第157回直木三十五賞の候補作が発表されていました。

第157回直木三十五賞の候補作がすでに発表されていました。

のんびりとしていたら、既に発表済みでした。

詳しくは、
※ 直木三十五賞|公益財団法人日本文学振興会 – 文藝春秋

※ 直木賞のすべて

を見てください。

候補者一覧(作者名50音順)

候補者名 候補作 出版社
木下昌輝
(きのした まさき)
敵の名は、宮本武蔵 KADOKAWA
佐藤巖太郎
(さとう がんたろう)
会津執権の栄誉 文藝春秋
佐藤正午
(さとう しょうご)
月の満ち欠け 岩波書店
宮内悠介
(みやうち ゆうすけ)
あとは野となれ大和撫子 KADOKAWA
柚木麻子
(ゆずき あさこ)
BUTTER 新潮社

ということになっています。

今日、図書館に予約したので、読めるのはいつかは分かりませんが、読み次第アップしようと思います。

無料! 伊東潤氏による、熊本城築城を描いた物語

歴史小説を書かれる伊東潤氏の公式ホームページを見ていたら、わが郷土熊本自慢の名城「熊本城」の築城秘話を描かれた小説『もっこすの城 熊本築城始末』が連載されていました。

■ こちら『もっこすの城 熊本築城始末』から読むことができますよ。

■ 「NHK Web magazine」でも読めるそうです。是非どうぞ。

加藤清正と共に尾張から肥後に移り住んだ築城家の青年が、地元の人々と力を合わせて、最後には熊本城を造り上げるという長編小説です。

とのことです。

実は私は、2012と14年の二回、熊本城に行き、徹底的に見学することができました。
それゆえ震災による熊本県の被害と熊本城の崩壊には、ひどく心を痛めていました。
そのため当初の予定を変更し、この企画に取り組むことにしました。
戦国時代の人々がゼロから造った熊本城です。われわれにできないことはありません。
熊本城をよみがえらせるために、皆で頑張りましょう。

という言葉もありました。

熊本市内の中心部に位置する熊本城は、市街に出かけるといやでも目に入ります。倒壊した長塀はもちろん、天守閣も瓦が落下した悲惨な状況が目の前にあるのです。

熊本市に住む人のほとんどは早めの復旧を願っていますが、石垣の完全な修復までを考えると熊本市役所のホームページ内の『熊本城復旧基本方針』内のpdfファイルに、被害総額は約634億円、「基本計画の計画期間は概ね20年とします。」( 熊本城復旧基本方針について : 参照 )と書いてありました。

それでも、みんな熊本城は我らのシンボルだと声を揃えて言います。お城の一日でも早い復旧を心から願っているのです。そうした折のこの作者の言葉はとても有難く、うれしいものでした。

だからというわけではないのですが、第155回直木三十五賞候補にもなった『天下人の茶』の作者のせっかくの無料連載です。一度目を通すいい機会ではないでしょうか。

雫井脩介著『検察側の罪人』が、木村拓哉×二宮和也で映画化されるそうです。

雫井脩介著『検察側の罪人』の、木村拓哉と二宮和也による映像化

雫井脩介著の『検察側の罪人』が、木村拓哉と二宮和也というジャニーズの二人によって映画化されるというニュースがありました。

木村拓哉&二宮和也共演!雫井ミステリー「検察側の罪人」映画化へ : 参照

木村拓哉と二宮和也が“歴史的”初共演。映画『検察側の罪人』で | 文春オンライン : 参照


監督は、「駆込み女と駆出し男」や、2005年にリメイクされた「日本のいちばん長い日」を監督された原田眞人監督だそうです。そう言えば、この監督は司馬遼太郎の『関ヶ原』の監督もされていました( 映画「関ヶ原」公式サイト : 参照 )。

雫井脩介著の『検察側の罪人』という作品は、本サイトでも取り上げていますが、「法」とは何か、そしてまた「正義」とは何かという結構な重みのあるテーマを追求されている重厚感のある作品です。

