リカバリー・カバヒコ

リカバリー・カバヒコ』とは

 

本書『リカバリー・カバヒコ』は、2023年9月に234頁のハードカバーで光文社から刊行された連作の短編小説集です。

いつもの通りの心温まる話が詰まっている、青山美智子らしい作品集です。

 

リカバリー・カバヒコ』の簡単なあらすじ

 

5階建ての新築分譲マンション、アドヴァンス・ヒル。近くの日の出公園には古くから設置されているカバのアニマルライドがあり、自分の治したい部分と同じ部分を触ると回復するという都市伝説がある。人呼んで”リカバリー・カバヒコ”。アドヴァンス・ヒルに住まう人々は、それぞれの悩みをカバヒコに打ち明ける。高校入学と同時に家族で越してきた奏斗は、急な成績不振に自信をなくしている。偶然立ち寄った日の出公園でクラスメイトの雫田さんに遭遇し、カバヒコの伝説を聞いた奏斗は「頭脳回復」を願ってカバヒコの頭を撫でる――(第1話「奏斗の頭」)出産を機に仕事をやめた紗羽は、ママ友たちになじめず孤立気味。アパレルの接客業をしていた頃は表彰されたこともあったほどなのに、うまく言葉が出てこない。カバヒコの伝説を聞き、口を撫でにいくと――(第3話「紗羽の口」) 誰もが抱く小さな痛みにやさしく寄り添う、青山ワールドの真骨頂。(「Amazon」内容紹介より)

 

リカバリー・カバヒコ』の感想

 

本書『リカバリー・カバヒコ』は、作者青山美智子らしい、明日に希望をもたらしてくれる心温まる作品集です。

本書には悪人は登場しませんし、派手なアクションもありません。ただ、普通の人々の普通の暮らしが描かれ、その暮らしの中で抱えることになった屈託をカバヒコが解決してくれる物語です。

とは言っても、カバヒコが何かをしてくれるということではありません。

そもそも「カバヒコ」とはアドヴァンス・ヒルというマンション近くの日の出公園にある、いわゆるアニマルライドと呼ばれる遊具につけられた名前であり、ただそこにあるだけの存在に過ぎません。

その名前にしたってカバの遊具であるところからつけられてに過ぎず、その名前に意味があるわけでもありません。。

 

各話の主人公は前出のアドヴァンス・ヒルという新築分譲マンションに住む人たちです。

第一話は、レベルの高い高校に進学したものの、自分の成績の悪さに戸惑う宮原奏斗という高校生。

第二話は、ママ友たちとの付き合いに疲れ、ボスママから無視される樋村砂羽という主婦。

第三話は、耳管開放症という珍しい病に悩む新沢ちはるというブライダルプランナー。

第四話は、嫌なことから逃げていたら本当に足が痛くなってしまった勇哉という小学生。

第五話は、口を開けば母親と喧嘩ばかりをしている溝畑和彦という雑誌編集長です。

 

彼らはそれぞれに悩みを抱え、気が思い毎日を送っていますが、近所の公園の中にあるカバの遊具に関して言われている都市伝説を信じてカバヒコの身体の個所をさすり、その回復を願うのです。

カバヒコは何もしてくれません。ただそこにあるだけです。でも彼らの心は何故か軽くなり、抱えている問題に正面から付きあうようになるのです。

 

作者の青山美智子は、WEB別冊文藝春秋に掲載されているインタビューの中で本書で書きたかったことなどを語っておられます。

そこでは、本書『リカバリー・カバヒコ』の「裏テーマは「相棒」で、主人公がそういう存在に気づく話でもあるんです。」と言っておられます。

そして、「傍から見たら地味だけれど、だからこそ一人一人が見つけるほのかな光が浮かび上がるようなものが書きたかったんです。」とも言っておられるのです。

 

青山美智子の作品は、うがった見方をすれば、これまで三年連続で本屋大賞の候補となった『お探し物は図書室まで』『赤と青とエスキース』『月の立つ林で』という三作それぞれのパターンが一緒だと言えます。

