吉川英梨著の本書『新宿特別区警察署 Lの捜査官』は、LGBT問題をテーマにした、348頁の長編の警察小説です。
性風俗の街「新宿」を舞台にしたシリアスなテーマを含んだ作品ですが、読み応えのあるエンターテイメント小説として仕上げられています。
『新宿特別区警察署 Lの捜査官』の簡単なあらすじ
「新宿L署」に本日着任の新井琴音警部は、子供のインフルエンザで初出勤すら危ぶまれていた。夫の敦は警視庁本部捜査一課の刑事だが、琴音のほうが階級は上で、夫婦仲はぎくしゃく中。なんとか署に到着した琴音は、個性的な服装の女性部下・堂原六花から、歌舞伎町のホテルで全裸の女性遺体が発見されたと聞き…。母であり妻であり警察署幹部である琴音と、レズビアンの異色捜査官として男性中心組織の中で闊歩する六花。L署の面々と共に、事件解決に向けて奮闘する!(「BOOK」データベースより)
新任の刑事課長代理の新井琴音警部は、新宿特別区警察署への赴任当日の早朝に息子のインフルエンザが判明し、やっと昼前に署へと到着した。
そこで赤いジャージとひざ丈の黒いタイトスカートに黒いダウンコート、それに真っ赤なルージュという姿でタメ口の堂原六花巡査部長から、歌舞伎町のホテルで殺人事件が起きたという知らせを受けた。
被害者は中尾美沙子四十三歳であり、息子の中尾尚人十八歳が行方不明となっているという。
現場にいる唯一の顔見知りである強行犯係の木島昇介警部補は、堂原六花は真性のレズだから気をつけろと言い、この街での捜査は六花が不可欠の存在だというのだった。
新たな事態に振り回される琴音だったが、この六花らによる事件の捜査中、新宿二丁目のZEROという店で新たな無差別殺人事件が起きる。
『新宿特別区警察署 Lの捜査官』の感想
本書『新宿特別区警察署 Lの捜査官』の主な舞台は新宿二丁目です。五十年も前の私が学生の頃からゲイタウンと呼ばれており、今ではLGBTタウンと呼ばれているそうです。
そんな歓楽街新宿の歌舞伎町、二丁目、三丁目を管轄する警察署として設立されたのが、その地図上での管轄区域の形がいびつなL字であるところから「新宿L署」と呼ばれる新宿特別区警察署です。
そんな新宿特別区警察署に刑事課長代理として赴任してきたのが本書の主人公の新井琴音警部です。
琴音の夫の敦は警視庁本部刑事部捜査一課の刑事であり、夫婦ともに警察官であることから息子の虎太郎の世話に苦労しています。
そんな琴音の前に、真性のレスビアンであることを公言している女性、堂原六花巡査部長が現れます。
けばけばしいいでたちで天衣無縫な女性である堂原六花は、管轄内に新宿二丁目を抱える新宿特別区警察署としては無くてはならない存在なのです。
本書『新宿特別区警察署 Lの捜査官』は、女性を主人公とする小説であり、働く女性の抱える問題を大きなテーマとしています。
それは、現実に起きた東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗元会長の女性蔑視発現というトピカルな話題もあって、実にタイムリーなテーマだとも言えます。
本書はそれにとどまらず、さらに大きなテーマとしてLGBTとして括られる性的マイノリティの問題も取り上げています。
この性的マイノリティの問題をさらに俯瞰してみると、女性問題も含めて世の中に存在する様々な差別をもその視野に捉えているとも言えそうです。
吉川英梨という作家は『女性秘匿捜査官・原麻希シリーズ』という作品がありますが、このシリーズは警察小説としても非常に読みやすく、面白い作品でした。
このシリーズがあったからこそ、ミーハー的気持ちもあって本書を読んだというのが正直なところです。
他にもいろいろな警察小説のシリーズ物を書いておられる作家さんですが、そんな、女性を主人公とした警察小説の延長線上に本書があると位置づけられるのでしょう。
ただ、『女性秘匿捜査官・原麻希シリーズ』の軽快さから本書を思うとかなり印象が異なると思います。
本書はかなりの深みを持った小説であり、軽く読もうと思えば読めないことはないものの、一旦捕まると軽くは読み飛ばせない重さを持っていると思うのです。
本書『新宿特別区警察署 Lの捜査官』では女性蔑視というか、従来の価値感の代弁者として、高倉という敦のパワハラ上司が設定してあります。
