テスカトリポカ

本書『テスカトリポカ』は、新刊書で553頁にもなる第165回直木賞を受賞した長編のクライム小説です

アステカの神の力を背景にした圧倒的な暴力を描く濃密なその文章は若干説明的とも感じましたが、その描写力は魅力的です。

 

テスカトリポカ』の簡単なあらすじ

 

メキシコのカルテルに君臨した麻薬密売人のバルミロ・カサソラは、対立組織との抗争の果てにメキシコから逃走し、潜伏先のジャカルタで日本人の臓器ブローカーと出会った。二人は新たな臓器ビジネスを実現させるため日本へと向かう。川崎に生まれ育った天涯孤独の少年・土方コシモはバルミロと出会い、その才能を見出され、知らぬ間に彼らの犯罪に巻きこまれていく――。海を越えて交錯する運命の背後に、滅亡した王国〈アステカ〉の恐るべき神の影がちらつく。人間は暴力から逃れられるのか。心臓密売人の恐怖がやってくる。誰も見たことのない、圧倒的な悪夢と祝祭が、幕を開ける。第34回山本周五郎賞受賞。(Amazon「商品説明」より)

 

メキシコの北西部にあるクリアカン生まれのルシアは、麻薬組織の跋扈する故郷を逃れ、たどり着いた日本でヤクザの土方興三と一緒になり、息子土方コシモを産んだ。

十三歳となり180cmを超える大男へと育ったコシモは母親を殴る父親を絞め殺し、少年院へと収容されてしまう。

一方、ベラクルス州ベラクルスで生まれたリベルタは五人の孫に恵まれたが、孫の一人が殺されたのはアステカの教えを伝えなかったためだと、残された四人の孫にアステカの神について教え始めた。

四兄弟は後に麻薬カルテルのロス・カサソラスとしてメキシコ北東部のヌエボ・ラレドを支配するが、新興のドゴ・カルテルの襲撃でバルミロ・カサソラ以外は殺されてしまう。

バルミロはドゴ・カルテルの手から逃れてインドネシアのジャカルタへと逃亡し、この地で末永充嗣という日本人と出会うのだった。

 

テスカトリポカ』の感想

 

本書『テスカトリポカ』は、アステカの神話を背景に、麻薬の密売と臓器売買を行う犯罪者を描いた作品です。

テスカトリポカ」とは、アステカ神話の主要な神の一柱であり、神々の中で最も大きな力を持つとされ、キリスト教の宣教師たちによって悪魔とされた。「テスカトリポカ(Tezcatlipoca)」は、ナワトル語で tezcatl(鏡)、poca(煙る)という言葉から成り、従ってその名は「煙を吐く鏡」を意味する( ウィキペディア : 参照 )

 

直木賞の選考会ではこれほどに暴力的な作品を賞の対象としていいのか大議論があったそうですが、それももっともだと思った作品でした。

 

暴力的な小説はこれまでも数多くのものがありました。

古くは夢枕獏の『サイコダイバー・シリーズ』から、近頃読んだ作品では深町秋生の『ヘルドッグス 地獄の犬たち』に至るまで多くの作品があります。

 

 

本書『テスカトリポカ』という作品の内容が暴力的であること、そのこと自体は何も言うことはないのでしょう。

しかし、それが直木賞という世の中にかなりな影響力を持つ権威ある文学賞の対象としてふさわしいかという議論は当然あっておかしくないと思います。

本書が候補作となっている時点でその点はクリアされているという気もしますが、直木賞選考委員は候補作選定作業にはかかわっていないのであらためて問題になるのも仕方がないとも考えられるのです。

そうなってくると直木賞とは何かというところから問い直されるのでしょうか。難しいところです。

 

でも、本書『テスカトリポカ』が私が惹き込まれた作品であることは間違いありません。

冒頭に本書は「説明的と感じた」と書きましたが、本書は小説というよりは「語り」であり、ただひたすらに俯瞰的な目線で描き出してあります。

この「語り」という言葉自体が多義的であり、素人が語ってはいけない分野ではありそうですが、本書を話すとき他に言葉が見当たりません。

とにかく、物語の流れを俯瞰的に、会話文ではなく地の文で説明的に記してある、ということを言いたいのです。

 

本書『テスカトリポカ』の中心人物は元メキシコの麻薬組織のリーダであったバルミロという男であり、鍵となる人物としてコシモという男がいて、冒頭からこの二人の来歴が描かれています。

その描写も、最初はコシモの母のルシアの生まれから始まり、日本で生まれたコシモの青年期までが66頁にわたっています。

また、バルミロに関しても同じで、章を変えてバルミロの祖母のリベルタの幼いころから説き起こしてあります。

このリベルタによってアステカの神話を教え込まれ、他の三兄弟と共にメキシコの麻薬カルテルの支配者となり、後に逃亡してジャカルタに至るまでが90頁以上をかけて語られています。

その後、「第二部 麻薬密売人と医師」で100頁以上をかけて、日本人医者の末永充嗣と出会い臓器売買の組織を作り上げていく過程が描かれます。

その間の描写はまさに「語り」であり、例えば会話文を軸に成立する『安積班シリーズ』のような今野敏の作品群とは対照的な位置にあると思えます。

 

