アクアマリンの神殿

桜宮市にある未来医学探究センター。そこでたったひとりで暮らしている佐々木アツシは、ある深刻な理由のため世界初の「コールドスリープ」技術により人工的な眠りにつき、五年の時を超えて目覚めた少年だ。“凍眠”中の睡眠学習により高度な学力を身につけていたが、中途編入した桜宮学園中等部では平凡な少年に見えるよう“擬態”する日々を送っていた。彼には、深夜に行う大切な業務がある。それは、センターで眠る美しい女性を見守ること。学園生活に馴染んでゆく一方で、少年は、ある重大な決断を迫られ苦悩することとなる。アツシが彼女のためにした「選択」とは?先端医療の歪みに挑む少年の成長を瑞々しく描いた、海堂尊の新境地長編! (「BOOK」データベースより)

モルフェウスの領域』の続編です。

前作『モルフェウスの領域』の最後で、目覚めた佐々木アツシの代わりにコールドスリープ技術により日比野涼子が眠りにつきました。本作では、前作とは逆に眠れる日比野涼子の世話を佐々木アツシが行っています。

佐々木アツシは五年間の眠りを終えてから、両眼失明の危機を乗り越えて現在は桜宮学園中等部に通っています。冷凍睡眠の間に睡眠学習で高度な学力を身につけてはいましたが、そのことを隠しつつ、普通の中学生として、そして進級もして高等部での日々を送っています。

この学生生活の中で、クラスメートの麻生夏美や蜂谷一航、北原野麦らと共に「ドロン同盟」なるグループを作り、冷凍睡眠で体験できなかった青春時代を送っているのです。この側面ではまさに佐々木アツシを主人公とした青春小説です。

でも、この作者独特の言葉の遊びの世界が展開されているのは残念でした。「ドロン同盟」なるグループそのものの意味、そしてその仲間での会話がまた分かりにくいのです。私らが一般に思う中学生や高校生ではありません。知的遊戯を楽しむだけの能力をもった、少なくとも私とはかなり異なった感覚の持ち主なのです。

佐々木アツシには、中・高校生の生活を送る青春小説の主人公としての佐々木アツシとは別に、彼の住居でもある来医学探究センターでの日比野涼子の世話の担当者としての生活とがあります。センターでのアツシはその知力を隠すことなく、コールドスリープの開発者であり後見人でもある西野昌孝やマサチューセッツ工科大学の曽根崎伸一郎教授などと対等に会話をこなしているのです。そう言えば、ここでの会話も私にはついていけない感がありました。

この作者の『ひかりの剣』などをみると、青春小説を書かせてもかなり面白い物語を書くことはできそうなのに、どうしてエンターテインメントとして読みやすい物語を書かれないのかと、本書のような作品を読むたびに思います。そういう意味でも好みとはは少し外れた物語でした。

モルフェウスの領域

桜宮市に新設された未来医学探究センター。日比野涼子はこの施設で、世界初の「コールドスリープ」技術により人工的な眠りについた少年の生命維持業務を担当している。少年・佐々木アツシは両眼失明の危機にあったが、特効薬の認可を待つために5年間の“凍眠”を選んだのだ。だが少年が目覚める際に重大な問題が発生することに気づいた涼子は、彼を守るための戦いを開始する。人間の尊厳と倫理を問う、最先端医療ミステリー!(「BOOK」データベースより)

海堂尊の作品にしては珍しい、SFの要素のをも含んだ小説になっています。

両眼失明という危機に陥っている佐々木アツシは、治療法の開発を待つために、未来医学探求センターで五年間の冷凍睡眠(コールドスリープ)に入ります。その間のセンターで眠り続けるアツシの世話係としてセンターに非常勤職員として雇われたのが日比野涼子で、この女性の物語として本書は始まりますが、眠り続ける佐々木アツシ少年もまたこの物語の主人公ということになるのでしょうか。

主人公の佐々木アツシ少年は『ナイチンゲールの沈黙』や『医学のたまご』にも登場しているのですが、2006年を舞台にした『ナイチンゲールの沈黙』では5歳。16年後の2022年を舞台にした『医学のたまご』では17歳という、年齢面での齟齬を生じさせてしまったところから、つじつま合わせに書かれたものだそうです。( ウィキペディア : 参照 )

残念ながら、海堂尊という作家の紡ぎ出す物語にありがちなこととして、論理をもてあそんでいるとしか思えない展開が多々あるのですが、本書においてもそうでした。

それは、このセンターの設立基盤でもある曾根崎伸一郎教授が提唱した「凍眠八則」、そして「凍眠」の根拠づけの法律である「人体特殊凍眠法」をめぐる曾根崎教授と涼子との会話の場面であり、またコールドスリープ技術を開発した技術者である西野昌孝と涼子との会話の場面です。やはり私はついていけない展開でした。