雫井脩介著『検察側の罪人』という作品、そして演者

個人的には、雫井脩介という作家さんの作品にしては高評価をつけることはできない作品だったのですが、作者の思いは深く伝わる厚みのある作品として仕上がっているとは思いました。

本書の中身については当該個所を見て頂くとして、ここではこの作品の映画化の話です。それも、主演がSMAPの解散騒ぎで話題沸騰の木村拓哉だというのです。重いテーマを抱えたこの原作を映像化するにふさわしいキャストか、とまずは誰でも考えると思います。

二宮和也という役者さん

もう一人の主演者である二宮和也の方はその演技力は映画ではクリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』や『黄色い涙』『GANTZ』などを見ていますし、倉本聰脚本のテレビドラマ『優しい時間』や『拝啓、父上様』はかなり好きなドラマでした。

木村拓哉という役者さん


一方、木村拓哉のほうはどうなのでしょう。キムタクファンにとっては朗報でしょうが、その演技力についてはあまり良い噂を聞いたことが無いのです。

私個人は木村拓哉出演の映画は『武士の一分』と『SPACE BATTLESHIP ヤマト』しか見ていません。テレビドラマはほとんど見ませんので、ドラマのCMや番宣番組で数シーンを見たくらいです。また、二本の映画を見たとは言っても『SPACE BATTLESHIP ヤマト』は映画自体が見なければよかったと思う作品でしたので、事実上『武士の一分』だけということになります。

ということで、木村拓哉という役者さんへの素人なりの感想すら持てないというのが正直なところです。強いて『武士の一分』一作での感想を言えば、うまい役者さんだとの積極的な評価は持つことは出来ませんでした。

木村拓哉という人は、確か既にテレビドラマの「HERO」で検察官役を演じておられる筈です。しかし、ドラマのヒーローとしての検事と本書で演ずべき最上という検事は、求められる検事としての存在感が全く異なる筈です。そこをどう演じられるのか、興味はありますね。

監督の作品としての映画

でも、本書で要求される最上検事を演じることができるのかどうかなどは、監督さんの本書についての解釈、演出でも変わってくるのでしょうから、ただ、期待するしかない、というくらいが正直なところでしょうか。

柚月裕子著の『孤狼の血』が映画化されるそうです

早くに公開されていた映画化の情報

いつものように何気なくネットを見ていたところ、柚月裕子の『孤狼の血』が映画化されるという記事を見つけました。(柚月裕子「孤狼の血」映画化決定!“警察小説×『仁義なき戦い』”描く : 参照)

早速詳しい情報を調べたところ、当の東映のサイトで既に情報が公開されているではありませんか。

本日4月3日、2018年春に公開予定である映画『孤狼の血』製作記者発表会が盛大に行われました。
発表会には主役を演じる役所広司さんをはじめ、豪華キャストが集結。
さらに、巨大LEDパネルと大迫力映像、そして「警察小説×『仁義なき戦い』」と評される本作にちなみ、あの懐かしのテーマ曲が超満員の会場を沸かせました。

あらゆる正義と情念がぶつかり合う熱き物語は、もう始まっている―……。

とは、東映のサイト内にあった「映画『孤狼の血』製作発表会見のご報告」という記事内の一文です。

『仁義なき戦い』という映画

『仁義なき戦い』の暴力に満ちた画面の印象は、深作欣二という監督の手腕もさることながら、役者さん達の熱気が作り上げていた気がします。

つまりは当時の東映が持っていた雰囲気ですね。鶴田浩二、高倉健らの任侠映画は、やくざを描くとは言ってもそれは結局は筋を通す男の美しさ、ヒーローたちの様式美を描くもので、それまでのスターシステムの流れの上で作成されていたとも言えると思います。

その任侠映画が下火になり、次に東映が採用したのが実録路線です。そのきっかけとなったのが深作欣二監督の『仁義なき戦い』でした。

『仁義なき戦い』で見せた大部屋俳優たち

この映画では、東映の役者さん達、菅原文太や松方弘樹といったスターは勿論、とくに大部屋俳優と言われる川谷拓三、志賀勝といった人たちの熱気、情熱がそのまま画面に出ていたように思います。

