犬がいた季節

本書『犬がいた季節』は、2021年本屋大賞の候補作となった、新刊書で346頁の、連作の青春短編小説集です。

本書の帯にはこの作者の「最高傑作」とありましたが、個人的には『彼方の友へ』を越えているとは思えませんでした。

 

犬がいた季節』の簡単なあらすじ

 

ある日、高校に迷い込んだ子犬。生徒と学校生活を送ってゆくなかで、その瞳に映ったものとは―。最後の共通一次。自分の全力をぶつけようと決心する。18の本気。鈴鹿でアイルトン・セナの激走に心通わせる二人。18の友情。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件を通し、進路の舵を切る。18の決意。スピッツ「スカーレット」を胸に、新たな世界へ。18の出発。ノストラダムスの大予言。世界が滅亡するなら、先生はどうする?18の恋…12年間、高校で暮らした犬、コーシローが触れた18歳の想い―。昭和から平成、そして令和へ。いつの時代も変わらぬ青春のきらめきや切なさを描いた、著者最高傑作!(「BOOK」データベースより)

 

第一話 めぐる潮の音 昭和63年度卒業生 昭和63(1988)年4月~平成元年(1987)年3月
塩見優花は、口やかましい祖父母や、そんな祖父母に何も言えない両親のいる家を離れたくて東京の大学を受験することとした。しかし、想いを寄せる早瀬光司郎は地元に残ることになった。

第二話 セナと走った日 平成3年度卒業生 平成3(1991)年4月~平成4年(1992)年3月
F1グランプリに夢中の堀田五月は、鈴鹿で行われる日本グランプリのチケットが手に入り、学年一優秀な近寄りがたい男と呼ばれているF1のファンである相羽隆文を誘い、自転車で向かうことにした。

第三話 明日の行方 平成6年度卒業生 平成6(1994)年4月~平成7年(1995)年3月
阪神淡路大震災がおきて狭い我が家で暮らし始めたお婆ちゃんは、自分が迷惑になっていると謝ってばかりいる。そこで効率的であることを好む上田奈津子は東京の大学を受験し、自分の部屋を明け渡すことにするのだった。

第四話 スカーレットの夏 平成9年度卒業生 平成9(1997)年4月~平成10年(1998)年3月
青山詩乃が援助交際の相手に連れられて行ったライブハウスでパンクバンドで歌っている同級生の鷲尾政志と会った。詩乃は、援助交際や母親のスナックを手伝い稼いだ金で、東京の名門女子大に入り、別な人生を歩むのだと決めていた。

第五話 永遠にする方法 平成11年度卒業生 平成11(1999)年4月~平成12年(2000)年3月
二十九歳になった塩見優花が母校の八稜高校に赴任してきた。中原大輔は、祖父の入院先の病院に見舞い行くと優花に出会う。優花の母親も入院しているのだそうだ。

最終話 犬がいた季節 令和元(2019)年夏
令和となったこの年の八稜高校創立百周年祝賀会に、欧州で活動している画家がやってくるという。コーシロー会の前にその画家の「犬がいた季節」という絵を見ていた優花は、絵の中心に美術部顧問の五十嵐とコーシローとを見つけた。

 

犬がいた季節』の感想

 

本書『犬がいた季節』は、三重県四日市市八稜高校の美術室で飼われることになったコーシローと名付けられた一匹の犬をめぐる代々の高校三年生たちの物語です。

各話ごとにその話の背景となっている時代の出来事や音楽などがうまく配置され、学年ごとに変わるコーシローの世話役の変化と共に時の流れが感じられる構成になっています。

先に書いたように、個人的には第158回直木賞の候補となった『彼方の友へ』を越えるものではないと思いましたが、本書は本書としてかなり感動的に仕上げられた作品です。

 

 

一匹の犬を巡る物語と言えば、第163回直木賞を受賞した馳星周の『少年と犬』という小説があります。こちらは岩手から九州までを旅した一匹の犬の放浪の先々で出会った人達のドラマが描かれている作品です。

この物語では、放浪する犬の存在そのものが各話のストーリーにいくらかずつでも絡んでいますが、本書『犬がいた季節』では物語の始めや終わりに少しだけ顔を見せることが多いようです。

 

 

本書『犬がいた季節』に登場する三重県四日市市八稜高校は、作者の伊吹有喜氏の母校と、その高校に本当にいた犬がモデルだと書いてありました( ダ・ヴィンチニュース : 参照 )。打ち合わせの雑談の中から生まれたのだそうです。

