法廷占拠 爆弾2

法廷占拠 爆弾2』とは

本書『法廷占拠』は『爆弾シリーズ』の第2弾で、2024年7月に講談社から416頁のハードカバーで刊行された、長編のミステリー小説です。

相変わらずに物語はテンポよく展開していき、読者は一気に物語世界に取り込まれ、目が離せなくなりました。

法廷占拠 爆弾2』の簡単なあらすじ

東京地方裁判所、104号法廷。史上最悪の爆弾魔スズキタゴサクの裁判中、突如銃を持ったテロリストが立ち上がり、法廷を瞬く間に占拠した。「ただちに死刑囚の死刑を執行せよ。ひとりの処刑につき、ひとりの人質を解放します」前代未聞の籠城事件が発生した。スズキタゴサクも巻き込んだ、警察とテロリストの戦いがふたたび始まる。一気読み率は100%、面白さは前作200%増のノンストップ・ミステリー!(「BOOK」データベースより)

法廷占拠 爆弾2』の感想

本書『法廷占拠』は『爆弾シリーズ』の第二弾で、読者は一気にテンポよく展開していく物語世界に取り込まれていきます。

前作の『爆弾』の主役であったスズキタゴサクの裁判を行う法廷を舞台にしたサスペンスフルなミステリー小説です。

 

本書は、前作で狂気の振る舞いを見せたスズキタゴサクという爆弾魔の裁判を行う法廷を占拠し、理不尽な要求を突き付けるテロリストと警察との戦いが描かれます。

前作同様に、今度はテロリストと警察との駆け引きが見どころになっていますが、今回はさらにスズキタゴサクの立場が不明なために三つ巴の戦いという見方もできるのです。

さらには、テロリストたちの要求が確定死刑囚の死刑の執行というものであることからくる彼らの目的に対する不信感や、テロリストたちの正体のあいまいさなど、謎が幾重にも重なります。

そうした謎に直面する警察や、法廷にとらわれた傍聴人のなかにいた警察官たちとテロリストたちとの間で次第に満ちてくるサスペンス感など、どんどん惹きこまれて行きます。

 

本書の主役といえばまずは法廷占拠の犯人であり、その一人が柴咲奏多という被害者の会のメンバーの一人である若者です。犯人としては、ほかに正体不明の男が一人います。

この法廷には、傍聴席に前作にも登場していた野方署の二人の警察官もいます。それが倖田沙良伊勢勇気です。

法廷外の警察関係者としては、警視庁特殊犯捜査第一係の係長の高東柊作、その部下の猫屋がいて、前作でスズキタゴサクと渡り合った重要人物である類家を忘れることはできません。

同じく前作から引き続き登場する警察官として杉並署の刑事である猿橋忍や、倖田沙良の先輩である矢吹泰斗らを挙げることができます。

ほかにも傍聴人である遺族会の湯村峰俊など多くの登場人物がいますが、多数に上るためここではこれくらいにしておきます。

加えて、この『爆弾シリーズ』の中心人物であるスズキタゴサクがおり、この男の本作での立ち位置はよくわかっていません。

 

常に予想の上をいく展開には脱帽するしかありません。この点は前作の『爆弾』でもそうだったのですが、サスペンス感満載の物語を望む方には絶好の作品だと思います。

本書の中でも書いてあるのですが、犯人の一人の柴咲は、当初から自分の正体を明らかにしていて、自分が捕まることを前提とした行動のように思えます。

しかし、この柴咲は自分の情報を明かしているものの、正体不明のもう一人の犯人に関しては何も情報が開示されてはいません。

さらには、犯人の仲間がほかにいるのかなどもよくわかっていないのです。

先に本書は予想の上をいくと書きましたが、中心人物であるスズキタゴサクと法廷を占拠した犯人との関係など、スズキがこの事件とどうかかわっているのかも謎のままに進みます。

 

読者の心を深くつかむよくできたサスペンスやミステリーの物語は、登場者の言葉や会話などがよく練られているものです。

本書もそうで、詳しくは書けませんが、例えばある会話では互いの言葉、動作の裏には考え抜かれた物語の世界観を前提とした隠された意味があることを示してあったりしていて、この作品のリアリティを上げているのです。

作者は主要登場人物の発言の流れに明確な意図を忍ばせていますが、その作業は大変なものがあると思われます。

しかし、その作業のおかげで読者は展開の意外性に翻弄されつつも、その流れを楽しめているのです。

 