川谷拓三らは後に売れていきますが、売れていない頃、実際に町に出て喧嘩を売り、チンピラの演技の弁虚をしていた、などと語っていたのを聞いたことがあります。ことの善しあしは別として、彼らの熱意なくしてあの映画は無かったと思うのです。

以降、あげくの果てには『県警対組織暴力』のような警察に喧嘩を売るような作品まで作ってしまうのですから、今の映画界では考えられないことだと思います。

『孤狼の血』という映画のキャストのスマートさ

『孤狼の血』という映画のキャストは、役所広司、松坂桃李、真木よう子、石橋蓮司、江口洋介という当代を代表する役者さん達で、監督はあの『凶悪』、『日本で一番悪い奴ら』の白石和彌監督だそうです。

このキャストを聞いた当初は私が知っている映画『仁義なき戦い』の雰囲気とはかなり異なる印象の映画になるのではないかとの危惧がありました。大部屋俳優たちの醸し出していた熱気が、このスマートなキャストで作り出せるのかという疑問です。あまりにスマートで格好良すぎるとしか思えないのです。

しかしながら、あらためて考えてみると役所広治というずば抜けた力量を有する役者に関しては悪くはなさそうです。ただ松坂桃李、江口洋介という役者さん達は格好良すぎる気がします。毒が無さ過ぎはではないかと思えるのです。

その後、余裕を持ってみると、かつての東映の雰囲気をそのままにこの小説『孤狼の血』を映画化するのでは、それはもう『仁義なき戦い』であり、『孤狼の血』ではなくなるのではないかと思えてきました。

『仁義なき戦い』とは異なる、『孤狼の血』という新たな映画への期待

であるのならば、今の役者さん達で新たな『仁義なき戦い』とも言うべき『孤狼の血』という新たなエネルギーに満ちた映画を作り出してもらいたいと思うようになりました。

好きな小説が、好きな役者さん達で映像化されるというのは、これは私にとっては読書の楽しみの一面でもあります。好きな小説を、一流の監督のもと、一流の役者さん達で映像化されるのですから、素人はできあがった作品を単に個人として評価すればいいように思っています。

いまは、ただそう思うだけです。面白い作品の出来上がりを期待するだけです。

あの熊本地震から一年が経過しました

あの熊本地震から一年が経過しました

熊本を震度7の地震が襲ったのがちょうど一年前の今日でした。その後、この地震は余震であり、一日置いて十六日の深夜に再度襲ってきた地震こそが本震だったと聞かされることになります。

熊本の象徴だった熊本城の石垣が崩落し、天守閣も瓦が全部落ちてしまっている画はテレビでしょっちゅう流れています。勿論、街の中心部に位置する熊本城ですから、市街地に出かけるといやでも目に入ります。

まだ安心できません

そして一年が経とうという昨日十三日のネットで「 <熊本地震1年>くすぶる懸念「次の大地震」 未活動断層も 」という記事がありました。

この一年で発生した九州地方の地震は13万回に上り、M3.5以上に限っても339回もあったと、その記事には書いてありました。

このごろしばらく収まっているように感じていた地震が、大きくても震度3くらいではありますが、また増えていると感じていた矢先にこの記事です。

心のどこかで、あれだけのエネルギーが解放されたのだからもう来ないだろう、という思いがあったのですが、その思いは見事に砕かれました。

未だ道半ばの復興

一番被害のひどかった益城町の復興もまだ道半ばです。南阿蘇も同様。熊本市内はそれなりに元の姿を取り戻しつつありますが、市街地中心部に位置する熊本城の天守閣の姿は今だ手つかずです。

それでも、何とか前向きに生きています。

阪神大震災や東日本大震災の時、九州に住む私たちは、勿論個人で出来るだけ寄付や物資の支援活動などを行ってきたつもりでした。しかし、現実に自分の身に起こると、テレビ画面を通して見ていた被災地の様子はあくまで対岸の火事だったと気付かされました。

ライフラインの復旧に他の県の応援の方々が来てくれて、我が町内で、雨の中でも懸命に作業をしてくださっている姿があれほど嬉しいものとは思いませんでした。

私の住む地域はまだ被害が少ない方です。それでも隣近所助け合って暮らしていたあの時間は貴重だった、とも思います。

風化する記憶

これから、あの時を忘れることなく暮らしていこうと思っています。

ただ、どこかでもう、あの地震が風化している自分がいるのもまた事実で、恐ろしいとも思っているのです。

2017年本屋大賞が決まりました!

