獣たちの海

獣たちの海』とは

 

本書『獣たちの海』は2022年2月に刊行された、著者自身による「後記」とシリーズの「資料」を加えて265頁になる文庫本書き下ろしのSF小説です。

『オーシャンクロニクル・シリーズ』の中の一編であり、三篇の短編と一編の中編の物語から構成されている文学性の強い抒情的なSF作品集でした。

 

獣たちの海』の簡単なあらすじ

 

陸地の大半が水没した25世紀。生物船“魚舟”を駆る海上民と陸上政府は、海上都市への移住権をめぐり対立していた。一触即発の危機迫るなか海上都市の保安員と海上民の長の交歓を描く中篇「カレイドスコープ・キッス」、己の生まれた船団を探し続ける“魚舟”の心身の変容を追う表題作ほか、海に暮らすものたちの美しくも激しい生きざまを叙情的に紡ぐ、全篇書き下ろしの“オーシャンクロニクル・シリーズ”中短篇4作。(「BOOK」データベースより)

 

目次 迷舟/獣たちの海/老人と人魚/カレイドスコープ・キッス

迷舟
朋ともたないムラサキは、体皮は柘榴石のように濃い赤色でところどころに放射状に白い筋が走っている、まるで海に投げ込まれた一粒の宝石のような迷船を見つけた。

獣たちの海
双子のとして生まれて海に放たれた、「朋」を探して彷徨う一匹の魚舟の物語。

老人と人魚
迷いはぐれたのか、<大異変>後の人類の継承者として深海にいるはずのルーシィが浅瀬にいた。老人はこのルーシィと共に海で死ぬために旅立つのだった。

カレイドスコープ・キッス
都市型世代の最初の海上民の一人である銘は、保安員として、海上都市周辺にいる海上民船団の安全を見守っていた。ある日、マーロの船団の長(オサ)が交代するために、新しい長のナテワナという女性のもとへと連れていかれるのだった。

 

獣たちの海』の感想

 

本書『獣たちの海』は、上田早夕里の人気シリーズ『オーシャンクロニクル・シリーズ』に属する物語です。

本書の説明をするには前提として『オーシャンクロニクル・シリーズ』の世界観を知っておく必要があるでしょう。

簡単にいえば、海面上昇が起きた未来の地球で、環境に応じて地上民と海上民とに別れて生き残っている人類が、最長でも五十年の後には再び起きると予測されている地殻変動に立ち向かう様子が描かれている物語です。

この地殻変動は「大異変」と称されており、地球規模での寒冷化現象が引き起こされ人類は生き残れないと言われています。

そこで、寒冷化に耐えうるために人類を改変し種としての人類を残そうとしているのです。

詳しくは下記サイトに詳しくまとめられているので、そちらを参照してください。

 

本書『獣たちの海』では、こうした世界のもと、海上民を中心にその社会や一生懸命に生きている人々を主人公とした物語が紡がれています。

特異なのは海上民の生態で、彼らは海で生きていますが、その生活は魚舟という巨大な魚の甲殻内に住み暮らしているのです。

その魚舟の物語として『魚舟・獣舟』という作品があります。

 

この時代、出産は人工胚に二人の遺伝子情報を注入して人工子宮で育てるだけであり、親の性別に関係なく、同性間でも子供を持つことが可能となっています。

ただ、海上民は医療環境の関係から未だに旧来の方法、つまりは子宮で育て出産しますが、ただ、昔よりもずっと楽な出産になるように、あらかじめ体を改変されています。

また、海上民の場合、子は必ずヒトの姿をした子と、サンショウウオにも似た魚との双子を産みます。

このサンショウウオに似た双子の片割れである魚舟は産まれて一日の後に海に放たれ、将来双子の片割れを探しだして「朋」として共に暮らすことになるのですが、「朋」を見つけられない魚舟は獣舟に変るのです。

 

この「朋」を持たない海上民の物語が最初の「迷舟」であり、『オーシャンクロニクル・シリーズ』の世界を絵にすることを前提に書かれたそうです。

逆に魚舟の側から描かれたのが第二話の「獣たちの海」で、本書の中では最も古い時期に着想された作品だそうです。

そして、「大異変」後の世界に備えてその生態を改変された人類が「ルーシィ」であり、このルーシィと死を間近に控えたひとりの海上民の老人の物語が、『深紅の碑文』刊行直後(2013年末)からすぐに書きはじめられた第三話「老人と人魚」だと書いてありました。

