それまでの明日

11月初旬のある日、渡辺探偵事務所の沢崎のもとを望月皓一と名乗る紳士が訪れた。消費者金融で支店長を務める彼は、融資が内定している赤坂の料亭の女将の身辺調査を依頼し、内々のことなのでけっして会社や自宅へは連絡しないようにと言い残し去っていった。沢崎が調べると女将は六月に癌で亡くなっていた。顔立ちのよく似た妹が跡を継いでいるというが、調査の対象は女将なのか、それとも妹か?しかし、当の依頼人が忽然と姿を消し、いつしか沢崎は金融絡みの事件の渦中に。切れのいい文章と機知にとんだ会話。時代がどれだけ変わろうと、この男だけは変わらない。14年もの歳月を費やして遂に完成した、チャンドラーの『長いお別れ』に比肩する渾身の一作。(「BOOK」データベースより)

 

「沢崎シリーズ」の、長編では第五弾となるハードボイルド作品です。

 

沢崎のもとを望月皓一と名乗る紳士が訪れてきた。

消費者金融で支店長を務める彼は、融資が内定している赤坂の料亭の女将の身辺調査を依頼し、内々のことなのでけっして会社や自宅へは連絡しないようにと言い残し去っていった。

しかし、沢崎が調べると女将は六月に癌で亡くなっていたのだ。

 

本書『それまでの明日』は前作の『愚か者死すべし』から十四年目でやっと出た続編です。

この『沢崎シリーズ』は日本のハードボイルドを語るうえでは避けては通れないシリーズですが、個人的には今一つのめり込めないシリーズでもあります。

それは、多分ですが、北方謙三や志水辰夫などのハードボイルド作品を読んでいたことと無関係ではなさそうです。つまり、彼らの作品はストーリー展開が早く、そしてかなり派手であり、読んでいて飽きません。

 

それに比べて原りょうの作品は、チャンドラーに傾倒しているからなのか、極端に言えば地味です。

本書でも、主人公の沢崎はまさに探偵としてあちこち動き回り、隠された事実を少しずつ明らかにしていきますが、その探索は決して派手ではありません。

その探索の結果、本書でも読者はそのミステリーの謎解きそのものではなく、沢崎の眼を通した事実を知ることになるのはもちろんです。

派手なアクションがあるわけではなく、まさに探偵の探偵としての行動だけが描かれる本書は、スピーディな展開、またエロスやバイオレンスなどに慣れた私には「感情移入できない」という感想を持つしかないと思われるのです。

 

作者が言うように、「ハードボイルドの神髄は難問に答え続ける姿勢」にある考え、沢崎を「非常識なほど普通な男」として描いているのであれば、上記の感想も仕方のないところなのかもしれません。

しかしながら、北方謙三や志水辰夫に比して感情移入しにくいというだけであり、このシリーズが面白くないわけではありません。

本書では、鮮やかな謎解きもどんでん返しもないけれども、描かれる沢崎の会話は機知に富んでいて楽しみであり、沢崎の地道な行動が真実に近づいていく様子はそれなりに楽しみです。

例えば『長いお別れ』の面白さが、事件や謎解きより、主人公の言動にあるように、僕はハードボイルドの神髄は難問に答え続ける姿勢にあると思う。つまり誰のいかなる問いにも真摯に応え、常に最善を尽くす姿勢がその小説をハードボイルドたらしめるとすれば、沢崎に天才性は必要ないんです。むしろ僕は彼を非常識なほど普通な男として描いている。

著者自身が上記のように述べているのですから、私の上記の感想もあながち的外れでもなさそうです。あとはその作者の姿勢、そしてその結果としての作品が読者個人の感性と会うか否かというだけの話です。

そして、私にとっては確かに面白いのだけれども全面的に受け入れることができなかったというだけのことです。

 

でも、「第二級活字中毒者の遊読記」の焼酎太郎さんの「でも14年ぶりですよ。細かいことはいいじゃないですか」という言葉がすべてのような気がします。

そして夜は甦る

西新宿の高層ビル街のはずれに事務所を構える私立探偵の澤崎のもとへ海部と名乗る男が訪れた。男はルポ・ライターの佐伯が先週ここへ来たかどうかを知りたがり、二十万円の入った封筒を澤崎に預けて立ち去った。かくして澤崎は行方不明となった佐伯の調査に乗り出し、事件はやがて過去の東京都知事狙撃事件の全貌へとつながっていく。伝説の直木賞作家・原〓(りょう)の作家生活三十周年を記念して、長篇デビュー作が遂にポケット・ミステリ版で登場。書き下ろしの「著者あとがき」を付記し、装画を山野辺進が手がけた特別版。(「BOOK」データベースより)

 

