白衣の噓

悲哀にみちた人間ドラマ。温かな余韻が残るラスト。『傍聞き』『教場』を超える、傑作ミステリ集!命を懸けた現場で交錯する人間の本性を鮮やかに描く、珠玉の六編。(「BOOK」データベースより)

医療の分野を舞台にしたミステリーの短編小説集です。

ミステリー小説はどの物語でも、明確な事件が起き、発生した事件について何故、誰が、どのように起こされたか、などが記されるのが通常です。

しかし、本書『白衣の噓』の場合そうした事件性を持った事件は起きません。ただ、日常の生活の中でとった行動が、あるいはとらざるを得なかった行動について、隠された理由が意外性を持って明らかにされるのです。

 

例えば、第一話「最後の良薬」では、職員わずか四十人という個人病院に、緩和ケアを受けるしかない進行性の胃がんの女性患者が転院してきて、何故か副島真治がこの患者を担当することになります。しかし、そこにはある理由があったのです。

また、第三話「小医は病を医し」では、T町役場の角谷は入院することになりますが、ある日喬木という盗犯係刑事がいる二人部屋に移されます。しかし、部屋を移されたのには隠された訳があったのでした。

 

この用に、物語自体は通常の生活が営まれているだけです。ただ、舞台が医療機関であり、そこでの日常に、小さな変化がもたらされるのですが、その変化に隠された人間ドラマが胸を打つのです。

この作者の『傍聞き』や『赤い刻印』などの作品はどれも、日常の中の小さな変化を捉え、その変化に隠された事実を読者の予想を超えるトリックなり、理由付けを施して提供してくれています。

そこで示されるトリックや、謎ときなどの論理の切れ味は鋭く、実に小気味いいのです。本書の場合、舞台が医療機関ということもあるためでしょうか、更には切なさまで加わっている気がします。

 

こうした日常の生活にひそむ謎を解き明かすという作法は米澤穂信の『さよなら妖精』でもありました。ユーゴスラビアから来たマーヤという少女の日本での暮らしを追った青春ミステリー小説です。太刀洗万智という探偵役の女性の高校時代を描いた作品としても面白いものでした。
 

 

交通事故のために足を切断せざるを得なくなった全日本にも選ばれるほどのバレーボールの選手だった妹と、医者である姉との間の心の交錯を描いた話(第二話「涙の成分比」)や、忙しい刑事課勤務の末に腎臓を悪くして入院せざるを得なくなった姉と、同じ刑事である弟との腎臓移植をめぐる話(第六話「小さな約束」)など、せつなくそして胸を打つ物語です。

どの物語も短編推理小説の醍醐味を十分に満喫させてくれる話だと思います。この作者の切れ味のいい、「意外性」の世界を堪能できる短編集です。

赤い刻印

刑事である母に毎年届く、差出人不明の御守り―。秘められた想いが、封印された過去を引き寄せる。「巧緻な伏線」と「人生の哀歓」が、鮮やかにクロスする瞬間!(「BOOK」データベースより)

やはりこの人はうまいと思わされる、「赤い刻印」「秘薬」「サンクスレター」「手に手を」の四編の短編が収められている作品集です。

第一話「赤い刻印」は、「傍聞き」に登場した羽角啓子、菜月親子が登場します。死んだと思っていたお祖母ちゃんが生きていることを聞いた菜月は、祖母チサのいる老人ホームに行きますが、冷たくあしらわれてしまいます。しかし、時を経るにつれ心が通い、思いもかけない事実が浮かび上がってくるのでした。

親子の愛情と一言で言えば簡単ですが、秘密が明かされる過程、その結果の運び方のうまさを感じさせられる掌編です。

第二話の「秘薬」にしても伏線の張り方のうまさは同様です。記憶が一日しかもたなくなってしまった水原千尋は、担当教授である久我良純から日記をつけるように言われます。しかし、いつの間にかバインダー式の日記の頁が入れ替わっていました。頁が入れ替わっていたのは何故なのか。その理由が明らかになったとき、千尋はある行動をとります。

第三話の「サンクスレター」は、息子の自殺の原因を調べようとして授業中の教室に押し入り、直接子供たちを問い詰めようとした葛城克典と担任の城戸万友美との物語と言えます。

子供たちを人質にとって息子が何故に自殺をしなければならなかったのかを知ろうとする葛城でしたが、担任である千尋が発した言葉で事件は解決へと向かいます。その言葉がこの物語の鍵となるのです。

ただ、万友美と葛城との間でメールのやり取りをするなど、若干現実感を欠いているとしか思えない場面もありました。それ以外は物語の意外性も含め、やはり見事としか言いようは無い作品でした。

