君を乗せる舟

伊三次の上司である定廻り同心の不破友之進の嫡男、龍之介もついに元服の年となった。同心見習い・不破龍之進として出仕し、朋輩たちと「八丁堀純情派」を結成、世を騒がせる「本所無頼派」の一掃に乗り出した。その最中に訪れた龍之進の淡い初恋の顛末を描いた表題作他全六篇を収録したシリーズ第六弾。(「BOOK」データベースより)

 


 

髪結い伊三次捕物余話シリーズの六作目です。

 

妖刀」 伊三次は、不破から池之端・茅町で主に刀剣を扱う道具屋の「一風堂・越前屋」に持ち込まれた刀について調べるようにと言われていた。刀を持ち込んできた下男の奉公先は向島の寮であり、そこには六十がらみの女隠居が住まうというのだ。

小春日和」 悪の限りを尽くしていた元左官の六助という男の捕縛を助けてくれたのは、田口五太夫と名乗る男だった。この五太夫は病弱の兄のためにと家出中の身だったのだが、坂巻巴という女性に思いを寄せていた。そこに美雨との祝言を控えた乾監物が一肌脱ごうということになった。

八丁堀純情派」 不破龍之介の元服の儀が終わり、龍之介は龍之進となり、無足の見習いとして奉行所へと出仕することとなった。そこで待っていたのは、本所無頼派と名付けられた武家の次男、三男の集団だった。

おんころころ」 伊与太が疱瘡に罹り、伊三次もお文も付きっきりで世話をするが伊与太の熱が下がらない。そんな時、冬木町にある仕舞屋で怪談話が持ち上がっていた。入り込める隙はない筈なのに、紫色の小袖を着た娘が入っていくというのだ。

その道 行き止まり」 龍之進は、同じ同心見習いの古川喜六と共に本所見廻りをしながらも本所無頼派を調べようとしていた。そこで、無頼派の首謀者と目される薬師寺次郎衛が、かつて龍之進が通っていた私塾の師匠で死罪となった小泉翆湖の娘あぐりの元へ通っていることを知った。

君を乗せる舟」 本所無頼派の動向を調べていた龍之進は、あぐりに縁談が起きていることを知る。しかし、無頼派の首謀者と目される薬師寺次郎衛もまたあぐりに近寄ろうとしているのだった。

 

「妖刀」は、このシリーズには珍しく、オカルトチックな物語です。緑川平八郎が懇意にしている道具屋の「一風堂・越前屋」は怪談じみた話がやけに好きなのですが、その越前屋に件の刀が持ち込まれたのです。

「小春日和」は、どうしようもない人間である六助の話から始まったので、この物語も重い話かと思っていました。

しかし、逆に軽いユーモアを含んだ明るい話へと転換していきます。前半の六助の話は後半の話への対比のために描かれたのでしょうか。

「八丁堀純情派」は、問題の「本所無頼派」が同じ六人組であるところから、教育掛補佐の片岡監物が「八丁堀純情派」と名付けたものです。

見習組は、龍之進や元町人から養子に入り同心見習いとなった古川喜六、そして緑川の息子で鉈五郎となった直衛らの、青春記ともいえる一編になっています。

次の「おんころころ」もまたこのシリーズには珍しいオカルトチックな話です。

事件のきっかけが怪談めいているというだけではなく、伊三次自身の周りでも不思議なことが巻き起こります。親の子に対する愛の深さを感じさせる話です。

「その道 行き止まり」は、夜中に起きた火事から家族のことへと思いを馳せるようになった龍之進の話です。

あぐりと次郎衛のことを考えていた矢先、偶然出会った伊三次の弟子の九兵衛の言葉に意地を張り、入り込んでしまった行き止まりの小路が龍之進の状況をうまく現しています。

「君を乗せる舟」もまたあぐりのことで思い悩む龍之進の話で、龍之進の想いと物語の結末とが相まった哀しみに満ちた話です。龍之進の成長が垣間見える青春の一頁です。

 

本書では全六話中の半分、「八丁堀純情派」から以降の「おんころころ」を除いた三話が不破友之進の息子の龍之進の描写に軸足が移っています。それも父親のあとを継ぐべく同心見習いとなった龍之進の話です。