ただ、程度の差こそあれこの三作はファンタジーの要素があり、超自然的な力が働いていた点に本作との違いがあるとは言えるでしょう。

ですが、たしかに似たようなパターンだと言えないこともありませんが、そのそれぞれの作品で細かな小道具や構成などにこだわりがあり、パターンの類似をものともしない作者の未来に対する希望を感じることが来ます。

だからこそ皆の支持を受けているのでしょう。

ちなみに、同じ個所で、「彼、実は『ただいま神様当番』に出てくる千帆ちゃんという小学生の女の子の弟なんですよ。私がまたスグルくんに会いたかったから書きました。」とも言っておられました。

 

このブログの他の箇所でも書いていますが、私の好む小説はサスペンスやミステリーと分類される作品やSF小説です。中でもアクション小説などの冒険小説を特に好みます。

一方、夏川草介のような心に迫る、人間というものをあらためて考えさせられる作品も好きです。

そうした相反する趣きの作品を読むことでバランスをとっているかのようでもあります。

ともあれ、本書『リカバリー・カバヒコ』は軽く読むこともできつつも明日への希望をもたらしてくれる好編だと思っているのです。

マイ・プレゼント

マイ・プレゼント』とは

 

本書『マイ・プレゼント』は2022年7月に刊行された、癒しの青い水彩画と、心ふるわせる48篇の物語が収められた、アート&ショート・ショートです。

まさに「アート」と呼ぶべき本であり、文章はショートショートというよりは詩であり、水彩画と合わせて絵本に近い感覚の本でした。

 

マイ・プレゼント』の簡単なあらすじ

 

2022年本屋大賞第2位『赤と青とエスキース』の著者と装画家が再タッグ!
癒しの青い水彩画と心震わせる物語を収録した、世にも美しいアート×ショート・ショート。

心が疲れたと感じるとき、嬉しいことがあったとき、現状を変えるきっかけが欲しいとき……。
そんなときは、美しい絵画と言葉を味わいながら、ゆっくり自分と向き合ってみるのもいいかもしれません。
本書は、新進気鋭の水彩作家・U-ku(ゆーく)氏のアートから受けるインスピレーションをもとに、ハートフル小説の旗手・青山美智子氏が短い物語を綴った特別な作品集。
読む人によっても、読むタイミングによっても、まったく違う景色を見せてくれる本書の中には、今のあなただけが受け取れる、何かのヒントが詰まっているかも。

大切な人への贈り物にもぴったりな珠玉の一冊です。(内容紹介(出版社より))

 

マイ・プレゼント』の感想

 

本書『マイ・プレゼント』は、もし水彩画に焦点をあてるとすれば「画集」というべきかもしれません。

書かれているショートショートも物語ではなく詩、それも散文詩であり、絵と合わせると「絵本」というべきでしょう。

私の好みとは異なる作品でした。

 

私は芸術面の才能もないために描かれている水彩画も、特に抽象となるとよく分かりません。

本書の水彩を書かれているU-ku氏は、2021年本屋大賞の候補作となった青山美智子の『赤と青とエスキース』でもコンビを組まれていました。

 

 

そのU-ku氏の、本書に掲載されている抽象的な画の中に必ずと言っていいほどに現れている一人の女の人は作者なのでしょうか、鑑賞している人なのでしょうか。

それとも、この人物は誰でもなく、絵の一部として見る人の解釈に委ねる、そういう存在なのでしょうか。

夢想的で情感に満ちたこの絵画は、色合いや筆遣いなどのためなのか、眺めていると時間がゆっくりと流れるようで、この絵を見るだけでも落ち着く作品だとは思いました。

 

また、青山美智子の文章は、これまで読んだ『赤と青とエスキース』など長編の作品からすると若干感傷的にすぎるような気がします。

この人の文章は、もともと詩情豊かなタッチだとは思っていましたが、本書のような短文となると、私には情緒の裏付けが感じられずに感情だけの文章だと感じ取れてしまいます。