何度も書いていることですが、海堂尊という作家は、死亡時画像病理診断(オートプシー・イメージング:Ai)や官僚の話などになると途端に高度なロジックを展開されます。そして、そこでの論理展開は大体において、私には理解できないのです。単に理解できないだけでなく、物語の流れがそれまでとは別の流れに乗ったかのように途切れてしまいます。勿論、そのうちにそれまでの流れに戻りはするのですが、読み手である私はいつも置いていかれてしまうのです。その点さえなければとても面白いのにと、読み手である私の個人的な資質は脇に置いて思います。

その点とは別に、本書の気になる点としては、世界初のコールドスリープ技術により眠り続ける少年を見守るにしては、何故か臨時職員である日比野涼子一人しかいないなど、設定として受け入れがたい状況設定があります。一応世界初などという以上は、もう少しそれなりの状況を設けてくれないと、小説としての世界が成立せず、感情移入しにくいのです。

本書は佐々木アツシという少年の成長の物語でもありますが、そこは続編である『アクアマリンの神殿』に委ねているとも言えそうで、本書はやはり日比野涼子の物語というべきなのでしょう。

その日比野涼子が最終的にとった手段については賛否があるところだと思います。個人的には何故ああいう行動をとったのか良く分からないところもあるのですが、読む人が読めば明確な理由があると読みとれるものなのでしょうか。

惹句には「人間の尊厳と倫理を問う」とありましたが、倫理の側面は別としても、人間の尊厳を問う物語であったかどうかは疑問です。

ともあれ、高階権太や田口公平などの常連メンバーの登場する場面は楽しく読むことができます。この流れがいつもあればいいのにと、少々残念に思う物語でした。

「冷凍睡眠」というと、SFの分野では良くある設定です。映画ではあの『エイリアン』は目覚めの場面から始まるようにちょっと離れた星への移動が必要な時は良く使われる手法です。SF映画の古典というには早いかもしれませんが、そう呼ばれるのは間違いのないSFホラーの金字塔です。リドリー・スコットという監督の手腕が冴え、H・R・ギーガーのデザインする、エイリアンやその世界は素晴らしいとしか言いようがありません。

でも、SFの分野で一番有名なのはハインラインの『夏への扉』でしょう。恋人にも友達にも裏切られ傷心の主人公は冷凍睡眠技術で未来へと旅立ちます。目覚めたのは三十年後ですが、自分の知っている過去とは微妙に異なるのでした。名作中の名作と言われるこの作品は、冷凍睡眠技術を現実からの逃避の手段として利用するのです。

ナニワ・モンスター

浪速府で発生した新型インフルエンザ「キャメル」。致死率の低いウイルスにもかかわらず、報道は過熱の一途を辿り、政府はナニワの経済封鎖を決定する。壊滅的な打撃を受ける関西圏。その裏には霞が関が仕掛けた巨大な陰謀が蠢いていた―。風雲児・村雨弘毅府知事、特捜部のエース・鎌形雅史、大法螺吹き・彦根新吾。怪物達は、この事態にどう動く…。海堂サーガ、新章開幕。(「BOOK」データベースより)

海堂尊の物語は、彼が医者として力を入れている死亡時画像病理診断(オートプシー・イメージング:Ai)についての想いを前面に打ち出した作品群と、それ以外の作品とに分かれていると思います。残念ながら前者の作品群は作者の想いが強すぎるのか、頭の良さが先走るのかは分かりませんが、読者はおいていかれ、物語自体の面白さは後者の作品群に比して半減していると感じます。そして、本書は残念ながら前者の作品群に属しているのです。

本書の「第一部 キャメル」は、新型インフルエンザ「キャメル」によるパンデミックを思わせる内容で、パニック小説のイントロとしてかなり期待を持たせています。

「第二部 カマイタチ」では場面は東京地方検察庁へと移り、時代も一年ほど遡っています。東京地検特捜部のエース鎌形雅史が浪速地検特捜部へ異動し、浪速府の村雨知事と彦根の思惑は鎌形の取り込みを図りますが、ここでの会話はなかなかについていけないものがありました。この時点で先に述べた前者の作品群の話だと思われ、興味は一気に薄れてしまいます。

特に問題は「第三部 ドラゴン」で、先述したAiの話が展開します。その上で日本の変革の話へと話は移り、当初のよくできたパニック小説という雰囲気から、とんでも話へと、それも読者不在の独りよがりの話へと一大転換してしまうのです。

この作家の頭が良いのは分かりますが、話についていけない読者のことも考えてくれたらといつも思います。それではこの作者の醍醐味は無くなってしまうのかもしれませんが、第一作の「チーム・バチスタの栄光」や「ブレイズメス1990」などは医療小説としても非常に面白い作品があるのですから、このタッチで進めてもらえたらと思うのです。