 

他の重要人物としては、臓器売買の中心人物として末永充嗣と川崎市にいる闇医師野村健二という日本人がいます。

その他に新南龍という黒社会に属する若い中国人の集団や、増山礼一というヤクザの幹部が周りを固め、暴力的な物語に色を添えています。

と言っても、この暴力団たち自体の暴力はそれほど描かれてはいません。

 

本書『テスカトリポカ』という物語はバルミロを中心としてはいますが、その背景にはアステカの神話が息づいていています。

小さな疑問点ですが、アステカの神話では神への供物として死者の心臓を神に捧げることによって死者の魂が救済されるとして、死んだ父親の心臓を取り出し、顔の上に乗せる場面が出てきます。

一方で、敵対する相手の心臓も取り出して顔の上に乗せ神への供物とする行為はどういう意味になるのでしょう。

敵対する相手の魂でさえも救うべきというのか、私の読み込み不足でしょうがよく分かりませんでした。

 

本書のテーマになっている臓器売買と神への供物として心臓を捧げる行為は似たような行為ですが、一方は商売として臓器を取り出し、一方は神事として臓器を取り出します。

この両者を結びつけたことについて作者の佐藤究は「人類の暴力性について考えていて、世界中に伝わる人身供犠のことが気になった」と書かれています。

そして人類の残虐性の構造を解明することが「とめどないバイオレンスを解除するカギ」になるかもしれないとも書いておられます。( 好書好日インタビュー記事 : 参照 )。

そうした試みが成功しているかは私には分かりませんが、各賞の対象として評価されている以上は成功しているというべきなのでしょう。

 

さらには、バルミロらが手を付ける臓器売買は、臓器の供給元として日本が選ばれ、子供たちの臓器が売買の対象とされています。

心臓外科医であった臓器売買のコーディネーターの末永充嗣や、かつては准教授であったコカイン中毒の野村健二などが子供の身体から心臓を始めとする臓器を摘出するのに適していたのです。

子供を犯罪の対象とする行為自体忌むべきものですが、それが臓器売買の対象とするというのですから衝撃は強いものがあります。

少なくとも物語としてはインパクトの強いものとなっていると思います。

 

本書『テスカトリポカ』の作者の佐藤究という作家は、緻密な調査の上に物語を組み立てる能力が高いのでしょう。

私は本書の前には『Ank : a mirroring ape』という作品しか読んではいないのですが、この作品が遺伝子の変異についての作者のアイデアを見事に駆使した作品でした。

この作品は吉川英治文学新人賞・大藪春彦賞、ダブル受賞の超弩級のエンターテイメント小説で、面白い物語ちうものを十分に理解している人がストーリーを構築しているという印象を持ったものです。

 

 

本書『テスカトリポカ』では、そのときとは全く異なる文体で臓器売買に手を付けるメキシコの麻薬カルテルの大物の姿を描いています。

冒頭からの物語の流れはメキシコで敵対勢力に殲滅させられた自分たちのカルテルの再興を目指す物語だと思っていたのですが、全く異なる物語でした。

しかし、その思い違いは決して面白くないということではなく、新たな物語の語り手の登場を楽しみと思うものです。

深町秋生月村了衛、より近い印象では赤松利市長浦京といった書き手の方が近いかもしれません。

新たな語り手の登場を楽しみがまた一人増えたという印象です。

Ank : a mirroring ape

本書『Ank : a mirroring ape』は、新刊書で473頁の、近未来の京都を舞台にしたサスペンスフルな長編のSFパニック小説です。

人類の進化について独特の解釈を施し、それを物語の軸に据えた読みごたえのある作品でした。

 

『Ank : a mirroring ape』の簡単なあらすじ

 

二〇二六年、京都で大暴動が起きる。京都暴動―人種国籍を超えて目の前の他人を襲う悪夢。原因はウイルス、化学物質、テロでもなく、一頭のチンパンジーだった。未知の災厄に立ち向かう霊長類研究者・鈴木望が見た真実とは…。吉川英治文学新人賞・大藪春彦賞、ダブル受賞の超弩級エンタメ小説!(「BOOK」データベースより)

 

鈴木望は、なぜ「人類が言語、そして意識を獲得するに至った」かを知ることが究極のAIにつながるというIT界の巨人ダニエル・キュイから連絡を受けた。

キュイは、望が書いた「ミラリング・エイプ」に関する論文を読み、キュイの京都ムーンウォッチャーズ・プロジェクト(Kyoto Moonwatchers Project)に参画してほしいというのだ。

そのプロジェクトに基づいて建設されたのが京都府亀岡市にあるKMWPセンターであり、望はそこのセンター長として招かれたのだった。

ある日、望がKMWPセンターに戻ると、そこではチンパンジー同士、人間同士が互いに殺し合い、死に絶えていた。

そして、そのKMWPセンターからは、研究対象となっていたアンクと名付けられたチンパンジーが行方不明になっていることに気付くのだったた。

 