 

とはいえ、この絵と青山美智子の取り合わせは好きな人にとっては魅力的なものになるのでしょう。

ただ、私の好みとはちょっと異なる作品でした。

月の立つ林で

月の立つ林で』とは

 

本書『月の立つ林で』は2022年11月に264頁のハードカバーで刊行された感動の短編小説集です。

同じ著者の『お探し物は図書室まで』と『赤と青とエスキース』が2021年・2022年と連続して本屋大賞第二位となり、本書もまた2023年本屋大賞第五位となっています。

 

月の立つ林で』の簡単なあらすじ

 

2023年本屋大賞ノミネート!!

似ているようでまったく違う、
新しい一日を懸命に生きるあなたへ。

最後に仕掛けられた驚きの事実と
読後に気づく見えない繋がりが胸を打つ、
『木曜日にはココアを』『お探し物は図書室まで』
『赤と青とエスキース』の青山美智子、最高傑作。

長年勤めた病院を辞めた元看護師、売れないながらも夢を諦めきれない芸人、娘や妻との関係の変化に寂しさを抱える二輪自動車整備士、親から離れて早く自立したいと願う女子高生、仕事が順調になるにつれ家族とのバランスに悩むアクセサリー作家。

つまずいてばかりの日常の中、それぞれが耳にしたのはタケトリ・オキナという男性のポッドキャスト『ツキない話』だった。
月に関する語りに心を寄せながら、彼ら自身も彼らの思いも満ち欠けを繰り返し、新しくてかけがえのない毎日を紡いでいくーー。(内容紹介(出版社より))

 

目次

一章 誰かの朔 | 二章 レゴリス | 三章 お天道様 | 四章 ウミガメ | 五章 針金の光

 

月の立つ林で』の感想

 

本書『月の立つ林で』は、同じ著者の『お探し物は図書室まで』『赤と青とエスキース』と同様に、作品ごとに連作とまでは言えないほどの薄い関連性をもった短編が収められた作品集です。

物語のタッチはこの二作品と似ているということはできますが、これがこの著者の作風だというべきでしょう。

何よりも、見るべきは一つのテーマで構成された作品集に収納された各短編の完成度であり、一冊を通した作品としての完成度だと思います。

そしてその点に関しては二度の本屋大賞二位受賞という結果が示している通り、一般読者に受け入れられる高い完成度を持っているのです。

 

 

本書『月の立つ林で』は普通の人の普通の日常を切り取っている作品ですが、ただ、ほんの少しだけ心の裏側を見せてくれていて、それが実に心地よい連作の作品集です。

特に月をテーマに、ポッドキャストを微かな接点として人々が繋がっていく構成は上記二作品と似てはいますが同様に効果的であり、惹き込まれました。

そして、それぞれの物語に登場する人々のその後を知りたいと思わないでもないのだけれど、それ以上に本書のラストの仕掛けはふいに訪れ、心に響きました。

ここに、ポッドキャストとは若い人にはあらためて説明するまでもないのでしょうが、インターネット上で聞ける個人的なブログのラジオ版(音声版)と思えば間違いないところでしょう( ウィキペディア : 参照 )。

 

ただ、これは本書に限った話ではないのですが、物語の持つ真実性に関しての疑問が少しだけ湧いてきました。

著者の青山美智子が登場人物の心象について書いている「ここは、夜風の心の置き場所なのだ。」などの表現が、本書の登場人物のような普通の人が発する言葉ではなく、著者のような表現力豊かな人物でなければ思いつかないということです。

こうした違和感は、通常は虚構である小説の持つ世界観を壊してしまい、その作品に感情移入できなくなってしまいます。

その点、本書のような普通の日常を描いている作品は微妙で、著者は主人公の内心を表現するために表現者としての力を示すわけで、そこを否定すると作品として成立しないことになると思われます。