それはつまりは龍之進やその同僚らという若者たちの話であり、青春記です。竜之進の恋心や、将来に対する不安など、若者の心の動きをこまやかなタッチで描きだしてあります。

まさに伊三次を取り巻く人間模様として、さまざまな人々の状況を描きながら、江戸の人情話が展開されています。

やはり、再読ではあっても次を早く読みたいという気にさせられる物語です。

紫紺のつばめ

材木商伊勢屋忠兵衛からの度重なる申し出に心揺れる、深川芸者のお文。一方、本業の髪結いの傍ら同心の小者を務める伊三次は、頻発する幼女殺しに忙殺され、二人の心の隙間は広がってゆく…。別れ、裏切り、友の死、そして仇討ち。世の中の道理では割り切れない人の痛みを描く人気シリーズ、波瀾の第二弾。(「BOOK」データベースより)

 


 

髪結い伊三次捕物余話シリーズの二作目です。

 

紫紺のつばめ」 お文は朋輩の芸者衆への対抗心から当代の伊勢屋忠兵衛からの援助の申し入れを受け入れることにした。しかし、事件探索中の不破友之進や伊三治と偶然出会い、そのことを伊三次に言う前に知られてしまう。

ひで」 伊三次は、大将と呼ばれるほどに絶対的な存在である大工の棟梁山屋丁兵衛の髪を結いに訪れたところ、丁兵衛の娘おみよと一緒になるために、修行中の板前見習をやめた幼馴染の日出吉と出会うのだった。

菜の花の戦ぐ岸辺」 大伝馬町の小間物問屋糸惣の隠居・惣兵衛が殺され、伊三次が下手人と疑われていた。惣兵衛が死ぬ前に伊三次の名前を残したというのだ。

鳥瞰図」 伊三次は不破友之進の妻いなみが姉菊乃の仇討ちを果たすべく、江戸へと出てきた日向伝佐衛門を討つ覚悟をしていると聞き、いなみの行動を止めようと走り回る。

摩利支天横丁の月」 桜の季節の頃から市中の娘が疾走する事件が続いていたが、ついにおみつの行方も分からなくなてしまう。

 

表題作の「紫紺のつばめ」のクライマックスでこぼれたお文の言葉は「あばえ・・・。」であり、読み手の胸に迫ります。

「ひで」は、惚れた女のために自分の仕事を辞めてまでも意に染まぬ仕事に移った男の哀しみに満ちた物語です。著者本人のあとがきによれば、この話は現代の実話をもとに著者がアレンジをした物語だそうです。

この物語の中で、もうすぐ一人前の板前になろうかという日出吉を全くの素人である大工の世界に引きずり込んだ棟梁の本音はどこにあるのでしょう。

この物語は深川八幡の例大祭の威勢のいい雰囲気を背景にしているだけ、哀しさも一段と深くなっています。そして、日出吉を通して、同時に意地の張り合いを見せている伊三次とお文との関係が浮かび上がっています。

「菜の花の戦ぐ岸辺」では、不破の信頼を失ったと感じた伊三次は不破友之進と喧嘩別れをしてしまいます。代わりにと言っては変ですがお文との仲が元に戻るのです。

よく考えるまでもなく、お文との喧嘩も不破との喧嘩も、伊三次の短気からきたものです。その時の相手の気持ちを推し量ることもなく、単に自分を見捨てたとの勝手な思い込みで自分から縁を切った伊三次でした。

「鳥瞰図」は、不破友之進の妻いなみの話ですが、物語としてちょっと気になる部分がありました。

日向伝佐衛門を討とうとするときのいなみの「不浄役人の妻に甘んじる暮しが何んの倖せでありましょう。」という言葉はどこから出てきたものでしょう。そうした言葉を吐いたいなみが昔の生活に戻れるものなのか、疑問なしとしないのです。

「摩利支天横丁の月」は、おみつの行方不明という事件から、武家社会の歪んだ構造が示され、と同時におみつを想う下っ匹の心情が示されていて、どこかほっこりとする話になっています。

この話では同心の緑川の存在感が増しています。というよりも、伊三次という小者と不破、緑川という同心との書き分けのうまさが光っているのでしょう。

侍と町人、その身分の差は歴然としていて、いくら信頼関係で結ばれていてもその間には深い溝があります。その溝を埋めるものが何なのか、このシリーズを通して探しているようです。

 

