『おれたちの歌を歌え』とは
本書『おれたちの歌を歌え』は、2021年2月に文藝春秋から刊行され、2023年8月に文春文庫から688頁の文庫として出版された、長編の推理小説です。
昭和、平成、令和の三つの時代を交互に描きながら五人の仲間の挫折に満ちた人生を中心に描き、第165回直木賞の候補となった作品です。
『おれたちの歌を歌え』の簡単なあらすじ
元刑事の河辺は、音信不通だった幼馴染の佐登志が死んだ知らせを受ける。彼が遺したのは、暗号めいた伝言。友からの謎かけに、河辺には封印していたはずの苦い記憶がよみがえる。40年前、故郷で巻き込まれたある事件ー。追われるように都会に出た彼らが、歩んできた人生とは?かつての悲劇の真相に迫る、大河ミステリー。(「BOOK」データベースより)
元後輩の海老沼の経営するデリヘルで運転手を務める河辺久則のもとに、突然、幼馴染の五味佐登志の死を告げる電話がかかってきた。
電話をかけてきた茂田というチンピラは、佐登志から渡された永井荷風の『来訪者』の新潮文庫を示し、最後の頁に詩が書いてあり、佐登志のM資金絡みの隠し財産のありかを示してあるというのだった。
佐登志は他殺殺された可能性が高いこともあって、生前の佐登志の様子を知るためにも川辺は茂田に自分と佐登志の過去を話しはじめる。
昭和五十年代の始め、長野県の上田市真田町でいつも一緒にいた五人の高校生たちがいた。彼らは、彼らは竹内風花の父親のキョージュこと竹内三起彦から「栄光の五人組」と名付けられていた。
『おれたちの歌を歌え』の感想
本書『おれたちの歌を歌え』の主要登場人物は本書の最初にまとめてありますが、名前だけ列挙しておきます。
河辺久則(ヒー坊)、五味佐登志(サトシ)、外山高翔(コーショー)、石塚欣太(キンタ)、竹内風花(フーカ)という五人が中心となっています。
それに、フーカの父のキョージュこと竹内三紀彦、フーカの姉の千百合、そしてセイさんこと岩村清隆が重要な位置を占めています。
また、五人組の友達の崔(岩村)文男やその妹の春子の存在も重要です。
ほかにも河辺にサトシの死を知らせて来た茂田などもいますが、本書の最初に書いてある「主要登場人物」を見てください。
本書『おれたちの歌を歌え』は作者の呉勝浩が編集者の提案を受けて自分なりの藤原伊織の『テロリストのパラソル』を書こうとしたものだそうです( 好書好日 : 参照 )。
『テロリストのパラソル』という作品は、アルコールに溺れている主人公が自らの過去に立ち向かう姿を描いたハードボイルドミステリー作品で、第114回の直木賞を受賞している作品でもあります。
挫折した人生を送っている主人公が、ある日自分の過去に直面せざるを得ない事態に陥り、その過去をを乗り越えるために奮闘する姿が描かれていて、私が最も好きな小説の中の一冊でもあります。
本書『おれたちの歌を歌え』も同様です。
今ではデリヘルの運転手をしている主人公の川辺久則は、幼馴染のサトシの死が他殺であることを知り、過去に起きたある事件に思いを馳せるのでした。
その後、物語は昭和、平成、令和を交互に描きながら、過去と現在の殺人事件やそれに伴う謎を解明する過程を描き出しているのです。
本書は「第二章 すべての若き野郎ども」まではかなりの面白さを感じながら読んでいました。
しかしながら、「第三章 追憶のハイウェイ」あたりからどうも印象が変わってきます。
一つには物語が複雑に感じられてきたことと、もう一つは佐登志の死を知らせて来た茂田という男のキャラクターがよくつかめなくなってきたことが原因だと思われます。
茂田という男は坂東という半ヤクザの使い走りで、短絡的、暴力的な男である筈ですが、川辺がサトシが残したという暗号を解く過程に絡む姿がどうにも中途半端なのです。