反面、法廷内に凶器を持ち込む方法には疑問が残りました。

つまり、骨壺の中身をチェックしないものだろうか、ということや、現実に複数回の持ち込みで慣れを生じさせ、チェックを甘くすることができるのだろうか、ということです。

この点に関しては、実際の運用を知らないので何とも言えず、この点は可能なのだということを前提として読み進めました。

というのも、本書の方法が無理なのであればほかの方法を考えればいいのですから、あまりこの点に拘泥する必要もないでしょう。

 

結局、よく練り上げられた本書の面白さは否定することができず、その上、本書の終わり方は続編の存在を匂わせるものであり、ファンとしてはただ書かれるであろう続編を楽しみにするばかりです。

爆弾

爆弾』とは

本書『爆弾』は、2022年4月講談社から刊行され、2024年7月に講談社文庫から500頁の文庫として出版された第167回直木賞候補作となった長編のサスペンス小説です。

巻き起こる爆発を阻止すべく交わされる警察と被疑者との間で交わされる心理戦のゲームじみた会話の面白さは群を抜いています。

爆弾』の簡単なあらすじ

自称・スズキタゴサク。取調室に捕らわれた冴えない男が、突如「十時に爆発があります」と予言した。直後、秋葉原の廃ビルが爆発。爆破は三度、続くと言う。ただの“霊感”だと嘯くタゴサクに、警視庁特殊犯係の類家は情報を引き出すべき知能戦を挑む。炎上する東京。拡散する悪意を前に、正義は守れるか。

スズキタゴサクを名乗る自称酔っ払いが、傷害容疑で連行された野方警察署の取調室で、突然秋葉原での爆発を予言した。

事実、予言通りに秋葉原で爆弾が破裂し、スズキはさらに「ここから三度、次は一時間後に爆発します」と告げるのだった。

その一時間後、今度は東京ドームそばで爆発が起き重傷者も出てしまい、警視庁からも特殊班捜査係に所属する二人の刑事が送り込まれてきた。

以降、野方署での警視庁の刑事とスズキとの会話、心理戦は一段と鋭くなり、発せられる言葉の一言ひとことが重要な意味を持ってくるのだった。

爆弾』の感想

本書『爆弾』は、犯人と目される男と刑事たちとの会話を中心として展開される、第167回直木賞候補作となった長編のサスペンス小説です。

本書で登場する被疑者は、少なくとも見た目は社会の底辺にいると自称する、全くさえない中年男性です。

その男と警察官との会話には妙に惹きつけられ、加えて担当官の推理が働く場面はこれまた独特の思考がたどられていて、目を離せなくなります。

 

本書『爆弾』の登場人物としてまず挙げられるのは、たるんだ頬とビール腹をしたさえない風体の、些細な傷害事件で東京都杉並区の野方署に連行されてきたスズキタゴサクと名乗る中年男性です。

このスズキが霊感が働いたとして秋葉原での爆発を予告し、ほかに三度の爆発を予言し、この事件の幕が開けます。

そして、当初は等々力功という刑事がスズキの訊問に送り込まれ、記録係として伊勢という刑事がいましたが、秋葉原での爆発を契機に、警視庁捜査一課特殊班捜査係から清宮類家という二人の刑事が送り込まれます。

爆弾のことはたまにしか霊感が働かず見えないというスズキは、清宮に対し「九つの尻尾」というゲームをしようと持ちかけ、ここから警察とスズキとの心理ゲームが展開されます。

このゲームで交わされる会話の中に次の爆発のヒントが隠されていることに気付く清宮たちですが、そのうちに「ハセベユウコウ」という名が示され、事件は一気に異なる様相を見せ始めます。

それとは別に、スズキの取り調べを外された等々力や、全くの民間人である細野ゆかりという女子高生の行動の描写が効果的に挟まれ、巻き起こった爆発に対する第三者の視点を提供してくれています。

 

清宮や類家という警察官と被疑者であるスズキの会話で見られる相互の会話での畳み掛け、言葉の交錯、類家の解釈による場所の特定などに漂うサスペンス感には思わず引き込まれてしまいました。

ここでの会話は騙し合いの様相を見せながらも当事者たちの必死の心理戦が戦わされていて、読みごたえがあります。

そして、スズキが展開する普通の人間も感じるであろう論理に読者でさえも何となくの共感を覚えたいたりもし、そのこと自体にまた驚いたりもしてしまうのです。

ここらの展開は、「当事者にとって悲劇でしかない事件に対して、安全な場所にいる身で高揚してしまう」という、人間としてあるまじき感情を抱いてしまうという事実をスズキの言動に照らし考えてもらう、という作者の術中にまさにはまっているのです( 本の話 : 参照 )。

