墨のゆらめき

墨のゆらめき』とは

 

本書『墨のゆらめき』は、2023年5月に232頁のハードカバーで刊行された長編の現代小説です。

真面目なホテルマンと奔放な書家との間の、次第に変化してゆくその関係性を描き出した心温まる作品でした。

 

墨のゆらめき』の簡単なあらすじ

 

実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。(内容紹介(出版社より))

 

墨のゆらめき』の感想

 

本書『墨のゆらめき』は、朗読ということを前提に書かれた、奔放な書家と真面目なホテルマンとの心の交流を描く長編小説です。

さすがに三浦しをんという実績ある作家の作品だけあって文章はとても読みやすく、内容も心惹かれるものがありました。

また、単に主役二人の関係性の展開が面白いというだけでなく、「書」という普段馴染みのない分野が対象になっているという点でも惹かれたのだと思います。

 

本書を読みながら、「書」をテーマにした作品ではないものの砥上裕将の『線は、僕を描く』という作品を思い出していました。

この作品は本書同様に墨と筆を使用するものの、水墨画をテーマに一人の若者の再生を描いた作品で、第59回メフィスト賞を受賞し、2020年の本屋大賞でも三位となった感動の長編小説でした。

描く出す対象は異なるものの、同様に墨と筆を使用した芸術作品を生み出す作業であって、東洋的であり、墨の濃淡で書(描)き手の精神性が重視されるという点で共通するところから思い浮かべたと思います。

また、手紙の代筆という点では小川糸の『ツバキ文具店』という作品もありました。

代書依頼者の望み通りに、依頼の内容に応じた便せん、筆記具、書体で、勿論、手紙を書く上での作法をふまえ手紙を仕上げていく、一人の代書屋さんの日常を描いた心あたたまる2017年本屋大賞で第4位になった長編小説です。

 

 

本書『墨のゆらめき』は、主人公のチカこと続力と彼が筆耕を依頼する書家の遠田薫との交流する姿の描写こそが第一の魅力でしょう。

謹厳実直という言葉があてはまるホテルマンである主人公のチカと、ホテルの宛名書きを引き受ける傍若無人という言葉があてはまる書家との軽妙な掛け合いと、次第に打ち解けていく二人の関係性の変化の描写は絶妙です。

生真面目な続が、書道教室に通ってくる小学生と一緒になって、窓から入ってくる風を感じて書けという遠田の姿に思いのほか真摯な書家の姿を感じ、次第に彼との付き合いに心地いいものを感じてくるのです。

 

他方、遠田の書く「書」に次第に惹かれていく力の様子もまた、作者の「書」の魅力を伝える文章のうまさが光る点です。

力が、遠田が書いた「君去春山誰共遊」という七語から始まる漢詩を見たときの印象を述べた箇所は後述のように個人的には疑問があるところですが、こうした場面の必要性は否定できず、読み応えのある個所の一つでしょう。

ちなみに、この漢詩は劉商という中唐の詩人が旅立っていく友人の王永を送るときに詠った詩だそうです( ハナシマ先生の教えて!漢文 : 参照 )。

 

また、「書」の魅力の紹介もそうですが、先に述べた手紙の代筆の作業である代書屋としての作業もまた魅力的です。

ただ、主人公の続力が生み出す文章を、遠田薫という書家が依頼人にあった筆跡で手紙の代筆を描き出す点でも面白いのですが、なによりもその作業を通して「書」の魅力を引き出しているというところに眼目があると思っています。

そして、そうした作業の合間に顔をのぞかせるカネコの存在が絶妙です。三浦しをん節が明確に表れている個所とも言えるでしょう。

このカネコは「鼻の下に横一線に走った黒い模様で、口ひげを生やしているみたい」であり、金子信雄みたいだからカネコなんだそうです。

 

しかしながら、主人公が遠田の書いた書を見ての印象についての独白の箇所はついていけません。

というのも、上記の送王永の詩についての印象を語る場面などはとても素人が抱ける印象とは思えないのです。

音楽や絵画をテーマとする芸術小説ではいつも思うことですが、一般素人が物語に絡むとき、芸術家のような語りを始めますが、一般素人はそうした感性や言語化の能力を持たないとしか思えないのです。