そして、その時代のヒット曲からは、時代の空気感が伝わってくる、とも書いておられ、実際、本書の中でも多くのヒット曲が取り上げられています。

確かに、音楽を思い出すときは、その曲を聞いていた自分の生活までもセットであり、だからこそ音楽はいつまでも心に残るものであることはあらためて言うまでもありません。

 

本書『犬がいた季節』の各短編は同じ高校の卒業生を主人公としているため、登場人物が重なる場面も出てきます。

例えば、「第二話 セナと走った日」に登場する相羽隆文は、「第一話 めぐる潮の音」の塩見優花の実家であるパン屋のパートのおばちゃんの相羽さんの息子です。

また、「第五話 永遠にする方法」の中原大輔は、「第一話 めぐる潮の音」で塩見優花が助けた転んだ子供その人です。

こうした有機的なつながりは特別な手法ではありませんが、物語に奥行きを感じさせる有効な方法でもあるようです。

 

本書『犬がいた季節』で描かれている話は、それぞれにとりとめもない話のように思えます。共通するのはこれからはるかな未来へ船出をしようとする十八歳の若人の物語というだけです。

しかしながら、そのとりとめもない話がそのまま昔の自分の話でもあります。スポーツに打ち込み、本を読み、音楽を聴いて過ごすその生活は、私も本書の中のそれぞれの十八歳も一緒です。

付け加えれば、九州の田舎町で暮らした私もやはり東京の大学へ行くことを目標とし、そして岡林信康や吉田拓郎、それにビートルズなどを聞きながら上京したものです。

こうして、いつの間にかそれぞれの物語の主人公たちに感情移入し、自分自身の当時の生活と比べていたりもしています。その上で、その差をも思い知らされるのです。

 

そう思うと、この本書『犬がいた季節』は読者の年代で受け取り方がかなり異なるものでしょう。

十八歳という時代が半世紀も昔となってしまった私たちの年代では、本書で描かれているそれぞれの時代の十八歳全部が懐かしさの対象となってしまっています。

と同時に、いろいろな十八歳が描かれているこの物語は普遍的な話でもあり、自分たちの物語だとも思えます。

可能性に満ちた十八歳という時代は誰にとってもその前には開かれた道があったはずで、そういう意味での時代としては一緒だと思えるのです。

 

ちなみに、第一話ではコーシローの名のもとになった早瀬光司郎が『アルジャーノンに花束を』を読んでいるという会話が出てきます。

この『アルジャーノンに花束を』は実にいい本で、何度もドラマ化されている名作SF小説ですが、一読の価値ありの作品だと思います。

 

雲を紡ぐ

本書『雲を紡ぐ』は、ホームスパンを中心とした一人の少女と壊れかけた家族の再生を描いた長編小説です。

繊細な心を持ち外に出ることができなくなった少女の、ホームスパンに対する愛情を存分に描いた心温まる作品で、第163回直木賞の候補作となりました。

 

雲を紡ぐ』の簡単なあらすじ

 

壊れかけた家族は、もう一度、ひとつになれるのか?羊毛を手仕事で染め、紡ぎ、織りあげられた「時を越える布」ホームスパンをめぐる親子三代の心の糸の物語。(「BOOK」データベースより)

 

主人公の少女美緒は、父方の祖母が作ってくれた鮮烈な赤色をしたショールを心の逃げ場としていました。そのショールが母親の手で捨てられたとき、美緒は写真で見た岩手県にある祖父の工房「山崎工藝舎」へと向かいます。

美緒は「人の視線が気にかかり、怖い。だから相手の顔色をうかがう。で、がんばる。」と後に太一に評される繊細な子です。

母親の顔色を窺い、家にいない父親を恐がり、学校では友達の顔色を窺って常に笑みを張り付け、それがおかしいと笑われる。結局、電車に乗れなくなり、家に、部屋に閉じこもるようになります。

そこに母親によりショールを捨てられるという事件が起こり、澪は祖父のところへ逃げるのです。

 

雲を紡ぐ』の感想

 

ホームスパン」とは、「ホーム=家」「スパン=紡ぐ」毛織物のことであり、それぞれの家で糸を紡いでつくった布が語源だと本書内に書いてありました。

正確には、

ホームスパンとは、手紡ぎによる、主に太めの粗糸などを使った手織りの織物のことを指す。引用元:株式会社日本ホームスパン

のだそうです。

 

私は、本書『雲を紡ぐ』のような普通の家庭の、どこにでもあるようないじめや引きこもり、その原因かもしれない冷え込んだ夫婦関係などを描いた作品を、本来は好みません。

私の好むところはハードボイルドであり警察小説であり、アクション満載のインパクトが強烈なエンターテイメント小説なのです。

 