 

この疑問は少なからず現れ、そして古い話で申し訳ないのですが、庄司薫の『赤ずきんちゃん気を付けて』という芥川賞受賞作品を思い出すのです。

この作品は、普通の人間が普通に発する言葉で書いてあるのでそうしたことは何も思わないのです。

 

 

そうした個人的な疑問点は置いておいて話を元に戻すと、本書『月の立つ林で』は悪人の登場しないある意味ファンタジーな物語かもしれないけれど、この著者のほわっとする暖かさは何にも代えがたい物語だと思います。

確かに、この著者の画集というかショートショートと言うべきか分からない『マイ・プレゼント』という作品を始めとして、どうにも感傷に過ぎて受け入れ難いと思う作品集もあります。

しかし、それ以外はどの作品も実に心に染み入るのです。文章のタッチも作品の構成も好きな作品と言えるのですす。

次回作も必ず読みたいと思えるほどに気に入った作者であり、作品だと言えます。

ただいま神様当番

ただいま神様当番』とは

 

本書『ただいま神様当番』は、2020年7月に刊行されて2022年5月に田中達也氏との対談も含めて336頁で文庫化された、長編のファンタジー小説です。

これまで読んだ青山美智子作品と同様に、とても心温まる平和な読書の時間を持てた作品でした。

 

ただいま神様当番』の簡単なあらすじ

 

ある朝目を覚ますと、腕に大きく「神様当番」という文字が!突然現れた神様のお願いを叶えないと、その文字は消えないようで…?幸せの順番待ちに疲れたOL、弟にうんざりしている小学生の女の子、リア充と思われたい男子高校生、乱れた日本語に悩まされる外国人教師、部下が気に入らないワンマン社長。ムフフと笑ってほろりと泣ける、5つのあたたかい物語。(「BOOK」データベースより)

 

あるバス停に通勤、通学のために毎朝並ぶ五人が、そのバス停でOLは好きなCDを、また小学生は腕時計をと、手に入れたいと思っている何かをそれぞれに拾い、そのまま自分のものにしてしまう。

ところが、翌朝になり気がつくと自分の腕にくっきりと「神様当番」という文字が浮かび上がっていた。

その上、突然現れたお爺さんが、わしは神様であり、わしのお願い事を聞いてもらえないとその文字は消えないといって自分の腕の中に入ってしまう。

さらには、自分の意思に関係なく腕が動き始めることもあり、その結果いつもの自分では決して遭遇することなどないであろう事態に直面してしまうのだった。

 

ただいま神様当番』の感想

 

本書『ただいま神様当番』は、作者の青山美智子の前作である『お探し物は図書室まで』『赤と青とエスキース』が非常に読みやすく、心に沁みる物語であったため、この作者の他の作品も読んでみたいと思い、手に取った作品です。

その結果は私の思った通りの物語であって、ゆっくりとした平和な読書の時間を持てた作品でした。

 

 

本書『ただいま神様当番』について読み始めてしばらくは、ゆるいファンタジーである本書は何とも平和でのんびりした作品だと思っていました。

どうにもまわりの人たちと会話ができなかったり、物事が思い通りにいかなかったりと、何かにつけうまくいかないことが多い登場人物が、神様の一押しで人生が好転するという話です。そういう話だと思っていました。

最初の一人のOLの話にしても、彼女の前に現れた神様から自分自身の嫌なところを取り上げて見せつけられたことで自分の間違いに気付くという流れであり、そんな単純な物語だとおもっていました。

 

しかしそうではなく、その後の話の流れは、主人公が神様のちょっとしたあと押しこそありますが、そのあと押しで自分自身での一歩の踏み出しが可能になり、世界が広がって行くのです。

登場人物の一人が「理想から外れていることをただ嘆くなんて」と独白しているように、自分の思い込みで自分の世界を狭めていることなど、個人の苦悩は心の持ちようで解消することも少なからずあります。