本書では永井荷風や中原中也、太宰治などが鍵として登場し、茂田が太宰らの同人誌「青い花」や太宰作品の『ダス・ゲマイネ』を読み込んだり、川辺と共に過去の事件の推理もしています。
これらの行為やその後の行動から茂田にはかなりの知性が感じられ、当初感じた茂田の粗暴な印象とは異なっていて、なんともその人物像があいまいで、違和感を感じてしまいました。
もう一点はストーリーが分かりにくい点です。
過去の事件自体が複雑な構成になっていて理解しにくいのですが、加えて仲間の過去が現在へとつながり、また分かりにくく、再読してもストーリの全体像がつかめるのかと疑問になるほどです。
犯人像はそれなりに判明し、逆算して物語の流れがつかめた気にはなりますが、それは読了後の錯覚であり、細かな点を問われると応えられない点が多い程度の理解でしかありません。
さらに付け加えるならば、河辺久則の現在につながる状況を示すためでしょうか、刑事時代の川辺が上司の阿南から理不尽な仕打ちを受ける場面があります。
河辺を追い出す口実を作ろうとしているのでしょうが、個人的にはストーリーの流れを遮断しているようで不要としか思えませんでした。
また、セイさんというキャラクターが最終的に理解できずに終わりました。というか、そのキャラクターの説明が、詳しくは書けませんが微妙に納得いかなかったのです。
ただ、本書『おれたちの歌を歌え』は直木賞候補作であり、以上述べたことは読み手である私の読解能力が不足していたにすぎないというしかないでしょう。
以上、いろいろと不満点は書きましたが、大河小説として昭和の雰囲気を表現するために『限りなく透明に近いブルー』や『邪宗門』などの文学作品、また「太陽にほえろ」や「傷だらけの天使」といったテレビドラマなどを取り上げているのは、その時代を生き、熱中した私としては非常に嬉しいものがありました。
また、当時の学生運動の様子が描かれていますが、先鋭化した一部の学生はまさに本書『おれたちの歌を歌え』で書かれているような状態だったのです。
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本書『おれたちの歌を歌え』は、総じて非常に興味深い内容を持った作品であり、また面白く読んだ作品でもあったのですが、冒頭に述べたように少々複雑に作り過ぎたのではないか、そう思えて仕方ありません。
直木賞の候補となった作品であり、それだけの内容を持った作品であることは否定できません。
ただ、個人的な好みと少しだけずれていたということです。
『スワン』とは
本書『スワン』は2019年10月にKADOKAWAから刊行され、2022年7月に角川文庫から448頁の文庫として出版された、長編のミステリー小説です。
第73回日本推理作家協会賞や第41回吉川英治文学新人賞を受賞し、さらに第162回直木三十五賞の候補作となっただけのことはある、読みがいのある作品でした。
『スワン』の簡単なあらすじ
ショッピングモール「スワン」で無差別銃撃事件が発生した。死傷者40名に迫る大惨事を生き残った高校生のいずみは、同じ事件の被害者で同級生の小梢から、保身のために他人を見捨てたことを暴露される。被害者から一転して非難の的になったいずみのもとに、ある日1通の招待状が届いた。5人の事件関係者が集められた「お茶会」の目的は、残された謎の解明だというが…。文学賞2冠に輝いた、慟哭必至のミステリ。日本推理作家協会賞、吉川英治文学新人賞受賞。(「BOOK」データベースより)
『スワン』の感想
本書『スワン』は、巨大ショッピングモール「スワン」で起きた無差別銃撃事件に巻き込まれた一人の女子高生の姿を描いた長編のミステリー小説です。
作者呉勝浩についてはこの作者の『白い衝動』という作品の概要を読んで社会性の強い作品を書く作家さんだと思っていたためか、本書『スワン』も同様に社会性が強いニューマンドラマだと思い込んでの読書でした。