しかし、例えば夏川草介の『神様のカルテシリーズ』のように真摯に命の尊厳を見つめる作品などにも心打たれ、浅田次郎の『壬生義士伝』のような人間ドラマにも心惹かれます。

 

 

そして、二年ほど前に読んだこの伊吹有喜という作家の第158回直木賞候補作となった『かなたの友へ』という作品が心に残っていました。

ひたすらに人を想い、ノスタルジックな雰囲気の中で一生懸命に生きる姿を描いてある作品は私の琴線に触れたものです。

 

 

その伊吹有喜が再び直木賞の候補作となった作品が本書『雲を紡ぐ』です。やはり、本作品も読んでいて心地よいと感じる仕上がりでした。

ヒステリックな母親真紀と、自信に満ちた母方の祖母の強い言葉、それに対し言葉が少なく常に逃げているとしか思えない父親広志という、主人公美緒の家庭の描写はうまいものです。

それに対し、美緒が世話になる「山崎工藝舎」関係の登場人物、父親広志の従妹である川北裕子は一歩引いています。それよりも祐子の息子の太一の存在の方が大きく感じるほどです。

勿論、祐子も美緒に羊毛の洗い方などの羊毛を紡ぐ工程を教えたりと、それなりの存在感が無いわけではありません。

でも、この家庭で育った美緒に対する太一の言葉は専門家のようでもあり、できすぎの印象はありました。それでも自身の経験として語る太一の言葉には重みがありました。

 

一方、美緒が暮らすことになる父方の祖父である山崎紘治郎の存在感は突出しています。後に読んだ直木賞の桐野夏生の選評で「祖父の達観は出来過ぎ」とありましたが、確かに否定はできません。

しかし、人気の毛織物の職人である祖父の仕事に関する言葉は重みがあって当然だと思われ、ただ、美緒の人生についての紘治郎の言葉は納得せざるを得ないのです。

 

その他にも、登場人物たちの造形がステレオタイプであり、「朝の連続テレビ小説」のようだと表される一因になっているなどの評は、指摘されれば全面否定できないところではあります。

それでも読み手の心に迫ってきたのは事実でしょう。だからこそ直木賞の候補作として選ばれたものだと思います。

父親の従妹である「山崎工藝舎」の祐子や、その子の太一なども含め、この作者の醸し出す雰囲気、読みやすさの一因がステレオタイプな人間像からくるものだとしても、やはり心に沁み、琴線に響く作品です。

 

家族をテーマに書かれた作品としては少なからずの作品がありますが、受賞歴のある作品から選ぶとすると、まず瀬尾まいこの『そして、バトンは渡された』があります。

父親が三人、母親が二人いて、家族の形態は十七年間で七回も変わった十七歳の森宮優子を主人公とする長編小説です。親子、家族の関係を改めて考えさせられる2019年本屋大賞を受賞した長編小説です。

でも皆から愛されていた彼女を主人公とするこの物語は、確かにいい作品かもしれませんが、私の好みとは異なる作品でした。

 

 

第155回直木賞を受賞した荻原浩の『海の見える理髪店』はいろいろな家族の在り方を描いた全六編からなる短編集です。

例えば、表題作の「海の見える理髪店」は、予想外の展開を見せますが、何気ない言葉の端々から汲み取れる想いは、美しい文章とともに心に残るものでした。特に最後の一行は泣かる作品です。

 

 

ここで書くのは蛇足かもしれませんが、本書『雲を紡ぐ』に岩手県の県名の由来が書いてありました。「言はで思ふぞ、言ふにまされる」という和歌の下の句から来てるそうです。

陸奥国、磐手の郡から献上された鷹「いはて」をめぐる歌だそうで、言えないでいる相手を思う気持ちは、口に出して言うより強い、という意味だそうです。

こうしたトリビア的な知識も頭のすみに残り、そして作品も心に残っていくのです。

彼方の友へ

本書『彼方の友へ』は、昭和十年代の少女向け雑誌の編集部を舞台に成長する一人の女性の姿を描いた長編小説です。

太平洋戦争突入前、時代の流れに逆らい全国の少女らに向けて雑誌を発行し続けた編集人たちを描き、第158回直木賞の候補となった感動作でもあります。

 

彼方の友へ』の簡単なあらすじ

 

老人施設でまどろむ佐倉波津子に小さな箱が手渡された。「乙女の友・昭和十三年 新年号附録 長谷川純司 作」。そう印刷された可憐な箱は、70余年の歳月をかけて届けられたものだった―戦中という困難な時代に情熱を胸に歩む人々を、あたたかく、生き生きとした筆致で描ききった感動傑作。巻末に書き下ろし番外編を収録。第158回直木賞候補作。(「BOOK」データベースより)

 

