硝子の塔の殺人

硝子の塔の殺人』とは

 

本書『硝子の塔の殺人』は2021年7月に刊行された、2022年本屋大賞の候補となった本格派の長編推理小説です。

「王様のブランチ」でも紹介された作品ですが、本格派の推理小説は個人的にあまり好みではなく、そのなかでも私の好みには全く反する作品でした。

 

硝子の塔の殺人』の簡単なあらすじ

 

雪深き森で、燦然と輝く、硝子の塔。地上11階、地下1階、唯一無二の美しく巨大な尖塔だ。ミステリを愛する大富豪の呼びかけで、刑事、霊能力者、小説家、料理人など、一癖も二癖もあるゲストたちが招かれた。この館で次々と惨劇が起こる。館の主人が毒殺され、ダイニングでは火事が起き血塗れの遺体が。さらに、血文字で記された十三年前の事件……。謎を追うのは名探偵・碧月夜と医師・一条遊馬。散りばめられた伏線、読者への挑戦状、圧倒的リーダビリティ、そして、驚愕のラスト。著者初の本格ミステリ長編、大本命!(「BOOK」データベースより)

 

硝子の塔の殺人』の感想

 

本書『硝子の塔の殺人』に寄せられた島田荘司氏の言葉によると、本書は新本格推理と呼ばれるミステリージャンルの作法を完璧に使いこなした最高傑作だとありました。

この新本格推理小説というジャンルは、綾辻行人の『十角館の殺人』を始めとする二十歳代の若手による、それまでの「人間の情念や日本人の土着性といった要素はかなり薄い」作風の一群の作品を言うそうです( ウィキペディア : 参照 )。

『十角館の殺人』という作品は、私の苦手な本格派の推理小説であるわりにはそこそこに面白く読んだ記憶があります。

であるのならば本書はそれ以上に期待の持てる作品である筈ですが、しかし、そうではありませんでした。

いわゆる謎解き作品が好きな人であるのならば、多分、散りばめられた伏線やラストのどんでん返しなどに面白さを見つけることはそれほど難しくはないのかもしれません。

というよりも、作者知念実希人が自信をもって問いかけている「読者への挑戦」などの記述を見ると、作者の自信や島田荘司の言葉などからしても多分かなり評価が高くなるのではないでしょうか。

 

 

確かに、本書『硝子の塔の殺人』は「日本的な情念」などという要素は微塵もありません。というよりも、四季の移ろいや深い心理描写といった情緒的な表現自体が全くないのです。

とにかく、重要なのは解かれるべき「謎」であり、登場人物も舞台設定も真実味など度外視して解かれるべき「謎」のために設けられています。

ですから、本書はそもそも動機を重視する社会派と呼ばれる作風をこそ好む私の関心を惹く作品ではないのは分かっていました。

しかし、何度か書いてきたことですが、米澤穂信の『折れた竜骨』などの作品はそれなりに面白く読んだのですから、私は単純に本格派というだけで毛嫌いしているわけではありません。

謎解きだけを主眼として物語性が全くないところが私の好みに反するのです。

ただ、本書はミステリー好きの人たちからはかなり高い評価を受けていることは指摘しておく必要があると思います。

 

 

さらに言えば、登場人物もいかにも本格派らしい設定です。

本書『硝子の塔の殺人』の主人公であり視点の持ち主は物語の舞台となる硝子館の主人の主治医である一条遊馬という医者です。

そしてその館の主人が神津島太郎という富豪であり、そして探偵役が自らをミステリーに異常な情熱を持っていて名探偵と自称する碧月夜という女性です。

さらに元刑事の加々見剛、館の料理人の酒泉大樹、メイドの巴円香、執事の老田真三等がおり、他に客として霊能者の夢読水晶、小説家の九流間行進、編集者の左京公介らがいます。

彼らがクローズドサークルと化した硝子の塔を舞台とした事件に巻き込まれるのですが、まさに本格派推理小説に登場すべき登場人物であり、それ以上のものではありません。

つまり、その人間性や人物の背景などは全く無関係であり、単に謎解きの道具、駒でしかありません。

 

本書は冒頭から犯人の独白という形で幕を開けます。それ自体確かに普通ではない意外性をもって展開されていく予感を持たされるのです。

事実、その直後に開口一番「いいえ、探偵ではありません。名探偵です。」と自己紹介する碧月夜が登場するところからまた普通ではありません。

ただ、その普通でない展開の仕方が不自然であり、謎解きのための設定である点がどうにもなじめません。

そもそも、舞台となる硝子館自体が真実味を欠いているのですから普通でない点を指摘すること自体がおかしいのかもしれません。

 