作者自身の「あとがき」によれば、本書(あとがきには「このシリーズの」とあります)のねらいは「変化」にあるそうです。

伊三次とお文の別れがあり、伊三次の幼馴染の死、伊三次自身への殺人の嫌疑、いなみの敵討ち、おみつと弥八の恋と忙しい内容だというのです。

たしかにそうですが、伊三次とお文の関係は、不破や緑川、その他二人の周りの人たちの生活と共に変化しています。それは江戸時代も現代も同様で、土の時代も市井の人々の暮らしはたゆむことなく続いているのです。

黒く塗れ

お文は身重を隠し、年末年始はかきいれ刻とお座敷を続けていた。所帯を持って裏店から一軒家へ移った伊三次だが、懐に余裕のないせいか、ふと侘しさを感じ、回向院の富突きに賭けてみる。お文の子は逆子とわかり心配事が増えた。伊三次を巡るわけありの人々の幸せを願わずにいられない、人気シリーズ第五弾。(「BOOK」データベースより)

 


 

髪結い伊三次捕物余話シリーズの五作目です。

 

蓮華往生」 隠密廻り同心の緑川平八郎は、浅草寺近くの天啓寺の大蓮華の台座で信者が息絶えることが頻発している事件を調べることになった。平八郎の妻てやの天啓寺通いや、平八郎の幼なじみでお文の先輩芸者の喜久壽のこともあり、心配をしていた。

畏れ入谷の」 馬喰町にある郡代屋敷の手代・高木茂助は、日々酒におぼれ周りに迷惑をかけるものの、郡代屋敷の者はかまうなというばかりだった。お文は最後の座敷の客がその高木茂助だったために、茂助の酒の事情を聞くことになる。

夢おぼろ」 男勝りの剣の腕を持つ吟味方与力片岡郁馬の娘美雨は、縁談を断っているという。ところが、伊三次は両国の回向院で富くじを買う折にその縁談の相手である乾監物と出会い、その人柄の良さを知るのだった。

月に霞はどでごんす」 昨年、浅草で履物屋の十歳ほどの息子が侍に斬り殺されたものの、犯人には何のお咎めもなかった。その後、その侍は惨殺され、件の履物屋が人を使って仇討ちしたとの噂になった。

黒く塗れ」 伊三次は「畏れ入谷の」の話で緑川の捕物の手伝いもした箸屋の翁屋八兵衛から相談を受けた。八兵衛の妻のおつなが店の金を持ち出しているらしいというのだった。

慈雨」 松浦桂庵の母親の美佐が行方不明になり、数日して帰ってきた。美佐の頼みで、美佐を助けてくれた棒手振りの花屋に礼を言いに行くと、以前伊三次がお佐和という娘と別れさせた当の元掏摸の直次郎だった。

 

伊三次とお文の間には一人目の子が、不破家には龍之介に次いで二人目の子が生まれ、それぞれの家庭の姿が描かれます。

とくに、不破家の龍之介の成長が印象的な本編です。

 

「蓮華往生」は、天啓寺の不正という一件よりも、てやと喜久壽という女の立場の違いを描き出した一編でした。

「畏れ入谷の」は、江戸時代という封建時代ならではの事情を背景に、夫婦相互の想いを記した一編です。

伊三次との子をお腹に抱えたお文と、二番目の子を産んだばかりのいなみ、そして、高木茂助とその妻という三組の夫婦のそれぞれのありようが心に沁みる一編で、龍之介が最後に叫んだ言葉が耳に残ります。

「夢おぼろ」はほのぼのとした話です。竜之介が思いのほかに成長している姿がありました。

「月に霞はどでごんす」は事件もさることながら、お文の初産の苦労、そして夫伊三次の所在なさが描かれています。お文の子は逆子であり、伊三次はもちろん、子が生まれたばかりの友之進も、そして緑川も喜久寿も、お文の身体を心配しています。

「黒く塗れ」はストーンズの名曲「黒く塗れ」からとったというタイトルだそうで、だとすればこの話はタイトルが先にありきだったのでしょうか。

と思ったら、著者本人の「あとがき」によれば、そもそもは矢沢永吉の「黒く塗りつぶせ」という楽曲のタイトルがあり、しかし小説のタイトルとしては「黒く塗れ」の方がふさわしいということで決めたそうです。