ところが、本書は、この巨大ショッピングモールで起きた真実の出来事はどうであったのか、一人の老女の死の実際はどのようなものであったのか、を明らかにする本格派の推理小説だったのです。
本書の主人公は片岡いずみという女子高校生です。一方、いずみのクラスメイトの古館小梢はクラスの中心人物で人気者でしたが、なぜか片岡いずみを目の敵にしていました。
いずみはクラシックバレエをやっていましたが、小梢も同じバレエ教室に通っている仲間でもあったのです。
この二人が巨大ショッピングモールの「スワン」で起こった殺戮事件に巻き込まれ、小梢は怪我を負い、いずみは被害者という立場から後には殺人者同様の非難の的にされます。
本書『スワン』では、いずみへの非難のように思い込みだけで自分の正義を主張する人間が描かれたり、小梢による陰湿ないじめが描かれたりしています。
それは近年問題になっているSNS上での過剰な非難や、コロナ下での同調圧力に見られるような、個人の主観的な思い込みによる正義に基づく他者への攻撃の問題も含んでいます。
例えばマスコミやコメンテーターと名乗る人々、そしてもちろんネット上での書き込み、またそうした意見に便乗した人たちによる非難は繰り返し片岡いずみら被害者を襲います。
殺戮の現場で警備員だった人は、逃走したがために、犯人を制圧可能だったからという理由だけで非難され、社会的な存在を抹消されてしまうのです。
その意味では、本書も強い社会性を有していると言え、その点では私の事前の印象もあながち的外れとは言えないようです。
しかし、本書の醍醐味は無差別殺人後に行われた集まりにおける聞き取り調査にあります。
この事件後の集まりは、吉村菊野という老女がショッピングモール「スワン」で殺された殺された事情を明らかにしたいという依頼者の求めに応じて、弁護士の徳下宗平が参加を募ったものでした。
徳下が集めた集会に参加したのは波多野、保坂伸継、生田、道山、そして片岡いずみの五人です。彼らは徳下が提示した報酬につられて集まったという建前になっています。
名乗った名前も殆どが偽名であり、証言内容すらもその真実性は担保されていません。そこで弁護士の徳下がショッピングモール「スワン」で犯人たちが撮影していた映像などをもとに、証言の欺瞞性を暴いていくのです。
その過程はまさにミステリアスなものであり、次第に明かされていく真実は意外性に富んだもので、作者の狙いのとおりに惹き込まれていったと言えると思います。
まさに本格派推理小説の手法であり、近年の作品で言えば、映画化もされた冲方丁の『十二人の死にたい子どもたち』という作品などが思い出されるものでした。
この『十二人の死にたい子どもたち』という作品は、廃病院に集まった自殺を志願する十二人の子供たちが繰り広げる真実追及の場でしたが、本書もまた同様です。
本書のタイトル『スワン』は、殺戮の場所であるショッピングモールの名前であると同時に、クラシックバレエの名前としての「白鳥の湖」をも意味しています。
白鳥と黒鳥のそれぞれの持つ意味、更には「白鳥の湖」の筋立てが改変されたという歴史的事実にもまた言及され、いずみと小梢との関係性を示してもいるのです。
こうした仕掛けの点でも作家という人種の想像力の豊かさには驚かされます。
同時に、いずみと梢が「スワン」にいた理由に若干の疑問も抱きました。何故に「スワン」で会う必要があったのか、理解できなかったのです。ほかの場所の方がよさそうに感じました。
それともう一点。「スワン」というショッピングモールの全長が1200メートルもある、という設定もどうでしょう。少なくとも現実にそんなに長いショッピングモールが存在するものか、疑問です。
とはいえ、この物語ではそうした疑問は小さなことでしょう。
本格派の推理小説を苦手とする私ですが、本書『スワン』に関してはまさに脱帽するしかありませんでした。