本書『そして夜は甦る』は、原りょうの伝説のデビュー作といわれる長編のハードボイルド小説です。

 

西新宿にある私立探偵の沢崎の事務所にやってきた海部という男が、ルポライターの佐伯が来たか聞いてきたが、結局は二十万円という依頼料を置いて帰っていった。

また、美術評論家の更科修蔵の代理人弁護士から、ルポライターの佐伯を知っているなら更科邸まで来てほしいとの連絡が入った。

翌日、更科邸まで行った沢崎は、更科修蔵の娘の佐伯名緒子から佐伯というルポライターを探して欲しいという依頼を受けることになった。

 

本書冒頭早々に、西新宿にある私立探偵の沢崎の事務所にやってきた海部という男が、「タバコをありがとう。口は悪いが、タバコの趣味は悪くない。」というセリフを言う場面があります。

沢崎と海部との間のテーブルにあるのは金の入った封筒であり、そして静かに漂う紫煙だけだというそのシチュエーションは、そのまま映像として目に浮かびます。

その後、沢崎は更科という富豪の家へ行き、そこで一人の女性に会い、依頼を請けることになりますが、ここまでの一連の流れは、まさにハードボイルド映画の一場面であり、チャンドラーの『大いなる眠り』の一場面でした。

 

 

状況についての詳細な描写があり、沢崎の気のきいた台詞回しがあって、そして謎が残される。また、沢崎がいつも手に取るのは両切りのタバコ“ピース”です。

主人公の私立探偵沢崎はまさにフィリップマーロウであり、冗長とさえ感じる台詞回しまでも同じです。

ちなみに、ハードボイルドでは必須の小道具である両切りの“ピース”という渋いタバコも今では知らない人の方が多いでしょう。私らの若い頃はこの“ピース”、それも缶入りの“ピース”を抱えている仲間もいたものですが、現代では受け入れられない設定でしょう。

 

本書『そして夜は甦る』は登場人物も多く、ストーリーもかなり複雑です。でも、その複雑な流れを丁寧に解き明かしていく過程はかなり読みごたえがある構成になっています。

このシリーズは、私の好みとは微妙にずれていると思っていたのですが、本作品に限って言うと私の好みにあったものでした。

本来デビュー作であり、シリーズ第一作目のこの『そして夜は甦る』を読んだ順番が一番目ではなかったのが私にとってよかったのか悪かったのか、わかりません。

他の作品とどこが違うのか、多分ストーリーの流れがほかの作品よりもメリハリがあって、展開がスピーディだったからではないかと思うのですが、実際どうなのかこの点もまたよく分からないというのが正直なところです。

 

本書『そして夜は甦る』は、シリーズ最新作の『それまでの明日』が刊行されるのを機に、2018年04月に「ハヤカワ・ポケット・ミステリ」から再刊されました。

 

 

この「ハヤカワ・ポケット・ミステリ」は世界のミステリー作品を紹介している叢書であって、高校時代に初めて読んで嬉しく思った記憶があります。

とはいっても私が読んだのはSF版の叢書であり、ミステリーはもっと後になって読んだと思います。クラークの『都市と星』『幼年期の終わり』ではなかったでしょうか。

 

沢崎シリーズ

沢崎シリーズ(2019年06月15日現在)

  1. そして夜は甦る
  2. 私が殺した少女
  3. さらば長き眠り
  1. 愚か者死すべし
  2. それまでの明日

沢崎シリーズ 短編集・エッセイ集(2019年06月16日現在)

  • 天使たちの探偵
  • ミステリオーソ
  • ハードボイルド

 

『沢崎シリーズ』は、沢崎という名の探偵を主人公とする正統派のハードボイルド小説です。

そして、日本の風土にハードボイルド小説を定着させるきっかけを作ったシリーズと言われていて、日本のハードボイルドを語るうえでは避けては通れない作品なのです。

日本のハードボイルドと言えば、まずは『野獣死すべし』の大藪春彦の名が挙がり、結城昌治や生島治郎、「天使」シリーズの三好徹などがいて、矢作俊彦大沢在昌といった人たちが続きます。

 

 

その後、北方謙三志水辰夫逢坂剛といった人たちが現れ、1988年には原りょうが登場するのです。

勿論このほかにも多くのハードボイルド作家と呼ばれる人たちがいるのですが、その全部をここで挙げるわけにもいかず、代表的な作家さんだけを挙げています。

 

原りょうという作家はレイモンド・チャンドラーに心酔していて、チャンドラーが生み出した名探偵のフィリップ・マーロウをモデルとして本シリーズの主人公の私立探偵沢崎を造形し、『そして夜は甦る』が書かれました。

 

 