『Ank : a mirroring ape』の感想

 

本書『Ank : a mirroring ape』は、物語の前半の流れとしては上記のようではありますが、文章の構成は描かれている事柄ごとに数年から数十年にわたり時間が前後します。

とはいっても、時間ごとに描かれている事柄が一つなので、そう混乱するというわけはありません。

何となくの煩わしさはあるにしても、本書の三分の一ほどまでは、暴動の場面を少しずつ挟みながらの描写であることを考えると、かえってその方がよかったかもしれません。

また、この手法を取ったからこそ京都暴動に至るまでの、端的に言えば登場人物や学術理論の説明などの面倒な紹介を受け入れやすくなっていたのかもしれないのです。

 

とは言っても、本書『Ank : a mirroring ape』に書かれている内容、望の主張する人類の発達に関する仮説などの説明が理解しにくい点はまた別の話です。

特に、「自己鏡像認識」という言葉が鍵になっていますが、この内容が難しい。

鏡に映っている像を自分自身だと認識できるかという問題ですが、これが可能なのはチンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどの大型類人猿だけだそうです。

この能力に人類の進化の鍵があると考えた望は、チンパンジーに種々の実験を繰り返し、自説を検証しようとするのです。

 

作者の佐藤究という人は、理系は得意ではなく、ただ10代から量子論に興味があったと書かれています( zakzak : 参照 )。

そんな人が本書のような新説を考え、それなりの説得力を持たせる物語を考えるのですからかなりの勉強をされたことでしょう。

作家という人たちの想像力は大したものだということは十分わかっていたつもりですが、よくもまあ、このようなアイデアを思いつくものだと感心するばかりです。

その想像力を駆使した作品としていつも取り上げるのが貴志祐介の『新世界より』(講談社文庫 全三巻)や、上田早夕里の『華竜の宮』などの作品です。

共に日本SF大賞を受賞した作品であって、現代社会とまったく違う異世界や未来社会を設定し、その世界での物語を構築している作品です。

こうした作品は他にも山ほどあるのですが、私の好みに合った作品として挙げています。

 

文庫本の『新世界より』は文庫本は全三巻であり、Kindle版では合本版が出ています。

 

話を戻しますが、本書『Ank : a mirroring ape』では、ダニエル・キュイというIT界の巨人と霊長類研究者の鈴木望との会話の場面などではかなり難しい議論を交わしています。

そして、人類が言葉を持ち、意識を獲得する過程に「自己鏡像認識」という能力が深くかかわってきているという望の主張など、読者は納得させられたような気になります。

それがDNAの中にある「サテライト配列」という存在であり、そこから類人猿のゲノムで起きたセカンドビッグバンという考え方を導き出し、さらに言語の起源を考えています。

このDNAと「自己鏡像」という思考から「前後左右」の概念が導かれ、映っているのは「自分だけど自分ではない」という無限ループから抜け出し、その先の主観、客観の概念へと進んでいくのです。

このような、論理的に構築されているように思えるロジックの描き方こそ、SF的なものであり、本書の魅力だと思えます。

このあと、アンクと名付けられたチンパンジーを原因とする暴動が起きますが、その点の理由付けも物語の流れの中で納得させられてしまうのです。

 

でもどこか頭の片隅で「何か変だ」という意識が残っています。それはさすがにあり得ないだろう、と明確にではないながらも思いながら読んでいるのです。

これが、明確に、いくら何でもあり得ないと認識しているのであれば物語のリアリティーが無くなり、面白さは感じない筈です。

しかし、それほどではなく、物語としてこの世界観の中で一応納得をしてしまうところが、作者の腕の見せ所というものなのでしょう。

 

ただ、本書『Ank : a mirroring ape』では二点だけ受け入れがたい描写がありました。

それは、一点目はDNAの突然の変化を当たり前のこととしていることです。

チンパンジーをある条件のもとで繰り返し実験を重ねると、あるときDNA配列に異常が見られるようになるという点です。

突然変異というのは、このようにある個体の中で変異するものではなく、世代交代を繰り返す中で変異が起きるものだと思っていたので、この考えにはついていけませんでした。

でも、この点こそがビッグバンと断言していることなのかもしれません。

もう一点は、後半で登場する 内藤射干(シャガ)と呼ばれている少年のパルクールについての描写です。この少年がチンパンジーと対等に樹上を移動する描写がありますが、これは無いでしょう。

さすがに、チンパンジーと、パルクールの達人ではあっても人間の少年との追走劇は有り得ないでしょう。チンパンジーが怪我をしているとはいっても、考えにくいのです。

 

本書『Ank : a mirroring ape』では、暴動の場面でバイオレンスが描かれていますが、この点は好みの問題になるかもしれません。

また、短文を、次々と繋げていく独特の文体について行けない人があるかもしれません。個人的にはあまり好きな文体ではありませんでした。

でも、本書『Ank : a mirroring ape』に描かれている発想力はまさに私の好みの話であり、作品だと言えます。

大変面白く読んだ作品でした。