ただ、本書『硝子の塔の殺人』はリアリティを度外視していると書きましたが、本書ではその点さえも解かれるべき「謎」に組み込まれていることだけは感心しました

しかしながら、評価すべき点としてはその他には見当たらず、非常に残念な作品でした。

ムゲンのi

本書『ムゲンのi』は、ファンタジーの形を借りた仕掛け満載の、ソフトカバー版で上下二巻(上巻349頁、下巻364頁)という長さを持つ長編推理小説です。

さまざまなジャンルの物語が詰め込まれた作品で、2020年本屋大賞候補作として、まあ面白く読めた作品でした。

 

若き女医は不思議な出会いに導かれ、人智を超える奇病と事件に挑む―。夢幻の世界とそこに秘められた謎とは!?予測不可能な超大作ミステリー。(上巻 : 「BOOK」データベースより)

眠りから醒めない四人の患者、猟奇的連続殺人、少年Xの正体。すべては繋がり、世界は一変する。一気読み必至、感動の結末。(下巻 : 「BOOK」データベースより)

 

本書『ムゲンのi』の主人公は、神経精神研究所付属病院に勤務する識名愛衣という女医です。

日本では数年の間発症例がなかった通称「イレス」と呼ばれる「特発性嗜眠症候群」の、それも同じ東京の西部に住み、同じ日に発症した患者が四人、愛衣の勤務する病院に入院していました。

彼女が担当するのはそのうちの三人の患者であり、四人は四十日間も眠り続けています。

彼女自身、幼いころの事件で受けたトラウマに悩まされている身ですが、何とか治療法を模索していました。

そんな愛衣に対し沖縄の霊能力者の「ユタ」である祖母は、マブイグミ、つまり患者のマブイ(魂)を元に戻してやると目が覚めるというのでした。

そのためには患者の魂の救済が必要で「ユタ」の血を引く愛衣にはそれができると言います。そして、愛衣に力を分けたと言うのでした。

 

そうして愛衣は病気で眠る患者の夢の中に入って病気の原因を探り出すのですが、最初の夢は親子の情愛、次が法廷ものと異なるミステリーの形態を取っています。

また、上巻での二話ははファンタジーそのものであり、なんとも違和感ばかりを感じる物語でした。

例えば、急患として運び込まれた少年に対し行う捜査一課の刑事の訊問はかなり強引に過ぎると思われるのです。

また、四番目のイレス患者の担当である先輩が、同じ症例を担当する愛衣と情報を共有しようとしないのも疑問です。

更には、愛衣が潜り込んだイレス患者の意識の中ではない、現実の場面でも何故かファンタジーの香りがするのも違和感があるのです。

下巻になると、同じファンタジーでも少々趣が異なってきます。夢はより切迫性、不気味さを増していき、クライマックスへとなだれ込んでいくことになります。

そして、それぞれの夢の物語の間には幕間が挟まれていて、愛衣が潜り込んでいた夢ではない愛衣にとっての現実が語られ、その現実で起きている連続殺人事件や「少年X」のことが示されていきます。

 

こうして本書『ムゲンのi』は、全体としてミステリーらしい大仕掛けの中で物語が展開していきます。

そして最終的にイレスや、同時進行的に起きている連続殺人事件、「少年X」などの謎が明かされていくのです。

 

ところが、クライマックスでの謎の解明の過程にはいり、意外な事実が明らかにされていくのには驚きました。

特に、本書の読み始めに感じた本書の雑な印象すらも仕掛けの一環であることまで示されたのは、驚きを超えたものがありました。

華先輩の行動に感じた疑問や、現実場面の描写に感じたファンタジーの香りも見事に説明が為されています。

 

しかしながら、個人的な好みから言うと、本書『ムゲンのi』のような作品は、面白いとは思うのですが微妙に私の好みとは違うと言わざるを得ません。

それは、一つには本書『ムゲンのi』でのファンタジーの場面が今一つありきたりに過ぎることです。ファンタジー世界の有りようが文字どおりの単なる夢物語で終わってしまっています。

また、本書で主人公が患者の夢の中で出会う自分の分身ともいえるククルは、『ライラの冒険』に出てくるデイモンを思い出させる存在です。

そして、ククルが〈無〉だという物語に登場する「闇」は、映画『ネバーエンディングストーリー』の原作となったミヒャエル・エンデの『はてしない物語』でいう「虚無」に相当する存在だと思え、物語の独自性を感じませんでした。

 

 

次に、本書『ムゲンのi』の分量がこれほどの長さが必要なのか疑問に思えたことがあります。もう少し短くても良かったのではないか。もしかするとその方がキレがよく仕上がったのではないかという思いを抱いてしまいました。