 

とはいっても、よく読めば、類家の思考は論理を丁寧に追っているだけだと分かります。ただ、キャラクターに惑わされて独特な思考だと思ってしまったようです。

ただ、その論理を丁寧に追っていくことが普通の人間には難しいのですが。

例えば、物語も終盤に入ったころに類家が爆発のトリガーに気付く場面がありますが、スズキとの会話の中のどこでそのキーワードに気付いたのか私には分かりませんでした。

対象が「動画」であることから単純に気付いたのか、それとも他に理由があるのか分からなかったのです。

 

本書『爆弾』でのスズキと清宮・類家との会話のように、会話で物語が進んでいくものの、その会話のロジックが妙に重く、まとわりつくような印象を持った物語をかつて読んだような気がするのですが、誰の何という作品だったか思い出せません。

あさのあつこの『弥勒シリーズ』がそうした印象に似ているかとも思いましたが、こちらはただ登場人物の交わす会話の中で彼らの「闇」が展開されているだけで、本書のゲーム性を帯びた展開とは異なるようです。

いつか思い出したら書き換えようと思っています。

 

ともあれ、本書の著者である呉勝浩という作家の作品は、これまで直木賞に三度候補作として取り上げられていて、そのどの作品も重厚で読みごたえのある作品となっています。

中でも本書は私が好きだった『スワン』を越えたサスペンス小説だと感じるほどでした。

今後の作品が楽しみな作家であり、続巻を待ちたいと思わせられる作家さんのひとりだと言えます。

 

ちなみに、作者呉勝浩の項でも書きましたが、本書『爆弾』が映画化されるそうです。

捜査一課の清宮を渡部篤郎、類家を山田裕貴、スズキタゴサクを佐藤二朗、所轄の等々力刑事を染谷将太が演じるそうです。

山田裕貴が中心になる点が若干気にはなりますが、ぜひ見てみたい映画ではあります。

詳しくは下記を参照してください。

おれたちの歌を歌え

おれたちの歌を歌え』とは

本書『おれたちの歌を歌え』は、2021年2月に文藝春秋から刊行され、2023年8月に文春文庫から688頁の文庫として出版された、長編の推理小説です。

昭和、平成、令和の三つの時代を交互に描きながら五人の仲間の挫折に満ちた人生を中心に描き、第165回直木賞の候補となった作品です。

おれたちの歌を歌え』の簡単なあらすじ

元刑事の河辺は、音信不通だった幼馴染の佐登志が死んだ知らせを受ける。彼が遺したのは、暗号めいた伝言。友からの謎かけに、河辺には封印していたはずの苦い記憶がよみがえる。40年前、故郷で巻き込まれたある事件ー。追われるように都会に出た彼らが、歩んできた人生とは?かつての悲劇の真相に迫る、大河ミステリー。(「BOOK」データベースより)

元後輩の海老沼の経営するデリヘルで運転手を務める河辺久則のもとに、突然、幼馴染の五味佐登志の死を告げる電話がかかってきた。

電話をかけてきた茂田というチンピラは、佐登志から渡された永井荷風の『来訪者』の新潮文庫を示し、最後の頁に詩が書いてあり、佐登志のM資金絡みの隠し財産のありかを示してあるというのだった。

佐登志は他殺殺された可能性が高いこともあって、生前の佐登志の様子を知るためにも川辺は茂田に自分と佐登志の過去を話しはじめる。

昭和五十年代の始め、長野県の上田市真田町でいつも一緒にいた五人の高校生たちがいた。彼らは、彼らは竹内風花の父親のキョージュこと竹内三起彦から「栄光の五人組」と名付けられていた。

おれたちの歌を歌え』の感想

本書『おれたちの歌を歌え』の主要登場人物は本書の最初にまとめてありますが、名前だけ列挙しておきます。

河辺久則(ヒー坊)五味佐登志(サトシ)外山高翔(コーショー)石塚欣太(キンタ)竹内風花(フーカ)という五人が中心となっています。

それに、フーカの父のキョージュこと竹内三紀彦、フーカの姉の千百合、そしてセイさんこと岩村清隆が重要な位置を占めています。

また、五人組の友達の崔(岩村)文男やその妹の春子の存在も重要です。

ほかにも河辺にサトシの死を知らせて来た茂田などもいますが、本書の最初に書いてある「主要登場人物」を見てください。

 

本書『おれたちの歌を歌え』は作者の呉勝浩が編集者の提案を受けて自分なりの藤原伊織の『テロリストのパラソル』を書こうとしたものだそうです( 好書好日 : 参照 )。