ちなみに、この老人は先行作品を読んだ者であればすぐに誰だかわかると書いてあるのですが、読んだのが昔なのですぐには分かりませんでした。

最後の「カレイドスコープ・キッス」は、「銘」という名の海上での生活を忘れた海上民の話です。

この銘は、「大異変」に備え人類の生き残りをかけて作られた海上民用の赤道海上都市群のひとつマルガリータ・コリエの第四都市で育った最初の都市型世代の一人です。

 

こうして本書『獣たちの海』は、あたかも歴史小説が現実の歴史上の間隙を作家の想像力で埋めていく作業であるように、まだ来ていない未来の歴史の間隙を埋めている作品群だと言えます。

そのうえで、作者の上田早百合という人の想像力・文章力が素晴らしいものであるために、物語の中の人物たちが実在の人間であるかのように喜び、哀しみ、苦悩する姿が明確に描き出されています。

だからこそ、その文章に隠された命に対する真摯な思いや、差別や戦いなどを抱えた人間の営みが読み取れるのだと思います。

とはいえ、そうしたメッセージ性は脇においてもSF小説として、またエンターテイメント小説として強烈な魅力を持っているのです。

そうした点においては、私にとっては物語の方向性こそ異なっていますが、『鹿の王』(全五巻)という作品で本屋大賞を受賞した上橋菜穂子を思い出す作家でもありました。

 

 

この『オーシャンクロニクル・シリーズ』というシリーズ自体が壮大なスケールを持つ物語であり、既刊として『魚舟・獣舟』『華竜の宮』『深紅の碑文』『夢みる葦笛』といった読み応えのある作品が出版されています。

本書での著者上田早夕里自身による「後記」によれば、『華竜の宮』『深紅の碑文』という長編に組み込めなかった四つのエピソードが収録されているそうです。

また、それぞれの物語について簡単な説明があり、それが上記の各話の説明の中に織り込んであります。

 

本『オーシャンクロニクル・シリーズ』は発表はされたもののまだ出版されていないもの、まだ書かれていないもの、出版されていないのに図書館に入っていないもの、などがあり全部を読めているわけではありません。

続巻の出版を期待したいし、図書館にも入れてほしいものです。

魚舟・獣舟

現代社会崩壊後、陸地の大半が水没した未来世界。そこに存在する魚舟、獣舟と呼ばれる異形の生物と人類との関わりを衝撃的に描き、各界で絶賛を浴びた表題作。寄生茸に体を食い尽くされる奇病が、日本全土を覆おうとしていた。しかも寄生された生物は、ただ死ぬだけではないのだ。戦慄の展開に息を呑む「くさびらの道」。書下ろし中編を含む全六編を収録する。(「BOOK」データベースより)

 
ホラー作品とは言えないでしょうが、ホラー風味満載の短編五編と、本書の半分を占める中編一編が収められたSFの作品集です。

SF評論家の山岸真氏による本書の解説によると、最初からの「真朱の街」までの四作品は、「異形コレクション」という光文社文庫から刊行されているアンソロジー・シリーズで既出の作品を著者の短編集として組みなおしたものだそうです。

そう言えば、上田早夕里の『夢みる葦笛』という短編集の四話目までの「夢みる葦笛」「眼神」「完全なる脳髄」「石繭」という四作品も、同じく「異形コレクション」に位置づけられる短編だとありました。
 

 

この作品集の表題作となっている「魚舟・獣舟」は、後に第32回日本SF大賞を受賞する『華竜の宮』や、その続編である『深紅の碑文』の原点とも言うべき重要な作品だと思われます。

地殻の大異変により地球上の大部分が水没してしまった二十五世紀を舞台とする話です。海を生活圏とする海上民と呼ばれる人たちは、「魚舟」と呼ばれる生物の体内で暮らしています。この「魚舟」の変形として海上民にも、また陸上民にも害を為す存在となっている「獣舟」が存在するなど、アイデアに満ちた物語です。

この物語は、そうした世界で、今では陸上民として暮らしている「私」と、「私」の海上民時代の幼なじみである美緒との、美緒の「朋」である獣舟をめぐる物語であり、その舞台設定を最大限に生かした悲哀に満ちた物語です。