2017年本屋大賞は恩田陸氏の『蜜蜂と遠雷』に決定!

2017年4月11日に、本屋大賞が発表されました。(「本屋大賞」 : 参照 )

受賞作は恩田陸氏の『蜜蜂と遠雷』であり、156回直木三十五賞との同時受賞ということになりました。2005年の本屋大賞を受賞した『夜のピクニック』に次いで二回目ということになります。

実は、私はまだ読んではいません。

図書館に予約はしているものの、なかなか順番が回ってこずに未読のまま大賞発表をむかえてしまいました。自分で買えよという話ですが、諸事情によりそうもいかず、図書館のお世話になっている私です。この点に関してはいろいろと議論もあるところであり、そのうちに書きたいと思っています。

『蜜蜂と遠雷』は「青春音楽群像小説」です

受賞作の『蜜蜂と遠雷』ですが、この作品は著者本人の言葉によると「青春音楽群像小説」だそうです。

音楽小説と言えば、本書同様の本屋大賞受賞作で、第154回直木賞の候補作にもなった宮下奈都氏の『羊と鋼の森』がありました。

ピアノの調律師になろうとする一人の若者の物語であるこの作品は、ピアノの調律という作業により、顧客のいろいろな要求に応じた音色を出せるようにピアノの音階、音色を調整する作業の中で、ピアノの「音」の表現を、主人公が育ってきた森になぞらえて表現したりと、主人公の成長の物語であると同時に、心打たれる音楽の物語でもありました。

また、より直截的に音楽を描いた小説と言えば、中山七里氏の『さよならドビュッシー』から始まる岬洋介シリーズを思い出します。この作品は残念ながら本屋大賞とは無縁でしたが、第8回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞しています。

『岬洋介シリーズ』はピアニスト岬洋介を探偵役とするミステリーで、テーマとなる楽器はピアノであったり、バイオリンであったり、舞台も音楽大学やショパンコンクールなどと巻ごとにその傾向を異にしています。ところが、音楽の経験はないと言っていいこの作者の描く音楽の描写は、音楽の素人にも取り上げられているクラシックを聞く気にさせるほどの魅力を持っていました。

この二作品のどちらも、音楽という人の感性に直接に訴える芸術を、言葉で表現し読者に伝えるという非常に難しい作業を、それぞれの個性を持って表現されていたと思います。読み手にとっても、クラシック音楽という普段あまり馴染みのない音楽の分野に導いてくれる作品でもありました。

コミックの分野でも一大ヒット作となり映画化もされた二ノ宮知子の『のだめカンタービレ』や一色まことの『ピアノの森』、それに新川直司の『四月は君の嘘』ほかの好編が多く出版されています。『のだめカンタービレ』や『四月は君の嘘』は映画化もされているほどです。

今回の受賞作『蜜蜂と遠雷』も、「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」というジンクスがある、芳ヶ江国際ピアノコンクールを舞台に繰り広げられる青春群像劇ということですので、また新た音楽小説が誕生したことになります。

恩田陸の作品で音楽関係のものは?