第四話の「手に手を」は、認知症の母と、精神に障害のある弟の面倒で、行き遅れてしまった和佳という女性の物語です。

このところ和佳の身に立て続けに異常な事柄が起きます。それは、歩道橋で突然誰かに触られたり、風呂場の手すりが外れていたりと、細かで、しかし不思議な事件でした。

この話も含め、どの話も人間の愛情を基本に据えた物語です。どの話も、他者に対する想いから巻き起こる事件を描いたものです。

緻密に組み立てられた伏線と、その伏線が一つ一つ丁寧に回収されていく過程で、愛情にあふれた親子や兄弟、師弟などの人間模様が描かれていきます。

こうしてみると、「最も巧緻な伏線と仕掛け」という惹句の文句もあながち大げさでもないと思えてくる作品集でした。

ちなみに単行本のカバーに描かれた赤い実は、北国の街路樹でよく見かけるナナカマドの実。著者の故郷である「山形市の木」に指定されているそうです。( ダ・ヴィンチニュース : 参照 )

教場2

●第一話 創傷(そうしょう)
初任科第百期短期課程の桐沢篤は、風間教場に編入された不運を呪っていた。医師から警察官に転職した桐沢は、ゴールデンウイーク明けに最初の洗礼を受ける。
●第二話 心眼
風間教場では、備品の盗難が相次いでいた。盗まれたのは、PCのマウス、ファーストミット、マレット(木琴を叩く枹)。単独では使い道のないものばかりだ。
●第三話 罰則
津木田卓は、プールでの救助訓練が嫌でたまらなかった。教官の貞方は屈強な体格のスパルタ教師で、特に潜水の練習はきつい。本気で殺されると思ってしまうほどだ。
●第四話 敬慕
菱沼羽津希は、自分のことを初任科第百期短期課程のなかでも特別な存在だと思っている。広告塔として白羽の矢が立つのは、容姿に秀でている自分なのだ。
●第五話 机上
仁志川鴻は、将来の配属先として刑事課強行犯係を強く希望している。元刑事だという教官の風間には、殺人捜査の模擬実習を提案しているところだ。
●第六話 奉職
警察学校時代の成績は、昇進や昇級、人事異動等ことあるごとに参照される。美浦亮真は、同期で親友の桐沢篤が総代候補と目されるなか、大きな試練に直面していた。(「内容紹介」より)

この作家の前作『教場』の面白さを期待して読み、その期待は裏切られることの無いものでした。

特に前作で違和感を持った学生同士や教官のふるう暴力の描写が全くなく、現状はともかく、よりリアリティーを感じたものです。

この点に関しては、前作のときは、警察学校の「取材が叶わず『数少ない文献で知識を仕入れて』描いた警察学校」だったのだそうで、「実際に取材すると、いまの警察学校では暴力はご法度。その話が頭にあったので、バイオレンスなシーンは前作と比べたら抑えられているのでは」と述べられています。( 「ほんのひきだし インタビュー 参照」 )

どの話もひねりの効いたアイデアをもとに話が組み立てられていて、読んでいて感じさせられる意外性に心地よい刺激を感じました。

そう言えば、この作者の、表題作が第61回日本推理作家協会短篇賞を受賞している短編集『傍聞き』もまた似たような構成の作品集でした。つまりは、細かな仕掛けが実にうまく、読者に思いもかけない結末を提示してくれるのです。

著者自身「アイデア小説」が好きだととのことで、資料を良く読みこまれた上で「短編は余計なものをそぎ落として、アイデアを際立たせる形式」として執筆されているそうです。

そうしたことを一番感じさせてくれたのは、最後の物語である「奉職」でした。この物語の最後に風間教官の言葉があるのですが、この言葉を書きたいがためにこの物語を書かれたのではないかと思えるほどでした。

短編作品としてのタッチとしては、個人的には米澤穂信の作品を思い出します。特に『真実の10メートル手前』がそうでしょう。フリージャーナリストの太刀洗万智という女性が、ほんの些細な事柄から対象となる事案の本質に結びつく疑問点を見つけ出し、そしてその疑問を丁寧な取材で解消していくのですが、そこで描かれているアイデアとそのアイデアの生かし方はこの作家と同じく気持ちのいいものです。

米澤穂信には、『満願』という作品もありますが、こちらはは若干ですが恐怖感を物語に忍ばせてある分、少々違うかと思いました。この作品は、第27回山本周五郎賞、第151回直木三十五賞候補、ミステリが読みたい! 2015年版 国内編1位、週刊文春ミステリーベスト10 2014 国内部門1位、このミステリーがすごい! 2015年版 国内編1位、第12回本屋大賞7位などとそうそうたるもので、一読の価値はあります。

傍聞き

本書『傍聞き』は、第61回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した表題作「傍聞き」が収められた短編作品集です。