話自体は捕物帳としての色合いの方が濃い作品ですが、犯罪の手段や処理の仕方そのものが私の好みではない話でした。

「慈雨」は、浅草で掏摸をしていた直次郎という男が再び伊三次の前現れます。

直次郎という男は、本書の前の巻で登場する男らしいのですが、シリーズの順を飛ばして読むとこういうことになります。

でも、コロナ騒ぎでの図書館閉館による電子図書での再読ですので、それも仕方ありません。

幻の声

 


 

髪結い伊三次捕物余話シリーズの一作目です。

 

幻の声」 廻り髪結いをしている伊三次は、北町奉行定廻り同心の不破友之進の小者として、日本橋で起きたとある呉服屋の娘が誘拐された事件について調べていた。犯人は捕まったものの、自分が犯人だと名乗り出てきた駒吉という女について調べていたのだった。

暁の雲」 お文が以前世話になっていた伊勢屋忠兵衛の二代目が自分もお文の世話をしたいと言ってきた。そうした中、おなみが魚花の亭主が亡くなったという知らせを持ってきた。魚花のお内儀はおすみといい、お文の先輩芸者だったのだ。

赤い闇」 北町奉行所例繰方同心で不破友之進の隣人である村雨弥十郎は、このところの失火騒ぎが続いていることもあり、妻の火事見物に心を痛めていた。そこで友之進に妻の監視を頼むのだった。

備後表」 伊三次には喜八という畳屋の幼馴染がいた。喜八の母親はおせいといい伊三次の母親代わりともいうべき人だった。おせいは、備後表と呼ばれる畳表を編んでいたが、死ぬまでに自分の編んだ畳表がどんなふうに使われているのかを見たい、というのだった。

星の降る夜」 伊三次はやっと貯めた三十両という金を、大みそかの夜に盗まれた。自分の床を持ち、おぶんを嫁に迎えるための金だった。そのことを岡っ引きの留蔵にいうと、心当たりがありそうだった。

 

コロナ騒ぎで図書館が閉鎖されているなか、電子図書だけは借りることができましたので、読書メモも残していない昔に読んだ本書を読んでみました。

結論から言うと、やはり私個人としては紙の本がいいということです。検索出来たり、場所を取らなかったり、電子図書の長所はよくわかります。

それでもなお、紙の手触りと共にある読書に慣れているからでしょうか、紙の本を懐かしく思い起こしながらの読書となりました。

とはいえ、思ったよりも楽に読むことが来たのも事実であり、これからの読書はデジタル版も読むことを考えた方がいいかもしれないとは思った次第です。

 

本書は、宇江佐真理の新しいシリーズである『髪結い伊三次捕物余話』の登場人物紹介を兼ねた作品です。伊三次、お文、不破友之進という三人の関係を端的に表しています。

第一話目「幻の声」は、伊三次を中心とした話です。

ある誘拐事件の犯人だと名乗りを上げてきた女の心の裡を伊三次が明らかにする過程で、伊三次と文吉ことおぶんや、不破友之進との関係が描かれていきます。

次の「暁の雲」はおぶんです。お文と先代や当代の伊勢屋忠兵衛との関係を明らかにしながら、お文の先輩芸者とのやり取りの中、深川芸者の中でも気の強さで取っているお文の現在が語れます。

「赤い闇」は、不破友之進といなみをはじめとするその家族の姿が描かれます。とくに、いなみが抱える過去は波乱に満ちており、その過去をも飲み込んだ友之進との夫婦仲があります。一方、隣家の村雨家という不破家とは異なる事情を抱えた家族の姿もありました。

その次の「備後表」という話は、これぞ人情物語の典型ともいうべき心温まる物語です。王道すぎて、できすぎた話と言われかねないほどです。それでも私はこういう話が大好きだし、弱いのです。

最後の「星の降る夜」は、肝心なところで偶然の出会いがあり、そのことによって窃盗事件が終結に向かうという点で不満は残ります。

しかし、それでも伊三次を取り巻く人たちの心映えの温かさが感じられる、一息つける好編でした。

深川恋物語

大店のお嬢さんが、お仕着せの人生を捨て、真に愛する人と共に生きようとする姿が清清しい「下駄屋おけい」。互いを想う気持ちがすれ違っていく夫婦の、やりきれなさが胸に迫る「さびしい水音」。交錯する恋心に翻弄されていく男女四人の哀しみが描かれる「仙台堀」など、江戸・深川を舞台に繰りひろげられる、六つの切ない恋物語。第21回吉川英治文学新人賞受賞作。