「自身、高校生までピアノを続け、大学時代はビッグバンドでアルトサックスを担当。」( 恩田陸著『蜜蜂と遠雷』は傑作青春群像小説。著者にインタビュー! : 参照 )していたという恩田陸氏です。その恩田陸氏のこれまでの作品群に音楽関連のものがあるかと眺めてみたのですが、何せこの人の作品は『夜のピクニック』を始めとする数冊だけですので、どうもわからない。それでも何とか調べてみると、『ブラザー・サン シスター・ムーン』という作品が「本と映画と音楽…それさえあれば幸せだった奇蹟のような時間」という惹句がありました。

他には見つけることができません。悪しからず。

直木賞と本屋大賞を同時に受賞した『蜜蜂と遠雷』

直木賞と本屋大賞の同時受賞という作品は『蜜蜂と遠雷』の他には見当たらないようですね。

ただ、直木賞ではなくとも、他の様々な権威のある文学賞の候補になっていたり、受賞作であったりはしているようですね。例えば宮下奈都氏の『羊と鋼の森』は第154回直木賞の候補作になっていますし、2005年の受賞作の『夜のピクニック』は第26回吉川英治文学新人賞を受賞しています。2007年年の本屋大賞受賞作である佐藤多佳子著の『一瞬の風になれ』も第28回吉川英治文学新人賞受賞作です。

他にも伊坂幸太郎著の『ゴールデンスランバー』は山本周五郎賞を受賞していたり、湊かなえ著の『告白』は『週刊文春ミステリーベスト10』2008年版1位であったりと、全国の書店員の方たちが皆に読んで欲しいと選んだ作品である作品は、やはりそれなりの評価を受けていることがおおい、ということは言えると思います。

冲方丁著の2010年の本屋大賞受賞作である『天地明察』に至っては、第31回吉川英治文学新人賞、第7回北東文芸賞、第4回舟橋聖一文学賞、第4回大学読書人大賞と受賞しているのです。

とは言いながら、既存の権威のある文学賞とは異なるところでの、「商品である本と、顧客である読者を最も知る立場にいる書店員が、売れる本を作っていく、出版業界に新しい流れをつくる」という趣旨から設立されたこの賞ですから( 本屋大賞 : 参照 )、既存の文学賞の評価を見ること自体、意味のないことなのでしょう。

本屋大賞受賞作品としての『蜜蜂と遠雷』

個人的には、というよりも一般に認められている事実だと思うのですが、「本屋大賞」は、ノミネートされただけでもその面白さは保証されていると言っても間違いはない賞だと思っています。

ましてや、その中での大賞を受賞した作品ですから過去の受賞作を遡って検証するまでもなく万人に受け入れられ得る面白さを持った小説であることは間違いはありません。

2016年もお世話になりました。

今年(2016年)も大晦日となりました。何といっても今年は「地震」を抜きにしては語れません。

四月に二度の大地震があり、我が家では屋根瓦の落下や家の壁面のひび、水道管の漏水などの大きな出費を必要とする被害がありました。家の近所を見渡しても、家屋の損壊診断が半壊でも、事実上住み続けることが出来ずに取り壊しとなった家が数軒あります。うち二軒は来春には新築家屋が出来るそうですが、幼いころからのご近所さんであった一軒は取り壊しが決まり転居されていまいました。

半分ひきこもり状態で過ごしている私は近所以外の事情はよく分かりませんが、比較的被害が少なかった我が家の近所でもそうですから、他の地域の状態は推して知るべしなのでしょう。

それでも、全国各地からの応援もあり、ほとんど震災前の状態にはなっています。勿論、震源近くの益城、御船、西原、南阿蘇といった地域を除いての話ですが。

我が家限定で言えば、家族全員無事に年を越すことが出来ることの幸せを感じています。そうでない方々もおられることを考えると、大声で言えない気もするのですが、あらためて普通に過ごすことができることの有難さを感じています。

本サイトにも多くの方に訪ねて頂きました。また多くの方々にお見舞いや励ましの言葉を頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。本当に、有難うございました。

この一年、また様々の本との出会いがあり、面白い作品、感動させられた作品などいろいろありました。ここで、ベスト作品を記そうかとも思いましたが、何とも選びきれません。もう少し整理の上、改めて掲載したいと思います。

また来年も引き続き拙い文章を綴っていきますので、よろしくお願い致します。

再度のリニューアル

一日ほんの少しずつ、当サイトに手を加え、若干の変更を加えました。

見た目はそれほど変わってはいません。
不要と思われるメニュー項目を減らしたくらいでしょうか。
一番時間がかかったのは、レスポンシブル対応にしたことです。といっても、いままでも形だけは対応していたのですが。
ホントに形だけの対応で、文字の大きさや、スマホ用の画面のレイアウトなどはパソコン用のものをそのまま流用したもので、実際実に見にくいものでした。