そうした素人にも感動を与えるのが芸術なのだと反論されそうですが、美しい、素晴らしいという印象は持ってもそれを具体的に言語化する能力は持たないでしょう。

ましてや、遠田の書を見て哀しさが漂っているなどというイメージを抱き得るものなのか疑問しかありません。

でも、そうした感想は芸術関連小説の存在を否定することにもなりかねず、ジレンマと感じるところでもあります。

 

本書『墨のゆらめき』という作品が、書道という分野についてわかりやすく説き起こしており、また作者の文章のうまさともあいまって素晴らしい小説として成立していることは否定できません。

ということは、結局は読み手である私の半端な感想という点に尽きるのでしょう。

ただ、三浦しをんらしい面白く、そして感動的な作品でもある本書をただ楽しめばいいということだと思います。

 

本書は「新潮社(書籍)とAmazonのオーディブル(朗読)の共同企画で、全篇の朗読が先行して配信された後、書籍が刊行され( 三浦しをん『墨のゆらめき』特設サイト : 参照 )」た作品です。

若い頃に古典落語をカセットテープで聴くことにはまった時期がありましたが、私自身の歳を考えても、そのうちに「聞く」読書というものを考えてもいいかもしれません。いつか聞いてみたいものです。

本を「聴く」ことについて下記サイトがありました。サブスクをきっかけとして「聴く読書」が新たなスタイルとして確立される可能性も高いということです。

愛なき世界

恋のライバルは草でした(マジ)。洋食屋の見習い・藤丸陽太は、植物学研究者をめざす本村紗英に恋をした。しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。見た目が殺し屋のような教授、イモに惚れ込む老教授、サボテンを巨大化させる後輩男子など、愛おしい変わり者たちに支えられ、地道な研究に情熱を燃やす日々…人生のすべてを植物に捧げる本村に、藤丸は恋の光合成を起こせるのか!?道端の草も人間も、必死に生きている。世界の隅っこが輝きだす傑作長篇。(「BOOK」データベースより)

 

端的に言えば、本書は三浦しをんらしさにあふれた、植物学という学問の世界を背景にしたとある女性植物学者の研究の様子を紹介した作品です。

そして、本書は2019年の本屋大賞にノミネートされた長編の長編の青春恋愛小説でもあります。

ただ、残念ながら私の感性とは少々異なる作品でした。

 

三浦しをんという作家は、綿密な取材をもとにある専門的な分野を素人にもわかりやすく紹介しながら、面白い物語を紡ぎ出してくれる作家です。

その作家が今回選んだのは、植物学という分野でした。その植物学のなかでも全ゲノム解析が終了している「モデル植物」であるシロイヌナズナの研究が取り上げられ、その研究に没頭するT大学の院生本村紗英の姿が描かれます。

ただ、主人公はもう一人います。T大学近くの洋食屋「円服亭」でコック見習いをしている藤丸陽太という若者です。

この藤丸が店の客でもあった本村に恋をするのです。

 

しかし、この作者の他の作品、例えば『神去なあなあ日常』、『舟を編む』などと比べると、面白さという点で個人的には評価の低い作品でした。

これらの作品は、物語自体が読者を引き付ける面白さを持った作品であり、『舟を編む』に至っては本屋大賞を受賞しています。

ところが、本書も2019年の本屋大賞にノミネートされているほどに評価をされている作品であるにもかかわらず、これらの作品ほどには感情移入することはできなかったのです。

 

 

確かに、本書の場合、本村紗英が属する研究室の教授である「神経質な殺し屋みたいな外見」の松田賢三郎を始め、研究室の川井や、岩間加藤といった登場人物たちは個性的であり、魅力的です。

でも、植物学というあまり身近でない分野が対象であるためか、今一つ関心を持てませんでした。

葉っぱが大きくなる仕組みを知りたいと、シロイヌナズナという植物の四重変異体を作り出す過程を説明されても、読者として関心を持てないのです。

神去なあなあ日常』での林業や、『舟を編む』での辞書の編纂作業ほどの関心を持てればよかったのでしょうが、こればかりは仕方ありません。

 