本書『ただいま神様当番』が素晴らしいと思うのは、本人の思い込みによる考え違いを他人から指摘してもらうのではなく、普通の何気ない会話の中で本人が気付くことです。

自らがその点に気付くことが本人にとっても救いになるのではないでしょうか。

 

自分が当初はそうであったように、本書のような優しさに満ちた物語を、単純にきれいごとに過ぎると斬り捨ててしまうのは簡単です。

しかし本書においては、普通の人の日常の暮らしの中で気付くことの大切さが語られているようです。

普通の会話の中に自分の卑屈さや、嫌なところを教えてくれるヒントは転がっているものだし、それを単純に見つけることができずにいるだけだと、それ以上に思い知ることを拒否しているのだと教えてくれているようです。

でも、この作者の作品はそうした理屈を考えずに、ただ物語世界にひたってただ楽しめばいいと思われます。

本書『ただいま神様当番』はそれだけの楽しさ、面白さを持った作品だと思います。

赤と青とエスキース

赤と青とエスキース』とは

 

本書『赤と青とエスキース』は2021年11月に刊行された、新刊書で239頁の連作の短編小説集で、2022年本屋大賞にノミネートされた作品です。

連作の作品にありがちですが、本書は一枚のエスキースを巡る一編の長編小説だと言えるほどに各話のつながりが強く、また美しい物語であって心洗われる作品でした。

 

赤と青とエスキース』の簡単なあらすじ

 

メルボルンの若手画家が描いた一枚の「絵画」。日本へ渡って三十数年、その絵画は「ふたり」の間に奇跡を紡いでいく。一枚の「絵画」をめぐる、五つの「愛」の物語。彼らの想いが繋がる時、驚くべき真実が現れる!仕掛けに満ちた傑作連作短篇。(「BOOK」データベースより)

 

プロローグ
一章 金魚とカワセミ
メルボルンに留学中の女子大生・レイは、現地に住む日系人・ブーと恋に落ちる。しかしレイは、留学期間が過ぎれば帰国しなければならない。彼らは「期間限定の恋人」として付き合い始めるが……。
二章 東京タワーとアーツ・センター
日本の額縁工房に努める30歳の額職人・空知は、既製品の制作を淡々とこなす毎日に迷いを感じていた。そんなとき、十数年前にメルボルンで出会った画家、ジャック・ジャクソンが描いた「エスキース」というタイトルの絵画に出会い……。
三章 トマトジュースとバタフライピー
中年の漫画家タカシマの、かつてのアシスタント・砂川が、「ウルトラ・マンガ大賞」を受賞した。雑誌の対談企画の相手として、砂川がタカシマを指名したことにより、二人は久しぶりに顔を合わせるが……。
四章 赤鬼と青鬼
パニック障害が発症し休暇をとることになった51歳の茜。そんなとき、元恋人の蒼から連絡がくる。茜は昔蒼と同棲していたアパートを訪れることになり……。
エピローグ
水彩画の大家となったジャック・ジャクソンの元に、20代の頃に描き、手放したある絵画が戻ってきて……。(出版社より)

 

赤と青とエスキース』の感想

 

本書『赤と青とエスキース』は、冒頭に述べたように2022年本屋大賞にノミネートされた作品です。

本書のテーマとなっている画は、胸元に青い鳥のブローチをした赤い服の髪の長い女性が描かれた、赤と青の絵の具だけを使って描かれている水彩画です。

ここで「エスキース」とは、本書中でも説明されているように、下絵のことであり、本番を描く前に構図をとるデッサンのようなもの、だそうです。

詳しくは

に詳しく説明してあります。

 

第一章で、メルボルンに留学中の女子大生のレイと現地に住む日系人のブーとの恋の様子が紹介され、ここで若きジャック・ジャクソンがレイをエスキースとして描き出す様子が描かれます。

