架け橋 風の市兵衛

唐木市兵衛を相模の廻船問屋が言伝を持って訪ねてきた。相手は返弥陀ノ介の許から姿を消した女・青だった。伊豆沖で海賊に捕えられるも逃げだしたらしい。弥陀ノ介には内密にと請われ、市兵衛はひとり平塚に向かう。一方、弥陀ノ介は“東雲お国”と名乗る女海賊の討伐のため浦賀奉行所に派遣される。だが、お国は、弟を殺された哀しみで、復讐の鬼と化していた…。(「BOOK」データベースより)

風の市兵衛シリーズ第十八作目の作品です。

 

市兵衛が、深川油堀の一膳飯屋「飯酒処 喜楽亭」で飲んでいるとき、廻船問屋弓月の主の七衛門という男が、「青」との一文字だけが書かれた一通の手紙を抱え訪ねてきて、市兵衛に「助けてほしい。弥陀ノ介には言うな」との伝言を伝えます。

早速に、七衛門の船で青が待つ須賀湊へと向かった市兵衛は、お腹がそうとわかるくらいに丸くなっている青と再会します。話を聞くと、弥陀ノ介のもとを逃げ出した後、品川宿で上方商人に拾われ船で上方へ向かう途中に難破して海賊に拾われたものの、海賊の一人を斬って逃げだし、七衛門に助けられたと言うのです。

すぐに弥陀ノ介のもとへ連れ帰ろうとする市兵衛でしたが、弟を殺された海賊の首領東雲お国の復讐心は強く、その手下が市兵衛と共にいる青を見つけるのでした。

 

今回は久しぶりに物語の展開として新鮮に読むことができました。前巻でも「シリーズとしての普通の面白さ」しかないと書きましたが、本巻は痛快小説として、いつも以上に惹かれた作品でした。

それはやはり、異国の女剣士である“青”が再びこの物語に登場してきたことによるものでしょう。話自体は、青の復帰と復讐心に燃える海族との闘い、と言うに尽きるのですが、やはりいつもと異なる人物の登場によりシリーズの流れも雰囲気が変わると思われます。

本書自体もそうなのですが、弥陀之助と青との組み合わせが今後のこのシリーズにどのように関わってくるものなのか、そうした物語全体の流れに対する興味がかき立てられます。

 

合わせて、このシリーズのもう一つの魅力である、豆知識の披露があります。今回も前巻に続いて船の話です。

それは、弁財船と呼ばれる大坂と江戸とを結ぶ大型木造帆船の話であり、関東近辺の海運に用いられた五大力船という海川両用の廻船についての説明です。

本書では、廻船問屋弓月の五大力船と、海族の乗る、帆走・漕走併用の小型の高速船である押送船(おしょくりぶね)が物語の中心となっています。

 

本書ではもう一点、市兵衛の婿入りの話で盛り上がっている一膳飯屋「飯酒処 喜楽亭」の仲間の話もまた小さな山であるのかもしれません。始めて市兵衛の婿取りの話が本格的に進み、宮仕えをする市兵衛が誕生するかもしれないのです。

シリーズものの常として、若干の魅力度の落ちてきたことを感じないでもなかったこの物語ですが、今回は少しですが盛り返したような気がします。

 

ちなみに、シリーズも二十巻となり、“青”という新しいメンバーが増えたと考えていいものなのか、シリーズの二十一巻目には、気付いたら『風の市兵衛 弐』と名称に「弐」の文字が付加されていました。このシリーズも心機一転し、新たな展開が見られることを期待したいものです。

遠き潮騒 風の市兵衛

深川で干鰯〆粕問屋の大店・下総屋の主が刺殺された。玄人の仕業を疑った北町奉行所同心・渋井鬼三次は、聞き込みから賊は銚子湊の者と睨み急行する。同じ頃、唐木市兵衛は返弥陀ノ介の供で下総八日市場を目指していた。三年半前に失踪した弥陀ノ介の友が目撃されたのだ。当時、銚子湊では幕領米の抜け荷が噂され、役人だった友は忽然と姿を消していた…。 (「BOOK」データベースより)

風の市兵衛シリーズ第十七弾です。出版冊数としては十九冊目であり「風の市兵衛19」と番号が振られています、作品としては十七番目の作品です。

 