テロリストのパラソル』という作品は、アルコールに溺れている主人公が自らの過去に立ち向かう姿を描いたハードボイルドミステリー作品で、第114回の直木賞を受賞している作品でもあります。

挫折した人生を送っている主人公が、ある日自分の過去に直面せざるを得ない事態に陥り、その過去をを乗り越えるために奮闘する姿が描かれていて、私が最も好きな小説の中の一冊でもあります。

 

本書『おれたちの歌を歌え』も同様です。

今ではデリヘルの運転手をしている主人公の川辺久則は、幼馴染のサトシの死が他殺であることを知り、過去に起きたある事件に思いを馳せるのでした。

その後、物語は昭和、平成、令和を交互に描きながら、過去と現在の殺人事件やそれに伴う謎を解明する過程を描き出しているのです。

 

本書は「第二章 すべての若き野郎ども」まではかなりの面白さを感じながら読んでいました。

しかしながら、「第三章 追憶のハイウェイ」あたりからどうも印象が変わってきます。

一つには物語が複雑に感じられてきたことと、もう一つは佐登志の死を知らせて来た茂田という男のキャラクターがよくつかめなくなってきたことが原因だと思われます。

茂田という男は坂東という半ヤクザの使い走りで、短絡的、暴力的な男である筈ですが、川辺がサトシが残したという暗号を解く過程に絡む姿がどうにも中途半端なのです。

本書では永井荷風や中原中也、太宰治などが鍵として登場し、茂田が太宰らの同人誌「青い花」や太宰作品の『ダス・ゲマイネ』を読み込んだり、川辺と共に過去の事件の推理もしています。

これらの行為やその後の行動から茂田にはかなりの知性が感じられ、当初感じた茂田の粗暴な印象とは異なっていて、なんともその人物像があいまいで、違和感を感じてしまいました。

 

もう一点はストーリーが分かりにくい点です。

過去の事件自体が複雑な構成になっていて理解しにくいのですが、加えて仲間の過去が現在へとつながり、また分かりにくく、再読してもストーリの全体像がつかめるのかと疑問になるほどです。

犯人像はそれなりに判明し、逆算して物語の流れがつかめた気にはなりますが、それは読了後の錯覚であり、細かな点を問われると応えられない点が多い程度の理解でしかありません。

さらに付け加えるならば、河辺久則の現在につながる状況を示すためでしょうか、刑事時代の川辺が上司の阿南から理不尽な仕打ちを受ける場面があります。

河辺を追い出す口実を作ろうとしているのでしょうが、個人的にはストーリーの流れを遮断しているようで不要としか思えませんでした。

また、セイさんというキャラクターが最終的に理解できずに終わりました。というか、そのキャラクターの説明が、詳しくは書けませんが微妙に納得いかなかったのです。

ただ、本書『おれたちの歌を歌え』は直木賞候補作であり、以上述べたことは読み手である私の読解能力が不足していたにすぎないというしかないでしょう。

 

以上、いろいろと不満点は書きましたが、大河小説として昭和の雰囲気を表現するために『限りなく透明に近いブルー』や『邪宗門』などの文学作品、また「太陽にほえろ」や「傷だらけの天使」といったテレビドラマなどを取り上げているのは、その時代を生き、熱中した私としては非常に嬉しいものがありました。

また、当時の学生運動の様子が描かれていますが、先鋭化した一部の学生はまさに本書『おれたちの歌を歌え』で書かれているような状態だったのです。


 

本書『おれたちの歌を歌え』は、総じて非常に興味深い内容を持った作品であり、また面白く読んだ作品でもあったのですが、冒頭に述べたように少々複雑に作り過ぎたのではないか、そう思えて仕方ありません。

直木賞の候補となった作品であり、それだけの内容を持った作品であることは否定できません。

ただ、個人的な好みと少しだけずれていたということです。

スワン

スワン』とは

本書『スワン』は2019年10月にKADOKAWAから刊行され、2022年7月に角川文庫から448頁の文庫として出版された、長編のミステリー小説です。

第73回日本推理作家協会賞や第41回吉川英治文学新人賞を受賞し、さらに第162回直木三十五賞の候補作となっただけのことはある、読みがいのある作品でした。

スワン』の簡単なあらすじ

ショッピングモール「スワン」で無差別銃撃事件が発生した。死傷者40名に迫る大惨事を生き残った高校生のいずみは、同じ事件の被害者で同級生の小梢から、保身のために他人を見捨てたことを暴露される。被害者から一転して非難の的になったいずみのもとに、ある日1通の招待状が届いた。5人の事件関係者が集められた「お茶会」の目的は、残された謎の解明だというが…。文学賞2冠に輝いた、慟哭必至のミステリ。日本推理作家協会賞、吉川英治文学新人賞受賞。(「BOOK」データベースより)