そして第二章では、日本の額縁工房の額職人である空知の前にジャック・ジャクソンが描いた「エスキース」というタイトルの絵画が現れるのです。

その後、漫画家のタカシマ剣砂川凌との対談の場所になったとある喫茶店に「エスキース」というタイトルの絵が背景として登場します。

そして次の第四章では、という二人の姿があり、ちょっと長めのエピローグへと繋がります。

こうして、「エスキース」というタイトルの一枚の画が本書の全編を通した鍵になって登場します。

 

本書の感想を端的に言うとすれば、感動的であり久しぶりに心洗われる作品だった、と言えます。

個人的には恋愛小説はあまり好みではないのですが、例えば原田マハの『カフーを待ちわびて』や井上荒野の『切羽へ』のように、読んでよかったという作品があるので恋愛小説だというだけで読まないということはできません。

一人の女性の心をかくも美しく、感動的に描き出すことのできる作家という職業の人たちに対する畏敬の念すら抱いてしまう一瞬でもあります。

 

 

本書の場合、単に恋愛の模様を美しく描き出すというだけでないところが見事です。

「エスキース」というタイトルの一枚の水彩画をとおして描き出される、この水彩画を取り巻く人々の人間模様もあわせて描き出されているところがまた魅力的です。

その上で、さらに本書を通した全体的な仕掛けも素晴らしく、また効果的であり、さらに感動を誘い出します。

 

本書の魅力はその表紙にも表れています。

油絵のようにも見える水彩画が表紙を飾っているのですが、この抽象的な水彩画が心惹かれます。

一編の恋愛小説としての面白さだけでなく、表紙に描かれている絵画の持つ美しさが、物語の中に込められた作者の思いと相まって読者の心を打つようです。

暴力的で、インパクトの強いエンターテイメント小説をより好んで読んでいる私ですが、たまには本書のような心洗われる作品も読むべきだと心から思います。

 

ただ、本書のような直接的に心情に訴えてくる作品のもたらす効果は、単に自己満足的な感傷に溺れているにすぎないのではないかという自分自身に対する思いがあります。

その点に関しては、純粋に良質な作品がもたらしてくれる感動だと確信できるほどに自分の読書に自信を持ちたいものだ、というしかないようです。

お探し物は図書室まで

お探し物は図書室まで』とは

 

本書『お探し物は図書室まで』は2020年11月にポプラ社からハードカバーで刊行され、2023年3月に327頁のポプラ文庫として出版された、長編の心温まる小説です。

2021年本屋大賞第2位ともなった本書は、読みやすく、悪人などどこにもいない心温まるある種のファンタジー小説でもありました。

 

お探し物は図書室まで』の簡単なあらすじ

 

「お探し物は、本ですか?仕事ですか?人生ですか?」。仕事や人生に行き詰まりを感じている5人が訪れた、町の小さな図書室。彼らの背中を、不愛想だけど聞き上手な司書さんが、思いもよらない本のセレクトと可愛い付録で、後押しします。自分が本当に「探している物」に気がつき、明日への活力と希望が満ちていく物語。2021年本屋大賞第2位。(「BOOK」データベースより)

 


 

一章 朋香 二十一歳 婦人服販売員
 勧められた本 『ぐりとぐら』という絵本
 付録 「フライパン」
 
 

二章 諒 三十五歳 家具メーカー経理部
 勧められた本 『英国国立園芸協会とたのしむ 植物の不思議』
 付録 「横たわって眠るキジトラ猫」
 
 

三章 夏美 四十歳 元雑誌編集者
 勧められた本 石井ゆかりの『月のとびら』
 付録 「地球」
 
 

四章 浩弥 三十歳 ニート
 勧められた本 『ビジュアル 進化の記録 ダーウィンたちの見た世界』
 付録 「小さな飛行機」
 
 

五章 正雄 六十五歳 定年退職
 勧められた本 草野心平の『げんげと蛙』
 付録は「カニ」
 

 

お探し物は図書室まで』の感想

 