最後に、本書のような解決方法自体はミステリーの一つのあり方としてあるのでしょうが、個人的好みとして違和感を持ったことがあります。

 

とはいえ、本書『ムゲンのi』は2020年本屋大賞の候補作となるほどに読者の支持を集めているのですから、私の感想はあくまで素人の個人的な感想に過ぎず、他の読者の助けになるかは疑問です。

結論として、全体として面白い作品であること自体は否定しないのですが、個人的な好みとは少し外れた作品だった、ということになりました。

ひとつむぎの手

大学病院で過酷な勤務に耐えている平良祐介は、医局の最高権力者・赤石教授に、三人の研修医の指導を指示される。彼らを入局させれば、念願の心臓外科医への道が開けるが、失敗すれば…。さらに、赤石が論文データを捏造したと告発する怪文書が出回り、祐介は「犯人探し」を命じられる。個性的な研修医達の指導をし、告発の真相を探るなか、怪文書が巻き起こした騒動は、やがて予想もしなかった事態へと発展していく―。(「BOOK」データベースより)

 

2019年本屋大賞にノミネートされた、純正会医科大学の付属病院を舞台とした長編の医療小説です。

 

純正会医科大学付属病院の心臓外科に属する医局員の平良祐介は、心臓手術を数多くこなすことのできる富士第一病院への出向を希望していました。

しかし、心臓外科学講座教授である赤石からは、出向のためには今度くる研修医三人のうち少なくとも二人の入局を条件とすると言い渡されます。

彼ら三人に心臓外科の現実を教えるべきか否か悩みつつも、日々の業務のなかで次第に彼ら三人の研修医との関係を模索する祐介です。

そうした中赤石教授を告発する文書が出回り、今度はその文書の犯人探しまで命じられるのでした。

 

良くも悪くも大学病院の医局を舞台にした小説で、絶対権力者の教授を頂点とする階層社会の中で苦闘する青年医師の姿が描かれています。

こうした医局の問題点を記した作品として山崎豊子の名作『白い巨塔』がありますが、この時代と現代とは若干医局の構造も変わっているとは聞くものの、絶対権力者としての教授の地位や、地方医療の担い手としての医局の意義などはあまり変わってはいないようです。

そうした医局制度の現状なども本書には詳しく描写してあります。

 

 

医療をテーマにした小説、または現役のお医者さんが書かれた小説は少なからず出版されていますが、本書は現役のお医者さんが書いた医療小説です。正面から医療現場を描き、患者の命と医者としての技術の向上、その先にある出世への道との狭間での悩みなどが描かれています。

現役の医者ならではのリアリティに満ちた医者の話し合いや手術の現場の様子が綿密に描写され、さらには救急医療の現場の様子までも描かれていて、読者が感情移入しやすく、また軽いユーモアも交えて読みやすく配慮されています。

 

このように、本書は直接的には医療そのものが、間接的には「命」がテーマになっていて、確かに感動的な物語として仕上がっています。

しかしながら、今一つ心に残りません。読みながら涙する場面もあるにもかかわらず、読後に心に残るものがあまりありません。

同じようなテーマで書かれた小説としては、夏川草介の『神様のカルテシリーズ』があります。このシリーズの場合、主人公は地方医療の現場で働くお医者さんであり、大学の医局とはまた異なるとは思いますが、読了後の印象はこちらのほうが心に残ります。

 

 

この感想は多分に個人の好みが入っており、優劣の問題ではないと思います。しかし、本書『ひとつむぎの手』の場合、登場人物のキャラクターがあまりに型にはまりすぎていると思うのです。

主人公のキャラクターからして、自分の医者としての出世を望むことから教授の頼みを引き受けるという一面を持ちながら、緊急時の医者としての対応力などは一流のものを持つ実力者として描いてあり、自分の夢と医療の現実との狭間で思い悩む人物であって、そこでの煩悶の描写はありがちです。

心臓外科医局長の肥後太郎という人物など、この手のドラマとしては典型的なキャラクタ―であり、人物像としては物足らなく感じたものです。

 

繰り返しになりますが、本書は医療というものを正面から描いている点ではとても好感が持てる作品です。ミステリー味を加味してエンターテイメント小説としてもうまく仕上がっている作品だとの感想を抱きました。

ただ、若干物語としての深みが薄かったというだけです。しかし本屋大賞の候補作としてノミネートされているのですから、私の感想は個人的なものにとどまると考えたほうがいいとも思われます。

崩れる脳を抱きしめて

彼女は幻だったのか?
今世紀最高の恋愛ミステリー!!