公儀小人目付役の返弥陀ノ介は、幼なじみである松山卓、寛治兄弟の父辰右衛門から、三年前に行方不明となっている卓らしき人物を見たとの知らせがあり、その確認に行って欲しいいと頼まれます。公儀御目付役の片岡信正の許しを得てすぐに旅立つ弥陀ノ介でしたが、その隣には信正から頼まれた市兵衛の姿もありました。

二人は、知らせをよこした船橋の了源寺の随唱という住持から、卓らしき者を見かけた八日市場の立つ九十九里の名主の十右衛門への紹介状を得ます。十右衛門から銚子湊の様子を聞き、翌日、務場で聞いた卓が身を投げたという屏風ヶ浦の断崖へ行くと、三度笠の男らに飯岡の助五郎という侠客のもとへと案内されるのでした。

丁度その頃、深川で干鰯〆粕問屋≪下総屋≫の主人善之助が殺された事件を追っている北町奉行所定町廻り方同心の渋井鬼三次もまた、聞き込みで犯人は銚子湊のものらしいとのあたりをつけ、北町奉行の許しを得、銚子湊へと向かうのでした。

 

本書は、江戸期の海上輸送路の一つである「東廻り航路」の中継地として要の港になる、銚子湊を舞台とした物語です。

この「東廻り航路」に「外廻り」と「内廻り」とがあることなど、何かのテレビ番組でかつて聞いたような気もしますが、そうした豆知識も本シリーズの魅力の一つとなっています。

ただ、本書の物語自体は、なんとなくお約束の、大衆受けのするお涙頂戴的な設定となっています。しかし、この作者の手にかかると通俗的ではあるものの、痛快時代小説としての面白い物語となっています。

ただ、それはあくまでもこのシリーズ内の一冊として普通の面白さを持っているということであって、決してそれ以上のものではありません。面白さゆえに本を置く暇もない、とまでの水準ではないのです。

今回の市兵衛はあまり活躍の場がありません。それは、物語の中心にいる筈の弥陀ノ介にしても同様で、単に、三年前に行方不明となっている松山卓の足跡をたどる旅になっています。

銚子湊の幕府務場の改役を務める楢池紀八郎と、楢池の相談役である二木采女にしても、何とも人物像が単純で、面白い物語では必須の魅力ある敵役とはとても言えない存在です。

本来であれば、本書には『天保水滸伝』でおなじみの飯岡の助五郎といった有名人も登場させているのですから、もう少し物語に幅があってしかるべきだと思うのですが、残念ながらこの点でも今ひとつでした。

好きなシリーズであるために、かなりハードルを高くして読んでいたのかもしれません。でも本来、その期待に十分に応えるだけの面白さを持ったシリーズです。

今後の更なる展開を期待したいと思います。

待つ春や 風の市兵衛

武州忍田は幕府の台所を支える最重要拠点である。年の瀬、公儀御鳥見役とその手下が斬殺された。領主の阿部家は追剥ぎ強盗の仕業とするが、公儀目付役は疑念を隠さなかった。同じ頃、唐木市兵衛は俳諧の宗匠を訪ねていた。彼は阿部家の元家士で、忍田までの旅の供を依頼される。破格の給金を訝しんだ市兵衛が真意を問うや、捕らえられた友の救出に向かうと…。(「BOOK」データベースより)

風の市兵衛シリーズ第十六弾です。

元阿部家家臣である俳諧師の芦穂里景が武州忍田領阿部家の上屋敷を訪れ頼まれたのは、武州忍田領内で殺された公儀御鳥見役の殺害犯人として捕らえられた笠木胡風を助け出して欲しいということでした。

そこで、かねてからの知り合いであった矢籐太を通じて唐木市兵衛を雇い、芦穂里景とその身辺の世話をする正助という八歳の少年との護衛を頼み、武州忍田へと向かうのです。

公儀御鳥見役が殺された理由は、例によって武州忍田領阿部家の内紛にありました。こうした時代小説の典型として、お家の重役らの専横があり、その専横に対し立ち上がる弱小な正義の一派がいて、ヒーローの助けにより物語は大団円を迎える、という一つの図式があります。

本書はその典型的な物語であり、笠木胡風や芦穂里景らといった、お家の良心的存在を市兵衛が助け、勧善懲悪を果たします。

個人的には、弥陀之助の登場場面が無いことや、市兵衛の動きが遅いことなど、全く不満点が無いわけではありません。

しかしながら、そうしたことは個々人の勝手な要求ですから、作者の構築する物語の世界に十分に浸れる以上はそれでよしとすべきでしょう。

そして本書は、本シリーズの第二作目の『雷神』で登場した小僧の丸平(がんぺい)を彷彿とさせる正助の存在もあって、読者の要求を最大限満足させてくれる作品になっていると思うのです。