また、後に「オーシャンクロニクル・シリーズ」と名付けられる作品群の世界観が構築されている作品であって、『華竜の宮』や『深紅の碑文』と共に、そのシリーズ内の作品として位置付けられています。
 

 

そして、「幽霊の考察」というお題に対して書かれた作品が「くさびらの道」です。「くさびら」とは茸のことであり、この寄生茸に家族を取り込まれた男は、実家で、いる筈の無い家族と出会います。

次の「饗応」では、普通のサラリーマンの話かと思いきや、風呂で身体のパーツを少しずつ外していき、リラックスする男の姿が描かれています。SFらしい、ひねりの効いたショートショートです。

真朱の街」で登場する捜し屋の「百目」は、妖怪探偵百目シリーズとしてシリーズ化されている百目と同じ人物なのでしょう。本書での百目は五歳の娘が攫われてしまった邦雄の依頼で妖怪たちと対峙します。

良く意味が分からなかったのが、「ブルーグラス」です。恋人との想い出に満ちたブルーグラスというオブジェを海に沈めたものの、その海域が立ち入り禁止となるという話を聞いた伸雄の話です。

「ダイビングをフィーチャーした海洋SFでもある」と解説にはありましたが、首をひねるしかありませんでした。感傷以上のものを読み取れなかったのです。

一番最後に載っている本書の半分くらいを占める中編の「小鳥の墓」という作品は、上田早百合のデビュー長編の『火星のダーク・バラード』に登場する重要な脇役の前日譚だそうです。この物語単体としても違和感無く読み進めることがでいます。

 

 
この作者の個性が強烈に出ている、読みやすい短編集です。ホラー作品が嫌いな人にはあまりお勧めできないかもしれませんが、『夢みる葦笛』という短編集と同様、上田早百合という作家を知る上では避けては通れない作品集だと思います。

夢みる葦笛

日本SF大賞受賞作家、上田早夕里の真骨頂!妖しくも宝石のごとく魅力を放つ珠玉の傑作短編集!!人工知性、地下都市、パラレルワールド、人の夢―あなたの想像を超える全10編を収録!!(「BOOK」データベースより)

 

人間の体に対する改変を中心に、「異形のもの」という存在を見据えて、ホラーから恋愛小説までを描いた全十編からなる短編集です。

目次

夢みる葦笛 / 眼神 / 完全なる脳髄 / 石繭 / 氷波 / 滑車の地 / プテロス / 楽園 / 上海フランス租界祁斉路320号 / アステロイド・ツリーの彼方

 
「夢みる葦笛」では、心に染み入る音楽を聞かせてくれる、頭がイソギンチャクのようにになった人たちが登場するホラー作品で、「眼神」は、幼なじみに憑依した何者かを落とそうとする主人公の話であり、ホラーではありませんがホラーチックな、しかし哀しみを帯びた作品です。

「石繭」は電柱の先端にはりついた白い繭について描くショートショート、そして「プテロス」は主人公の生物学者が片利共生する異星の飛翔体生物との共生の様子が描かれています。

また「滑車の地」は、泥の海に立つ幾本もの塔で生きる人々の暮らしを、イマジネーション豊かに描き出す、私の好きな作品の一つです。

 

そして人体の改変をテーマにした作品群があります。

人間の体を改変するとは言っても、例えばJ・ヴァーリイの『へびつかい座ホットライン』で描かれているような遺伝子レベルからの人体の改造という側面も否定できないものの、それよりは人間の意識面に焦点を当てていると思われます。

 

 

「完全なる脳髄」という短編は、人工の身体に生体脳に加えて機械脳をも持つ合成人間が、生体脳を複数個つなげれば普通の人間になれるのではないかと考え実行する話ですが、この話などは直接的な人体改造と共に、人間という存在を象徴する「意識」を獲得しようとする話です。

生体脳の獲得という言わばアナログな考えの先には、脳の中身、即ち“人間の情報”をとりこむという話になるのは必然です。それは、「楽園」という話で描かれるような、メモリアル・アバターという仮想人格に死んだ恋人の情報を注ぎ込むと、それはもはや一個の人格と言えるのではないか、という話になってきます。