スワン』の感想

本書『スワン』は、巨大ショッピングモール「スワン」で起きた無差別銃撃事件に巻き込まれた一人の女子高生の姿を描いた長編のミステリー小説です。

作者呉勝浩についてはこの作者の『白い衝動』という作品の概要を読んで社会性の強い作品を書く作家さんだと思っていたためか、本書『スワン』も同様に社会性が強いニューマンドラマだと思い込んでの読書でした。

ところが、本書は、この巨大ショッピングモールで起きた真実の出来事はどうであったのか、一人の老女の死の実際はどのようなものであったのか、を明らかにする本格派の推理小説だったのです。

 

本書の主人公は片岡いずみという女子高校生です。一方、いずみのクラスメイトの古館小梢はクラスの中心人物で人気者でしたが、なぜか片岡いずみを目の敵にしていました。

いずみはクラシックバレエをやっていましたが、小梢も同じバレエ教室に通っている仲間でもあったのです。

この二人が巨大ショッピングモールの「スワン」で起こった殺戮事件に巻き込まれ、小梢は怪我を負い、いずみは被害者という立場から後には殺人者同様の非難の的にされます。

 

本書『スワン』では、いずみへの非難のように思い込みだけで自分の正義を主張する人間が描かれたり、小梢による陰湿ないじめが描かれたりしています。

それは近年問題になっているSNS上での過剰な非難や、コロナ下での同調圧力に見られるような、個人の主観的な思い込みによる正義に基づく他者への攻撃の問題も含んでいます。

例えばマスコミやコメンテーターと名乗る人々、そしてもちろんネット上での書き込み、またそうした意見に便乗した人たちによる非難は繰り返し片岡いずみら被害者を襲います。

殺戮の現場で警備員だった人は、逃走したがために、犯人を制圧可能だったからという理由だけで非難され、社会的な存在を抹消されてしまうのです。

その意味では、本書も強い社会性を有していると言え、その点では私の事前の印象もあながち的外れとは言えないようです。

しかし、本書の醍醐味は無差別殺人後に行われた集まりにおける聞き取り調査にあります。

 

この事件後の集まりは、吉村菊野という老女がショッピングモール「スワン」で殺された殺された事情を明らかにしたいという依頼者の求めに応じて、弁護士の徳下宗平が参加を募ったものでした。

徳下が集めた集会に参加したのは波多野保坂伸継生田道山、そして片岡いずみの五人です。彼らは徳下が提示した報酬につられて集まったという建前になっています。

名乗った名前も殆どが偽名であり、証言内容すらもその真実性は担保されていません。そこで弁護士の徳下がショッピングモール「スワン」で犯人たちが撮影していた映像などをもとに、証言の欺瞞性を暴いていくのです。

その過程はまさにミステリアスなものであり、次第に明かされていく真実は意外性に富んだもので、作者の狙いのとおりに惹き込まれていったと言えると思います。

まさに本格派推理小説の手法であり、近年の作品で言えば、映画化もされた冲方丁の『十二人の死にたい子どもたち』という作品などが思い出されるものでした。

この『十二人の死にたい子どもたち』という作品は、廃病院に集まった自殺を志願する十二人の子供たちが繰り広げる真実追及の場でしたが、本書もまた同様です。

 

本書のタイトル『スワン』は、殺戮の場所であるショッピングモールの名前であると同時に、クラシックバレエの名前としての「白鳥の湖」をも意味しています。

白鳥と黒鳥のそれぞれの持つ意味、更には「白鳥の湖」の筋立てが改変されたという歴史的事実にもまた言及され、いずみと小梢との関係性を示してもいるのです。

こうした仕掛けの点でも作家という人種の想像力の豊かさには驚かされます。

 

同時に、いずみと梢が「スワン」にいた理由に若干の疑問も抱きました。何故に「スワン」で会う必要があったのか、理解できなかったのです。ほかの場所の方がよさそうに感じました。

それともう一点。「スワン」というショッピングモールの全長が1200メートルもある、という設定もどうでしょう。少なくとも現実にそんなに長いショッピングモールが存在するものか、疑問です。

とはいえ、この物語ではそうした疑問は小さなことでしょう。

本格派の推理小説を苦手とする私ですが、本書『スワン』に関してはまさに脱帽するしかありませんでした。