『噓と隣人』とは
本書『噓と隣人』は、2025年4月に文藝春秋から256頁のソフトカバーで刊行された、第173回直木賞候補作となった短編推理小説集です。
日常に潜む嘘に推理小説としてはこれまでにないアプローチであり、とても面白く読み終えた作品でした。
『噓と隣人』の簡単なあらすじ
知りたくなかった。あの良い人の“裏の顔”だけは…。ストーカー化した元パートナー、マタハラと痴漢冤罪、技能実習制度と人種差別、SNSでの誹謗中傷・脅し…。リタイアした元刑事の平穏な日常に降りかかる事件の数々。身近な人間の悪意が白日の下に晒された時、捜査権限を失った男・平良正太郎は、事件の向こうに何を見るのか?(「BOOK」データベースより)
『噓と隣人』の感想
本書『噓と隣人』は、2025年4月に文藝春秋から256頁のソフトカバーで刊行された短編推理小説集です。
退職した元刑事を主人公にして、相談にのっていく中で日常生活に隠された真実を暴き出してしまう、これまでにない推理小説集でした。
主人公は、これから庭いじりを楽しみに生きていこうとしている平良正太郎という元刑事です。
この主人公が、元刑事だったということを聞きつけた近隣の住民や妻の知人などからちょっとした事件の相談を受けることになります。
ところが、話を聞くうちに相談事の裏に隠された嘘、そしてその嘘の持つ意味に気づいてしまうのでした。
ここで相談事に隠された嘘というのが、普通の人が日常生活を送る中で自分の体面や信用を維持するためについた嘘であり、通常であれば見過ごされるであろう嘘だったのです。
このような、日常生活における小さな謎を主題とした作品と言えば米澤穂信の作品が思い出されます。中でも『古典部シリーズ』の第一弾作品の『氷菓』が思い出されました。
また、結城真一郎の『#真相をお話しします』もこの系譜に挙げられる作品でしょう。
これら作品は、それぞれに日常生活の中での出来事をテーマにちょっとした「ずれ」から始まる違和感を導き出した作品集です。
話を元に戻しますが、上記のように本書の特徴といえば、いわゆる普通の推理小説とは異なり、殺人事件などの特殊な事件が起きてその犯人を捜すのではなく、対象となる事件が日常生活に紛れてしまうような細かな嘘だということです。
本書のタイトルの『噓と隣人』は、まさに本書の特色をそのままに言い当てているのであって、隣人のついた嘘がテーマになっているのです。
ただ、その嘘に主人公の正太郎が関わることで真実が暴かれ、そこで明らかになった事実がもたらすものは「正義」かもしれませんが明るい未来ではなかったということです。
のみならず、この作者の「いやミス」の通り名のように、残されるものはいやな感情であり、「知らないほうが良かった」と思わせられる事実です。
結局、正太郎が乗り出してよかったのか、何もしないほうがよかったのではないか、という不可思議な状況に陥ります。
本書で描かれている事柄は、痴漢冤罪事件、SNSでの誹謗中傷事件、技能実習生の現実、マタニティハラスメントなどの、社会で問題点を指摘されている事柄が並びます。
そんな事柄が、日常生活と同様の次元に存在しうるという事実を、正太郎の感じる違和感の先に示すことで、物語としての存在感が示されています。
ちなみに本書の主人公の平良正太郎は、この作者の『夜の道標』という作品の主人公である平良正太郎刑事の退官後という設定です。
『夜の道標』のファンにとってはかなり楽しみに読める作品ではないでしょうか。
本書『嘘と隣人』は、第173回直木賞の候補作となっているのも当然と思えるほどに面白く読むことができた作品でした。