本書『お探し物は図書室まで』はとても心あたたまる、ほっこりとするいわゆる「いい本」といわれる作品です。

それは悪い意味ではなく、文字通りに良い本であり、読み終えたときにこころがとても心地よい作品です。

 

本書『お探し物は図書室まで』は、単に司書さんが紹介した作品を読むことで読み手の人生が救われる、という構造ではありません。

単純に言えばそうなのですが、もう一歩踏み込んでみると、単に本を紹介するのではありません。

まず、一見相談事とは無関係そうな本を紹介してくれます。ところが、借りた本にかかわる事柄が起き、結局は借り手である主人公にとってより良い方向へと向かうのです。

その過程で、本を借りるときに司書さんが渡してくれたおまけ、「羊毛フェルト」が小道具として働いてきます。この点もうまい構成だと思います。

こうしたことから、上記の「簡単なあらすじ」にも、司書の小町さゆりさんから勧められた一見無関係な本のタイトルと付録の羊毛フェルトだけを載せています。

また、本書の表紙には「フライパン」や横たわって眠るキジトラ猫」などのいろいろな付録の羊毛フェルトも写真なかにおさめられています。

 

森永のぞみという若い子も魅力的ですが、小町さゆりという名の司書さんのキャラクター設定がとてもいいのです。

小町さゆりさんは、ものすごく大きな女の人で「穴で冬ごもりしている白熊」、ゴーストバスターズに出てくる「マシュマロン」、ディズニーアニメの「ベイマックス」、「早乙女玄馬のパンダ」、「巨大な鏡餅」などと表現されています。

この小町さゆりさんに「何をお探し?」を声をかけられ、その声の心地よさに引き込まれ探している本の相談をすると、ものすごいスピードでキーボードを叩き、望みの本を探してくれ、ついでに相談事とは無関係な本も紹介してくれます。

そして、本と共に手作りの羊毛フェルトを付録として渡してくれるのです。

ここで、小町さゆりさんのそばに置いてある裁縫道具入れにしているハニードームというソフトクッキーの空き箱が効果的なアイテムとして機能しています。

 

本書『お探し物は図書室まで』は、ひとことで言えば、小町さゆりさんのもとにやってきた人生に悩める人に対し人生の指針を与えるという話ですが、そうは単純ではありません。

結局は、本を借りに来たひとそれぞれが、自分で自分の悩みを解決し、自分が進む道を探し出していて、その上で、未来に向かって歩きはじめているのです。

例えば第一話では、

エデンの婦人服販売員が「大した仕事じゃない」なんて、とんでもない間違いだった。単に私が「大した仕事をしていない」だけなのだ。

と、自分のすべきことを責任を持ってやり遂げるという、単純だけど第切なことに気付きます。

 

話を本書の構造に戻すと、本書は連作の短編ではよくある、共通の世界で語られる物語であればこその、他の話の登場人物が再登場する場面があります。

それも、結構重要な役割を持った登場の仕方であり、最終的には、本書は全体として一編の物語であり、話ごとに焦点を当てている人物が異なっているだけという印象すらあるのです。

連作ものだから当たり前と言えば当たり前なのですが、個々人が個人として存在しているのではなく、結局は周りの人と繋がって、互いに助け、助けられながら生きていることを教えてくれているようです。

 

本書は2021年本屋大賞の候補作となるにふさわしい作品だと思います。

それは、先に述べたように単なるいい話ではなく、物語の構造としてもよく考えられた作品だと思うからであり、内容もそれにふさわしい作品だと感じられるからです。

この作者の他の作品も読んでみたいと思う作品だとも言えるのです。

 

本書『お探し物は図書室まで』に似た印象の本としては川口俊和の『コーヒーが冷めないうちに』という作品があります。

この作品は、時間旅行をテーマにした、心あたたまる物語で綴られた連作のファンタジー小説です。

一話目から貼られた伏線が、きれいに回収されていく話の流れも個人的には好きですし、重くなり過ぎないように構成された話も嫌いではなく、切なくはありますが面白く読めた作品でした。