うつけ者の値打ち

算盤侍唐木市兵衛を、北町同心の渋井鬼三次が手下とともに訪ねてきた。岡場所を巡る諍いを仲裁してくれという。見世に出向いた市兵衛の交渉はこじれ、用心棒の藪下三十郎と刃を交えるが、互いの剣に魅かれたふたりは親交を深めていく。三十郎は愚直に家族を守る男だった。だが、愚直ゆえに過去の罪を一人で背負い込んでいる姿を、市兵衛は心配し…。(「BOOK」データベースより)

風の市兵衛シリーズ第十五弾で、前作同様に本書もまた講談話の香りを濃密に持っている作品です。ただ、前作よりも市兵衛色が強いのもまた事実であり、人情ものとして胸に迫る物語でもあります。

藪下三十郎こと戸倉主馬は、公金使い込みの負い目から、かえって更なる悪事へと引き込まれてしまいます。それどころか、他の仲間から騙されて年老いた両親やかわいい妹の行く末を保証するとの言葉を信じ、仲間の罪をも一身に背負って出奔したのでした。

それから数年後、江戸の藪下で岡場所の用心棒となっていた主馬は、いさかいの末に市兵衛と戦うことになるのですが、そのことは逆に二人の距離を近づける事になるのです。

前巻同様にストーリー自体は目新しいものではなく、どちらかと言えばよくある話です。そうでありながら、辻堂魁という作者の手にかかると、人情味豊かな痛快時代小説として成立するのですから、作者の力量のうまさを感心するしかないと思われます。

痛快時代小説の王道を行く本書です。ただ物語のもたらす心地よさに浸り、既に出ている続刊を読みたいと思うばかりです。

秋しぐれ 風の市兵衛

廃業した元関脇がひっそりと江戸に戻ってきた。かつて土俵の鬼と呼ばれ、大関昇進を目前にした人気者だったが、やくざとの喧嘩のとばっちりで江戸払いとされたのだ。十五年後、離ればなれとなっていた妻や娘に会いに来たのだった。一方、“算盤侍”唐木市兵衛は、御徒組旗本のお勝手たてなおしを依頼された。主は借金に対して、自分の都合ばかりをくましたてるが…。 (「BOOK」データベースより)

風の市兵衛シリーズ第十四弾です。

本書では市兵衛は完全に脇に回り、一人の相撲崩れのヤクザものが主人公となっている物語です。風の市兵衛シリーズのメンバーは全く顔を見せない、一編の講談話となっています。

今回の市兵衛は、心ならずも雇い主の借金の縮小の交渉に赴いたのですが、その雇い主であるやくざな旗本の過去に触れることになり、そこで本書の主人公である一時は関脇にまでなり、人気を博していた元相撲取りと出会うことになるのです。

そこで繰り広げられる人情話は、一歩間違えば安っぽい講談話になりかねないのですが、そこは作者の筆力ということでしょうか、市兵衛色は薄くはあるものの、市兵衛の物語として仕上がっているのです。

市兵衛の話でなければ多分読まないだろうと思いながら、では、何故市兵衛の絡んだ話となれば読むのだろうかとの脇道にそれた感想を抱きながらの読書でした。

夕影 風の市兵衛

“算盤侍”唐木市兵衛は、公儀十人目付筆頭片岡信正の依頼で、下総葛飾を目指していた。信正の配下返弥陀ノ介は親友市兵衛の出立に際し、伝言を託す。葛飾近くの貸元に匿われている女宛だった。道中、市兵衛は貸元が人徳者だったが三月前に暗殺されたと知る。跡目を継いだのは美人の三姉妹で、市兵衛はその手下を偶然助けたことから、縄張り争いに巻き込まれ…。(「BOOK」データベースより)

風の市兵衛シリーズ第十三弾です。

今回の物語は、痛快小説のど真ん中を行く王道の痛快小説でありました。対立する二つの一家の一方は昔ながらの任侠道を大事にしている一家であり、もう一方は役人と結んで無理を承知の横車を押すヤクザもの。ましてや任侠道を大切にする一家は、先代が殺された後美人三姉妹が一家を切り盛りしているというのですから、市兵衛がどちらに力を貸すかなど、問うまでもありません。