そして、人工の身体を与えられ、代替現実システム(SR)などの技術を用いて人間の感覚をも備えた人工知性体についてはどのように評価すべきなのか、という問いにたどりつき、「氷波」「アステロイド・ツリーの彼方」のような短編が登場しているのです。

 

人間と人工知性体との話は、上田早夕里の抱えている大きなテーマでもあるらしく、この作者の日本SF大賞とセンス・オブ・ジェンダー賞大賞を受賞している大作『華竜の宮』にも人工知能が重要な存在として登場しています。

そこでの人工知性体は人間の極限の道具のような位置づけでありながら、その存在は殆ど人間に近いものを感じます。

 

 

こうした問題意識の先にあると思われるのが、アン・レッキーの『叛逆航路』というSF作品です。この作品には、戦艦搭載のAI人格が、捕虜となった人間の脳に上書きされた存在が登場してくるのですが、ここでの「AI人格」という言葉が曲者です。

もう「人間」の定義の問題に帰着しますが、「人格」を持ったAIは、最早、肉体こそ持たないものの、人間と同等の存在のような気がするのです。

こうなると、肉体は人間でありながら頭脳は人格を有したAIという存在は人間なのかという設問自体意味を為さないような気もしてきます。
 

 

数年前にジョニー・デップ主演で『トランセンデンス』という映画が公開されました。この映画は、テロリストに撃たれた科学者の意識を人工知能に移し替え、人工知能の中で生き返った科学者とその行いを描いた作品でした。

 

 

こうした問題提起を抱えた本書ですが、人間の「意識」の問題とは離れた作品もあります。例えば「上海フランス租界祁斉路320号」は、並行世界(パラレルワールド)ものであり、かつ歴史改変ものと言える作品で、人間の改変とはちょっと異なります。

蛇足ながら、この作品は、後に書かれる『破滅の王』と同じ「上海自然科学研究所」を舞台にしていて、『破滅の王』誕生のきっかけになった作品ではないかと思われます。

 

この作家も今後の作品からは目が離せない作家と言えそうです。

破滅の王

一九四三年、上海。かつては自治を認められた租界に、各国の領事館や銀行、さらには娼館やアヘン窟が立ち並び、「魔都」と呼ばれるほど繁栄を誇ったこの地も、太平洋戦争を境に日本軍に占領され、かつての輝きを失っていた。上海自然科学研究所で細菌学科の研究員として働く宮本は、日本総領事館から呼びだされ、総領事代理の菱科と、南京で大使館附武官補佐官を務める灰塚少佐から重要機密文書の精査を依頼される。その内容は驚くべきものであった。「キング」と暗号名で呼ばれる治療法皆無の細菌兵器の詳細であり、しかも論文は、途中で始まり途中で終わる不完全なものだった。宮本は治療薬の製造を任されるものの、それは取りも直さず、自らの手でその細菌兵器を完成させるということを意味していた―。 (「BOOK」データベースより)

本書は、細菌兵器をテーマにしたミステリータッチの物語ですが、ミステリーというよりは主人公を含む登場人物らの、人間的な葛藤を描き出した物語です。なお本書は第159回直木賞の候補作になっています。

 

細菌兵器をテーマにした物語といえば、例えば小松左京の『復活の日』がありますが、この作品はすでに人類が死滅したであろう地球を舞台に、人類の再生を目指す物語でした。草刈正夫主演で角川映画で映画化もされ、そこそこにヒットしたと覚えています。
 

 

また、パンデミック小説としても多くの作品があり、篠田節子の『夏の災厄』や高嶋哲夫の『首都感染』など、人為的ではない自然発生のウイルスの爆発的な蔓延に際しての人間ドラマを迫力満点に描き出してありました。

 

 

本書の場合、細菌戦後の世界でもなく、ディザスター小説でもありません。そこには散布されるであろう、若しくは散布された細菌に対処しようとする研究者を中心にした、壮大なドラマが描かれています。

それは、何者かが作成した人類を滅亡に導きかねない細菌の存在に対しての、主人公を含む研究者らの研究者としての探究心と人間としての在りようという相反する命題の間で葛藤する様子を詳細に描き出しているドラマであり、そこに本書の価値があると思うのです。

また、重複するかもしれませんが、「キング」作成者判明の後には、その作成者の主張と主人公宮本の研究者としての考察に興味を引かれます。とくに、軍部が幅を利かせるこの時代だからこその主張も垣間見え、読み手としても単なるエンタメ小説として読み飛ばせない重みを感じたりもするのです。