特に「ジェネラル・ルージュの伝説」は一番私の好みに合っていました。物語にスピードがあり、ヒーローがヒーローとして活躍する定番の話ではるのですが、緊急医療の現場の緊迫感など現場を知る者ならではの面白さを感じたものです。

ま、こんな意見は他では見ないし、本書も面白いという読者が多くいることを考えると、ついていけない読者の愚痴としか言えないのでしょうね。

極北ラプソディ [映画版 DVD]

瑛太、加藤あい、山口祐一郎らの共演で贈る医療ドラマ。北海道にある破綻寸前の病院で、医療の原点を目指し奮闘する青年医師・今中。彼が成長していく姿を、地元女性との愛の行方を織り交ぜながら描いていく。メイキング映像を収録。解説書を封入。(「キネマ旬報社」データベースより)

DVD2枚組で、2013年3月にNHK総合にて放送されたものです。

ジーン・ワルツ [映画版 DVD]

海堂尊の医療ミステリー小説を菅野美穂主演で映画化。廃院寸前の産婦人科医院・マリアクリニックの院長代理を務める曾根崎理恵。彼女が禁断の治療をしているという噂を聞き付けた帝華大学病院のエリート医師・清川は、理恵の周辺を探り始めるのだが…。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

未見です。

チーム・バチスタ3 アリアドネの弾丸 [TVドラマ版 DVD-BOX]

海堂尊の医療ミステリーシリーズ第3弾!田口&白鳥が挑む今度の舞台は、死因不明社会。Ai(死亡時画像診断)センターの設立をめぐり、新型MRIの中で起こった殺人事件。浮かび上がってきたのは警察の情報を裏で操るエリート官僚。優秀だが気の強い女性法医学者。彼女に秘かに好意を寄せる助手。Aiの天才ながら問題児の画像診断医。警察の暴力装置と呼ばれる男。正義のためにAiをつぶそうとする男…。犯人は一体誰なのか?(「キネマ旬報社」データベースより)

 

未見です。

ひかりの剣

覇者は外科の世界で大成するといわれる医学部剣道部の「医鷲旗大会」。そこで、桜宮・東城大の“猛虎”速水晃一と、東京・帝華大の“伏龍”清川吾郎による伝説の闘いがあった。東城大の顧問・高階ら『チーム・バチスタ』でおなじみの面々がメスの代わりに竹刀で鎬を削る、医療ミステリーの旗手が放つ青春小説。(「BOOK」データベースより)

 

この人自身剣道をかなり極めた人のようで、これまでの話とは全く異なる青春小説です。

 

何よりも、主人公は「ジェネラル・ルージュの凱旋」の速水晃一と「ジーン・ワルツ」の清川吾郎であり、それに高階権太を始めとするチーム・バチスタの面々が絡んでくるのですから海堂ワールドが好きな人にとってはたまらない本ではないでしょうか。ただ、医学生ではあっても医療がらみのミステリーとは関係の無い剣道メインの青春小説なので、その点さえ良ければの話ですが。

また、章毎に視点を変える書き方も目新しくは無いにしても面白く読めました。

 

ただ、同じ剣道ものでいうと誉田哲也武士道シリーズのほうがより読み応えがあったのも事実です。

 

 

というのも、少々剣道をかじったに過ぎない私くらいの力量の者では、そのトレーニングや対戦時の心理など、分からない箇所が少なからずあったのです。

どうも、この人の文章は頭が良すぎて、理屈が先に立っている感じが否めないところがあるようです。

 

いずれにしても、海堂ワールドには欠かせない一冊でしょう。

極北クレイマー2008

存続ぎりぎり、財政難の市民病院に、巨大ブリザードが吹き荒れる。新任“非常勤”外科部長・今中良夫は、この病院を生き抜けるのか?
このままでは財政が破綻すると囁かれている極北市の市民病院に、極北大から派遣されてきた医師、今中良夫。慣れない病院で数々のローカル・ルールに翻弄される日々が始まった。しかし、存続ぎりぎりの病院に、「医療事故疑惑」という痛烈な一撃が……。過酷な地方医療の現場と医師たちの格闘を描いた傑作長編!(Amazon内容紹介より)

 

本書は、2009年4月に朝日新聞出版より単行本が刊行され、2011年3月に朝日文庫(上下巻)、2013年10月に朝日文庫(新装版)が刊行された『極北クレイマー』を加筆修正し改題したものです。

 

「極北篇」シリーズの一冊で、2013年現在「極北クレイマー」と「極北ラプソディ」の2作品があります。

「極北クレイマー」は市民病院の様々な問題点を取り上げた作品です。

 