それを、ワードプレスの Twenty-Six というテーマをもとにレスポンシブル対応としたのです。携帯やスマホの使い勝手が良く分からないため、少し手を入れてはま立て直しと、思いのほか時間がかかってしまいました。

悪い癖できちんとした設計なしに見切り発車したものですから、勉強しながら手を入れる、の繰り返しでした。

今回もまたワードプレスへの移行のときと同じく、時間ばかりかかり過ぎるのでとりあえずアップした次第です。

実際運用していく中でまた少しずつ手を入れていこうと思っています。もしかしたら、途中で使いにくいという事態を引き起こすかもしれませんが、悪しからずご了承ください。

熊本地震 ひと月後の今

過ぎてしまえば早いもので、今では前震と言われる揺れがあってからひと月が経ってしまいました。

2016年4月14日 21時26分ごろ、益城町で震度7、私が住んでいる熊本市中央区で震度5強の地震がありました。

そして、2016年4月16日 1時25分ごろ、熊本県西原村と益城町で震度7、熊本市中央区で震度6強の地震が再度ありました。後にこの地震が本震であり、14日の地震は前震である、ということになったのです。

その後、それぞれの地震について震度5弱程度の余震が起き、震度4や震度3の余震はは数えるのも面倒なほど起きています。当然のことながらその数日はろくに眠れるはずもなく、それでも神経は張っているので眠気自体をあまり感じませんでした。

震度5強という強い揺れの割にはわたしの近所では外観はそれほどの被害はありません。とは言っても、我が家を始めとして瓦はあちこちで落ちていますし、ブロック塀も倒れています。でも、少なくとも後に見た益城の状況に比べれば大きな被害とは言えません。

ただ、家の中はどこも悲惨な状況だったようです。陶器やガラスの破片が散乱し、まずは屋内で怪我をしないことに千円しなければならなかったと言います。我が家は幸いにしておさえてあったので助かりました。

運が良かったのは、たまたま前日のふろの残り湯があったことです。電気、ガス、水道が止まり、トイレも流せなくなります。常に残り湯をためておくこと、今後実践したいことの一つになりました。

幸いに我が家付近は電気が数時間で復旧したため、料理やお湯を使えたのは大きな出来事でした。以後のライフラインの復旧は担当職員の方々の必死の作業で思いのほかに早く、有難い思いでいっぱいです。この復旧に関しては県外の応援の方々も含め、雨の中でも必死で作業されており、頭が下がるばかりでした。

先日、熊本空港の近くにある我が家の墓を見に行ってきました。かなり大きな霊園なのですが、三分の一を越える墓石は倒れていたように思います。単に倒れているだけでなく、隣の墓の墓石を破壊してたり、そうでなくても通路に墓石、灯篭の破片が散乱していたりと悲惨な状況でした。お墓を立て直したくとも個人では無理だし、だからといってすぐには対応できないのが現状です。まずは家をきちんとしなくてはなりません。

ひと月が経つ現在もなお余震が続いています。夜なかに飛び起きることも未だにあります。でも大きいと思っても震度1であったり、震度2であったりと、次第に終息に向かっている感じはします。

たまに、地面を大槌で叩くような、ドンという音がする余震があります。音だけなのです。あれは何なのでしょう。それに加え、音と共に強い揺れが続くこともあります。次第に慣れてきてはいるのでしょうが、それでも心の底に「恐怖」があるのは否定できません。

避難せずに我が家で暮せることのありがたさを感じます。借りてきたテレビで見る益城の様子は思っていた以上ものもがあります。避難所暮らしの方々の苦労が今では少しですが身にしみます。はやく以前のような日常に戻ることを願うばかりです。