 

また、そんな人間ドラマを描きながらも、主人公の宮本が友人である六川を殺した人物を探すというミステリー的な側面や、灰塚少佐という強烈な存在感を持った軍人の諜報員としての活動の側面もあり、いろいろな楽しみ方のできる作品になっています。

ミステリー的側面といえば、六川殺害の犯人探索以外に、本書のテーマである暗号名「キング」という細菌の実体、及び治療薬の解明という点でのミステリーという面もあります。

ただそれらはあくまでミステリーとしての色付けがある程度のことであり、また灰塚少佐のインテリジェンスの側面についても同じことが言え、本書の本質はやはり人間ドラマにあります。

そういう点では、この上田早夕里という作者の『華竜の宮』を始めとする『オーシャンクロニクルシリーズ』といった作品も同様であり、人間や社会の存立自体に対する考察を丁寧に為されていて、それが物語に反映されていると感じる作家さんという印象がより強くなりました。

 

この灰塚少佐の諜報戦に関しては、柳広司 の『ジョーカー・ゲーム』を想起させるものがありました。そこに登場する結城中佐の存在が、本書『』の灰塚少佐に通じるものを感じたのです。それは、時代背景が日中戦争前夜であり、場所も上海を舞台にした短編もあるということからきている印象かと思います。

 

 

また、学問の追及とそのことによる人命の簒奪という主人公の抱える研究者としての葛藤自体は、科学者の抱える煩悶として決して目新しいものではなく、また細菌の軍事利用という観点でもマイケル・クライトンの『アンドロメダ病原体』を始めとして多くの作品が書かれています。

 

 

しかし、本書の特徴は、問題の細菌を現実に存在した日本軍の石井部隊、通称731部隊を絡ませ、日中戦争という歴史的事実の隙間にうまく埋め込んで展開させているところにあります。

軍部の意見が増大する中で、民間の一研究者が中心となり、人類を滅亡させかねない細菌の行方を探り、その治療薬を模索する過程を緻密に描き出す本書は読みごたえがある作品として仕上がっています。

深紅の碑文

深紅の碑文』とは

 

本書『深紅の碑文』は『オーシャンクロニクルシリーズ』の一冊で、2012年11月に刊行された文庫本で上下巻合わせて944頁にもなる長編のSF小説です。

再び起こると予想されている大規模な地殻変動の≪大異変≫を前に生き残りを模索する人々の姿が描かれています。

 

深紅の碑文』の簡単なあらすじ

 

陸地の大部分が水没した25世紀。人類は僅かな土地で暮らす陸上民と、生物船“魚舟”とともに海で生きる海上民に分かれ共存していた。だが地球規模の環境変動“大異変”が迫り、資源をめぐる両者の対立は深刻化。頻発する武力衝突を憂慮した救援団体理事長の青澄誠司は、海の反社会勢力“ラブカ”の指導者ザフィールに和解を持ちかけるが、頑なに拒まれていた―日本SF大賞受賞作『華竜の宮』に続く長篇、待望の文庫化。(上巻:「BOOK」データベースより)

困難な時代においても、深宇宙研究開発協会は人類の記録と生命の種を系外惑星に送り込もうと計画していた。その理念に共感した星川ユイは協会で働き始めるが、大量の資源を必要とする宇宙開発は世間から激しい非難を浴びる。ユイは支援を求めて青澄に会いに行くが…苛烈を極める物資争奪戦、繰り返される殺戮、滅亡を意味する環境変動―いくたびの難事を経てなお信念を貫いて生きる者たちを描破した、比類なきSF巨篇。(下巻:「BOOK」データベースより)

 

前巻からの主要登場人物の青澄は既に外務省をやめ、救援団体であるパンディオンを設立して、その理事長として民間からの救済活動に身を投じています。

青澄の大切なパートナーであった人工知性体のマキは、外務省時代の記憶を消去され、新たに女性の人格を付与されて青澄の秘書的存在として青澄を支えています。

青澄らが本書での重要な登場人物であることに変わりはありませんが、本書では他に三人の重要な登場人物がいます。

一人はザフィールという男で、新しく現れた≪ラブカ≫と呼ばれる集団の中の一つの団体のリーダーです。ラブカは単なる海賊ではなく、陸上民に対する強い不信感を抱いている反陸上民的存在であって、陸上民による海上民への支援すらも反対してボランティアに対しても容赦はありません。