嫁に対して仕事よりも子供の面倒を見ろと強く言えないのか、と迫る高倉はまた、家庭では男が上であり、時代とは関係なく警察官はそうあるべきだと怒鳴ります。
琴音の夫の敦に、警部昇任試験での推薦はできないと迫る、これまでの価値観をそのままに体現している男でです。
こうした考えは森喜朗元会長を引き合いに出すまでもなく、私達の心のどこかに潜んでいる感覚でもあるようです。
この女性を一段下に見る考えは、その先に夫婦の抱える問題にも連なってきます。
琴音は子供に淋しい想い意をさせたり、つらい思いをさせたりさせたりするのはすべて自分が悪いのではないかと考えてしまい、マイナス思考に陥っています。
そんな、性別に基づく差別の話は、延長線上に性的マイノリティの問題も見えてきます。
本書のタイトルである『新宿特別区警察署 Lの捜査官』の「L」はレスビアン(lesbian)の「L」をも意味しているのでしょう。
本書の良いところは、そんな差別の話をテーマにしていながらもミステリーとして面白く読めるところです。
ここまで書いていることを読めば、重く、暗い物語だと思えるかもしれませんがそうではありません。
新宿で起きた二件の殺人事件の裏に隠された事実が重いと言えば重いと言えるでしょうが、ミステリーとしての面白さがあって、その上に大きなテーマを抱えているのです。
本書『新宿特別区警察署 Lの捜査官』が私の好みだというのは、差別の問題の取り上げ方として一面的でないところです。
例えば差別的な言辞を発する人、新宿二丁目で反LGBTのデモに参加し、性的マイノリティに人たちに出て行けと怒鳴る人がいます。
彼らは単に嫌がらせだけの人もいるでしょうが、それだけではない理由を持った人もいたりします。
反対する人は反対する人なりの理由がある。単純に差別はいけないと叫ぶだけでは説得力はないのです。
一面的でないという点は、琴音と敦との意見の相違にもあります。
それぞれの立場で意見を言うしかなく、そして二人だけの問題ではなく、職場のことも絡んでくる以上はどちらが正しいということもありません。
このような意見の取り上げ方は、物語を読むうえで非常にバランスの取れた進行であり、読んでいて楽です。一面的な見方だけをされているとどうしても違和感を感じてしまうのです。
本書『新宿特別区警察署 Lの捜査官』はミステリーとしても私の好みに合致しています。それは人物の内心に焦点を当てているところにあります。単なる謎解き重視ではないのです。
それもバランスの取れた視点での心象風景の描写であり、また犯行の動機の解明を見せてくれるのです。
本書は簡単に理解できる問題ではないと思います。本書で提起されている問題を常に頭の隅に置いておくことこそが大切なのだと思います。
それはそれとして、エンターテインメント小説としてとてもよくできた作品だと思います。
ただ、主人公琴音の生い立ちに子供への束縛が強い母親の存在があり、それが琴音自身を追い詰めてしまうほどの束縛になっている、という設定が必要だったか、という疑念はあります。
他に、事件の犯人と目されている中尾尚人とその母親との関係も、教育虐待という問題を設けてありますから、少々物語の世界観が複雑になりすぎているのではないか、と思えたのです。
先日読んだ新川帆立の『元彼の遺言状』という作品は『このミステリーがすごい!』大賞を受賞したミステリー小説でした。しかしながら私の好みとは一致しませんでした。
それはこの作品が謎解き重視の作品だったからであり、動機面を熟慮した作品とは思えない作品だったからです。
最後にすこしだけ気になった点があります。
そては、主人公琴音の生い立ちに子供への束縛が強い母親の存在があり、それが琴音自身を追い詰めてしまうほどの束縛になっている、という設定が必要だったか、ということです。
他に、事件の犯人と目されている中尾尚人とその母親との関係も、教育虐待という問題を設けてありますから、少々物語の世界観が複雑になりすぎているのではないか、と思えたのです。
とはいえ、個人的にはかなり面白く読んだ作品であることに違いはありません。
途中で終わっている『女性秘匿捜査官・原麻希シリーズ』も再開しようかと思っていますあ。