それに、本書『愛なき世界』の場合、ストーリー自体の展開にそれほど波がない、という点も私の心に響きにくかった理由の一つだと思われます。

なにせ、全部で447頁という本書の殆ど四分の三を占める本村紗英の視点の部分では、シロイヌナズナに関する実験の過程が語られるのであり、物語としてのストーリー展開は事件結果の進展のみと言ってもいいほどなのです。

本書の冒頭100頁近くは、もう一人の主人公藤丸陽太の視点で語られています。この部分には、藤丸自身の来歴を紹介しながら、本村との出会い、そして本書の本筋である本村の研究へと導く役割があります。

ここらは青春恋愛小説として気楽に読み進めていたのですが、藤丸から本村へと視点が移り変わるとともに、テーマは恋愛から研究へと移ります。

藤丸は本村の研究の行き詰まりなどの場面で、藤丸の気楽さゆえになされる助言などでその存在感を発揮することになります。

でも、本村の主眼はあくまでシロイヌナズナの変異体の作成であり、藤丸の存在は脇へと退き、読者の関心は植物を通しての生物の生命の不思議へと導かれていきます。

そして終わりの50頁程はまた藤丸の視点に戻り、彼らのこれからへとつながっていくのです。

 

本書が2019年の本屋大賞にノミネートされたということは、それだけ書店の方々の支持があったということですが、残念ながら本書に限っては私の感覚とは一致しなかったようです。。

先に述べたように、本村紗英という植物学者とその植物学者に恋をした藤丸陽太というコック見習いとの恋模様を描いた作品、だと思っていましたが、そうではなかったのです。

三浦しをんが好きな読者にはそれなりに受け入れられる作品だとは思いますが、それ以上のものだとは思えなかったということです。

政と源

東京都墨田区Y町。つまみ簪職人・源二郎の弟子である徹平(元ヤン)の様子がおかしい。どうやら、昔の不良仲間に強請られたためらしい。それを知った源二郎は、幼なじみの国政とともにひと肌脱ぐことにするが―。弟子の徹平と賑やかに暮らす源。妻子と別居しひとり寂しく暮らす国政。ソリが合わないはずなのに、なぜか良いコンビ。そんなふたりが巻き起こす、ハチャメチャで痛快だけど、どこか心温まる人情譚!(「BOOK」データベースより)

本書の主人公は有田国政と堀源二郎という二人の爺さんです。「政」は銀行員上がりの堅物で、「源」はつまみ簪職人の破天荒男。正反対の性格をした二人は幼馴染で、東京下町で暮らしています。

三浦しをんという作家の作品にはよく『まほろ駅前シリーズ』の多田と行天、『神去シリーズ』の勇気と与喜のように迷コンビが登場し、読者を楽しませてくれます。これらの登場人物は実に個性的で魅力的です。そして何となく身近にもいそうな親近感を感じていました。

ところが、本書の二人に関してはその親近感をあまり感じなかったのです。本書の二人も他の作品のコンビのようにコミカルで、親しみやすい感じはするのですが、何となく軽いのです。主役がそうですから、脇役に至ってはなおさらです。特に、源二郎の弟子としている元ヤンの徹平とその彼女マミがまた能天気です。

普通であれば脇役の気楽さは作品の読みやすさに結びついてよさそうなのですが、本書の場合は主人公らに厚みを感じない分、更に作品の軽さに結びついてしまったのではないでしょうか。

加えて、本書のイラストがまた軽いという印象を持つ一因ではないかと思われます。このイラストが少女漫画のそれであり、み目麗しい爺さん二人がカバー装丁として構えているのはいただけませんでした。

ただ、読後本書についての記事を読んでみると少女雑誌に連載されていた作品だということでした。とするならば対象読者層に合わせての物語であり装丁でしょうから、本書の内容について浅く感じたのも当然なのかもしれません。それは逆に、少女雑誌というメディアにおいても三浦しをんという作者の魅力を十全に開花させた作品だということになるのでしょう。

また、作者の本書についてのインタビュー記事に、本書の舞台となる墨田区のY町は全く架空の街だそうで、ですからスカイツリーもあえて全然登場させていないのだそうです。更に言えば本書の舞台を流れる水路に関しても、現実の下町に現役の水路は存在しなくて作者の想像で描き出したものだとありました。