もう一人は星川ユイという女性です。本書冒頭で少女だったユイが、後にDSRD(深宇宙開発協会)に勤務し、無人宇宙船「アキーリ号」の開発に携わります。

そして三人目は、アニス・C・ウルカという女性です。≪調和の教団≫の祭司を務めていて、民間の救援団体で働いています。

 

彼ら三人の行動を三人それぞれの視点で描きながら、青澄を中心として物語は展開します。

心の奥底に憎しみを抱きつつ生きているザフィール、宇宙で生き延びる人類の未来を信じるユイ、そして宗教を根底に持ちながら人間を信じようとする宗教人アニス、それぞれの生き方をダイナミックに描き出してあります。

青澄は、民間の支援団体パンディオンの理事長として来るべき≪大異変≫に向けてできるだけのことをするために、人工知性体のマキの力を借りつつ働いていますが、何とかザフィールとの和解を望んでいますが、なかなか心を開いてくれません。

また、NODEという政府連合組織が新たな武器を開発したりと、青澄の努力は報われない場面が多々あるのです。

そんな青澄を始め、来るべき災厄を乗り越える人類の未来を信じ、ただひたすらに努力し、逞しく生活していく人類の姿は感動的ですらあります。

 

深紅の碑文』の感想

 

本書『深紅の碑文』は、第32回日本SF大賞を受賞した著者上田早夕里の『華竜の宮(上・下)』の続編です。

 

 

著者上田早夕里の『オーシャンクロニクル・シリーズ』という壮大なシリーズに位置づけられる作品であり、最長でも五十年の後には起こると予測される、再びの大規模な地殻変動≪大異変≫に対し、人類が全力で立ち向かう様を描いている長編小説です。

本書の特徴の一つに、それぞれの立場を十分に考慮した描き方がされていることを挙げるべきでしょう。

憎しみ優先のザフィールや、利己的な利益を追求する組織として敵役的な立場にあるNODEですら、その存在意義を丁寧に示してあり、それぞれの行動を、それぞれの存在意義に基づいた意味のある行動として描かれています。

この世界全体としてのシステムがよく考えられており、各組織がこの世界の中できちんと位置付けてあるからこその意義づけが為されていると思われます。

そうした作者の姿勢がこの物語の世界観の構築にとても役立っていて、読み手が安心して物語の世界に浸れる一因となっていると思うのです。

 

先に述べた『オーシャンクロニクル・シリーズ』は、まだまだ書かれ始めたばかりのようです。これから先、人類はどうなるのか、大いなる期待をもって続巻を待ちたいシリーズです。

このについては、本書『深紅の碑文』の著者上田早夕里の公式ブログに詳しく紹介してあります。

 

近年、SF作品をあまり読まなくなったので選択の範囲が狭いのですが、本書のようなスケールを持ったSF作品はあまり無いと思われます。

それでも、近年のSFから選ぶとすると小川一水の『天冥の標』という作品を挙げることができると思います。全十巻という大作で、SFの様々な要素の詰まった作品です。

 

 

こうした作品を読むと、日本のSFもなかなか頑張っていると思わざるを得ません。かつて熱中したSF作品を再度読んでみようかとも思っています。

華竜の宮

華竜の宮』とは

 

本書『華竜の宮』は、文庫本で上下巻合わせて856頁にもなる、壮大なスケールをもった長編のSF小説です。

地球の大半が水没した世界を描く本書は第32回日本SF大賞を受賞した作品で、じつにSFらしい作品でした。

 

華竜の宮』の簡単なあらすじ

 

ホットプルームによる海底隆起で多くの陸地が水没した25世紀。人類は未曾有の危機を辛くも乗り越えた。陸上民は僅かな土地と海上都市で高度な情報社会を維持し、海上民は“魚舟”と呼ばれる生物船を駆り生活する。青澄誠司は日本の外交官として様々な組織と共存のため交渉を重ねてきたが、この星が近い将来再度もたらす過酷な試練は、彼の理念とあらゆる生命の運命を根底から脅かす―。日本SF大賞受賞作、堂々文庫化。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