今回の依頼は、下総葛飾のとある寺にいるらしい、普化僧となっている息子の消息をたずねて欲しいというものでした。また、併せて返弥陀之助からも、葛西の吉三郎親分のもとにいると思われる、かつての敵で異国の剣の使い手である「青」の様子を見てきて欲しいとの頼みもありました。

ところが、葛西の吉三郎親分は何者かの手によって殺されており、その後を美人三姉妹が継いでいたのです。この一家こそが任侠道を大切に守ってきた一家であり、対立する一家に狙われていたのです。

本来の、普化僧になっているらしい息子の消息を確かめる仕事をこなす市兵衛。それと同時に、弥陀之助と青との恋模様があり、そして美人三姉妹と市兵衛との絡みもあり、痛快小説としては盛りだくさんの内容でありながら、更にそのそれぞれを丁寧に描写しているのはいつものこの作者の物語です。

高倉健の任侠映画を思わせる舞台設定と、

科野秘帖 風の市兵衛

「父の仇・柳井宗秀を討つ助っ人を雇いたい」渡り用人・唐木市兵衛は胸をざわつかせた。請け人宿の主・矢藤太によると、依頼人は女郎に身をやつしているが、武家育ちの上品な女らしい。しかし、二人の知る宗秀は病に苦しむ人々に寄り添う仁の町医者である。真偽を確かめるため岡場所を訪ねる市兵衛。だが、仇討ちには宗秀の故郷信濃を揺るがした大事件が絡んでいた!(「BOOK」データベースより)

風の市兵衛シリーズ第十二弾です。

言うまでもなく、この風の市兵衛シリーズには様々なレギュラーの登場人物がいます。メインは、いつも深川堀川町の油堀にある一膳飯屋「喜楽亭」に集まり、ただ酒を飲む仲間たちです。その酒飲み仲間である数人の中の柳井宗秀という町医者が今回の話の中心です。

柳井宗秀は、かつて故郷の下伊奈で菅沼家に養子として入り、保利家に典医として仕えていました。しかし、宗秀の実家も巻き込んだ騒動の末に、養子先の菅沼家からも離縁され、故郷を捨てることになりました。

その後江戸へ出た宗秀は町医者として市井の人々に慕われていたところで、市兵衛と再会し、北町同心の鬼渋こと渋井鬼三次らと共に「喜楽亭」の仲間となったのです。

そうした過去を持つ柳井宗秀を討とうとする女が現れるのです。それも元は武家の娘であろう品を持った女郎でした。

ことの真実を探ろうとする市兵衛でしたが、そこに柳井宗秀の過去へとつながる意外な事実が判明するのでした。

前作では市兵衛その人の過去の一端が垣間見え、その前の巻では市兵衛の兄公儀十人目付筆頭片岡信正とその妻佐波の過去が少しではありますが語られていました。

そして今回は柳井宗秀の物語であり、また鬼渋こと北町同心の渋井鬼三次の別れた嫁と息子も登場します。

今回は、「算盤侍」としてではない市兵衛の姿が見られますが、風の剣の使い手としてもまたそれなりの見せ場は用意してあります。

ともあれ、一つの時代小説の型にはまった物語とも言えますが、それを痛快小説として仕上げているこの作者の力量が見える作品でした。

遠雷 風の市兵衛

「市兵衛さんにしか頼めねえんだ」夏の日、渡り用人・唐木市兵衛の許を、請け人宿の主・矢藤太が訪れた。依頼は攫われた元京都町奉行・垣谷貢の幼い倅の奪還。拒む市兵衛に矢藤太は、倅の母親はお吹だと告げる。お吹こそ、青春の日、京で仕えた公家の娘で初恋の相手だった。奪還を誓う市兵衛。だが、賊との激闘の中、市兵衛は垣谷家の大罪と衝撃の事実を知ることに…。(「BOOK」データベースより)

風の市兵衛シリーズ第十一弾です。

前巻では、市兵衛の兄片岡信正の結婚、そして片岡信正とその妻佐波との馴れ初めなどが明らかにされた物語でした。本書では、主人公の市兵衛の京都での暮らしが垣間見え、市兵衛の青春の日々を思わせる一編となっています。

市兵衛は、矢籐太からの拐かされた子供の救出という仕事の依頼を一旦は拒むのですが、拐かされた子供が市兵衛の京都時代の初恋の人であるお吹の子だったことから、元京都町奉行垣谷貢とその妻お吹との間の子の奪還を引き受けることになります。