今中良夫は問題を起こし、極北市民病院に外科部長として派遣されることとなった。

極北市民病院は衛生環境を始めとして数々の問題点を抱えていたが、ただ産科医師の三枝久広だけが良心として頑張っていた。

 

本書は大きくは地域医療の問題が取り上げられていますが、現実に起きた産婦人科医の逮捕という「福島県立大野病院産科医逮捕事件」を大きなテーマとして扱っています。

医療行為という一般人には理解しえないと言ってもいい事柄なので、事の当否については何も言えません。ただ、小説としては興味深いものがあります。

 

少々テーマが重いので、明るく、軽く読める小説を求めている人には向かないでしょう。

スリジエセンター1991

世界的天才外科医・天城雪彦。手術を受けたいなら全財産の半分を差し出せと言い放ち顰蹙も買うが、その手技は敵対する医師をも魅了する。東城大学医学部で部下の世良とともにハートセンターの設立を目指す天城の前に立ちはだかる様々な壁。医療の「革命」を巡るメディカル・エンターテインメントの最高峰!(「BOOK」データベースより)

 

痛快小説のような面白さを備えた、長編の医療小説です。

 

スリジエ・ハートセンター設立を目指す天城は東城大での公開手術を目前に控えていた。

しかし、天城に反発する高階の工作により公開手術の患者が手術を断ってきたため、新たな患者に対し無料で公開手術を行うことになる。

天城はまた東京での国際学会でも公開手術を行うことになっていたが、そこでも手術スタッフが入れ替えられてしまうのだった。不慣れなスタッフのもと公開手術が行われるが、予想外の事態が起こる。

一方、その頃桜宮では城東デパート火災が起き、東城大病院は速見のもと何とかその修羅場を乗り越えようとしていた。

 

とにかく面白い小説の要素の殆どを備えている作品だと感じました。終盤の東京での公開手術における鏡部長や天城の行動は『ジェネラル・ルージュの凱旋』での速水の活躍のように強力なリーダーでありヒーローなのです。読み手の心を掴んで離しません。

勿論、この場面に至るまでの各登場人物の行動などがあっての話なので、この場面だけを取り上げても意味は無いのでしょうが、それほどに惹きつけられたのです。

 

 

佐伯教授や黒崎助教授の思惑と高階講師の駆け引きや、榊総看護婦長や藤原婦長などの看護師陣も顔を見せ、更には『ジェネラル・ルージュの凱旋』で見せた速水の活躍の一旦の披露など、海堂ワールドにはまった人にとっては総仕上げ(と言うのは早いのでしょうが)的な展開が待っているのです。

その内容に応じたテンポの良い文章も読みやすく、物語の世界に入り易くしているのではないでしょうか。

 

今回、世良は医局長になったりとそれなりに顔を見せてはいながらも、その実、語り役に徹しているのですが、代わりに思いがけない結末の幕引きという役割を負わされています。

この結末にはかなり異論もあるかと思いながら読みました。是非実際に読んでどう思うかを聞きたいものです。

ブレイズメス1990

この世でただ一人しかできない心臓手術のために、モナコには世界中から患者が集ってくる。天才外科医の名前は天城雪彦。カジノの賭け金を治療費として取り立てる放埒な天城を日本に連れ帰るよう、佐伯教授は世良に極秘のミッションを言い渡す。(「BOOK」データベースより)

 

東城大学医学部付属病院の研修医世良雅志は、モナコのモンテカルロ・ハートセンター外科部長の心臓外科医天城雪彦を総合外科学教室に招聘するためにモナコ公国に派遣された。

そこで見た天城雪彦は、金こそ至上としているとしか思えない医者であった。

天城雪彦を日本に連れて帰ってはきたものの、今度は心臓手術専門の病院「スリジエ・ハートセンター」設立を表明する天城雪彦の手伝いを命じられ、東京国際学会での天城雪彦の公開手術の準備に振り回される世良であった。

 

これこそが海堂尊だ、と言える作品だと思います。

根底にヒューマニズムが置かれていて、人の命と、その命を救うための施設にかかる費用との問題を提起されています。その上で事実上の主人公である天城雪彦のスーパーマン的活躍が展開され、エンターテインメント作品として仕上げられているのです。

そして物語の進行役である世良雅志の視点を通して、読者はその世界に入って行き易くなっていると感じられます。

 

個人的には、あのロジカルモンスター白鳥に代表される論理の展開は言葉の遊びに思えてあまり好きではないので、そうした点でもロジックをもてあそぶ展開の無い本書は気楽です。

桜宮サーガとも言われる海堂尊ワールドの一環であることが示される表現も随所に挟まれていて、それもまた物語の世界を広げる役に立っていることはあえて言うまでも無いことなのでしょう。

 

現役の医者である作者ならではの、現場を知る者の強みが如何なく発揮された作品に仕上がっていて面白いです。