 


 

1999年に出版された六編の短編が収められた人情時代小説集です。

第21回吉川英治文学新人賞を受賞した宇江佐真理という作家の面目躍如たる作品集で、読みごたえのある一冊でした。

宇江佐真理のデビュー作であり、『髪結い伊三次捕物余話シリーズ』の第一作『幻の声』が書かれたのが1995年ですから、本作品も宇江佐真理の初期作品と言ってもいいと思われます。

でありながらこの完成度ですから才能の素晴らしさは目を見張るものがあります。

 

 

下駄屋おけい」 太物屋「伊豆屋」の娘おけいは、幼馴染の巳之吉の住む下駄屋「下駄清」の彦七という職人の下駄が大好きだった。そのおけいに縁談が持ち上がり、彦七の下駄を新調することになった。

がたくり橋は渡らない」 花火職人の信次は、将来は所帯を持つ約束をしたおてるが、母親の薬代などがかさみとある隠居の世話になることを知った。おてるとともに死のうと心定めた信次だったが、おてるの隣に住む錺職の夫婦の世話になり、職人夫婦の話を聞くのだった。

凧、凧、揚がれ」 凧師の末松のところには正月が近づくと凧を作りに子供たちが集まっていた。その子らの中に次男の正次の奉公先の娘のおゆいがいた。そのうちにかつて凧作りに来ていた男勝りの娘であるおしゅんの祝儀に凧をあげることになる。

さびしい水音」 大工の佐吉の女房のお新は絵を描くことが大好きで、日がな一日絵筆を握っているほどだった。そのお新の絵が人気となり、佐吉の家はそれなりに裕福な生活ができるようになった。しかし、いつしか佐吉や佐吉の差に夫婦もその金をあてにするようになってしまうのだった。

仙台堀」 観物問屋「魚仙」の手代である久助は深川の料理屋「紀の川」に出入りしていた。引っ込み思案の久助は紀の川の娘おりつとの縁談を断り切れないでいた。一方魚仙の娘お葉はおりつの兄で紀の川の板前でもある与平に恋心を抱いていたのだが・・・。

狐拳」 深川芸者であった材木問屋信州屋の内儀のおりんは、先妻との間の長男の新助を跡取り息子として育ててきた。しかし、新助は小扇という芸者を嫁にしたいと言い出すのだった。

 

この四月の入院時にまとめて読んだ藤沢周平の初期作品群と比べると、作品自体の未来に向いた明るさがはっきりと示される作品が多いことに気付きます。

特に「下駄屋おけい」はそうで、おけいのこれからにどのような苦労が待っているものかは分かりませんが、明るい明日を思わせる気持ちのいい物語です。

また「がたくり橋は渡らない」もそうで、話自体は実に切ない物語であって明るい未来が待つ結末というわけにはいきませんが、それでも暗いばかりの話ではありません。こうした将来への希望を思わせる物語こそ宇江佐真理の真骨頂だと思えます。

とくに私が好きなのは「凧、凧、揚がれ」です。この話も切ない話ではありますが、青空にぐいぐいと昇っていく凧の姿が見え、嬉しそうなおしゅんの顔とおゆいの姿が浮かぶ好編です。

 

一方、優柔不断の久助と身体の弱いお葉、色男の与平とその妹おりつという登場人物のしがらみが胸を打つ「仙台堀」は短編で描くに少し話が複雑に過ぎました。

また、「狐拳」は物語としては面白いと思います。しかし、あまりにも話ができすぎていて感情移入しにくいと思ったのも事実です。

 

そして、人の幸せのあり様はさまざまであり、物質的な豊かさとは関係がないという「さびしい水音」は、個人的には宇江佐真理の物語としてはあまり出来が良いとは思えませんでした。

もちろん話の運びはうまいと思うのですが、物語自体は特別なものではありません。

ところが、解説を担当している阿刀田高氏によれば、この「さびしい水音」は「大切なものを賭けてストーリーを創っている凄みが漂っている」と書いておられ、高く評価されているのです。

