熊本地震について

イラスト1

その日、家族と「秘密の県民ショー」を見て共に笑っていたら、突然の揺れ。いつものようにこれから収まっていく、と思っていたらそれからの揺れが更にひどくなるばかり。

本が落ち、台所で皿が飛び出し、まさかという思いでした。幸い、割れた皿も数枚で、あとは落下した本が散乱しているくらい。思いのほか軽い被害でほっとしていたのです。その夜は、強い余震が続く中、それでも二時間弱ほど眠れたでしょうか。

翌十五日は落下した本をかたずけ、とりあえず貼った食器棚のガムテープはそのままに、次から次へと押し寄せる強い余震のために何もできず、一日が過ぎました。この時点では水道もガスも生きています。風呂にも入れました。余震はあるものの、もう大きなものは無いとの安心感の中寝たのです。

その夜。十六日一時二十五分頃にまた下から突き上げるような強い揺れ。昨日よりもさらに強く、長く、なかなか収まりません。そうしているうちに瓦が落ちる音が聞こえました。

やっと収まり、暗闇の中を枕元に置いておいた懐中電灯を頼りに家の中を調べると、本は若干の追加で落ちたほど。台所はガムテープが効いたのでしょう、異常なし。他の家では食器などが飛び出し家の中が歩けないというのに、このガムテープは嫁さんのファインプレーでした。ただ、昨日は大丈夫だったテレビが倒れていました。電気は切れているのでラジオをつけっぱなしにして、何もできないので布団にもぐりこみました。勿論、余震も続き、眠れません。

まだ読も明けぬ中、お隣さんが給水車が来ていると知らせてくれ、家族と共にとりあえずの水を確保しました。並んでいるとき、避難所へ避難しようとする家族が多数通っていきます。

明るくなってから家の周りを見ると瓦が散乱しています。近所の家はあまり落ちていないのが不思議です。

私の住まう付近では電気はかなり早いうちに回復しました。早速テレビをつけると、写らない。倒れた時に画面を打ったらしく、画面右下を起点として上下左右に線が入り、残り四分の三くらいで画像が出るものの、暗い。そのうちに真っ白になってしまいました。

ということでネットとラジオで情報収集。御船がかなりひどいことになっています。

水もガスも出ないので、早速トイレから困ります。前日入った風呂の湯船の水があったのでとりあえずは流せます。これは助かりました。次は飲み水です。未明に確保した水の他に近所のスーパーで緊急に売り出された水を買い、やはり近所の人が確保した井戸水を分けてもらいました。

電気が生きているのは助かります。電気ポットでお湯を沸かし、電気プレートで焼きものもでき、レンジで温めることも可能です。買い置きがあればの話です。昨日(十八日)からは少しずつではありますが水も出始めました。ガスも今各家をガス会社の人が回っておられます。復旧は全戸での点検を済ませた後でのことになりそうです。

こうして見ると、大きな地震の割には私が住んでいる場所は被害が軽くて済んでいるようです。しかし、より震源に近い場所では現実に家が倒壊しています。私のように自分の家で寝ることなど考えられない人たちが多くおられます。そうした人たちのことを考えると文句など言えるものではありません。近所のスーパーにもかなり遠くの人たちが車でわずかな情報を頼りに駆けつけてきているそうです。

阪神・淡路大震災や東日本大震災の時、九州に住んでいる私たちは、やはりどこか人ごとだったと思います。それがいざ、自分自信のことになって初めて、その怖さ、悲惨さが実感できるものだと思い知らされました。電気、ガス、水道といったライフラインの大切さ、そこに働く人たちの必死の作業で私たちが生活できていることが身にしみて感じられます。更に御船や阿蘇では悲惨なことにもあっていて、警察や自衛隊の方々の作業があっているようです。その方たちの働きの上に私たちの生活があることをかみしめる必要があると思います。

テレビも無く、何もできない中、本だけを読んでいます。でも、その感想を書くまでの気持ちの余裕はありません。この文章も、二日前に書こうと思ったのですが、実際書こうとすると心の余裕がないことに気づきました。やっと、客観的に見れるかなと思います。

この文章を書く間にも何回かの余震を感じました。なんとなく慣れている自分がいます。本震からまだ三日目も経っていないなんて信じられません。

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