青澄は、アジア海域での政府と海上民との対立を解消すべく、海上民の女性長・ツキソメと会談し、お互いの立場を理解しあう。だが政府官僚同士の諍いや各国家連合間の謀略が複雑に絡み合い、平和的な問題解決を困難にしていた。同じ頃“国際環境研究連合”は、この星の絶望的な環境激変の予兆を掴み、極秘計画を発案する―最新の地球惑星科学をベースに、この星と人類の運命を真正面から描く、2010年代日本SFの金字塔。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

25世紀の未来、地球はホットブルームと呼ばれる地殻変動による海底の隆起で、海水面が260メートル近くも隆起し、陸地を失っていました。

代わりに新たな生活空間としての海を得た人類は、海での生活に適した身体を持つ海上民と呼ばれる民族が生みだされ、また彼らの海での生活空間として魚舟がつくられました。

海上民に対して、陸地に暮らす人々は陸上民と呼ばれ、それぞれに新しい環境にも適応しつつ、新たな繁栄の時代を迎えていたのです。

しかしながら、陸上民と海上民との間には越えがたい溝が生まれており、また陸上民、海上民それぞれの内部での対立も激化しつつありました。

そうした中、現在の状況を生みだした地殻変動を超える地球規模の大異変が起きるとの報告がもたらされます。

このような時代背景のもと、公海上にある海上都市の「外洋公館」に属する外交官の青澄・N・セイジと、彼のアシスタント頭脳であるマキを主人公として物語は展開します。

 

華竜の宮』の感想

 

天変地異による陸地の減少と、それに伴う海を生活の場とする人々という設定自体は、例えば私らの世代では手塚治虫の『海のトリトン』という漫画や、それを原作とするアニメが有名ですし、近年ではケビン・コスナー主演の映画『ウォーターワールド』が思い出されます。

 

 

しかし、本書『華竜の宮』の場合はそれらの冒険譚とは異なり、SFらしい舞台設定のもと人類の行く末にまで想いを致す壮大な構成となっています。

そもそも、この作者には「異形コレクション」に応じて書かれた作品の一つとして『魚舟・獣舟』という短編があり、その物語の流れの中で本書が書かれたのだそうです。そして、本書の続編として『深紅の碑文』という作品があります。

 

 

本書『華竜の宮』はこれらの地殻変動により海面が上昇した世界を舞台にした『オーシャンクロニクル・シリーズ』の中の一冊として位置付けられる作品なのです。( 上田早夕里・公式サイト : 参照 )。

 

この物語の魅力の一つは、この海上面上昇という現象や魚舟という存在の科学的な理由付けを、ハードSFと呼んでもよさそうなまでに緻密に理由付けをしてあることにあると思われます。

もう一つの理由は、例えば人類改変の可否についての議論をも展開していることに見られるように、物事の見方が一面的ではないこともあります。それは登場人物の描き方にも表れており、人間の多様な側面をこれまた丁寧に描いてあります。

こうした描き方によって、作品の真実味が増し、物語の厚みが出て、読み手の心に訴えかけるものが格段に増すのでしょう。

 

更には、本書『華竜の宮』で構築されている社会構造や、獣舟などに代表される人類改変などのアイディアの素晴らしさがあります。

なかでも、「人工知性体」という存在が注目されます。単にロボットではなく、AIとしての存在があり、知性体の体は入れ物にすぎないのです。

したがって、知性体が仕える人物の脳内に埋め込まれたチップとの間であたかもテレパシーのように通信できると同時に、知性体を使う人間にとっては高機能コンピュータを常時抱えているにも等しい状態でいることができるのです。

こうした魅力的な舞台設定のもと、主人公らの活躍は冒険小説的でもあり、またデザスター小説としての側面もあり、多様な読み方が出来るのではないでしょうか。

 

本書『華竜の宮』のようなスケールをもったSF小説というと、やはり小松左京の『日本沈没』を挙げないわけにはいかないと思います。

本来は、日本がなくなった後の日本民族の行方、有りようを描きたかった、という意味のことを作者本人が語っていたものを読んだ記憶があります。

日本が沈没するメカニズムを、いかにも事実のように既知の学問の理論を尽くしで真実味をもたせ、更に主人公らの人間ドラマをもうまく重ねるその小説手法は、本書にも重なるところがあるように思うのです。