特に目についたのは、つまみ簪の描写も参考書をもとにした想像だそうで、その点について、小説の中の種々の設定はあくまで架空のものであるから、村上春樹が現実には「ラジエーターが故障するフォルクス・ワーゲン」は現実には無いけれど、「作品世界のなかでは、ビートルにラジエーターが存在すると考えてほしい」と反論していた話を引いていたのが印象的でした。

であるのならば、これまで小説を読んだ中でリアリティーを感じない一因として、現実と異なること、を挙げていた私の読み方も少し修正すべきことになりそうです。

仏果を得ず

高校の修学旅行で人形浄瑠璃・文楽を観劇した健は、義太夫を語る大夫のエネルギーに圧倒されその虜になる。以来、義太夫を極めるため、傍からはバカに見えるほどの情熱を傾ける中、ある女性に恋をする。芸か恋か。悩む健は、人を愛することで義太夫の肝をつかんでいく―。若手大夫の成長を描く青春小説の傑作。(「BOOK」データベースより)

本書の主人公は、人形浄瑠璃の謡(うたい)に魅せられた笹本健という若手技芸員です。彼は修学旅行で文楽を見た際の義太夫の魅力に取りつかれ、自らもその世界に飛び込み技芸員となります。

「技芸員」とは、浄瑠璃語りの大夫、三味線弾き、人形遣いの三者のことを言い、「歌舞伎という、非常に閉鎖的な伝統芸能の世界で、一般の人がプロを目指そうとすると、日本芸術文化振興会が主宰し、国立劇場に付属する伝統芸能伝承者養成所で、芸を学ぶしか今のところ方法がない。(「歌舞伎俳優」の職業解説【13歳のハローワーク】:参照)」そうです。

笹本健という本書の主人公の周りには、相方とも言える三味線の鷺澤兎一郎や師匠の銀太夫らの実に魅力的な人物が配置されていて、主人公の健は、彼らの人情に助けられ、精神的にも成長していく姿が描かれています。

「人形浄瑠璃」または「文楽」といっても、なかなかに一般人には縁のない世界での話であって、歌舞伎以上に知識のない伝統芸能と言っていいのではないでしょうか。ところが、三浦しをんという作家は、この見知らぬ世界を何の知識もない私のような読者にも違和感なく溶け込める物語を構築するのですから、それは見事としか言いようがありません。

ここで「人形浄瑠璃」、「文楽」とは、厳密にはその意味するところは違いますが、現代では同義と言ってもいいそうで、「人形+浄瑠璃=文楽」ということになるそうです。(文楽の魅力「人形浄瑠璃 文楽座」: 参照)

直木賞を受賞し映画化もされた『舟を編む』では辞書編纂の話、これまた映画化もされた『神去なあなあ日常』では林業の話と、一般人がなかなか知らない世界を小説化し、そのどれもがとても面白い作品として仕上がっていますが、本書もまた同様です。

本書のタイトルである「仏果を得ず」という言葉は、『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』という演目に出てくる言葉です。この演目の主人公である勘平は仏果、仏の境地を得ることをよしとせずに、「魂魄(こんぱく)この土にとどまって敵討ちの御共する」と言いながら息絶えるのだそうです。生きて仇討の手伝いをするということですが、この言葉のもと、健が「仏に義太夫が語れるか。」と言いつつ、「俺が求めるものはあの世にはない。」として、生き抜いて義太夫を語る、と言い切るラストは見事です。

現代の若者が芸事に励む姿を描く小説としては、佐藤 多佳子しゃべれどもしゃべれどもがあるくらいです。勿論他にもあるのでしょうが、私が読んだ作品では他には思いつきません。この作品は落語の世界を舞台に、二つ目の若者が落語指南をする物語で、主人公の成長譚とも読める青春小説ですが、本書同様に読みやすく、そして心地よい感動をもたらしてくれる作品でした。

現代の若者の芸事に励むということではなく、単に芸道をテーマにした作品と言えば、推理小説ですが、歌舞伎の世界を描いた近藤史恵の『巴之丞鹿の子』や、松井今朝子の『道絶えずば、また』などもあります。ただ、『道絶えずば、また』は私が既読の作品を挙げているだけで、この物語は『風姿花伝三部作』の完結編なので要注意です。