これまでも繰り返し書いてきたように、今回の雇い主と市兵衛との関係性も、説明的ではなく、物語の流れの中で舞台背景に即した形で明らかにしてあります。

こうした流れの中、本書では市兵衛の過去、それも矢籐太と知り合った京都での暮らしの一端が垣間見える作品になっています。京都での市兵衛の暮らし、そして恋心、青年市兵衛の青春時代です。

その市兵衛が、「渡り用人」としてではなく、直接的に用心棒として県の腕をふるう、それもかつての想い人の警護をし、その子から慕われるのですから、その心中やいかにといったところでしょう。

本書では、本書のタイトル「遠雷」という単語が数か所にちりばめられています。それは、市兵衛らの遠い過去の日々をも示しているようで、やはりこの作者はうまい、とあらためて思わせられる表現でした。

乱雲の城 風の市兵衛

「ああいう男はとり除かねば」文政半ばの年末、江戸城内外で奥祐筆組頭・越後織部は謀議を重ねていた。翌春、長兄で目付・片岡信正の婚儀の喜びも冷めぬ中、今は市井に生きる末弟・唐木市兵衛は、信正配下の小人目付・返弥陀ノ介捕縛、責問の報に驚愕。信正も謹慎中と知り、真相の究明に乗り出すが…。冤罪に落ちた兄と友を救うため、“風の剣”が城に巣くう闇を斬る!(「BOOK」データベースより)

風の市兵衛シリーズ第十弾です。

今回は、市兵衛の兄である公儀十人目付筆頭の片岡信正が本格的にこのシリーズに絡んできた最初の物語ではないかと思います。これまでも話の中に登場はしてきていたのですが、それは物語の背景としてであり、物語の流れそのものが片岡信正に直接関係するのです。

公儀奥祐筆組頭の越後織部の力を借りて、老中職まであと一歩のところまで来ていた伊勢七万石譜代大名の門部伊賀守邦朝は、公儀十人目付筆頭の片岡信正の異議のためにその望みを絶たれてしまいます。そのため、越後織部らは片岡信正配下の返弥陀之介を捕縛、拷問にかけ、片岡信正の不正の証拠としようとするのです。

自分の親友でもある返弥陀之介の捕縛を知った市兵衛は、北町奉行所定町廻り同心の渋井鬼三次らの力を借りて奔走し、救出を図ります。つまりは、本書の市兵衛は、算盤侍としての顔ではなく、「風の剣」の使い手としての唐木市兵衛の話ということになります。

また、片岡信正の新婚の妻である佐波の父静観がとった行動も見ものです。静観の口からは、片岡信正と佐波の馴れ初めも語られたりもし、このシリーズの奥行きがまた少し深くなったようにも思える物語でした。

春雷抄 風の市兵衛

渡り用人・唐木市兵衛は、知己の蘭医・柳井宗秀の紹介で人捜しを頼まれた。依頼主は江戸東郊の名主で、失踪した代官所の手代・清吉の行方を追うことに。一方、北町同心の渋井鬼三次は、本来、勘定奉行が掛の密造酒の調べを極秘に命じられる。江戸で大人気の酒・梅白鷺が怪しいというのだ。やがて二つの探索が絡み合った時、代官地を揺るがす悪の構図が浮上する…。(「BOOK」データベースより)

風の市兵衛シリーズ第九弾です。

今回の市兵衛は酒の密造事件にかかわる話で、若干ですが市兵衛の「渡り用人」としての顔が生きる物語になっています。

市兵衛は、いつもの飲み仲間である蘭医の柳井宗秀の紹介で、砂村新田名主の伝左衛門から代官所手代の清吉を探すよう依頼されます。調べていくと、北町奉行所定町廻り同心の渋井鬼三次が探索中の老舗の酒問屋「白子屋」の不当廉売の話に繋がっていきます。

この問題は、新田の開発という江戸経済の根幹にかかわる事案があり、それから上がる年貢米の横領へと連なる問題でした。すなわち川欠引という免租の仕組みや、どれだけの量の酒を造るかという酒造鑑札の仕組みまで絡む大事件へと発展するのです。

本書の物語は、横暴な役人や商人の欲のために失踪した手代と、残された手代の妻や子のために探索の手伝いをする市兵衛がいて、その結果が大捕物へと結びついていったのです。

正義の味方が悪を懲らしめるという、勧善懲悪の王道の痛快時代小説の醍醐味が満喫できる一冊でした。