どの物語も、トリックのアイディアがユニークです。人物の心理をうまくついた仕掛けは新鮮な驚きをもたらしてくれました。

 

患者の搬送を避ける救急隊員の事情が胸に迫る「迷走」。娘の不可解な行動に悩む女性刑事が、我が子の意図に心揺さぶられる「傍聞き」。女性の自宅を鎮火中に、消防士のとった行為が意想外な「899」。元受刑者の揺れる気持ちが切ない「迷い箱」。まったく予想のつかない展開と、人間ドラマが見事に融合した4編。表題作で08年日本推理作家協会賞短編部門受賞。

 

「迷走」
交通事故で娘が車いす生活になった。救急隊の隊長である室伏光雄は、娘の事故の時の加害者を不起訴にした担当検事を搬送することになる。しかし、室伏は救急病院が近づくと、何故か病院の周りを迷走させるのだった。
「899」
消防署員の諸上将吾が想いを寄せる初美の家が類焼していた。将吾は火の中、初美の生後4カ月の娘を探すが、指示された部屋には見当たらない。諸上が他の部屋を探す間に同僚が見つけ出すのだった。
「傍聞き」
刑事である羽角啓子の裏手に住む老女が窃盗にあい、横崎という常習犯が逮捕された。しかし、横崎は罪を認めず、自分は真犯人を知っており、啓子に告げるというのだった。
「迷い箱」
捨てると決断できないものを一時的に入れておく箱のことを「迷い箱」というそうです。
過失で女児を殺してしまった自殺願望を有する碓井章由という元受刑者を、「刑務所を出て行き場のない人を一時的に預かる更生保護施設」の施設長である設楽結子が見守るという、施設長の目線で語られる物語です。

 

短編小説がこれだけ楽しませてくれる作品集はあまりないと思われます。

ただ、個人的には、本書『傍聞き』はトリックの組み込み方としては若干強引かなという印象もあります。

しかし、小説として面白くないのかというとそうではなく、短編小説としての面白さがかなりのものであることは否定できず、物語の作り手としてのこの作者の上手さばかりが目立ちました。

 

迷走」での、病院の周りをめぐるという主人公室伏の奇妙な行動には、読者も(少なくとも私は)十分納得するちゃんとした理由がありました。しかし、何故その行動の理由を周りに告げないのか、が一応の説明はあるものの気になってしまいます。

899」でも、諸上が見つけられなかった赤ちゃんを同僚が見つけ出す、というその点の理由は分からないではありませんでした。

しかし、その同僚が赤ちゃんを見つけた本当の理由に関しては、赤ちゃんを少なからず危険にさらすのではないのか、という危惧を抱かざるを得ず、若干の強引さを感じないではなかったのです。

ただ、それでもなお本書『傍聞き』は面白いのです。上記のような気になる個所はあってもなお、本書のトリックはうまいと思います。

ユニークなトリック自体も見事ですが、そのトリックを物語の中で生かし切っているところが本書の一番の魅力でしょう。

特に本書の表題ともなっている「傍聞き」は、やはり若干の無理は感じるものの、人間心裡をうまくついていて魅了させられました。

 

本書のように秀逸なトリックをちりばめている小説としては、近時読んだ米澤穂信の『真実の10メートル手前』がありました。

この作品は、フリージャーナリストの太刀洗万智という女性を主人公にしたシリーズの中の短編小説集で、第155回直木賞の候補作にもなった作品です。この物語もトリックの切れがよく、心地良い読後感でした。

 

 

小説のもつ雰囲気は若干異なり、長編小説ではありますが、中山七里の『連続殺人鬼カエル男』もトリックという点では驚かされた作品でした。

グロさ満載の物語で、話の進め方が強引なところもありましたが、人間心理をついたどんでん返しには驚きました。

 

 

また、逆に三上延ビブリア古書堂の事件手帖シリーズも、古書にまつわる事柄をテーマに小気味いいトリックで組み立てられた物語であって、かなりの読みごたえを感じた小説でした。

 

 

この頃読んだトリック重視の小説、とは言ってもいわゆる本格派推理小説とはまた違う、人間を描いた私好みの作品、それもそれぞれに傾向の異なる作品を挙げてみました。

でも、本書『傍聞き』はその中でも私の好みに合致する作品であり、まだこの作家の作品を追いかけてみようと思わせてくれた作品でもありました。

群青のタンデム

少々毛色の変わった警察小説で、全部で八話からなる連作短編集す。ただ、各話の間には全体で一つの長編と言ってもいい程の強いつながりがあります。

本書の主人公は戸柏耕史と陶山史香ということになるのでしょうか。二人は警察学校での同期で、警察学校の時代から今でもずっと互いに勤務成績を争っていて、最終話までそれらしき関係が続いて行きます。この最終話に至るまでの時間が長いのも特徴に挙げていいかもさいれません。なにせ、第一話と最終話との間では30年の年月がたっているのですから。