神去なあなあ夜話

本書『神去なあなあ夜話』は『神去なあなあ日常』の続編であり、連作の短編小説といってもよさそうな長編の青春小説です。

主人公の平野勇気が中村林業株式会社の正社員になっており、前話では語られなかったこの神去村についていろいろなことが明らかになっています。

 

三重県の山奥、神去村に放りこまれて一年が経った。最初はいやでたまらなかった田舎暮らしにも慣れ、いつのまにか林業にも夢中になっちゃった平野勇気、二十歳。村の起源にまつわる言い伝えや、村人たちの生活、かつて起こった事件、そしてそして、気になる直紀さんとの恋の行方などを、勇気がぐいぐい書き綴る。人気作『神去なあなあ日常』の後日譚。みんなたち、待たせたな!(「BOOK」データベースより)

 

本書『神去なあなあ夜話』は、「神去山の起源」「神去山の恋愛事情」「神去山のおやかたさん」「神去山の事故、遭難」「神去山の失せもの探し」「神去山のクリスマス」「神去山のいつもなあなあ」という全七夜の構成になっていて、ネット未接続のパソコンに入力されている読者のいない記録、という設定もそのままです。

 

そもそも本シリーズのタイトルは『「神去村(かむさりむら)」という字面と響きがかっこいい』ということで決まったらしいのです。

では「神様が去った村ってどんな村かな」ということになり、神去村の起源を書いたのが本書の第一話だそうです。

その後に第二話では、ヨキとその嫁みきさんの馴れ初めが語られ、第三話では山にある神の宿る木へと話は移ります。

 

このように本書『神去なあなあ夜話』では、神去村の歴史や前巻で紹介された登場人物の過去の出来事の紹介が為されています。

神去村の神話は、自然に対する畏敬の念を生活の中に持ち続ける神去村の人々の物語とも重なる話なのでしょうし、かつての悲惨な事故はヨキと中村林業社長の清一さんとの現在の関係を物語るものでもあります。

失せもの探しに霊験あらたかなお稲荷さんの話は、神去村の不思議話であり、清一さんちでのクリスマスの話は、山の仲間の心温まる物語であって、神去村の住民の自然を大事にしながら、仲間と共に生きる姿が語られています。

 

勿論、本書『神去なあなあ夜話』では山のトリビア的知識もちりばめられていますし、また、勇気と直記との恋の行方も記してあります。というよりも、全体を通して、この二人の恋の進展が語られているのです。

前作に比べると少々全体として小ぶりになっている感じはありますが、それでも三浦しをんの物語です。軽く読めて、それでいてとても心地良い物語でした。

WOOD JOB! ~神去なあなあ日常~ [DVD]

矢口史靖監督による青春林業エンタテインメント。大学受験に失敗し、彼女にもフラれ、散々な状態で高校を卒業した勇気は、ふと目にしたパンフレットで微笑む美女に釣られ、林業研修プログラムに参加することに。染谷将太、長澤まさみ、伊藤英明が共演。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

テレビで放映された作品を見たのですが、思ったよりもかなりいい出来でした。

神去なあなあ日常

本書『神去なあなあ日常』は、林業の世界を舞台に成長する十九歳の平野勇気の姿を描く長編の青春小説です。

三浦しをんという作家の特徴の一つにキャラクタ造詣のうまさがあると思いますが、本作でもそのうまさはいかんなく発揮されています。

 

高校卒業と同時に三重県の山村に放り込まれた平野勇気19歳。林業の現場に生きる人々の1年間のドラマと勇気の成長を描く。(「内容紹介」より)

 

平野勇気(ひらのゆうき)は高校卒業後、三重県の山奥にある神去村で就職することになる。

近鉄の松阪で乗り換え、名前も知らないローカル線の終点の無人駅で出迎えたのは飯田与喜(いいだよき)という男だった。

さらに軽トラックで一時間ほど走り、神去村の「中(なか)」地区で二十日程の研修を受けた後、村の最奥部の神去地区にある中村林業株式会社へと連れて行かれたのだった。

 

まずはこの飯田与喜(いいだよき)という男が、山の申し子のような男でユニークです。美人の奥さんを持ち、惚れこんでいながらもよそで遊び、奥さんに叩きだされている男なのです。