その上、「仙台堀」も「狐拳」も悪くないと言われているのです。

こうした点を見ると、やはり私の読み方は単なる好みであり、作品としての質を見抜く力はまだまだのようです。

寂しい写楽

寛政の改革令に反旗を翻した浮世絵板元の蔦屋重三郎は歌舞伎役者の大首絵刊行を試みる。喜多川歌麿の離反にあい、絵師探しが難航するなか、突然現れたのが正体不明の東洲齋写楽という男だった。助っ人に駆り出されたのは不遇の日々を送っていた山東京伝、葛飾北斎、十返舎一九の三人。謎の絵師を大々的に売り出そうとする重三郎のもと、計画は進んでいく…。写楽とはいったい何者なのか。そして大首絵は刊行できるのか。宇江佐真理が史実を元に描いた傑作長編。(小学館文庫)(「BOOK」データベースより)

これまでの人情時代小説の第一人者としての宇江佐真理の小説とは少々趣が異なる小説です。優しいながらも読み手の心に密やかに染み込んでくる語り手であったはずの宇江佐真理ではなく、より客観的に写楽という実像が分かっていない浮世絵師を浮かび上がらせようとしています。

写楽という絵師についてはその正体にについてさまざまなことが言われています。中でも「現在では阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、宝暦13年〈1763年〉 – 文政3年〈1820年〉)とする説が有力となっている(出典:ウィキペディアより)」らしく、本書でもこの立場に立って書かれています。

ただ、写楽本人を中心に描いてあるわけではありません。藩元である蔦屋重三郎を中心に、山東京伝や葛飾北斎、十返舎一九らを周りに据え、彼らの思惑の中から写楽という人物像を結実させようとしているのです。そういう意味では、松平定信の悪名高き「寛政の改革」を市民レベル、それも出版や芝居などの町民の文化という分野から見た江戸の町ということもできなくはない書き方になっています。

その実像がよく分かっていない東洲斎写楽という人については幾つかの作品が出されています。例えば、私は未読ではありますが島田荘司が著した『写楽 閉じた国の幻』という作品は、現代編と江戸編とが交錯しながらミステリー仕立てで写楽の実像に迫るという構成になっているそうです。

他に泡坂妻夫の『写楽百面相』もあります。この作品も私は未読なのですが、奇術師としても高名な泡坂妻夫の作品らしく、花屋二三という男を主人公として芸者の卯兵衛の死の謎などを絡めたミステリーであり、その中で「幕府と禁裏を揺るがす大事件」へと結びちついていく、らしいです。

おはぐろとんぼ 江戸人情堀物語

堀の水は、微かに潮の匂いがした。静かな水面を揺らす涙とため息の日々に、ささやかな幸せが訪れるとき―下町の人情を鮮やかに映す感動の傑作短編集。(「BOOK」データベースより)

 

宇江佐真理という作家にしては珍しくファンタジーの匂いを持っている、江戸の各所の堀に絡めた、決して明るくはない物語集です。

 

ため息はつかない
早くに両親を亡くした豊吉は、父親の妹の‘おます’に育てられた。おますは口うるさく、逃げ場のない豊吉は思わずため息をつく。そのうち薬種屋の「備前屋」に奉公し、18歳になった豊吉は行かず後家と陰口をたたかれている備前屋の娘との縁談が進むが、女中のお梅からも思いを寄せられるのだった。

裾継
深川にある岡場所のひとつ裾継(すそつぎ)にある「子ども屋」(遊女屋)の女将である‘おなわ’は、亭主の彦蔵の先妻との娘‘おふさ’との不仲に悩んでいた。十三歳になったおふさは、おなわが父親の彦蔵の浮気に気付かないことがいらいらすると言うのだ。

おはぐろとんぼ
‘おせん’が料理人として奉公していた日本橋小網町の「末広」という料理茶屋に、新しい板前がやってきた。しかし・・・。

日向雪
二男の竹蔵は、女のために皆に無心しているらしい。母親の葬儀に帰ってきた竹蔵は、女のために家族に迷惑をかけて良いのかという梅吉を殴り倒してしまう。

御厩河岸の向こう
‘おゆり’が手を掛けて育てたた弟の勇助はおゆりになついていた。勇介は自分が生まれる前のことを覚えていて、御厩河岸の川向うにある夢堀の傍に住んでいた、と言うのだ。