熊本地震について

その日、家族と「秘密の県民ショー」を見て共に笑っていたら、突然の揺れ。いつものようにこれから収まっていく、と思っていたらそれからの揺れが更にひどくなるばかり。

本が落ち、台所で皿が飛び出し、まさかという思いでした。幸い、割れた皿も数枚で、あとは落下した本が散乱しているくらい。思いのほか軽い被害でほっとしていたのです。その夜は、強い余震が続く中、それでも二時間弱ほど眠れたでしょうか。

翌十五日は落下した本をかたずけ、とりあえず貼った食器棚のガムテープはそのままに、次から次へと押し寄せる強い余震のために何もできず、一日が過ぎました。この時点では水道もガスも生きています。風呂にも入れました。余震はあるものの、もう大きなものは無いとの安心感の中寝たのです。

その夜。十六日一時二十五分頃にまた下から突き上げるような強い揺れ。昨日よりもさらに強く、長く、なかなか収まりません。そうしているうちに瓦が落ちる音が聞こえました。

やっと収まり、暗闇の中を枕元に置いておいた懐中電灯を頼りに家の中を調べると、本は若干の追加で落ちたほど。台所はガムテープが効いたのでしょう、異常なし。他の家では食器などが飛び出し家の中が歩けないというのに、このガムテープは嫁さんのファインプレーでした。ただ、昨日は大丈夫だったテレビが倒れていました。電気は切れているのでラジオをつけっぱなしにして、何もできないので布団にもぐりこみました。勿論、余震も続き、眠れません。

まだ読も明けぬ中、お隣さんが給水車が来ていると知らせてくれ、家族と共にとりあえずの水を確保しました。並んでいるとき、避難所へ避難しようとする家族が多数通っていきます。

明るくなってから家の周りを見ると瓦が散乱しています。近所の家はあまり落ちていないのが不思議です。

私の住まう付近では電気はかなり早いうちに回復しました。早速テレビをつけると、写らない。倒れた時に画面を打ったらしく、画面右下を起点として上下左右に線が入り、残り四分の三くらいで画像が出るものの、暗い。そのうちに真っ白になってしまいました。

ということでネットとラジオで情報収集。御船がかなりひどいことになっています。

水もガスも出ないので、早速トイレから困ります。前日入った風呂の湯船の水があったのでとりあえずは流せます。これは助かりました。次は飲み水です。未明に確保した水の他に近所のスーパーで緊急に売り出された水を買い、やはり近所の人が確保した井戸水を分けてもらいました。

電気が生きているのは助かります。電気ポットでお湯を沸かし、電気プレートで焼きものもでき、レンジで温めることも可能です。買い置きがあればの話です。昨日(十八日)からは少しずつではありますが水も出始めました。ガスも今各家をガス会社の人が回っておられます。復旧は全戸での点検を済ませた後でのことになりそうです。

こうして見ると、大きな地震の割には私が住んでいる場所は被害が軽くて済んでいるようです。しかし、より震源に近い場所では現実に家が倒壊しています。私のように自分の家で寝ることなど考えられない人たちが多くおられます。そうした人たちのことを考えると文句など言えるものではありません。近所のスーパーにもかなり遠くの人たちが車でわずかな情報を頼りに駆けつけてきているそうです。

阪神・淡路大震災や東日本大震災の時、九州に住んでいる私たちは、やはりどこか人ごとだったと思います。それがいざ、自分自信のことになって初めて、その怖さ、悲惨さが実感できるものだと思い知らされました。電気、ガス、水道といったライフラインの大切さ、そこに働く人たちの必死の作業で私たちが生活できていることが身にしみて感じられます。更に御船や阿蘇では悲惨なことにもあっていて、警察や自衛隊の方々の作業があっているようです。その方たちの働きの上に私たちの生活があることをかみしめる必要があると思います。

テレビも無く、何もできない中、本だけを読んでいます。でも、その感想を書くまでの気持ちの余裕はありません。この文章も、二日前に書こうと思ったのですが、実際書こうとすると心の余裕がないことに気づきました。やっと、客観的に見れるかなと思います。

この文章を書く間にも何回かの余震を感じました。なんとなく慣れている自分がいます。本震からまだ三日目も経っていないなんて信じられません。