今村 翔吾

羽州ぼろ鳶組シリーズ

イラスト1
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「八咫烏」の異名を取り、江戸一番の火消加賀鳶を率いる大音勘九郎を非道な罠が襲う。身内を攫い、出動を妨害、被害の拡大を狙う何者かに標的にされたのだ。家族を諦めようとする勘九郎に対し、「火喰鳥」松永源吾率いる羽州「ぼろ鳶」組は、大音一家を救い、卑劣な敵を止めるため、果敢に出張るが…。業火を前に命を張った男たちの団結。手に汗握る傑作時代小説。(「BOOK」データベースより)

 

本書は『羽州ぼろ鳶組シリーズ』の第二巻目の長編痛快時代小説です。

 


 

本シリーズの第一巻では、新庄藩の火消し頭取として消滅しかかっていた定火消を建て直し、明和の大火に立ち向かい「ぼろ鳶」として江戸の町に受け入れられた松永源吾でした。

 

それから約一年後、老中田沼意次の尽力で幕府は江戸の町の復旧に本腰を入れ、通常は各人で行うがれきの撤去を府下のすべての火消しに命じるなどの結果、江戸の町もすでに活気が戻りつつありました。

そうした中、出火に際して管轄の大名火消が太鼓を打たないという事件が続きます。しかも担当の侍は事後に自害して果てているのです。後に、火消の身内が人質として攫われていて身動きが取れなかったということが判明します。(第一章)

次いで源吾の古巣である松平隼人家が狙われますが、火元にいた昔の源吾の弟分であった万組頭の魁の武蔵は源吾を受け入れようとはしませんでした。(第二章)

更には、七日連続の付け火が起き、七日目には加賀藩が狙われ(第三章)、ついには新庄藩までもその標的となるのです(第四章)。その後、深川木場での火付けが起き、太鼓が鳴らないためどの火消しも動こうとしない中、新庄藩ぼろ鳶だけが深川へと駆け付けるのでした(第五章)。

 

前巻で本「羽州ぼろ鳶組シリーズ」のだいたいの方向性が見えてましたが、本書ではっきりと見えてきたと思います。

それは、典型的な痛快小説として、一歩間違えば通俗的な物語に陥りそうな「漢(おとこ)」を前面に押し出した物語として構成されていくということでしょう。

 

もともと、江戸の町では「火事と喧嘩は江戸の華」であり、火消しは、「粋」や「鯔背(いなせ)」などという美意識を背負った男の代名詞としてもてはやされたと言います。

そうした火消しが主人公なのですから、侠気にあふれた男たちが多く登場するのは当然です。ただ、そうした侠気(きょうき・おとこぎ)を描くとき、作者が明確な主張を持っていないと、先述したようにその場の雰囲気に流された通俗的な話になってしまうと思われます。

本書の場合、そうした心配は杞憂であり、単純に作者が紡ぎだす世界に浸っていれば心地よい興奮と感動を得られます。

そうした感覚はかつては講談で語られた世界であり、現代では東映の任侠映画にも通じる感覚だと思われ、いつの時代も受け入れられるものでしょう。

 

更にこのシリーズの魅力の一つに挙げられるのは、江戸時代の火消し制度を詳細に紹介してあるところです。そして、その制度を物語の根底に据えて物語を構築してあります。

その一つに火消出動の前提として鳴らされる最寄りの大名の太鼓があります。この太鼓が鳴らされないと半鐘も鳴らすことはできず、そのことはほかの武家火消、町火消の出動ができないということを意味するそうです。

火災が起きている際に何を言ってるんだという気もしますが、身分制度維持が大前提だという当時の思想がある以上はいかに理不尽であっても受け入れるしかなかったのでしょう。

本書ではそうした制度につけこみ、敵役の一味は卑劣な手を使い火消したちの行動を縛ります。ただ、その手に乗らないのが源吾であり、八咫烏の異名を持つ加賀藩鳶の大頭である大音勘九郎だったのです。ここでタイトルの「夜哭烏」に結びついてきます。

 

しかし、本書ではほとんどの火消しが火付け一味の脅しに屈し、太鼓討たないことになっていますが、侍や漢気を売り物にする火消したちがそうした脅しに屈し、火消の出動を邪魔するかはかなりの疑問があります。

とはいえ、面白い物語はそうした疑問をも乗り越えてしまうもののようです。クライマックスでの船による火消しの場面も首をひねる点もありますが、そこでも物語の勢いが勝っています。

久しぶりに胸躍る物語として育っているシリーズになっていると言えると思います。

[投稿日]2019年03月08日  [最終更新日]2019年3月8日
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