隠善資正の娘
八丁堀界隈の「てまり」という縄暖簾の店に‘おみよ’という十九歳の娘がいた。「てまり」に足繁く通う北町奉行所吟味方同心である隠善資正は、おみよに行方不明になった自分の娘の姿を重ねていた。

 

宇江佐真理の作品群からすると平均的な作品だと思いました。水の都である江戸に散在する「掘割」をモチーフにした人情小説集です。

 

似たようなモチーフの作品に 藤沢 周平の『橋ものがたり』があります。また、「坂」をテーマにしている作品集として藤原緋沙子の『月凍てる: 人情江戸彩時記』などもあります。藤原緋沙子氏が言うように、結界としての川であり、坂であって、結界を越えることにより変化が生じ、ドラマが生まれるのでしょう。

 

 

本書の「堀」は、「結界」とは少し違い、単に特定の「場所」を強調する意味しかないとも思えますが、内容はここにあげた作品に決して劣るものではありません。

本書は、決して明るくはない物語ですが、かといって悲観的ではありません。この作者の物語らしく常に未来を見据えています、また、心象を表現する情景の描写も相変わらずにうまい、としか言いようがありません。とくに「裾継」は、本作品集の中では私が一番好きな作品で、小気味良い言葉の羅列で終わる最後の行など、私の心にぴたりとはまりました。

残念ながら宇江佐真理氏は 2015年11月に亡くなられましたが、作品はいつまでも残ります。これらの素晴らしい人情物語をこれからも読み続けていきたいと思います。

夜鳴きめし屋

本所五間堀の「鳳来堂」は、父親が営んでいた古道具屋を、息子の長五郎が居酒見世として再開した“夜鳴きめし屋”。朝方までやっているから、料理茶屋や酒屋の二代目や武士、芸者など様々な人々が集まってくる。その中に、かつて長五郎と恋仲だった芸者のみさ吉もいた。彼女の息子はどうやら長五郎との間にできた子らしいが…。人と料理の温もりが胸に沁む傑作。(「BOOK」データベースより)

 

本所、深川という江戸情緒あふれる土地を舞台に繰り広げられる、一膳めし屋を舞台にした宇江佐真理らしい人情劇です。六編からなる物語ですが、これはもう長編というべきでしょう。

 

本所五間堀にある「鳳来堂」は、店主長五郎の父親の音松がやっていた古道具屋でした。しかし、音松亡き後、道具の目利きもできない息子の長五郎ではそのあとを継ぐこともできず、めしと酒を出す見世を出すことにします。

しかし、母も逝き、ひとり身となった長五郎は次第に見世を開ける時間も遅くなり、店の開くのが八つ(午後8時頃)で朝方までやっている「夜鳴きめし屋」となったのです。

 

この店には長五郎の人柄もあって、常連さんを始め様々な人たちも訪れ、色とりどりの人情劇が繰り広げられるのですが、そのうちに長松と惣助という七、八歳位の子供が食事に来るようになります。

そのうちの一人が、むかし、長五郎と思いを交わした娘の子らしいのです。長五郎は、その子らの来るのだ楽しみになり、何かと好みの料理を作り始めるのです。

 

こうした、市井の人たちの人情を描かせたら宇江佐真理という作家さんはやはりうまいですね。本書は宇江佐真理という作家の作品の中では決して出来が良いほうには入らない、どちらかと言えば平均的な物語だと思うのです。

それでもなお、その平均値がとても高いところにあって、物語としての面白さは十二分にもっているのが、宇江佐真理の作品であり、作家さんだと思います。

昨日のまこと、今日のうそ 髪結い伊三次捕物余話

松前藩主の嫡子・良昌からの再三の申し出に、側室になることを決意した不破茜だが、良昌の体調が刻一刻と悪化していく。一方、才気溢れる絵を描く弟弟子から批判され、自らの才能に悩む伊与太は当代一の絵師、葛飾北斎のもとを訪ねる。人生の岐路に立つ若者たちに、伊三次とお文はなにを伝えられるのか。(「BOOK」データベースより)

 

髪結い伊三次捕物余話シリーズの十三作目の連作短編集です。

 

共に見る夢 / 指のささくれ / 昨日のまこと、今日のうそ / 花紺青(はなこんじょう) / 空蝉(からせみ) / 汝、言うなかれ

 