少女雑誌「乙女の友」の大フアンであった十六歳の佐倉ハツは、思いがけなく「乙女の友」の編集部に雑用係として勤めることになります。

そこは高い教養と華やかなファッションに身を包んだ人たちの世界であり、小学校しか出ていないハツにとっては別世界でした。

しかし、あこがれの詩人有賀憲一郎や夢の世界を描く画家長谷川純司の側にいることのできる心躍る職場でもあったのです。

主人公の佐倉ハツの父親は大陸で失踪し、その消息は不明です。また母親も危機に陥ったハツを助け出してくれたりと、何ともその背景が分かりません。

ハツが「乙女の友」という雑誌の編集部に勤めるようになったのも、不可思議な力が働いた結果でした。

こうした何らかの力の正体が明かされないままに、ハツの頑張りは編集部のみなにも認められ、「乙女の友」に寄稿する作家たちからも信頼を得ていきます。

「乙女の友」は何と言っても長谷川純司の耽美的な画によるところが大きく、長谷川純司の画の描かれた雑誌の付録も全国の少女たちの全貌の的になるほどでした。

しかし、時代はそうした派手で目立つ付録の存在など許されなくなり、執筆陣にも夢の世界ではなく、戦意発揚に役立つものとの命が下るようになっていきます。

そうした中、購読者を「友」と呼ぶ「乙女の友」は、「友へ 最上のものを」という旗印の下、未来に希望を持ち得るような雑誌作りを続けていたのです。

しかし、時代は太平洋戦争へと突き進み、「乙女の友」も存続が難しくなっていくのでした。

 

彼方の友へ』の感想

 

本書『彼方の友へ』は、少女向けの雑誌を作り続けた編集者たちの姿を一人の女性の眼を通して描き出してあります。

実在した実業之日本社から出されていた「少女の友」という雑誌の復刻版を手にした著者が、付録の素晴らしさに驚き、少女雑誌に興味がわいて本書を書いたそうです。

思想統制が厳しくなる時代においても、少女たちへ希望を届けようと、これまた実在の中原淳一という人物をモデルにした長谷川純司という画家を中心にした雑誌作りをする登場人物たちです。

そうした時代において、出征する有賀憲一郎を見送るハツの、「口に出してはいけない思いが、最近は多すぎる。」という内心を表した言葉は実に胸に迫ります。

「生きて帰ってきて」という当たり前の思いも、ましてや秘めた恋心など更に口にできるわけはなく、様々な思いが込められた一言なのです。

 

こうした秘めた想いを描き、時代背景も似た物語として中島京子の『小さいおうち』という作品がありました。

次第に思想統制が厳しくなっていく中、平井家に女中として住み込んでいる一人の女性の姿を通して、その想いと共に、太平洋戦争へ突入していこうとする昭和の時代を描き出している名作で、第143回直木賞を受賞した作品です。

勿論内容は全く異なり、こちらは一人の女中さんの眼を通して見た平井家の様子、とくに奥さまの時子とのやり取りを暖かな目線で描き出していました。

また太平洋戦争直前の世の中の様子の描き方も、平井家という世界から世の中を見ているため、通常描かれる殺伐とした世の中ではありません。

また、本書『彼方の友へ』のほうが、より情緒的だとも言えると思います。

しかしながら、『小さいおうち』の場合は、平井家に暮らす女中さんの目線で世間を見ていたのであり、本書『彼方の友へ』の場合は、軍の統制により直截的に接する出版という作業を通して世界を見ているのですから、より感情面に訴えることになるのかもしれません。

 

 

また、過去の出来事を回想の形式で語る、というこの手法に出会うと、必ずチャン・ツィーのデビュー作である『初恋のきた道』を思い出します。

ある若者の父親の葬式の場面から始まり、若者の母親が少女時代を回想するこの映画は、美しい中国の田舎の風景と、母親の少女時代を演じたチャン・ツィーというかわいらしい女優さんの姿が愛らしく、心に残る名作でした。

そして、この映画を見た当時は、私の母親もはちきれんばかりの青春時代があったのだと考えさせられる映画でもあったのです。

しかし、今の私があらためて考えると、何も母親のことではなく、自分自身の事柄として、この男にも青春時代があったのだと思われてもなにもおかしくはない年齢なのだ、ということに気付かされもする年代になっていました。

 

勿論、前にも書いたように少々情緒過多と思われること、母の背景など思わせぶりでありながら説明が何もなく気になる個所が何箇所かあること、など本書にも気がかりな点が無いわけではありません。

それでも、残念ながら本書『彼方の友へ』は直木賞を受賞することは叶いませんでしたが、私にとっては本書が受賞してもなにもおかしくはないのだと思う一冊でした。