『老神介護』とは
本書『流浪地球』は、2022年9月に古市雅子氏の訳者あとがきまで入れて296頁のハードカバーで刊行された、短編のSF小説集です。
大人気の『三体』の作者である著者劉慈欣の、『流浪地球』と同時に出版された硬軟取り混ぜた短編集であり、そのアイディアのユニークさに驚かされた一冊でした。
『老神介護』の簡単なあらすじ
●突如現れた宇宙船から、次々地球に降り立った神は、みすぼらしい姿でこう言った。「わしらは神じゃ。この世界を創造した労に報いると思って、食べものを少し分けてくれんかの」。神文明は老年期に入り、宇宙船の生態環境は著しく悪化。神は地球で暮らすことを望んでいた。国連事務総長はこの老神たちを扶養するのは人類の責任だと認め、二十億柱の神は、十五億の家庭に受け入れられることに。しかし、ほどなく両者の蜜月は終わりを告げたーー。「老神介護」
●神文明が去って3年。地球で、もっとも裕福な13人がプロの殺し屋を雇ってまで殺したいのは、もっとも貧しい3人だった。社会的資産液化委員会から人類文明救済を依頼された殺し屋は、兄文明からやってきた男から、別の地球で起こった驚愕の事態を訊かされる。「扶養人類」
●蟻と恐竜、二つの世界の共存関係は2000年以上続いてきた。恐竜世界の複雑なシステムは、蟻連邦によって支えられていたが、蟻世界は恐竜世界に核兵器廃棄を要求、拒絶されるとすべての蟻はストライキに突入した。「白亜紀往事」
●僕が休暇を取る条件は、眼を連れていくことだと主任は言った。デイスプレイに映る眼の主は、若い女の子。ステーションにいる彼女の眼を連れて、僕は草原に旅行に出かけた。宇宙で働く人は、もうひと組の眼を地球に残し、地球で本物の休暇を過ごす人を通して仮想体験ができるのだ。「彼女の眼を連れて」
●74年の人工冬眠から目覚めた時、地球環境は一変していた。資源の枯渇がもたらす経済的衰退を逃れようと、「南極裏庭化構想」が立案され実行された結果、深刻な事態が起こっていたのだ。「地球大砲」(内容紹介(出版社より))
目次
『老神介護』の感想
本書『老神介護』は、同時に出版された劉慈欣の二冊の短編集のうちの一冊で、五編の作品が収納されています。
本書所収の各作品は、訳者の一人である古市雅子氏自身の「訳者あとがき」によれば、作者の劉慈欣が主に2000年代に発表した作品だということです。
また、同時に出版されたもう一冊の短編集『流浪地球』での大森実氏の「訳者あとがき」によれば、この二作品は著者劉慈欣自身による海外出版用に編まれた代表作選集と考えても、そう的はずれではない、と書いてありました。
つまり、本書『老神介護』の五編と『流浪地球』所収の六編とを合わせると、合計で十一編が選ばれていることになります。
本書は、姉妹作である『流浪地球』と比較すると、よりコミカルな度合いが強いように思えます。
まず、表題作である第一話「老神介護」は神を介護することとなった人類を描くコメディ作品です。
いや、コメディ作品というと語弊がありそうなので、哀しみに満ちた人類の未来を、コミカルに描き出した作品だというべきかもしれません。
突然地球に現れた二万隻を超える宇宙船とともに長く白い髭と髪、白いガウンを着た、二十億柱を超える神と名乗る宇宙人が現れ、食べ物を分けてくれ、と頼んできます。
そしてこの神たちは、物語の終わりに、この宇宙には地球にとっては兄とも言うべき兄弟文明が三つ存在し、将来、地球文明を攻撃してくるだろうと伝えてきます。
そして、その兄弟文明が来襲してきたときの話が次の第二話で語られることになります。
第二話「扶養人類」もまた滑腔(かっこう)という殺し屋の眼を通して語られる哀しみに溢れた話をコミカルに描き出した作品で、第一話「老神介護」で出てきた兄文明が登場してきます。
その殺し屋が兄文明から聞かされた発達した文明がたどり着いた富の再分配の話は先驚くべきものでした。
また、滑腔が依頼された仕事についての理由が予想外のものであり、その発想もまた、素人の及ぶものではないことを思い知らされるばかりでした。
第三話「白亜紀往事」も前二話と同様にユーモアに満ちた作品です。というよりもブラックユーモアと言った方がいいかもしれません。
巨大な恐竜と極小な蟻のそれぞれに発達した文明の話です。
どことなく、現代社会を匂わせているようなコメディと言ってもいいかもしれません。
第四話「彼女の眼を連れて」は、一転して哀しみに満ちた物語です。
その発想は『流浪地球』の「山」に通じると言ってもいいともいます。
しかしながら、明かされた真実は単なる哀しみを越えた、怖さをも抱え込んだ話でもありました。
第五話「地球大砲」は、第四話「彼女の眼を連れて」とほんの少しだけ関連している物語です。
子供の頃聞いたことのある地球の裏側へ通じるトンネルをテーマにしていますが、そこは劉慈欣の作品ですからハード面の描写も丁寧に為されている作品として仕上がっています。
そうしたハードSFとしての描写は実に読みごたえがあるもので、その反面、一般大衆の持つ意思とでもいうべき勢いの曖昧さをも指摘しているのでしょうか。
『流浪地球』の項では小松左京を思い出すと書きましたが、本書を読む限りでは、同じユーモアでもその方向性が少し異なる印象です。
劉慈欣の作品はよりハード面の描写が強烈であり、ユーモア面でも小松左京というよりは筒井康隆のドタバタ劇というか、皮肉めいた作風を感じてしまいました。
とはいえ、かすかにその香りを感じた程度であり、今のところ劉慈欣独自の作風と言うしかないと思われます。
それほどに、独自路線を確立していると言わざるを得ないと思います。
今後も気を付けておきたい作家さんだと言えます。