前巻でも書いたことですが、シリーズも十三巻目の本書ともなると、シリーズ当初の伊三次とお文の二人の話はほとんどなく、代わりにその子供達が主役となっています。

とはいえ、伊三次らも引退したわけではなくそれなりの活躍を見せてくれてはいます。ただ、前巻でもそうであったように、お文の影が薄い印象はあります。

 

「共に見る夢」
不破友之進・龍之進親子の物語です。龍之進ときい夫婦の間にに子が生まれますが、友之進の同僚の岩瀬からの祝儀が届かず、その理由が岩瀬の奥方が病で伏せているためであることを知ります。友之進はいなみと共に伊勢参りに行くことを思うのです。

「指のささくれ」
伊三次の髪結いの弟子である九兵衛は、大店である魚佐の娘のおてんとの祝言のことで悩み続けでいます。男としての矜持や気になる娘の存在など、若者の心の揺らぎが描かれています。

「昨日のまこと、今日のうそ」
友之進の長女で蝦夷松前藩江戸下屋敷に別式女として奉公している茜の物語です。松前藩嫡男である松前良昌の茜に寄せる想いをいなしつつ、良昌の病への思いやりとの間で悩む茜の心が、その重さに揺れるのです。

「花紺青(はなこんじょう)」
伊三次の息子で歌川豊光のもとで絵師の修業を続けている伊与太は、なかなかに一人前になれません。葛飾北斎のもとを訪ねた伊与太は、自分の腕の未熟さや嫉妬心などを思い知らされます。

「空蝉(からせみ)」
不破龍之進と緑川鉈五郎は、奉行所内で押し込みと通じているものがいるとして、内与力の山中寛左から内密の調査を命じられます。しかし、龍之進は同輩を疑いきれません。そうした中、父友之進も同様の密命を受けていることを知り、何か不審なものを感じるのでした。

「汝、言うなかれ」
柳町の漬物屋の村田屋を舞台にした、スピンオフのような作品です。青物問屋八百金の主である金助が殺され、村田屋の女将のおとよは、かつて信兵衛から聞いた打ち明け話を思い出して、信兵衛に対しほんの少しの疑いを抱きます。その疑いはやがて伊三次の知る所となり・・・。

 

この作者の、特に本『髪結い伊三次捕物余話シリーズ』は、読んでいる最中も、読み終えてからも、ゆるやかな時間(とき)の流れを感じさせてくれます。

こころ優しさを感じる丁寧な情景描写と共に作中人物の心情が思いやられ、特に、親としての伊三次とお文、不破友之進といなみらの心情を、やはり親としての自らの姿と重ねたりしています。

このシリーズが終わってほしくないと心から思う物語の一つです。

名もなき日々を 髪結い伊三次捕物余話

絵師を目指す伊三次の息子・伊与太は新進気鋭の歌川国直に弟子入りが叶い、ますます修業に身が入る。だが、伊与太が想いを寄せる八丁堀同心・不破友之進の娘・茜は、奉公先の松前藩の若君から好意を持たれたことで、藩の権力争いに巻き込まれていく。伊与太の妹・お吉も女髪結いの修業を始め、若者たちが新たな転機を迎える。(「BOOK」データベースより)

 

髪結い伊三次捕物余話シリーズの十二作目です。

 

伊三次とお文の子、伊与太やその妹お吉らも自らの生き方を見つめ、問い直す時期に来ています。

不破家と見れば、不破友之進の息子龍之進も友之進の後を継いで同心職に就き、早々に失策を犯したり、茜は松前藩の別式女として奉公しています。

 

当たり前のことではありますが、伊三次とお文が中心として展開していたこのシリーズも、数作前から伊三次と友之進それぞれの家庭の物語にその中心が移ってきています。本作でも、子供達を中心とした物語が語られ、伊三次や友之進らは、子供たちを親として見つめているのです。

そして、不破家では龍之進の妻きいのお腹が大きくなっていたりと、誰がということではなく、登場人物のそれぞれが、それぞれの人生の主役として物語の主人公となって、夫婦の、家族の物語として、たゆとう川の流れのように繰り広げられていきます。

 

派手さは無いものの、折々の場面での背景に映る自然の描写など、季節の移ろいを細やかに感じさせてくれる宇江佐真理の作品は、ゆっくりと心に染み入ってくるようで、やはり落ち着きます。