しかしながら、山に入ると別人のような活躍を見せます。このヨキという男が勇気の世話係であり、ヨキの家に同居することになります。

一年を経た勇気がこの一年を振り返り手記を書いた、それが本書だという設定です。

 

全くの山のど素人である勇気が、ヨキや中村林業社長の中村清一、長老的存在の小山三郎といった仲間に叱られながらも、よそ者から村の一員へと育っていく様が、ユーモラスに描かれています。

当然のように勇気が恋心を寄せる女性も登場します。ヨキの奥さんも美人だし、中村社長の奥さんもそうで、何故かこの村は美人が多いのです。

 

山里の崩壊、ということが言われ始めたのは何時だったでしょうか。自然と人間との共存など声高に言われたこともありましたが、いつの間にか聞こえなくなりました。そんなところに「林業小説」と銘打たれた作品です。

勿論、本書だけでは林業の実際の苦労、辛さをうかがい知ることはできませんし、作者もそういうことは考えてはいないでしょう。しかしながら、例えそれは少しであれ、現実の林業の一部を示してあることも事実だと思うのです。

 

単に舞台設定として珍しいというに止まらず、山や木との触れ合いなど、自然の大切さを声高に叫ぶことのない主張は、一読する価値ありだと思います。

ちなみに、本書『神去なあなあ日常』には続編として『神去なあなあ夜話』が出版されており、また『WOOD JOB! 〜神去なあなあ日常〜』というタイトルのもと、2014年に染谷将太主演で映画化されています。

 

まほろ駅前狂騒曲 [DVD]

瑛太と松田龍平共演による、映画『~多田便利軒』、TVドラマ『~番外地』に続くシリーズ第3弾となる劇場版。まほろ駅前で便利屋を営む多田啓介の下に、行天春彦が転がり込んで3年目。多田は行天の元妻・三峯凪子から、娘・はるの子守りを依頼され…。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

同じキャストで映画化された『まほろ駅前多田便利軒』の続編です。

まほろ駅前狂騒曲

まほろ市は東京都南西部最大の町。駅前で便利屋を営む多田と、居候になって丸二年がたつ行天。四歳の女の子「はる」を預かることになった二人は、無農薬野菜を生産販売する謎の団体の沢村、まほろの裏社会を仕切る星、おなじみの岡老人たちにより、前代未聞の大騒動に巻き込まれる!まほろシリーズ完結篇。(「BOOK」データベースより)

 

「まほろ駅前多田便利軒シリーズ」の完結篇となる長編小説です。

 

何といっても、本書では「はる」という女の子の存在が一番の舞台装置でしょう。そして、その「はる」と行天とのからみこそが見どころです。勿論、この二人に振り回される多田の存在があってのことですが。

 

多田は、行天の過去を知る女性から頼まれ、少しの間、「はる」という名の女の子を預かることになった。

問題は極端なまでに子供を嫌う行天なのだが、なんとか騙しながらも三人の共同生活が始まる。

三人で暮らす間にも仕事は入り、星の絡んだ依頼や、岡氏を中心とした年寄りたちの騒動に巻き込まれたりと、多田は息のつけない毎日を送るのだった。

 

この作品の主軸が「はる」だとすると、横軸として、無農薬野菜の推進団体の話があり、そこで多田と行天の過去が少しずつ明らかにされます。結局は二人の過去も「はる」に何らかの意味で繋がるものではあるのだけれど、そこには家族や夫婦のあり方など、読者に色々と考えさせられるものがあります。

加えて、個々の便利屋の仕事先での出来事も、そのそれぞれがユニークです。極めつけは、無農薬野菜の推進団体に裏社会のキング的存在の星が関わり、ちょっとした事件となって、そこにこれまた本シリーズの常連である岡氏が騒ぎを巻き起こします。

 

あらためて多田と行天を見ると、この面白くも不思議な関係は読者にとって一つの理想的な関係性かもしれません。

「友情」などという言葉は過去のものであり、死語となりつつある現在ですが、そうした関係性には誰しも憧れるのではないでしょうか。そうした関係性を大声で主張することなく、いつの間にか作り上げていくところが、この著者のうまさなのでしょう。

 

何時までも続いてほしいシリーズの一つでが、本作品もまた2014年に前作同様の瑛太と松田龍平とで映画化されています。