作家デビュー5周年、
実業之日本社創業120周年記念作品

圧巻のラスト20ページ!
驚愕し、感動する!!!
広島から神奈川の病院に実習に来た研修医の
碓氷は、脳腫瘍を患う女性・ユカリと出会う。
外の世界に怯えるユカリと、過去に苛まれる
碓氷。心に傷をもつふたりは次第に心を
通わせていく。実習を終え広島に帰った
碓氷に、ユカリの死の知らせが届く――。

彼女はなぜ死んだのか? 幻だったのか?

ユカリの足跡を追い、碓氷は横浜山手を
彷徨う。そして、明かされる衝撃の真実!?
どんでん返しの伝道師が描く、
究極の恋愛×ミステリー!!
2度読み必至!(「内容紹介」より)

本書は、主人公の研修医碓氷蒼馬の視点で全編が描かれている、2018年本屋大賞にノミネートされた、現役の医師の手による長編の恋愛ミステリー小説です。

【目次】
プロローグ
第一章 ダイヤの鳥籠から羽ばたいて
第二章 彼女の幻影を追いかけて
エピローグ

 

本書冒頭のプロローグで丘の上の病院に駆けつける「僕」がいて、すぐに第一章の「ダイヤの鳥籠からはばたいて」が始まり回想の場面に入ります。

実習のために広島の病院から神奈川の富裕層向けの療養型のホスピスである「葉山の岬病院」へとやって来た僕、研修医の碓氷蒼馬は、最悪の脳腫瘍(膠芽腫)といういつ爆発するかもしれない爆弾を脳内にを抱えた、自分を濁らずにユカリと呼んで欲しいという弓狩環という名の女性と出会うのでした。

そのユカリは、自分が相続し有している莫大な財産を狙う親戚がいるとして、三階の病室から出ようとはせずに、ひとり絵を書いて暮らしていました。

莫大な借金を抱え、家族を捨て女と共に逃げた父親に対し憎しみを抱いて、金のために医者になるという碓氷でしたが、ユカリと話すうちに次第に彼女に惹かれていく自分に気が付くのでした。

 

本書は主に前後半の二章で成り立っていて、第一章は碓氷とユカリのその頃の状況と、次第につのる二人の秘めた恋模様が語られ、加えて碓氷の父親にまつわる秘密の解明というサイドストーリー的な話も語られます。

そして、第二章になると物語は一転し、ユカリの死という事実に直面した碓氷が、文字通り探偵役となってユカリの死の秘密の解明に奔走する姿が描かれるのです。

第一章は碓氷とユカリの恋愛模様が描かれる回想の恋愛物語であって、第二章は現在に戻りミステリー満載の物語が展開されると言えるでしょう。

本書は、何といっても作者が現役の医師であることによる臨場感のある医療現場の描き方にある、といいたいところですが、『チーム・バチスタの栄光』の海堂尊や『神様のカルテシリーズ』の夏川 草介のような描き方はそれほどにはありません。

勿論医学部一年生の時の救急救命部の見学の時の印象など、医師ならではの描写が随所にありはするのですが、余人では描けない、とまではいきません。

でも、この作者の他の作品などを調べると、「博覧強記の天才女医・天久鷹央が解き明かす新感覚メディカル・ミステリー」と銘打たれた『天久鷹央の推理カルテ』シリーズなど、現役の医者としての知識を生かした作品が数多く出版されているようで、本書『崩れる脳を抱きしめて』だけで判断してしまうのは間違いのもとと言えそうです。( 知念実希人のおすすめ小説7選 : 参照)

本書ではただ、そこまでの必要性がなかったから書いていないのだと、そのままに受け取るべきもののようです。

神様のカルテシリーズ』はミステリーではなく、一人の青年医師の医師としての生き方を正面から問うている物語なので別としても、海堂尊の描く物語は、まさに医者ならではの観点で描かれているミステリーです。

代わりにというのも変ですが、ミステリーとしての出来は個人的には面白く読みました。特にどんでん返しの結末もかなりの意外性をもって読むことができましたし、細かな仕掛けもよく効いていたと思います。

でも、すべてに満足したというわけではなく、若干の物足りなさを感じました。それは、人物の書き込みが今ひとつ薄く、私の中で物語の世界観の構築が上手くいかなかったのかもしれません。

それは、碓氷のかつての恋人や勤務先の病院の院長や看護師たち、それにユカリの友人などといった脇を固める人たちの描き方にある様な気がします。

本来は本書について物足りなさを感じた原因をきちんと考察するべきなのかもしれませんが、それはもう個人の楽しみの読書ではなくなります。

単純に、若干の物足りなさは感じたけれども、それないに面白く読めた小説だった、という感想を述べておくにとどめます。