この二人の他に登場してくる人物も魅力的です。本書に登場時は十三、四歳位である新条薫や、登場時は刑事課の巡査部長であった布施など、魅力的であると同時に、物語の進行上も重要な役割を担っています。

普通の警察小説とは異なり、例えば殺人事件のような大きな事件は起きません。各話それぞれで自転車泥棒やストーカーなどの、日々の生活の中で起きうる“小さな”事件があり、あちこちに散りばめられた伏線をもとにそれなりの解決が為されていくのです。ただ、最後にはこの作家らしいひとひねりがあります。賛否は別として、長岡弘樹という作家なりの仕掛けの一つです。

 

問題は少々作者の独りよがりな点が見えることです。個別の文章の中でもそうなのですが、何よりも、貼られた伏線に基づく結末の経過及び理由付けが、一読しただけでは判りにくい。一連の行動の結末をきちんと書かないままに場面が変わり、そこで、結末のニュアンスだけが語られています。

うまくいけば余韻を残す手法なのでしょうが、少しのずれが読みにくさを招いてしまいます。本書は、その悪い方へ転んでいるのです。多くのレビューで若干の読みにくさを指摘されているので、これは私だけの感想ではないようです。

先に読んだ『教場』ではあまりそういう印象は強くはなかったので本書のみの問題なのでしょう。もしかしたら他の本でも同様の書き方をされているのかもしれませんが。

この点とトリックの若干の強引さを除けば、まあ、これらが大きなことではあるのですが、そこそこに面白い作品ではあります。今後更に違う作品も読んでみたいものです。

教場

本書『教場』は、文庫本で324頁の、警察学校を舞台にした全六編からなる連作のミステリー短編集です。

『週刊文春ミステリーベスト10 2013年』の第1位、『このミステリーがすごい! 2014年版』で第2位、そして2014年本屋大賞の候補作にもなった、評価が高く、読みがいのある作品です。

 

『教場』の簡単なあらすじ

 

希望に燃え、警察学校初任科第九十八期短期過程に入校した生徒たち。彼らを待ち受けていたのは、冷厳な白髪教官・風間公親だった。半年にわたり続く過酷な訓練と授業、厳格な規律、外出不可という環境のなかで、わずかなミスもすべて見抜いてしまう風間に睨まれれば最後、即日退校という結果が待っている。必要な人材を育てる前に、不要な人材をはじきだすための篩。それが、警察学校だ。週刊文春「二〇一三年ミステリーベスト10」国内部門第一位に輝き、本屋大賞にもノミネートされた“既視感ゼロ”の警察小説、待望の文庫化!(「BOOK」データベースより)

 

ある警察学校の学生をそれぞれの話の主人公として話は進みます。

職務質問や取り調べのやり方、交番実習、運転技術等々、普段私たちが目にすることも耳にすることもないであろう事柄を織り込みながら、警察学校の学生の日常的な暮らしの中での起こるミステリーとも言える出来事が語られています。

各話に登場する学生たちはそれぞれに個性の異なる学生です。

全体を統括する立場の教官として風間公親というこれまたミステリアスな男が登場します。

この教官が魅力的であり、各話に少しだけ顔を出します。そして強烈な印象を残しながら物語をまとめていくのです。

 

『教場』の感想

 

本書『教場』の魅力は、よく書きこまれた個々の登場人物と、なにより個別の出来事のアイデアがよく練られているところにあるのでしょう。

個別の出来事の伏線の張り方がうまく、更に一種の青春小説とも言えそうな物語のなかで、回収作業もうまく処理してあるのです。

ただ、この点に関しては、謎そのものの解明にではなく、謎解きの過程や謎解きにかかわる人間の描き方に興味がある私の印象なので、異論があるかもしれません。

 

一方、鬼教官たちのいじめとも言えそうな描写や一般社会とは異なる決まりごとなど、綿密な調査のうえでの描写でしょうから間違いはないのでしょうが、若干違和感を感じないでもありません。

でも、強烈な縦社会である警察のことですし、あくまで虚構である小説でのことですから、そこはあまり言うべきところではないのでしょう。

 

『教場』という作品から思い出す、設定や作風の似た作品を考えましたが、出てきませんでした。それだけ本作品がユニークだということだと思います。強いて言えば、作者本人が参考にしていると明言している横山秀夫作品を挙げることができるでしょうか。

とはいえ、物語にぐんぐんと引き込まれていったのは間違いない事実であり、警察小説の新しい書き手として非常に楽しみな作家さんの登場は実に楽しみです。