受賞歴で言うと、『そして夜は甦る』は第二回山本周五郎賞候補となり、『私が殺した少女』で第百二回直木三十五賞を受賞しています。

また、『私が殺した少女』でファルコン賞受賞し、『天使たちの探偵』で第九回日本冒険小説協会大賞最優秀短編賞を受賞しました。

 

 

ただ原りょうという作家は非常な寡作であり、三十年の間に書かれた作品は長編五冊、短編集一冊、エッセイ集一冊の七冊だけです。エッセイ集『ミステリオーソ』は文庫化に際し、『ミステリオーソ』と『ハードボイルド』とに分冊されました。

 

 

この作家はレイモンド・チャンドラーに傾倒しているだけあって、ストーリーの派手な展開などはありません。

読者は、登場人物の軽妙な会話に酔いしれ、主人公の行動に応じて物語に感情移入していくと思われます。なによりも主人公の沢崎の性格設定が強烈な男を感じさせるものであり、魅せられます。

しかし、そのストーリー自体は近時の冒険小説とは異なって平板なことが多く、その意味では今一つ私の好みとは外れています。

例えば、藤原伊織という作家の『ひまわりの祝祭』などの作品群は、文章自体の美しさもさることながら、物語の展開もつい引き込まれてしまうエンターテイメント性をもっているのです。

 

 

しかし、少なくとも私が読んだ原りょうの作品においては、物語の流れに読者の関心を引くようなイベントであったり、緩急を設けたりすることはあまりなく、ただ、主人公の探索の過程を緻密に追うことが主眼であるようです。

そこに、読者受けするという意味でのエンタメ性はありません。

とはいえ、原りょうの作品は面白くないわけはないのです。ただ、私個人の好みとは微妙にずれているというだけです。作品としては、渋い大人の魅力にあふれていて、読みごたえがあると言えます。

 

脇役に眼をやると、私立探偵である沢崎としては公権力の利用ができたほうが仕事がしやすいのはもちろんで、そのために設定されているのが新宿警察署の捜査課にいる錦織警部です。

そもそも沢崎が私立探偵として働き始めた当初は、渡辺という男が所長でした。今でも沢崎探偵事務所ではなく渡辺探偵事務所の沢崎として探偵業をやっています。

渡辺は元警官であったという立場を利用して五年前に警察とヤクザをともに騙し、一億円という金と五千万円分の覚醒剤を抱え逃亡したのです。

沢崎は元上司の詐欺に加担している疑いをかけられて三日の間留置されたのですが、その時から錦織との付き合いが始まりました。ジャンルは全く異なりますが、錦織警部に接して私の頭に最初に浮かんだのは、ルパン三世の銭形警部でした。

 

ハードボイルドは主人公が「カッコいいかどうかが大事だ」との主張も見つけました。たしかにそうも言えますね。というよりも、今はまさにそうだという気がしています。

そして、そのためには「ディテールが積み重ならないとダメ」ともありました。その部分は全面的に賛成とはいきませんが、詳細な記述はうまくいけば物語の深みを作りだすことが出来るとは思っています。( withnews : 参照 )

それはまさにS・キングの小説作法です。彼の小説のディテールの細かさは他に類を見ないでしょう。しかし、だからこそ物語の世界観がきちんと作り上げられ、読者はその世界に浸ることができるのだと思います。

本書の場合、詳細な描写と練り上げられたプロットが主人公沢崎の魅力を十二分に引きだしていると言え、だからこそ伝説の作品という言われ方をするのだと思います。

愚か者死すべし

本書は沢崎シリーズの、第二期のスタートを告げる作品。大晦日、新宿署地下駐車場に轟いた二発の銃声とともに、沢崎の新たな活躍が始まる。(「BOOK」データベースより)

 

私立探偵沢崎は旧パートナーを訪ねてきた依頼人を、依頼人の父親が逮捕されているという警察署まで送ったとき、丁度出てきた依頼者の父親である暴力団組長銃撃事件の容疑者を狙撃しようとする車を見つける。

沢崎がその車に自分の車をぶつけたため容疑者への狙撃は失敗したものの、連行していた刑事が死亡してしまうのだった。

 

私立探偵沢崎シリーズの、第二期のスタート作品だそうです。昔第一期作品のうち何冊かを読んだ筈なのですが、書名やその内容は全くと言って良いほど覚えていません。ただ、いわゆるハードボイルドの典型的作品だと思った記憶だけあります。

実際、本作がそうでした。しかし、何か感情移入できない。昔読んだ原尞はこんな作品だったっけ、と思いながら読みました。

では面白く無いのか、と言われれば面白いというしかないのです。ハードボイルド小説を好きな人なら殆どの人がこの作家の名前を挙げるでしょうから、結局は私の好みとずれがあるということなのでしょう。