんしていく構成は素晴らしいものがあります。

 

本書『ベルリンは晴れているか』に若干の拒否感を持つ理由の一つが「話の重さ」ですが、もう一点、物語の内容にも疑問を持ってしまう箇所がありました。

アウグステたちが目的地まで行くのに苦労する姿を描いてある部分が大半な本書ですが、途中のDPキャンプでの出来事などを考えると、当初からドブリギン大尉がアウグステたちを目的地まで車で連れて行けばそれで済むのではないか、と思ってしまったのです。

私の読み落とした理由があったのかもしれませんが、この疑問はずっと付きまといました。

他にも、アウグステとカフカとの出会いなど、細かな疑問点が散見されました。

そして常に思っていたのが、何故舞台がベルリンなのか、ということです。確かに『戦場のコックたち』のときの選考委員の桐野夏生が言うように「どの時代のどんな人物を題材にしようが、文学は自由」でしょう。

しかし頭では分かるものの、なぜ舞台がベルリンである必要があるのか、という疑問が付きまといました。

 

でも、ドブリギン大尉がアウグステに対し言った「自分の国が悪に暴走するのを止められなかったのは、あなた方全員の責任です。」という言葉などをはじめとする戦争に対する一面的な見方ではない描き方など、読みごたえがある点も否定できません。

この作者が筆力のあることは誰しも認めるところですので、願わくばもう少し読みやすい物語を、と願うのは勝手に過ぎることでしょうか。

 

ちなみに、本書タイトルの「ベルリンは晴れているか」は、ヒトラーが言ったとされる「パリは燃えているか」という文言を借りたものでしょうが、このタイトルを付けた意図は何でしょう。

戦後のベルリンの平和を言いたいのか、平和の陰にある悲惨な状況を言いたいのか、私にはわかりませんでした。

 

この「パリは燃えているか」という文言では、ルネ・クレマン監督のフランスレジスタンスを描いた映画「パリは燃えているか」が思い出されました。

この映画は一九六六年に映画化されましたが、その四年前に公開された大作「史上最大の作戦」同様のオールスターキャストで制作された名作でした。

 

戦場のコックたち

本書『戦場のコックたち』は、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を舞台にしたあるコック兵の姿を描いた、文庫本で544頁の長編のミステリー小説です。

第154回直木賞、2016年本屋大賞、第18回大藪春彦賞の候補ともなった、ミステリーとしては首をひねるものの、青春小説としては面白いと思った作品でした。

 

『戦場のコックたち』の簡単なあらすじ 

 

合衆国陸軍の特技兵、19歳のティムはノルマンディー降下作戦で初陣を果たす。軍隊では軽んじられがちなコックの仕事は、戦闘に参加しながら炊事をこなすというハードなものだった。個性豊かな仲間たちと支え合いながら、ティムは戦地で見つけたささやかな謎を解き明かすことを心の慰めとするが。戦場という非日常における「日常の謎」を描き読書人の絶賛を浴びた著者の初長編。(「BOOK」データベースより)

 

十九歳のアメリカ兵のティムは第二次世界大戦でのノルマンディー上陸作戦に参加しています。

そこで、戦場で一晩で忽然と消えた600箱の粉末卵や、不要となったパラシュートをかき集める兵士、オランダで接収した民家での職人夫婦の死、雪原で聞こえてきた幽霊の音などの謎を探偵役のエドの力を借りて解き明かすのでした。

 

『戦場のコックたち』の感想

 

作者の深緑野分は、スピルバーグが制作した映画『プライベート・ライアン』やテレビドラマの『バンド・オブ・ブラザース』を見て、戦争の後方支援に興味を持ったそうです。

そして、「コック兵って他人の命を預かりながら、同時に自分でも銃をとって闘い、二倍大変なんですよ。」と言いつつ、「戦場の中の“ここ”を書きたい」と思ったと言います。

 

 

しかしながら、私には何故ヨーロッパ戦線が舞台なのかという疑問が常に付きまといました。

コック兵であるならば、日本兵ではいけなかったのだろうか、何故日本人である作者がアメリカの若者を描く必要があったのか、と思ったのです。

その点を除けば、この作者の想像力、そして創造力には正直脱帽します。

本書『戦場のコックたち』の終わりに掲げられている膨大な資料を見ても、何よりも本文を読んでみてもその努力の跡がうかがえます。

 

(戦争という非日常の中の)日常に潜む謎を解き明かすと言えば、近頃読んだ作品であるためか長岡弘樹の物語を思い浮かべました。

教場』にしても、日本推理作家協会賞短編部門賞をとった『傍聞き』にしても、日常に潜む細かな謎を、緻密に張り巡らされた伏線を順次回収しながら解き明かすという、小気味いい物語でした。

 

 

また、米澤穂信の『真実の10メートル手前』にしてもこの系統に属すると言ってもいいのではないでしょうか。

この作品は直木賞候補にもなった作品で、太刀洗万智という女性フリージャーナリストの、誰も気にしない「一言」から、その裏にある意味を探りながら真実にたどり着くという、ミステリーです。

 

 

本書『戦場のコックたち』をミステリーとしておすすめかと言えば、首をひねります。どうしても謎が戦場で考慮すべきもなのかなどと思ってしまい、物語を平板に感じてしまうのです。

ただ、ここまで書いてきて言うのも変ですが、本書『戦場のコックたち』は、全体として第二次世界大戦の欧州戦線下での若者を描いた物語としてみると読み甲斐のある物語だった、とも思います。

戦争ものの常としての翌日にはいなくなる戦友たちとの交流や、エピローグでのひとくだりなど、一つの青春小説としても読ませる物語だと思えるのです。